木曜日生まれの子供達

十河

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5.残していく

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「不本意だ」

 緑に囲まれた静かな庭園の一角で、ティーカップを上品に口に運ぼうとしていたマラキアが、ぷ、と小さく声を漏らす。急いでカップをソーサーの上に戻したものの、カタカタと震えるその縁からは、今にも紅茶が溢れそうだ。俺がじとりと横目で見つめれば、麗しの神官長は遂に堪えきれなくなったのか、法衣の袖で口を隠しクスクスと笑い始める。

「……そんなにおかしいか」
「いえ……フフッ、深謀遠慮で名高い最後の賢者殿でも、遂に若者にやり込められるようになったのだと」
「相手が悪かった。身分重視の強いお国柄だと情報は入っていたので何かしら手を打ってくれるだろうと予想はしていたが、せいぜい爵位を与えてくる程度のものと思っていたのだよ」

 それがまさか、十二年ものブランクを経て、宰相に戻されるとは思わないではないか。
 俺はテーブルの天板に肘をつき、黄金色に輝く懐中時計を手の中でくるくると弄ぶ。かつて身につけていたものではあるが、俺は自ら手放したものに、そこまで執着を持つ性質タチではない。
 しかし確かに、モリノの判断は間違っていない。宰相の肩書を背負っている限りキコエド側も俺を簡単には害せないし、国王から直々に近衛騎士を護衛に就けさせる理由も生まれる。しかしこの肩書きには同時に、ある種の煩わしさがつきまとうのは明白だ。代表的なものとしては、貴族主催のパーティやサロンへの招待状が、山のように届く辺り。俺が宰相職に返り咲いたという通達が国内に流布されたのは、一昨日の午後だ。そして今朝までにオスヴァイン邸に届いた招待状の数は、既に二桁の後半に達した。俺が虚ろな目になってしまうのも、仕方がないだろう。

「どちらにしても俺は、明後日には他国の土を踏んでいる。パーティなんぞに参加している暇はない」
「その貴重な時間を、僕との逢瀬に割いてくださるとは……嬉しいです。貴族の方々が悔しがる表情が目に浮かびます」

 旅立ち前に祝福を受ける体裁で神殿を訪れた俺を、本来の仕事もそこそこに笑顔でティータイムに誘ってきたのが神官長なのだから笑える話だ。しかしマラキアは働きすぎの衒いが強い方なので、俺が来訪すると自ら休憩を取ってくれると、リュトラや女官達からは感謝されてしまっている。

「俺は、お前と過ごす時間は大事にしている方だぞ」
「お気持ちは嬉しいですが、近衛騎士殿の耳には届かないようにしてくださいね? 僕なんぞ小指一つで捻り潰されてしまいます」

 大袈裟に身体を震わせる仕草には、悪態の一つもついてやりたくなるというもの。

「愛する神殿騎士団長殿はどうした。父親ヨルガを越えるぐらいにはなっているだろう」
「純粋な強さであれば、今はシグルド様に次いでいるとは思いますけど」
「けど……?」
「リュトラは優しいですからね……この歳になっても僕を手放さないでいてくれる辺り、人格的に甘いのは間違いないです」

 自分を卑下する癖が抜けないマラキアの言葉に、俺は薄く息を吐く。
 人魚に纏わる事件で凶刃からリュトラを庇ったマラキアは、俺が口移しで与えた人魚の秘薬で一命を取り留めたが、その代償に記憶の欠片を失った。記憶は、心を象るものの一つ。何に関わるものであったか見当はついてきたがーーそれを役割を俺は果たせない。

「マラキア、その見識は改めた方がいい。オスヴァインの男を『甘い』と見做すのは間違いだ。いつの日かそれは、お前のとなるぞ」
「覚えておきます」

 マラキアは殊勝に頭を下げているが、ことの本質に辿り着けていないのは分かっている。しかし、先に舞台から去る俺にできることは、後顧の憂なきを祈るのみ。

「……忘れるな、マラキアよ」

 いずれ訪れるそのに、俺は、お前の傍に居ない。

 †††

 神殿からオスヴァイン邸に戻ると、ヨルガとアルベールの正装が王城から届いていた。元々近衛騎士の軍服が王国騎士団のものと似ていることもあり、新しくヨルガに仕立てられた服も騎士団長時代とほぼ変わらない出来栄えだ。
 王太子の従者となったアルベールの正装は、ナポレオンジャケットを基調に騎士の軍服に準じた仕立てになっていた。王太子から授けられた腰帯にパルセミス王家の家紋が刻まれたブローチを留め、母親譲りの美貌で佇む姿は祖父の贔屓目抜きにしても凛として美しい。しかしそれが笑顔になると榛色の瞳に宿る光が柔らかく緩み、一転して人懐っこい雰囲気を醸し出すのだ。
 そんなものだから十歳にも満たないアルベールには既に親衛隊なるものまで存在するらしく、非公認ながらも相当の会員数を誇るというそれを特に害もないので今のところ放置しているらしいが、俺としては多少気掛かりな集団でもある。
 俺は孫の晴れ姿を存分に誉めそやした後で、壁際に立ち、少し窮屈そうに軍服の襟を指で弄っているヨルガにひたりと寄り添う。

「……お前のそんな姿を見るのは、久方ぶりだな」

 ヨルガが騎士団長を引退したのが三年前だから、軍服姿を目にするのはそれ以来、ということになる。毎夜俺を組み敷く雄々しい肉体を、生真面目な衣装で隠した禁欲的な姿だ。正直、とても唆る。物言いたげに見上げる俺の眼差しに、自覚のある本人は口角を上げて機嫌良く笑う。

「惚れ直してくれたか?」
「フフッ。たとえ襤褸を身に纏っていたとしても、お前ならば、滲み出る品格を隠せはしまいよ」
「……新たなる宰相閣下は、何とお優しいのか。この近衛騎士めが昼夜を分かたずお側に控え、高邁なる御身をお護りすると誓おう」

 言葉遊びで戯れあっているうちに、補整箇所を素早くチェックした執事長レゼフの手で、ヨルガの新しい軍服は速やかに回収されてしまった。明日の昼には出立なので、補整を急ぐのだから仕方がない。しかし薄いシャツ一枚の姿になったヨルガと、同じく貰いたての正装を剥がれたブラウス姿のアルベールとの二人が揃ってキョトンとした表情になってしまっているのは、何やら面白い。
 すぐに着替えを持ってきたメイド達に二人の服を整えてもらい、勤めを終えて帰ってくるシグルドを待つ。

 夕刻近くになってオスヴァイン邸に帰って来たシグルドは家族揃っての出迎えに喜び、彼が汗を流してくるとテーブルを囲んでのディナータイムが始まった。今宵の豪華な晩餐は、初めての長旅に挑むアルベールの激励も兼ねている。次々とサーヴされる料理の数々がどれもアルベールの好物で揃えられているのは、シェフ達の心尽くしと言ったところか。

「そういえば団員達から、父上宛に招待状を何通か預かりました」
「……パルセミス王国の誇る騎士達は、余程暇とみえる」
「父上が赴く必要があるとは思えなかったので、私の方で全て断りを入れましたが……あまり責めないでやってください。実家や本家からの要望には、逆らえない団員達も多い」
「分かっているとも。一応は私に招待を出したという事実が必要なのだろう」

 貴族同士の利権や思惑の絡みあいは、どこでもあること。こればかりは、多少改革が進もうとも変わることはない。

「それと父上。その……明日の出立前に、俺に『宰相』としてご命令をいただけませんか」
「……何か困りごとでも?」

 宰相の権限が必要な何かがあるのだろうか。必要ならば出立を数日遅らせるがと告げる俺に首を振り、シグルドは視線を逸らし、少し照れ臭そうに、指で頬を掻く。

「俺が騎士団長となるより前に、父上は宰相位を辞されていたでしょう? その、一度は『宰相』である父上に、騎士団長として命令をいただいてみたいなと」

 ……思ったよりも、俺の息子は物好きだな?
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