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5巻
5-2
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立ち上がり、カウンターから出る。
一体なんの用だろうか。
まさか、この前の続き?
「ローニャ、本当にすまなかった! 謝る! 君を裏切り、他の女性の手を取ったこと、本当にすまない! どうか、許してほしい!」
シュナイダーはそう言うなり、頭を深々と下げた。
「……」
本当に、この前の続きだ。
私は困って、自分の頬に手を添えた。
「……謝罪は受け入れるわ」
そう言うと、シュナイダーが希望に満ちた顔を上げる。
「ローニャ、じゃあ!」
「勘違いしないで」
私は冷静に淡々と告げた。
「謝罪は受け入れるけれど、前にも言ったように――あなたみたいな男、私の方から願い下げよ」
にっこりと、笑みも付け加える。
希望の顔が、一転。ショックを受けた顔になる。
勘違いは徹底的に解いてしまおうと決めた。
「私はもう、あなたを、愛していないわ」
これだけはっきり言えば、十分でしょう。
「っ……!」
「……」
シュナイダーの顔が泣きそうに歪む。
それを見ていられなくて、私は目を背けた。
泣かせたいわけではない。
「帰ってちょうだい」
けれど、声は自然と冷たくなる。
「待ってくれ」
カウンターの中へ戻ろうとすると、ガシッと腕を掴まれた。
「酷いじゃないか! 確かに君を最後まで信じられなかったオレが悪い! だが、チャンスをくれてもいいじゃないか‼」
視線を戻してみると、シュナイダーの顔に浮かんでいるのは怒り。
えっ、えっ⁉ 逆上……⁉
こんなシュナイダー、初めて見る。
「シュナイダー、痛いっ」
「勝手に諦めて、君こそ酷いじゃないか! オレをあの家族ごと捨てたのだろう⁉ 身勝手だ!」
「ッ……!」
身勝手なんて。シュナイダーに言われたくない。正式に婚約しておいて、他の女性に心奪われ、私を信じることをやめたシュナイダーには。
けれども、彼の言う通り、私は諦めた。
シュナイダーに信じてほしいと言ったその夜に、信じてもらうことも、運命を変えることも、諦めたのだ。
「君がしがみ付いて、違うと言ってくれれば、あんなことにはならなかった‼」
私がすべて悪いような言い方に、ズキンと胸が痛む。
確かに私が弁解すれば、違っていたのかもしれない。
そんな考えがよぎったけれど、頭を振って思い直す。
きっと私があがいても、結果は変わらなかった。
シュナイダーとミサノが結ばれる。
そういうシナリオだったのだ。そういう運命だった。
まるで兄に叱られている時のような恐怖を感じつつも、深呼吸をしてシュナイダーを見つめ返す。掴まれた腕を払った。
「シュナイダー・ゼオランド。頭を冷やしなさい」
「っ!」
冷ややかに見つめる。
「もう元には戻らないのよ」
それが事実だ。
「っ、うっ!」
シュナイダーはようやく諦めてくれたのか、白いドアに向かって歩き出した。
けれども、白いドアノブを引いて、振り返る。
「君のその目、その姿! 君の家族にそっくりだぞ!」
「!」
そう言い残して、ガチャン! と乱暴にドアを閉じた。
最後の言葉は紛れもなく、私を傷付けるために放ったものだ。
「……」
あの冷血と恐れられている家族と、そっくりと言われても……
そっくりも何も、家族なのだからしょうがない。氷の令嬢。
そもそも容姿が似ているのだ。冷たい態度をとれば、そう見えてしまうのは当然。
けれど、長年その家族から庇ってくれていたシュナイダーに言われると、気になってしまう。
冷淡すぎたのでしょうか。
でも、事実を言ったまでだ。
「……はぁ」
この胸にあるもやもやをどうしよう。
すると、再びカランとベルが鳴った。
シュナイダーが戻って来たのかと、ビクッと肩を震わせる。
「どうしたんだい? 顔色悪いけど……」
そこに立っていたのは、本を小脇に抱えた青年。
緑色の髪と瞳を持つセナさんだ。
今日は非番らしく、いつもの傭兵団の上着を着ていない。
サスペンダーと翡翠色のループタイを付けたワイシャツ姿。
「このコロン……また、君の元婚約者が来たの? 何か言われたのかい?」
わずかに残っているのであろうシュナイダーのコロンを嗅ぎ取って、セナさんは顔をしかめた。
「セナさん……」
思わず、しゅん、とした声を出してしまう。
「全く、あれほどのことを言われてもまた来るなんて、よっぽどのバカなんだね。大丈夫かい? 接客はいいから、座りなよ」
「はい……すみません……」
しゃんとしなくてはいけないと頭ではわかっていても、今は虚勢を張ることもできなくて、セナさんに促されるままカウンター席に腰を下ろした。
「何を言われたんだい?」
「……」
本をカウンターテーブルに置いて、隣に座ったセナさんが顔を覗いてくる。
私は答えられなかった。シュナイダーに限ったことじゃないけれど、悪口になるようなことは言いたくなかったのだ。
「……言いたくないなら、いいよ」
セナさんは、私の頭を撫でた。
そっと優しい手付き。
ガラシア王国の宮殿の中庭でも、こうして、人間の姿のセナさんに頭を撫でられたことを思い出した。
ちらりと視線を向けてみると、気遣うように微笑むセナさんの顔がある。
また、胸がざわつくような、ちょっと変な感じを覚えた。
やっぱり、もふもふが恋しいのでしょうか。
「セナさん……その」
「なんだい?」
「じゃれさせてもらってもいいでしょうか?」
唐突すぎたのか、セナさんはきょとんとした表情を浮かべた。
「それなら、シゼ……ああ」
セナさんが言葉を止め、少し考え込むように顎に手を添える。
「まだ帰って来なさそうだよね……」
白いドアを見つめて、ぼやくように言った。
シゼさん達にも頼めばいい、と言いかけたのでしょうか。
「いいよ」
ふわっ。
風に靡く草原のような煌めきを目にしたかと思えば、青年はジャッカルの姿に変わっていた。
「おいで」
若緑色のジャッカル姿のセナさんが腕を広げる。
もふもふ……!
私は誘われるがままに、その腕の中に飛び込んだ。
もふっと優しい腕に包まれる。
相変わらず、森の香りがする。落ち着く。
「もふもふセラピー……」
すりすりと頬ずりをすれば、セナさんの頬のもふもふを味わえる。
「君も慣れたものだね。初めは戸惑っていたのに」
クスクスと、笑われてしまった。
確かに、初めてセナさんとじゃれた時は、異性とのスキンシップに抵抗を覚えたけれども。これは獣人流のスキンシップであり、特に下心はない。友情の証だ。
もふもふ、大歓迎です。
4 もふもふ天国。
その日の夕方。獣人傭兵団の邸宅。
「――そういうわけだから、ローニャにじゃれさせてあげてよ。シゼ」
シゼの部屋を訪れ、今日のことを報告したセナ。
元婚約者が来て、何やらローニャを落ち込ませることを言ったようだ、と。
「慰めてあげて」
セナはそう言って、一人お酒を楽しんでいるシゼの返答を待たずに、部屋を出ようとした。
「お前、本当にいいのか?」
そんなセナを引き留めるように、シゼが口を開く。
ドアノブに手をかけたまま、セナは振り返った。
「何が?」
「オレとローニャをくっつけようとしているが、お前は本当にそれでいいのかと聞いているんだ」
以前からセナが自分とローニャの仲を取り持とうとしていることは、シゼもわかっていた。そして、セナの中に芽生えている想いにも気付いている。
だからこそ、確認しているのだ。
「……別に、僕は……」
セナは最後まで言えなかった。
本心なのか。虚勢なのか。セナ本人にも、わからない。
「……」
「……」
シゼが再びお酒を呑み始めると、セナは黙って部屋をあとにした。
* ❖ *
いつもの昼下がり。
今日も獣人傭兵団の皆さんが、まったり喫茶店を貸し切り状態にしている。
今日は傭兵の仕事もパッとしなかったようで、リュセさんとチセさんは退屈だと零していた。
「お嬢、なんか楽しいことねぇ?」
「楽しいこと、ですか?」
「そうそう」
カウンター席のリュセさんが、突っ伏しながら問う。
食器を片付けていた私は、首を傾げた。
んー。私はこうしているだけで毎日充実しているし、退屈はしていない。
読書でも勧めようかと思ったけれど、セナさん以外の皆さんは読書には興味がないようだ。
他に私が提供できる楽しみと言えば、食べ物くらい。
困っていると、カランカランと白いドアのベルが鳴った。
オズベルさんかと思って顔を上げるけれど、違うようだ。
「シゼお兄ちゃん‼」
「セナお兄ちゃん‼」
「チセ兄‼」
「リュセ兄‼」
獣人傭兵団の皆さんを兄と呼ぶ小さな集団が、ドドドッと押し寄せた。
そしてあっという間に獣人傭兵団の皆さんを埋め尽くす。
私は新たな来客の様子に自分の目を疑い、動けずにいた。
「うわっ! なんだよ、お前ら!」
「おうおう! 久しぶりじゃねーか!」
立ち上がって彼らを迎えたリュセさんはなんとか顔を出すけれど、チセさんは押し倒されてしまって顔が見えない。
シゼさんは全然動じていなかった。セナさんも仕方なさそうに受け入れている。
獣人傭兵団の皆さんを埋め尽くしていたのは――もふもふだ。
まだ幼い女の子や男の子の獣人達のようだった。
ポメラニアンらしき薄茶色の毛がもっふもふの女の子が、満面の笑みでリュセさんに頬ずりしている。その逆側では、三毛猫らしき耳を生やした男の子が気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らして、やはり頬ずり。
チセさんの上にいるのは、白黒パンダの耳の男の子とネイビー色の子熊の男の子。
奥のテーブルにいるシゼさんの膝の上には、波打つ白く長い髪がふわふわなライオンらしき女の子が、満足そうな笑みを浮かべて座っている。左右の腕にしがみ付くのは、くるんくるんの桃色の耳の生えた男の子と女の子。トイプードルだろうか。
まさに今押し倒されてしまったセナさんの元にいるのは、黄色のゴールデンレトリバーらしい。男の子か女の子かは、カウンターの中にいる私からでは確認できない。
カラフルで幼いもふもふ達……!
獣人族特有の友好の証、じゃれつきをしている。
なんて、羨ましい……!
いいな。いいな。いいな!
私も、幼いもふもふと戯れたいです!
だめでしょうか? だめですか? 後生です!
「お久しぶりでーす、シゼ兄、セナ兄、リュセ兄、チセ兄」
気の抜けたような声を出したのは、ドアを開けたままにしている少年。私くらいの歳だと思う。黒く長い耳からして、カラカルというネコ科の動物の獣人だろう。毛並みは、オレンジ色だ。
「よう、ラッセル! 久しぶりじゃねーか! あ? セティアナまでいるじゃねーか」
カラカルの少年の名前は、ラッセルというらしい。
チセさんが視線を移したのは、そのラッセルという少年の隣に姿勢良く立っている女性だ。大きなウェーブのかかった髪は白金色で、チセさんとよく似た狼の姿をしていた。
「お久しぶり」
凛とした態度で、セティアナという名の女性は頭を下げる。
「はーい、セティアナさんと一緒に来ましたー。ボク一人でこの数を面倒見るのは無理ですからねー。どうしてもと言うので、セスからここにいると聞いて連れて来ましたぁ」
「シゼ様に会いたくて‼」
「この通りですー」
シゼさんの膝の上に座るふわふわなライオンの女の子が、とても嬉しそうにシゼさんのお腹に凭れた。
それを見ながら、ラッセルさんが頷く。
「兄ちゃん達が全然会いに来てくれないからだぜ⁉」
三毛猫の男の子が、ゴロゴロと喉を鳴らしながら言う。
「あーそうだったな。お嬢に会ってから、集落に行ってなかったもんなー」
リュセさんは三毛猫の男の子の襟を掴んで離した。
ポメラニアンの女の子のことは、片腕で余裕そうに持ち上げる。持ち上げられた少女は、嬉しそうに激しく尻尾を振った。
「お嬢?」
リュセさんの言葉にラッセルが首を傾げると、起き上がったセナさんが立ち上がる。
「皆、挨拶して。この喫茶店の店長のローニャ。僕達に良くしてくれている人間の友だちだよ」
セナさんが紹介してくれると、たった今私の存在に気付いたというように、小さなもふもふ達が目を丸くして私に注目した。
警戒したように尻尾を立てて、毛まで逆立てている。
第一印象を良くしないとだめよね。
私は、すぐにカウンターから出てしゃがみ込んだ。視線の高さをなるべく合わせてから、微笑みを浮かべる。
「初めまして。獣人傭兵団の皆さんのお友だちです。ローニャです」
それでも、小さなもふもふ達は固まっている。
めげずににこにこと笑みを浮かべ、警戒心が緩むのを大人しく待った。
せめて、握手してほしいな。
「お前ら! 行けー!」
ポメラニアンの女の子を下ろしたリュセさんが、その背中を押す。
よくわからないという顔をしつつも、ポメラニアンの女の子を筆頭に、小さなもふもふ達が押し寄せてきた。
しゃがんでいた私は、もふもふに包まれる。
喜びを通り越し、軽くパニックだ。
え。何これ。もしかして天国?
ポメラニアンの広がった毛が、ふわふわだ。トイプードルのくるんくるんした毛が、もふもふ。誰のものかわからないけれど、肌に触れる肉球がぷにぷにだ。
小さくなってしまった時のシゼさん並みに、柔らかしっとりぷにぷに!
むぎゅっと抱き締められて、すりすりと頬ずりされる。
セナさん達とはまた違うもふもふ加減なのは、幼さゆえのキューティクルのおかげでしょうか。
「はうっ……はわわっ」
どうするべきなのでしょうか。
堪能してもいいの?
小さなもふもふさん達をまとめて抱き締めちゃだめですか?
「こらこら。ローニャを窒息させる気?」
「幸せです、セナさん」
「君はいつもそうだよね」
毛並みの長いゴールデンレトリバーの男の子をひょいっと持ち上げて離すセナさん。
きっと私の顔は、とてつもなく緩んでしまっているだろう。
そんな私を見ても、セナさんは笑みを返すだけ。
「セナ兄ちゃん達に、人間の友だちなんて初めてだぜ⁉ アンタ何者⁉」
「ローニャはここの喫茶店の店長だって言っただろう? ローニャ店長、ケーキあるだけ出して。皆甘いもの好きだから」
「は、はいっ」
セナさんに言われたものの、もふもふに包まれて身動きできません。
「ほら、撤収ー」
「離れろー、お前ら」
「ケーキ⁉ ケーキ食べれるの⁉」
「ケーキ‼」
目を爛々と輝かせている幼いもふもふさん達を、リュセさんとチセさんが引き離す。一人だけ、私に飛び付かなかったライオンの女の子は、シゼさんの膝の上を堪能している様子。
「今、持って来ますので、席についてください」
そう言うと、もふもふさん達は一斉にワッと散って、空いている椅子に座った。
注文をとってケーキを運ぶ。
小さなもふもふさん達は、大興奮だ。
「集落じゃあケーキなんて食べられないですもんねー」
「あら、すみません。椅子が足りないですよね」
「お構いなくー」
ラッセルさんとセティアナさんが立ったままになってしまったので、魔法で椅子を出そうと思ったけれど、二人はそのままでいいらしい。
セナさんもリュセさんも立ち上がって、食べている小さなもふもふさん達の面倒を見始めた。
チセさんは頬杖をついて、ゴールデンレトリバーの男の子が食べている姿を真横で眺めている。
シゼさんは、膝に乗せた女の子にチョコレートケーキを食べさせてあげていた。
子どもの扱いに慣れている獣人傭兵団の皆さんに驚きつつ、微笑ましく眺める。
ふと視線を感じて見ると、白金色の狼の姿のセティアナさんだった。
こちらをじっと見つめてくる。
「セティアナさんも、ケーキですか?」
「いえ……私はいいです」
物静かな狼さん。チセさんと同じく人見知りなのでしょうか。
けれど、そうは思えないほど、じっと私を見つめてくる。なんでしょうか。
「そういえば……皆さん、名前に〝セ〟の音がありますよね。そういう風習なのですか?」
リュセ、チセ、セナ、セス、シゼ、セティアナ、ラッセル。
子ども達の名前は聞いていないけれど、ふと気になった。
「違うよ。ただの村の中での流行りだっただけ。僕達の世代は、名前に〝セ〟が入れられたんだ」
「あら、そうなんですね」
一体なんの用だろうか。
まさか、この前の続き?
「ローニャ、本当にすまなかった! 謝る! 君を裏切り、他の女性の手を取ったこと、本当にすまない! どうか、許してほしい!」
シュナイダーはそう言うなり、頭を深々と下げた。
「……」
本当に、この前の続きだ。
私は困って、自分の頬に手を添えた。
「……謝罪は受け入れるわ」
そう言うと、シュナイダーが希望に満ちた顔を上げる。
「ローニャ、じゃあ!」
「勘違いしないで」
私は冷静に淡々と告げた。
「謝罪は受け入れるけれど、前にも言ったように――あなたみたいな男、私の方から願い下げよ」
にっこりと、笑みも付け加える。
希望の顔が、一転。ショックを受けた顔になる。
勘違いは徹底的に解いてしまおうと決めた。
「私はもう、あなたを、愛していないわ」
これだけはっきり言えば、十分でしょう。
「っ……!」
「……」
シュナイダーの顔が泣きそうに歪む。
それを見ていられなくて、私は目を背けた。
泣かせたいわけではない。
「帰ってちょうだい」
けれど、声は自然と冷たくなる。
「待ってくれ」
カウンターの中へ戻ろうとすると、ガシッと腕を掴まれた。
「酷いじゃないか! 確かに君を最後まで信じられなかったオレが悪い! だが、チャンスをくれてもいいじゃないか‼」
視線を戻してみると、シュナイダーの顔に浮かんでいるのは怒り。
えっ、えっ⁉ 逆上……⁉
こんなシュナイダー、初めて見る。
「シュナイダー、痛いっ」
「勝手に諦めて、君こそ酷いじゃないか! オレをあの家族ごと捨てたのだろう⁉ 身勝手だ!」
「ッ……!」
身勝手なんて。シュナイダーに言われたくない。正式に婚約しておいて、他の女性に心奪われ、私を信じることをやめたシュナイダーには。
けれども、彼の言う通り、私は諦めた。
シュナイダーに信じてほしいと言ったその夜に、信じてもらうことも、運命を変えることも、諦めたのだ。
「君がしがみ付いて、違うと言ってくれれば、あんなことにはならなかった‼」
私がすべて悪いような言い方に、ズキンと胸が痛む。
確かに私が弁解すれば、違っていたのかもしれない。
そんな考えがよぎったけれど、頭を振って思い直す。
きっと私があがいても、結果は変わらなかった。
シュナイダーとミサノが結ばれる。
そういうシナリオだったのだ。そういう運命だった。
まるで兄に叱られている時のような恐怖を感じつつも、深呼吸をしてシュナイダーを見つめ返す。掴まれた腕を払った。
「シュナイダー・ゼオランド。頭を冷やしなさい」
「っ!」
冷ややかに見つめる。
「もう元には戻らないのよ」
それが事実だ。
「っ、うっ!」
シュナイダーはようやく諦めてくれたのか、白いドアに向かって歩き出した。
けれども、白いドアノブを引いて、振り返る。
「君のその目、その姿! 君の家族にそっくりだぞ!」
「!」
そう言い残して、ガチャン! と乱暴にドアを閉じた。
最後の言葉は紛れもなく、私を傷付けるために放ったものだ。
「……」
あの冷血と恐れられている家族と、そっくりと言われても……
そっくりも何も、家族なのだからしょうがない。氷の令嬢。
そもそも容姿が似ているのだ。冷たい態度をとれば、そう見えてしまうのは当然。
けれど、長年その家族から庇ってくれていたシュナイダーに言われると、気になってしまう。
冷淡すぎたのでしょうか。
でも、事実を言ったまでだ。
「……はぁ」
この胸にあるもやもやをどうしよう。
すると、再びカランとベルが鳴った。
シュナイダーが戻って来たのかと、ビクッと肩を震わせる。
「どうしたんだい? 顔色悪いけど……」
そこに立っていたのは、本を小脇に抱えた青年。
緑色の髪と瞳を持つセナさんだ。
今日は非番らしく、いつもの傭兵団の上着を着ていない。
サスペンダーと翡翠色のループタイを付けたワイシャツ姿。
「このコロン……また、君の元婚約者が来たの? 何か言われたのかい?」
わずかに残っているのであろうシュナイダーのコロンを嗅ぎ取って、セナさんは顔をしかめた。
「セナさん……」
思わず、しゅん、とした声を出してしまう。
「全く、あれほどのことを言われてもまた来るなんて、よっぽどのバカなんだね。大丈夫かい? 接客はいいから、座りなよ」
「はい……すみません……」
しゃんとしなくてはいけないと頭ではわかっていても、今は虚勢を張ることもできなくて、セナさんに促されるままカウンター席に腰を下ろした。
「何を言われたんだい?」
「……」
本をカウンターテーブルに置いて、隣に座ったセナさんが顔を覗いてくる。
私は答えられなかった。シュナイダーに限ったことじゃないけれど、悪口になるようなことは言いたくなかったのだ。
「……言いたくないなら、いいよ」
セナさんは、私の頭を撫でた。
そっと優しい手付き。
ガラシア王国の宮殿の中庭でも、こうして、人間の姿のセナさんに頭を撫でられたことを思い出した。
ちらりと視線を向けてみると、気遣うように微笑むセナさんの顔がある。
また、胸がざわつくような、ちょっと変な感じを覚えた。
やっぱり、もふもふが恋しいのでしょうか。
「セナさん……その」
「なんだい?」
「じゃれさせてもらってもいいでしょうか?」
唐突すぎたのか、セナさんはきょとんとした表情を浮かべた。
「それなら、シゼ……ああ」
セナさんが言葉を止め、少し考え込むように顎に手を添える。
「まだ帰って来なさそうだよね……」
白いドアを見つめて、ぼやくように言った。
シゼさん達にも頼めばいい、と言いかけたのでしょうか。
「いいよ」
ふわっ。
風に靡く草原のような煌めきを目にしたかと思えば、青年はジャッカルの姿に変わっていた。
「おいで」
若緑色のジャッカル姿のセナさんが腕を広げる。
もふもふ……!
私は誘われるがままに、その腕の中に飛び込んだ。
もふっと優しい腕に包まれる。
相変わらず、森の香りがする。落ち着く。
「もふもふセラピー……」
すりすりと頬ずりをすれば、セナさんの頬のもふもふを味わえる。
「君も慣れたものだね。初めは戸惑っていたのに」
クスクスと、笑われてしまった。
確かに、初めてセナさんとじゃれた時は、異性とのスキンシップに抵抗を覚えたけれども。これは獣人流のスキンシップであり、特に下心はない。友情の証だ。
もふもふ、大歓迎です。
4 もふもふ天国。
その日の夕方。獣人傭兵団の邸宅。
「――そういうわけだから、ローニャにじゃれさせてあげてよ。シゼ」
シゼの部屋を訪れ、今日のことを報告したセナ。
元婚約者が来て、何やらローニャを落ち込ませることを言ったようだ、と。
「慰めてあげて」
セナはそう言って、一人お酒を楽しんでいるシゼの返答を待たずに、部屋を出ようとした。
「お前、本当にいいのか?」
そんなセナを引き留めるように、シゼが口を開く。
ドアノブに手をかけたまま、セナは振り返った。
「何が?」
「オレとローニャをくっつけようとしているが、お前は本当にそれでいいのかと聞いているんだ」
以前からセナが自分とローニャの仲を取り持とうとしていることは、シゼもわかっていた。そして、セナの中に芽生えている想いにも気付いている。
だからこそ、確認しているのだ。
「……別に、僕は……」
セナは最後まで言えなかった。
本心なのか。虚勢なのか。セナ本人にも、わからない。
「……」
「……」
シゼが再びお酒を呑み始めると、セナは黙って部屋をあとにした。
* ❖ *
いつもの昼下がり。
今日も獣人傭兵団の皆さんが、まったり喫茶店を貸し切り状態にしている。
今日は傭兵の仕事もパッとしなかったようで、リュセさんとチセさんは退屈だと零していた。
「お嬢、なんか楽しいことねぇ?」
「楽しいこと、ですか?」
「そうそう」
カウンター席のリュセさんが、突っ伏しながら問う。
食器を片付けていた私は、首を傾げた。
んー。私はこうしているだけで毎日充実しているし、退屈はしていない。
読書でも勧めようかと思ったけれど、セナさん以外の皆さんは読書には興味がないようだ。
他に私が提供できる楽しみと言えば、食べ物くらい。
困っていると、カランカランと白いドアのベルが鳴った。
オズベルさんかと思って顔を上げるけれど、違うようだ。
「シゼお兄ちゃん‼」
「セナお兄ちゃん‼」
「チセ兄‼」
「リュセ兄‼」
獣人傭兵団の皆さんを兄と呼ぶ小さな集団が、ドドドッと押し寄せた。
そしてあっという間に獣人傭兵団の皆さんを埋め尽くす。
私は新たな来客の様子に自分の目を疑い、動けずにいた。
「うわっ! なんだよ、お前ら!」
「おうおう! 久しぶりじゃねーか!」
立ち上がって彼らを迎えたリュセさんはなんとか顔を出すけれど、チセさんは押し倒されてしまって顔が見えない。
シゼさんは全然動じていなかった。セナさんも仕方なさそうに受け入れている。
獣人傭兵団の皆さんを埋め尽くしていたのは――もふもふだ。
まだ幼い女の子や男の子の獣人達のようだった。
ポメラニアンらしき薄茶色の毛がもっふもふの女の子が、満面の笑みでリュセさんに頬ずりしている。その逆側では、三毛猫らしき耳を生やした男の子が気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らして、やはり頬ずり。
チセさんの上にいるのは、白黒パンダの耳の男の子とネイビー色の子熊の男の子。
奥のテーブルにいるシゼさんの膝の上には、波打つ白く長い髪がふわふわなライオンらしき女の子が、満足そうな笑みを浮かべて座っている。左右の腕にしがみ付くのは、くるんくるんの桃色の耳の生えた男の子と女の子。トイプードルだろうか。
まさに今押し倒されてしまったセナさんの元にいるのは、黄色のゴールデンレトリバーらしい。男の子か女の子かは、カウンターの中にいる私からでは確認できない。
カラフルで幼いもふもふ達……!
獣人族特有の友好の証、じゃれつきをしている。
なんて、羨ましい……!
いいな。いいな。いいな!
私も、幼いもふもふと戯れたいです!
だめでしょうか? だめですか? 後生です!
「お久しぶりでーす、シゼ兄、セナ兄、リュセ兄、チセ兄」
気の抜けたような声を出したのは、ドアを開けたままにしている少年。私くらいの歳だと思う。黒く長い耳からして、カラカルというネコ科の動物の獣人だろう。毛並みは、オレンジ色だ。
「よう、ラッセル! 久しぶりじゃねーか! あ? セティアナまでいるじゃねーか」
カラカルの少年の名前は、ラッセルというらしい。
チセさんが視線を移したのは、そのラッセルという少年の隣に姿勢良く立っている女性だ。大きなウェーブのかかった髪は白金色で、チセさんとよく似た狼の姿をしていた。
「お久しぶり」
凛とした態度で、セティアナという名の女性は頭を下げる。
「はーい、セティアナさんと一緒に来ましたー。ボク一人でこの数を面倒見るのは無理ですからねー。どうしてもと言うので、セスからここにいると聞いて連れて来ましたぁ」
「シゼ様に会いたくて‼」
「この通りですー」
シゼさんの膝の上に座るふわふわなライオンの女の子が、とても嬉しそうにシゼさんのお腹に凭れた。
それを見ながら、ラッセルさんが頷く。
「兄ちゃん達が全然会いに来てくれないからだぜ⁉」
三毛猫の男の子が、ゴロゴロと喉を鳴らしながら言う。
「あーそうだったな。お嬢に会ってから、集落に行ってなかったもんなー」
リュセさんは三毛猫の男の子の襟を掴んで離した。
ポメラニアンの女の子のことは、片腕で余裕そうに持ち上げる。持ち上げられた少女は、嬉しそうに激しく尻尾を振った。
「お嬢?」
リュセさんの言葉にラッセルが首を傾げると、起き上がったセナさんが立ち上がる。
「皆、挨拶して。この喫茶店の店長のローニャ。僕達に良くしてくれている人間の友だちだよ」
セナさんが紹介してくれると、たった今私の存在に気付いたというように、小さなもふもふ達が目を丸くして私に注目した。
警戒したように尻尾を立てて、毛まで逆立てている。
第一印象を良くしないとだめよね。
私は、すぐにカウンターから出てしゃがみ込んだ。視線の高さをなるべく合わせてから、微笑みを浮かべる。
「初めまして。獣人傭兵団の皆さんのお友だちです。ローニャです」
それでも、小さなもふもふ達は固まっている。
めげずににこにこと笑みを浮かべ、警戒心が緩むのを大人しく待った。
せめて、握手してほしいな。
「お前ら! 行けー!」
ポメラニアンの女の子を下ろしたリュセさんが、その背中を押す。
よくわからないという顔をしつつも、ポメラニアンの女の子を筆頭に、小さなもふもふ達が押し寄せてきた。
しゃがんでいた私は、もふもふに包まれる。
喜びを通り越し、軽くパニックだ。
え。何これ。もしかして天国?
ポメラニアンの広がった毛が、ふわふわだ。トイプードルのくるんくるんした毛が、もふもふ。誰のものかわからないけれど、肌に触れる肉球がぷにぷにだ。
小さくなってしまった時のシゼさん並みに、柔らかしっとりぷにぷに!
むぎゅっと抱き締められて、すりすりと頬ずりされる。
セナさん達とはまた違うもふもふ加減なのは、幼さゆえのキューティクルのおかげでしょうか。
「はうっ……はわわっ」
どうするべきなのでしょうか。
堪能してもいいの?
小さなもふもふさん達をまとめて抱き締めちゃだめですか?
「こらこら。ローニャを窒息させる気?」
「幸せです、セナさん」
「君はいつもそうだよね」
毛並みの長いゴールデンレトリバーの男の子をひょいっと持ち上げて離すセナさん。
きっと私の顔は、とてつもなく緩んでしまっているだろう。
そんな私を見ても、セナさんは笑みを返すだけ。
「セナ兄ちゃん達に、人間の友だちなんて初めてだぜ⁉ アンタ何者⁉」
「ローニャはここの喫茶店の店長だって言っただろう? ローニャ店長、ケーキあるだけ出して。皆甘いもの好きだから」
「は、はいっ」
セナさんに言われたものの、もふもふに包まれて身動きできません。
「ほら、撤収ー」
「離れろー、お前ら」
「ケーキ⁉ ケーキ食べれるの⁉」
「ケーキ‼」
目を爛々と輝かせている幼いもふもふさん達を、リュセさんとチセさんが引き離す。一人だけ、私に飛び付かなかったライオンの女の子は、シゼさんの膝の上を堪能している様子。
「今、持って来ますので、席についてください」
そう言うと、もふもふさん達は一斉にワッと散って、空いている椅子に座った。
注文をとってケーキを運ぶ。
小さなもふもふさん達は、大興奮だ。
「集落じゃあケーキなんて食べられないですもんねー」
「あら、すみません。椅子が足りないですよね」
「お構いなくー」
ラッセルさんとセティアナさんが立ったままになってしまったので、魔法で椅子を出そうと思ったけれど、二人はそのままでいいらしい。
セナさんもリュセさんも立ち上がって、食べている小さなもふもふさん達の面倒を見始めた。
チセさんは頬杖をついて、ゴールデンレトリバーの男の子が食べている姿を真横で眺めている。
シゼさんは、膝に乗せた女の子にチョコレートケーキを食べさせてあげていた。
子どもの扱いに慣れている獣人傭兵団の皆さんに驚きつつ、微笑ましく眺める。
ふと視線を感じて見ると、白金色の狼の姿のセティアナさんだった。
こちらをじっと見つめてくる。
「セティアナさんも、ケーキですか?」
「いえ……私はいいです」
物静かな狼さん。チセさんと同じく人見知りなのでしょうか。
けれど、そうは思えないほど、じっと私を見つめてくる。なんでしょうか。
「そういえば……皆さん、名前に〝セ〟の音がありますよね。そういう風習なのですか?」
リュセ、チセ、セナ、セス、シゼ、セティアナ、ラッセル。
子ども達の名前は聞いていないけれど、ふと気になった。
「違うよ。ただの村の中での流行りだっただけ。僕達の世代は、名前に〝セ〟が入れられたんだ」
「あら、そうなんですね」
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