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序章・婚約破棄イベントは断罪未遂。

01 断罪の最中に思い出した。

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 ストン。

 そんな軽い音が鳴るのが相応しいくらい、簡単にその情報は頭に入ってきた。

 情報――――前世の記憶。

 こんな膨大な情報を一気に受けたのに、不思議と衝撃がない。逆に衝撃がないことに、衝撃を受けて、少々固まってしまった。

 ほぼほぼ実力主義で、貴族であろうが平民であろうが、切磋琢磨していく王都が誇るミッシェルナル王都学園の進級祝いパーティーの最中。
 ハルヴェアル王国の第一王子であり、私の婚約者であるミカエル・ディエ・ハルヴェアル様が、声高々に婚約破棄を言い渡したため、注目を浴びた。
 見たことある光景ではあるけれど、それとは異なる。今目にしているのは、悪役令嬢である私視点だ。

 恋愛シミュレーションゲーム『聖なる乙女の学園恋愛は甘い』のクライマックスの断罪シーン。

 悪役のポジションである侯爵令嬢リガッティー・ファマスである私は、ミカエル殿下の隣に立つヒロインのポジションである子爵令嬢ジュリエット・エトセトに、あらゆる嫌がらせを行い、さらには魔法で危害を加えたという罪を明るみにし、婚約者に相応しくないと暗に周囲に訴えたのだ。

 つまりは、王家とファマス侯爵家と交わした婚約の破棄は、全面的に私に原因があるんだという主張をしているのである。

 意図的か、無意識か、それは定かではないけれど、最早大事になっているので、取り返しがつかない。

 もとより、ミカエル殿下は、オレ様キャラ枠の攻略対象。自分が正しいと我を貫く性分なところ、ヒロインも負けじと自分の我を貫こうとする姿が可愛く映って、コロッと心を奪われるのである。こうして、現実的に見ると、チョロすぎて、この国の未来がとんでもなく心配だ。
 オレ様な正義感により突き動かされた王子様。烈火のような赤い髪と瞳を持つ、色気もまとう長身美少年だ。

 その隣に立つのは、ハニーブロンドをストレートヘアに伸ばして、水色の瞳をした儚げと可愛さを持った美少女、ジュリエット。
 後ろにはなんと、他の攻略対象キャラが、控えていた。悪者に立ちはだかる正義の味方の如くな配置である。

 一人は、ツンデレショタキャラの我が義弟だった。
 私は王妃になる予定だったので、義弟は次期侯爵として引き取られて育てられたのである。ふわふわとした天然パーマはベージュで、小柄なことがコンプレックスの一学年下。仲はそこそこよかったと自負していたが、ミカエル殿下とジュリエットがなんだか親しくなってきてから、怪訝な顔で見始めてきて、不機嫌顔に変わっては、もう顔を合わせる度にイライラした様子だった。
 確かゲームシナリオでは、ツンデレショタキャラの我が義弟ネテイト・ファマスは、悪役令嬢の姉と不仲すぎて、少々擦れていたからこそ、ツンデレだったところを、ヒロインが根気強く接していくから、心を奪われた……はず。…………私とネテイトは、仲が悪かった覚えがないのだけど……? 最近は反抗期的な態度ではあったけれど、どうやってヒロインは味方につけたのやら……。
 ミカエル殿下の側近だから、そちら側にいて、さっき並べた私の罪を責め立てているのだろうか。
 ネテイトだけではない。

 ミカエル殿下の側近であり、護衛騎士を目指しているケーヴィン・デライトン伯爵子息。額をさらしあげて掻き上げた髪型は茶色で、瞳は深い青色。腰にはしっかりと許可を得て携えた剣がある。こちらもまた正義感を持って、私を睨みつけていた。
 この攻略対象キャラは、確か……爽やか陽キャラだけれど、実は騎士団長を務めている父親に力及ばず、死に物狂いで努力しているが、それは隠して軽く笑っていたところにヒロインが努力を見抜いて褒めたことで、コロッと心を奪われたのだったっけ。……誰だって人知れず努力しているでしょ、当たり前じゃないの? チョロい。

 さらに横にいるのは、クーデレな攻略対象キャラである現宰相の息子、ハールク・デリンジャー侯爵子息。勉強を必死に頑張るヒロインの面倒を見てやり、その最中に知らず知らずのうちに笑みになっていたことに気付かれて、赤面してしまって、やはり心を奪われる。元々、表情筋が死んでいるのかってほど、無表情だから、些細な表情変化に気付いてもらえて、嬉しくなるという……チョロい。

 そんな攻略対象キャラが、揃っているということは……え、何? 逆ハー狙い? 絶対にヒロインも転生者でしょ。
 百歩譲って、全攻略対象キャラの好感度をマックスにして、逆ハーレム状態にしたことは、よしとしよう。

 だが、しかし。今、挙げられた罪状は、全て濡れ衣である。

 ジュリエットと関わったのは、苦言を呈したくらいだったし、なんなら他の貴族令嬢である友人達を宥めた側だけど?
 今だって、ケーヴィンとハールクの婚約者である令嬢達が青ざめたり、怒りで真っ赤になっているところを、他の令嬢達が押さえ込んでいるところだけど?
 今にもこちらに駆け付けて対抗したいであろう友人達に、落ち着けと私も掌を見せて必死に抑え込んでいるところだけど?

 仮にも王族だ。そんな相手の前に立ちはだかるのは、賢明ではない。事態は、悪化するだけだから、どうか堪えてほしい。
 戸惑いいっぱいの教師陣と、呆れ果てた顔をしている学園長に、任せてほしいと目配せをしておく。

「ミカエル殿下のお気持ちはわかり」
「やめて!! 闇魔法を使わないで!!」
「……は?」

 婚約破棄の意思は伝わったと言いかけた時に、ジュリエットがミカエル殿下の前に飛び出して、身を挺するように両腕を広げた。
 私は思わず、低い声を零してしまう。
 闇魔法と聞いて、ミカエル殿下とその側近達が険しい顔になって、ビクリと身構えた。

   シーン……。

 当然、私は闇魔法を使うつもりがないので、何も起こることなく、パーティー会場は静まり返った。

「……なんの真似でしょうか? ジュリエット様」

 私はすっと目を細めて、冷えた声で尋ねる。

「だって、闇の気配がしたからっ」

 気まずそうな表情を一瞬見せたが、ジュリエットは怯えた被害者のように身を縮めた。

「光属性の魔法を持つジュリエットが、お前の闇属性の魔法を感知したのだろう!? ジュリエットは、お前の闇魔法の暴走を恐れていたからな!」

 ミカエル殿下は、ジュリエットを擁護して、そっと私から引き離す。

 ほーう……? 予め、闇魔法の暴走を懸念していた、と?

 確かに、私は闇属性の魔法の適性があり、使える。
 逆に、ジュリエットは光属性の魔法の適性持ち。どちらも、希少ではあるが、光属性の方が、やはり重宝される。魔法ファンタジー系ヒロインのあるある設定だ。
 そして、悪役令嬢リガッティは、この婚約破棄の断罪シーンで、闇魔法を暴走させたから、ヒロインが光魔法で押さえ込み、みんなを守るという展開になるのだった。

 いくら、ゲームの通りに濡れ衣をでっち上げようとも、私は悪役通りの罪は犯していない。それは、生まれながらに..だったからだろう。前世の記憶がなくても、私の魂は変わらない。
 よって、ゲーム通りの悪行なんて、なかったのだ。
 だから、罪を犯しておきながら、婚約破棄に逆上して、闇魔法を使って暴走……だなんて愚行はしない。

「ジュリエット様。何を勘違いしているかはわかりませんが、私は一切魔法を使おうとはしていません。例え、濡れ衣によって婚約破棄を言い渡されようとも、相手が王族だとしても、他の誰かだとしても、危害を加えるような愚か者ではありません」

 そうジュリエットに向かって言えば、ミカエル殿下が鼻で笑い退けた。

「ハッ! ジュリエットに魔法で危害を加えていない……そう遠回しに無罪を主張しているつもりか!?」
「はい、ミカエル殿下。先程の罪状に心当たりが全くありません故、後日その証拠を提示してもらった上で、両家で交わした婚約についての見直しをするべきです」
「なんだと! 証拠もなく、こうやって断罪しているとでも思っているのか!? おい、ハールク!」
「はい、殿下」

 ハールクがどうやら用意済みの証拠とやらを突き付けようとしたようだ。

「いいえ、ハールク様。この場で見せる必要はありません。この場は、進級祝いパーティーであり、王族が絡む婚約を破棄するに相応しくないはずです。現在、偶然にも私の両親は領地に行ってしまっていますし、国王陛下も隣国に向かったばかり。まだ未成年である我々だけでことを進めてはいけない案件だと、ご理解いただけますよね?」
「……」

 今年で18歳にはなるが、まだその成人年齢を迎えていない未成年である自分達だけで、未来の国王と王妃になりうる二人の婚姻について、どうするかなんて決定していいわけがないのだ。

 なんともご都合主義なことに、両家とも親が不在なタイミング。
 全く、最悪である。
 不満ありげにやや顔を歪めるハールクは、ミカエル殿下に指示を仰ぐように視線を向けた。ミカエル殿下も、少し悩んでいる様子だ。

「ジュリエット様」

 その間に、私はジュリエットに向かって言う。

「先程、ので、言わせていただきますが……」

 トン、と自分の頭を人差し指で叩いたあと。





 ここは決して、ゲーム通りの世界ではない。ゲーム感覚でいてもらっては困るのだ。

 この状態的に、本命はミカエル殿下だろう。
 どのルートでも、私が悪役首謀者にされるポジションだけど、今の立ち位置的に、ミカエル殿下といい仲のはず。
 つまりは、私の代わりに婚約者となり、未来は王妃になる人生となるのだ。
 今から王妃教育をするなんて、並大抵の努力では済まない。現実は、チョロくはないのだ。
 好感度を上げる秘訣を知っていて、攻略対象キャラを射止めることはチョロくても、他は現実的に見てほしい。

 そういう意味で告げた言葉を、ヒロインことジュリエットは、心底理解出来ないみたいに顔を歪めた。
 肩を落としてしまう。

 悪役令嬢が真っ当で、ヒロインがダメなパターンか。

 どうして、そんなことになるのだろうか。
 ヒロインポジションだからこそ、人生イージーモードと高を括って、傲慢になってしまうのだろうか。それより、元より愛されたい願望が強すぎる魂が、歓喜のあまり現実が見えないまま、逆ハーレム展開に欲張ってしまったのだろうか。
 現実的に考えて、逆ハーレムだなんて、よろしくないだろう。そもそも、婚約者がいるような相手だ。ドロドロな展開しかない。

 このヒロインが招いた事態は、深刻だ。これから大変になる。もっと早くに前世の記憶が戻れば、このイベントを回避出来たはずだが、仕方ない。この先が思いやられる……もう、すでに疲れたわ。

「ゲーム? 何を言っているんだ」

 ギッと、ミカエル殿下が反応して、睨みつけてきた。
 サッと、ジュリエットは表情を戻す。

「これ以上、罪を重ねないでください! リガッティー様!」

 私に罪を認めろと、いかにも被害者の必死の訴えをしてくるヒロインぶるジュリエット。いや、ヒロインだったわ。

「元より、罪を犯しておりません」

 きっぱり、と私は無実を主張しておく。私には無実を証明する自信があるので、威風堂々としていられる。

「リガッティー様っ。あなたのためなのです!」
「よせ、ジュリエット。あの女には、罪悪感を抱く心もないのだ」

 この場でしっかり婚約破棄をさせたいのか、ジュリエットは被害者面をやめない。
 それをミカエル殿下が宥めた。
 罪を犯していないので、罪悪感も何もないでしょ。

使ジュリエット」

 そう言って、ジュリエットの手を握ってやるミカエル殿下に、カッとなった。

「僭越ながら言わせていただきます、殿下」
「なんだ?」

 強い声で言い放つ私に、ムッとした顔をするミカエル殿下。

「今の発言は、魔族の方に対しても、闇属性を持つ者に対しても、卑下するものでした。大昔にはいがみ合った種族ではありますが、もう五百年は友好関係を保っている魔族の国があります。この学園に入学するより前に、歴史で学んだはずですよね。ですか?」
「なっ!? そんなつもりはっ」

 歴史で魔族といがみ合ったのは大昔のことだと学んだことを忘れたのか、と直球で尋ねたから、ミカエル殿下は顔を真っ赤にして怒る。弁解をする前に、畳み掛けた。

「この場にも、魔族の血が流れている生徒もいらっしゃいます。一国の王子が、そのように差別するような発言は慎むべきです」
「くっ……!」

 そう。この学園の中にも、魔族はいるのだ。
 一国の王子として、それは恥ずべき行為だとしっかりと教えておく。
 婚約してからそうだ。
 我が正義を貫くミカエル殿下に、それとなく間違いは間違いだと進言してきた。それとなく、は、彼のプライドを必要以上に刺激しないためだったのだが、今回ばかりは差別発言を寛容な態度では指摘してやれない。

「また、闇属性の魔法を悪のように決めつけている口ぶりも、撤回していただけませんか? 光属性と同様に希少な属性で、魔族の方々が比較的多くが所有する闇属性の魔法は、決して悪の魔法ではありません。学園でもそうですよね? 偏見を持った発言は、撤回してくださいませ」
「お前っ! 婚約破棄の報復に、オレを公衆の面前で恥をかかせたいのか!?」

 真っ当な指摘なのに、ミカエル殿下は真っ赤な顔で震えながら、的外れなことを言い出した。

「いいえ、私は第一王子殿下に間違いを正してほしいと進言しているだけです。逆に、公衆の面前で婚約破棄を言い渡して、私を見世物にして恥をかかすことは、正当なのですか?」

 全く以て、ミカエル殿下はブーメランである。
 一瞬、私も恥をかいているという事実に、狼狽えたけれど。

「断罪されるべき罪があるだろ!」

 私が悪いのだから、正当なのだと言い張りたいようだ。

「恥の上塗りはやめましょう」
「なっ」

 私はため息を堪えて、ツンと顎を上げて淡々と告げた。

「お戻りになった国王陛下の判断の元、この件を解決させましょう。ですか? ここは、偉大なる学園の進級祝いパーティーでございます。これ以上の騒ぎは、生徒達ももちろん、付き添う父兄の方々にも迷惑ですので」

 色々忘れている、と指摘しすぎたのか、迷惑の元凶だとか、そう私が言うからなのか、ピキ、とミカエル殿下は顔を引きつらせる。
 まるで、自分達が悪い言い方に納得いかないというヒロイン逆ハーレム達には背を向けて、私は淑女の一礼をした。

「進級祝いパーティー参加の皆様、大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。私はこれにて失礼いたしますので、どうぞ、祝いの会を再開してください。改めまして、皆様、進級をお祝い申し上げます」

 ここは一番身分の高いミカエル殿下が謝罪すべきだけれど、私が代わりに謝っておく。
 顔を上げて、にっこりと笑って見せたあと、あとは任せたと学園長達に視線を送る。友人達にも怒りは抑えるように、掌を下ろすジェスチャーを見せておく。
 婚約破棄イベントは、強制終了。ミカエル殿下達は、不完全燃焼であろうが、私がいなくなれば喚いてもしょうがない。よって、帰宅する。
 あとは、学園長達が進級祝いパーティーの再開に尽力してもらうだけだ。
 貴族の父兄も参加しているのだから、第一王子の婚約破棄騒ぎも社交界にあっという間に広がっていくだろう。……やれやれ、気が重い。



 馬車で帰宅すれば、侍女達があまりにも早い帰りに戸惑っていたけれど「疲れたの」の一言だけを伝える。
 進級祝いパーティーの翌日から、半月の春休みだ。
 だから、明日は学園に行かなくていい。
 友人達を宥めるための手紙をすぐに送らないといけないだろう。今まで、ジュリエットの言動に我慢して来たから、これを機に爆発されては火に油である。

 でも優先事項はやはり、婚約破棄をされたことについて、領地に行っている現当主である父と、国王陛下に伝えなければいけない。王妃にも、こちらの言い分をしたためた物を送っておかないと、彼女の機嫌損ねるだろうから、忘れずに。
 せっせと羽ペンの形をしたボールペンで手紙に文字を綴っていると。

「リガッティーお嬢様。ネテイト様が訪ねてきました」

 ネテイトも帰ってきたようだ。
 それを告げてくれた侍女に、書き終えた父親と国王陛下と王妃宛ての手紙を魔法便で送るように託す。厳重に管理されて保護される魔法便は、紛失の心配もない。何より、即発便で、最短で届けてくれる。

 入れ違いで、ネテイトの入室も許可した。

「友人達に手紙を書かなくてはいけないから忙しいの。何かしら?」

 ペンを持ったまま、机から離れることなく、部屋に足を踏み入れたネテイトに用件を急かす。

「……ごめん……」

 やや俯いたネテイトは、謝罪の言葉を絞り出した。

「何に対しての謝罪かしら?」

 思い詰めた雰囲気のまま、こうして謝罪に来たのは、どれのことか。

「っ……! 進級祝いパーティーでやることを止められなかったこととか! エトセト男爵令嬢が闇魔法の暴走するとか騒いだりすることとか! 殿下の失言とか! 止められなくてっ、ごめんっ……!!」

 勢いよくまくし立てるように言った義弟。
 ……まとめて謝罪されたことに、びっくりしてしまった。

「……あら? あなた、ジュリエット様の味方じゃないの?」
「そんなわけないだろ! なんで義姉上あねうえの婚約者と親しくなろうとする令嬢の味方をするんだよ」

 ……違うのか。
 心外と言わんばかりに否定された。

「でも、あの場では、あちら側にいたでしょ」
「僕には、殿下の側近という立場がある。……仕方なくだよ。あちら側についているフリして、事態を逆転するつもりだったんだ」
「あら? 何か対策があったの? それなのに、どうしてパーティー中にことが起こされたの?」
「だから謝ったじゃないか! 最初はパーティー直後、他の方々が帰ったところで、婚約破棄を言い渡すって殿下が息巻いていたんだ! でも、あのエトセト嬢が、パーティーの最中でやるべきじゃないかって! 早い方がいいとかなんとか、上手いこと殿下達を誘導してしまったんだよ! 僕は最後まで反対したのにっ!!」

 拳を固めて悔しげに嘆くネテイトは、両手で顔を覆う。

「結局……公衆の面前で婚約破棄だなんて……大事になってしまった…………ごめんなさい……」
「そうね……もう公の場で婚約破棄だなんて…………頭が痛いわ」

 私はこめかみをぐりぐりと揉んだ。
 ネテイトとしては、当事者のみによる小規模で済ませたかったのだろうが、なるべくゲームシナリオ通りにしたかったジュリエットに主導権を取られてしまって、結局、大イベント化してしまったのだろう。
 攻略されたミカエル殿下達を誘導するなんて、ヒロインには造作もない。

「でも、意外だわ。ジュリエット様のせいで、ネテイトは私を敵視していたから、最近不機嫌なのかと……好きじゃないの?」
「好きだって!? 義姉上の婚約者であって、仕えている主人であるミカエル殿下に言い寄る令嬢に、好意を抱くなんておかしいだろ!?」
「……あなたが真っ当で感動してしまうけれど、あちら側がおかしいだけなのよね、うん」
「まったくだよ!!」

 ネテイトだけは、ジュリエットの好感度はマイナスのようだ。
 もうプンプンしているネテイトが正常なことに感動してしまうくらい、ミカエル殿下達が異常なのだと染み渡るように実感した。

「ミカエル殿下と、ケーヴィン様とハールク様……婚約者がいる身で、誑かされるなんて、本当に……ため息だわ」

 ため息を吐くことを堪える。現実逃避したい。

「僕は言ったよね? ちゃんとしっかりしてくれって! 義姉上がもっとミカエル殿下に進言してくれれば、防げただろうに!」
「ああ。それで不機嫌だったのね?」

 思い返せば、ジュリエットについてのことを注意されていたっけ。しっかりとミカエル殿下に釘を刺せば、こうはならなかった。

「責任転嫁はやめましょう。私もネテイトも、最善を尽くしたはず。ミカエル殿下の性格を考慮しての進言をして、一国の王子として決断してもらう。ミカエル殿下が優秀な方だったから、正しい判断をしてくれると信じていた私達は、裏切られたの」

 婚約者としてそばにいた時から、今まで。
 優秀なミカエル殿下の我の強さが、誤った方に突き進まないように、私達は支えてきた。
 最終決定を下すべきは、彼自身。そして、彼の選択が、この事態を起こしたのだ。
 冷静に告げた私の言葉を受け止めて、ネテイトは重く頷いて俯く。
 少し、沈黙した。

「ネテイト以外は、もうジュリエットの味方ってことに間違いない?」

 確認しておく。

「うん……」

 頷いて答えるネテイトの顔には、嫌悪感が滲み出ている。
 完全に、ネテイトの攻略をしくじっているジュリエット。苦笑をしてしまう。

「ケーヴィン様とハールク様の婚約者も、大変ね……」

 そう零せば、気まずげに視線を落とすネテイト。
 どうやら、二人とも味方以上な雰囲気はあるようだ。まったく。リアル逆ハーレムなんて……ドロドロ。

「ネテイトは、口説き落とされなかったのね」
「やめてくれよ……」

 げんなりされた。
 うん、嫌いなのね、よくわかったわ。

「何故か、あの人。義姉上と不仲だって思い込んでいて、家族扱いされなくてつらかっただろって、変なことを言い続けてきたんだ……だから、変な令嬢としか思わなかったし、ミカエル殿下に付きまとうから注意したら、義姉上に頼まれたのかって言われて…………頼まれなくても義弟としても側近としても、注意するだろうに」

 んー。ゲームシナリオ通りではない私とネテイトの関係を知って、きっとその段階で私が転生者だと疑ったに違いない。
 だからこそ、捏造の証拠を用意しただろう。

「義姉上は、威風堂々としていたけど……無実を証明する自信があった?」
「ええ、そうよ。ネテイトも返り討ちにする準備は出来ていたのね?」
「はい……」
「あちら側は、もちろん私の罪を証明する証拠を集めたのよね? 次期宰相を目指すハールク様が提示しようとしたのだもの」
「ええ。もちろん、ハールク様が証拠を揃えていた」
「……彼が捏造を?」
「……いや。見ていただけだけど……エトセト嬢が一緒に裏付けをして集めていたんだ」
「……まぁ、彼らを誑かすくらいだものね。傾国の美女って、彼女のことを指すのかしら」

 苦い顔をするネテイトを見て、証拠集めをしたハールク様も、ジュリエットにいいように操られていると思っているようだ。

 未来の国王の相談役という重要ポジションになるはずのハールク様も、その未来の国王であるミカエル殿下も、ついでに最もそばで護衛する騎士であるケーヴィン様も……一人の令嬢に惑わされて、これで失脚だろう。

 いくら、彼らを篭絡するコツを知っていても、令嬢一人に誰かを断罪するまで操られてしまうなら、国を任せるなんて出来ないと判断されるはず。

 攻略対象キャラを何人も誑かすほどに悪賢いけれど、未来と現実を見ていないのよね……あのヒロイン。
 捏造の証拠で追い込み、そして闇魔法の暴走を誘発して、ゲームシナリオ通りにハッピーエンドを迎えたかったのだろう。

 悪役令嬢からヒロインは一同を守り、そして王子様は王太子になり、婚約者となり、卒業後に結婚式を挙げて、めでたしめでたし。

 ……になるわけないでしょうが。

 現実は厳しい。私もネテイトも、無罪を立証出来るし、それにより、ミカエル殿下達は跡継ぎに相応しくないと、大人達は判断を下す。ハッピーエンドなんてご都合主義展開は、ゲームだけだ。
 ゲーム感覚で生きているバカが、現実を引っ掻き回した。ホント、迷惑。

「私達は、もう見切りをつけるってことでいいの? 第二王子のテオ殿下も、負けず劣らずに優秀なのは、せめてもの救いね……彼も兄を慕っていたから、酷くショックを受けるでしょうけど」

 二つ年下の第二王子が、王太子になってくれるだろう。他に王子がいるのは、幸いだ。この王国は、なんとかなるだろう。
 ミカエル殿下は、成人を迎える今年に、王太子になるはずだったのに……無念。

「そうすることが賢明でしょ。僕達は降りかかる火の粉を払って、この事態を収拾すべき。ミカエル殿下の側近として……」
「私も婚約者として……」

 二人して、頷き合って、肩を落とす。
 未来は王国の中枢の重役であっても、今はまだ未成年でこんな大きな問題に直面するなんて、骨が折れる。

「義姉上は……どうするつもりなんだ? 僕は、侯爵家の跡取りとして育てられたけど、義姉上は王妃教育を受けて育ったのに……公の場で婚約破棄だなんて……」

 気遣いがちな目を向けるネテイトは、なんとか出来ると思っていたのだろう。
 だけれど、公の場で婚約破棄と断罪イベントが行われてしまい、もうミカエル殿下の過ちを貴族の多くが目にしてしまった。取り返しがつかない。私の王妃教育の成果は、発揮出来ないだろう。もちろん、婚約関係は続けるわけがない。

「そうね。全然どうするかは決めていないけれど、しばらくは傷心を理由に休ませてもらおうかと。先ずは、事態の収拾よね。侯爵家の跡取りとして、ネテイトの手腕を見せてちょうだい」
「……はい。任せてくれ。義姉上」

 侯爵家の跡取りとして、ネテイトに任せる。私の方は、保険だ。
 私の今後は、侯爵家に婿入りしてもらって次期当主になってもらうという手もあるけれど、その気はない。
 跡取りは、ネテイトに決まっているのだから。私は彼の努力を無駄にはしない。

 ネテイトは強い覚悟を決めた目をして、深く頷いて見せた。

「僕は王城で部屋を借りて、しばらく過ごすことになった。あの女、ゴホン、かの令嬢が、義姉上に危害を加えられるかもしれないからって心配だと騒ぐので、殿下にも陛下が戻るまで王城にいるべきだと言われたんだ」

 あの女呼び……嫌っているのね。ネテイト。
 ジュリエットは、私からはっきりと記憶を取り戻したと直接聞いたから、ゲーム知識を利用してネテイトを味方につける心配をしているのだろう。そのための阻止策。

「殿下はなんで七年の付き合いをしてきた義姉上より、あんなポッと出の令嬢の肩を持つのやら……」

 心底理解出来ないみたいに、深くため息を零した。
 うーん。二人が親しくなったきっかけが、同じクラスになり、席が隣になり、授業のペアになったことなのよね……。
 ネテイトが知らないだけで、きっとミカエル殿下はジュリエットと甘いひと時を過ごしたから、すっかり恋人関係にあるはず。なんて言ったって、ゲームのタイトルに『甘い』って入っているのだもの。
 本命は、ミカエル殿下だけれど、きっと残りの二人とも、それとなく甘い時間を過ごしたはず。

 身分隔てず、交友関係を広げ、切磋琢磨すると学びの場。
 婚約者がいる身なら、他の相手と恋愛をするべきじゃないのは、常識なのに。
 ヒロインもヒロインで、節操なしとしか思えない。

「恋は盲目かしらね。同じ家に過ごすのだから、当然の心配に思えるのでしょう。実際、ジュリエット様もあなたが心を開いていないから、敵になることを恐れているのかも」
「ええ、そうでしょうね。なので、行ってきます。義姉上も、気を付けて。また罪を増やすために、仕掛けてくる可能性がないとは言えないので」
「わかったわ。ネテイトも気を付けて」

 ジュリエット側ではないとバレてしまわないようにも、ネテイトはあえて敵陣に身を置く。
 ちょっと心配ではあるけれど、上手く立ち回れると信じて、見送ることにした。
 軽く頭を下げて、部屋を出ようとする前に、私は呼び止める。

「ネテイト。ありがとう、私の味方でいてくれて」

 ネテイトだけは、惑わされることなく、私を信じて味方でいてくれたことに感謝を伝えた。

「っ! 家族なんだから、当たり前じゃないか! お礼を言われるほどのことじゃない! 当然のことだ!」

 ネテイトは顔を真っ赤にして、つんけんした態度で言い返す。

「ツンデレショタ」
「え?」
「いえ、なんでも」

 流石、ツンデレショタだとしみじみ思って、つい口に出してしまったが、聞き取られなかったのでよかった。
 ツンデレはともかく、ショタなんて言えば、小柄なことをコンプレックスに感じているネテイトが、激怒してしまうところだった。
 手を振って、照れで頬を真っ赤にしたネテイトを送り出す。

 一人になった部屋で、頬杖をついて、ぼんやりと考える。
 王妃になるために努力してきたけれど、おじゃんだ。可愛い義理の弟になるはずだったテオ殿下にも、婚約者がいるから、当然私は宙ぶらりん状態となる。王子の婚約の鞍替えは断固拒否。
 盛大にため息を吐いたあと、私は考えているだけではらちが明かないと思い立って、他のことでもして気晴らしを挟んで、また考えようと決めた。

「――冒険でもしようかしら」

 窓を見つめて、そうポツリと零す。


 
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