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4.ラプンツェル
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†††
愛しい人の頬を撫でたチシャは、その眠りを妨げないように、寝台の上から静かに足を下ろす。
家族を殺した祖国を滅ぼし、一角獣の角で封印を打ち砕き、救援に駆けつけた隣国をも蹂躙し尽くした竜騎士は、心身ともに疲れ切ったのだろう。愛するチシャを腕に抱いた後は、初めて出会った時のように、深い眠りに就いている。
それでも気配に敏い彼が万が一にでも目覚めぬようにと、チシャは恋人に昏睡の魔法をかけた上で、床に落ちていたローブを拾い上げ、塔の外に続く大きな窓を開く。
「……あぁ、ちょうど来たみたいだ」
雲の隙間から見えてきたのは、塔を目指してよろよろと飛ぶ傷だらけの白竜と、同じように満身創痍でその背に跨る、壮年の竜騎士の姿。
落下するような勢いで塔の足元に白竜が降り立つと、その背中から滑り降りた騎士は石塔を見上げて「お告げの通りだ」と呟き、恍惚とした表情を浮かべる。
「ラプンツェル! あなたの髪を垂らしてくれ!」
ウシュラ聖王国の元騎士団長ブレンは、半年ほど前から、夢の中で託宣を受けるようになっていた。そして目覚めてからお告げ通りの行動を取れば、彼の元には、必ず幸運が舞い込むのだ。
天上に住む女神の誰かが自分を見初め、力を貸してくれているのだと考えた彼は、その託宣を妄信するようになる。しかし女神と言えども、全ての不幸を取り払うことはできないのだろう。女神は、ブレンの祖国が滅ぶことまでは、阻止してくれなかった。
それでも悪鬼と化した黒竜ミドラスと竜騎士ガラハドの猛攻から、ブレンだけは逃げ延びられるよう、事前に逃げ道を伝えてくれたのだから、自分はまだ女神に愛されている。
そうしてブレンが最後に得た託宣は、絶海の孤島に建てられた石塔に住む、【ラプンツェル】と呼ばれる女神の化身を訪ねることだ。
女神の化身から寵愛を得れば、この世の全てを手にしたも同然だ。入口の無い塔の天辺に向かってお告げの通りに声を上げれば、窓枠の向こう側から、金の髪を編んで作られたロープが下ろされて来た。
ブレンは嬉々としてそれを掴み、女神の待つ塔の天辺に向かって、勢いよく石積みの外壁を登る。
「……うーん。ちょっとだけ、もったいないなぁ」
あと少しで、開いた窓の真下にブレンが辿り着きかけたかけた時。不満そうな少年のぼやきが、塔の中から聞こえて来た。
「でも、仕方がないよね。それに、ガラハド以外の人に握られた髪なんて……もう、触りたくないし」
窓から差し出された指先に握られている、大きな鋏。
良く砥がれた銀色の刃は、ブレンの身体を支える金色の髪を、窓枠の少し下辺りからあっさりと切り落とした。支えを外された大柄な身体が、手に掴んだ髪が撓むのと同時に、宙に浮く。
「は……?」
驚愕の表情を浮かべたブレンは、切り落とされた髪を握りしめたまま、逆様に落ちる。
何の緩衝もなく地面に激突した頭蓋骨は熟れた南瓜のように砕け、飛び散る脳漿が、塔の根元を赤く染めた。
主人の死を目の当たりにした白竜は、チシャを攻撃しようと雄叫びを上げる。
しかし大きく開いた竜の顎がブレスを吐き出す前に、森に隠れていたミドラスがその背中に襲い掛かり、白い翼を引き千切り、長い首をへし折った。
「ありがとう、ミドラス」
相棒の大切な伴侶から感謝の言葉を捧げられて、爪と牙を同胞の血に染めた黒竜は、機嫌良く瞳を細める。
「ついでにお願いしちゃって悪いけれど……それ、捨ててきてくれる?」
『ガウ』
塔の根元に転がった二つの躯をチシャが指させば、ミドラスは爪の先に引っかけてそれを持ち上げ、海に投げ捨ててくれた。
「ご苦労さま! さぁ、こっちにおいで」
チシャは膝の裏ほどの長さになった金髪を揺らし、窓に向かって首を伸ばしたミドラスの額に、身を乗り出してキスをする。
祝福を受けた黒竜の身体は光と共に小さく縮み、猫ほどのサイズになって、チシャが伸ばした腕の中にぽすりと収まった。
「ふふ、可愛い」
チシャはつぶらな瞳をぱちぱちとさせているミドラスを抱えて、ガラハドが眠る寝台の上に連れて行ってやる。ミドラスは相棒の顔をぺろりとひと舐めすると、彼に寄り添い、身体を丸めて自分も瞳を閉じた。
「……良い子だね、ミドラス」
竜は元々、魔力に敏感な生き物だ。
相手がどんなに可憐な外見をしていようとも、内包される魔力の質と量、そして濃厚さを見誤るような愚行は、決して冒さない。
「これからは、ずっと一緒だよ。ガラハドとミドラスが僕の傍にいてくれたら……他は、何もいらない」
だから。
それを邪魔をするもののすべては、消えてしまってもかまわない。
チシャが生まれつきに持っていた魔力は膨大で、実母であるウシュラの王妃は、彼を産んですぐに、魔力に当てられて息絶えた。
制御の効かないチシャの魔力は、あらゆるものを傷つけ、次々と破壊した。当時のウシュラ聖王国では、国王を筆頭にした様々な研究機関が、どうにかしてその魔力を利用できないかと試行錯誤を繰り返したようだ。
しかし結局、確実な方法は何一つ見つからない。無意識に魔力で身を護るチシャを、殺すことも出来ない。
全身に封呪の札を貼られた幼いチシャは、絶海の孤島に連れて行かれて、認識阻害効果のある面で顔を隠した使用人達に育てられる。泉の近くに咲いていた月涙花は、チシャが摘んで遊ぶうちに数を減らし、やがて絶滅してしまった。
成長したチシャが一人で暮らす術を身につけると、彼らはチシャを塔の中に置いて逃げるように島を立ち去り、二度と戻ってこなかった。
それからチシャが、嵐の始まりを五千回数える間。
孤島を訪れた人間は、誰一人としていない。
「――怖かったのは、分かるけどね」
そんなチシャの元に現れたのが、竜騎士ガラハドと黒竜ミドラスだ。
特にガラハドの方は、月涙花を譲ってもらった恩義だけでなく、個人的な理由でチシャの元に通い詰めてくれるようになった。チシャも彼の人柄に惹かれ、身体を捧げてしまったぐらいには、彼を愛している。
そしてガラハドが持ち込んでくれた書籍という新たな知識の宝庫は、チシャの聡明な知見と魔術への解釈を深め、新たな魔法を会得する助けとなってくれた。
――たとえば、遠くに住む相手に夢という形で言葉を伝える魔法も、その一つ。
窓を閉めたチシャが軽く指を鳴らすと、青空は一転して黒い雨雲に覆われ、塔の周囲に強い雨が降り始める。本来はあと二日後に来る予定の嵐を、魔法で早く呼び寄せたのだ。
この雨で、塔の根元と地面を汚した夥しい血痕も、綺麗に流されてしまうだろう。
「時間は、たくさんあるんだもの。これからのことはゆっくり考えようね、僕のガラハド」
恋人の頬に、甘い口付けを落として。
美しい封印の魔物は、蕩けるように、微笑んだ。
【終】
愛しい人の頬を撫でたチシャは、その眠りを妨げないように、寝台の上から静かに足を下ろす。
家族を殺した祖国を滅ぼし、一角獣の角で封印を打ち砕き、救援に駆けつけた隣国をも蹂躙し尽くした竜騎士は、心身ともに疲れ切ったのだろう。愛するチシャを腕に抱いた後は、初めて出会った時のように、深い眠りに就いている。
それでも気配に敏い彼が万が一にでも目覚めぬようにと、チシャは恋人に昏睡の魔法をかけた上で、床に落ちていたローブを拾い上げ、塔の外に続く大きな窓を開く。
「……あぁ、ちょうど来たみたいだ」
雲の隙間から見えてきたのは、塔を目指してよろよろと飛ぶ傷だらけの白竜と、同じように満身創痍でその背に跨る、壮年の竜騎士の姿。
落下するような勢いで塔の足元に白竜が降り立つと、その背中から滑り降りた騎士は石塔を見上げて「お告げの通りだ」と呟き、恍惚とした表情を浮かべる。
「ラプンツェル! あなたの髪を垂らしてくれ!」
ウシュラ聖王国の元騎士団長ブレンは、半年ほど前から、夢の中で託宣を受けるようになっていた。そして目覚めてからお告げ通りの行動を取れば、彼の元には、必ず幸運が舞い込むのだ。
天上に住む女神の誰かが自分を見初め、力を貸してくれているのだと考えた彼は、その託宣を妄信するようになる。しかし女神と言えども、全ての不幸を取り払うことはできないのだろう。女神は、ブレンの祖国が滅ぶことまでは、阻止してくれなかった。
それでも悪鬼と化した黒竜ミドラスと竜騎士ガラハドの猛攻から、ブレンだけは逃げ延びられるよう、事前に逃げ道を伝えてくれたのだから、自分はまだ女神に愛されている。
そうしてブレンが最後に得た託宣は、絶海の孤島に建てられた石塔に住む、【ラプンツェル】と呼ばれる女神の化身を訪ねることだ。
女神の化身から寵愛を得れば、この世の全てを手にしたも同然だ。入口の無い塔の天辺に向かってお告げの通りに声を上げれば、窓枠の向こう側から、金の髪を編んで作られたロープが下ろされて来た。
ブレンは嬉々としてそれを掴み、女神の待つ塔の天辺に向かって、勢いよく石積みの外壁を登る。
「……うーん。ちょっとだけ、もったいないなぁ」
あと少しで、開いた窓の真下にブレンが辿り着きかけたかけた時。不満そうな少年のぼやきが、塔の中から聞こえて来た。
「でも、仕方がないよね。それに、ガラハド以外の人に握られた髪なんて……もう、触りたくないし」
窓から差し出された指先に握られている、大きな鋏。
良く砥がれた銀色の刃は、ブレンの身体を支える金色の髪を、窓枠の少し下辺りからあっさりと切り落とした。支えを外された大柄な身体が、手に掴んだ髪が撓むのと同時に、宙に浮く。
「は……?」
驚愕の表情を浮かべたブレンは、切り落とされた髪を握りしめたまま、逆様に落ちる。
何の緩衝もなく地面に激突した頭蓋骨は熟れた南瓜のように砕け、飛び散る脳漿が、塔の根元を赤く染めた。
主人の死を目の当たりにした白竜は、チシャを攻撃しようと雄叫びを上げる。
しかし大きく開いた竜の顎がブレスを吐き出す前に、森に隠れていたミドラスがその背中に襲い掛かり、白い翼を引き千切り、長い首をへし折った。
「ありがとう、ミドラス」
相棒の大切な伴侶から感謝の言葉を捧げられて、爪と牙を同胞の血に染めた黒竜は、機嫌良く瞳を細める。
「ついでにお願いしちゃって悪いけれど……それ、捨ててきてくれる?」
『ガウ』
塔の根元に転がった二つの躯をチシャが指させば、ミドラスは爪の先に引っかけてそれを持ち上げ、海に投げ捨ててくれた。
「ご苦労さま! さぁ、こっちにおいで」
チシャは膝の裏ほどの長さになった金髪を揺らし、窓に向かって首を伸ばしたミドラスの額に、身を乗り出してキスをする。
祝福を受けた黒竜の身体は光と共に小さく縮み、猫ほどのサイズになって、チシャが伸ばした腕の中にぽすりと収まった。
「ふふ、可愛い」
チシャはつぶらな瞳をぱちぱちとさせているミドラスを抱えて、ガラハドが眠る寝台の上に連れて行ってやる。ミドラスは相棒の顔をぺろりとひと舐めすると、彼に寄り添い、身体を丸めて自分も瞳を閉じた。
「……良い子だね、ミドラス」
竜は元々、魔力に敏感な生き物だ。
相手がどんなに可憐な外見をしていようとも、内包される魔力の質と量、そして濃厚さを見誤るような愚行は、決して冒さない。
「これからは、ずっと一緒だよ。ガラハドとミドラスが僕の傍にいてくれたら……他は、何もいらない」
だから。
それを邪魔をするもののすべては、消えてしまってもかまわない。
チシャが生まれつきに持っていた魔力は膨大で、実母であるウシュラの王妃は、彼を産んですぐに、魔力に当てられて息絶えた。
制御の効かないチシャの魔力は、あらゆるものを傷つけ、次々と破壊した。当時のウシュラ聖王国では、国王を筆頭にした様々な研究機関が、どうにかしてその魔力を利用できないかと試行錯誤を繰り返したようだ。
しかし結局、確実な方法は何一つ見つからない。無意識に魔力で身を護るチシャを、殺すことも出来ない。
全身に封呪の札を貼られた幼いチシャは、絶海の孤島に連れて行かれて、認識阻害効果のある面で顔を隠した使用人達に育てられる。泉の近くに咲いていた月涙花は、チシャが摘んで遊ぶうちに数を減らし、やがて絶滅してしまった。
成長したチシャが一人で暮らす術を身につけると、彼らはチシャを塔の中に置いて逃げるように島を立ち去り、二度と戻ってこなかった。
それからチシャが、嵐の始まりを五千回数える間。
孤島を訪れた人間は、誰一人としていない。
「――怖かったのは、分かるけどね」
そんなチシャの元に現れたのが、竜騎士ガラハドと黒竜ミドラスだ。
特にガラハドの方は、月涙花を譲ってもらった恩義だけでなく、個人的な理由でチシャの元に通い詰めてくれるようになった。チシャも彼の人柄に惹かれ、身体を捧げてしまったぐらいには、彼を愛している。
そしてガラハドが持ち込んでくれた書籍という新たな知識の宝庫は、チシャの聡明な知見と魔術への解釈を深め、新たな魔法を会得する助けとなってくれた。
――たとえば、遠くに住む相手に夢という形で言葉を伝える魔法も、その一つ。
窓を閉めたチシャが軽く指を鳴らすと、青空は一転して黒い雨雲に覆われ、塔の周囲に強い雨が降り始める。本来はあと二日後に来る予定の嵐を、魔法で早く呼び寄せたのだ。
この雨で、塔の根元と地面を汚した夥しい血痕も、綺麗に流されてしまうだろう。
「時間は、たくさんあるんだもの。これからのことはゆっくり考えようね、僕のガラハド」
恋人の頬に、甘い口付けを落として。
美しい封印の魔物は、蕩けるように、微笑んだ。
【終】
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さて、1番の怪物とは誰なのか…?
愛する人、を手に入れたラプンツェルはいつまでも二人だけで幸せに暮らしましたとさ。
邪魔者はたとえそれが何者であっても、排除、しないといけないよね。
ラプンツェルはできることを、しただけ。
中身の濃い、世界の広がりを見せてくれる素敵な作品でした。
ありがとうございました。