午後の紅茶にくちづけを

TomonorI

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第1章 ディンブラ・ティー

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「紫之宮さんが授業に不参加だなんて珍しいこと…どこか具合が悪くていらっしゃいますか?」

陽菜乃が部室で蒼と1時間丸々潰して教室に帰ってくると入口で帰りを待っていたらしい真美子は心配そうに声をかけ陽菜乃の頭からつま先までを何度も見た。
自分のスマホを取りに行ってもらったきり帰ってこなかった陽菜乃に余程不安を感じたのか眉尻を下げてオロオロしていた。

「大丈夫よ、ちょっとサボりたくなっただけ。あ、はいコレ」

陽菜乃は手にしていた黒のレザーケースに入ったスマホを真美子に手渡して、何も無いよと微笑んだ。
受け取った真美子はありがとうございますと頭を下げてとりあえず教室に入り自分の席に戻るとまた陽菜乃の元に緑色のノートを持ってきた。

「私、先程のノート取っていましたので良ければどうぞ」
「おっ、ありがとう。真美子のノート綺麗で見やすいからわかりやすいんだよねー」
「ほんと?なら私も見せてもらおうかしら」

真美子が差し出したノートを陽菜乃が微笑み受け取ろうとすると後ろから手が伸びて第三者に強奪された。
2人はノートが持っていかれた方向を同じタイミングで見ると紅音が普段通りのポーカーフェイスでノートをパラッとめくり中に目を通していた。

「もぉ、何やってんのよ。驚ろかさないでよ」
「何って、真美子の数学のノート見てんの」
「真美子は私にって持ってきてくれたの」
「あら、そんなに真美子を横取りされるのが嫌なの?」

紅音はノートを開いたまま首を傾げフッと笑みを浮かべて陽菜乃に問いかける。
真美子はどうしたらいいのかと最善の策を考えていた。

「そういう話じゃなくて…って、アンタは普通に授業に出てたんなら必要ないでしょ?」
「授業に出るのと理解するのとは別問題よ」
「そこまで開き直られたって…」
「まぁ、それは大変です。私で良ければ今日のところお教えしましょうか?」

ノートの表紙を見せびらかすように持っていた右手の手首を動かしていた紅音を心配した真美子が提案する。

「あら、いいの?なら教えてよ」
「ええ、もちろんです。では紫之宮さんも是非」
「え?あ、あぁ…うん、ありがとう」

なにか言いくるめられた用で腑に落ちない陽菜乃だが真美子の提案を受け入れた。
紅音は陽菜乃の右隣にある自分の席にノート片手に腰掛けると分からないところに指を指した。

「そう、ここの問題が分からなくて…」

そう言って紅音はノートを指さして真美子を見た。
真美子は自分のノートを覗き込み陽菜乃も釣られるようにノートに目を落とした。
ノートの罫線の中にシャーペンで書かれた数字や文字は均等な大きさでとても綺麗に整理されていて赤ペンなどでシンプルではあるが見やすく工夫されておりどこかの参考書だろうかと思うほどであった。

「ここですね…ここは─」
「真美子様、中野先生がお呼びですわ」

紅音が指を指した所の解説をしようと真美子が口を開いた瞬間にクラスの女子が間に入って話を遮った。
3人の視線はノートからクラスメイトに移った。

「あ、ありがとうございます。わかりましたわ」
「えぇ。では、ごきげんよう」

そう言ってクラスメイトはスカートの裾を少し持ち上げて頭を下げ戻って行った。

「中野…?誰?」
「ちょっと、担任の名前くらい覚えておきなさいよ」
「なんでしょう…。教えると言っていて申し訳ありませんが、先生の元へ行ってもよろしいでしょうか?」

真美子は胸元に手を置いてもうしわけなさそうに2人の様子を伺う。

「うん、私達は大丈夫だから早く行ってきなよ」
「あ、でもコレは借りててもいいかしら?」
「ありがとうございます、かまいませんわ」

真美子が安心したように微笑み軽く頭を下げると教室から出ていった。
教室の正面にある壁掛け時計をチラッと見ると次の授業までの残り時間は少なかった。
真美子がいなくなると紅音は持っていたノートを陽菜乃の机に置いた。

「あら、もういいの?」
「えぇ。見てわかるなら授業はいらないわよ」

そう言って気だるげにヘターっと机に突っ伏す紅音は子猫のような小さな欠伸をした後に机の中から1冊の黒いブックカバーをしている2センチほどの厚さの本を取り出して雑に開いた。
紅音が机に本を開くのは授業中でもなかなかない光景で、本の内容までは分からないが細かい字と少しの記号でだけで形成されている本だったので陽菜乃は珍しさから紅音の様子に目を奪われた。

「アンタが本を読むなんて、珍しいこともあるのね」

すると目線だけで陽菜乃に反応する紅音は開いたページをきちんと読むことなく次のページを開く。

「まぁ、私だってする時はするのよ」
「見ない本ね。なんのやつ?」
「…楽典」
「は?楽典?何、あなた音大にでも行くの?」

せっかく開いた本をパタンと閉じてしまった紅音は頬杖をついて陽菜乃に目をやった。

「何よ、私が音大目指しちゃいけないの?」
「いやそういう訳じゃないけど…なんか…そこまで考えてるなんて思ってなかったから…驚き」
「あら、てっきりあなたも音大に行くもんだと思ってたけど違うの?」

楽典の教科書らしい本の端を指先でいじりながらこちらも驚いたように問いかける。
陽菜乃も紅音の発言にさらに驚き手と首を横に振りながら否定する。

「いやいや、私なんか行けないよ。たいした記録も熱意もないし」
「なにそれ嫌味?」
「そうじゃないけど…。紅音はやっぱりバイオリン?」
「まさか。あんな楽器、大学に行ってまで学ぶものじゃないわよ」

紅音はそう言って頭の後で両手を組む。
陽菜乃は真美子のノートはそっちのけで紅音の進路について興味があった。

「じゃあ、何科に行くの?まさか、ピアノ?」
「冗談。あなたじゃないんだから書類選考で門前払いよ」
「なら何よ」

そこまで聞かれた紅音は首を横に動かして陽菜乃と目を合わせた。
今日も真っ赤なコスメでせっかくの可愛らしい目元の自己主張が激しいなと陽菜乃はふと思った。

「…作曲、科…」

紅音はそこまで言うと閉じていた楽典の教科書の適当なページを開いそこに目を落とし、何事も無かったかのように振舞った。
紅音の口から進学先を聞いた陽菜乃は驚きを隠せずに目を見開いて声を漏らした。

「へぇ…紅音がそんなこと考えてるなんて初めて知った…」
「そう?…まぁ、でも初めてかもね。こんなことまで話したの」

そして紅音はページをめくる。
真っ白な紙に記されている五線譜と音符を見ながら本の角を指で叩いてリズムをとっていた。

「今日は初めてばかりだわ…」

陽菜乃は楽典の教科書を見だした紅音の邪魔をしてはならないと真美子のノートを開いて自分の机から数学のノートを取り出して写そうとペンケースから黒のシャーペンを取り出して3回ノックして芯を出す。

「あなたは行かないの?…音大」

教科書から目線を外さずに紅音は問いかける。
陽菜乃もノートから目を離さずに返す。

「んー、まだ何も考えてないかな。でもそれもいいかもね」

隣から教科書のページをめくる音が聞こえる。

「…悪くないと思うわよ」
「え?」

陽菜乃は思わずペンを止めて隣を見た。
紅音はこちらに顔を向けないでちゃんと理解しているのか分からないがまたページをめくる。

「…音大…アナタと行くのも悪くないと思ってたんだけど」

いつも通りのポーカーフェイスの紅音から発せられたとは思えない言葉に陽菜乃は思わず笑ってしまった。
それが気に食わなかった紅音は少し不機嫌になった。

「何…そんなこと思ってるなんて知らなかった」
「初めて言ったもの」
「でも、そう言うのは智瑛莉に言ってあげなさいよ。あの子喜んで行くわよ」

智瑛莉の名前を出した途端、一瞬ビクッと肩を揺らした紅音だがフッと笑ってページをめくる。

「あの子は音大なんかには行かないわよ。医者の娘よ?家業を継ぐわよ」
「分からないわよ?紅音の作った曲弾きたいっ!…ってなるかもよ?」
「まさか、そこまで馬鹿な子じゃないわよ」

そう言った紅音何故か得意げな笑みを浮かべ、パタンと本を閉じる。
陽菜乃もノートを閉じて正面の時計を見るとそろそろ6限目が始まる時間だった。

「次って何?」
「えーっと、…倫理政経」
「はぁ、おやすみなさい」
「こら、寝ない」

倫理政経と言う単語を聞いただけで机に突っ伏した紅音の頭を小突いて注意をする。
辺りを見回すとほとんどの女子生徒が席に座って教科書などを出していたにも関わらず依然として真美子が帰ってきていなかった。

「真美子遅いわね」
「サボってんじゃない?これで生徒会なんておかしな話ね」

陽菜乃に小突かれて頬を少しふくらませ不服そうに倫理政経の教科書を机に出す紅音は皮肉を言うが陽菜乃は気にしていなかった。
まぁ、いいかと他の生徒と同じように次の教師が来るのを待っていた頃教室の後ろのドアが開けられた。
いつもの白い肌の顔がさらに顔面蒼白になっている真美子が帰ってきた。

「…大変な事が起きてしまいましたわ…」

今にも死にそうな程の顔色の真美子が小声でそう言ってゆっくりと自分の席に座った。
そのただならない様子に陽菜乃や紅音だけでなくクラス中の生徒が気が気ではなかった。

「こんなの初めてね…」
「今日は初めてだらけだわ…」

陽菜乃は1度深呼吸をしたのだった。
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