漆黒鴉学園

三月べに

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6巻

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 第一章 あかねいろの光


   一話 夏休みの約束


 その日は、せみの鳴き声がうるさくて目が覚めた。ベッドから起き上がってカーテンを開け、窓の外をぼんやりと見つめる。
 暑さのせいか、それとも悪夢を見たせいか、少し身体が重い。この世界でまた何かが起きる前兆なのかと感じて不安になる。
「この世界」というのは、私が今いる、乙女ゲーム『漆黒鴉学園しっこくからすがくえん』の舞台だ。攻略対象者は容姿端麗ようしたんれいな生徒会メンバー達で、実は彼らの正体がモンスターという秘密がある。
 前世で病死した私は、大好きだったこのゲームの世界に脇役の宮崎音恋みやざきねれんとして転生したのである。その事実には、高等部の入学式で気が付いた。
 さらに言うと、シヴァと名乗る神様が私の前世について知って感銘かんめいを受け、幸せを願って転生させてくれたことも知った。
 もちろん、このゲームには正式なヒロインがいる。それが、私の親友でもあるクラスメイトのサクラこと姫宮桜子ひめみやさくらこだ。本来であれば彼女が攻略対象者達と恋をする設定だけど、シヴァ様は、私自身も自由に生きて、彼らとの恋愛を楽しめばいいと言う。
 私はそれがきっかけで、ゲームの中で一番好きだった、夏休みのキャンプイベントに参加することを決めたのだった。
 朝の日差しを受けながら、そのキャンプでの出来事を頭に思い浮かべる。サクラや担任のヴィンセント先生、そして生徒会のメンバーと過ごした三日間。それは目がくらむほど暑く、とても楽しい三日間で――自然と口元が緩んだ。
 キャンプの数日後、シヴァ様は私の前に姿を現し、もっと欲張って幸せになれ、と言った。
 大好きなイベントを実体験できただけでも十分幸せなのに、これ以上何を欲張ればいいのでしょうか。
 ふと時計に目をやると、時刻は八時三十分。欠伸あくびを一つしてから、身支度を整えて寮のラウンジに向かう。
 その途中、廊下でばったりとサクラに会った。

「おっはよー、ネレン!」

 元気いっぱいの挨拶あいさつ。栗色の髪を赤いシュシュで束ね、夏らしい薄手のワンピースをまとっている。スラッとした足はモデルのようです。

「おはよう、サクラ」

 二人でおしゃべりしながらラウンジに向かったら、入り口で声をかけられた。

「おはよう、れんちゃん、桜子ちゃん」

 学園の生徒会長である、三年生の桃塚星司ももづかせいじ先輩だ。愛らしい笑顔の持ち主だけど、もちろん彼もモンスターで、正体は九尾きゅうび妖狐ようこ

「おはようございます、桃塚先輩」

 返事をしたあと、隅っこのテーブルに三人で座る。
 サクラは友達と遊ぶ約束をしているらしく、少し急いだ様子で朝食を食べ終え、「じゃあまたね」と席を立った。
 その後ろ姿を見つめていたら、彼女は入り口のところで橙空海だいだいくうかい先輩と鉢合はちあわせしていた。二年生の橙先輩も生徒会の一員で、正体はおおかみ人間。
 サクラは軽く頭を下げたあと、そそくさと逃げていく。橙先輩はふくれっつらでサクラの後ろ姿を追っていたけれど、やがてラウンジの中に歩いてきて、私達から離れた席に腰を下ろした。
 サクラの態度がよそよそしいのには理由がある。
 キャンプ最終日の夜、がけに落ちそうになったサクラを助けた橙先輩が、「放したくない」と彼女を抱き締めたのだ。
 一学年上で風紀委員の草薙彦一くさなぎひこいち先輩を想っているサクラは、すごく混乱していた。それ以来、橙先輩と距離を置いている。

「恋ちゃん。今週末、大丈夫なんだよね?」

 桃塚先輩に話しかけられ、視線を戻した。
 四日後の日曜に、桃塚先輩と二人で私の実家に行くことになっている。

「はい。でも、本当にいいんですか? また私の恋人役をやるなんて」
「もちろん! 生徒会も休みだし、予定もないから大丈夫。楽しみにしてるよ!」

 無邪気にうなずいた桃塚先輩には、私の両親の前に限って恋人のフリをしてもらっている。
 というのも以前、母が急に取り付けた見合い話を断るため、先輩に頼んで〝彼氏〟として一緒に実家に来てもらったのだ。幸い、両親は無事にだまされてくれたものの、まだ何となくニセの関係は続いている。
 そして今度の週末、久々に実家に帰ることになっていて、桃塚先輩も一緒に連れてこいと言われた。特に私の母親が先輩のことを気に入っているようです。
 楽しい時間はあっという間に過ぎるという。
 私の残りの夏休みは、どんな出来事が待ち受けているのでしょうか。


   二話 大好きだよ ~桃塚星司~


 好きな女の子に頼まれて、恋人のフリをしている。
 いつか、本物の恋人になれることを願いながら。
 八月の半ば、想いを寄せる相手――恋ちゃんと一緒に、電車に乗って彼女の実家に向かった。
 恋ちゃんが今日帰省するのは、夏休みの家族旅行に参加できないからだ。ご両親が海外旅行を計画したらしいのだけど、恋ちゃんは九月の文化祭に向けて部活動に集中したいからと断った。その埋め合わせとしてご両親に会いに行く。
 海外旅行には僕も誘われていた。そして今日も、彼女の母親が「ほしくんも一緒に帰ってらっしゃいよ!」と言ってくれたから彼女に同行している。
 電車の中で、彼女は考え込む様子を見せたあとに言った。

「そろそろ、先輩と別れたという話を切り出してもいい頃かと思うのですが」
「んー……でも、今日もこうしてご両親に呼ばれているわけだし、もう少し……ね? ほら、文化祭も見に来てくれるみたいだから、気まずくなるのは避けた方がいいと思う」

 僕は、内心焦りながら答えた。
 まだ、誰よりも彼女の近くにいたいから。
 左隣に座る恋ちゃんの格好は、オフホワイトのロングワンピース。全体に小さな花が散ったデザインだ。髪は一つに束ねて、右肩へ流していた。

「あまり長引かせると、嘘がバレた時に余計に気まずいですよ」
「うん。でも今は、二人とも喜んでくれているし。いつかは全部話すから」
「そうですね……桃塚先輩が百鬼夜行ひゃっきやこうをして世界征服するのだと知ったら、両親はショックを受けるでしょうね」
「うん、きっとショック……って、僕は百鬼夜行ひゃっきやこうも世界征服もする予定なんかないよ!?」
「え? 確か七夕たなばたの願い事として短冊に書いていたじゃないですか。忘れたのですか?」
「書いてない、書いてないよ!? 恋ちゃん、冗談だよね?」
「はい、冗談です」

 あたふたする僕を見て、恋ちゃんはふわりと柔らかい笑みをよこした。
 演劇部での練習の賜物たまものなのか、こういう時の恋ちゃんの演技力はすごくて、本気か冗談かわからずにどぎまぎしてしまう。楽しいから好きだけれど。
 この間のキャンプ以降、恋ちゃんはよく笑うようになった。笑顔を目にするたびに、胸の中の想いがふくれ上がるのを感じる。
 七夕たなばたに僕が願ったのは、世界征服なんかじゃなくて、ずっと恋ちゃんの隣にいること。
 彼女を想っている人は他にもたくさんいる。
 ニセ恋人とはいえ、彼らからずるいと思われているのも事実だ。でも、この立場は手放したくない。
 ふと、周りからの視線に気付く。
 夏らしい涼しげなバッグを持った女の子のグループが、僕達を見て「可愛い」と言っているのがわかった。
 学園の生徒達にも、恋ちゃんとの関係を「兄と妹みたいで可愛い」とよく言われることを思い出し、もやっとしてしまう。
 デートなのに、はたから見れば仲のいい兄と妹にしか思えないんだろうか。恋ちゃんにも「兄のような先輩」としか認識されていないのかと思うと、落ち込んでしまう。
 まだ想いを打ち明けられずにいるけれど、彼女に僕を異性として見てもらいたい。

「手、繋ごう。恋ちゃん」

 電車が目的の駅で停まったから、僕は彼女の小さな手を握って立ち上がった。恋ちゃんの右手の薬指には、ホワイトゴールドの指輪がはめられている。僕とのペアリング。恋人のフリを始めた日に彼女から借りたものだ。僕は今、銀のチェーンに指輪を通して首から下げ、服の下に忍ばせている。
 初めて彼女の実家に行った日のことを思い出す。
 あの日も、こうして手を繋いだまま、電車から降りたっけ。僕は今までで一番というくらいのひどい緊張に襲われていた。
 ついつい思い出し笑いをしてしまったから、恋ちゃんが首をかしげた。

「前に来た時のこと、思い出したんだ。すごい緊張したなって。今もだけどね」

 駅前のケーキ屋さんで土産みやげとして四人分のケーキを買ってから、彼女の家に歩いて向かう。


「いらっしゃい! 星くん!」

 満面の笑みで出迎えてくれた恋ちゃんの母親・寧々ねねさんは相変わらず華やかだ。続いて父親の寛貴ひろきさんも顔を出す。
 リビングでケーキを食べながら、この間のキャンプの思い出や学校での出来事を話す。二人はずっと笑顔で聞いてくれる。

「泳ぎはしませんでしたけど、恋ちゃんと一緒に川辺で水遊びしたのも楽しかったです」
「足に水をかけ合ったりしましたね」
「そうか……それはよかった」

 寛貴さんは、目を細めて優しく微笑んだ。以前は無表情なことが多かった娘が、よく笑うようになったことに安心したのだと言う。
 恋ちゃんは、目元は父親似だな、と思った。

「……お母さん、何そわそわしてるの?」

 ふと、恋ちゃんが寧々さんに尋ねた。
 確かに、寧々さんは今日、ずっと落ち着かない様子だ。冷静沈着な恋ちゃんと違って、よくしゃべったりはしゃいだりする人だから、僕はそこまで気にならなかったけれど――

「やん! 恋ちゃんってば鋭い!」
「もう言ってしまおうか」

 寛貴さんはそう言って、寧々さんと一緒に立ち上がる。

「実は……恋ちゃんに、弟か妹ができますっ!!」
「……え?」

 その言葉の意味を最初に理解したのは、僕の方だった。
 ものすごい重大発表……!
 隣の恋ちゃんを見てみれば、目を見開いて固まっている。当然だよね、いきなり家族が増えると知らされたんだから。

「れ、恋ちゃん……大丈夫?」

 彼女の両親は立ったままワクワクした様子で反応を待っているから、僕が声をかけてみる。彼女はビクッと震えたあと、キュッと唇を閉じた。頬には赤みが差してきて――

「私に……きょうだい……」
「うん、お姉さんになるんだよ。おめでとう」
「嬉しい!!」
「わぁ!?」

 いきなり恋ちゃんに抱き付かれた。顔が一気に熱くなる。

「すみません、嬉しすぎてつい」

 身体を離した恋ちゃんは本当に嬉しそうで……僕も思わず笑顔になる。
 彼女は両親のいる方に向き直った。

「お母さん、おめでとう。すごく嬉しい」
「恋ちゃんに喜んでもらえて私も嬉しい!」
「ほら、座って。もうお母さんは一人の身体じゃないんだから」
「あら、すっかりお姉さんの顔ね!」
「もう、いいから座って。紅茶のおかわりを持ってくるね」

 恋ちゃんと僕は、「私がやる」と言う寧々さんを座らせてからキッチンに立った。

「先輩は座っててよかったのに」
「恋ちゃん一人で運ぶのは大変でしょ」

 前に来た時も、こうして彼女を手伝ったことを思い出し、口元が緩む。

「何か、ごめんね。家族の大事な発表を僕まで聞いちゃって」
「そんなこと言わないでください。先輩は実のお兄ちゃんみたいな存在ですから」

 さらっと返ってきた言葉に、いでいた紅茶を危うくこぼしかけた。
 ――実のお兄ちゃんみたいな存在。
 家族のように近い存在と思われているのは、確かに嬉しい。でも……僕は恋ちゃんに、異性として意識してほしい。本物の恋人候補として。
 リビングに戻っても、僕のもやもやは消えなかった。どうすれば、彼女に男として見てもらえるんだろう。


 話題は尽きず、約七ヶ月後に生まれてくる赤ちゃんの名前をどうするかという話から、恋ちゃんの部活の話に切り替わっていた。
 寧々さんは、文化祭で演じる舞台の内容を教えてほしいと恋ちゃんにせがんだけれど、当日まで秘密にしなければいけないのが演劇部の伝統だ。「それだけは駄目」と恋ちゃんはきっぱり断った。
 寧々さんは不満げな顔をしてみせたが、すぐに「じゃあ」と笑顔で言う。

「演技してるところを見せて! せっかく星くんもいるんだから、ロミオとジュリエットをやってもらいましょう!」
「ええっ!?」

 驚く僕を尻目に、寛貴さんまで乗り気になっている。

「あの名シーンか。いいね。それなら外でやらなきゃ。ほら二人とも、早く早く」
「えぇ!?」

 どうして僕まで!?

「ま、待ってください! 僕は演劇部じゃないですしっ!」
「一回だけ付き合ってください、星くん」
「っ……わ、わかった……」

 恋ちゃんが愛称で呼ぶものだから、断れなくなってしまった。
 そして、恋ちゃんは二階のベランダへ向かい、僕は庭に出るよう寧々さん達に背中をぐいぐい押される。
 やがて、ベランダから顔を出した恋ちゃんはいつもと変わらない様子で言った。

「星くんがジュリエットで、私がロミオです。台詞セリフはわかりますよね?」
「ああ、うん、有名だから……って普通は逆だよね!?」
「冗談ですよ。そう固くならずに。ただの遊びですから」

 恋ちゃんが、ふわりと笑う。僕の緊張をほぐすために、わざとからかったんだ。
 また想いがふくれ上がるのを感じた。
 僕の近くに立つ寧々さんと寛貴さんは、いつの間にかビデオカメラを手にしている。この寸劇を録画するつもりらしい。

「……」

 僕達がこれから演じるのは、「ロミオとジュリエット」の最も有名なシーン。ジュリエットの屋敷に忍び込んだロミオが、ジュリエットの「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」という切ない独白を耳にし、姿を現す。
 彼らは互いに一目で恋に落ち、愛を誓い合ったけれど、僕と恋ちゃんは――僕だけの片想い。僕が恋人のフリをしているのも、ただの親切だと彼女は思っているのだろう。そこに「好きだから」という想いがあることを、彼女は知らない。
 だから――伝えなきゃ、駄目だよね。ロミオのように。今伝えなきゃ、ベランダにいるジュリエットに、二度と触れることができなくなるような気がした。

「恋ちゃん」

 僕を見下ろす恋ちゃんの髪が、そよ風に吹かれて揺れる。首をかしげて黒い瞳を向ける彼女を、真っ直ぐに見つめて言った。

「君が好きだよ、恋ちゃん。一目見た瞬間から、君に恋をしたんだ」

 頭が追い付いていないのか、恋ちゃんは黙って僕を見ている。

「今はニセモノだけど、この恋人関係を解消したくない」

 僕の想いを、どうか知ってほしい。

「君の全部が好きだ。僕は君を幸せにしたい。君の隣にいて君を守りたい。だから恋ちゃん――僕を、本物の恋人にしてください」


 ニセの恋人でもなく、お兄ちゃんでもなく。
 もう一度、僕は笑顔で伝える。

「大好きだよ」

 それから数秒くらい静止していた恋ちゃんが、大きく目を見開いた。色白な頬が赤く染まる。
 言い足りなくて、僕はまた「大好きだよ」と口にした。


   三話 不調


 両親に顔を見せるために桃塚先輩と一緒に帰った私の実家で、母にせがまれて即興で「ロミオとジュリエット」の有名なシーンを演じることになった。
 そして、桃塚先輩に「好きだ」と告白された。
 私は今までずっと、桃塚先輩の気持ちに気付かずに振り回していたことになる。
 お人好ひとよしで優しい桃塚先輩。「本当のお兄ちゃんみたい」と何度も言ってきたから、そのたびに傷付けていたのだと思うと、自分がすごく嫌になってくる。
 幸い、両親はあの場で真実には気付かなかったようだ。
 母は「二度目の告白ね!」と言って興奮していたけれど、私はとても演技などできる状態ではなくなってしまい、引き揚げることにした。
 帰り道、桃塚先輩とはあまり会話をしなかった。

「じゃあまたね、恋ちゃん」

 寮に着いたあと、ぎこちなく笑って言った桃塚先輩と別れて自分の部屋に入る。
 ドアの内側に設置されている郵便受けを確認したら、カードが入っていた。

『暑い日が続いていますので、どうかご無理をなさらないように。ラウンジの冷蔵庫に、生チョコを入れておきました』

 送り主は、ヴィンス先生こと、ヴィンセント・ジェン・シルベル。純血の吸血鬼であり、私の担任教師だ。
 私は、彼からも愛の告白をされている。
 過去に恋人を亡くして心を閉ざしていたヴィンス先生は、私に出会ったおかげでまた人を愛せるようになったと言った。返事はまだできていない。
 その事実も心にのし掛かり、眠りたいのになかなか寝付けなかった。
 ようやくまどろみかけたと思った時――
 私は真っ暗な廊下を、何かから逃げるように必死に走っていた。そしていつの間にかそこは、棺桶かんおけの中に変わっている。
 閉じ込められた恐怖で目覚めた時には、朝になっていた。
 嫌な夢を見てしまった。身体中にじっとり汗をかいていて気持ち悪い。体調が悪いと悪夢を見やすい体質なのだ。
 着替えてラウンジに向かうと、桃塚先輩がいた。

「おはよう、恋ちゃん!」

 明るい笑みを浮かべて、いつも通りに接してくる。

「……おはようございます」
「大丈夫? 顔色悪いよ」
「ちょっと、寝付けなくて」
「……僕のせい?」

 こちらを覗いてくる桃塚先輩と目が合う。その顔には、心配と不安がにじんでいる。

「先輩は悪くありません。でも、返事はもう少しだけ待ってください……」
「うん。ゆっくり考えて。僕はいつも君のそばにいるから」

 桃塚先輩は優しく笑いかけてくれたが、私は笑顔を返すことができず、ただうなずいてみせる。
 その日は部活にも集中できず、迷惑をかけてしまった。
 そんな状態が何日も続き、せみの鳴き声と、うだるような夏の暑さに押しつぶされてしまいそうな気がした。


   四話 蛍の光


 夏休みの期間中、生徒会のメンバーは文化祭の準備に精を出していた。
 しかしここ数日ほど、生徒会長の桃塚がどんよりした空気をかもし出しているため、生徒会室の居心地はよくない。
 彼は今日もまた、机にひたいを押し付けて露骨ろこつに落ち込んでいた。
 人間と吸血鬼のハーフであり生徒会副会長を務める赤神淳あかがみじゅんは、最初こそ心配して「大丈夫か」と声をかけていたが、桃塚が「何でもない」としか返さないため、今はもう無視し続けている。
 一方、生徒会庶務で鴉天狗からすてんぐ黒巣漆くろすななには、桃塚が落ち込む原因に心当たりがあった。
 寮のラウンジで見かける桃塚と音恋の様子が、どうもおかしいのだ。二人の間に何かがあったからに違いない。

「ネレンと喧嘩けんかしたんすか?」

 直球でそう尋ねたのは橙だった。隣にいる生徒会書記の緑橋みどりはしルイも、ちらちら横目で様子をうかがっていた。彼の正体はメデューサである。

「……違うよ」

 桃塚は苦笑しつつ答えて、首を横に振った。すると、橙はサッと表情をくもらせて言った。

「ネレンを怒らせたとか!?」
「それも違う……確かに、恋ちゃんが怒ったら怖いけど」
「いや、怒ったネレンが怖いんじゃないっすよ」

 橙が椅子の背もたれに寄り掛かり、言葉を続けた。

「ネレンに嫌われるのが怖いっつーか……」

 それを聞いた桃塚や、周りにいた他のメンバーも目を丸くする。

「どうでもいい奴になら嫌われても構わないけど、ネレンは別です。あいつは本当に怒ったら、相手を一生嫌いになりそうじゃないですか。ネレンには、嫌われたくないっす。……俺、変ですかね?」

 この学園に来るまで、橙は周りからの評価など気にしたことがなかった。しかし今は、人間である音恋や桜子から嫌われることに不安を覚えている。

「ううん、変じゃないよ。僕だって恋ちゃんに嫌われるのは怖い。でも大丈夫。恋ちゃんは僕達を友だちとして好きでいてくれる」

 桃塚はそう言って励ますように笑いかけた。

「他人との接し方なんて、人それぞれだ。カイ、お前が暗いと気が散る。早く元に戻れ」

 桃塚に続いて声をかけたのは赤神だ。彼はいつも、橙のことを「カイ」と下の名の愛称で呼ぶ。
 一同が赤神に注目した。

「何だよ」

 ぶっきらぼうに見えるけれど、これが赤神なりの励まし方なのだと、全員がわかっていた。


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