予知夢を見るあなたの夢。

三月べに

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01 出逢い

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 雨がしとしとと降っていた。
 雨傘に当たる雨粒の音は、イヤホンから流す控えめな音楽に割り込んでくる。視界に映るのは、斜め下の世界。行き交う人達の靴が見えた。
 昼間だというのに、どんよりとした薄暗さ。太陽は覆い隠されてしまっているのだから、仕方のないことだ。夏のくせに、ふわっと冷たい風が私の頬を撫でて、短い黒い髪を傘の中で舞い踊らせる。
 あれ。なんだかいい匂いがする。甘い香り。誘われるがままに顔を上げると、目が眩んだ。それは雲の隙間から、顔を出した太陽のせいだった。
 ああ、晴れた。雨が止んで傘を傾けて空を見上げると、雲が散る青空に大きくて鮮やかな虹が浮かんでいたものだから、私は口をぽかんと開けて見惚れる。
 あまりにも綺麗で、あまりにも眩しくて、こんなにも心をときめかせたのはいつぶりだろう。
 完全に目が奪われていた私は、どんっと人とぶつかってしまった。

「ごめんなさいっ」

 咄嗟に謝るけれど、どうやらお互い様だったようで、相手も謝罪を口にする。だから声が重なった。彼も虹に見惚れていたらしい。
 真っ黒い傘を背にした彼が、視線を私に落とす。青い瞳とカチッと視線が交じり合った。蜂蜜のような白金の髪。肌は羨ましいほど色白。透けて見えそう。西洋の顔立ちは、ゾッとするほど整っていて美しかった。
 今度は、彼に見惚れてしまう。
 モデルか何か。いやそれとも俳優さんだろうか。ハリウッド映画に出ていても、不思議ないくらいの美男子。お忍びで日本に来たのではないか。そう頭の隅で思った。
 丸アーモンドの瞳は、私を凝視している。一度瞬きをしてからも、視線を注ぐ。南国の海のように、明るい青色だ。
 ポカーン、とそれを見つめてしまった。私は顔を真っ赤にしただろう。なんせこんな美男子と見つめ合ってしまったのだ。
 私も親が外国人のため、肌はやや焼けたような健康的なもの。顔立ちはアジア系。どちらかと言えば美人だと周りに言ってもらえる顔なのだが、私としては自信がないわけで、そんな顔を見つめられてしまった事実が恥ずかしい。二重の大きな瞳は、チョコレートブラウン。目が大きくて濃い顔だけれど、彼と釣り合うかどうかの話をするとない。絶対にないわ。
 私はなんとかその美しい青色から目を背けた。
 謝ったのだから、早々に立ち去ろう。足早に彼の横を通り過ぎようとした。
 次の瞬間、氷に触れてしまったのではないかと驚く。
 氷ではなく、彼の手が私の手首を掴んでいた。

「あの……一緒に虹を見てくれませんか?」
「えっ?」

 控えめに提案されたことに、なんとか絞り出した声で現実かと聞き返す。自分を棚に上げてあれだが、吹き替え映画を観ているかのように自然な日本語。
 彼の瞳は輝いていた。まるで太陽に照らされている海のよう。
 そんな瞳に私が映るなんていたたまれなくて、逃げたい気持ちでいっぱいになった。普段の私なら、何かと理由をつけて顔を真っ赤にして逃げたに違いない。でも、火照る顔のまま固まってしまう。

「ほら、一人でボケッと見ていたらカッコ悪いだろう? 恋人のふりをして一緒に見てくれないかな?」

 照れくさそうに微笑む彼に、キュッと胸が締め付けられる。
 カッコ悪いだって? いやそんなことは全然ない。虹を眺めているあなたに、女性が言い寄ってくると思う。それともその対策として、私に隣にいてほしいっということなのかしら。

「あっ……えっと……私でよければ」

 ぎこちなく笑って見せれば、彼は喜んだように笑みを深めた。
 冷たい手が離される。二人して傘を畳んで、ペデストリアンデッキの隅に肩を並べて立った。イヤホンを耳から外してカバンの中にねじ込む。
 私は小柄だ。百五十三センチしかない。スリムってわけではなく、どちらかと言えばぷよぷよしている。お世辞でもモデル体型とは言えない私が、彼の隣に立つのは、本当にいたたまれなかった。
 彼の方は、長身だ。脚が長く胴体は短め。ジーンズを履いていても、スラリとしている脚。まさにモデル体型。彼は百七十センチはあるだろう。
 さっきの甘い香りがする。彼の香水の匂いだったのか。香水というにはあまりにも控えめな香りだ。

「俺はアキ。瑠璃の璃でアキって読むんだ」

 一度空の鮮やかな虹を見上げた彼は、私に輝かしい笑みを向けて名乗った。意外とがっつり日本人の名前だった。でも珍しい漢字だ。
 瑠璃。彼にぴったりな名前だ。もしかして彼も日本育ちなのだろうか。きっとそうに違いない。日本語がペラペラだもの。

「私は千夏。千の夏って書いてチナツ、です」
「こういうこと女性に聞くのは失礼だけれど、聞かせてほしいな。歳は?」

 私も遠慮がちに名乗ったら、今度は歳を訊かれた。
 そんな言い方をしたら、女性なら誰もが答えてしまうだろう。

「二十五歳よ」

 こう見えて。低身長で童顔だけれども。イマイチ歳を重ねても、濃い顔は垢抜けないのよね。

「俺も二十五歳なんだ」

 これってすごいね。とでも言いそうな眩しい笑顔だった。
 もしかして、私は言い寄られているのか。そう過ぎった。
 そうするとどうしようもなく緊張してきた。バッと顔を背けて、虹を見上げる。いや待て。私が彼に言い寄られる要因は何? ないでしょう?
 そうだ。言い寄られている可能性は否定しよう。

「千夏はどこに行こうとしてたの?」

 虹を眺めることなく、璃は問う。

「本屋さん」

 反射的に答えてしまった。

「どんな本を読むの?」

 私に興味があります、っていう口振り。
 否定したいのに、胸がガッと熱くなる。

「マンガよ」

 こんなことを言って引かれないか、心配してしまった。
 だが、彼は食い付く。

「俺もマンガ好き。どんなマンガが好きなの?」
「えっと……」

 私は今好きな少年マンガの名前を挙げた。メジャーでマンガを読まない人でも知っているだろうマンガのタイトルに、彼は機嫌良く頷く。

「俺も好き」
「そうなんだ」

 あれ、いつの間にか砕けた口調になってしまっている。
 璃も敬語を使わずに、気さくに話しかけてきているせいだろうか。
 私が挙げたタイトルのマンガの中のキャラクターがいいよねって話題になった。適当に話を合わせたんじゃなくて、本当に彼もマンガが好きみたいだ。
 そうよね。マンガがあるから、日本が好きなのよ。
 なんて日本育ちの私は、誇らしげに笑みを溢した。

「……」

 璃は私を見つめる。どこか眩しそうに青い瞳を細めて。
 そんなに見つめないでほしい。穴があったら、埋まりたくなる。

「な、なに?」
「千夏」

 名前を呼ぶ声は、びっくりするくらい穏やかだった。
 でも胸の中を鷲掴みにされているような、そんな感覚を味う。

「連絡先を交換してくれる?」
「え、ええ、いいわ」

 本当ならおこがましくて遠慮したいところだけれど、またもや反射的に答えてしまっていた。
 不慣れな行為に手惑いながらも、アプリで連絡先を交換する。

「一緒に虹を見てくれてありがとう。引き止めてごめん。連絡するから、また会おう」
「いいの。うん」
「じゃあね、千夏」
「じゃあ……」

 璃は手を振って、駅の中へと消えてしまった。
 見送る私も最後まで手を振っていたが、頬に手を当てて呆然とする。
 まるで友だちと別れたみたいに潔かったけれども、今日初めて知り合った。ナンパとはこういうものなのだろうか。ああ、ドキドキした。
 私は火照る身体を冷やしたくて、パタパタと掌で顔を仰いだ。
 それから顔を上げれば、まだある虹。それを写真に収めることにした。
 だって好きだもの。写真に撮ること。璃に話しかけられなければ、すぐさま撮っていた。
 カシャリと撮ると、携帯電話が震える。璃からメッセージが届いたのだ。
 ちょっとビクッとなってしまいつつ、読んでみる。

 虹、綺麗だったね。

 その一言に自然と口元に笑みが浮かんだ。
 私は「そうだね」と返信して、さっき撮ったばかりの虹の写真を送った。

 ありがとう、千夏。

 そう言葉が戻ってきた。しばらくポケーとその文字を見つめていたけれど、私は我に返って向かおうとした本屋さんに足を運ばせる。
 目当てのマンガはなんだったか、と思い出しながら本屋さんの中を歩いた。無事目当てのマンガを購入して、帰ろうと本屋さんを出ると、どしゃ降りの雨が降っていたものだから目を瞬かせて驚く。
 さっきの虹と明るい空が、嘘だったかのよう。
 もしかして璃との出逢いも私の夢なんじゃないかと思わず携帯電話を開いて確認した。ちゃんと璃のメッセージが、そこにあってホッとする。
 綺麗に撮れた虹の写真を、ロック画面に設定した。



 それから、彼とメッセージのやり取りをする日々。
 仕事は何をやっているのかと訊かれたから、私は小説家だと答えた。
 お決まりのように「ペンネームと作品教えて」とくる。
 ペンネームと恋愛ものの作品名を教えた。
 返答が遅くなったから、検索しているところだろうか。
 気恥ずかしい。これから彼に読まれると思うと緊張が高まった。

 読んでみる。

 その返信がきて、身悶えた。
 きっと恋をしたら恋愛小説なんて書けないと思っていたけれど、逆にスラスラと書ける。見惚れているシーンや恋をしている描写が細かく書けたのだ。他にも会話ややり取りのアイデアが、浮かんできてくれた。おかげで捗る捗る。
 そう言えば、彼の職業はなんだろう。
 机と向き合っていた私は、携帯電話と共にベッドに倒れ込む。
 思い切って、訊いてみることにした。

 今、職探し中。

 その言葉を見て、次は今まで何をしていたのかを尋ねようとした。でも先にメッセージが届く。

 レストランでシェフをしていたんだ。

 料理上手かな。食べてみたい。何のレストランで働いていたのかを尋ねようとしたら、また先にメッセージが届いた。

 そう言えば、恋人いる?

 ドキッとしてしまう。この会話の流れは。
 いないよ。そう打ち込んだ。

 デートをしよう。

 その文面を見ては、ベッドの上をのたうち回った。
 デート? デートだって? やっぱりその気があって私と連絡を取ってくれていたのか。
 彼とデートをして何かヘマをしないか、今から不安を覚える。
 でも勇敢なことに、仕事も落ち着いているから行けるわ、と打ち込んだ。

 じゃあ明日はどう?
 虹を見た場所で待ち合わせ。

 キュンッと胸が軽く締め付けられる。
 初めて出逢った場所で待ち合わせ。私はオーケーの返事のスタンプを送った。それから、時間を決める。ロック画面の虹を愛おしげに見つめては、そのままゆったりと眠りに落ちた。


 
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