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お試しの居場所編(後)
65 素敵な新居で楽しい荷解き開始。
しおりを挟む玄関に入って、ブーティを脱ぐ。
右には、シューズボックスや傘立ての隙間がある。廊下を歩いて、左のドアを開けて、洗面化粧室へ。
手洗いうがいのために入ったけれど、もうハンドソープが置かれていた。
「使いますね」
「いいよ。あ、タオルはこの段ボールの中に。はい、どうぞ」
前に家へ行った時に、手洗いうがいの習慣を知ったので、数斗さんは下に置いていた段ボールから取り出してくれた。
濡れた手を拭いながら、脱衣所を覗けば、もうドラム式洗濯機が置かれている。隣には、腰の高さの白い棚と洗濯かご。
床にはメンズのシャンプーなどの日用品が、ただ置かれている。
使ったタオルはどうすればいいかと尋ねれば、洗面化粧台の中に設置されたタオルかけに、と言われたので手を洗う数斗さんの隣で、そこにかけた。数斗さんも、それで手を拭く。
「わぁ……やっぱり、広いですねぇ」
「ん。そうだね」
『一人だと寂しいから、一緒に暮らして。とか、言ってもいいかな』
……だめですね。
カウンターキッチンに入って、リビングルームを眺めた。
液晶テレビと黒のテレビ台が設置。目の前に、ラグマットは長方形の淡いベージュ。上に、脚の短いこたつテーブルが、もう置かれていた。ラグマットの上に乗せず、段ボールが積んである。ゲーム機などがあるらしい。ソファーが来たら、ゲーム機を取りつけようとのこと。
寝室のドアは開いてあったけれど、そこは覗くことなく、キッチンで荷解き作業を始めることにした。
箱詰めされた食器と昨日買った食器を、取り出す。私は改めて、食器を一つずつ、そこで洗う。
「数斗さんっ、手伝いますよ?」
「だーめ。これくらい大丈夫だよ」
数斗さんがコーヒーメーカーを取り出すものだから、手伝おうと慌てたけれど、断った数斗さんは一人で重たそうなそれを設置した。
「あとで、カフェラテいる?」
「はい、ぜひ。数斗さんのカフェラテ」
楽しみだと笑みを零したけれど、ふと、食器類を見回して気付く。
「……あれ? 前に使った黒猫のマグカップは?」
「……ごめん、捨てた」
「そう、ですか……」
「新しいのは、これ。使って」
心を読まずとも、以前使ったマグカップが、捨てられた理由を察することが出来た。
……不法侵入者が使った形跡が、あったのですね……。
数斗さんは、昨日買ったマグカップを指差した。真っ赤なマグカップには、伸びをした猫のシルエット。
「猫のシルエットって、セクシーで好きです」
『……セクシー』
……なんでそこだけ、オウム返しします?
乾いたタオルで、食器の水分をキュッと拭って横に置く。それを数斗さんは、食器棚に並べた。
鍋などの調理器具も、一緒に考えて、しまい込む。
さらりと、置き場所を覚えてもらおうとする数斗さんだった。
まぁ、料理する予定なので、覚えておく。
炊飯器やレンジも冷蔵庫も、ケトルも配置完了。
テレビインターホンが鳴った。時間ほぼピッタリに、ソファーのお届けだ。
ラグマットを避けるように、三人掛けのソファーと手前にカウチ、奥に一人掛けソファーを置いてもらう。
配達員を見送ったあとに、ソファーに腰を沈めて、黒の猫肉球クッションを抱き締める。
「どう?」と、数斗さんは感想がわかりつつも、私に笑いかけた。
「超いいですね」と、私は笑顔で、親指を立てて見せる。
それから、ゴロンと横たわった。数斗さんは、隣に腰を下ろす。
「休憩する? カフェラテ、飲む?」
「はい!」
「ふふっ。じゃあ、待っててね」
すぐに数斗さんが尋ねてくれたので、起き上がって即答。数斗さんは笑って、私の頭にキスをしてから、キッチン内に行き、コーヒーメーカーで淹れてくれた。
「音楽かけていいですか?」
「いーよ」
バックからタブレットを取り出して、ミュージックプレイヤーアプリで再生。
マグカップを受け取って、数斗さんと並んでコーヒーを堪能。いい香りだと嗅いで、ふぅーっと息を吹きかけてから、温度を確認して啜る。コクが深いカフェラテ、美味しい。
『猫舌。可愛いなぁ』
「……いいんですか?」
「ん? 何が?」
「こんなにも部屋が素敵すぎると……私、入り浸りますよ?」
『願ってもない』
「どうぞ? 大歓迎だ」
『ずっと居てくれていいから』
素敵すぎる部屋だとしみじみと感心して、広々とした綺麗なそこを見回す。
数斗さんは、同棲を願いながら、頭を撫でてくれた。
「次は、テレビ台にゲーム機の設置ですか?」
「うん。そういえば、今週の木曜日だよね? 例の新作ホラーゲーム」
「ん! そうでした! プレイして見せてくれるんですよね?」
「約束だからね。七羽ちゃんが来る時に、ここでやるよ」
「新一さんが、最新トレーラーをシェアするから、もうワクワクで」
「怖いのに?」
「ビビりながら、楽しみます」
「俺も楽しむよ。一緒」
新型ゲーム機でプレイして見せてもらう新作ホラーゲーム。ワクワクして、伸ばした足を揺らした。
ニコニコと数斗さんは、私の様子を横で眺めて楽しむ。
「あれ? 数斗さん。その段ボールは?」
「あー……サイドテーブルだよ」
「え? ここに置く予定の? 組み立ての物だったんですね。家具店で注文したから、てっきり……」
「俺もてっきり、完成した物を持って来てくれると思ってた。確認ミスだね。あとで組み立てるよ」
「えっ? 一緒に組み立てちゃだめですか?」
目を見開いて、パチパチと瞬く。数斗さんまで、驚きの表情をした。
「組み立てたいの?」
「もちろん! 小さめの本棚を自分一人で組み立てたんですけど、楽しかったです」
「……なんで一人で?」
「妹が遊びに行っちゃってましたし、弟は反抗期で、母は仕事というタイミングでしたので」
「……怪我、しなかった?」
「してませんよ」
「……そっか。じゃあ、怪我しないように気を付けて、一緒に組み立てよう。先に、ゲーム機だね」
家具の組み立ては、二人以上でしましょう。怪我の危険もあるしね。
ゲーム機をテレビに繋げて、それから正常に起動したことを確認。そのまま、タブレットの代わりに、ゲーム機で動画配信アプリのミックスリストを再生して音楽をかけた。
そして、一緒に設計図を見ながら、組み立て開始。
「七羽ちゃんは、作るのが大好きなんだね」
「はい? 作る?」
「うん。イラストを描くのも、いわば、創作で作るってことでしょ? それから部屋作りでしょ? 家具の組み立てだって、作ってるってこと。何か作るのは、好きなんだね」
作ること。好きと言われて、首を傾げるけれど、否定は出来ないと、縦に振る。
「そんな姿、ビデオで撮ってもいい?」
「あー、んー。撮るんですか?」
「そう。引っ越しの荷解きの思い出。もっと早く言うべきだった」
「いいって言う前に、カメラを設置します?」
数斗さん自身のタブレットを、スタンドで立てると、後ろのカメラを向けて、ビデオ録画開始。
『楽しいなぁ……一緒にいること』
数斗さんは優しい眼差しで何度も見つめては、幸せそうに微笑む。
私も目が合えば微笑み返す。
『嗚呼、好き』と、数斗さんの幸福感を含んだ心の声が、何度も聞こえた。
「じゃじゃーん! サイドテーブル、完成!」
「あっという間だったね」
S字のサイドテーブルがしっかり固定されて組み立てられたか、二人で確認。オッケーだ。
『もっと長く一緒に組み立て作業したかったな。……追加に、組み立て家具、購入するか?』と、よほど組み立て作業が楽しかったのか、数斗さんが候補を考え始めた。
「えっと。ここに充電器類を置けるように延長コードを伸ばす」と、数斗さんの腕をつついて、次の作業をするように促す。
効率良く、快適に、過ごせる工夫を施して、あっという間に、夕方。
「ん~! リビングは、あらかた終えましたね?」
「そうだね。明日は、寝室でベッドと、服の整理だけかな……。はい、じゃあ、今日の荷解き、完了宣言して?」
「嘘!? ずっと録画してたんですか!?」
背筋をグッと伸ばしたあと、またソファーにベターッと横になっていたら、こたつテーブルの上のタブレットを持ち上げて、数斗さんが正面から撮り始めた。
「も~……数斗さんも一緒に映ってください」
「ん? いいよ」
数斗さんが内側のカメラに切り替えて、起き上がった私に寄り添い、一緒に映り込んだ。
「そうですねぇ……。数斗さんの新居への引っ越し、荷解き一日目。とっても楽しいかったです。ホント、一緒だと楽しくて、好きです」
ちゅっ、と数斗さんの右頬に、キスをする。
不意打ち成功で、数斗さんは驚いた顔になった。
「おしまい。って、タブレット!?」
録画終了ボタンを押そうとしたけど、数斗さんの手から、タブレットが落ちてしまい、ラグマットの上に落下。
拾おうとする前に、数斗さんに両腕で力一杯に抱き締められた。
「俺もすごい楽しかった。好き。好きだよ」
『好きっ。嗚呼、好き。好きすぎる』
口から出される嬉しげな声と、幸福感に酔いしれてるような心の声。
タブレットが落下してしまったせいか、いきなり強く抱き締められたせいか、その心の声のせいか。
心臓が、バクバクする。
それで思い出す。
なんだか、想いを伝え合って、お試し期間を設けた交際をすることに決めたあの時のよう。
ソファーで、私は押し倒されるような形で、覆い被さる数斗さんに密着されていて、二人して心臓をバクバクと高鳴らしていた。
それを口にしようとして、口を閉じる。
延長の話に、持っていかれそうだったから。
でも、数斗さんも、私と同じように思い出していた。
そして、お試し期間の延長について、考えている。
「……明日でいいかな?」
「はい?」
「七羽ちゃんの料理。ハヤシライス、明日食べたい」
それは、つまり。
初デート記念のバングルを渡して、延長について、尋ねるということ。
明日……。
「いいですよ、はい。……えっと、市販のルーで作ります? それとも、ルーなしでもいいですか?」
「えっ? ルーなしでも作れるの?」
バッと抱き締める力を緩めた数斗さんは、顔を覗き込んだ。目を輝かせてる。
「はい……二回だけですけど、自分で作ってみたくて。それだと赤ワインとかトマト缶とか、材料が多くなっちゃいますが」
「ぜひ食べたい!」
食い気味で、返事。
「ん~、あと、卵はかけます?」
「卵?」
「ハヤシライスの上に、とろっとしたスクランブルエッグを」
「すごく美味しそう。絶対食べる。ありがとう」
ちゅっちゅっ、と数斗さんは私の頬に、二回も連続にキスをする。
「お礼が早い」と、私はふふっと笑った。
明日の買い物リストを、二人で見直す。
ハヤシライスの食材。追加で、必要だと発覚した日用品。
数斗さんが私を家に送り届けたら、帰りに買うと言い出すから、せめて食材だけは私が明日買ってから行くと反対したのだけど「なら、俺が車で迎えに行く。そんな量を一人で持たせたくない」と頑固とした姿勢を見せたので、私が折れた。
明日こそは、数斗さんに、家の中から出迎えてもらうためにも。
翌日。
緊張が酷い。仕事中から、グルグルと考えていたけど、緊張を和らぐようなものは何一つもなく、午前だけの勤務時間を終えた。
同じ時間で上がりの主婦兼パートさん達を見送ったあとに、従業員数とは見合わない狭い女子更衣室で着替えを始める。
初デートで買ってもらったガーリー系のファッションショップで買ったワンピースを着て、スラックスは脱いだ。
フリルをあしらった半袖のブラウスに、水色のハイウエストスカートデザインのワンピース。黒のニーソをしっかりと上げ直す。仕事用のシューズから、ブーティに履き替えた。
きつく縛ってまとめておいた髪が、ちゃんとクセをつけてカールしたのを確認して、整える。
ジュエリーボックスから取り出したアクセサリーをつけて、化粧をして、深呼吸。
仕事場から出てから、桜をモチーフにした香水を被って、駅へ向かっているとメッセージを送って、歩き出す。
そわそわ。落ち着きなく、別に小さなジュエリーボックスを両手でクルクルと無意味に回しては、緊張を吐き出すように深く息を吐いた。
けれど、緊張を吐き出せた気がしない。またグルグルと考えてしまい、乗っている電車が進むにつれて、緊張が増していくように思える。
駅から歩いて行って、マンションの前で、深呼吸。
エントランスのテレビインターホンで、三階のボタンを押して鳴らすと、エントランスのドアが開いた。
エレベーターじゃなくて、階段を上がって、三階の部屋の前に立つ。
呼び鈴を鳴らす暇もなく、ドアは開かれた。
「いらっしゃい、七羽ちゃん」
中から出迎えてくれた数斗さんが、優しい笑みでそう声をかけてくれる。
今日は襟付きの七分袖のシャツとジーンズ姿。
相も変わらず、優美な雰囲気のイケメンで、ドキドキする。
「お邪魔します、数斗さん」
コクリ、と頷いて、家に入れてもらう。
「お仕事、お疲れ様。この前のワンピースだね、やっぱり似合ってる。可愛い」
『仕事上がりなのに、すごいお洒落して来てくれたな……可愛い』
「ありがとうございます」
『? なんか、緊張してる? 頬が赤いような……?』
「手洗いさせてもらいますね」
「許可を求めなくていいよ、好きに使って」
緊張していることを指摘される前に、私は洗面化粧室へ入らせてもらった。
「お腹空いたでしょ? 今、パンをトーストするね」
「あ、はい」
「飲み物も好きに取って。あ、ハヤシライスの食材、一応全部あるか、確認もしてもらっていいかな? 念のため」
「数斗さんに限って買い忘れはないと思いますけど、わかりました」
ランチは、数斗さんが食パンにたくさんのチーズを乗せたものを、トーストしてもらって食べる予定。
レンジでトースト準備をする間に、冷蔵庫の中を確認。あまり入っていないので、確認は簡単だった。
赤ワインやトマト缶もケチャップも、よし。
トーストは、少し時間がかかる。
「ベッド、来ました?」
「うん。朝からずっと、クローゼットやタンスに服を入れてたから、終わっちゃった」
「え? じゃあ……荷解き、終わりですかっ?」
「そうなるね」
寝室に向かう数斗さんについて行きながら、私はポカンとしてしまった。
不法侵入事件から、まだ一週間。それなのに、引っ越し完了状態。いくら一人暮らしで、元々物が少ないとはいえ……速い。
入ってみれば、本当に段ボールはなく、大きなベッドがヘッドベッドを壁につけるように置かれた綺麗な部屋。
まだ未使用だとわかるベッドを、掌で押して、弾力を確認してみる。
「乗ってもいいよ?」
「はい?」
やや素っ頓狂な声を出して、驚いて振り返ってしまった。
「新しいベッドの上でぴょんぴょんって跳ねてもいいよ」
「私をそんな子どもだと思ってるんですか……?」
『むくれちゃった、可愛い』
からかわれて、むくれる。
子どもっぽいのは認めるけれど、そんな子どもじゃない。
「でも、触ってるだけじゃあ寝心地わからないでしょ?」
「いや、別に……知る必要はないじゃないですか」
『……いつかは、寝るかもしれないのに』
数斗さんの心の声が、ちょっぴり寂しげに聞こえたのは気のせいだろうか。
寝室に長居してもしょうがない。出ようかと思った時、数斗さんの左腕に捕まった。
「きゃっ!?」
ボフンっと、ベッドへ押し倒される形で、ダイブ。
一度は跳ねたけれど、身体は沈むようにフィット。
「どう? 寝心地は?」
クスクスと笑う数斗さんは、悪戯が成功したと楽しげに、私の隣に寝そべって頬杖をつく。
「い……いいです、ね?」
数斗さんの左腕は、私の上にある。私は身じろぎ出来ず、硬直。
そんな私を見た数斗さんは。
『あ……ベッドに押し倒しちゃったのは、マズい……やらかした』
今更ながら、よろしくない状況だと気付く。
……何、やってるんですか…………。
異性を、ベッドに押し倒す。よくない。
プラトニックな関係を維持すると決めている恋人を、ベッドに押し倒すのは、よくない。
部屋で、想い合う男女が、二人きり。
改めて、思い知らされては、強烈に意識をさせられる。
起き上がりたいけれど、固まってしまった私は、数斗さんから目を離せないでいた。
『――――綺麗な目』
数斗さんも、私の目を真っ直ぐに見る。
綺麗な黒い瞳。
それが徐々に迫ってくることに気付いた私の心臓は、バクバクと跳ねる。
吸い寄せられるに顔を寄せてきたことで、ようやく、ギュッと目を瞑ることが出来て、首を引っ込めて縮まった。
『あぶなっ……! 唇へのキスは、まだ許可、もらってない。それに……ここでしたら、止まらないかも……』
視線が交わらなくなったおかげか、数斗さんも思い留まってくれて、息まで止める。
私の唇に重ねようとした唇は、私の額に押し付けた。
『ごめんね。いきなり、ベッドに押し倒して。びっくりしたよね』
謝罪のためか、私の強張りを解くためか、数斗さんは額に、こめかみに、頬に、鼻先に、いくつものキスをしてきた。キスの雨。
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