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序
しおりを挟む体重をかけて、お母さんの背中にもたれかかる。
ふんわりと、いい匂いがする。目を閉じて、心ゆくまで、楽しんだ。
ねぇ、お母さん。ねぇ――
わたしを見てほしい。けれど、いつものように、お母さんは振り返らない。
不意に、お母さんが口を開いた。
「人形が欲しいの。お人形さん。特別の、お人形なの」
お母さんの白い顔が、うっとりと微笑むのを、首を伸ばして覗き込んだ。くっきりと紅に染まったくちびるが、夢見るようにつむいだことばが、とても、悲しい。
「わかりました。では、材料を揃えないといけませんね」
噛みしめるように低く掠れた男の声が、薄闇の中にゆらりゆらりと波紋を刻んだ。
ちろりと、九十九の視線が、わたしを捉えたような気がした。
遊びにこない?
マキちゃんたちに声をかけた。
児童公園の片隅で、タクちゃんが爆竹に火をつけた瞬間だった。
え? と、びっくりした顔をして、マキちゃんたちがわたしを振り返った。その後から、間抜けたタイミングで、パチパチと火花を散らして筒が爆ぜた。
おもちゃ、たくさんあるよ。
テレビゲームも?
うん。ボードゲームもあるし。
お人形もいっぱい。
庭の花つんでも叱られないよ。
おままごとも鬼ごっこもできる。
家の中走り回ったって叱るひといないよ。
行く!
最初にそう叫んだのは、やっぱりサッちゃんだった。サッちゃんがそう言ったら、決まりだ。タクちゃんも、マキちゃんだって、つられて大きく頷いた。
山道をみんなして歩くのって、楽しい。都会から、急な用でこっちに来ることになったマキちゃんたちは、ハァハァ言いながら、滴る汗を腕で拭ってる。むき出しの黒っぽい地面を、一歩一歩、踏みしめるようにして登ってゆく。
セミが、うるさいくらいに鳴いている。鳴き声が、からだに刺さるような気さえする。
あれが栗の木。とげとげのイガがもうできてる。今年は栗がたくさんなるんだ。
冬にも来る? ヨモギがその辺たくさん生えるんだよ。緑のおもちたくさん作れるよ。
いろんな話をしていると、お椀を伏せたみたいにぽっこりとした、二十メートルあるかないかの高さの山なんて、あっとゆうまに登ってしまう。
栗の青臭い匂いが、吹いた風に散らされる。取って代わったのは、甘いかおりだ。
「ついたよ」
と振り向いた時には、みんな歓声をあげて走り出していた。
白、黄、青、紫、ピンク、オレンジ。色とりどりの大小さまざまな花の群が、目の前に広がっている。きっとみんな、花畑の向こうにあるわたしの家になんか気づいていないに違いない。
すごい、すごいと、サッちゃんがタクちゃんがマキちゃんが、黒い服をひるがえしてはしゃぐ。
真夏なのにどうしてこんなにたくさんの花が咲いてるんだろうと、マキちゃんが、不思議そうに首を傾げる。
だよね。うちのお母さん、夏場はお花が少ないってよく愚痴ってるよ。サッちゃんが、そう返した。くるくるとカールしてるポニーテールを結んでいる、黒いリボンが揺れている。
そんなのどうだっていいじゃん。花首を毟って放り投げながら、タクちゃんが笑う。
いろんな色のはなびらが、くるくると、降りかかる。
ちぎっても、いいよね。
うん。
とってもきれいだし。
花畑を駆けまわり、疲れたころ、ふと気がつくと、風が吹きはじめていた。花々がざわめく。はなびらが舞い散る。
もくもくと重そうな黒雲が頭の上に群がり、遠雷がかすかにとどろく。
ポツリと落ちてきた大粒の雨に追い立てられるように、みんなでわたしの家に、雨宿りに駆け込んだ。玄関ホールの、思いっきり開けはなったドアが、風に押されて閉まってゆく。ドアが閉まる瞬間、耳元で力まかせに戸を閉て切るような雷鳴が降って落ちた。
悲鳴をあげて、みんなが弾かれたように走り出す。
鳥の羽のように左右に広がる階段に、一斉に取りついた。吹き抜けのホールの天井にある明り取りの窓から、稲光が差し込む。みんなの影が、青白い閃光に、壁に階段に縫いとめられる。そうして、再びの静寂に、影は、闇に飲み込まれた。
みんなの後からついてゆく。長いようにも感じられた、ほんとは短い時間の間、壁に映ったり消えたりする影を見ていたからだろうか、くらくらと足元が揺れるような気がしていた。今にも吐きそうに、気分が悪くてならなかった。
待ってよ―――口を開きかけて、どうせ………そんなことばが、どこかからぞろりと這い出してきた。
誰も、わたしの声なんか、聞いてくれないんだ。頭いっぱいになってしまいそうで、あわてて、打ち消す。
そんなことないもん。そんなことないと思えば思うだけ、どうしてか、気分の悪さが、増してゆく。吐きそうだ。
二階まで、本当は、あっという間だった。階段を上りきって左右に広がる廊下の左奥から、明るい光がこぼれている。当然のように、みんな、そっちに向かった。
奥へ奥へと、みんなが入ってゆく。
タクちゃんがドアノブに手をかけて、捻った。
吐き気が、一層、強くなった。
「こんにちはー」
挨拶は、サッちゃん。
軽く軋む音を立てながら、ドアが開く。隙間が広くなるにつれて、こぼれだす光の量も多くなる。
立っていられなくて、私は、壁に手を突いた。
みんなが入ってゆく。
「だいじょうぶ?」
心配そうな声が聞こえた。振り返ると、マキちゃんが立っていた。
「う、ん……ありがと」
背中をさすってくれるマキちゃんの掌が、とてもやさしい。
「みんな勝手に入っちゃったけど、いいの?」
不安そうなマキちゃんに、わたしは、首を縦に振った。
「だいじょうぶだよ。お母さんとってもやさしいから、怒んないし」
「そっかぁ」
「マキちゃん?」
夢見るようだったマキちゃんが、わたしの声に、我に返る。
「じゃあ、行こう」
わたしはマキちゃんの手を引っ張った。気がついたら、吐き気はきれいに治まっていた。
今日何度目の「すごい」だろう。部屋の中で、みんなが、顔を輝かせている。
遊んでいた花畑が見渡せる窓は、壁一面を占めている。そのすぐ側には、ソファセット。広い部屋いっぱいに、たくさんのおもちゃや絵本があふれている。テレビ、テレビゲーム機にさまざまなソフトにビデオ。ゲームボードにたくさんの縫いぐるみ。積み木やブロック、おままごとのセットもある。そうして、なによりも圧巻なのが、窓とドア以外の壁に飾られているたくさんの人形たちだろう。そのほとんどが、一分の一スケールの、等身大の、こどものお人形だ。正確な名前は、球体関節人形というらしい。全部で、三十体。本当の人間みたいなお人形は、壁に作りつけられた棚から、ガラスのまなざしで、わたしたちを見下ろしていた。
「なんか、気味悪い」
「でかいのがこんだけあると、ぶきみだよな」
サッちゃんとタクちゃんとが、こそりとつぶやいている。
「これみんな、トモちゃんの?」
マキちゃんの顔が、赤く染まっている。
「……うん。お人形集めるのはお母さんの趣味なんだけど、みんなわたしにくれるの。みんな、わたしのお友だちなんだって。マキちゃん、お人形好き?」
「うん。触ってもいい?」
「いいよ。好きなの選んで。あそぼ」
雷はいつの間にかやんでいて、代わりに大きな音をたてているのは、雨だった。テレビゲームの電源を入れて遊びはじめたサッちゃんとタクちゃんの歓声が、機械の音のあいまに聞こえる。
わたしは、マキちゃんがどの子を選ぶのかを、じっと見ていた。
マキちゃんは、人形を真剣に品定めしている。棚から、マキちゃんを見つめている、いろんな色のガラスの目。
「このお人形が、なんだか、一番好き」
マキちゃんがそっと取り上げたのは、黒い瞳と黒いまっすぐな髪の人形だった。やわらかそうなぽちゃりとした肉づきの、女の子のお人形だ。
「その子、わたしも、好きだよ」
マキちゃんが選んだのが、その子だったことが、わたしには嬉しかった。
「名前あるの?」
「うん」
「なんて名前?」
「あのね」
「うん」
「ト……」
わたしが答えようとした時だった。
カチャリと音をたてて、ドアが開く。
みんなが一斉にドアのほうを見た。
「いらっしゃい」
にっこりと微笑んでいるのは、お母さんだ。クリーム色の、わたしがとっても好きなアンサンブルを着て、ドアのところに立っている。
テレビ画面で、派手な色彩が弾け、爆発音が響いた。
「ケーキとアイスココアでいいかしら」
「わっ」
と、みんなの緊張が解け、歓声が弾ける。
陶器が触れ合う音とキャスターが床の上を滑る音をたてて、ケーキとアイスココアがのっているワゴンが、現われた。もちろん、ひとりでに入ってきたわけではない。押しているのは、紺の作務衣姿の男のひとだ。名前を九十九という。九十九を見ると、いつものことだけれど、頭がぐらぐらする。治まっていた吐き気がひどくなってぶり返す。彼の暗いまなざしがちらりとでも向けられただけで、くらりと、周囲が軋みたわむような心もとなさに、立っているのが辛くなる。
お母さん――
伸ばした手は、呼んだ声は、けれど、届かない。
お母さんは、ソファに座って、にこにことタクちゃんとサッちゃんを、見ている。
お母さんの向こう側、窓の外は、いつの間にか雨がやんでいた。雲が、すごいはやさで、流れてゆく。
「いらっしゃい」
お母さんが手招いた。
まだあっちに行っていなかったマキちゃんが、人形を抱いたままわたしの手を引いて、もうみんなが座っているソファのところへと連れて行ってくれた。
九十九が、おやつを並べてゆく。
お母さん手作りの、ふんわりと仕上がったシフォンケーキがみんなの視線を奪っていた。
「あれ?」
いただきますと、フォークを持った時、マキちゃんが、首をかしげた。
「どうしたの?」
にこやかに、お母さんが、訊ねる。
「おやつ、ひとつ足りないよ」
「あら」
やわらかいまなざしが、テーブルの上をさまよい、次いで、みんなを、確かめるようにしてゆっくりと見つめた。
「ほんとね。でも、おばさんも九十九も、食べないから」
「おいしいのに」
「ありがとう。おばさんが作ったのよ」
幸せそうに、お母さんが、笑う。ほろほろと甘く口の中でとけてしまう、シフォンケーキみたいに、お母さんが、笑う。
ごちそうさまでした――の声と同時に、サッちゃんとタクちゃんが立ち上がって、まっすぐにテレビゲームに向かった。すぐに、ゲームのにぎやかな音が、あふれだす。
「あなたは、いいの?」
お母さんがマキちゃんに向かった。もじもじとマキちゃんが、お母さんを見上げる。
「その子、気に入ってくれたの」
「うん……はい」
「おばさんの一等お気に入りなの。嬉しいな」
お母さんに見つめられて、真っ赤になったマキちゃんがうつむいた。
いらっしゃい――と、お母さんが、マキちゃんの手を引く。
サッちゃんとタクちゃんは、シューティングゲームで遊んでいる。派手な爆発音と色彩が、テレビ画面で弾ける。悔しそうなタクちゃんの声。タクちゃんが、サッちゃんに負けたのだ。さすが、サッちゃん、テレビゲームでも、男の子に負けてない。
「ここにあるお人形はね、みんなおばさんが集めたの。ほら、さっきケーキを配ってくれたでしょう、九十九が作ってくれたのよ。あなたが抱いているその子、彼が作ってくれた一番古いものなの」
そういったお母さんのまなざしが、しばらくの間、うつろになったように、見えた。
「この子たちは、みんな、おばさんのこどものなのよ。素敵でしょう」
ぐるりと、棚を示して、お母さんが説明する。たくさんの人形たちが、お母さんとマキちゃんとを見ている。
「トモちゃんの?」
マキちゃんがわたしの名前をくちにした一瞬、お母さんの顔が、白く引き攣れた。でも、それは、ほんの少しの間のこと。マキちゃんは気づかなかっただろう。
「そう。トモと、仲良くしてあげてね」
マキちゃんの目をのぞきこむようにして、お母さんが、そう言った。途端、まるでマキちゃん自身が人形にでもなったかのように、その場所に、くたりと倒れた。
「マキちゃん」
慌てて駆け寄ろうとして、気がついた。
部屋がやけに静かだ。見れば、テレビゲームもいつか終わっている。テレビの前では、サッちゃんとタクちゃんが、もたれあうようにして、寝息をたてていた。
クスクスと、お母さんが、とっても楽しそうに笑っている。
わたしは動くことも忘れて、ただ、お母さんを見上げていた。
お母さんの向こう側、窓の外が、少しずつ暗くなってゆく。やんでいた雨が、また降りはじめるのだ。
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