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第2章 ダージリン・セカンドフラッシュ
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歩く度に景色が変わり、硬いコンクリート舗装をされた歩道で靴音と紙袋が揺れる音がする。
徐々に見慣れた風景が通ったことの無い道に入ると何も起こらないかという少しの不安とこの先には何があるんだろうという楽しみが同時に沸き起こる。
見たことも無い場所と人物がどんなものであろうかと想像している陽菜乃の隣を歩く真美子は対照的に歩く度に何かに怯えるように顔をこわばらせてただでさえ白い顔がさらに青白くなっていく。
「ま、真美子?どうしたの?」
「あ、いえ…なんだか緊張してしまって…」
「でも、話聞いてる限り優しい人じゃん、大丈夫だって」
「それは…そうかもしれませんが…」
まだ不安げにする真美子の頭を陽菜乃は大丈夫よと優しく撫でて微笑んだ。
日が沈みかけた通りでかすかに漏れた夕陽に照らされた真美子は陽菜乃を不安げに見つめた。
「大丈夫。何かあったら私が真美子守ってあげるから、ね?」
「紫之宮さん…」
優しい陽菜乃の微笑みに安心した真美子はそうですねと頷き前を向いて目的地であるフレンチレストランを目ざした。
軽い会話を交わしながら数分歩くとお目当てのフレンチレストランに着いた。
真っ暗で雨が降っていたあの時とは違ってハッキリと外観が見えてほんとに同じ店かと不安になった。
入口の上に赤色のテントが貼られていてその上に"Souvenirs"と言う店名が書かれた看板が掲げられており、入口のドアにはあの時と同じようにCLOSEDの札が下がっていた。
「ここ?閉まってるよ」
「…うーん…約束していたんですが…」
閉まっている札と店内の灯りが着いていないのを窓越しに確認した陽菜乃が真美子の方に目をやった。
また違う意味で不安になってきた真美子は入口のモザイクガラスを覗いてキッチンのあった奥の方に明かりがあることに気づいた。
もしかして…と、入口のドアノブに手をかけて中に入ろうと戸をぎぃっと押した。
「…きゃっ!!」
「…うわっ!?」
押し戸のドアを開けようと手をかけた真美子は同じタイミングで店内からドアを開けた人物のドアを引く力が強くそれに引きづられるように体が動くとその人に勢いよくぶつかった。
いきなり何かにぶつかられた方も、いきなり全身で誰かにぶつかった真美子の両者は同時に驚き声を上げる。
店内は外から見えた通りキッチンの灯りしかついておらず外よりも少し明るい程度だったが真美子は今自分がほんのりとアンチョビの香りのするコックコートを着た男の体にぶつかってそのまま支えられるように体に手を回されていることがわかった。
「ま、真美子!?大丈夫!?」
真美子の後ろでその様子を見ていた陽菜乃は驚きと心配が混ざってかける声は少し大きめなになった。
真美子はやっと今の状況が理解できると顔をパッと上げて目の前のコックコートの男の正体が誰かを確認すると、男もいきなりで驚いた顔で真美子を見つめていたがすぐに助かったというようににいっと笑った。
「あ、あのっ」
「真美子!!ちょうど良かった。頼む。黙って俺の言うことに頷いててくれ」
「えぇっ?」
その男、大橋太一は真美子に聞こえるほどの必死な声で耳元でそう頼み込む。
太一から体を離そうとしていた真美子は突然の頼み事に面食らって反射的に驚きの声を漏らすが太一は真美子の返事もろくに聞かずに肩を抱いてキッチンの方に向けて自分の横に並んで立たせた。
「剛さん、この子。俺の彼女」
「ええっ!?」
「はぁ!?」
太一の発言に真美子だけでなく陽菜乃までも驚きの声を上げて視線を太一に向ける。
突然のことに何も理解出来ていない真美子の事も気にしない太一を見上げ彼の目線の先を見るとカウンターキッチンには黒のコックコートを着て切れ長の瞳でこちらを睨みつけるように目を細めて見つめる40代の男性の姿があった。
大きな体格と無精髭、さらにこちらを睨んでくるような悪い目付きに真美子は恐怖に感じひっ…っと鳥肌のたった身を強ばらせた。
「あぁ?誰だよその子」
恐怖におびえる真美子を男がじっと睨みつけるが太一はそれに気づいていないのか普通の口調で答える。
「白樺真美子さん。今は…学生さん」
「学生だぁ?」
「あ、あの私…別にそんなっ」
「な?だから俺にはその女の話は必要ねーの!!」
ハッキリそう言い切った太一は嫌だったのかこの話題をやっと切り上げることが出来るとやっと真美子の肩から手を離して適度な距離を取った。
ややパニック気味の真美子は太一の支えをなくすと自分でたっておくことが出来ないくらい足に力が入らず倒れそうになるのをギリギリで陽菜乃に支えられた。
「真美子大丈夫!?」
「え、えぇ…何とか…」
「おい、どうかしたのか?」
太一は初めて見る陽菜乃に支えられる顔面蒼白で明らかに体調の悪そうな真美子に気づくと心配そうに目をやる名前も知らない陽菜乃に問いかけた。
「…えっと…この子貧血気味で…」
「確かに顔が真っ青だもんな…、裏にソファーあるからそこに寝かそう」
「あっ…」
真美子と陽菜乃の顔を交互に見つめてそう言った太一は倒れ掛けの真美子を軽々しく抱き上げて店の奥に運んで行った。
自分が抱えて運ぼうと思っていた真美子を軽々しく持っていかれた陽菜乃はその男の背中に何も言えなかった。
「大丈夫なのか?」
「え、あ、はは…貧血起こしただけですよ」
力をなくした真美子の指先から落ちていった鞄や荷物を手にして後を追おうとしたら黒のコックコートの男に声をかけられて陽菜乃は苦笑いでそう返して裏に入った。
10畳ほどのバックヤードはロッカーが4つほど壁に並んでいて更衣室もなく三人がけのソファーが向かいあわせで2つとその間にローテーブル、軽い本棚の上に小さなテレビ、小さな冷蔵庫などが置いてあるような簡素なものだった。
真美子はソファーに横に寝かされていて今にも死にそうな顔をしてぐったりとしてた。
「真美子!!大丈夫!?」
「し、のみ…や、さん…私…」
「悪い。これ水」
真美子の手を握りしめて頭を撫でていた陽菜乃に太一は冷蔵庫から出したミネラルウォーターを差し出した。
「…大丈夫…そうには見えないな…」
ソファーの背もたれから真美子を心配そうに見下ろす太一をきつく睨みつけた。
「何なのよあんた。いきなり彼女とかふざけないで!!」
思わず強く真美子の手を握りしめた陽菜乃は思わず声を荒らげる。
太一は驚いたように陽菜乃の顔を見つめるが目を逸らして悪いと謝る。
「…真美子はね…男の人がダメなの…」
「え?」
「あんたみたいなのが近くにいるだけで…声が出なくなるし、動けなくもなるの…それなのに…さっきみたいに体に触るなんて…」
今にも目の前で瀕死の重体の患者が生死の瀬戸際にいるかのように話す陽菜乃に太一は大人しく耳を傾けた。
「つーことは…俺のせい…ってことか…」
「…わかったなら、ちょっとでいいから出ていってください」
思わず浅く息をする真美子の顔を見つめた太一に真剣な目で陽菜乃がそう言うので何も言わずに頷いて出ていった。
「真美子…体、どうにもなってない?」
2人きりになると陽菜乃は心配そうに真美子に優しく声をかけた。
「…え、えぇ…何とか」
「そう。お水飲む?」
「いえ、結構です…」
真美子はずっと陽菜乃が握ってくれていた手をやっと握り返して安心したように微笑んでゆっくりと体を起こした。
「申し訳ございません…ご迷惑をおかけしまして…。私、…情けないです…」
「もう少し落ち着いたら、お菓子渡して…お礼言って帰ろっか」
「そうですね…でも、大橋様に見せる顔がありません…」
「大橋?」
「先程の方です…。お母様に叩かれて、頭まで下げてくださったあの方です…」
申し訳なさそうに頭を下げる真美子の隣に座った陽菜乃は目を見開き驚く。
話を聞いて勝手に想像していた男性像と実際の彼の差に驚きが隠せなかった。
「え…?あの人が?」
「えぇ…、あの…私、別にあの方のか、かか…か、彼女とか、そんなんじゃないですから!!その…違いますから!!」
驚きの表情を浮かべる陽菜乃に真美子は手を握り信じてと目で訴えながら首を横に何度も振って否定した。
「…私、そろそろお菓子渡しに行きますね」
「わかった」
先程よりも顔色が良くなった真美子は小さく息を吐いてそう言うと寝かされていたソファーから立ち上がり陽菜乃が持っていてくれた紙袋を手にして重い足取りでバックヤードから男二人の待つキッチンと店内の方に向かった。
陽菜乃は真美子の分のカバンを持って五歩後ろをついて行った。
「あのっ…ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした、私…あっ!!」
「マミコ!!大丈夫!?貧血だって!?」
カウンターキッチンに立っていた白と黒のコックコートを着た男性二人に頭を下げた真美子だったが背後から声の大きい女性に心配しながら抱きつかれた。
金髪碧眼の彼女からは赤ワインのような甘くて渋い匂いがして酔っ払っているのだろうかと思った。
「ほら、真美子驚いてるから離れろって酔っ払い」
「えー、でもぉ…あ、座って座って」
「いえ、あの私…クロエさんにお礼を言いに来ましたの」
「お礼…?Qu'est-ce que c'est?」
真美子はオレンジ色の紙袋から最中の入っている達筆な文字の書かれた木箱を取り出してクロエに差し出す。
差し出された高級感のある綺麗なヒノキでできた木箱が何か分からないクロエは受け取るとMerciと笑ってカウンターに並ぶワインボトルの隣に立てて置いた。
「…あ、あと…これ…この前お借りしたお洋服です」
「あら、こんなの良かったのにー…あら?あなたは誰?」
借りた洋服の入っている茶色の紙袋を真美子が差し出すとクロエはけたけたと愉快に笑ってその後ろにいた陽菜乃を見つけては名前も聞かずにとりあえず2人とも座ってとカウンターの椅子を二人分後ろに引いた。
「いえ、そんな…」
「悪いねお嬢ちゃん達。少し彼女に付き合ってくれない?…ほら、ちょうどつまめるもの作ったからさ」
困ったように目を見合わせる陽菜乃と真美子に気づいた剛と呼ばれる黒のコックコートの男性がクロエの前に作り終えた料理を並べて2人にそう頼み込んだ。
真美子は困ったように眉を下げてそこにいる全員の顔を見ると迷った末に引かれたクロエの隣の席に座った。
その様子を見た陽菜乃も真美子の隣に腰掛けた。
「それで、あなたお名前は?」
「紫之宮…陽菜乃です…」
「ヒナノね、よろしく。私クロエ。彼は私のmon amoureuxのツヨシ。これがタイチ」
手に持っている赤ワインが注がれたワイングラスを持って陽気に笑うクロエはキッチンに立つ男性を陽菜乃に紹介した。
剛と言われた男はクロエが笑う度に嬉しいのかヘラヘラと笑う。
「もな、むー…?」
「クロエの旦那ってこと」
聞きなれないフランス語に理解出来ていなかった陽菜乃に太一がそう言うと2人の目の前にどーぞと料理を並べた。
立体的に盛り付けられたあさりのような貝の周りにはキャベツや細かく切られたベーコンが散りばめられているスープのようでさらにその半透明な不意面に浮かんでいる香り付けの調味料たちがふわふわと美味しそうな匂いをさせるので少しだけお腹がなりそうなのを堪えた。
「なんで私にはスープないのよ」
「あさりは貧血に良いらしいから作ったの。ちょうど残ってたし」
カウンターの向こうの女性達には目もくれずにそう言うと使っていた調理器具達を片し始める。
食べたかったーとクロエが言っても太一は軽く流すので同じくキッチンに立っていた剛に頭を叩かれていた。
「まぁ、私にはツヨシのガレットがあるからいいの」
仲良しな3人の掛け合いを見て真美子と陽菜乃はただただ苦笑いを浮かべる。
「あぁごめん。冷める前に食べて」
余程クロエに惚れ込んでいるんだろうと容易に想像できるほどにヘラヘラとしている剛は戸惑っている2人にそのままの緩んだ顔でそう声をかける。
ありがとうございますとキッチンの2人に会釈をした真美子は先程の自分の気を失わせそうになるほど恐ろしい目で睨んできた男と同じ人とは思えなかった。
「…いただきます…」
真美子はキラキラと輝くスープを1口分すくい上げてふぅと息をふきかけ少し冷ましてから口に運んだ。
煮込まれたキャベツのの甘みとあさりのさっぱりとした塩味、さらに味の染みた野菜たちの味が口の中に広がりゆっくりと体の内側から暖かさが伝わって体温が上がりそうだった。
しみじみと味わって1口食べ終え思わず顔を上げると太一が真剣な目で直視していたので目がバッチり合った。
「…美味しいです…とても…」
その殺されそうなほど強い視線から逃れるように視線を外してそう答え、隣の陽菜乃に賛同するようにねぇ、と小さく声をかけた。
「うん、美味しい。しょっぱすぎないし、歯ごたえもあって好きかも」
あさりの貝殻を掴んで中身を掘り返していた陽菜乃が眉を下げる真美子に微笑んで答える。
「そうでしょー?これ、普通にお店で食べたらお金取られるんだよー」
「へぇー、でもそれくらいの価値ある味だよ」
「だってよタイチ。良かったわね」
エプロンを外してキッチンから出ていこうとしていた太一は剛に捕まり、ヘラヘラとからかわれる。
「当たり前。俺だって料理人だから」
「おぉ、言うようになったなぉ」
「でも、ツヨシの料理にはまだまだ追いつけないわ」
ガレットをナイフで切って食べていたクロエもそれに加わりその場は一気に騒がしくなった。
陽菜乃もその様子に笑っていたが隣の真美子はちまちまとスープを味わっていた。
「ねぇねぇ、真美子ちゃんはさー、こんな奴のどこが好きなの?」
「えっ!?」
陽気なままでヘラヘラと笑う剛が誰よりも静かだった真美子にもその輪に加わってもらおうと気を利かせて話題を振った。
しかし、真美子は驚きのあまりかちゃんと持っていたスプーンをスープ皿に落として剛をを見つめた後にすぐに太一に目をやる。
それに気づいた太一も止めさせようとするが楽しいほどにお酒の入ったクロエがそれに加わりさらにややこしくなる。
「えーなぁに!?マミコ好きな子いるの?」
「やめろよそんな下世話な話」
「クロエ知らないのかい?この人は太一のma cherieなんだって」
「えぇ!?そうなのマミコ!?ちょっと、あんた達いつの間にそんな関係になったのよ」
悪気もなく剛は愛しのクロエにそんな話をするが口止めできななかった太一は終わったと言うように頭を抱え、真美子は泣き出しそうに目を潤ませ陽菜乃に助けてと言わんばかりに視線で訴える。
「ほらほらー、隠してないで教えろよー。女子高生に手ぇ出すなんてお前も結構やんちゃだなぁ」
「もーよせよそんな言い方!!真美子にも俺に失礼だろ」
「おーおー、お熱いねぇ。まぁ、俺らには適わねぇけどなぁ」
太一も呆れるほどに剛とクロエは仲睦まじく微笑み合うので、もうその2人を無視してキッチンからでて陽菜乃と真美子の間へ行き2人の耳元に口を持っていくように屈んで小声で話す。
「もう帰ろう。こうなったらこの人たちしつこいから、なんかそれっぽい理由つけて出た方がいい」
「じゃあ、私真美子を連れて帰りますから、あとお願いします」
「…あ、のっ…」
太一と陽菜乃がこの場から逃げ出すための作戦を立てて実行させようとすると真美子は戸惑いながら水を差すようで申し訳ないと言うように目を伏せて声をかける。
「私、大橋様にお渡ししたいものがございまして…」
「俺に?…じゃあ先に外に出てて。後でそっちに行くから」
不穏そうにしている真美子にそう言うと安心しろと言うように軽く頭を撫でて、カウンターに並んでいたほとんど空になった2人分の食器を片し始める。
陽菜乃は真美子の手を握ると椅子から立ち上がって腕時計を見て時間を確認する素振りをわざとらしく見せて声を上げる。
「わー、真美子、そろそろ帰らないと門限に間に合わないわー」
「おー、それは大変だ。楽しい時間は過ぎるのが早いなー。でももう帰らないとだよなー」
下手くそすぎる陽菜乃と太一の大根芝居が始まるとクロエと剛も二人の世界が壊されてもうそんな時間かとしみじみとする。
「名残惜しいですが…そろそろお暇しますね。ご馳走様でした。とても美味しかったです」
「あーん…もう、もう少しお話したかったわァ、マミコとタイチの話とか…。また今度聞かせてね」
「是非、食べに来てね。知り合いのよしみでサービスもするよ」
少し寂しげな顔をするクロエも赤ワインを一口飲んで別れの挨拶をすると剛も笑顔でお見送りまでしてくれた。
初対面の自分にまでも良くしてくれた2人に陽菜乃も満面の笑顔を浮かべてありがとうございましたとお礼を言う。
「本日もご馳走して下さりありがとうございます…ほんとに何度お礼したら良いか…。次はお客として食べに来ますね」
「おう、待ってる」
「お客じゃなくても、お友達としていつでも来てね。マミコもヒナノも」
「え、私も?ありがとうございます。ではまた」
それなりの挨拶を笑顔で交してやっと店の外に出た。
店の外は日が落ちて真っ暗になっていて十数メートル離れた街灯の灯りと店内の楽しげな灯りだけが辺りを照らし暗闇を壊していた。
どっと疲れた真美子はやっと解放されたように深い息を吐くと陽菜乃に一度頭を下げた。
「紫之宮さん…すいませんでした…。今日は色々と…ほんとにご迷惑をおかけしまして…」
「ホント…私がいなかったら真美子今頃病院のベットで寝てたかもね」
申し訳なさそうに謝罪する真美子に笑顔で答える陽菜乃は店の入口をもう一度眺めて、素敵なお店ね、と呟いたのが真美子はなんだか誇らしく思えた。
「あーぁ、真美子に彼ができちゃったなぁ」
「ち、ちち違います!!変なこと言わないでください!!」
「でも、意外とお似合いかもよ?彼…優しくて、料理も上手だし?」
「へー、それはどーも」
顔を染めて違いますからと否定する真美子をケタケタと笑いながらからかっていると裏口から抜けてきたのか2人の背後から太一が声をかけた。
いきなり現れ声をかけてきた太一に驚く真美子と今の話聞かれてしまっただろうかと不安になる陽菜乃はゆっくりと声の方を振り返ると茶色の紙袋を持った太一がコックコートのまま立っていた。
「驚かさないでよ」
「外で待っててっつったろ。…で、なんだっけ?」
真美子を庇うように間に入る陽菜乃が太一にそう言うが普通に返される。
「あ、あの…大橋様…私、この間のことについてお礼と謝罪を伝えたくて…」
「お礼と謝罪?」
「…この間、雨に打たれてる私のこと見つけてくださり…さらにポタージュまでご馳走になって…拙宅まで送って下さりありがとうございました。…ですのに、母に頭まで下げさせてしまい…更には顔をぶたれるなんて…本当に申し訳ございませんでした」
真美子は黒の紙袋の両手で持っている紐をなにかに耐えるように強く握りしめて太一の顔を見ることは出来ず頑張って膝の当たりを直視してそう告げると深く頭を下げた。
女子高生に頭を下げられた太一は一瞬驚き誰にも見られてないか辺りを見回すとすぐに真美子に気にしてないから顔を上げろと戸惑いながら言う。
「門限破ったのは俺とクロエが付き合わせた事にあるから、責任取るのは当たり前だし、女に殴られるのなんて男の勲章みたいなもんだろ」
「意味わかんない」
「ですが…あの、これ…心ばかりですが受け取ってください」
真美子は黒の紙袋をやや強引に太一に押し付けるように渡して頭をもう一度下げてチラッと目を見た。
ありがとうと言いながら中身を確認する太一だったが結局なんなのかちゃんと理解出来ているのか見てわからなかった。
すると次は太一が真美子に持っていた茶色の紙袋を差し出した。
「…えっと、これは…?」
「今日は俺も迷惑かけたからそのお詫び。フランボワーズのムース。2人分あったから食べて」
「でも…」
「…まだ試作段階なんだよコレ。だからお店には並べれないけど、誰かには食べて貰いたいからさ」
そう微笑んだ太一はぎゅうっと握りしめていた手に握らせる。
その時手に触れられたが初めて何も感じなかった。
「じゃあ、もう暗いから気をつけて帰れよ。お前も」
また子供をあやす様に頭を撫でてそう言うとついでというように陽菜乃にも目をやるとじゃあなと言い残して店の裏の方に戻ろうと背を向けた。
やな感じーと口をとがらせる陽菜乃が帰ろうかと真美子の手を掴んで歩きだそうとしたが、とうの真美子は目の前から消えようとする男の背中を見ていると体が勝手に声を上げて彼を呼び止めていた。
「あ、あの…私…!!」
真美子は勢いそのままに口の動くままに呼び止められて振り向いた太一に言葉を連ねた。
徐々に見慣れた風景が通ったことの無い道に入ると何も起こらないかという少しの不安とこの先には何があるんだろうという楽しみが同時に沸き起こる。
見たことも無い場所と人物がどんなものであろうかと想像している陽菜乃の隣を歩く真美子は対照的に歩く度に何かに怯えるように顔をこわばらせてただでさえ白い顔がさらに青白くなっていく。
「ま、真美子?どうしたの?」
「あ、いえ…なんだか緊張してしまって…」
「でも、話聞いてる限り優しい人じゃん、大丈夫だって」
「それは…そうかもしれませんが…」
まだ不安げにする真美子の頭を陽菜乃は大丈夫よと優しく撫でて微笑んだ。
日が沈みかけた通りでかすかに漏れた夕陽に照らされた真美子は陽菜乃を不安げに見つめた。
「大丈夫。何かあったら私が真美子守ってあげるから、ね?」
「紫之宮さん…」
優しい陽菜乃の微笑みに安心した真美子はそうですねと頷き前を向いて目的地であるフレンチレストランを目ざした。
軽い会話を交わしながら数分歩くとお目当てのフレンチレストランに着いた。
真っ暗で雨が降っていたあの時とは違ってハッキリと外観が見えてほんとに同じ店かと不安になった。
入口の上に赤色のテントが貼られていてその上に"Souvenirs"と言う店名が書かれた看板が掲げられており、入口のドアにはあの時と同じようにCLOSEDの札が下がっていた。
「ここ?閉まってるよ」
「…うーん…約束していたんですが…」
閉まっている札と店内の灯りが着いていないのを窓越しに確認した陽菜乃が真美子の方に目をやった。
また違う意味で不安になってきた真美子は入口のモザイクガラスを覗いてキッチンのあった奥の方に明かりがあることに気づいた。
もしかして…と、入口のドアノブに手をかけて中に入ろうと戸をぎぃっと押した。
「…きゃっ!!」
「…うわっ!?」
押し戸のドアを開けようと手をかけた真美子は同じタイミングで店内からドアを開けた人物のドアを引く力が強くそれに引きづられるように体が動くとその人に勢いよくぶつかった。
いきなり何かにぶつかられた方も、いきなり全身で誰かにぶつかった真美子の両者は同時に驚き声を上げる。
店内は外から見えた通りキッチンの灯りしかついておらず外よりも少し明るい程度だったが真美子は今自分がほんのりとアンチョビの香りのするコックコートを着た男の体にぶつかってそのまま支えられるように体に手を回されていることがわかった。
「ま、真美子!?大丈夫!?」
真美子の後ろでその様子を見ていた陽菜乃は驚きと心配が混ざってかける声は少し大きめなになった。
真美子はやっと今の状況が理解できると顔をパッと上げて目の前のコックコートの男の正体が誰かを確認すると、男もいきなりで驚いた顔で真美子を見つめていたがすぐに助かったというようににいっと笑った。
「あ、あのっ」
「真美子!!ちょうど良かった。頼む。黙って俺の言うことに頷いててくれ」
「えぇっ?」
その男、大橋太一は真美子に聞こえるほどの必死な声で耳元でそう頼み込む。
太一から体を離そうとしていた真美子は突然の頼み事に面食らって反射的に驚きの声を漏らすが太一は真美子の返事もろくに聞かずに肩を抱いてキッチンの方に向けて自分の横に並んで立たせた。
「剛さん、この子。俺の彼女」
「ええっ!?」
「はぁ!?」
太一の発言に真美子だけでなく陽菜乃までも驚きの声を上げて視線を太一に向ける。
突然のことに何も理解出来ていない真美子の事も気にしない太一を見上げ彼の目線の先を見るとカウンターキッチンには黒のコックコートを着て切れ長の瞳でこちらを睨みつけるように目を細めて見つめる40代の男性の姿があった。
大きな体格と無精髭、さらにこちらを睨んでくるような悪い目付きに真美子は恐怖に感じひっ…っと鳥肌のたった身を強ばらせた。
「あぁ?誰だよその子」
恐怖におびえる真美子を男がじっと睨みつけるが太一はそれに気づいていないのか普通の口調で答える。
「白樺真美子さん。今は…学生さん」
「学生だぁ?」
「あ、あの私…別にそんなっ」
「な?だから俺にはその女の話は必要ねーの!!」
ハッキリそう言い切った太一は嫌だったのかこの話題をやっと切り上げることが出来るとやっと真美子の肩から手を離して適度な距離を取った。
ややパニック気味の真美子は太一の支えをなくすと自分でたっておくことが出来ないくらい足に力が入らず倒れそうになるのをギリギリで陽菜乃に支えられた。
「真美子大丈夫!?」
「え、えぇ…何とか…」
「おい、どうかしたのか?」
太一は初めて見る陽菜乃に支えられる顔面蒼白で明らかに体調の悪そうな真美子に気づくと心配そうに目をやる名前も知らない陽菜乃に問いかけた。
「…えっと…この子貧血気味で…」
「確かに顔が真っ青だもんな…、裏にソファーあるからそこに寝かそう」
「あっ…」
真美子と陽菜乃の顔を交互に見つめてそう言った太一は倒れ掛けの真美子を軽々しく抱き上げて店の奥に運んで行った。
自分が抱えて運ぼうと思っていた真美子を軽々しく持っていかれた陽菜乃はその男の背中に何も言えなかった。
「大丈夫なのか?」
「え、あ、はは…貧血起こしただけですよ」
力をなくした真美子の指先から落ちていった鞄や荷物を手にして後を追おうとしたら黒のコックコートの男に声をかけられて陽菜乃は苦笑いでそう返して裏に入った。
10畳ほどのバックヤードはロッカーが4つほど壁に並んでいて更衣室もなく三人がけのソファーが向かいあわせで2つとその間にローテーブル、軽い本棚の上に小さなテレビ、小さな冷蔵庫などが置いてあるような簡素なものだった。
真美子はソファーに横に寝かされていて今にも死にそうな顔をしてぐったりとしてた。
「真美子!!大丈夫!?」
「し、のみ…や、さん…私…」
「悪い。これ水」
真美子の手を握りしめて頭を撫でていた陽菜乃に太一は冷蔵庫から出したミネラルウォーターを差し出した。
「…大丈夫…そうには見えないな…」
ソファーの背もたれから真美子を心配そうに見下ろす太一をきつく睨みつけた。
「何なのよあんた。いきなり彼女とかふざけないで!!」
思わず強く真美子の手を握りしめた陽菜乃は思わず声を荒らげる。
太一は驚いたように陽菜乃の顔を見つめるが目を逸らして悪いと謝る。
「…真美子はね…男の人がダメなの…」
「え?」
「あんたみたいなのが近くにいるだけで…声が出なくなるし、動けなくもなるの…それなのに…さっきみたいに体に触るなんて…」
今にも目の前で瀕死の重体の患者が生死の瀬戸際にいるかのように話す陽菜乃に太一は大人しく耳を傾けた。
「つーことは…俺のせい…ってことか…」
「…わかったなら、ちょっとでいいから出ていってください」
思わず浅く息をする真美子の顔を見つめた太一に真剣な目で陽菜乃がそう言うので何も言わずに頷いて出ていった。
「真美子…体、どうにもなってない?」
2人きりになると陽菜乃は心配そうに真美子に優しく声をかけた。
「…え、えぇ…何とか」
「そう。お水飲む?」
「いえ、結構です…」
真美子はずっと陽菜乃が握ってくれていた手をやっと握り返して安心したように微笑んでゆっくりと体を起こした。
「申し訳ございません…ご迷惑をおかけしまして…。私、…情けないです…」
「もう少し落ち着いたら、お菓子渡して…お礼言って帰ろっか」
「そうですね…でも、大橋様に見せる顔がありません…」
「大橋?」
「先程の方です…。お母様に叩かれて、頭まで下げてくださったあの方です…」
申し訳なさそうに頭を下げる真美子の隣に座った陽菜乃は目を見開き驚く。
話を聞いて勝手に想像していた男性像と実際の彼の差に驚きが隠せなかった。
「え…?あの人が?」
「えぇ…、あの…私、別にあの方のか、かか…か、彼女とか、そんなんじゃないですから!!その…違いますから!!」
驚きの表情を浮かべる陽菜乃に真美子は手を握り信じてと目で訴えながら首を横に何度も振って否定した。
「…私、そろそろお菓子渡しに行きますね」
「わかった」
先程よりも顔色が良くなった真美子は小さく息を吐いてそう言うと寝かされていたソファーから立ち上がり陽菜乃が持っていてくれた紙袋を手にして重い足取りでバックヤードから男二人の待つキッチンと店内の方に向かった。
陽菜乃は真美子の分のカバンを持って五歩後ろをついて行った。
「あのっ…ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした、私…あっ!!」
「マミコ!!大丈夫!?貧血だって!?」
カウンターキッチンに立っていた白と黒のコックコートを着た男性二人に頭を下げた真美子だったが背後から声の大きい女性に心配しながら抱きつかれた。
金髪碧眼の彼女からは赤ワインのような甘くて渋い匂いがして酔っ払っているのだろうかと思った。
「ほら、真美子驚いてるから離れろって酔っ払い」
「えー、でもぉ…あ、座って座って」
「いえ、あの私…クロエさんにお礼を言いに来ましたの」
「お礼…?Qu'est-ce que c'est?」
真美子はオレンジ色の紙袋から最中の入っている達筆な文字の書かれた木箱を取り出してクロエに差し出す。
差し出された高級感のある綺麗なヒノキでできた木箱が何か分からないクロエは受け取るとMerciと笑ってカウンターに並ぶワインボトルの隣に立てて置いた。
「…あ、あと…これ…この前お借りしたお洋服です」
「あら、こんなの良かったのにー…あら?あなたは誰?」
借りた洋服の入っている茶色の紙袋を真美子が差し出すとクロエはけたけたと愉快に笑ってその後ろにいた陽菜乃を見つけては名前も聞かずにとりあえず2人とも座ってとカウンターの椅子を二人分後ろに引いた。
「いえ、そんな…」
「悪いねお嬢ちゃん達。少し彼女に付き合ってくれない?…ほら、ちょうどつまめるもの作ったからさ」
困ったように目を見合わせる陽菜乃と真美子に気づいた剛と呼ばれる黒のコックコートの男性がクロエの前に作り終えた料理を並べて2人にそう頼み込んだ。
真美子は困ったように眉を下げてそこにいる全員の顔を見ると迷った末に引かれたクロエの隣の席に座った。
その様子を見た陽菜乃も真美子の隣に腰掛けた。
「それで、あなたお名前は?」
「紫之宮…陽菜乃です…」
「ヒナノね、よろしく。私クロエ。彼は私のmon amoureuxのツヨシ。これがタイチ」
手に持っている赤ワインが注がれたワイングラスを持って陽気に笑うクロエはキッチンに立つ男性を陽菜乃に紹介した。
剛と言われた男はクロエが笑う度に嬉しいのかヘラヘラと笑う。
「もな、むー…?」
「クロエの旦那ってこと」
聞きなれないフランス語に理解出来ていなかった陽菜乃に太一がそう言うと2人の目の前にどーぞと料理を並べた。
立体的に盛り付けられたあさりのような貝の周りにはキャベツや細かく切られたベーコンが散りばめられているスープのようでさらにその半透明な不意面に浮かんでいる香り付けの調味料たちがふわふわと美味しそうな匂いをさせるので少しだけお腹がなりそうなのを堪えた。
「なんで私にはスープないのよ」
「あさりは貧血に良いらしいから作ったの。ちょうど残ってたし」
カウンターの向こうの女性達には目もくれずにそう言うと使っていた調理器具達を片し始める。
食べたかったーとクロエが言っても太一は軽く流すので同じくキッチンに立っていた剛に頭を叩かれていた。
「まぁ、私にはツヨシのガレットがあるからいいの」
仲良しな3人の掛け合いを見て真美子と陽菜乃はただただ苦笑いを浮かべる。
「あぁごめん。冷める前に食べて」
余程クロエに惚れ込んでいるんだろうと容易に想像できるほどにヘラヘラとしている剛は戸惑っている2人にそのままの緩んだ顔でそう声をかける。
ありがとうございますとキッチンの2人に会釈をした真美子は先程の自分の気を失わせそうになるほど恐ろしい目で睨んできた男と同じ人とは思えなかった。
「…いただきます…」
真美子はキラキラと輝くスープを1口分すくい上げてふぅと息をふきかけ少し冷ましてから口に運んだ。
煮込まれたキャベツのの甘みとあさりのさっぱりとした塩味、さらに味の染みた野菜たちの味が口の中に広がりゆっくりと体の内側から暖かさが伝わって体温が上がりそうだった。
しみじみと味わって1口食べ終え思わず顔を上げると太一が真剣な目で直視していたので目がバッチり合った。
「…美味しいです…とても…」
その殺されそうなほど強い視線から逃れるように視線を外してそう答え、隣の陽菜乃に賛同するようにねぇ、と小さく声をかけた。
「うん、美味しい。しょっぱすぎないし、歯ごたえもあって好きかも」
あさりの貝殻を掴んで中身を掘り返していた陽菜乃が眉を下げる真美子に微笑んで答える。
「そうでしょー?これ、普通にお店で食べたらお金取られるんだよー」
「へぇー、でもそれくらいの価値ある味だよ」
「だってよタイチ。良かったわね」
エプロンを外してキッチンから出ていこうとしていた太一は剛に捕まり、ヘラヘラとからかわれる。
「当たり前。俺だって料理人だから」
「おぉ、言うようになったなぉ」
「でも、ツヨシの料理にはまだまだ追いつけないわ」
ガレットをナイフで切って食べていたクロエもそれに加わりその場は一気に騒がしくなった。
陽菜乃もその様子に笑っていたが隣の真美子はちまちまとスープを味わっていた。
「ねぇねぇ、真美子ちゃんはさー、こんな奴のどこが好きなの?」
「えっ!?」
陽気なままでヘラヘラと笑う剛が誰よりも静かだった真美子にもその輪に加わってもらおうと気を利かせて話題を振った。
しかし、真美子は驚きのあまりかちゃんと持っていたスプーンをスープ皿に落として剛をを見つめた後にすぐに太一に目をやる。
それに気づいた太一も止めさせようとするが楽しいほどにお酒の入ったクロエがそれに加わりさらにややこしくなる。
「えーなぁに!?マミコ好きな子いるの?」
「やめろよそんな下世話な話」
「クロエ知らないのかい?この人は太一のma cherieなんだって」
「えぇ!?そうなのマミコ!?ちょっと、あんた達いつの間にそんな関係になったのよ」
悪気もなく剛は愛しのクロエにそんな話をするが口止めできななかった太一は終わったと言うように頭を抱え、真美子は泣き出しそうに目を潤ませ陽菜乃に助けてと言わんばかりに視線で訴える。
「ほらほらー、隠してないで教えろよー。女子高生に手ぇ出すなんてお前も結構やんちゃだなぁ」
「もーよせよそんな言い方!!真美子にも俺に失礼だろ」
「おーおー、お熱いねぇ。まぁ、俺らには適わねぇけどなぁ」
太一も呆れるほどに剛とクロエは仲睦まじく微笑み合うので、もうその2人を無視してキッチンからでて陽菜乃と真美子の間へ行き2人の耳元に口を持っていくように屈んで小声で話す。
「もう帰ろう。こうなったらこの人たちしつこいから、なんかそれっぽい理由つけて出た方がいい」
「じゃあ、私真美子を連れて帰りますから、あとお願いします」
「…あ、のっ…」
太一と陽菜乃がこの場から逃げ出すための作戦を立てて実行させようとすると真美子は戸惑いながら水を差すようで申し訳ないと言うように目を伏せて声をかける。
「私、大橋様にお渡ししたいものがございまして…」
「俺に?…じゃあ先に外に出てて。後でそっちに行くから」
不穏そうにしている真美子にそう言うと安心しろと言うように軽く頭を撫でて、カウンターに並んでいたほとんど空になった2人分の食器を片し始める。
陽菜乃は真美子の手を握ると椅子から立ち上がって腕時計を見て時間を確認する素振りをわざとらしく見せて声を上げる。
「わー、真美子、そろそろ帰らないと門限に間に合わないわー」
「おー、それは大変だ。楽しい時間は過ぎるのが早いなー。でももう帰らないとだよなー」
下手くそすぎる陽菜乃と太一の大根芝居が始まるとクロエと剛も二人の世界が壊されてもうそんな時間かとしみじみとする。
「名残惜しいですが…そろそろお暇しますね。ご馳走様でした。とても美味しかったです」
「あーん…もう、もう少しお話したかったわァ、マミコとタイチの話とか…。また今度聞かせてね」
「是非、食べに来てね。知り合いのよしみでサービスもするよ」
少し寂しげな顔をするクロエも赤ワインを一口飲んで別れの挨拶をすると剛も笑顔でお見送りまでしてくれた。
初対面の自分にまでも良くしてくれた2人に陽菜乃も満面の笑顔を浮かべてありがとうございましたとお礼を言う。
「本日もご馳走して下さりありがとうございます…ほんとに何度お礼したら良いか…。次はお客として食べに来ますね」
「おう、待ってる」
「お客じゃなくても、お友達としていつでも来てね。マミコもヒナノも」
「え、私も?ありがとうございます。ではまた」
それなりの挨拶を笑顔で交してやっと店の外に出た。
店の外は日が落ちて真っ暗になっていて十数メートル離れた街灯の灯りと店内の楽しげな灯りだけが辺りを照らし暗闇を壊していた。
どっと疲れた真美子はやっと解放されたように深い息を吐くと陽菜乃に一度頭を下げた。
「紫之宮さん…すいませんでした…。今日は色々と…ほんとにご迷惑をおかけしまして…」
「ホント…私がいなかったら真美子今頃病院のベットで寝てたかもね」
申し訳なさそうに謝罪する真美子に笑顔で答える陽菜乃は店の入口をもう一度眺めて、素敵なお店ね、と呟いたのが真美子はなんだか誇らしく思えた。
「あーぁ、真美子に彼ができちゃったなぁ」
「ち、ちち違います!!変なこと言わないでください!!」
「でも、意外とお似合いかもよ?彼…優しくて、料理も上手だし?」
「へー、それはどーも」
顔を染めて違いますからと否定する真美子をケタケタと笑いながらからかっていると裏口から抜けてきたのか2人の背後から太一が声をかけた。
いきなり現れ声をかけてきた太一に驚く真美子と今の話聞かれてしまっただろうかと不安になる陽菜乃はゆっくりと声の方を振り返ると茶色の紙袋を持った太一がコックコートのまま立っていた。
「驚かさないでよ」
「外で待っててっつったろ。…で、なんだっけ?」
真美子を庇うように間に入る陽菜乃が太一にそう言うが普通に返される。
「あ、あの…大橋様…私、この間のことについてお礼と謝罪を伝えたくて…」
「お礼と謝罪?」
「…この間、雨に打たれてる私のこと見つけてくださり…さらにポタージュまでご馳走になって…拙宅まで送って下さりありがとうございました。…ですのに、母に頭まで下げさせてしまい…更には顔をぶたれるなんて…本当に申し訳ございませんでした」
真美子は黒の紙袋の両手で持っている紐をなにかに耐えるように強く握りしめて太一の顔を見ることは出来ず頑張って膝の当たりを直視してそう告げると深く頭を下げた。
女子高生に頭を下げられた太一は一瞬驚き誰にも見られてないか辺りを見回すとすぐに真美子に気にしてないから顔を上げろと戸惑いながら言う。
「門限破ったのは俺とクロエが付き合わせた事にあるから、責任取るのは当たり前だし、女に殴られるのなんて男の勲章みたいなもんだろ」
「意味わかんない」
「ですが…あの、これ…心ばかりですが受け取ってください」
真美子は黒の紙袋をやや強引に太一に押し付けるように渡して頭をもう一度下げてチラッと目を見た。
ありがとうと言いながら中身を確認する太一だったが結局なんなのかちゃんと理解出来ているのか見てわからなかった。
すると次は太一が真美子に持っていた茶色の紙袋を差し出した。
「…えっと、これは…?」
「今日は俺も迷惑かけたからそのお詫び。フランボワーズのムース。2人分あったから食べて」
「でも…」
「…まだ試作段階なんだよコレ。だからお店には並べれないけど、誰かには食べて貰いたいからさ」
そう微笑んだ太一はぎゅうっと握りしめていた手に握らせる。
その時手に触れられたが初めて何も感じなかった。
「じゃあ、もう暗いから気をつけて帰れよ。お前も」
また子供をあやす様に頭を撫でてそう言うとついでというように陽菜乃にも目をやるとじゃあなと言い残して店の裏の方に戻ろうと背を向けた。
やな感じーと口をとがらせる陽菜乃が帰ろうかと真美子の手を掴んで歩きだそうとしたが、とうの真美子は目の前から消えようとする男の背中を見ていると体が勝手に声を上げて彼を呼び止めていた。
「あ、あの…私…!!」
真美子は勢いそのままに口の動くままに呼び止められて振り向いた太一に言葉を連ねた。
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