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短編。

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 十六歳の誕生日。
 私は完全に覚醒した。
 私は転生者だ。前世の記憶がある。地球で生まれ、日本で育ち、そこで生きた。
 来世は異世界転生すると固く信じていたけれど、まさか。
 まさか、また地球の日本に転生するとか、思わないじゃん。
 私はベッドに顔を埋めて、このまま転生してしまいたかった。
 今度こそ、異世界へ。行きたい。
 異世界はある。固く信じているし、実際あると教えてもらった。
 とある人にーーーー……。
 あの人も正真正銘、転生者だったのか。
 私はぼんやりと考えながらも、朝の支度を始めて、学校に行く準備をした。
 日本人らしい黄色み帯びた肌色と、黒髪黒目にため息を吐きたくなる。
 はぁ。いやもう、吐いちゃった。
 両親から「誕生日おめでとう」の言葉を受け取り、朝食を済ませる。
 それから、玄関から出て登校しようとした。

「誕生日、おめでとう」

 目の前に、その人はいた。
 薄い茶髪を七三に分けてかっこいい感じに決めた髪型に、珍しい琥珀の瞳を持っている青年。
 何故か、黒の燕尾服に身を包んでいる。
 様になっていて、かっこいい。

「絵空(えそら)」

 私の名前を口にすると、目の前で傅いた。
 そして、私の右手を取ると、真っ直ぐに見上げて告げる。

「結婚を前提に執事にしてください」
「付き合うとかじゃなく?」

 間入れず、ツッコミを入れた。

「睦月(むつき)お兄さん……どうしたの? いきなり」

 私は青年の名前を呼んで、肩を竦めつつ言動の理由を問う。

「昔から考えていたんだ。絵空が十六歳になったら……結婚を前提に執事になろうって」
「うん、意味わからない」

 一つ頷き、はっきり言っておいた。
 意味がわからない。
 十六歳になったら結婚出来る歳だから、結婚を申し込むならわかる。

「睦月お兄さん」
「セバスチャンとお呼びください、お嬢様」
「うん、落ち着こうか。お兄さんは、おかしい」

 熱でもあるのかと、一応額に手を当ててみた。ない。
 キラキラの笑みが、無駄にイケメン。
 イケメンなのに、もったいない思考回路を持っている。
 私は憐れみの視線を送り続けながら、手を引っ張って立たせた。

「セバスチャン呼びは嫌? じゃあ何がいいですか? 絵空お嬢様」
「問題はそこではない」

 首を左右に振ると、黒髪が揺れる。

「結婚は一先ず置いといて……何故、執事?」
「え? 執事とお嬢様ごっこしたこと覚えてない?」
「……覚えてない」

 記憶を振り返ったけれど、思い出せない。

「幼い頃の絵空は、執拗に執事をやらせてはアブノーマルな命令をしてきたんだ」
「アブノーマルな命令されたくせに超懐かしむ笑みを浮かべないで」
「あの遊びは、忘れられない……」
「忘れよう? 今すぐに」

 どこか興奮しているように紅潮する顔を、呆れた目で見つつ、私は一息つく。

「……幼い頃と言えば、お兄さん変わったよね」
「ん? 僕のこと?」
「うん。一人称は僕じゃなかったし、この俺に構うな! って言っていた記憶がある」
「忘れよう? 今すぐに」

 思い浮かべる幼い頃の睦月お兄さんは、とても近寄りがたい雰囲気と目付きをしていた。
 それなのに、今は爽やかな笑みで、私にそれを忘れるように告げる。

「……それで、睦月お兄さんは、異世界で魔王やっていたんだよね? 前世で」
「……なんで今、それを言うのかな?」
「今でも忘れられない……この俺は前世で世界を滅ぼそうとした魔王だ、どうだ怖いだろう」
「やめて、黒歴史だから、忘却して」

 昔言われたセリフを真似てみたけれど、両手を握られてやめさせられた。
 ゴゴゴッという効果音が、ぴったりなポーズをしたかったのに。

「あれ。隣人の子どもを遠ざけるために言っただけじゃないよね? お兄さんも、転生者なんだよね?」
「どうしたの? 今更すぎない? そうだよ。絵空も、転生者でしょう」

 両手を握ったまま、睦月お兄さんは微笑んだ。
 そう。私は昔から転生者である片りんを見せていた。
 初めて見る昔のアニメを観ては「懐かしー!」と言ったり、または「ウソ! アニメ化したの!? すごい!」と大はしゃぎしていたのだ。
「カレーは昔から嫌いなんだよーハヤシライスがいいー」とか。幼女が昔って、よく口にしていた。
 両親はどうやら、言葉のチョイスを間違えただけだと思ったらしい。
 しかし、睦月お兄さんに付きまとっているうちに、転生者だと気付かれた。
 そうして、発言に気を付けるように言われたっけ。それを条件に構ってもらいまくった。
 執事とお嬢様ごっこは、その遊びの一つだったのだろう。
 睦月お兄さんは、本当に変わった。
 仏頂面して、いつも不機嫌だったのに、いつしか屈託のない笑みになって、遊びに付き合ってくれたのだ。
 もちろん、証拠だって見せてもらった。
 睦月お兄さんは魔法が使える。でも前世に比べたら弱い魔法ばかりだとか。
 けれども、掌の上で火をボッと灯すだけでも、私は感動していた。
 私も使いたいとせがんだが、結局素質がなかったそうで、軽い念力しか使えなかったな。
 念力が使えただけでも、喜ぶべきだろうけれども。
 私は後ろを振り返って、手を触れることなく玄関のドアを閉じて鍵まで閉めた。
 手、まだ睦月お兄さんに握られていて、使えなかったから。

「こんな話をして、僕のプロポーズをなかったことにする気?」

 ちょっと悲し気な笑みで首を傾げる。あざとい。

「……」

 私は口を開こうとしたけれど、睦月お兄さんが先だった。

「絵空お嬢様の命令になんだって従います」

 きりっと眉毛を下げて言い放つ。

「着替えの手伝いから、食事の手伝いまでします」
「介護かな?」

 やっぱり、執事とお嬢様ごっこした覚えがない。

「むしろ、お世話します。何から何まで! 課題だってやりましょう」
「さてはダメ人間にしたいのか?」
「そう、僕なしでは生きていけない人生にしたいのです……」
「急にヤンデレ」

 ダメ人間ライフ。ちょっと心揺れる。
 あれもこれも睦月お兄さんに押し付けられるのか。
 頭いいからな、テストは満点に違いない。替え玉なんて無理だけど。

「夜は淫らな命令も受け付けます……白昼堂々でも構いません」
「いつМに目覚めたの? お兄さん」

 頬を赤らめつつも、期待いっぱいの目を背けて言う睦月お兄さん。
 私が彼の性癖を歪めたとでも言うのか。

「あ、遅刻する」

 ずいぶん話し込んでしまったから、私は睦月お兄さんの手を外して、今度こそ登校する。
 睦月お兄さんが追いかけてこなかったから、ホッとしたのだけれど。
 昼の休み時間のこと。
 燕尾服を着た睦月お兄さんが、私の隣に立っていた。
 この高校の卒業生だから、入ることを許可されたらしい。

「お嬢様。僕が食べさせてあげます」
「お兄さん、なんでいるの?」
「あなたのしもべだから……」

 恍惚とした表情で言われても。
「いつから?」と確認してみる。
「今朝から」と恍惚した表情のまま。

「いや執事になることを承諾した覚えはないのだけれど……」

 ざわざわしているクラスメイトが「何プレイ?」と、ひそひそ話しているじゃないか。
 本当何プレイだよ。ツッコミたいのは、私なんだよ。

「はい、あーんしてください。お嬢様」
「自分で食べれるから」

 箸でからあげを口に運ぼうとするから、それを一口で頬張っては、箸を奪い取る。

「僕の生き甲斐を奪うの……?」
「そんな絶望したような顔をしなくても」

 この世の終わりみたいなショックの受け方をされた。
「いつから?」と確認してみる。
「今朝から」と、また勝手に生き甲斐にされていた。
 だから承諾した覚えはない。

「友だちには祝われた?」
「うん、今朝ね」

 今は睦月お兄さんが来たから、遠慮して離れていったけれど、ちゃんと祝ってもらった。

「では、ささやかなバースデーケーキをどうぞ」

 紙の箱を持っていたと思えば、やっぱりケーキだったのか。
 私の好きな苺タルトが、一切れあった。
 あそこのケーキ屋さんで買ってから、来てくれただろう。

「どうもありがとう」

 お弁当を食べ終えたあと、そのまま箸で苺を取って食べようとした。
 けれど、先に横からフォークが刺さって、持ち上げられる。
 その半分に切られた苺が、私の口元に運ばれた。

「はい、あーん」
「……」

 いつまで執事ごっこするのだろうか……。
 ああ、そっか。
 私が睦月お兄さんなしで生きていけないようにしたいんだっけ。
 幼い私は、一体睦月お兄さんに何をしたというのだろう。
 仕方なく食べた苺は、酸っぱかった。いつものこと。
 代わりに甘いカスタードクリームが添えてあるから、次はそれを口に運んでくれた。
 美味しい。とりあえず、家族にはケーキ買わなくていいってメッセージ送っておこう。何個も必要ない。

「メッセージですか? 僕が代わりに打ちましょう」
「そこまでやりたがる?」
「何から何まで……お嬢様のためならばなんだってしたいです」

 キラキラとした笑顔で言い切る睦月お兄さん。
 イケメンだと、はしゃいでいた一部の女子が、卒倒しかける。
 私の友だちは睦月お兄さんのイケメン顔にもう慣れたとか言っていたけれど。
 慣れるとかの問題なのだろうか。
 いつもイケメンですね、と思う顔である。顔がいい。

「絵空お嬢様?」

 早く携帯電話を差し出してほしいと手を見せる睦月お兄さんに、仕方なく渡した。
 あ、ロック解除してない。

「ん」

 手袋を口で外して、素手で操作した睦月お兄さんは、軽々とロックを解除してしまった。
 ……私と睦月お兄さんの誕生日を合わせた番号だって、教えちゃったんだっけ。前に。
 それを覚えていたのか。

「誰になんて送るの?」
「睦月お兄さんがケーキくれたからいらないって、家族に」
「はい、かしこまりました。お嬢様」

 操作している間に、私はタルトをたいらげた。

「完了しました、お嬢様。あれ……」

 入力を終えたらしい睦月お兄さんは、食べさせたかったのか、残念がってケーキの紙を片付ける。

「他に何かありませんか? 絵空お嬢様」
「ありません……」

 手袋をはめ直して、きりっと確認する睦月お兄さん。
 この流れで、私が何か頼むと思うの……?
 すると、そっと右耳の方へ顔を近付けてきた。

「誰もいない廊下や教室で……何かしたいとか、ありません?」

 いきなり色っぽく言ってくるものだから、私はぱしっと右手を上げて、睦月お兄さんの額と衝突させる。
 白昼堂々。クラスメイトがたくさんいる教室で。何を言い出すんだ。

「もうそろそろ帰った方がいいよ、睦月お兄さん。午後の授業始まるから」
「時間ギリギリまでそばにいさせてください」

 私の横で傅くと、私の右手を包むように握った。
 ざわざわが緩和していたのに、クラスメイトが「何プレイ?」と、ひそひそ話しているじゃないか。
 本当何プレイだよ。ツッコミたいのは、やっぱり私なんだよ。
 授業開始するチャイムが鳴り響いて、ようやく睦月お兄さんは帰っていく。
 ドッと疲れて、私は机に突っ伏した。
 多分、放課後は迎えに来るんだろうなぁ。
 予想通り、教室を出る前に黒い燕尾服の睦月お兄さんが現れた。

「お持ちします、お嬢様」

 そう鞄を半ば強引に奪われる。
 通り過ぎていく女子生徒が「いいな」とか言っているが、本当にされたいか?
 黒の燕尾服で教室まで迎えに来られて、注目を浴びたいのか?
 正気???

「お手を」
「はい。……は?」

 つい、お手をしてしまった。
 手を繋いで、睦月お兄さんと廊下を歩く。
 すれ違う男子生徒が、燕尾服にぎょっとしてしまったじゃないか。
 手を引かれるがまま歩くと、何故か階段を上がっていく。
 靴のある下駄箱は、もちろん下にある。上がるのは、おかしい。
 よもや昼休みの冗談を実行するつもりではない、よな?
 途端に強張ったけれど、睦月お兄さんはそれに気付くと、キョトンと首を傾げて私を見た。
 あ、その気ではないのね。
 じゃあ、なんだろう。
 疑問に思いながらも、力を抜いてついていけば、最上階まで来た。
 普段から閉まっている屋上の扉を、念力で施錠は外すと、外へ出る。
 睦月お兄さんから教わったのだ。当然、念力もお手の物。

「お兄さん……屋上に出ちゃだめでしょう」
「屋上に出てはいけない校則はない」
「知っているけれど……」

 出ちゃいけないから施錠されていたのだろう。
 暗黙のルールだ。でも確かに、校則には入れておくべきだろう。
 何故か、レジャーシートが置かれている。クッションまでも用意していた。

「さぁ、寛いでください。学業に励んだお嬢様の手足をもみほぐします」
「結構です」
「マカロンも用意しました」
「ではもらいましょう」

 好きなマカロンまで用意する周到さ。
 今日の睦月お兄さんは、とことん執事をやるようだ。
 とりあえず、敷きクッションの上に腰を下ろして、私は足を伸ばした。
 早速足をもみほぐそうと手に触れるから、手を伸ばして拒んでおく。
 ほら、足の匂いって……意外とするじゃん。絶対に嫌。
 どうやら、手からもみほぐしてほしいと受け取ったらしい。そのまま右手を、もみもみされた。
 別に疲れたわけではないが、気持ちいいものだ。
 私はそう思いつつ、フランボワーズのマカロンを左手で食べた。

「動画観ますか?」

 今度はスマフォで好きな曲の動画を流してくれて、左手ももみもみされる。
 もくもくとマカロンを食べながら、動画を見つめていれば、肩までもみ始めた。

「こってますね、絵空お嬢様」
「そう?」

 絶妙な加減でもんでくれる睦月お兄さん。
 うむ。悪くない誕生日だと思えてきた。
 異世界転生じゃないことにショックを受けた朝だったし、突然隣のお兄さんが執事になりたいとか言い出すし、学校まで来て執事ごっこ続けているし。

「お兄さん。地球に生まれてよかったとか思う?」
「……? 絵空お嬢様に会えたので、よかったと思います」

 質問の意味がよくわかっていないような間があった。
 そういうのは、いいから。

「異世界の方がよくない? 異世界からこっちの地球に来て、退屈とか思わなかった?」
「んー……正直、初めは変な世界に生まれたと思ったけれど……やっぱり絵空お嬢様に会えたので」
「前世の方が魔法強かったんでしょう? 弱くなってつまらなくなったとか」
「初めは自分の弱さに驚いたけれど……」

 ぽん、と手が肩に置かれた。
 顔を上げて見上げてみれば、微笑んで見下ろす睦月お兄さんの綺麗な顔がある。

「絵空が喜んでくれただけで十分だよ」

 嬉しそうな笑み。
 何度もせがむうちに、魔法を見せてくれるようになった昔の光景を思い出した。

「そもそもなんで、魔法が使えるんだっけ?」
「……。身体が覚えているように、魂も覚えていたんだよ」
「? 今変な間があったけれど、睦月お兄さん?」
「気のせいです、絵空お嬢様」

 きらり、と執事ごっこに戻る睦月お兄さん。
 何か引っかかりを覚える間だった。

「はい、紅茶です」

 ペットボトルの紅茶を差し出され、はぐらかされる。
 変なの、と言い出したら、今日は朝から変であるから、言わないでおく。

「もう帰らないと」

 そろそろ帰宅しないといけない時間になった。
 マカロンも食べ終えたし。

「もう少し」

 睦月お兄さんは、引き留める。

「なんで?」
「見せたいものがあるから」
「……遅くなるとお母さんが心配するんだけど」
「さっきメッセージで遅くなるって伝えておきました」

 きらり、執事スマイルを決める睦月お兄さん。
 携帯電話を確認すると、本当にケーキはいらないって次に送られていた。

「具体的に何時までここにいればいいの?」

 先手を打たれたから、もう諦めて睦月お兄さんの見せたいものは何かを問う。

「暗くなるまで」
「あと何時間……? 春先とは言え、寒いよ」
「毛布をどうぞ、お嬢様」
「どこまで用意周到なの」
「絵空お嬢様のためならば」

 どやぁっと決め顔をする睦月お兄さんから毛布をもらって、冷えてきた足にかける。
 空を見てみるけれど、まだ僅かに赤みが広がり始まっただけ。
 ちょっと待つの大変。
 夜空でも、一緒に見るつもりだろうか。
 それなら、別に学校の屋上じゃなくてもいいのに。
 暗くなったら外で待ち合わせして、公園とかで見ればいい。
 でも、睦月お兄さんの計画通りに従おう。
 すると、隣に睦月お兄さんが座った。一人でレジャーシートを独占していたので、私はちょこっと隅に移動する。

「ん」

 また口で白い手袋を外すと、素手を出した。
 その掌から、ふわっとシャボン玉のような球体が湧く。
 ふわふわっと、次から次へと宙に浮かんでいくシャボン玉のような球体達。
 夕陽で、少し赤みを帯びているそれが、無数に頭上で浮かぶ。
 懐かしい。
 よく、これをやってもらった。
 もちろん、私がせがんで。
 確か、これは魔力で作ったシャボン玉のようなものだっけ。
 それを眺めていれば、時間は過ぎて、空が暗くなった。
 すっかり冷えてしまい、毛布にくるまって、睦月お兄さんにびったりと寄り添う。

「そろそろだね」
「何を見せてくれるの?」
「ちょっと待っててね」

 もう片方の手袋も外すと、両手を合わせた。
 バチバチっと赤や黄、緑とさまざまな色を光らせた小さな球体を作り出す。
 いいなぁ、睦月お兄さんみたいに、色々な魔法が使いたかった。
 念力なんて、地味だ。たまに便利だけれど。やっぱり派手さが欲しいよね。

「はい、絵空お嬢様。念力で空に投げてください」
「え!? は、はい!」

 慌てた様子で光を一つ、投げ渡すように放られたから、私は空に向かって念力で投げた。
 途端に、ドーンと爆発音が響く。
 光の球体は弾けて、花火のように空中の花を咲かせた。
 睦月お兄さんも、一つ空に向かって上げた光は、ドォンと弾けて火花を散らせる。
 色とりどりの花びらが広がっては、暗くなった空に溶けていく。

「すごーい!」
「ふふ。ほら、まだあるよ」
「うん!」

 私は喜んで、また一つを打ち上げた。
 睦月お兄さんが私を見つめたあと、また一つ、魔法の花火を咲かせる。
 もう一つ、打ち上げて、私は顔を綻ばせた。
 睦月お兄さんが空を見上げた隙に、ドーンと爆発音がすると同時に私は。

「ずっと好きです」

 そう睦月お兄さんに向かって言った。
 睦月お兄さんが、こちらを向く。
 私は何もなかったようにそっぽを向く。
 ドクドクと心臓が、胸の中で酷く暴れている。
 聞こえてませんように。聞こえませんように。
 そう念じたけれど、睦月お兄さんがそっと左頬に触れてきた。
 それは、多分唇。

「僕も、ずっと好き」

 とても色っぽく囁いた言葉で、私のさっきの言葉が伝わったことを知る。
 驚いて、顔を戻すと、唇が重なった。
 甘くて、そしていやらしい感じがする、初めのキス。
 離れた睦月お兄さんは、嬉しそうに微笑んでいる。
 睦月お兄さんを、私はずっと昔から好きだった。
 だからしつこいほど付きまとっていたのだ。元魔王だと言われても、余計好きになって。
 魔法を見せてもらって、また好きになって。
 私の喜ぶ姿を見て、おかしそうに笑うようになった姿を見て、もっと好きになった。
 ずっとずっと好きだ。
 最高に嬉しい日のはずなのに、不満があってむくれてしまうことは、本当に残念だと思う。

「あれ? キス、嫌だった?」

 笑ったまま睦月お兄さんは、私の頬をつつく。
 多分、まだ赤いだろう。
 キスが嫌だったら、はたいているわ。

「なんで、執事なの……プロポーズは嬉しかったけど、やっぱり執事は意味わからない」
「ええ? 本当に覚えてないの? 執事とお嬢様の禁断の愛が堪らないって言ってたのに……」
「覚えてないほど昔の話なのに……忘れよう?」

 確かに禁断ものは興奮を覚えるほどには好きだった。私はそんな遊びを、睦月お兄さんにやらせていたのか。思い出したくない。

「でも僕は本気で絵空に尽くすこと、好きだよ。さっきも言ったように、絵空が喜んでくれるから、自分のことを好きになれて今がある。何より、絵空が好き」

 私の手を取ると、そこにキスをした。

「僕の大事な人……一緒になってくれるかい?」
「睦月お兄さん……」

 見つめたあと、睦月お兄さんは顔を近づけてくる。私も少しだけ動いて睦月お兄さんの方へ行く。
 唇が重なろうとしたその時だった。

「見付けましたぁああっ!!!」

 私達の目の前に、女性が現れたのだ。
 バニーガールのような露出高めなトップスにスカートを合わせた格好。長い長いプラチナブロンドをストレートに下ろした美女は涙を浮かべていた。
 そんな美女は、丸い丸い輪の中から、高いヒールを履いた足を片方出して身を乗り出す。

「睦月さん!! あなたには異世界を救わなくてはいけない使命があるんですよ!? どうしてこんなとこーーごふあっ!!!」

 美女は睦月お兄さんに向かって声を上げていたけど、途中で奇声に変わる。原因は、立ち上がった睦月お兄さんの蹴りが、華麗に決まったからだ。
 機敏過ぎる動きに仰天。
 美女は輪の中に吹っ飛んだ。

「帰りましょうか、絵空お嬢様」

 そして何事もなかったかのような爽やかな笑みを、私に向けた。

「誰、今の女の人」
「僕が愛する人は、絵空お嬢様ただ一人です!」
「浮気とかを問い詰めているのではなく……てか、執事ごっこまだ続けるの?」

 輪っかから出てきた美女について問うと、睦月お兄さんは片膝をついて両手で手を握り、愛する人だとか言い出す。次は修羅場ごっこか。
 輪っかから出てきた美女は、明らかに普通の人間ではない。空中に輪っかから出てこないだろう。魔法の類いのはず。しかも。

「異世界を救わなくてはいけない使命があるって、言ったよね? どういうこと?」
「え? 不審者がいきなり現れたので、僕は聞き取れなかったです」
「いや、はっきりと異世界って言ったし、睦月さんって呼んだよね?」
「絵空の声で睦月さんって呼ばれるなんて……甘美な喜び」

 キラキラな微笑みで誤魔化そうとする睦月お兄さん。

「だ、誰が不審者ですか! いい加減にしてください! 睦月さん!」
「……ちっ」

 お腹を押さえつつ、美女はヨロヨロと立ち上がった。やっぱり睦月さんって呼んだ。
 そんな美女に向かって、明らかに不機嫌な顔で舌打ちする睦月お兄さん。
 昔、俺は魔王だ、と言っていた表情を彷彿させる。久しぶりに見た。不機嫌な睦月お兄さん。幼い頃ぶりだと思う。

「断ったはずだ。さっさと帰れ。不審者」
「女神に向かってその態度やめてください! 不審者ではありません!!」
「女神……?」

 普通の人間ではないとは思ったけれど、どうやら女神様らしい。
 女神に向かって蹴りをかました睦月お兄さん。
 流石は、元魔王。容赦ない。

「……異世界、使命、女神……」

 もしかして。

「睦月お兄さん……異世界を救う勇者に選ばれたの?」

 私の問いに、睦月お兄さんは明後日の方向に目を向けて沈黙した。

「女神様」

 女神に問うことして、目を向ける。

「女神、様! わかってる! この子、女神扱いわかってる!!」

 よほどぞんざいに扱われていたのだろうか。
 興奮しすぎだ。

「そう! 睦月さんは前世で異世界を破壊しようとしたわーるい魔王だったことは、絵空さんもご存知でしょう?」

 そうだけれど、何故私の名前を知ってるのやら。

「つまり、睦月さんには重たい罪があります。それを償うために、異世界を救う使命を与えたのです。そうです、絵空さんの言う通りです。睦月さんは勇者に選ばれたのです」

 女神らしく、穏やかに、語った。
 本当に勇者に選ばれたのか。

「だから、魔法が使えるのですか? 地球生まれなのに」
「魔法が使えるのは、魂が覚えていたからです。絵空さんのように前世を覚えている人は稀ですが、睦月さんの場合は自分の罪を悔いるために初めから前世を覚えていてもらいました。平和な地球の日本で、その日常を過ごすことで、自分がいかに罪深いか理解出来たでしょう」

 女神の思惑で、睦月お兄さんは前世を覚えていたと知り、私は少し納得した。
 私は自分が稀な転生者だったのか。
 それが隣人になるとは、どんな確率だろう。
 さっきの魔法について、一瞬黙ったのはそれだったのか。

「絵空さん! お願いします! 睦月さんを説得してください!」
「いい加減にしろ! 絵空を巻き込むな! 駄女神!」
「睦月さんが魔法を教えた時点で巻き込まれてますっ! って駄女神!?」

 ワナワナ震えていた睦月お兄さんは、耐え切れず声を上げる。
 駄女神呼びに、女神は大いにショックを受けた。

「睦月お兄さん!」

 私は睦月お兄さんの腕にしがみつく。
 胸をムギュッと押し付ける。

「異世界に行こう!!」

 目を輝かせて、笑いかけた。

「えっ……と」

 押し付けられている胸に、戸惑う睦月お兄さん。

「え、何? 今なんて言ったの?」
「異世界に行こう!!」
「いや、それはあまりにも危険だよ、絵空」
「睦月お兄さんがいれば、安心! 元魔王で、勇者だもん!」

 笑いかけて、私は続ける。

「異世界救うのがハネムーンなんて、最高に幸せ!」

 睦月お兄さんに、満面の笑みを見せるのは、多分久しぶりだろう。きっと人生で一番喜んでいる笑みだ。だって、異世界に行けるのは最高。

「……っ。……絵空がそう言うなら……うん、行こうか。異世界救うハネムーン」

 眩しそうに微笑み、睦月お兄さんは頷いてくれた。

「えっ、ハネムーンって……異世界救う一方でイチャイチャするつもりですか……? いや、救ってもらえるなら、まぁいいでしょう」

 女神も、かなりいい加減だ。
 贖罪なら、ハネムーンは却下しそうなのに。
 真面目にやってほしいと言わないあたり、好都合なので、私は喜んでおく。

「最高の誕生日をありがとう! 睦月さん!」
「……愛してる、絵空」

 ちゅっ、と軽くキスをされた。

「昔と変わらないね、その笑顔が僕を癒すんだ……」

 額を重ねて、その距離で囁く。

「堪らないほど愛しい君となら、異世界でもどこでも行くよ」
「絶対に離れない、私を守ってね」

 私達は、指を絡ませて手を強く握り合った。

「約束します、お守りします必ず。絵空お嬢様」
「まだ続けるの? 執事ごっこ。元魔王の勇者でしょう」
「君のためならば、なんにでもなるよ」

 隣のお兄さんは、元魔王で、勇者で、そして執事になりたいそうだ。
 そんな隣のお兄さんと、私は行く。
 異世界を救うハネムーンへ!



 end
(20210804の誕生日記念)
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