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Prologue
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生まれた日を祝う文化というものは、至極一般的なものだろう。
幼き日は成長を喜び、青年期は進歩を尊び、年老いては歩みを讃える。
この日に生を受けた君に幸あれと、手を叩き、言祝ぎを唱えて微笑む。
誕生日は、人生の分かり易い節目だ。
呪いを受け、人間として正しく年齢を重ねる術を失くした俺であっても、その特別な節目は当然ながら存在する。
それが只人と異なる点は、ただ一つ。
俺にとってその節目は如実に、寿命の残りを刻むものであるということ。
†††
アンドリム・ユクト・アスバルであった【俺】が前世の記憶を取り戻してから、十二年の歳月が過ぎた。悪の宰相である俺と悪役令嬢ジュリエッタ、そして神官長マラキアが破滅する世界のシナリオは俺の手で書き換えられ、それぞれが新たな役割を担うようになった。俺は『最後の賢者』として大陸全土に名を馳せ、ジュリエッタは『銀月に愛された女神』と国民達に慕われ、マラキアは『慈悲深き神の使徒』と竜神信仰で崇められている。
しかし世界を模っていた『竜と生贄の巫女』の舞台が終わっても、名目的に国政からは身を引いた立場である俺の元には、次々と厄介事が舞い込んだ。誘蛾灯に惹き寄せられるようなそれは、俺という異分子が残されてしまった世界に働く、浄化作用の一つであったのかもしれない。それを越えていく度に【俺】の存在は少しずつ世界に馴染み、明朗であった前世の記憶も、今となっては知識以外の全てが朧げになった。妹と両親の顔すら、思い出せなくなって久しい。
欠片も哀しく感じないと言えば嘘になるが、以前の記憶を全てを持ったままというのは、確かに重荷となるだろう。何せ今世で俺が得た縁はひどく生々しく複雑で、それでいて、何より愛おしいものだから。
王城から届いた手紙に目を通していた俺は、木製の扉が軋む音に顔をあげ、窓際に置かれたソファから立ち上がった。俺が辿り着くよりも先にリビングに繋がる扉が開き、薪を抱えた美丈夫が姿を見せる。
「お帰りヨルガ。薪を割ってきてくれたのか」
「あぁ、しかし残りが心許なくなってきたな。数日は保つと思うが、そろそろ買い出しに出るか」
労いを込めて頬に唇を押し当てた俺に軽く口付けを返し、暖炉横のウッドホルダーに慣れた手つきで薪を重ねる男の名は、ヨルガ・フォン・オスヴァイン。今年で五十の歳を迎える、俺の夫だ。勇者の血統を引き、凡そ人外なのだと言われた方が頷ける強さを誇っていた男も、共に過ごす歳月と共に、緩やかに老いを重ねた。ヨルガは数年前に騎士団長の座を長男シグルドに引き継ぎ、同時にオスヴァイン邸も相続させた上で、大樹の森にあった狩猟小屋をログハウスに改築して俺と暮らしている。首都からそれなりに距離のある大樹の森は静かで過ごしやすく、日用品の調達も森を抜けた小さな町に行けば事足りるので都合が良い。
引退騎士と引退文官の無害な道楽なのだから、穏やかに過ごせるだろうと俺達は考えていたのだが、そうは問屋がおろさなかった。
本来は早々に舞台を去る定めであった俺の名は、現在に至っても影響力が大きい。余談ではあるが数年前にはアンドリムかそれにあやかる命名が流行っていると教えられ、俺は眉間を押さえて深い溜息をついてしまった。元とは言えども悪の宰相と言われていた男の名であるし、そもそも男子に生まれたのならば、パルセミス王国の盾と誉れ高き騎士団長ヨルガの名にちなんだ名前の方が良いのではないかと思う。しかし統計を担当していた事務官曰く『ヨルガ様は将来の姿として思い描くには、些か現実味に欠ける衒いがございますので』とのこと。成るほど、と納得しかない。目標は高く持つべきであっても、天の高みに臨むのは愚かな妄想だ。手の届く範囲を見据えるのが、賢い選択と言ったところか。一応俺は人間の範疇に見做されていると分かって、奇妙な安心感さえ覚える。
そんな俺とヨルガが揃って大樹の森に移り住み引退を明言した際から、俺には国王陛下と現役宰相からの相談だけでなく、諸国家からは引き抜きの打診、王侯貴族からは専属顧問の依頼がこれまで以上に寄せられるようになった。ヨルガの方には何処かの騎士団で、指導者を務めてほしいと請われる代物が多い。
勧誘の類には一貫して断りを入れているが、本国からの相談だけは仕方なく引き受けるようにしている。なぜなら無視を決め込んでいると、俺が孫に弱いと知っている宰相閣下が、ディートリッヒの背中に可愛い孫を乗せて刺客に送り込んでくるからだ。「あのね、おじいさま。モリノ様が『困ってるんです』ってこんなお顔してたの」と自分の指で眉尻を下げ、キュウと情けない表情を浮かべて見せたアルベールから、上目遣いに「お手伝いしてあげて?」と頼まれてしまえば、俺に断る術はない。
それでも実際に登城する回数は減っているので、遣りとりは主に伝令を用いて行われる。そんな形で王城からの相談を受け続けた弊害で、カルタの子供である若鷹リストは、俺に手紙を託されると何の指示がなくともモリノの元に運ぶようになってしまった。正しく対象を指定すると他の人物も探し出せるので支障はないが、変な癖をつけさせてしまって申し訳ないなと思う。
「それが、今回はどうも、薪の残りを心配している場合ではないようだ」
「……何があった?」
リストが運んできた手紙をひらりと翻して見せると、ヨルガは形の良い眉を顰め、俺の手から便箋を抜き取る。モリノの筆跡で綴られた文面を読み進める榛色の瞳が、驚きに大きく見開かれた。
「実に面白い話だと思わないか? ヨルガよ」
腕を組み、顎を親指の腹で軽く擦りながら、俺は笑う。
「ーーキコエドで、俺の隠し子が見つかったそうだ」
幼き日は成長を喜び、青年期は進歩を尊び、年老いては歩みを讃える。
この日に生を受けた君に幸あれと、手を叩き、言祝ぎを唱えて微笑む。
誕生日は、人生の分かり易い節目だ。
呪いを受け、人間として正しく年齢を重ねる術を失くした俺であっても、その特別な節目は当然ながら存在する。
それが只人と異なる点は、ただ一つ。
俺にとってその節目は如実に、寿命の残りを刻むものであるということ。
†††
アンドリム・ユクト・アスバルであった【俺】が前世の記憶を取り戻してから、十二年の歳月が過ぎた。悪の宰相である俺と悪役令嬢ジュリエッタ、そして神官長マラキアが破滅する世界のシナリオは俺の手で書き換えられ、それぞれが新たな役割を担うようになった。俺は『最後の賢者』として大陸全土に名を馳せ、ジュリエッタは『銀月に愛された女神』と国民達に慕われ、マラキアは『慈悲深き神の使徒』と竜神信仰で崇められている。
しかし世界を模っていた『竜と生贄の巫女』の舞台が終わっても、名目的に国政からは身を引いた立場である俺の元には、次々と厄介事が舞い込んだ。誘蛾灯に惹き寄せられるようなそれは、俺という異分子が残されてしまった世界に働く、浄化作用の一つであったのかもしれない。それを越えていく度に【俺】の存在は少しずつ世界に馴染み、明朗であった前世の記憶も、今となっては知識以外の全てが朧げになった。妹と両親の顔すら、思い出せなくなって久しい。
欠片も哀しく感じないと言えば嘘になるが、以前の記憶を全てを持ったままというのは、確かに重荷となるだろう。何せ今世で俺が得た縁はひどく生々しく複雑で、それでいて、何より愛おしいものだから。
王城から届いた手紙に目を通していた俺は、木製の扉が軋む音に顔をあげ、窓際に置かれたソファから立ち上がった。俺が辿り着くよりも先にリビングに繋がる扉が開き、薪を抱えた美丈夫が姿を見せる。
「お帰りヨルガ。薪を割ってきてくれたのか」
「あぁ、しかし残りが心許なくなってきたな。数日は保つと思うが、そろそろ買い出しに出るか」
労いを込めて頬に唇を押し当てた俺に軽く口付けを返し、暖炉横のウッドホルダーに慣れた手つきで薪を重ねる男の名は、ヨルガ・フォン・オスヴァイン。今年で五十の歳を迎える、俺の夫だ。勇者の血統を引き、凡そ人外なのだと言われた方が頷ける強さを誇っていた男も、共に過ごす歳月と共に、緩やかに老いを重ねた。ヨルガは数年前に騎士団長の座を長男シグルドに引き継ぎ、同時にオスヴァイン邸も相続させた上で、大樹の森にあった狩猟小屋をログハウスに改築して俺と暮らしている。首都からそれなりに距離のある大樹の森は静かで過ごしやすく、日用品の調達も森を抜けた小さな町に行けば事足りるので都合が良い。
引退騎士と引退文官の無害な道楽なのだから、穏やかに過ごせるだろうと俺達は考えていたのだが、そうは問屋がおろさなかった。
本来は早々に舞台を去る定めであった俺の名は、現在に至っても影響力が大きい。余談ではあるが数年前にはアンドリムかそれにあやかる命名が流行っていると教えられ、俺は眉間を押さえて深い溜息をついてしまった。元とは言えども悪の宰相と言われていた男の名であるし、そもそも男子に生まれたのならば、パルセミス王国の盾と誉れ高き騎士団長ヨルガの名にちなんだ名前の方が良いのではないかと思う。しかし統計を担当していた事務官曰く『ヨルガ様は将来の姿として思い描くには、些か現実味に欠ける衒いがございますので』とのこと。成るほど、と納得しかない。目標は高く持つべきであっても、天の高みに臨むのは愚かな妄想だ。手の届く範囲を見据えるのが、賢い選択と言ったところか。一応俺は人間の範疇に見做されていると分かって、奇妙な安心感さえ覚える。
そんな俺とヨルガが揃って大樹の森に移り住み引退を明言した際から、俺には国王陛下と現役宰相からの相談だけでなく、諸国家からは引き抜きの打診、王侯貴族からは専属顧問の依頼がこれまで以上に寄せられるようになった。ヨルガの方には何処かの騎士団で、指導者を務めてほしいと請われる代物が多い。
勧誘の類には一貫して断りを入れているが、本国からの相談だけは仕方なく引き受けるようにしている。なぜなら無視を決め込んでいると、俺が孫に弱いと知っている宰相閣下が、ディートリッヒの背中に可愛い孫を乗せて刺客に送り込んでくるからだ。「あのね、おじいさま。モリノ様が『困ってるんです』ってこんなお顔してたの」と自分の指で眉尻を下げ、キュウと情けない表情を浮かべて見せたアルベールから、上目遣いに「お手伝いしてあげて?」と頼まれてしまえば、俺に断る術はない。
それでも実際に登城する回数は減っているので、遣りとりは主に伝令を用いて行われる。そんな形で王城からの相談を受け続けた弊害で、カルタの子供である若鷹リストは、俺に手紙を託されると何の指示がなくともモリノの元に運ぶようになってしまった。正しく対象を指定すると他の人物も探し出せるので支障はないが、変な癖をつけさせてしまって申し訳ないなと思う。
「それが、今回はどうも、薪の残りを心配している場合ではないようだ」
「……何があった?」
リストが運んできた手紙をひらりと翻して見せると、ヨルガは形の良い眉を顰め、俺の手から便箋を抜き取る。モリノの筆跡で綴られた文面を読み進める榛色の瞳が、驚きに大きく見開かれた。
「実に面白い話だと思わないか? ヨルガよ」
腕を組み、顎を親指の腹で軽く擦りながら、俺は笑う。
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