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二章

謀略の結末

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 長い長い階段を登って、たどり着いたのは暗い劇場のような場所だった。

「......貴方は」

 中にはティノとクラリスもいた。二人の身体は血に濡れている。何があったのか、敢えて聞くことはしない。
 ただ、俺の中の何かがまた一つ、壊れていくだけ。

「敵の大将は、まだ見えないのか?」

「ええ。本来の予定とかなり狂いましたから、貴方にも協力してもらわなければ」

 最初からそうすればよかったんだよ。
 そう喉まで出かかるが、口に出すことはできない。俺を前線に出して、今より死者が減った保証はないのだ。

 代わりになる言葉を探していたその時、舞台に下りていた幕が上がる。
 そこに立っているのは、女性型をした一体の逢魔。頭にはシルクハットを被り、全身をコロニウムと宝石で彩られた鎧で着飾ってはいるが、その中身は幾度となく見てきた醜い異形と何も変わりはしない。

「......仲間を助けるために罠に飛び込むとはね、勇者。おかげでウチの可愛いペットが死んでしまった」

 タン、タン、と、ハイヒールで舞台の床を蹴る小気味いい音が響く。歌うように言葉を紡ぐ逢魔の顔は、しかし笑ってはいない。

「《道化》もだ、あれだけ特別扱いしてやったのに、あっさりやられやがって。情報じゃあ、勇者を護る使用者は軟弱だって話だったのに」 

 初めは若い女のように綺麗だった声は、どんどん怪物のダミ声に変わる。そして、彼女は、ついに自分の誇り高き名前を口にした。

「冥土に持って行きな、我の名はシシーリア!この劇団の団長で、この場で勇者を殺す者さ!」

 彼女が指を鳴らすと同時に、辺りは再び真っ暗になる。
 そして、獣たちの遠吠えが始まった。

「獣の逢魔......!?一匹や二匹じゃない!」

「クラリスさん、“鎧”の中に!」

 ティノの叫びは呻き声にほとんどかき消される。
 逢魔たちの狙いは、間違いなく俺だ。複数体から同時に襲われたら、俺にはなすすべがない。

 恐怖に足が竦む。
 俺は、また何もできない。

「.......クラリスさん、“救世主の献身”を勇者に」

 ティノは意を決した様子で、、“鎧”の中のクラリスに声をかけた。

「それじゃ、ティノさんは.......」

「大丈夫、貴方のことは私が守ります。命に代えてもね」

 彼はいつものように笑っていた。その顔を見て、俺は嫌な予感を抱く。

「......おい、まさか」


「後は頼みましたよ、勇者!」


 グラアアアアアアアアア!


 地響きのような唸り声とともに、獰猛な獣が俺たちを喰おうと襲いかかってくる。
 目の前には、クラリスが造った壁を噛み千切ろうとする大量の獣たち。そして、やり場を失った彼らの怒りは、ティノへと向かった。

「ガアアアアアッッ!!」

  「.......どうか、神の御慈悲があらんことを」

 ティノの鎧が煌めきを帯び、手には金色の槍が構えられ、彼は迫ってくる獣の喉元をひたすらに突く。
 その槍捌きは、異能の助けがない代わりに磨きがかかって、まるで神が憑いているようだ。

 だが、数があまりに違いすぎた。
 やがて彼の腕に、脚に、血に飢えた犬歯が突き刺さる。それは鎧の上から、彼の身体にいくつもの真っ赤な歯型を刻みつけた。

「がっ.......うおおおおおおっっ!」

 ティノの顔からはいつしか笑みが消え、俺たちと何も変わらない、生きた血の通った人間の姿をしている。
 きっと彼もまた、何かを背負って、何かを抱えて、生きてきたのだろう。その果てに、ここで俺のために死ぬ。

 俺はその様子を、ただ黙って見ていることしかできなかった。



 やがて、劇場は静まり返る。
 いつの間にか“鎧”の効力は消え、クラリスは地面に倒れ込んでいた。獣たちは先ほどまでの暴虐が嘘のように眠り、それらを消えかかった“鎧”の光が照らす。

 ティノは、十数匹もいた獣の逢魔を全て道連れに、この世を去った。
 また、俺は、何も出来なかった。

 今度は無力感はない。心のどこかで、覚悟していたのだろうか。
 俺はただ、舞台の上にいる敵を、斬りたくて仕方がなかった。

「.......覚悟は、できてるよな?」

 俺は彼女のシルクハットを、一振りで吹き飛ばす。
 露わになった真黒な顔は、華やかな服装と対比され、より不気味で醜悪に見えた。

「勇者......私なんかはまだまださ。いつか貴様は、私たちに殺される」

 精一杯強がってみせる彼女に、俺は肩をすくめる。
 当たり前だ。人間は、いつか必ず死ぬ。
 大切なのは、自分の目的を果たして死ぬか、道半ばで死ぬかだ。

 俺は鮮やかな鎧の上から、剣を突き立てた。



 ユキの安寧のためだけに、俺はここにいる。
 それが果たされるまでは、死なないさ。

 どんな犠牲を払うとしても。



 どれだけ心臓が、傷むとしても。  


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 帰ってくる俺たちを、大勢の住人が待っていた。

「勇者様、よくぞご無事で。今日はゆっくりお休みになられて、明日は宴会にしましょう」

 市長がにこやかな顔で俺たちを宿へと案内する。帰ってこない残りのメンバーについては、心遣いか単に興味がないのか訊いてはこない。
 祭りのように踊り騒ぐ民衆たちの中心には、あの奇術師、ライナーの姿もある。

 俺はそんな人々を冷めた目で見ながら、この市で一番だという、外壁も中も真っ赤に塗られた宿に入る。広い施設全てが俺たちのための貸切らしいが、クラリスも俺も喜びはしないし、向こうもそれを期待してはいないようだ。

 それぞれ広い部屋を選び、無言のまま俺たちは別れる。
 窓の外から市街を眺めると、賑やかに照らされた街の一角で何やら物騒な集団を見つけた。ウイルイ教の面々だろうな、と俺は思う。教団の中でも浮いた存在の自分たちを認めてくれるトップが死んだことで、パニックを起こしているに違いない。
 きっとあの集団は長くないだろう。協会側としてももう彼らを優遇する必要はないし、教団側としても罪は全てティノに押し付ければいい。ずっと昔から計算された、いつかは起きる話。それがようやく起きただけのことだ。


 コンコン、とノックの音がする。返事がないのを見て、市長はそっと中に入ってきた。

「失礼します、勇者様。.......お話、とは?」

 俺は宿屋に入ったあたりで、クラリスには聞かれないようにそっと彼に耳打ちした。大事な話があるから、後で部屋に来い、と。

「.......どうして呼ばれたかは、あんたが一番分かってんだろ」

「と、言いますと.......」

「敵の親分は、俺たちのことを全部知ってた。クラリスに戦闘能力がないことも、俺が複数から攻撃されたら何もできないことも。ひと昔前ならいざ知らず、通信がままならない今の世で、ぽっと出の俺たちのそんな情報は逢魔も簡単には手に入らないんだよ」

 通信系異能者を持っているのは、一部の反協会勢力の他には協会のみ。
 ウイルイ教が急いでティノを殺す意味はない。つまり、情報を流していたのは、協会から情報を受け取った人間だ。

「逢魔と内通していたのは、あんただ」

 黙り込む市長。

「あんたがどうしてそんな事したのかなんてどうでも良い。.......だがな、それが無けりゃ助かったかもしれない命があるんだよ」

 俺はあくまで淡々と、そう告げた。


「.......じゃあ、どうすれば良かったんですか!」


 突然、彼は絶叫し、俺の胸ぐらを掴んで背中を壁に押し付ける。
 それでも俺が彼の眼を睨みつけているのを見て、彼は力を抜いて、ぶつぶつと、自分に言い聞かせるように話し始めた。

「悪いのは、あのペテン師だ。あいつがここにやって来る前は、全部上手くいってたんだ」

 俺は黙っている。

「.......ライナーは、ある日ここにやってきた。多種多様な異能を操る“守護神”として。私たちはみんな、それを信じた。事実、彼の曲芸は見るものを魅了させたし、たちまちこの街の名物にもなった。私たちは諸手を挙げて喜んだんだ」

 市長は淀みなく話を続ける。まるで誰かに聞かせるために、何度も何度も練習してきたかのように。

「だが、あいつは異能者なんかじゃなかった!やがて国の外からも観光客がやって来るようになると、あいつがやってるのはただの手品だって言う奴が現れ始めた。もちろんライナーは否定した。だが、そう断言する人間は日に日に増えていった。.......私たちも騙されたんだ!」

 ここで、彼が一瞬口をつぐんだ。そして俺の方を、涙ぐんだ眼で睨みつける。

「もちろん、私たちはすぐさまその事実を公表し、謝罪した。だが、この世界はメッセージが届くのが遅すぎる。......彼がペテンだと発覚した後にも、海外からは何人も観光客が押し寄せた。今時、海外旅行には尋常じゃない金がかかる。
 ........そうまでして訪れて、事実を知った奴らはどうしたと思う?.......答えろよ、勇者!」

 俺は何も言わない。
 ただ、彼の眼を、見つめる。

 彼はそのうちに諦めたように、首を振った。

「道を汚された。壁に落書きをされた。そんなのは、全部真っ赤なペンキで塗りつぶしてしまえばいい。......だけど奴らは、この街の純粋な市民に手を出した。物を奪い、女を襲い、私たちに塗りつぶしても消せない傷を残したんだ!」

 彼は拳で壁を叩きつける。何度も、何度も。
 その手がこの街と同じように真っ赤に染まっても、それでも叩きつける。

 やがて、俺は口を開いた。

「.......それで、逢魔の誘いに乗ったのか」

「仕方がなかった。この街の人々を守るには、それしかなかった!」

 彼の眼から、涙が一滴垂れた。
 血だらけの右手でそれを拭き取ろうとして、顔がべちゃりと赤く染まる。

「......言ったろ。あんたがどうして逢魔に魂を売ったかなんて、どうでもいいって」

 俺は辛うじて、そう言った。
 そう言う事しか、出来なかった。


 こうして、赤い街コロニアから逢魔はいなくなった。
 だがそれと同時に、マジシャン・ライナーも、有能な市長も、三人の騎士も、この地から姿を消す。

 人々の間ではもっともらしい陰謀論が飛び交うが、全て真実ではない。



 真実は、俺だけが知っている。俺はそれが憂鬱でならなかった。
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