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5巻
5-1
しおりを挟む第一章 色付く日々
一話 予定
その名に反して純白の校舎が美しい漆黒鴉学園。生徒会室の大きな窓からは、眩い光が射し込んでいた。日ごと強くなる日差しに、もうすぐ本格的な夏がやってくるのを実感する。窓から見える庭の木漏れ日も、風に揺られて踊っているみたいだ。
そんな穏やかな初夏の放課後、生徒会室に大きな怒号が響き渡った。
「ネレンもサクラも、生徒会が預かる!!」
「いいや、おめーらなんかに任せられん! 俺達、風紀委員が面倒を見る!!」
私、宮崎音恋を挟むようにして怒鳴り合いを始めたのは、生徒会会計の橙空海先輩と、風紀委員長の笹川竹丸先輩。
現在、橙先輩を筆頭にした白い腕章の生徒会と、笹川先輩率いる黒い腕章の風紀委員が対峙しているところなのだ。
生徒会長の椅子に座り、困ったように苦笑いするのは桃塚星司先輩。ふと目が合うと、桃色がかったベージュの髪をふわふわさせて、愛らしい笑顔を向けてくれた。
彼の斜め前の席――つまり、副会長の椅子に座っているのは、赤神淳先輩。ペロリと舌舐めずりしながら、不敵な笑みを浮かべている。
橙先輩は眼鏡の奥の眼光を鋭くして、ぎゃあぎゃあと喚いている。心なしか、オレンジ色の髪も逆立っているようだ。
対する笹川先輩も負けじと睨み返していた。脱色した髪にピアスという笹川先輩の風貌も相まって、まるで不良同士の喧嘩みたいだ。
私は椅子に深く座り直して、そっとため息をつく。そんな私を見て、隣に居る親友の姫宮桜子が、にこにこと笑いかけてきた。栗色のセミロングをふわっと揺らす私の親友は、誰がどう見ても可愛らしい美少女だ。
いつも明るくて、あたたかいサクラ。彼女の笑顔は真夏の太陽にだって負けないくらい眩しい。
「どうしたの、サクラ?」
「だって、もうネレンに隠し事しなくてもいいんだもん!」
実は、こうして生徒会と風紀委員が対峙しているのは、学園の秘密を知ってしまった私とサクラのためだ。
何を隠そう、この学園の生徒と教師の中には、モンスターが紛れているのだ。彼らは正体を隠し、人間の姿で生活を送っている。
容姿端麗で、女子生徒から絶大な人気を誇る生徒会メンバーも、全員モンスターだ。桃塚先輩は九尾の妖狐で、赤神先輩は吸血鬼と人間のハーフ。笹川先輩に食ってかかっている橙先輩は、狼人間である。
われ関せずとばかりに、そっぽを向いているのが生徒会庶務の黒巣漆くん。彼は鴉天狗の孫だ。
黒巣くんと先輩達を交互に見て、オロオロしているのが緑橋ルイくん。生徒会書記で、どことなく気弱そうな彼も、正体はメデューサの血を受け継いでいるモンスターだ。
もし学園の秘密を知ってしまった場合、それを口外しないよう〝関係者〟が監視することになっている。
つまり、私とサクラは生徒会と風紀委員のどちらが監視するのか取り合われている最中なのだ。
だが、私はこの流れを見た記憶がある。その場に私は居なかったが、サクラともっと親しくなりたい生徒会と風紀委員が、彼女を取り合う場面。それは、遠い昔に体験した前世の記憶だ。
彼らと同じく秘密があるのは、私も同じ。私には実は前世の記憶がある。そしてこの世界は、前世の私がプレイしていたゲーム『漆黒鴉学園』の舞台なのだ。
自分が脇役の宮崎音恋に転生していることに気付いたのは、高等部の入学式の時だった。
それでも私は脇役。高校を卒業して、大学に進学して、就職して八十歳まで長生きするのが目標だ。前世で若くして死んでしまったから、今度は平穏無事な人生を送れたらそれでよかった。ゲームヒロインであるサクラの恋を応援しつつ、平凡な日々を過ごせたら――
そう思っていたところ、この世界は、前世の私の生き方に感銘を受けたシヴァという神様が、私の幸せを願って与えてくれたものだと知らされた。
神様は、私がサクラを舞台の中心から蹴落として、攻略対象者と恋愛を楽しめばいい、と思っていたらしい。
親友になったサクラの幸せを邪魔するなんて、私は望んでいないのに。
大切なサクラのシナリオを守るため、この学園を去ることも考えた。そんな私の前に現れた神様は、〝自由に生きていい〟と告げた。
私がゲームで一番大好きだった夏休みのイベントは楽しむべき、とも。病弱だった前世の記憶の中で、そのイベントをやっていたときが最も輝いていたからだ。その神様の言葉で、これから起こるはずの夏休みのイベントに参加したいという気持ちがムクムクと芽生えてしまった。
そんなある日、以前断ったはずの見合い相手が、突然学園にやってきた。
彼はアメデオ・アルーノ。三百歳を超える純血の吸血鬼で、ゲームのシナリオには登場しないイレギュラーな存在だ。
アメデオは私を花嫁として連れ去ろうとしたけれど、生徒会メンバーたちが命がけで救出しにきてくれたのだ。
激しい戦いの中で、アメデオが誰かに愛されることを渇望しながら、それが叶わなければ死にたいと願っていたことに気付いた。何十年も何百年も孤独な時間を過ごしてきた彼は、誰かから愛され、理解されるのを待ち続けていたということに。
アメデオの心臓を止めた私に、彼は満足したみたいに笑って見せた。
彼は処刑を受けるその時まで、心臓に鍵をかけて眠ることとなった。
奇しくもこの出来事をきっかけに、私は学園の秘密を知った〝関係者〟となり、舞台の中央に立つことになったのだ 。
「あの」
橙先輩と笹川先輩が怒鳴り合うだけじゃ、いつまでたっても終わらない。そう思って私は手を上げた。
私の目の前で睨み合っていた二人がバッと振り向く。彼らだけではなく、その場に居る全員の視線を集めることになった。
「キリがないので、私が決めてもよろしいでしょうか? 要は私とサクラが、生徒会か風紀委員と行動を共にする時間を設ければいいのですよね?」
「あ、うん。そうだね。昼休みや放課後はなるべく僕達と一緒に居てもらいたいな。友達と遊びに行く時なんかは、事前に報告してくれればいいよ。もちろん、二人のことは信用しているけど、形だけでもこうさせてほしい」
私の問いに、桃塚先輩が申し訳なさそうに答える。見た目は元気そうだけれど、まだアメデオにやられた怪我は完治していないはずだ。彼が一番深手を負ったのだから、無理もない。
「いいぜ、ネレン達に決めさせよう」
橙先輩はそう言って腕を組んだ。彼は笹川先輩を一瞥すると、フンと鼻で笑い飛ばし、私達の方を向く。何とも自信満々な笑みだ。絶対に自分が選ばれるというその自信は、どこからくるのでしょうか。
「そうだな、宮崎と姫宮にも選ぶ権利はある……」
橙先輩を睨み付けながら、笹川先輩も私達の選択を待つ。一同が注目する。
退屈そうにそっぽを向いていた黒巣くんも、ちらりと視線を私に向けた。私は左隣に居るサクラを見る。彼女も笑顔で私を見つめていた。
「私が決めてもいいかな?」
「うん! ネレンと一緒ならなんでもいいよ!」
風紀委員の中には草薙彦一先輩がいることなど頭にないのか、サクラはニコニコしながら私に選択を委ねる。
草薙先輩はゲームの攻略対象者の一人で、天然たらし王子の呼び声が高いイケメン。サクラはそんな草薙先輩のことを意識し始めていたはずだけど。
サクラは乙女ゲームをベースに作られたこの世界のヒロインなのに、いつも恋愛はあと回しで私を優先してくる。サクラは「友達思い」を通り越して、「親友第一」になっているのではないか。
そんなことを考えつつも気を取り直して、私は選択を発表することにした。
「それでは、私とサクラは」
皆を一人一人見渡してから、こう告げる。
「昼休みは……風紀委員と過ごします」
指で差すのは失礼だと思い、右手の掌で風紀委員たちを示す。
途端に笹川先輩と数人の風紀委員がガッツポーズをした。
「何ぃっ!? なんでだ!?」
心底驚愕したように橙先輩が声を上げる。逆にどうしてそんなに驚くのかを訊きたい。知りたくないですが。
「それで、放課後は……生徒会と過ごします」
橙先輩の問いには答えず、今度は左手で生徒会メンバーを示す。
ガタン! と桃塚先輩が立ち上がった。傷口に響いたのか、すぐに「いたたっ」とお腹を押さえて俯く。
「つまり……両方を選ぶというわけか?」
不満そうに私を見据えていた赤神先輩が確認してきたので、こくんと頷いた。
「ここ最近は草薙先輩とお昼をご一緒させてもらっていましたし、生徒会には放課後、サクラが勉強を教わっています。今まで通り、両方と一緒に居れば争わないですむと思います。私は放課後に部活がありますが、来週からテストで休みなので、勉強会に参加させてもらいます。そのあとは寮まで一緒に帰ればいいのではないでしょうか」
何もずっと生徒会と一緒に居る必要はない。サクラの勉強会に私が加わるだけでいいと思う。
生徒会の反応は様々だった。桃塚先輩は大きく丸い瞳を嬉しそうに輝かせている。対する黒巣くんは眉間にぐっと皺を寄せていた。橙先輩も不満そうに唇を尖らせている。緑橋くんは表情を変えていない。というより、彼は眼鏡と前髪で隠しているのでわからないです。
サクラのことを思うと、草薙先輩と引き剥がすことはできない。
過去のトラウマから男性恐怖症になってしまったサクラは、異性に対してなかなか恋愛感情を抱けずにいた。
ゲームの世界では、ヒロインは攻略対象者に恋をして、過去のトラウマを克服することができた。現実の世界では、サクラは私の大切な親友だ。彼女にも実際に素敵な恋をして、幸せになってほしいと心から願っている。草薙先輩のことが気になっているのなら、なるべく一緒にいられる環境をつくりたかった。
だからといって風紀委員と勉強会をしたら、彼女の気が散るに違いない。勉強の際は、草薙先輩は近くにいない方がいいでしょう。
期末試験の結果が悪ければ、夏休みは補習地獄になってしまうのだ。だから昼休みは風紀委員、放課後は生徒会という選択にする。生徒会ならば成績優秀なメンバーが揃っているうえ、親切に教えてくれる人が多い。
サクラのことを考えて、自分なりにベストな選択をしたつもりだ。恋愛も勉強も大事ですからね。
「私、部活があるので、これで失礼してもいいですか?」
「あ、ああ……。異論はないな? 桃塚」
「うんっ! それでいいと僕も思うよ」
遅れて行くとは連絡しておいたけれど、私は早く部活に行きたい。笹川先輩と桃塚先輩は首を縦に振った。決まりですね。
「それでは、部活が終わり次第、ここに戻りますね。詳細はその際に聞きます」
無表情のまま淡々と言ってから、ぺこりと頭を下げた。
「サクラと一緒にお世話になります。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします!」
慌ててサクラも椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。
「そんな、かしこまらなくていいんだよ?」
「面倒くさいけどお願いされましたー」
「ナナッ!」
桃塚先輩の声に頭を上げれば、黒巣くんがそう悪態を吐いてきた。彼の後ろに立っていた緑橋くんが慌てて口を塞ぐ。一瞬、緑橋くんと目が合った気がするけれど、すぐにふいっと顔を背けられた。
どうしたのかな、と気になったものの、そろそろ行かなくては部活に間に合わない。
私はもう一度軽く頭を下げてから、生徒会室を後にした。
部室に行こうと廊下を歩いていたら、前方から優雅な足取りで、担任教師が近付いてきた。そして気品のある柔らかい微笑みを浮かべながら、問いかけてくる。
「私と過ごす時間は設けてくださらないのですか?」
彼は、ヴィンセント・ジェン・シルベル。モンスターの頂点に立つ純血の吸血鬼である。
窓から射し込む光を受け、青いリボンで一つに束ねた白金髪はきらきらと輝いている。ヴィンス先生は、海のように深い青の瞳で私を優しく見つめる。思わずうっとりしてしまうほどの美しさだ。
ゲームでは悪役として登場した彼だが、この世界では私に好意を抱いて、学園の教師になっている。私に前世の記憶があるせいで、何かしらのイレギュラーが起こっているのかもしれない。
「設ける必要はない、かと……」
そう答えると、彼は一歩、距離を縮めてきた。
ヴィンス先生に前世の記憶を覗かれた私は、彼を拒絶して無視し続けた。そのまま距離を置こうと考えていた矢先に、アメデオに拉致される事件が起きたのだ。冷たい態度を取っていたにもかかわらず、彼は私を助けに来てくれた。そんな彼を拒絶し続けることはできなくて、仲直りをしたのだけど……
以前の距離感を忘れてしまったのでしょうか。前にも増して近い。微笑みもさらに眩しくなっている気がする。
「私は貴女といたいのです。今までそばにいられなかった分を取り戻したい。どうか……私のために僅かでいいので時間を」
甘く囁かれた声にぞくっとするが、その言葉の意味に気付いて後ろめたさを感じてしまう。
すると彼は美しい右手を伸ばして、私の髪をそっと撫でた。ヴィンス先生は色気がだだ漏れです。そんなに、動揺する私の心音が聞きたいのでしょうか。
「そうだ、音恋さん。以前お話ししたように、音恋さんが私の家に来る、というのはどうでしょうか? 黒い薔薇の庭園や家の中を案内して差し上げたいです」
「……」
アメデオから助けてもらった恩を思うと、少し断りづらい。けれど心を鬼にして〝いいえ〟と言わなければ。
「お菓子も用意しますよ。以前お店で食べたチーズケーキです」
「行きます」
チーズケーキと聞いて、即答してしまった。久しく食べていないから、その誘惑は魅力的すぎる。
「では日曜日でいいですか?」
「……テスト勉強をしないといけないので、一時間くらいなら」
「一時間も頂けるのですか、嬉しいです」
「……午後からでいいですか?」
「はい、私は構いません。それでは一時に待ち合わせしましょう」
ヴィンス先生は満足そうに微笑むと「部活楽しんできてくださいね」と言い残して優雅に歩き去った。
その後ろ姿を見送り、そっとため息をつく。
もちろん、彼のことは嫌いではない。いつも体調を気遣ってくれるし、生徒思いの優しい先生だ。ただ、彼の気持ちに応えられないのには理由があった。
この漆黒鴉学園は一度、崩壊の危機に直面したことがある。そのきっかけは、ヴィンス先生が学園に通うハンター一族の娘である東間紫を愛したこと。
言うまでもなく、吸血鬼はモンスターであり、ハンターはそれを狩る存在である。二人が結ばれることは許されず、学園は吸血鬼とハンターの戦場になりかけたのだ。
ただ、吸血鬼の力は圧倒的だ。隙でもつかなければ、とても人間が太刀打ちできる相手ではない。そこで東間紫は、ヴィンス先生を仕留めるための囮にされてしまった。
自分のせいで危険に晒されたヴィンス先生を守ろうとして、彼女は自ら命を絶ってしまう。ヴィンス先生は悲しみに暮れたが、争いを望まなかった彼女のことを思い、復讐はしなかった。
だが、東間一族はヴィンス先生への恨みを抱え続けている。紫の姪で、現役最強のハンターである東間紫織は、ヴィンス先生を狩るチャンスを狙っているのだ。
――彼を狩るためなら、手段だって選ばない。
つまりは、ヴィンス先生から想いを寄せられている私も狙われかねない。アメデオの忠告を思い出しながら、私は部室へと急いだのだった。
二話 助言
部活を終えて生徒会室に戻る前に、私は保健室に立ち寄った。
「ん? どうした? 怪我でもしたか? 音恋ちゃん」
保健室の棚を整理しながら、白衣姿の笹川仁先生は私を迎え入れる。甥の笹川竹丸先輩とよく似たハンサムな顔立ちに、無精髭がよく似合っている。笹川先生はこの学園の養護教諭として働いているが、かつては最強のハンターとして活躍した人物だ。
「いいえ。大事なお話がありまして」
そう切り出すと、彼は深刻な話だと判断したらしく、私を椅子に座らせてドアに鍵をかけた。
向き合うように座った笹川先生は、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「先日は助けていただき、ありがとうございました」
「ああ、それは当然のことだ」
ぎこちなく笑った表情で、笹川先生があとに続く話を警戒しているのがわかる。だからすぐに本題に入ることにした。
「アメデオから、私とヴィンス先生の命が危ないと聞きました。東間紫織さんと後島光也さんがやって来ると。……二人とも先生のお弟子さんなんですよね」
「アメデオが……そう言っていたのか?」
笹川先生は目を見開いた。これは予想外の話だったらしい。
アメデオにそのことを教えてもらって、初めて自分の危機に気付いた。ヴィンス先生といると私は死んでしまうかもしれない。黒巣くんも赤神先輩も、それを仄めかしていた。
「はい。東間さんはヴィンス先生を殺したくて仕方なくて……決して人間を助けるために狩りをしているわけではないそうですね。吸血鬼を狩るのがとても難しいことは、私も実際に見たのでわかります。そんな無敵の吸血鬼に弱点があるなら……誰だって、そこを突きますよね」
生徒会と風紀委員が束になって、ようやく一人の吸血鬼を倒すことができたのだ。それほどの強敵を確実に仕留められる弱点があるのなら、当然そこを突く。
ゲームの中では、東間紫織は正義の味方として描かれていた。悪役に回ったヴィンス先生を倒してくれる重要な役割を担っている。その実態は、ヴィンス先生を狩る大義名分を虎視眈々と狙う復讐者だったのだ。
私がヴィンス先生の弱点と知れば、どんな手段をとるか……
とにかく、私もヴィンス先生も、危険なことは確かだ。
「……大丈夫だ、音恋ちゃん。それは俺達がなんとかするから、心配するな」
笹川先生は私の頭を撫でながら励ます。優しい眼差しだ。きっと、ずっと心配してくれていたのでしょう。
「要はヴィンス先生の想いに応えなければいいのですよね? そうすれば私も危険な目に遭うこともありませんし、ヴィンス先生が命を落とすことも回避されますよね」
私が言うと、笹川先生は頬を掻いてその通りだと頷く。
「実はヴィンス先生と今度の日曜日に会う約束がありまして……そこでキッパリと気持ちを断ち切ってもらおうと思うのですが……」
この相談のために来たはずだけど、やはり気が重くなって視線を落とす。
「私、子どもみたいにヴィンス先生を無視してきて……。これ以上、彼を傷付けたくないのですが……なんて言えばいいですか?」
「んー……音恋ちゃん、悲しそうな顔をしないでくれ」
「そんな顔をしていましたか」
苦笑しながらも笹川先生は、あやすようにぽんぽんと私の頭を撫でる。
危険を回避する方法は一つしかない。ヴィンス先生に私への気持ちを断ち切ってもらうことだ。現状ではいつ東間紫織さんが来てもおかしくない。そうなる前に、私がはっきり言わないと。
「ストレートでいいと思うぞ? あまり優しく言っても、ズルズル引き摺る可能性があるからな。本心を言えばいいさ」
「本心を、ですか……」
「音恋ちゃんは優しいな。困ったことがあれば、すぐ俺に連絡してくれ。駆けつけるから」
サクラ達を待たせてはいけないので、相談を切り上げて私は立ち上がる。まだ完全には納得できていなかったけれど。
生徒会室に戻ると、サクラたちはもう帰る準備ができていたので、一緒に学園を出た。
下校途中、皆で七夕の話をした。今年の七月七日は日曜日だ。イベントと言えるほどではないけれど、ゲームでも主人公が攻略対象に誘われる展開がある。そこで主人公達は、短冊に書いた願いの話をするのだ。
そんなイベントに、サクラだけでなく私も誘われる。
「七夕の夜に生徒会メンバーで集まるんだ。恋ちゃん達も一緒にどうかな。中等部の美海くんと美空くんも来るよ。あのね、二人とも実はモンスターなんだ。だから、恋ちゃんに会うの、ちょっと怖がってるんだ」
私の隣を歩く桃塚先輩が、少し悲しそうに微笑む。脳裏に浮かぶのは、中等部の生徒会に入っている猫塚美海と美空の双子。彼らの正体も猫又なのだ。二人とも私を慕ってくれているが、臆病な彼らのことだ。モンスターの姿を見せたら、私がどんな反応をするかと不安なのだろう。
「そうだったのですか。もちろん、参加させていただきます」
「そっか! よかった! 桜子ちゃん、行けるって!」
「やったー!」
「よっしゃー!」
桃塚先輩が伝えると、前を歩く橙先輩とサクラが揃って歓喜の声を上げた。
「日曜日は晴れだぜ! 天の川が綺麗に見える!」と橙先輩。彼は本当に夜の空が好きですね。
サクラ達の先を進む黒巣くんは、隣に居る緑橋くんの頭をくしゃくしゃ撫でていた。
夕陽を見ようと振り返ると、後ろを歩いていた赤神先輩と目が合う。彼は何かを言いたそうにこちらを見つめている。そっと視線を外して、空を真っ赤に染める夕陽を眺めた。遠くから蝉の鳴き声が聞こえる。
夏が来た。
そう思うと、静かに胸が高鳴りました。
三話 質問の答え
七月七日の日曜日。ヴィンス先生との待ち合わせ場所に向かう前に、七夕で賑わう商店街を歩いてみた。可愛い猫の置物が飾られた雑貨店のショーウィンドを眺めていたら、視界に人影が入る。ぶつかる前に避けようとした瞬間、相手の顔を見て、思わず固まってしまった。その人も私に気付いて、目を見開く。
ファッションなのか、それともファン避けなのか。眼鏡をかけているけど間違いない。黒襟の半袖シャツと七分丈の白袖に、ダメージジーンズ。ルビーのように輝く深紅の髪の持ち主――赤神先輩が立っていました。
「……」
「……」
予想外な相手との遭遇に、互いに目を見開いたまま固まる。
私も緑橋くんみたいに顔を隠すための眼鏡をかけるべきでした。いえ、そんなことぐらいでは吸血鬼の目は誤魔化せないでしょう。匂いでバレますからね。
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