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公爵閣下の歪な愛情
叢雲
しおりを挟む発熱に染まる頬とは対照的なそれがうっすらと開かれたままで震えてはうわごとを途切れ途切れにこぼす。傍らの椅子に腰かけた壮年の男が滲む汗を無造作に拭う。
家具といえるものは物入れと机に椅子あとはベッドばかりの簡素な部屋である。そのベッドに眠る彼は過日湯殿での暴虐に耐えていた者だった。
「殿。いますこしご自重くださいますよう。伏して言上ごんじょうつかまつります」
あの惨劇の夜聞こえてきた震える声と同じものが、同じ声質で言う。すなわち怯えているのだ。
整っているものの表情が伺えぬ良くできた仮面のような風貌の男が、老爺に横目をくれた。
絨毯を敷いているとはいえ下は石造りの床である。そこに片膝をついての進言は齢を重ねた身には辛いに違いない。しかし彼の震えはそれが原因ではない。あきらかに‘’殿‘’を恐れている。また同時に畏れてもいる風情であった。それは‘’殿‘’と彼が呼ぶ男が主であるのと同時にあの夜の殺人者にほかならないためである。
「我に自重を、と言うか」
低い声が冷ややかに言う。
「伏して」
しかし。
「ならぬな」
返されたのは無情にも拒絶の言葉であった。
「殿っ」
「しつこい」
にべもない。
「お怒りになられましょうともこれだけは」
自刃しかねない決意のそれに、いかな男も考えを改める。
「申せ」
「御寛恕いただき」
「くどい」
ことばで打ち据えるかの迫力だった。刹那ベッドのうえの若者が多く呻いた。彼の額にかかった前髪を掻き上げる。その、男には不似合いな仕草に老爺は目を伏せた。
「さっさと申さぬか」
再度の催促に、
「このままではその者の余命は長くはないと、さきほど侍医が申してまいりまして」
男の手がふいと止まった。
「死ぬーーーと」
「はっ」
「我のせいーーーか」
「畢竟ひっきょう」
老爺が震える声で肯定する。
「そうか」
苦いものを噛み締めるような男の声。
「だいじょうぶです」との控えめな声がその場に割ってはいった。
「そなた」
ひんやりと冷たい男の手の甲に湿って熱い掌がのせられた。
「閣下。私はだいじょうぶでございます」
ことばの意味とは違い、いかにも弱々しい声だった。
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