漆黒鴉学園

三月べに

文字の大きさ
上 下
125 / 139
本編その後

運動音痴

しおりを挟む



 幾度も、想像したことがある。
 自分の身体を、思い通りに動かすことを、想像した。
 ワックスでピカピカの体育館の床を、バスケットボールを叩き付けながら蹴り上げて進む。
 まるで狭い部屋でボールの弾む音が響いているかのように、ダムダムと耳元で大きく聴こえた。
 阻もうとする手を避けて、目指していたゴールの前で、キュッとシューズでブレーキをしてそのまま上へと飛ぶ。
 掌で大きなボールを押し上げるようにゴールの中へと投げて、シュート。

 ――――今までは想像するだけだったそれが、容易く実現できてしまう。

 そんなことをしてしまっては、どんなことになるかは予想が簡単なのに、今度の身体は脳の指示に従順すぎる。

「…………」

 ダムダムと跳ねては転がっていくバスケットボールを目で追いかけたあと、一緒にコートで試合していた生徒達と目を合わせた。
 半吸血鬼化の身体を上手く動かすことができるまで、体育の授業は見学をしていたけれど、元気ならばと雪島先生に参加することを強制された。
 だから今日は、半吸血鬼になってから初めての参加。
 人間のフリは苦労せずにできた。でも、運動音痴のフリはできない。
 人間のフリは想像するのが容易いけれど、運動音痴は難しい。
 身体能力が優れた私には、運動音痴を演じることは難しかった。

「ネレンすごーい!!」

 体育館の生徒達が唖然としている中、親友のサクラだけが手放しで喜び、コートの外から手を振ってきた。
 ぱちぱち、と唖然としつつも生徒達が拍手をしてくれる。
 おず、と頭を下げておいた。



「ふふ」
「……私が失敗して楽しんでるでしょ」
「そんな、まさか」

 体育の授業が終わり、片付けも済んだ体育館から生徒達が次々とあとにする中、リュシアン・モルダヴィアが口元に拳を当てて笑っていた。
 笑みを隠そうともしない彼は、またちゃんとジャージを着て体育に参加した。
 ジャージを着ていても、薄い白金髪でオッドアイの麗しい美少年だ。

「雪島先生に、サボるなと言われ、全力を出すなと言われ、どうすればいいのやら……」
「ボクに聞かれてもね。ボクは運動音痴なんて経験したことがないから」

 雪島先生には無茶な要求されてしまい、項垂れる。リュシアンは肩を竦めた。

「そもそも運動音痴というものは自分の身体の動かし方がわからない頭の悪さと、身体能力の低さが原因らしい。君の場合、身体能力が補われて、頭はいいから、運動音痴は克服したということだ」
「それは嬉しいけれど……」

 私はリュシアンの袖を摘まんだ。

「これでは怪しまれる……なにか、案はないですか?」

 運動音痴は周知の事実。
 それがいきなりドリブルしてシュートを決めてしまっては、学園の秘密の発覚の恐れが高まる。
 迷惑をかけないように、対策を練らなくちゃ。
 摘ままれた袖を見てから、リュシアンは「そうだね……」と顎に手を当てて考えてくれた。

「そう焦らなくとも、バレた時はボクが暗示を使えばいい。君は思う存分、前世の分まで楽しめばいい」

 私の前髪を撫でると指先でそっと耳にかけるリュシアンは微笑む。
 最近、リュシアンがよくする仕草。
 アメデオの方がスキンシップが激しいから気にしなかったけれど、彼に見られたら…――――。

  ぐいっ。

 右腕を掴まれて、後ろへと引っ張られた。
 振り返れば、リュシアンから引き剥がした黒巣くん。
 見られていました……。

「暗示は禁止だということを忘れたんですかー?」

 ギロリ、とリュシアンを睨む黒巣くん。
 例え秘密がバレても無闇に使うことは禁止されている。

「忘れていないよ。でも、宮崎さんを守るためなら、そのルールは破る」

 黒巣くんの反応を見て、面白そうに口角を上げたリュシアンは私の左手を握ると、今度は黒巣くんから私を引き剥がした。
 引っ張られた勢いで、リュシアンの腕にぶつかる。

「吸血鬼はすぐ能力を使いますねっ。そんなことせずとも、隠し通せますよ!」

 黒巣くんはカチンときた様子で、私の右腕をまた掴むと自分の方に引き寄せた。
 今度は黒巣くんの胸に額をぶつける。

「自分の秘めたい想いすら隠し通せない君が、どうやって隠すと言うんだい?」

 リュシアンはまた私の左手を掴むと、私を引っ張り背中に隠した。

「文化祭の舞台で、宮崎がダンス紛いのアクションをしたじゃないですかっ……舞台のために運動音痴を治したとその辺のファンに言えば、簡単に誤魔化せます!」

 黒巣くんはリュシアンの後ろに回ると私の腕をまた引っ張る。でも今回、リュシアンは私を放さなかったから、二人の間で綱引き状態になった。

「ふふ、頭の悪い生徒ばかりだから、その程度で対処できるんだ? 生徒会も楽勝のようだね」
「能力を酷使してきた貴方からすれば、すこぶる楽勝に見えますよねっ」

 からかって皮肉を言うリュシアンに対して、黒巣くんも皮肉で返す。
 始祖の吸血鬼と知ってもそんな反応をするから、面白がられてるのですよ。黒巣くん。

「あれ、宮崎さんが、遊ばれてる……」
「違うよ、黒巣くんがリュシアンくんに遊ばれてるんだよ」

 近付く声に目を向ければ、緑橋ルイくんと橋本美月ちゃん。
 いそいそとジャージの袖に腕を通している緑橋くんは、頭の上で束ねている前髪を気にしている。
 隣の美月ちゃんは、黒髪を一つに束ねたゴムを外しながら私に穏やかな微笑みを向けた。

「なんだか、音恋ちゃんとリュシアンくん、雰囲気似てる」

 私とリュシアンが似ている。
 そんなことを言われて、ちょっぴり焦りが走った。
 美月ちゃんは、目敏い。
見た目よりも、雰囲気の変化に敏感に反応するものだから、美月ちゃんの前では絶対に失敗してはいけない気がする。

「ボクの血で吸血鬼になったんだ。似るのは当然だろ?」

 気を付けようと思った矢先に、リュシアンがとんでもないことを美月ちゃんに向かって言い放つ。
 美月ちゃんはきょとんとするけれど、私と黒巣くんと緑橋くんは息まで止めて固まる。
美月ちゃんは私達の反応を横目で見て、首を傾げた。

「……ああ、すまない」

 ハッとしたように目を丸めたリュシアンは、謝罪を口にすると魅惑的な微笑を浮かべる。

「今読んでいる本に吸血鬼出ていたから、その話をしていたところだったんだ。橋本さんにわからない冗談だったね、すまない」
「あ、そうなんだ。人間が吸血鬼になるお話?」
「そう、吸血鬼の血で麗しい娘が吸血鬼になってしまうお話だ」

 リュシアンは上手く誤魔化した。
 納得して頷く美月ちゃんを見て、誰よりも緊張した緑橋くんは胸を撫で下ろす。
「じゃあボクは失礼するよ」とリュシアンは私の腕を放すと、先に体育館を出た。
 私は美月ちゃん達に軽く会釈をしてから、リュシアンを追う。

「すまない。ボクはてっきり…………秘密を知った上で交際しているとばかり思ったんだ。軽率だった」

 追い掛けてくるとわかっていたリュシアンは、渡り廊下を歩きながら私が問うより先に言った。
 緑橋くんと美月ちゃんは交際している。でもまだ、緑橋くんは自分の正体と学園の秘密を明かしていない。
 リュシアンは美月ちゃんが既に関係者になっていると思い込んで、うっかり口にしてしまったみたい。

「緑橋くんにもあとで謝っておくから、君まで責めないでくれ」

 リュシアンがひらりと手を振るから、私は足を止めて見送る。
 謝罪をするなら、私もなにもいいません。
 緑橋くんが一番焦ったでしょう。

「謝るのはいいけど、態度でかすぎ」

 真後ろから黒巣くんの声。
 黒巣くんも謝る時は、大半ツンデレでしょ。
 そう思いながら振り返ると。

  ちゅ。

 黒巣くんの唇が前髪に押し付けられた。
 驚いて目を丸める。
 誰もいないとはいえ、まさか彼から校内で、渡り廊下で、キスをされるとは夢にも思わなかった。

「運動音痴治したって噂、広めておくから心配するなよ。もっと楽しんでもバチは当たらない」

 ぐしゃぐしゃと私の頭を少し乱暴に撫でると、黒巣くんは先に更衣室へと行ってしまう。
 少し乱された髪よりも、黒巣くんの唇が触れた前髪が気になり左手で押さえる。
 黒巣くんの背中を見送りながら、私は微笑みを溢した。


しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

女性の少ない異世界に生まれ変わったら

Azuki
恋愛
高校に登校している途中、道路に飛び出した子供を助ける形でトラックに轢かれてそのまま意識を失った私。 目を覚ますと、私はベッドに寝ていて、目の前にも周りにもイケメン、イケメン、イケメンだらけーーー!? なんと私は幼女に生まれ変わっており、しかもお嬢様だった!! ーーやった〜!勝ち組人生来た〜〜〜!!! そう、心の中で思いっきり歓喜していた私だけど、この世界はとんでもない世界で・・・!? これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

最愛の番~300年後の未来は一妻多夫の逆ハーレム!!? イケメン旦那様たちに溺愛されまくる~

ちえり
恋愛
幼い頃から可愛い幼馴染と比較されてきて、自分に自信がない高坂 栞(コウサカシオリ)17歳。 ある日、学校帰りに事故に巻き込まれ目が覚めると300年後の時が経ち、女性だけ死に至る病の流行や、年々女子の出生率の低下で女は2割ほどしか存在しない世界になっていた。 一妻多夫が認められ、女性はフェロモンだして男性を虜にするのだが、栞のフェロモンは世の男性を虜にできるほどの力を持つ『α+』(アルファプラス)に認定されてイケメン達が栞に番を結んでもらおうと近寄ってくる。 目が覚めたばかりなのに、旦那候補が5人もいて初めて会うのに溺愛されまくる。さらに、自分と番になりたい男性がまだまだいっぱいいるの!!? 「恋愛経験0の私にはイケメンに愛されるなんてハードすぎるよ~」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。