綿津見様の入り婿探し

十河

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1.綿津見様、漂流する

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「……とか言って送り出された先が、まさか海の上とは、誰も思わないよね?」


 穏やかに揺れる波に身体を預けながら、俺は思わず、そんなことをぼやいてしまう。
 神様テラスとの邂逅を経て、この世界メーティンで改めて目を覚ました俺の視界に飛び込んできたのは、見渡す限り青く大きな海原だった。
 前を見ても海。後ろを見ても海。
 俺は驚きのあまり、パニックを起こして手足をばたつかせてしまったのだが、不思議なことに、そのまま溺れてしまったりしなかった。少し冷静さを取り戻してから確かめてみると、うねりのある波の中に居るのに、プールの中みたいに、すいすいと楽に泳げる。もしかして、これが神様の言っていた『加護』とやらなのかな。
 それから暫くの間、陸地が見えないか或いは船が通ったりしないかと、色んな方向に泳ぎ回ってみたのだけど。見えてくるのはやっぱり、何処までも青い海だけ。
 些か泳ぎ疲れた俺は仰向けに浮かび、波に背中を撫でられつつ青空を見上げ、冒頭のセリフに到った訳だ。
 
「……それにしても」

 俺は自分の腕を持ち上げて顔の前に翳し、幾つか爪が剥がされた細く白い指と、赤黒い痣が痛々しい手首に視線を注ぐ。
 海の上で生命を落とした、この身体の、本来の持ち主。
 俺に身体をくれた少年が、十五歳という若さで、しかもこんな海の真ん中で、どうして死ななければいけなかったのか。今の俺にその真実を知る術はないけれど、なんとなく、ろくでもない理由なのだろうという見当はつく。

「……ぉーぃ……」
「!」

 つらつらと思考を巡らせていた俺の耳に、微かな音が、届いた。
 水面で身体を起こし、ぐるりと辺りを見渡せば、遠くの方に小さな船影が見える。

「おーい……! お前、生きてるかぁ……!」

 今度ははっきりと、船の上から手を振る誰かの声が、聞こえてきた。
 俺は大きな声で、返事を返す。

「生きてます!」
「おーー……! 泳げるなら、こっちにおいで!」
「はーい!」

 手招いてくれた人影に大きく手を振り返し、俺は再び、その船に向かって泳いだ。
 辿り着いた小舟に乗っていたのは、顎の下に髭を蓄えた、初老の男性だった。男性が差し出してくれた手に掴まり、船の縁を越えて小舟に乗り上げた俺は、少し安心した心地になって大きく息を吐く。

「大丈夫だったか、お若いの。しかし……なんでまた、こんな海の中に」

 男性は海の中から引き上げた俺の様子に困惑した表情を見せていたが、俺が小さくくしゃみをすると船に積んでいた木箱から毛布を引っ張りだし、俺の肩にふわりと掛けてくれた。
 俺は男性に礼を述べてから、取り敢えずは「気がついたら海の上を漂流していた」と、事実のみを述べてみる。男性は更に驚いたみたいだったけれど、痣のある俺の手首や爪の剥げた指、そして自分では気付いていなかったけれども、踵の上に刻まれていた大きな傷痕を見つけて、くしゃりと顔を歪めた。

「お前さん、贄にされたのか」
「……贄?」

 首を傾げる俺に、男性は唇を噛み締める。

「酷いことを……何も知らせず贄として育てたか、それとも何処かより拐かしてきた子か……」
「あ、あの。えぇと、すみません……実は俺、その。何も、覚えてなくて」
「おぉ、おぉ、可哀想に……! お前さんはおそらく、とても恐ろしい目に遭ったのだろう。その真綿のように白くなってしまった髪が、何よりの証拠。……忘れてしまわねば、心が耐えきれなかったのだろうのぉ」

 上手く説明出来ないでいる俺を他所に、勝手に納得してしまった男性は眦に涙まで浮かべ、俺の背中を毛布の上から優しく撫で摩る。

「もう、心配はいらんぞ。儂はシオウ。こう見えても、ニシキ公爵領の領主、カスガ様に仕えておる身だ。カスガ様は慈悲深きお方、何処かより贄に流されたお主を、疎んだりはなさらぬ」

 シオウ。
 ニシキ公爵領。
 カスガ様。

 何処となく、和風な響き。改めて見れば、シオウが身につけている衣服も、何だか着物っぽい。
 公爵領って確か、王様が治めてるんじゃなくて、公爵が自治権を持っている領地だったり国家だったりを言うんだったよね。
 櫂を手にしたシオウが舟を漕ぎ、ニシキ公爵領に連れて行ってもらうまでの間。俺は何もかも忘れてしまった子供という設定に乗っかり、この世界のことをシオウから少しずつ教えてもらった。

 まずこの世界メーティンは、テラスという神様が作った世界だということ。これは、俺があの不思議な空間で出会った神様で、間違いないだろう。メーティンで一番大きな大陸『アグニ』は幾つもの国に別れていて、人間が統治している国の他にも、獣人の国や魔族の国、竜の治めている国なんてのもある。アグニ大陸の形は、鳥の形に喩えると判りやすい。シオウが指先で宙に描いてくれたラインから想像すると、ちょうどあれっぽい。日本で暮らしていた時にとってもお世話になっていたSNSツールの、右向きの小鳥を模した形に似ている。
 俺とシオウが向かっているニシキ公爵領は、アグニの中でも一番端っこ、突き出た嘴の辺りに位置しているらしい。小さいけれど、王様から与えられた領地ではなく、国家として独立している国だ。有力な国家の殆どは広げた翼の周辺に集中していて、逆サイドのお腹から尻尾にかけての曲線には、「グリーンベルト」と呼ばれている広く深い森林が帯状に伸びている。そして尻尾の先端部分には、マグマの噴き出る火山地域が存在するそうだ。

「……昨今、アグニ全土で旱魃や冷害が頻発しておってな。ニシキは元々あまり豊かな国ではないが、最近は農作物の実りが悪く、餓死者が増えてしまっての……カスガ様が、頭を悩ませていらっしゃるよ」
「……なるほど」
「あぁ。しかも、グリーンベルトの果てにある火山の麓に、【終焉】の魔王が生まれたとの噂も聞く……真実ならば、この世界は終わりになるだろう」

 うーん。
 残念ながらその噂、信憑性のあるやつだなぁ。

 そうこうしている内に、俺とシオウを乗せた小舟は、小さな入り江の船着場に到着した。
 海岸に作られた木造の建物の近くに、木の板を連ねた桟橋が海に向かって伸びていて、網を載せた船が帆を畳んだ状態で何艘か停泊している。どうやらここは漁港のようだけれど、活気が無く、寂しい雰囲気が漂っている。

「シオウ殿! こちらにおいででしたか!」

 俺を連れて小舟から桟橋に降りたシオウの元に、兵士の格好をした若い男性が一人、息を乱しながら駆け寄って来た。

「ヤカク、どうした?」
「大変です! カスガ様の館に、イチョウ様が押し掛けて来ました……!」
「またか!」

 ヤカクと呼ばれた男性の報告に、シオウは苦虫を噛み潰したような表情になる。

「はい。カスガ様が対処にお困りで、シオウ殿をお探しして館に来てもらうようにと……それでええと、そちらの子供は……?」
「あぁ、海に流されていた所を、儂がたまたま見つけたのだ。どうも、何処かで贄にされたと見えてな……恐怖で髪の色が抜け落ち、記憶も無くしておるようだ」
「なんと……それは惨いことですね」

 痛ましげに呟いた兵士の青年は、膝を折って小柄な俺と視線をあわせ、「もう大丈夫ですからね」と優しく声を掛けてきた。

 ……何だか、人の良さそうな人達ばかりだ。

 神様テラスから異世界に召喚されて来たと言っても、俺は勇者ではない。どんな加護をもらっているかはまだ把握出来ていないけれど、勇者みたいに凄い力を持っている訳じゃないのは確かだ。漂流していた上に記憶喪失と言う怪しすぎる身元の俺を疑いもなく助けてくれた辺り、人柄というかお国柄というか、温厚な性根を持つ国民性が窺える。領主のカスガ様とやらが、よほど良い影響を国民に与えているんだろう。
 ……だけどテラスが気に病んでいた「諍いの絶えない国家」の間で、こんなに穏やかな国民達ばかりで、大丈夫なのかな。何だかこっちが、心配になってきてしまう。

「ヤカク、しばらくその子を頼めるか。儂はカスガ様の館に急ごう」
「はい、判りました」

 俺の背中をヤカクの方に軽く押しやり、何処かに歩き出そうとしていたシオウの上着の裾を、俺は咄嗟に掴んでいた。

「おお?」

 引き止められたシオウの身体は、一瞬、ガクンと大きく揺れる。

「どうした、若いの」

 振り返ったシオウを見上げ、俺は迷わず、決意を口にした。

「……シオウ。俺も、行くよ」

 ヤカクの言葉とシオウの態度から見え隠れしている、揉めごとの気配。
 海で漂流していた俺をシオウが拾ってくれたのは、もしかしたら、偶然だったのかもしれない。
 助けられた生命に感謝して、静かに暮らしていくのも、良いかもしれない。

 だけどこの人生は、俺に身体をくれた少年と神様が、せっかく与えてくれたもの。
 きっと何か、俺にも役に立つことがあるんじゃないかな。
 だったら、行動しないとね。


「……手伝わせて。俺、カスガ様に会いたい」




 これが、後に多くの人々から【綿津見様】と崇められ。
 勇者にまで傅かれる立場になる俺の、始まりの一歩。

 俺はそれをしっかりと、傷だらけの足で踏み出していた。
 

 




 
 
 



 

 
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