漆黒鴉学園

三月べに

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2巻

2-3

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「いいよ、教室に戻らないと遅刻するよ」
「どうせ遅刻だ」

 ナナの言葉と同時に、予鈴が聞こえてきた。確かに遅刻決定だ。
 いつもなに考えているかわからないけど、こういう優しいところがある。ナナとは中等部からの付き合いで、それからずっと一緒だけど、親友と呼べるのかな。宮崎さんは姫宮さんに憧れを抱いていて、親友同士。
 ぼくは、空っぽになった本棚に拾った本を並べるナナをじっと見てみた。

「……ナナには憧れを抱かないな」
「喧嘩売ってんなら、もう一回本を落とすぞ」

 ナナはそう言いながら、ぼくの頭に本を一冊落とした。痛い……

「……ナナ」
「まだりないなら、これまとめて落とす」

 相当頭にきたのか、ナナは両手に抱えた本を掲げて見せた。

「怒るなよ? ……ぼく達って親友同士だよね」
「……」

 本当のぼくを見てくれるもう一人。ぼくを見捨てないでいてくれる優しい友だち。
 目を丸めたナナはそっぽを向いた。

「……知ーらね」

 素っ気なく返されたけれど、笑みを浮かべた横顔がちゃんと見えたから、ぼくも笑う。

「親友に報告」
「は? 報告? なに?」
「好きな人ができた」

 こんな報告、ナナにしかできない。
 どんな反応するか気になったけれど、恥ずかしかったので今度はぼくがそっぽを向いた。
 ガタン!
 真横に本が落下してきたから、驚いてナナに視線を向けてみれば、もっと驚いた顔で絶句していた。
 どうしたのか、問おうとしたら胸ぐらを掴まれる。

「なに自覚してんだよ! 撤回しろ!!」
「ええっ!?」

 意味のわからないナナの怒鳴り声が、ただ図書室に響いた。


   六話 赤く染まる ~赤神淳~


 吸血鬼は、ごうまんなモンスターだ。自分は最強だとおごり、人間や他のモンスターを見下す王様気取りの連中。
 年に二回開催される吸血鬼の夜会に参加するたび、俺は見下すような視線を向けられてきた。
 父は吸血鬼、母は人間。吸血鬼のハーフである俺は同族から忌み嫌われている。それでも俺は毎年夜会に参加し続けた。参加しなければ自分を否定したも同然になる。俺は、両親を誇りに思っているし、二人の子どもに生まれて幸せだと思っている。だからこそ、どんな目で見られても俺は父親とともに、なんでもない顔をして参加した。
 その日、高級ホテルの広間で開かれた夜会の主な話題は、あの男についてのものだった。

「ヴィンセント様が、あの学園で教員を務めているのですって?」
「また人間に夢中になっているのかしら?」
「これ以上まがい物が増えられては困る」

 ヴィンセント本人が参加していないからか、着飾った吸血鬼達は言いたい放題だった。

「否、〝前回〟と同じ結果になるだろう」

 ヴィンセントは三十年前も、人間の女性を愛した。漆黒鴉学園に通っていたハンターの娘と愛し合った、と聞いている。しかし吸血鬼とハンターが、結ばれることは許されない。詳しくは知らないが、結果的に悲劇が起きてハンターの娘が死んだらしい。
 ヴィンセントが今夢中になっている人間、宮崎音恋はヴィンセントの正体が吸血鬼だと知っても今までの態度を変えてはいない。しかし、彼の想いを受け入れたわけではないようだった。彼女はなびかない。いくらヴィンセントと言えど簡単には落とせないだろう。そう考えていたら……

「死んだ娘の一族は、今もヴィンセントを目のかたきにしていると聞く。再び同じ悲劇が起きる可能性は十分にあるのではないか?」

 とある吸血鬼が口を開く。
 ヴィンセントを狙うハンターがいる? 動揺を表に出さないように注意しながら、その会話に耳を澄ませる。

「もう一度お気に入りの人間が殺されれば、ヴィンセント様も正気に戻るでしょうね」
「ハンターを皆殺しにするだろうな。その際にはぜひ手を貸そう」

 クスクスとお上品ぶって笑う吸血鬼。
 こんな話、ヴィンセントがいる前では決してしないだろう。俺は顔をしかめた。彼は吸血鬼の中でも特に強い。そんなヴィンセントに面と向かって何か言える者などこの場には誰一人としていなかった。それどころか、今話しているような、彼女が死んだあとの話なんてものが彼の耳に入ったら、言った者はその場で首を切り落とされかねない。
 しかし、そんなことよりもだ。
 ヴィンセントが宮崎音恋といることで、彼女が殺されるかもしれない。
 その可能性に俺は大きな衝撃を受けていた。


 翌日登校してからも、頭の中にこびりついたかのように、昨日聞いた話が消えなかった。いっそ、モンスター関連のけんあん事項として星司に相談してしまおうかとも考えたが、放課後になっても伝えることをちゅうちょしている。そして、そんな風に躊躇している自分に苛立ちが募った。さらには、姫宮桜子が生徒会室で宮崎音恋の名を繰り返し口に出すから、苛立ちはますます倍増する。
 仕方なく一人で生徒会室を出て、人の少ない静かな中庭に行く。校舎の壁に寄りかって座り、気を静めるように息を吐いた。
 まずはヴィンセントを目の敵にしているというハンター一族の名を調べた方がいいだろうか。自然と浮かんだ考えに、いや、なんで俺がそこまでしなければならないんだ、と即座に否定する。
 俺には、なんのメリットもない。懸案事項として報告し、いつも通り星司達に押し付ければいい。
 宮崎音恋は、俺にとって苛つく存在でしかない。自分の思い通りにならない女性。
 俺は俺自身の利益のためだけに動く。彼女のために、俺が何かをする必要はない。なんのメリットもない。なのに、何故だ。

「…………」

 顔を上げ青く澄んだ空を見上げる。一年の時から、何かあるたびにここを利用している。この場所は、来る人も少なく学園の中で唯一気が休まる場所だった。
 中庭を気持ちの良い風が吹き抜け、真っ直ぐな赤い髪を揺らしていく。
 うつむいて、考える。
 もし、本格的に情報を集めるとしたら、同族にも話を聞かなくてはならない。中世の西洋貴族風に着飾った吸血鬼どもの上品ぶった笑い声を思い出して、不快になった。
 その時、こちらへ近付いてくる足音に気付く。地面を映していた視界に、小さな上履きが入る。途端に彼女の香りが鼻に届いた。
 驚いて顔を上げれば、そこには宮崎音恋がいた。まさか、彼女の方から俺に近寄ってくるとは思わなかった。
 彼女は俺の目の前でスカートを押さえてしゃがむと、じっと顔を覗き込んできた。
 何を考えているのか、相変わらず無表情の彼女から、その思考は読みとれない。
 お互いに無言で見つめ合っていると、宮崎音恋がおもむろに左手を上げ、その手を俺の頭の上に置く。それをゆっくり動かして、俺の頭を撫でた。

「……何をしてる?」
「落ち込んでいるように見えたので、なぐさめてます」

 俺をバカにしているのだろうか。そう思ったが、怒ることはできなかった。
 髪を整えるように、控え目に撫でてくる小さな掌。そこから伝わる体温に、今まで感じていた苛立ちが不思議とおさまっていく。音恋はなにも言わず俺の頭を撫で続けた。
 本当に、この人間はなんなんだ。
 思い通りにならず、いつも苛立たせるくせに、何故こうも穏やかな気持ちを与えてくるんだ。戸惑いながらも、俺はその心地いい感触に身を任せる。
 しかし心地よく頭を撫でる手が、次第に動きを遅くして、やがて撫でることを止めてしまった。
 俺はその手が離れてしまう前に、音恋の細い手首を掴む。

「隣に座れ」

 考えるよりも先に、口から言葉が出た。

「いえ、もう帰ります」

 そう言って立ち上がろうとする音恋を軽く引っ張る。
 そっと引き寄せるつもりだったが、音恋はよろめいて倒れ込むように俺の右に座った。ふわりと舞い上がった髪から、彼女の匂いが辺りに広がる。それを静かに吸い込みながら、俺は彼女の左手を放す。

「慰めるならちゃんと慰めろ」
「……」

 落ち込んではいないが、勘違いしているらしい音恋をそう言って引き留める。視界の端で音恋が壁に寄って、俺から距離を取る様子が見えた。俺と壁のわずかな間に座ったのだから、大した距離なんて取れるわけない。
 音恋に目を向ければ、顔をらされた。
 そのまま音恋の横顔を見ていると、中庭に向いた彼女の大きな黒い瞳が見開かれる。

「ここ、素敵ですね。落ち着きます」
「……一年だから、初めてか」
「はい、初めて来ました」

 彼女は、目の前の景色を見つめている。
 俺はもう見慣れたが、ここから見える中庭と学園の景色は新鮮に映るだろう。
 音恋は少し沈黙したあと、思い出したように言った。

「赤神先輩、中間試験一位でしたね。おめでとうございます」
「ほぼパーフェクトのアンタに言われると嫌味に聞こえる」

 同じ一位でも、総合点は音恋が上だ。俺が六八二点なのに対して、音恋は六九八点。順位表を見て心底驚いた。試験勉強であれだけケアレスミスをしていた人間が、まさかあんな高得点で学年一位になるなんて予想外だった。それとも俺が見た時だけ不調だったのか。

「もしかして、二点減点した教科は……数学か?」
「はい。パーフェクトを狙ったのですが……ケアレスミスで逃しました」
「……ふーん」

 俺に教えられずとも、自分でできたってわけか。

「あの時はミスばっかりしていたのに、相当勉強したのか?」
「この前は笑われましたが、頭はいい方です」
「……」

 足を抱えて俺の隣に座っていた音恋が、背筋を伸ばして胸を張った。
 それにカチンときた。なんだその誇らしげな態度は。赤点を取ると決め付けてた俺への当てつけか。
 そこで、あることを思い出す。桜子が生徒会室で言っていたこと。
 俺は笑みを浮かべて、音恋に顔を向けた。
 何かを感じ取ったように、音恋がかすかに肩を震わせる。警戒して逃げられる前に、俺は左右の手を壁について音恋を両腕の中に閉じ込めた。

「一位を取ったご褒美をやる」

 笑顔でそう言うと、音恋は身を固くして、こちらをうかがうような顔をする。
 彼女のしなやかな髪を右手で取り、左耳にかける。そのまま輪郭をなぞり、あごを掴む。
 俺のその行動にぱちくりとまばたきをする音恋の顔を、中庭の方へ向かせた。露わになった小さな左耳に顔を近づけて囁く。

「アンタ、俺の声が好きなんだって?」
「!」

 音恋の左耳に息を吹きかけるように囁くと、彼女は目に見えて動揺した。桜子からそれを聞いた時は、機会があったら耳に囁いてやろうと思っていたが、これはいい。音恋は俺の声が好きらしい。俺の電話を二度も無視した理由も、俺の声に弱いからだと思うとたまらなく気分がいい。

「ご褒美で好きなだけ囁いてやる。どんな言葉がいい? なんでも言ってやる」
「い、いい、です……放してください」

 音恋は頭を左右に振って俺の手から逃れようともがくが、俺がこの好機を逃すわけないだろ?

「音恋」

 そっと甘く彼女の名前を囁く。びく、と腕の中で音恋が震えた。

「どんな言葉がいい?」

 彼女の小さな耳に唇を近付けて、優しく囁く。

「どんな言葉が欲しい?」

 音恋はまぶたをきつく閉じ、震えながら俺の袖を握り締めている。黒い髪が引き立てる病的なまでに白い頬が、ほんのりと赤く染まった。
 本当に俺の声に弱いようだ。普段は憎らしいほど冷静沈着な音恋が、面白いほど取り乱していく。その様子に嗜虐心しぎゃくしんくすぐられ、口元が緩む。いつにない彼女の様子を間近で眺めながら、俺は囁き続ける。

「努力したご褒美をやるから」
「いりません……やめてください」


 音恋にさっきまでの威勢はなく、か細く高い声は弱々しい。それでも、なんとか俺の腕から逃れようとする。
 その弱い抵抗が、また俺の胸をくすぐった。

「音恋」
「やめて、先輩っ……」
「くくっ……」
「っ!」

 ついこらえきれず耳元で笑うと、びくりと震えた音恋が壁へとった。

「なんだよ? 俺の笑った声がいいのか?」
「んっ……!」

 完全に俺と壁に挟まれた音恋の耳に、もう一度息を吹きかけながら囁くと彼女は声を漏らした。

「……ふーん?」

 唇をキュッと閉じてうつむく顔は、耳まで赤くなっている。その愛らしい顔を眺めながら、顔を寄せ、彼女の首筋と髪から香る匂いを吸い込む。シャンプーの香りと、彼女自身のほのかな甘い香り。

「そんなに俺の声が好きなのか」
「……っ!」

 俺に囁かれて顔を赤らめる音恋が、どうしようもなく俺の胸をくすぐる。俺の腕の中で、もっと乱れる姿を見たい。
 その閉じた唇は、どんな声をこらえている?

「音恋」

 あごを掴む右手の親指で唇をなぞると、ピクリと表情が動いた。しかし固く閉じられたまぶたもそのままに、ただじっとえている。そんな無防備な音恋の小さな顔を見つめる。

「音恋」

 もう一度、甘く名前を囁くとまたピクリと表情が動いた。ふるふると震えている。
 ──ああ、可愛らしい。
 赤く染まった頬に舌をわせ、きつく結ばれた唇に触れたい。
 俺の腕の中で、こんなにも無防備な顔をさらしている可愛い彼女を、食べてしまおうか。
 その唇を奪って、堪えているその声ごとむさぼり尽くしたい。
 衝動のまま、俺は音恋の顎を掴んだ手に力を入れ、俺の方へと顔を向かせた。
 その時、殺気が俺に突き刺さった。
 このタイミングで邪魔者か。目を向ければ、すぐ近くに冷たい眼差しで俺を見下ろすヴィンセントが立っていた。

「こんにちは、ヴィンセント先生」

 名残なごり惜しいが、仕方ない。俺はため息をついて、音恋から離れて立ち上がる。すると、音恋は身体の力を抜いて深く息を吐いた。

「学年一位を取ったご褒美をあげていたんですよ。彼女、俺の声が好きだと言うので」

 ヴィンセントに向かって作ったような笑みを張り付けて言えば、さっき以上の殺気を当ててきた。

「音恋。聞き足りないなら電話しろよ、いくらでも囁いてやるから」

 俺はそれに気付かないフリをして、まだ地面に座り込んでいる音恋に笑いかける。音恋は俺の言葉に絶句した。いつもの無表情より、その顔の方がよほど可愛い。気に入った。
 それまで感じていた苛立ちをすっかり晴らし、生徒会室に戻ろうとヴィンセントの横を通ると、今までになく強い妖気で俺を威圧してきた。

「音恋の好きな声を潰すつもりですか?」
「言ったはずです、彼女に近付かないでください。赤神君」
「近付いてきたのは彼女ですよ」

 それに、と俺は付け加える。ヴィンセントの妖気に押し潰されないように、自分の妖気で対抗する。完全に跳ね返すのは無理だが、少しは楽になった。

「その台詞セリフ、そのまま貴方にお返しします」
「……ほう?」

 ヴィンセントはそれを宣戦布告と受け取ったらしく、吸血鬼の瞳で俺を冷たく睨んだ。
 俺は微笑みを浮かべながら、その視線を受けて立つ。

「貴方がそばにいることで音恋の身に危険が及ぶ。だから貴方の方こそ近付かないでください。音恋をと同じ目に遭わせたくはないでしょう?」

 音恋には聞こえないように声を潜めて告げると、ヴィンセントの表情が変わった。
 三十年前の二の舞にしたくなければ、近付かない方が賢明だ。血を与えて守るくらい大切なら、彼女から離れるべきだと忠告する。

「何があっても私が彼女を守ります」

 自分を恨むハンター一族の存在から、宮崎音恋を守る。
 ヴィンセントは揺らいだ素振りも見せず、俺に向かってはっきりと告げた。

「いいえ。俺が守ります」

 俺もはっきりと告げる。ひるむことなくそう言った俺に、ヴィンセントがかすかに眉をひそめた。

「貴方は離れるべきですよ。彼女を想うなら──俺の大事な後輩から離れてください。ヴィンセント先生?」

 微笑みを浮かべて、もう一度忠告した。いつの間にか、自分の中にあった迷いが消えている。すると、今まで重く身体にのし掛かっていた妖気が軽くなる。ヴィンセントは俺をいちべつすると音恋の方に青い瞳を向けて歩み寄る。

じょうじま先生が呼んでいましたよ」

 すれ違いざまに彼は俺に伝えた。この話はもう終わったようだ。
 俺は振り返らずに中庭を歩いて校内に戻った。
 まずはヴィンセントを恨むハンター一族を調べよう。
 俺は音恋を守るメリットを見付けた。俺自身のために、可愛がりたい宮崎音恋を守る。彼女が俺のなんなのか、まだ明確な答えは出したくない。
 今はただの可愛い後輩でいい。
 白い頬が赤く染まるのを思い出して、俺は静かに笑みをこぼした。


   七話 魅惑の声


 ……何故こうなってしまったのでしょうか。
 放課後、私は帰る支度をして昇降口に向かっていた。その途中、何気なく目を向けた中庭に赤い髪を見付けてしまった。
 東棟校舎の階段脇は、ちょっとした隠れスポット。近くに植えられた木で、上からだとまったく見えないし、昼下がりになると日影ができてより目立たなくなる
 そんな隠れスポットに、赤神先輩がいた。存在感がありすぎて、ちっとも隠れてない。
 校舎の影にいるせいか、赤神先輩がひどく落ち込んでいるように見えた。
 いや、落ち込んでいるんだ。私はこの光景を知っている。
 ゲームで、ヒロインと生徒会が初めて接触した日、ヒロインが好感度を上げる台詞セリフを言った攻略相手とここでイベントが発生する。サクラはあの日、赤神先輩の好感度を上げた。つまり、今まさに赤神先輩とのイベントが発生中なのだ。
 赤神先輩とのイベントは、確か人間を下等に見る気高い吸血鬼の夜会に参加して、精神的ダメージを受けた赤神先輩をヒロインがなぐさめるというもの。半分は吸血鬼、もう半分は人間の赤神先輩は同族から軽蔑の眼差しを受けながら、ずっと独りで耐えてきた。同族にさげすまれても、逃げることなく気丈に立ち向かってきた人。
 最初は「苛つくからあっち行け」とこばまれるけれど、ヒロインが食い下がって隣に座り、それから赤神先輩がヒロインの肩にもたれるというシーン。これ以降、赤神先輩は少し柔らかい印象になっていく。

「……」

 キョロキョロと周りを見渡してサクラを探すが、その姿は見当たらない。
 イベントが発生しているのに、ヒロインのサクラがいない。……もしかして、サクラは来ない? 
 五分くらいその場で待ってみたが、サクラは来ないし、赤神先輩も動かない。私は携帯電話を取り出して、サクラに電話をかけた。だけどマナーモードにしているのか、一向に出てくれない。
 どうやら、ここでまたイレギュラーが発生しているようです。
 サクラが来ないとなると、赤神先輩はあのまま独り。

「……」

 私は廊下の窓枠に腕を置いて、一人で空を見上げている赤神先輩を見ていた。
 誰かが彼を慰めてあげるべきだと思うけれど、平穏な日常を望む私はイレギュラーには極力関わらない方がいい。私は見なかったことにして、寮に帰ろうと足を進めた。

「…………」

 でも、何故か廊下を歩く足は重い。頭を押さえて葛藤した末に、私は重い足を中庭に出られる渡り廊下に向けた。シナリオを知っている私は、このまま彼を放っておくことができなかった。
 石のタイルでできた道を歩いて、校舎の隅にいる赤神先輩のもとに行く。
 ちょっと声をかけるだけ。ゲームヒロインのように肩は貸さない。ちょっとだけ話して、すぐに帰る。
 しかし、見なかったことにできなかった私の選択は、やっぱり間違っていた。
 てっきり落ち込んでいるとばかり思っていた赤神先輩は、急にとびきり優しそうな極上の笑みを浮かべた。それを見た瞬間、ゾクッと私の背中にかんが走る。優しそうに見えるけれど、裏ではなにか企んでいる顔だ!
 あっという間に、私は「一位を取ったご褒美をやる」と言う赤神先輩の腕の中に、閉じ込められてしまった。
 いったい何が起こっているのでしょう。
 ゲームにはこんな展開なかったはずなのに。

「音恋」

 甘い声で囁かれて、びくっと身体が震えてしまう。囁き声は、まずい。

「どんな言葉がいい?」

 さっきよりもさらに近い距離で、優しく囁く赤神先輩。その声は、反則です。

「どんな言葉が欲しい?」

 きつく目を閉じ震えをこらえながら、赤神先輩の袖を握り締める。
 なんとか逃れようともがくけれど、まったく力が入らない。

「努力したご褒美をやるから」

 欲を言えば、もう少し低めに囁いてほしいです。……いや、そうじゃなくて。

「いりません……やめてください」

 だめだ。なんか負けそう。この声には勝てない。やめてと言いながら、ぜん意識は耳に集中してしまい、抵抗しているかどうかもわからなくなってきた。
 前世でこの声をイヤホンで聞きながらもだえていたけれど、そんなの比じゃない。熱い息を吹きかけられながら直接耳元で囁かれるなんて悶絶ものだ。


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