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一章・甘々な春休みは、最強冒険者と。
32 龍に睨まれた蛇。
しおりを挟むさっきまで、噛み付くような応酬をしていたはず。
ギルド側が新人冒険者を『ダンジョン』に連れて行くのは、おかしい、常識はないのか、と反対姿勢で、攻撃的だったはず。
なのに――――。
この数秒の間に、何があったの?
ルクトさんは、心境が急に変わりやすい人だったの?
昨日の熱い眼差しがいきなり注がれた心境の変化も気になるけれども。
今はどうして、心境が急変したの?
ヴァンデスさんも、マダティンさんも、目を点にして呆然としている。
ルクトさん以外、わけわからない様子。
本当に。何が起きた。
「えっと…………何故、急に?」
「いい機会だし、行こう。経験の浅さはあれど、慎重に進めばいいし、『ダンジョン』調査なんて、新人の時点で行けるもんじゃない。早くも経験するのもいいと、考えを変えた」
「そ、そうですか…………ごめんなさい、やはり理解が追い付きません。何故?」
「『ダンジョン』へ、冒険しに行こう!」
「押し負かそうとしないでください」
説明を求める。
ルクトさんがもうワクワクを滲み出し、目をキラキラに輝かせているようにしか見えないので、私を連れて行きたくなったことだけはわかった。
だがらこその説明を求める。そこのところ、詳しく。
「お、おい、ルクト」
「別に今日行ってこいの依頼じゃないですよね? 調査報告を急いでいても、七日ぐらいは猶予をもらえるはず。数日以内に出発して、三日くらいには帰る予定で行きますよ」
呼びかけるヴァンデスさんに、ルクトさんはマダティンさんに冷たく尋ねてから、予定を笑顔で告げた。
「あっ。いい? 解決した次の日に行こう?」
「え? えーと……んー」
私への確認。
つまり、明後日の決着後の翌日に出発?
予定は、約三日?
まぁ、目的地到着までの移動時間が、一日ならば、調査も合わせて、大きく見積もっても三日か。『ハナヤヤ街』から『黒曜山』を越えて行き、帰りは【ワープ玉】で一瞬だ。
「いや、流石に三日空けるとなると……う、うーん」
「野営経験、今のうち」
「う、うーん」
今の隙に野営経験をするチャンス?
確かに、まだ両親が帰らないから、無断外泊のチャンスである。それに、ネテイトが戻るので、侯爵邸は任せられるだろう。
でも、無断外泊なんて、冒険者活動の許可を得る前だと、反対の発火原料になりかねない。説得が難しくなるような……。
「解決したご褒美に、いい冒険をしよう?」
「ご褒美……冒険……!」
「やめろ、ルクト。誘惑するな。冷静な判断をさせてやるんだ」
冤罪の返り討ちや婚約解消成立による溜まりに溜まったストレス発散のご褒美冒険……!?
「昨日だって楽しいって言って喜んでくれたじゃん。もっと楽しい冒険に連れてってやるよ。相棒」
キラキラと輝く笑顔のイケメンが、心惹かれる言葉をかける。
甘美な響き。
楽しい、冒険……相棒……!
なんか嘆きの声がルクトさんの名前を呼んだ気がするけど、私はコクコクと頷いてしまった。
ハッ! 無断外泊でお叱りを受ける!
そ、それは甘んじて受けて……冒険者活動は有意義だと説得しよう。『ダンジョン』調査に貢献したと、一番はやはり、冒険楽しいから、傷心を癒すためにしばらく続けたいと説得する方向で……!
そうなると、悪手ではあるが、この『うつろい琥珀石』によるアクセサリーを利用すれば、いくらかは母の気を引ける。
この蛇男爵に、あえて乗っかってしまうか。
侯爵令嬢の冒険者活動を公表することを早めることになるだろうが、遅かれ早かれ。タイミングだけは、見定めないといけないけれど……。
いつの間にか、ヴァンデスさんが持っていたはずの依頼内容が記された紙は私の手にあり、熟読していた。
「あ……えっと」
まだ、目を点にしたまま、ポッカーンとしていたマダティンさんが、気を取り直すために、背広を整える。
「依頼はルクトさんが引き受け、リガッティー嬢は、同行する形で決定ですね?」
ルクトさんは、もう正式に返事をしたのだろうか。考えに夢中で、聞きそびれたかもしれない。
けれど、ルクトさんは、私を見ていて、マダティンさんに返事することを待っている。
私からも、ちゃんと返事をしないといけない。
この指名依頼の真の狙いは、私だもの。
「はい。新人指導を担当するルクトさんへ、ついて行きますわ。ギルド側も黙認してくださるので、異例ではあるでしょうが、新人冒険者として『ダンジョン』に入らせていただきます」
にこやかに、私は答える。
まぁ、『ダンジョン』は、厳しく出入りを取り締まってはいないので、一般人も入れることは入れてしまう。自分で出られるかは、別の話になるが。
「――失礼ですが、サブマスター」
マダティンさんが、嬉々として口を開こうとする前に、私は呼ぶ。
「きっと混同されているとは思います。それは無理もないと理解は出来ますわ。ですけれど、どうか、気を付けてくださいませ」
右頬に右手を添えて、小首を傾げて、ふわりと柔らかく微笑む。
「リガッティー嬢……侯爵令嬢としての私を呼びたかったのでしょうが、おやめください。私は、名前で呼ぶことを許可しておりませんわよ」
細めた瞳で、冷たく見据えた。
彼は簡単に笑みを強張らせる。
「貴族の社交界のマナーですわ。もちろん、ご存知ですよね?」
貴族の女性の名前は、許可なく呼んではいけない。
本人が黙って許すならともかく、こうして指摘されたのなら、やめるべきだ。それが貴族間のマナー。
「……申し訳ございません、つい、混同を」
「ええ。ややこしいですわよね。ギルドマスターにも、冒険者対応や令嬢対応とコロコロと変えてもらっていますわ」
ヴァンデスさんは、別に呼び方を変えなくていいですよー、とニコッと笑みを向けておく。
目を瞬いてヴァンデスさんは、私とマダティンさんのやり取りを見守るべきだと察したようで、口を挟まない。
「は、ははっ……今後は気を付けます。ファ」
「はい、どうか気を付けてくださいませ。サブマスター」
ファマス侯爵令嬢と呼ぶ前に、遮る。
「冒険者登録の際に、個人情報漏洩について、しっかりと聞きましたわ。こんな身分ですもの。不安でしたわ。サブマスターも、冒険者の個人情報を閲覧が出来る立場だそうですね。だから、話を持ちかけくださったのですよね、この依頼」
スッと、依頼書の『うつろい琥珀石』の採取の文字を、左手の人差し指でなぞる。
「ええ、それはもちろん」
「冒険者ギルドは、冒険者の自由を守る使命をお持ちです。仕事の斡旋はしますが、一番は冒険者の自由を守る。これ、常識ですよね」
「えっ……?」
やっと商談に入れると思っただろうけど、また私は遮った。
「信頼していますわ。冒険者ギルドのサブマスターから、個人情報の漏洩がないことを。まぁ、心配なんて必要ありませんよね? お忍びによる冒険者活動をしているのですから、常識的に考えれば、他言無用だと理解しますもの。不躾な貴族じゃあるまいし、ちゃんと相手は自由を守るべき冒険者の一人だと承知のはず」
冒険者リガッティーの個人情報を漏洩するな。
常識的に考えて、お忍びを指摘するなんて、不躾だ。
サブマスターは、冒険者の自由を重点的に考えて守れ。
顔を強張らせる蛇男爵に、畳み掛ける。
「マッキャン男爵――あら、嫌だわ。私が間違えてしまいました、お恥ずかしい。こういう間違いは、くれぐれも気を付けてくださいませ」
男爵。そう、あなたは、男爵。
様付けを忘れても、あなたは恐れ多くて、指摘も出来ない。
私は笑うが、あなたに謝罪はせず、あなたには注意をする。
間違っても、私をファマス侯爵令嬢と呼ぶなど、許さない。
私の素性を明かすようなら、なおさらだ。
あなたの目の前にいるのは、格上の侯爵家のご令嬢だ。
「ね? サブマスター」
柔らかい微笑を浮かべていても、細めた目で冷たく射抜く。
格上の貴族の人間として、威圧する。
侯爵令嬢が冒険者をやっていると情報漏洩するのならば、ファマス侯爵家が黙っていない。
サブマスターの地位など、情報漏洩の規則違反を重点的に責めて追いやり、さらには自称弱小貴族の身分だって剥奪してやる。
――――その力があることを。
「ゆめゆめお忘れなきよう――――」
そして、今後は、言動を改めるべきよ。
私の格上貴族としての脅迫を正しく受け取ってくれたマダティンさんは、顔色を悪くして固まっている。コクリ、と小さく喉を震わせた。
「……あら?」
私は反対側に小首を傾げる。
「まだ何かありますか?」
用がないなら、失せろ。
にっこり、笑顔。
「は、はは、はっ……。で、では、窓口で、指名依頼として、ルクトさんが引き受けてから、『ダンジョン』への依頼遂行を、よろしくお願いいたします。失礼します」
なんとか笑みを作り直すが、引きつり気味で、丁寧に頭を下げたが、尻尾を巻いて逃げた。
パタン、と扉が閉まる。
「嫌ですね。やはり、傷心のご乱心が動機で、やり込められる小娘だと思ったのでしょうか。失礼な方ですね」
乱心による動機で冒険者をやり始めるくらい、心がよろしくないが、教育の賜物で、戦闘能力は高く、実力がある。
そんな価値を持て余した小娘を利用して、利益のおこぼれに与ろうとしたか。
欲張って、高位貴族に絡もうとするなど、無謀だ。
相手は高位貴族の家に生まれた箱入り愛娘ではない。
将来、人の上に立つ王妃になるために育った令嬢だ。
自己防衛と淑女の笑みだけを備えているとでも思ったのか。
まったく。絡まれてばかりである。やれやれ。
「大丈夫ですか? ヴァンデスさん?」
お腹を押さえてぷるぷると震えている大きなクマさんが、ソファーにかろうじてしがみ付いて蹲っている。
違った。クマさんではなく、ギルドマスターだ。
笑いたいなら笑えばいいのに。
いや、今だとヴァンデスさんの豪快な笑い声が、ギルド会館の二階に響き渡りかねないか。
サブマスターと溝を深めては、厄介なだけ。
「ホント……惚れ惚れする、かっこいいご令嬢」
ルクトさんもルクトさんで、いい気味だと大笑いしたかったのか、お腹を押さえて耐えていた。
けど、肘掛けに頬杖をつくと、楽しげな笑みで、眩しそうに目を細めて、そう称賛を送る。
堪えた笑い声の代わりなのか、はぁ~っと感嘆の息を深く吐いた。
「最高、流石すぎる」
「お褒めの言葉、素直に受け取っておきます」
「いやホント。凛とした美しさながらも、花みたいに可愛らしく微笑んで話すのに、アメジスト色の瞳が奥底で睨みつけてるみたいに強く見据えてて……そこから潰されそうな威圧を感じただろうに。蛇みたいな奴が、龍に睨まれた感じ?」
「そう見えましたか……。私なんて、本当に可愛らしい対応でしたよ。現王妃様なら、華あるものにしましょう、と持ち掛ける前には、踏み潰して粉々にしています」
「つおぉい」
私と王妃様が話している姿を見れば、蝶よ花よと育てられた箱入り令嬢じゃないとわかっただろうに。
弱小貴族というだけあって、王室パーティーにも参加出来なかったのだろうか。下位の貴族には、格式が高いパーティーだから、引き腰にもなるのはわかる。
でも欲深いあの蛇男爵なら、気後れすることなく、美味しい話に食らいつこうと、スルスルと会場を移動していそう。
「お前って、そんな褒め言葉を並べて、異性に言える奴だったんだな」とヴァンデスさんが意外過ぎるあまり、口をあんぐり開けた顔を、ルクトさんに向けるから「うっさいですよ」とツンケンした声を返された。
「やはり、蛇のような男性という印象を持ちましたか」
蛇と龍、か。力の差は、歴然。
蛇に睨まれたカエルも、蛇に一飲みされるだろうけど、龍に睨まれた蛇の方は、難なく龍の喉をするーっと滑り落ちて、胃に収まるだろう。
「見た目というか、見てくる感じが蛇? 貪欲さが滲み出てるよな」
「悪い奴ではないんだ。……欲深いだけで」
「欲深さは身を滅ぼしますけど……今さっきのように」
ルクトさんだけではなく、ヴァンデスさんも蛇男爵だと思っているようで、苦い顔で庇うことを言い出す。
今までも欲深さを出して、利益を得ようと話を持ち掛けていたのだろう。それでかろうじて家名だけは、商業関連の噂で、私の耳に届いたわけだ。
「コソコソと這いずる蛇なんて、子どもに振り回されてしまって飛んで行っちゃうのに」
「子ども? 何かのことわざ?」
「ああ、いえ。昔のことを思い出しまして」
つい、言ってしまっただけの言葉だ。
「ネテイトが――私の義弟の名前なんですけど、9歳で我が家に養子で来たばかりの頃に、慣れさせてあげようと敷地内を案内してあげていたら。――変なロープがあった。と言って、花壇の煉瓦からはみ出るように落ちていたソレを掴んでしまったのです」
「蛇か。蛇の尻尾」
「はい。蛇でした。しかし、何かの遊びの癖なのか……あの子、掴み上げるなり、ブンブン振り回してしまったのです」
「振り回した? 掴み上げるなり?」
「はい。しかも、頭の上で、ブンブン、と」
想像するだけで面白いと、ルクトさんが噴き出しそうになるのだけど、グッと堪えている。
幼い男の子が、蛇と知らずに、掴み上げるなり、頭の上でブンブンと振り回す光景。
「何故そうしたかは聞きそびれましたが。――それは蛇よ。と私が言えば。ぎやあ、と悲鳴を上げて手放してしまい……振り回された蛇は、宙に放り出されて、どこかに飛んで行ってしまいました」
「ブフッ!」
「そういうわけで、まぁ……先程の言葉がつい、出てしまいました」
「アハハ!」
ルクトさん、噴き出したので、負け。
そんな出来事があったので、そこから生まれたことわざまがいなもの。
「その蛇は悪さしていないでしょうに」
ヴァンデスさんは、苦笑しながらも、ソファーに腰を下ろす。
応接室のソファーは標準サイズなので、かなり小さく見えた。なんか壊れる心配をした方がいいとさえ思えてしまう。
「それが……ネテイトが握っていた尻尾部分が、固く見えたのですよ」
「えっ」「へっ?」
「掴んだ本人にも触感を尋ねれば、固かったと。それで蛇だと気付かず、振り回したのでしょう」
笑っていいエピソードではないと、笑いが止んだ。
鱗に覆われたにょろっとした生き物の感触ではなく、無機物のような固い感触だったから、ロープと思い続けて振り回してしまった。
その部分は、とある毒蛇が、自分が毒持ちだということを、親切に警告音を鳴らしてやる楽器代わりの尻尾。小刻みに震わせるだけで、ガラガラと鳴るもの。
今思い返せば、多分、前世とはそっくりそのままではないはずだけれど、ガラガラヘビのような毒蛇。
「そ、その後……蛇は?」
「騎士団だけではなく、使用人も総出で敷地内を捜索しました。私とネテイトは、それまで家を出てはならないと閉じ込められましたが……結局、何日も隅々まで探したのに、見つかりませんでしたね」
ケロッと、私は言い退ける。
「いやっ、それっ! 怖いッ……!!」
今更叫んでも、過ぎ去った昔の話。それでも怖いと声を上げずにはいられなかったヴァンデスさん。
その特徴を持った毒蛇は……強力すぎる猛毒持ち。
身体が麻痺するように動かなくなると同時に、激痛が走る神経毒。
子どもなんて、コロッと死ぬだろう。
しばらくの間、ネテイトはロープ状のものには近付かなくなった。
王都で何故か度々出現する毒蛇だと恐れられているので、住人はちゃんと特徴を知っている。
夜道でガラガラ音を聞いたら、即、治安部隊を呼ぶくらいには、警戒している毒蛇だ。
「リガッティーの家は、面白いけど笑っちゃいけない話、多すぎない?」
「そうですか? とても失礼なことを言われている気がします。ルクトさんのご両親の遺書の話も、その類では?」
「え。失礼」
「えぇー……」
心外って顔された。こっちも、その顔を返したい。
結局、失礼なことを言っているのか。
「リガッティーは、毒蛇かもしれないと気付いていながら、冷静に”それは蛇よ”って言った?」
「はい。なんで蛇をいきなり振り回すのかしら、と思いながら。毒蛇の特徴だと気付いた時には、空を舞っていました」
「ブッ……ククッ……!」
「笑い事じゃない。笑い事じゃないぞ、ルクト」
「いや、絶対っ……幼いリガッティーはっ……ッ最高!」
義弟が蛇を振り回す横で、冷静に掴んだのは蛇だと教える、落ち着き払ったドレス姿のまだ幼い女の子。
ええ、特に動転もしなかったわ。冷静だった。
……失礼な想像してない? せめて、可愛い女の子の姿を思い浮かべてほしいわ。
「あの程度の毒なら、支障はありませんが……やはり、情報漏洩の方が心配です。まだ、問題にはなっていないようですが、これからはどうなのですか?」
毒とも言えない気がするけれど、蛇男爵に話を戻す。
昨日話した隣の王太子に、喜んでルクトさんの情報を売り渡しそうだ。
「サブマスターまで這い上がってきたのですから、そう露見する罪をしませんよ。これ以上の地位は望めないと判断し、ギリギリな情報で、上手い話をまとめて、特別手数料のように上乗せした報酬を持って行ってますが……誰も損していませんし、許容の範疇なので、野放し状態です」
困り果てたような顔で肩を竦めて見せて、ヴァンデスさんはそう白状する。
コソコソと、上手く立ち回って、利益を得ている、か。流石、蛇。
「隣国の王子の捜索も、耳にしているでしょうが……ルクトに好かれてないと自覚しているし、相手が王族では手に余ると判断していたはずです」
「それなら、引き続きそうしていただきたいですねぇ。心配なので、釘でもさしますか」
「というと?」
「絡みつこうとした私も手に余る相手だと、理解してくれたでしょうから……そんな私もルクトさんの味方だと言っておきましょう。もちろん、噛みつこうものなら、ぐちゃぐちゃに踏み潰すと、親切に教えてあげないといけません」
甘い蜜を啜る獲物にするには、見誤った大物。
次は、踏み潰されかねない。
そう予め、注意しておく。
今回の『うつろい琥珀石』を餌にしてやるのも考えているし、上手く操るのも、いいだろう。
「私の名前を出して『うつろい琥珀石』の価値を上げようとしてましたが、まだ依頼主には私のことは話していないはずですよね?」
「ええ、そうでしょう。だったら、クビに出来ます」
「リガッティーを見誤ったとしても、許可を得る前には、流石に名前を出す下手はしないんじゃない?」
念のために確認するが、二人とも、マダティンさんがそんな下手は踏んでいないと同意見。
場所が場所だから、目玉商品の冒険者令嬢リガッティーを、何も『ダンジョン』の『うつろい琥珀石』で出さなくてもいい。他にも、価値を上げる依頼はあるはずだから、持ちかけるいいタイミングだとでも思って、今回呼び出したのだろう。
「サブマスターが担当しているようですが、ギルドマスターから口出しと見張りをお願いできますでしょうか? あと、少々『うつろい琥珀石』の宝石商に興味を持っているということを、ポロッと口にしておいてくれるとありがたいです」
「ん? ちゃんと目を離さないようにしますが……ポロッと言うのは何故ですか?」
「まだ甘い汁を吸えるチャンスがあると思わせるのです。私も私で、最悪な場合ではありますが、利用するかもしれないので、保険です」
考えあってのことで利用するのだと聞いて、ヴァンデスさんは自分の後頭部をさすりながらも、「わかりやした」と協力を承諾してくれた。
「最悪の場合の利用って?」
「両親への説得です。冒険者活動の利点ということで、立ち回り次第では振り翳すことになるかと。流石に、無断外泊で三日も留守となると……母が雷を落とします。使える手札を増やしておくに越したことはありません」
「あー……交渉するんだったな」
「そうです。もう……何故いきなり『ダンジョン』行きを決めたのですか?」
傷心というもっともらしい理由を盾にして、自由という名の冒険者活動の許可を得る交渉。
『ダンジョン』にも行けるという強さの証明は十分、あとは世間体に対する拒絶反応。侯爵令嬢リガッティーの冒険者活動を、公にするタイミングと方法は、要相談とした方がいい。
それは置いといて、決まってしまった『ダンジョン』行きの理由を尋ねる。
「リガッティーと行きたいと思ったからだけど?」
「あんなにも反抗的に拒絶していたのに?」
「サブマスが、リガッティーをどうこうしたいってだけでもイラッとしたから。でも、行った方がいいなと思って」
「そう考えを変えた要因が気になるんですよね」
「だから、楽しいからだって。リガッティーと冒険に行くこと」
ルクトさんは無垢な少年のような無邪気に笑いかけた。
はぐらかされているのは明白だけど、私と楽しい冒険、ということは本心で間違いない。
その詳細を知りたいが、なんだか、相手が喜ぶであろうプレゼントの箱を開ける様子を楽しんで待っている人に見えてきた。
つまりは、なんらかなサプライズがあるということだろう。
……ルクトさんには驚愕させられまくった身としては、身構えないわけにはいけないはずだけど。
どうにも、キラキラしたルビー色の瞳を見ていると、そんな類には思えない。
「ルクト……例の翌日に出発って、本気か? いや、そもそも、野営経験なんて……あります?」
ヴァンデスさんが呻きながらも、弱々しく私に尋ねた。
「領地に向かう道中で……魔導道具のテントでなら、片手で数えるほどだけ、経験がありますが」
「『ダンジョン』までは険しいので、恐らく貴族の方が使用する魔導道具のテントは使えません」
「そうなんですか……全く足を運んだことのない方向に馬車移動もせず、険しい道を行くのですか…………ワクワク感しかしませんね」
「くっ! 冒険者向けすぎる!! 正式に冒険者活動が許可されたら、盛大に祝わせてほしい……!」
本心を言えば、ヴァンデスさんは頭を抱えたのに、Sランク冒険者兼ギルドマスターとして新人冒険者を歓迎したいと言い出す。
冒険者向き。仲間意識。ジーン……。
「んー、じゃあ、揃えないとな、野営の必需品。リガッティーは、洞窟内の戦闘を気にしてたじゃん? 『ダンジョン』だとまさにそうなっちゃうから、この前のストーンワームの穴に入って、確認してみよ。『ダンジョン』もそれほど狭くて足場が悪いってわけじゃないけど、経験はしておきたいだろ?」
「ええ、そうですね。勝手が違うでしょう?」
「ストーンワームの穴には、灯りが必要だから、その魔導道具を買っておこう。でも『ダンジョン』だと、天井に穴が開いてて、わりと明るいんだぜ」
「天井に明かりが差し込む元鉱山ですか……?」
「そそ。あと、『ダンジョン』行きのために『黒曜山』を通っていく道を、偵察代わりに途中まで見せておく。険しいのレベルが伝わるから。だから、今日は経験して、明日は道具の準備と買い物にしよう。どう?」
顎を摘まむようにして短い間に考えたルクトさんは、そう予定を立てて、私に提案した。
ちゃんと指導らしい指導が出来ていると、ヴァンデスさんがしげしげと見ている。
ルクトさんの予定は、ヴァンデスさんとしても、文句はないようだ。
私はルクトさんのこの二日の予定に、乗ることにした。
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