わたしのお友達

七生雨巳

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 地下室から、ゴリゴリという音が聞こえる。
 わたしは、九十九のたてているこの音がだいっ嫌いだ。
 耳を塞いでいても響く音は、いつまでもつづいている。


 出して――と、泣き叫ぶ声が、すすり泣きに変わる。マキちゃんたちは、泣きつかれて眠ってしまった。九十九が運んで閉じ込めた、やはり地下の部屋の中だ。おもちゃもベッドもある地下室には、けれど、窓だけがない。部屋の片隅で、みんなはひとかたまりになって眠っている。寝顔は、苦しそうで悲しそうで、可哀想だ。
 ごめんね。
 お母さんはとっても楽しそうで、わたしはなにもできない。
 お母さんはやさしい。やさしいから、とても、悲しいのだ。
 軽い音をたてて、ドアが開く。部屋の外のかすかな光が部屋に差し込み、マキちゃんたちをぼんやりと浮かび上がらせる。
 かすかに鍵を弄る音がして、お母さんが入ってきた。みんなの寝顔を見比べて、そっとサッちゃんを抱き上げた。
 静かに、ドアが閉められる。錠のおりる音だけが、やけに耳に大きかった。

 たくさんの人形に囲まれて、お母さんが微笑む。ソファにゆったりと腰掛けて、横たわっているサッちゃんの頭を膝に乗せている。青い寝顔の中、真っ赤に泣きはらした目元が、とても痛々しい。
 お母さんが、サッちゃんの髪を梳く。
 サッちゃんのくるくるとカールした髪の毛が、お母さんの指にからむ。
 目覚めたサッちゃんが、不思議そうに、お母さんを見上げた。ぼんやりとしていたまなざしが、
「おばさんのこどものお友だちになってくれる?」
 お母さんのひとことに、サッちゃんの瞳孔が小さくちぢんだ。すべてを思い出したのかもしれない。
 慌てて起き上がって、きょろきょろと周囲を、確認する。お人形とおもちゃでいっぱいの、こども部屋だ。
 サッちゃんが、青ざめて、手を握っていたお母さんの手を払いのけた。サッちゃんが、首を左右に振る。ポニーテールが、揺れる。
 お願い。お願いだから、あのことばは言わないで。―――どんなに願っても、わたしの祈りは、叶わない。いつもいつも。その証拠が、三十体のお人形たち。
「なってくれるでしょ?」
 お母さんの、やわらかなことばは、サッちゃんには聞こえていないに違いない。
 サッちゃんが、手を口元にやって、口を開きかけた。
 言わないで。
 青く強張りついた表情が、色を無くしたくちびるが、願うわたしの目の前で、そのひとことを口にした。

 ――――おばちゃん、家に帰して。

 お母さんの笑顔が、強張りついた。

 帰して。
 帰してよ。
 家に、帰りたい。
 地下室のドアを、たくさんの小さな拳が叩いている。怒鳴り、泣き、しゃくりあげる、たくさんの、こどもたちの声。

 窓の外、雷鳴がとどろいた。

 ゴリッゴリッゴリッ………
 九十九が、サッちゃんを砕いてゆく。男の子にも負けなかったサッちゃんの、硬くて軽い骨が、少しずつ少しずつ、細かな白い粉へとすりつぶされてゆく。
 九十九の地下のアトリエで、サッちゃんが、粘土に混ぜられてゆく。
 お母さんが入ってきて、九十九の手元を覗き込んだ。サッちゃんの粘土は、まだ、ただの塊でしかなくて、お母さんは、残念そうな顔をした。九十九がお人形をひとつ作り上げるのに、一月から、二月がかかる。丁寧に作れば、半年から一年かけるときもあるのに、九十九は、早く出来上がってほしいお母さんのお願いを優先する。
「いいお人形さんになりそう?」
 九十九の暗いまなざしが、お母さんを見返した。そうして、口角をもたげただけの、ふてぶてしい笑みを形作った。
「もちろん。今回も、いいお友だちになりますよ」
 そう言いながら、九十九の視線が、わたしを探すように、さまよった。
「よかった」
 ほうと、お母さんが、溜息をついた。
「これで、トモも、わたしを許してくれるかしら」
 ぽつりつぶやいたお母さんのことばに、わたしは、お母さんを背後から抱きしめた。
 許しているのに。最初から、ちっとも怒ってなんかいないんだよ。
 ねぇ、お母さん。だから、わたしを見て。わたしは、ここにいるよ。ねぇお願い。わたしに気づいてよ。
 けれど、いつものように、お母さんは、わたしには、気づいてくれなかった。
 ただ、九十九が、黙ったままで、わたしを見ているような気がした。


 ―――あれは、わたしが六つの年。突然、お父さんが出て行った。
 もう顔も思い出せないお父さんが、最後にわたしにくれたのは、一体のお人形だった。手首や足首、腰だって自在に動かすことができる、黒い髪黒い瞳の、大きなお人形は、お父さんが作った最後の作品だった。
 お父さんは、かなり有名な人形作りの名人だった。わたしにくれたお人形を、球体関節人形というんだと教えてくれたのも、やっぱりお父さんだった。
 お母さんは、わたしがそのお人形と遊ぶのを、嫌った。けれど、わたしは、それがどうしてなのか、少しも判っていなかったのだ。
 わたしは、ただ、お父さんのくれたお人形が大好きだった。
 大好きだったお父さん。
 大好きなお父さんのお人形。
 お父さんの作ったたくさんのお人形は、家を出てゆくときに、お父さんがみんな処分してしまった。だから、わたしは、わたしに残された、たったひとつになってしまったお人形を、なによりも、大切にした。大切にしないといけないと思った。お人形を大切にするということは、お人形と遊んでやることだよと、お父さんから教わっていた。だから、時間を忘れて、お人形と遊んだ。お母さんがわたしを呼ぶ声が聞こえないくらい、夢中になって空想の世界で遊んでいた。
 わたしには、わかっていなかった。
 お母さんもまた、わたし以上に、寂しくて、悲しくてならなかったのだということが。
 だから、お母さん。
 わたしは、お母さんのこと、少しも怒っていないんだよ。
 ほんの少しだけ。それでいいから。お母さん、わたしを見て。そうしたら、きっと、お母さんには、わかるから。わたしが、ちっとも、怒ってなんていないんだって。


 小さな裸電球がともっただけの地下室で、タクちゃんは、泣きつかれて眠ってしまった。マキちゃんは、ぼんやりと、天井を見上げている。
「どうなるの? ねえ、トモちゃん」
 掠れた声でつぶやかれて、わたしは、びっくりした。マキちゃんはわたしがいることに気づいていたのだ。わたしは、マキちゃんに近づいた。
 マキちゃんの腕の中で、抱きしめられたままのわたしのお人形が、音をたてた。マキちゃんの、黒いガラス玉みたいな瞳が、わたしを見ていた。
 ごめんね―――
 みんな、わたしのせいなんだ。助けてあげたいけど――できなくて、ごめん。
 あの時、公園で、マキちゃんに気づいてもらったわたしは、みんなと遊べて嬉しかった。
 気づいてくれたから、マキちゃんたちとは、手を繋ぐことも、遊ぶことも、できたのだ。
 けど、やっぱり、気づかれなければよかった。声をかけなければよかったんだ。
 山を降りなければよかった。
 でも、誰にでもいいから、気づいてほしかった。わたしはここにいるんだって、気づいて、そうして、笑いかけてほしかった。
 それが、こうなることを、わたしは、忘れていた。楽しくて楽しくて、いつまでも、みんなと遊んでいたかったから。
「トモちゃん、泣いてる?」
 マキちゃんの手が、わたしの頬に触れた。
 マキちゃんの手の中で、わたしのお人形が、からからと音をたてた。
 わたしのお人形。
 あれが毀れたのは、いつだった?
 やさしいお母さんの、突き刺すような悲鳴が、お人形の砕ける音にかぶさるように聞こえたのは、いつだったろう。
 お人形が、床に、投げ捨てられたのを見ていたのは。床にぶつかって、そうして、毀れたのは――あれは、あれは、わたしだった。
 わたしは、お母さんを傷つけた。そうして、お母さんに、殺されたのだ。
 狂ったように泣き叫ぶお母さんを、途方にくれて、それでも宥めたのは、お父さんの弟子だった九十九だ。九十九が、死んだわたしの髪を切り、からだを焼いて、骨を砕いた。そうして、わたしの骨と、髪の毛で、一度毀れてしまったお人形を、つくろったのだ。――ただ、お母さんを悲しませないためだけに。
 わたしの骨と髪の毛で、お父さんの最後のお人形は、よみがえった。あまった骨と髪の毛を、胴体の中に抱いたままで、わたしを、ガラス玉の目で見上げている。
 ガラス玉の表面に映っている裸電球の光が、九十九の暗いまなざしを思い出させた。


 わたしのお人形を抱きしめて、そうして日々を過ごしていたお母さんは、ある日、お人形を作って―――と、九十九に言った。
 トモのお友だちを作ってほしいと。
 九十九は、普通のお人形を作って、お母さんに渡した。けれど、それは、お母さんの望みのお人形ではなかった。
 トモのお友だちは、特別でないと。
 にっこり微笑んだお母さんは、普通じゃなかった。
 できないと、九十九が苦しそうに言うと、お母さんは、鬼になった。
 トモが寂しいって泣いてると、わたしを許してくれないと、泣いて泣いて、鬼になった。
 鬼は、わたしを探して、山を降りた。わたしと間違えて連れ帰っては、帰ると泣く子を殺しつづけた。
 三十体のお人形の最初のいくつかは、そうやってお母さんが攫って殺してしまったこどもたち。お母さんの罪がばれてはいけないと、九十九が、お人形にした。
 九十九の瞳が、空を泳ぐ。わたしのことは見えてはいないだろうけれど、気配を感じているのかもしれない。いつも、わたしのいる場所に、間違うことなく視線を向けるのだ。
 九十九のまなざしは、お母さんのお願い。許してと、ごめんなさいと、わたしにお友だちをくれようとする、お母さんの、心。
 最高のお友だちが、そのために特別の材料が、ほしいのだと。
 そんなお母さんを悲しませたくなくて、わたしは、山を降りるのだ。
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