漆黒鴉学園

三月べに

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4巻

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 第一章 虎視眈々こしたんたん


   一話 一抹いちまつの不安


 今日の一、二限は、全学年参加の体育祭合同練習だった。
 練習中、頭を打って保健室に運ばれるというハプニングに見舞われたものの、私は三限の授業に無事出席することができた。

宮崎音恋みやざきねれんさん」

 名前を呼ばれ、前回の小テストが返される。私の結果は満点。点数に満足して席に戻る途中、斜め前に座る親友の姫宮桜子ひめみやさくらこが目に入った。彼女はがくりと項垂うなだれている。どうやら、テスト結果が悪かったみたい。
 サクラは、独りでいることの多かった私に初めてできた親友だ。さっきも、保健室に運ばれた私を心配して、真っ先に駆けてきてくれた。
 キラキラしてて温かくて、まるで太陽みたいなサクラ。
 私は、大切なサクラの――このゲーム世界のヒロインの幸せを誰よりも一番に願っている。
 この世界は、実は前世の私がプレイしていた乙女ゲーム『漆黒鴉学園しっこくからすがくえん』の舞台なのだ。私はそのゲーム世界に脇役の宮崎音恋として転生していることに、高等部の入学式に気が付いた。
 とはいえ、脇役は脇役らしくヒロインの恋を見守りつつ、平穏で平凡な人生を送ろう――
 そう思っていたら、この世界は、前世の私の生き方に感銘を受けた神様が、私の幸せを願って与えてくれたものだと知らされた。大好きだったゲームのヒロインに成り代わり、攻略対象者と幸せになれる世界。けれど、私はそんなことは頼んでいないし、本来のヒロインであるサクラの幸せを奪うようなことは望んでいない。
 だから私は、大切なサクラのシナリオを守るためこの学園を去ることを考えた。でも、そんな私の前に現れた、全ての原因である神様は、私の人生を自由に生きろと言う。せっかくの舞台をサクラと一緒に楽しんだらいいと……
 そのせいで、私の中にこれから起こるはずの大好きな夏休みのイベントに参加したいという気持ちが芽生えてしまった。
 ここで夏休みを迎える。親友のサクラと一緒に。
 斜め前の席に目を向けると、授業が始まっても、サクラはまだ落ち込んでいる様子だった。でも、私の視線に気付いて、にっこりと笑った顔を見せてくれる。まぶしいキラキラした笑顔。
 私も口元をゆるませて、笑みを返した。
 サクラと一緒に、夏休みのイベントを楽しみたい。その思いが強くなる。
 どれほど楽しいだろうか。
 どれほど幸せだろうか。
 けれど、その前に一抹いちまつの不安がよぎる。
 さっき、保健室を出た私が会った後島光也ごとうみつや。彼はモンスターを狩るハンターなのだ。元最強のハンターでもある、養護教諭笹川仁ささがわじん先生の愛弟子まなでしの一人。彼はここへ獲物を追って来たと言っていた。相棒の東間紫織とうましおりと共に。
 ゲームシナリオでは、後島光也と東間紫織が登場するのは二学期になってからのはずだった。
 これは、明らかにイレギュラー。
 神様の贔屓ひいきを受けてこの世界に転生した私の存在、そして、前世の記憶を持つ私がゲームとは違った選択をすることで、少しずつシナリオが変わってきてしまった。
 東間紫織は、笹川仁の後をいで現役最強のハンターとなっている。彼女が追っている獲物となれば、恐らくとてつもなく危険なモンスターだろう。そんなエピソード、ゲームの中にはなかった。
 前世の記憶を持っている私にも、この先のシナリオがどうなるかわからなくて、少し怖い。
 はたして無事に、夏休みのイベントは迎えられるのでしょうか……


   二話 三百歳の吸血鬼


 その日の昼休み。生徒会室に関係者が集まった。
 関係者とは、この学園の秘密を知る者。
 漆黒鴉学園は、人外の子ども達のために設立された学園なのだ。彼らは正体を隠し、人間の姿で人間と共に学園生活を送っている。そして、学園の女子生徒から絶大な人気を集めている容姿端麗ようしたんれいな生徒会メンバーは、実は全員がモンスターだった。
 そして、彼らを監視し、人間の生徒達を守る役割をになっているのが風紀委員だ。
 そんな生徒会メンバーと風紀委員が、生徒会室に集められた。彼らは、召集した張本人――養護教諭で、風紀委員を監督する笹川仁に注目する。
 生徒会室の大きな窓を背にし、深刻な顔をした白衣姿の仁が立っている。ピリピリとした空気に一同は息を呑み、じっと彼が話し始めるのを待った。

「東間紫織と後島光也が日本に来ていることは、皆聞いているな?」

 仁が重い口を開く。彼の愛弟子まなでしである東間紫織は、現役最強のハンターだ。彼女はモンスターに強い憎しみを抱いている。そして、この学園の教師となった純血の吸血鬼ヴィンセント・ジェン・シルベルの命を狙っていた。
 純血の吸血鬼であるヴィンセントは、モンスターの頂点に立つ存在であり、本来なら人間のかなう存在ではない。しかし、今のヴィンセントには弱点となる存在がいる。
 寵愛ちょうあいする人間の少女――宮崎音恋。彼女の存在が知られれば、利用されかねない。学園の生徒である宮崎音恋のためにも、漆黒鴉学園のためにも、ヴィンセントの弱点を隠し通さなければならない。
 そう話し合ったのはつい最近のことだ。
 そして今、海外でハンター業をしていた東間紫織が日本へ戻って来た。だが、問題はそれだけではない。

「紫織と光也の他にも……やっかいな者が日本に来ている。紫織達が追っている獲物だ」

 仁は長い茶髪を掻き上げて、はっきりと告げる。

「三百歳になる純血の吸血鬼で、力は、ヴィンセントと同等、あるいは……上だ」

 三十年以上前から、ハンター達のターゲットとなっているその吸血鬼は、グールと言う化け物を作り出していた。グールとは、吸血鬼の血を体内に残したまま死んだ人間の成れの果て。本来は作ることを禁じられた存在だが、その吸血鬼は禁忌きんきを犯した。そのため、ハンターに追われ続けているのだ。
 吸血鬼は、高位であればあるほど、そして長生きであればあるほど強い。
 先日、ヴィンセントが激怒する出来事があったが、彼を止めるのは、モンスターの教師や風紀委員が総出であたっても苦労した。
 百歳に満たないヴィンセントですらこうなのだ。そんなヴィンセント以上の強さを持つ、危険な吸血鬼が日本にやって来たと聞いて、生徒会室がにわかにざわめき出す。

「ど、どうすんだっ……!」

 生徒会会計で狼人間の橙空海だいだいくうかいが立ち上がり、声を上げた。仁がてのひらを向けてそれを制止する。

「紫織達は、表向き獲物を追ってきたと言っていたが、ヴィンセントのことも狙っている。少しでもあいつらにつけ入られるようなすきを作ったら、喜んでやって来るだろう」

 強い眼差しで一同を見て、仁は告げた。

「その吸血鬼は、ヴィンセントの旧友らしい。後島いわく、この近くまで来て消えたそうだ。もちろん、その吸血鬼が学園に来るという確証はない。だが、万が一のためにも厳戒態勢で学園を守るぞ」

 ヴィンセント以上の吸血鬼の存在に不安や恐怖を感じながらも、ここに集められた者達は、この学園を、生徒達を守りたいという強い気持ちを持っている。

「くっそ……これから体育祭なのによ……」

 悔しそうにつぶやく橙を見た仁達は、何も言わずに目をらした。
 すると、今までずっと黙ってうつむいていた生徒会庶務で鴉天狗からすてんぐ黒巣漆くろすななが、机の上に拳を叩きつけた。突然上がった大きな音に驚いて、一同は黒巣に注目する。

「……ここにヴィンセント先生がいないんですが……彼はどうするんですかー?」

 今の行為が嘘のように、やる気のなさそうな声を伸ばして、黒巣はこの場にいないヴィンセントについて問う。

「……ヴィンセントには、この件は話さない。せっかく今は音恋ちゃんと距離を置いているのに、彼女に危険が迫っていると知れば、自分が守ると言い出しかねない。紫織達が近くにいる以上、二人は一緒にいない方がいい。言ったところでアイツを説得できるわけもないからな。全員、この件をヴィンセントの耳に入れるなよ」

 仁は皆を見渡して、きつく釘を刺す。そこで、風紀委員長の笹川竹丸ささがわたけまるが手を挙げた。

「旧友なら、ヴィンセント先生から日本を出るよう説得してもらったら?」
「あほ言うな。力が同等なら、ヴィンセントの言うことなんて聞くわけがない。むしろ、ヴィンセントをこの件に関わらせた方が事態が悪化する」

 竹丸の提案を、髪を掻きながら仁が一蹴いっしゅうする。
 すると、再び黒巣が手を挙げる。天井にピンと伸ばした左腕をフラフラと揺らして言った。

「宮崎さんはどーするんですかぁー? 学園の秘密を話して関係者にする件が保留中ですよね」

 彼女はすでに、ヴィンセントと赤神のカミングアウトによって吸血鬼の存在を知っている。
 ならば、音恋を関係者にして、秘密をらさないよう監視する名目で、生徒会メンバーがそばにつき、ヴィンセントから遠ざけようという案があった。だが、ある日突然、音恋がヴィンセントを拒絶したために、一旦保留となったまま忘れられていた。
 音恋を関係者にすることに反対している橙と竹丸が、黒巣をにらんだ。

「もう赤神あかがみ先輩が吸血鬼だということも知ってしまったんですしー、この際、近くに危険な吸血鬼がいるから夜は出歩くなって話すべきなんじゃないですかー? 一番、被害にあっちゃいけない生徒ですよねー?」

 その言葉に、生徒会室にいる皆の顔色が変わる。確かに、彼女の身に何か起これば、必ずヴィンセントが関わってくるだろう。さらに、彼女の体内には純血の吸血鬼の血が入っているのだ。万が一にも命を落とすような事態になれば、彼女はグールとなってしまう。
 グールを作った吸血鬼は問答無用でハンターのターゲットになる。そんなことになれば、紫織達にヴィンセントを狩る大義名分ができてしまう。
 しばらくして、皆の視線を受けた仁が口を開いた。

「いや……音恋ちゃんに話せば、ヴィンセントが知ってしまうかもしれない。だから、音恋ちゃんにも話さない方がいい。その代わり、今まで以上に俺達で注意をするんだ」
「……そーですか」

 黒巣はあっさり引いたふりをしたが、机の下では拳を強く握り締めていた。


   三話 冗談好き


 昼休みは、中庭のベンチに座ってサクラと風紀委員の草薙彦一くさなぎひこいち先輩に挟まれてランチ。
 草薙先輩には、特に変わった様子は見られない。
 私がこうして草薙先輩を気にしているのは、二限目の合同練習の後、少し気になることがあったからだ。
 保健室から戻った私のもとへ、生徒会長の桃塚星司ももづかせいじ先輩と、彼の幼馴染おさななじみで私が保健室に行く原因となった三年のミラクルドジッ子、春風はるかぜ美南みなみ先輩が様子を見に来てくれた。その時、廊下に立っていた桃塚先輩に、一年の風紀委員が何かを耳打ちしてきた。その途端、桃塚先輩の顔色が変わったのだ。
 いつも優しい笑みを浮かべている桃塚先輩が、すごく深刻そうな表情をしている。
 だけど、何かあったのか聞く前にチャイムが鳴ってしまい、桃塚先輩は引きつった笑みを残して春風先輩と教室に戻って行ってしまった。
 もしかしたら、突然学園に現れた後島光也と関係があるのだろうか……そんな予測をするも、学園の秘密を知らないことになっている私が、何か事件でもありましたかなんて聞くことはできない。
 結局何事もなく昼休みとその後の授業を終え、放課後となった。
 ちらりと隣のクラスをのぞいたけれど、生徒会の黒巣くんも緑橋くんもすでにいなかった。こんなに早く生徒会室に向かったということは、何かよっぽど深刻な事態でも起きたのでしょうか。

「音恋ちゃーん! 一緒に部活行こう?」

 廊下に立ってそんなことを考えていると、後ろから明るく声をかけられた。ふんわりとウェーブのかかった栗色の髪をおさげにした可愛い少女、七瀬ななせ紅葉もみじちゃん。その隣には恋人で、女の子みたいに可憐な顔をした園部暁そのべきょうくんこと、きょんくんもいた。二人は私が入部を決めた演劇部の友人だ。

「あ、俺も行く!」

 ひょこっと、紅葉ちゃんときょんくんの横から、クラスメイトの木下きのしたくんが顔を出す。彼も演劇部だ。私は頷いて、三人と一緒に演劇部の部室に行くことにした。
 私の知らないところで起こっていることが、気になってしょうがない。けれど私は、ゲームとは関係ない人生を生きると決めたのだ。だから、極力気にしないように、思考から切り離そうとした。
 すると、階段を下りた先に、壁に寄りかかった桃塚先輩が待っていた。
 いつも通りの愛らしい笑みを向けられた私は、安堵を覚えてつい笑みを返してしまいそうになる。
 生徒会長の彼がここにいるということは、そこまで深刻な事態ではないみたい。

「桃塚先輩も見学に来るんですか?」
「うん、音恋ちゃんの付き添い。昨日は生徒会の仕事があったから来られなかったんだ」

 紅葉ちゃんにそう答えると、桃塚先輩は私に笑いかけてきた。
 そういえば付き添うって話していたっけ。ひとまず心配は杞憂きゆうだったみたいで安心しました。
 皆で演劇部の部室である、多目的教室Dに向かう。だけど、私が教室に入った途端、複数の手に腕を掴まれた。

「宮崎ちゃん! ねぇどうなの!?」
「桃会長にお姫様抱っこされた感想は!?」
「ときめいた!?」
「兄と妹という関係以上になりそう!?」
「禁断の展開にいっちゃう!?」

 演劇部の女子生徒達から一斉に詰め寄られて、質問攻めにあう。合同練習で頭を打って倒れた時、桃塚先輩にお姫様抱っこされて保健室まで運ばれたからだ。
 興奮した様子の彼女達に取り囲まれて、私は気圧けおされたようにその場で立ち尽くした。クラスメイトのユリさんや森田もりたさんの質問攻めの比ではない。こうしたことに慣れていない私には、対処の仕方がわかりません。

「皆だめだよ? いきなりそんないっぱい質問されても、答えられないよ」

 後ろから、私の肩をぽんっと叩くのは桃塚先輩だ。

「質問には僕が答えるよ」

 そっと背中を押されて、輪の中から抜け出せた。代わりに質問攻めを受けてくれるらしい。女子生徒達に囲まれてひとつひとつ丁寧に答えていく桃塚先輩に頭を下げると笑みを返された。
 私は人集ひとだかりのできている教室の入り口から離れて、演劇部の部長である江藤菜穂えとうなほ先輩に歩み寄った。
 上は体操着で下は長ズボンのジャージ姿の江藤先輩は、飛び込んで来いと言わんばかりに両腕を広げて待ち構えている。それを無視して、私は頭を下げて挨拶をした。

「先輩にすすめられた本、借りました」
「……気に入った?」
「まだ全部は読んでいませんが、冒頭から気に入りました。教えて頂きありがとうございました。あの、今日も倉庫で台本を見てもいいでしょうか? 置いてある小道具もゆっくり見たいので」
「いいわよ。ほらそこ、稽古けいこをやんなさい」

 江藤先輩は入り口で桃塚先輩を囲んでいる部員を注意すると、てきぱきと指示を出して、私を部室の隣にある倉庫へ案内した。
 女子部員に解放された桃塚先輩が、「僕も」と言ってついてきたので、三人で倉庫室に入る。

「うわー、いっぱいあるね」

 倉庫に初めて入った桃塚先輩は、興味津々きょうみしんしんに小道具を眺め始める。

「あ、これ、去年の劇で使ったものだよね? わぁ、すごいねぇ、今までの小道具をきちんと残してあるんだ。衣装まであるね」

 倉庫内は足の踏み場に困るくらい物が置いてある。軽い足取りで部屋の奥に進んでいく桃塚先輩は、私の目的の本棚とは反対側にある衣装置き場に向かう。
 その中からドレスを一着手に取ると、キラキラした目で私を見てきた。

「なんですか?」
「着てほしいなぁ……」
「ふぅん、桃塚先輩ってそんな嗜好しこうの持ち主だったのですね、ドン引きです」
「えっ、絶対に似合うと思うよ! それに僕は普通の嗜好……って、ちょっと待って! そんな嗜好って、どんな嗜好のこと!?」
「冗談ですよ」
「だから冗談を言う時は笑うとかしてってば! よくないよ、よくないと僕は思う!」

 あたふたする桃塚先輩を横目に、私は本棚の前にクッションを置いて座る。その様子はいつもと変わらない桃塚先輩で、私はまた安心した。
 黙って私と桃塚先輩のやり取りを見ていた江藤先輩は、少し驚いたような様子で口を開く。

「存分にからかわれてるのね、桃塚君……」
「……音恋ちゃんは、冗談が好きだからね」
「なるほど。可愛がられているのは、桃塚君の方だったのね……それはそれで美味おいしい!」
「そ、そう……」

 可愛いもの好きで、たまにセクハラ行為まがいのハイテンションを見せる江藤先輩の言葉に、桃塚先輩は苦笑する。
 主観と客観が違うことは、よくあることですね。

「ああ、宮崎さん。明日までに顧問から入部届をもらって提出してちょうだい。演劇部への入部は決めたのでしょ?」
「はい。明日までですね、わかりました」

 倉庫にある机について、台本作りに取りかかる江藤先輩に頷く。
 ふと視線を感じて桃塚先輩を見ると、ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべている。

「菜穂ちゃん菜穂ちゃん、音恋ちゃんはこの前やったお姫様役をするの?」
「あの台本は文化祭用じゃないわ、文化祭用は今書いてる」

 桃塚先輩が弾んだ声で問うと、江藤先輩は手元から顔を上げずにそう伝える。

「私、舞台には上がりませんよ」

 私はすかさず主張した。桃塚先輩は納得いかないように顔をしかめたけれど、椅子に座っている江藤先輩は腕を組んでフッと勝ち誇った笑みを向けてきた。

「貴女好みの物語でも、断れるかしら!?」
「断れます」
「な、なんですって!?」

 たとえ好みの物語であろうとも、私に役を演じたいという気持ちはない。
 断言すると、江藤先輩は衝撃を受けたようにった。私が断らないと思い込んでいたようです。

「だめよ! この作品は花形ヒロインがお互いに競い合って切磋琢磨せっさたくました末に、本番で歴史に残る最高の劇になるのよっ!!」

 本人を無視して物すごいシナリオを立てている。さすがですね。

「うちの部は、劇のたびに全員でオーディションをやるのよ! 貴女も入部するなら、うちのルールに従ってちょうだい!」
「郷にりては郷に従えですね。わかりました。ですが、オーディションで受かるとは限りません」
「本気でいどみなさい!」
「観客に声を届けられないという点が大きく響くかと」
「大声はこう出すのよー!!」
「菜穂ちゃん、落ち着いてっ」

 テンションが上がり出した江藤先輩を、桃塚先輩があわてて止める。
 そういえば、と背後の壁の向こうに耳をすます。昨日は聞こえた隣の部屋の稽古けいこの声が、今日は聞こえてこない。

「部長、隣が静かですよ」
「っ! 本当ね……見てくるわ」

 目をキッと鋭くした江藤先輩は、すぐに倉庫室を飛び出していった。
 私と桃塚先輩は揃ってその背中を見送る。持っていたドレスを戻した桃塚先輩が、机に歩み寄り、書きかけの台本に手を伸ばした。私はすかさず「だめですよ」と注意する。

「部外者には、公演まで内容を知らせないルールだそうです」
「部外者って……冷たい言い方だなぁ」
「入部する気はないのですから、桃塚先輩は部外者です」
「そうだけど……」

 部外者呼ばわりが気に入らなかったのか、桃塚先輩は膨れっつらをして私の隣に腰を下ろす。本棚と机の間には、ちょうど人が座れるスペースがあった。二人で座るとお互いの腕が触れるくらい狭いけれど。

「恋ちゃんは気にならないの? 恋ちゃんが演じることを想定して書かれてる物語だよ」
「完成した台本を読むのは好きですが、私は役者志望ではありませんので」
「そっかぁ」

 私は手元の台本に目を通しながら答える。立てた膝の上に頬をつけた桃塚先輩は、じっとこちらを見ているようだったけれど、何かに気付いて顔を上げた。

「見て見て、僕と恋ちゃんの生まれた年の台本まであるよ」

 桃塚先輩の左腕が私の鼻先を通って、本棚に伸ばされた。その瞬間、香水とは違った色んな香りがふわりと鼻に届く。

「香水ですか?」
「あ、ううん、制汗スプレー。クラスの子達が練習のあとにつけててね、皆でつけあいっこしてたら、色んな香りが混ざっちゃったんだ」

 無邪気に笑って答える桃塚先輩。女子に囲まれてキャッキャッと楽しんでいる桃塚先輩が簡単に想像できた。女子生徒に人気があって皆と仲良く接することができる桃塚先輩らしい。

「……星くん、色んな女の人の匂いがする……ひどい」
「えっ!? そういうつもりじゃないんだ! ただ遊んでて……」
「私という存在がいながら、色んな女性と遊んでいるなんて……!」

 口を押さえうつむいて泣いたフリをする。

「ち、違うよ! というか、待って恋ちゃん! このネタでの冗談は、僕の精神的ダメージが大きいからやめて!」

 すると、桃塚先輩は大あわてで、必死にストップをかけてきた。
 偽の恋人だからこそできるネタなのに。
 以前、母が唐突に見合いをしろと言ってきたことがあった。私はたまたま一緒にいた桃塚先輩に恋人のフリをしてくれるよう頼み、両親に見合いを断ってもらったのだ。しかし、思いのほか両親が桃塚先輩を気に入ってしまったため、今もまだ二人に本当のことは伝えられていない。

「桃塚先輩が過去に付き合ってきた恋人は、嫉妬しっとしたりしなかったのですか? 他の女子生徒にちやほやされていれば、やっぱり焼き餅きますよね?」

 さっと泣き真似をやめて、思ったことを訊いてみた。
 ゲームの中では〝付き合っても結局正体が明かせないまま別れた〟と話していたけれど、皆に優しい桃塚先輩の接し方にも原因があったのではないでしょうか。

「ううん! 付き合ってる間は、ちゃんと気を付けてたよ? ほら嫉妬ってモヤってしちゃうでしょ? そんな思いさせたくないから」
「そうでしたか」

 失礼なこと言ってしまったようです。

「桃塚先輩って、意図いと的に相手を嫉妬させることができそうですね」
「……効果はないみたいだけどね」
「え?」
「なんでもないよ!」

 桃塚先輩はブンブンと首を振る。何かボソッと言った気がするけれど、文字を目で追っていたから頭に入ってこなかった。
 壁の向こうで江藤先輩らしき声がする。スパルタ指導が始まったようです。

「……やっぱり恋ちゃんって演技上手うまいよね」

 それが聞こえたからか、桃塚先輩が演技の話を始めた。さっきの冗談のことらしい。

「そうですか? 普段あまり感情を表に出さない分、そう見えるだけでは?」
「あー、それもあるかもしれないね。さっきも悲しい感じがすごい出てた。きっと感情を上手うまく作れてるんじゃないのかな?」

 感情を上手く作れてる、か。

「恋ちゃん、冗談言うの好きでしょ? 演技も同じくらい好きになれるんじゃないかな?」

 首を傾けて笑いかけてきた桃塚先輩は、「恋ちゃんって、いつも楽しんで冗談言うもんね」とつけ加えた。
 冗談を言う時、毎回クスリとも笑ってないのに、楽しんで冗談を言っていると伝わっていたようです。
 今までもそう見られていたのかと思うと、なんだかくすぐったくて、私は持っていた台本で顔半分を隠した。

「……楽しいですよ。ツッコミは疲れますからボケの方が楽しいですけど」
「僕も、恋ちゃんとのやり取りは楽しくて好き」

 体育座りした膝の上に頬をつけて、私を見上げるように笑いかけてくる桃塚先輩。
 その無邪気で可愛らしい笑顔を見た私は、台本を上げて顔全部を隠した。

「私も好きです」

 微笑みそうになる顔を隠して小さく答える。なんだかとっても恥ずかしい。

「え、あ……あ、ありがと……?」


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