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2巻

2-2

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 ――それから数日後。
 人払いのされた玉座の間に、シュナイダーは立たされていた。

「ローニャの安否は、まだ確認できないのかい?」
「ロナード氏がかくまっていることは確かだと思います」
「私は確かめろと言っているんだ。シュナイダー、君の目でね」

 国王の刺々とげとげしい声が響き渡る。現国王は、シュナイダーの伯父にあたる人物だ。婚約破棄以降、シュナイダーはこの伯父から何度もお叱りの言葉を受けていた。

「まったく……子ども同士の喧嘩で、なぜこんなにも大事おおごとにしたんだ。学園から追い出されたローニャが、行方不明になるなんて」
「ローニャに非があります」
「仮に非があったとしても、愛した者にする仕打ちではないだろう! 突然、皆の前で婚約破棄を言い渡すなど!」

 温厚な伯父が珍しく声を荒らげ、シュナイダーはびくりと震えた。

「忘れたとは言わせないぞ。初めこそ口約束だった縁談を正式な形にしたいと言ったのは、シュナイダー、お前だ。それから七年も付き合ってきたというのに、ろくに話し合いもせず婚約破棄するなど――身内として恥ずかしい」

 シュナイダーは眉根を寄せて、うつむいた。伯父とはいえ、相手はこの国の国王陛下だ。反論は認められないと理解しているため、奥歯をみしめるだけにとどめる。
 反省の色を見せない甥に、国王はやれやれと首を振って額を押さえた。

「急がないと、他の男に先を越されるぞ」
「……はい?」
「……」

 忠告の意味をまったく理解していないシュナイダー。
 その様子を見て、国王はさらに呆れた。

「うすうす気付いていたはずだ。彼女に想いを寄せている男は多い。あんなに良い娘を手放すようなバカおとこばかりではないと願いたいね」
「……」

 バカおとこというレッテルを貼られ、シュナイダーはむすっと顔をしかめる。確かに気付いてはいたが、今はもう関係のない話だ。
 一方の国王は、シュナイダーの表情を見て大きなため息をついた。

「シュナイダー。七年もの間、なぜローニャと円満に過ごせたのか、わからないのかい? 互いに異性が付け入る隙を与えなかったからだ。男女が交際する時には、相手を不安にさせない気遣いが必要なんだ」

 国王は、シュナイダーをさとすようにじっくりと語りかける。

「ローニャがお前以外の異性といる姿を見て、嫉妬しっとや不快な感情を抱いたことはあるかい? ないだろう? 彼女はガードが固かった。だから他の男達はまともなアプローチもできず、片想いするしかなかった。シュナイダー、ローニャはただお前だけを想っていたんだぞ」

 シュナイダーは国王の言葉を聞き、それこそが元凶なのだと口を挟もうとした。しかし、それより早く国王が口を開く。

「それなのに、お前ときたら――元凶はシュナイダー、お前だ」

 面食らうシュナイダーに、国王はさらにたたみかけた。

「自分が望んだ結婚が現実になろうとしていた時に、他の令嬢と親しくなった。それが原因じゃないか。なのに彼女ばかりを責め立てて、学園から追い出した。こうなった以上、彼女は家族から見放されてしまう。誰よりもそれを理解していたはずなのに、残酷すぎる仕打ちだと思わないのか?」

 鋭い眼差まなざしを向け、突き刺すような口調で言う国王。
 シュナイダーはただ、その言葉を浴びるしかない。

「幼い頃からただ一人の相手を決めるというのは、必ずしも良い結果になるとは限らんな。お前より優秀な男に見つけてもらったほうが、彼女も幸せだろう。だが……」

 一瞬、国王の視線がシュナイダーから外れる。しかし、その目はまたすぐ甥に向けられた。

「その前に、お前は謝罪をするんだ。誠意を持ってロナード氏のもとに通い、ローニャの居場所を教えてもらえ。いいか、誠意を示すんだ。わかったな? シュナイダー」
「はい……」

 しぶしぶとシュナイダーは頷く。
 とそこで、玉座の間の扉が叩かれた。国王が入室を許可すると、一人の少年が現れる。

「失礼いたします、父上。アラジン国の国王陛下ご一行が到着されました」

 彼は、国王の息子である。まだ十三歳の少年だが、すっと背筋を伸ばした立ち姿は、堂々としていて幼さを感じさせない。
 少年はシュナイダーと目を合わせるなり、非難の表情を浮かべた。

「アラジンの国王も、お前達の結婚を楽しみにしていたというのに……」

 玉座から立ち上がった国王は、そう言い捨ててシュナイダーの横を通り過ぎる。そしてふと思い立ったように、振り返った。

「その新しい恋人と、いつ結婚するんだい?」
「婚約を解消したばかりの身です。ゆっくり関係を進めようと話し合いました」
「ふぅん、そうかい」

 国王はさほど興味もなさそうにそう言って、広間をあとにする。
 しばらくその場に立ち尽くしていたシュナイダーだが、やがて王城の近衛から退室をうながされる。玉座の間を出た彼は、乱暴な足取りで廊下を突き進んだ。
 ――近しい者ほど、シュナイダーを責める。納得がいかない。

「なんなんだっ……! 皆して、ローニャの味方をしてっ……悪者はローニャのはずなのにっ、くそっ!」

 学園では、すべてローニャが悪いのだと多くの生徒達が認めている。それなのに、なぜ近しい者ほどそれを信じてくれないのか。
 胸元をぎゅっと握り、乱れる心をなんとかしずめようとする。
 すべてはローニャが悪い。そう、彼女が諸悪の根源なのだ。
 しかし、脳裏に浮かぶのは、ローニャの最後の言葉。
 ――……幸せになってください。
 微笑みながら告げられた言葉に、シュナイダーの心はひどく乱された。
 荒々しい足取りで王城をあとにしたシュナイダーは、そのまま学園の自室へ向かった。そして苛立いらだちをぶつけるように、自分の部屋の扉を勢いよく押し開けると、そこにはヘンゼルに加えて、予想外の者の姿があった。
 王城からの使者がシュナイダーを訪ねてきた時、この部屋にはヘンゼルが来ていた。そこでヘンゼルに留守番を頼み、シュナイダーは王城へ向かったのだ。
 ヘンゼルはこちらに背を向ける形で立っており、シュナイダーを振り返ろうともしない。そして彼のそばに置かれたチェアには、純白の翼を床に垂らし、腰かけている者がいた。

幻獣げんじゅうラクレイン……ああ、手紙を届けに来たのか」

 なぜここにいるのか問おうとして、ヘンゼルが手紙を読んでいることに気が付いた。
 ラクレインは、ローニャと契約している幻獣だ。彼女の頼みを聞き、手紙を届けに来たのだろう。

「……幻獣ラクレイン、ローニャの居場所を知っているな?」

 はやる気持ちを抑えつつ尋ねると、ラクレインはぐったりした様子で答えた。

「少し待て。レクシーに追い回された。羽を休ませてもらうぞ」

 その名を聞いて、シュナイダーは顔をしかめる。
 現王妃の姪にあたるレクシーは、ローニャの友人の一人である。しかし、シュナイダーはレクシーが苦手だった。
 彼女は今、他国に滞在している。おそらくラクレインは、幻獣の力で彼女のもとにも手紙を届けてきたのだろう。
 気を取り直してラクレインに目を向けると、その肩に妖精ロトの姿を見つけた。二人のロトは、ラクレインの肩を揉もうとしているようで、可愛らしく奮闘していた。

「やぁ、妖精諸君。ローニャの居場所を教えてくれないだろうか?」

 シュナイダーとヘンゼルは、かつてローニャからロト達を紹介され、長い時間をかけて彼らと仲良くなった。人見知りでも心優しい妖精ならば、素直に教えてくれるはず。
 しかし、きょとんとした表情でシュナイダーを見上げたロト達は、「んーっ」とプルプル震えた。そして「めっ!」と小さな手を交差する。これは、拒否のサインだ。
 目を丸くするシュナイダーに向かって、ロト達は再び「んーっ!」とりきみ、「めっ!」と甲高かんだかい声を上げて交差した手を突き付ける。……断固拒否だ。

「あー……じゃあ、お菓子をあげよう」

 甘いものが好きだったことを思い出し、シュナイダーは粘った。
 だがロト達は買収されるものかと言わんばかりに、両手をパタパタと振り回して「めっ!!」と声を張り上げる。怒り心頭の様子だ。
 シュナイダーは、笑みを引きつらせた。妖精にまで、悪者だと思われているらしい。

「無駄だぞ。貴様に手を貸す気は毛頭ない」

 ラクレインはにやりと笑みを浮かべて、言葉を続ける。

「自分宛ての手紙がないことで、察しがつくだろ。ローニャは貴様と縁を切った。いな、貴様が切ったんだ。それなのにローニャを探しているとは、身勝手にもほどがある」

 シュナイダーは眉間みけんしわを寄せた。ラクレインにはもともと好かれていなかったが、より嫌われたようだ。
 とその時、手紙を読み終えたヘンゼルが、ラクレインに目を向けた。

「オレからもお願いします、幻獣ラクレイン。ローニャ嬢の居場所を教えてくださいっ!」
「ヘンゼル、お前は悪い人間ではないが、ローニャの友である前に、こやつの友だ。教えん」
「シュナイダーには言わないからっ!」

 ラクレインはぺしっと翼を振り、食い下がるヘンゼルを拒んだ。

「おい、ヘンゼル」

 シュナイダーはヘンゼルの肩を掴んで尋ねる。

「手紙に書いてなかったのか?」
「書いてない……ただ、無事で、元気にやっていると……。オレ達に気を遣っている手紙だ! 心配かけまいとして、本当は助けを求めてるんじゃないか!? 心細い思いをしてるんじゃないか!? 夜、泣いてるんじゃないか!?」

 取り乱したヘンゼルは、涙目でシュナイダーの胸ぐらを掴む。

「オレに掴みかかるなっ!」
「安心しろ。手紙通り、元気だ。次の連絡を大人しく待て」

 ラクレインは淡々と告げると、腰を上げた。ロト達はラクレインの首元にしがみつく。
 シュナイダーとヘンゼルはラクレインを引き止めようとしたが、強い風が吹き荒れ、無数の羽根が舞い上がった。

「警告しておくぞ」

 ラクレインは窓枠に足をかけ、シュナイダーに目を向ける。

「貴様とあの冷血な兄が、ローニャをまた傷付けたなら――――八つ裂きにしてくれる」

 部屋中を舞う羽根が視界をさえぎる中、幻獣は鋭利なきばき出しにしてそう告げた。
 やがて幻獣は窓の外へ飛び去り、吸い込まれるように羽根が彼のあとを付いていく。すべての羽根が窓の外に出ると、窓は静かに閉まった。
 ぽかんとしていたシュナイダーだが、次第に怒りの感情が湧いてきた。

「……彼と一緒にされるなんて……」

 ローニャの冷血な兄と同等と見なされたことに、屈辱を感じた。

「シュナイダー!!」
「うおっ!?」

 ヘンゼルが泣き付いてきたため、シュナイダーは必死に彼をあやす。
 その後、二人一緒にロナードのもとを改めて訪ねたが、丁寧に門前払いされ、ローニャの居場所を知ることはできなかった。


 ――それからも、シュナイダーはローニャの居場所を探し続けた。しかし、彼女は一向に見つからない。
 一方のローニャは、その頃、本当の意味での気持ちの整理を終えていた。心の底からシュナイダーに別れを告げ、前に進もうと決意したのだ。
 しかし、そんなことなど知るよしもないシュナイダーは、このところ、ローニャのことばかり考えていた。彼女を探していると、かつての記憶がよみがえってくる。
 その日も、シュナイダーは幼い頃の約束を思い出していた。
 遠い目をしていると、一緒に過ごしていたミサノがどうしたのかと問いかけてくる。シュナイダーは思わず、ローニャとの思い出を口にしてしまった。
 狩りに連れていった際、狩った動物の肉で料理をしたいから、さばき方を教えてほしいと頼まれたこと。使用人とのある出来事がきっかけで、ローニャみずからコーヒーをれるようになったこと。加えてお菓子作りもするようになったこと。
 そして近い将来、家族となり、彼女を守ると約束したこと。
 ほとんどのろけだった。懐かしみながら、愛おしさと同時に悲しみの感情が湧いてくる。
 やがて話し終えた時、ミサノがうつむいていることに気が付いた。

「あ、すまない、ミサノ……」
「……いいの。シュナイダーと彼女の時間は消せませんわ。けれど、負けません」

 謝るシュナイダーに、ミサノは顔を上げて勝ち気な笑みを見せた。

「シュナイダーに甘えきって依存していた彼女より、私は深くあなたを愛せます」

 自信に満ちた様子で胸を張るミサノに、シュナイダーは力なく笑みを返す。

「……依存か。ローニャを守ることがオレの使命だと思っていたんだが……まさか、彼女が嫉妬しっとで他人を傷付けるなんて。本当にすまなかった」

 嫉妬しっとの末に、ミサノを攻撃したというローニャ。
 シュナイダーは心からの謝罪を伝えるべく、ミサノの手を握った。
 ミサノもシュナイダーの手を握り返し、まぶしそうな表情で彼を見つめる。

「悪いのは、甘えすぎていたローニャ嬢よ。あなたに甘えて、あなたのことを縛り付けていた」
「別に縛られていたわけではない……単純に、彼女にとってオレだけが支えだったんだ」
「それこそが甘えだわ。同情を引いて、あなたを縛り付けていたのよ」
「……君は手厳しいな」

 シュナイダーは、ローニャの家族が冷血であることをミサノに伝えたかったが、仮に理解してもらったところでさほど意味はないと考え直し、諦めた。

「しかし、君は自立していて美しい」

 シュナイダーが笑いかけると、ミサノは胸を張って誇らしげに微笑んだ。

「当然ですわ」

 とその時、扉が勢いよく開いて一人の令嬢が現れた。
 彼女の名は、レクシー・ベケット。現王妃の実家であるベケット伯爵家の令嬢で、王妃の姪にあたる少女だ。
 つややかな白金の髪は、毛先を軽くカールさせてツインテールにしている。同年代の少女より小柄で可憐な容姿だが、切り揃えられた前髪の下にあるのは、意志の強そうな、やや吊り上がった目。今、その瞳には怒りが宿り、シュナイダーを鋭く見据えていた。

「レクシー!? もう帰国したのか? 聞いていなかったが……」

 驚くシュナイダーに言葉を返すこともなく、レクシーはヒールの高い靴をカツカツと鳴らして近付いてくる。

「ま、待って! レクシー嬢」

 その時、青ざめた顔のヘンゼルが部屋に飛び込んできたが、間に合わなかった。
 パンッッッッ!!
 レクシーの振り上げたてのひらがシュナイダーの頬を叩き、鋭い音が響いた。その平手打ちは強烈で、シュナイダーはよろけてしまう。

「このッ……バカおとこ!!」

 続いて、レクシーは罵声ばせいを浴びせた。

「婚約破棄だけでもひどい仕打ちなのに、公衆の面前でさらし者にするなんて……なんてことをしたのよ! このバカおとこ!! あの子がどれだけあなたのために耐えてきたと思っているの!? 知らないとは言わせないわよ! あの最低な冷血一家から逃がすためなら、なんだってしてあげたのに…… あの子は、あなたのためにあの家に留まっていたのよ! あなたのために耐えたのよ! あなたの妻になるために努力してきたのよ! あなただけを愛していたのよ! あなたが守るって約束したから、あの子は貴族の生活を続けていたの! それなのに……」

 レクシーの水色の瞳に、涙が浮かぶ。けれど目に力を込めて泣くのをこらえたレクシーは、再び手を振り上げた。

「この大バカおとこおぉぉ!!」
「レクシー嬢!」

 しかし、今度はヘンゼルがその手を掴み、平手打ちは阻止された。
 そして次の瞬間、レクシーの前にミサノが立ちはだかる。シュナイダーに手出しはさせないと言わんばかりに、険しい表情を浮かべている。
 レクシーはミサノをにらみながら、シュナイダーをののしった。

「こんな女にそそのかされて、公衆の面前で婚約破棄をするなんて本当にバカな男っ!」
「ローニャ嬢が先にしかけたこと、当然の報いですわ」

 シュナイダーにかわって口を開いたミサノに、レクシーは眉を吊り上げる。

「ローニャがしかけた? 嘘言わないで。ローニャから誰かに攻撃するなんてありえないわ!」
「ならば、あなたも猫被りのローニャ嬢にだまされていたのね」
だましているのは、そっちでしょう。ローニャを目のかたきにして、彼女の婚約者に言い寄るなんて、見境なしのふしだらよ! このドロボウ猫!!」
「なんですって!? 私とシュナイダーは惹かれ合ったのよ! たぶらかしたように言われる筋合いはないわ!」
「どんなに正当化しても、誘惑して奪い取ったことには変わりないじゃない! ローニャを悪者にして、自分達が正しいと思い込んで、のぼせているだけよ! 目を覚ましなさいゲスおとこ!」

 最後はシュナイダーに向かってみ付くレクシー。するとミサノもまた眉を吊り上げて叫んだ。

「シュナイダーをそれ以上ののしるなら、許さないわよ!」
「かかってきなさいよ! ローニャは仕返しなんてしないだろうから、わたくしが相手よ! 決闘なさい!!」

 レクシーとミサノは、バチバチと火花を散らす。今にも魔法を発動させて暴れ出してしまいそうな雰囲気だ。そんな二人を、ヘンゼルとシュナイダーが慌てて止める。

「離しなさい、ヘンゼル! あの子を傷付けた報いを受けさせてやるわ!」
「レクシー嬢! そんなことはあとにしてくれ! それよりも、ローニャ嬢を一緒に探そう! オレはロナード氏と面識がなかったせいか、いくら居場所を尋ねても教えてもらえないんだ。シュナイダーも、真剣に取り組んでくれないし……」

 ヘンゼルはシュナイダーにちらりと目を向ける。そして「ミサノ嬢とのデートの片手間に探すような真似はせず、誠意を持ってロナード氏のもとを訪ねれば、居場所を教えてもらえたかもしれないのに」と呟いた。

「でも、レクシー嬢なら教えてもらえると思うんだ。頼む、一緒に来てくれ。ローニャ嬢の無事をこの目で確認したいだろう?」

 ヘンゼルの必死の説得に、レクシーは暴れるのをやめた。

「……あの子に何かあったら、ただじゃ済まさないんだから」

 ギッと涙目でミサノをにらみ付けると、レクシーはきびすを返し部屋を出ていく。ヘンゼルも、彼女のあとに続いた。

「……すまない、ミサノ。レクシーは、昔から癇癪かんしゃくを起こすと手が付けられなくて……」
「シュナイダーが謝ることではないわ」
「もう一つ、すまない。オレも行かないと」
「え……なぜ?」
「ローニャを見つけないといけない。ヘンゼルと約束したんだ。それに……ローニャとの約束を破ったことも事実だ。だから、もう一度会わないと」

 シュナイダーは、ミサノを見つめて許可を待つ。彼女はほんの少し渋ったが、やがて首を縦に振った。それを見て、シュナイダーは安堵の息を吐く。

「この埋め合わせは必ずする。学園まで送れなくて申し訳ない」
「魔法で帰れるわ。行って」

 笑みを浮かべてシュナイダーを見送ったあと、ミサノは一人残された部屋で顔を曇らせる。

「……なぜ、またあの子に敗北したように感じるのよ……」

 胸を押さえながら小さく呟き、何かを考え込むミサノ。彼女はやがて、音もなく姿を消し、部屋をあとにしたのだった。
 ――一方、シュナイダー達は同じ馬車に乗り込み、ロナードのもとへ向かっていた。当然、空気はギスギスしている。

「いい加減にしてくれ、レクシー! オレを見くびるな! 嘘をつかれれば、それくらい見抜ける! ミサノは嘘をついていない!」
「だったら、あのミサノ嬢がはなはだしい勘違いをしているのよ!」

 向かい合って座るシュナイダーとレクシーだが、二人の口論は止まらない。
 レクシーの左右に座る護衛は涼しい顔をして、眉一つ動かさない。だが、シュナイダーの隣に座るヘンゼルは、居心地悪く二人の様子を眺めていた。

「婚約までしておきながら、他の女に付け入る隙を与えるなんて、何を考えているの。まったく信じられないわ」
「なぜオレが悪いように言うんだ! ローニャがオレを失望させたから、気持ちがなくなったんだ!」
「それこそ勘違いよ! こんな目にわされて、ローニャのほうは絶望したに決まってる! 自分を目のかたきにしている女と、生涯連れ添うはずだった男がくっつくなんて……どんなに……傷付いたか……」

 ローニャの痛みを想像し、レクシーは身体を震わせた。そして涙をこらえつつ、足を振り上げてシュナイダーに狙いを定める。
 ギョッとしたシュナイダーだが、護衛二人がレクシーの膝を押さえ付けて止めた。

「離しなさい! 一発蹴り飛ばしてやらないと、気が済まないわ! この男は、ローニャを公開処刑したのよ! そもそも、どうしてあんな真似をしたの!?」
「それは……」
「あの女にそそのかされたのでしょう!? ローニャが邪魔だから、排除しようとしたのよ! 別れを切り出すにしても、穏便に話し合いをするとか……他にも方法が……」

 そこで、レクシーは口ごもる。そして何かを考え込み、小さな声で呟いた。

「……ローニャは、あなた達のために身を引いた?」


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