木曜日生まれの子供達

十河

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3.呼ばれている

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 パルセミスからキコエドに向かう旅程は、なかなかの長旅だ。キコエドは大陸の反対側に位置する連合国家で、到達するには、文字通りに大陸を縦断する必要がある。確かに十歳に満たない小児を気軽に同行させるものではないが、休戦協定が結ばれている隣国のセムトアは雨季でなければ通行に問題は無く、その先にあるリサルサロス王国はパルセミスと友好国だ。更に言えば王太子ダンテの婚約者であるアルベールが同行しているとなれば、武勇に名高いムタニ族で構成されたノイシュラ王の近衛兵達が、勇んで道中の護衛に来るだろう。
 しかしその先でリサルサロスから南下してキコエドに向かうとなると、五年に及んだ内乱が漸く収まりつつあるオアケネス大公国か、近年になって良質な鉱床が国内に多数点在することが判明し、緊張状態を強いられているダルデニア王国のどちらかを通過しなければならない。どちらも現状として治安が良いとは言えず、可能であれば避けたい道程だ。
 そうなると陸路で向かうのではなく、リサルサロスを東西に横断している道をヒノエまで駆け抜け、ヒノエの都アズマから船でキコエドに向かう道が一番安全だと結論がでる。キコエドの首都シューシェリは貿易都市でもあるので、アズマからの交易船も頻繁に通っている。
 ユジンナ大陸と異なる遠い異国の文化と情緒で構成されたヒノエを知るのは、リサルサロスに嫁ぐアルベールに有益だ。それに俺はヒノエの国主であるシラユキには、大恩ある賢き御方、などと過剰な評価を受けている。俺が存命のうちに彼とアルベールを引き合わせ、印象を上げておくのも良策と言える。数日の短い距離ではあるが、船旅の体験も楽しいだろう。更に来年からパルセミス王立学園に通うことになるアルベールに、先んじて歴史の深いキコエドの学園を体感してもらうのも悪くない。

 王城に召喚された後。俺とヨルガは二人で暮らす大樹の森には帰らず、首都にあるオスヴァイン邸に立ち寄ることになった。オスヴァイン家の当主であるシグルドとその妻ジュリエッタ、そして三人の孫達と共にテーブルを囲み、お抱えシェフのディナーに舌鼓を打ちつつ今回の旅にアルベールを同伴させたい旨を伝える。俺の突拍子もない言動に慣れている二人でもさすがにこの申し出には驚いた表情を見せたが、最終的には本人の希望に委ねると言ってくれた。
 俺はテーブルを挟んだ正面に座るアルベールに微笑みかけ、少し緊張した面持ちの幼い彼にも理解しやすいように言葉を砕き、一つ一つ、旅に帯同させる理由を伝えていく。

「……それに何よりな、ベルジュ。私は可能な限り、お前に見せておきたい」

 これはまだ勘に過ぎないが、今回の旅路も、恐らくは安穏としたものにはならない。モリノからの手紙を受け取ってすぐに情報を集めさせたキコエドの現状から推察すると、単なる『隠し子騒動』が孕む澱みは既に何かしらの闇深さを垣間見せている。いくらヨルガが傍にいても、それなりに危険度は高い。それでも俺がアルベールを旅に同行させたいと願うのは、これが最後の機会だと、分かっているからだ。
 俺という存在は、この世界でイレギュラーに値する。ゆえに世界シナリオはことある毎に俺の存在を拒もうと試み、その度に俺はそれを捻じ伏せ、高らかに嘲笑ってきた。十二年もの間、俺はそうやって、戦い抜いたのだ。
 しかしその攻防も、遂に完結する。この世界に存在を刻みつけた上で、アンドリム・ユクト・アスバルが。悪役として断頭台の露と消えるのではなく、『最後の賢者』などと大層なほまれを得た上での、鮮やかな終焉。感覚的には、勝ち逃げに近い。
 俺の生き様を、見倣えとは言わない。ただ、仄暗き沼から這い出る有象無象と対峙する未来が待つ愛しい孫が、運命のくびきに引きずられるのではなく、思うままに操る存在となれるように。
 道標となる甲斐性程度は、俺に託されてもいいのではないか。

「一緒に行こう、ベルジュ」

 俺が差し出した手のひらにアルベールは榛色の瞳を瞬かせ、それでもしっかりと、頷き返してくれた。


 †††


 和やかなディナーが終わり、三人の孫達がそれぞれの部屋に戻った後。
 食後酒ディジェスチフを嗜みながら一息をついたヨルガが、それで、と改めて俺に水を向けてくる。

「わざわざ現地キコエドに足を運ぶ理由は何だ? 賢者殿」
「なんだ、さすがに気づいているのか」

 行儀悪くテーブルに肘をついたまま俺がブランデーのグラスを揺らせば、シグルドとジュリエッタも顔を見合わせて笑う。どうやら、子供達にもお見通しだったらしい。

「父上のを教える程度であれば、国内でも隣国でも事足りるでしょう」
「……生意気な口を聞くようになったものだな?」
「いっそ国内の旅行でありましたなら、私もローズを連れてご一緒いたしますのに」
「フフッ。さすがにあの子の教育は私ではなく、宰相閣下モリノに委ねるべきだ」

 王太子ヴィンセントと一歳違いの長女ローザリアは黒髪に翡翠の瞳を持つ少女で、ジュリエッタの親友である賢妃ベネロペに幼いながらも憧れを抱いている。彼女もどちらかというと俺やアルベール寄りの思考回路を持つタイプに育ちそうだが、それこそ俺と同じ戦い方を身につける必要はない。幸いにして今のパルセミス王国に才女を疎んじる風潮は無く、順当に育てばやがてローザリアは王太子妃となり、その先では王妃となる未来が待ち受けている。才覚を磨く機会は、幾らでも自ら作り出せるはずだ。

「まぁ『隠し子』騒動がブラフであることは分かっているさ。おそらくは本人も、承知の上だ」

 アスバルを名乗ること。それは直にとなる。他でもない俺が終焉を紡ぐのだから、間違いのない価値だ。
 例えばアスバルの外見と等しい特徴を持っていたとしても。白銀の髪と翡翠の瞳は、アスバル一族の専売特許という代物ではない。何の関係もなく、偶然にもその色合いで生まれてくる子供もいる。そんな子供に、滅びが待つ一族の名を掲げさせて何の益になるだろう。

「……遺された家名が大きいだけでは無意味だし、どちらかと言えばデバフになる。俺の名に添えられた『価値』をたっとぶのであれば、求められる才覚も同様になるからだ。そんな期待にすら応え得る実力を持っているのであればーー最初からアスバルを名乗る愚行など、冒さない」

 単に貴族としての高い地位を求めても、終焉を迎えるアスバルでは話にならない。
 アンドリムの名に捧げられた誉の威を借りようとするならば、並び立たずとも遠からじ程度の実力は必須となる。

「件の少年は、頭が良いと聞いている。アスバルを名乗る『無価値』も、俺の隠し子を演じる『無意味』も、理解しているはずだ。論文の発表をする際には国内外から多くの学者達が訪れるのだから、俺に似た外見を見られたら騒がれるのも予想できただろう。目立ちたくなければ白銀の髪は一時的に染めても良かったし、翡翠の瞳を色付きグラスの眼鏡で隠しても良かった。だが、そうしなかった。何の弁明も発言もなくーーただ騒ぎが広まるのを、放置した」

 つまりこれは、彼自身が望んだ噂の広まり。
 自らの外見的な特徴を餌にして、隠し子の噂が遠くパルセミスで暮らす俺の元に届くことを期待したもの。
 そこから導かれる結論は、一つ。

「誰かの遊びでも、企みでもない。これは、悲鳴だ」

 預ける手紙の内容も誰かへの言付けも、徹底的に監視されるような、そんな厳格な管理下の環境にあって。
 俺という稀なる異分子を呼び寄せるために仕掛けた、たった一つの布石。気づかれるかどうかさえ賭けではあったのだろう、一筋の光明を求めた叛逆。その切なる悲鳴を、幸いにして、俺は聞き逃さなかった。

「ーー呼ばれているのだよ」

 助けてください。
 どうか、どうか助けてください、と。
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