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01 転生少女と獣精霊。
しおりを挟む今いる場所が、あなたにとって悪い場所だったら……。
一体どんな行動をする?
大抵の人は「その場から離れる」という選択を取るだろう。
強い人はきっと「良い場所に変える」と努力をするかもしれない。
けれど。
もしも。
その時、あなたには、何の力もなかったら?
「良い場所に変える」ことも、「その場所から離れる」ことも叶わないのなら?
私は。
私は、耐えるしかなかった。
物心ついた頃には、もうその家庭にいたのだ。
母が良かれと思って連れてきた継父は、私を愛してはくれなかった。
他の男の子どもなんて、最初から引き受けなければよかったのに。
けれども、母と結婚したくて、私を養子にすることを承諾した。
母が見ていないところでは邪険にしていたし、すぐに母との間に新しい子どもが生まれると掌を返す。
もういらない。
はっきりと吐かれた言葉は、鮮明にこびりついている。
酷い幼少期だった。
母は愛してくれているけれど、継父には愛されず、新たに生まれた弟も継父に「本当の姉ではない」と吹き込まれて距離を置かれたのだ。
どうすればよかったのだろう。
私なんて、始めから生まれてこなければよかったのか。
どこなら満足に愛してもらえたのだろう。
どこにも行けなった。ただの子どもが行く当てなんてあるもなく、そんな行動力も持ち合わせていなくて、耐えるしかなかったのだ。
呪いの言葉はいつまでもまとわり続けて、私は……。
……私は?
あれ。私は。
私はどうやって生きてきたのだろう。
その後の人生は、どうやって生き抜いていったのだろうか。
思い出せない。
黒い靄がかかっているように、見えない。
「ううっ……」
熱い。息を吐いて、重たい瞼を上げると、天蓋。
覚えている。ここは私のベッドだ。
「ロリィベネ!」
私の名前?
反応して、目を動かすと、男の人がいた。
私の右手を握り締めている。
「お父さん?」
「ああ! 気が付いたんだな。ずいぶん苦しそうだったぞ。少しは楽になったのか?」
優しく笑いかけるのは、父だ。実の父親。
私の、お父さんだ。愛してくれている、お父さん。
「……」
握り締められている自分の手は、とても小さい。
大きな手に包まれている幼児の手。
「……うん……」
私はか細い声を絞り出した。
「お父さんがいる、から……大丈夫」
へにゃり、と顔を緩ませる。
「そうか、よかった! お父さん、そばにいるから安心して休むんだぞ」
愛の込められた優しい目で微笑み返してくれた父は、私が再び眠りに落ちるまでずっとそばにいてくれた。
翌朝。目覚めると、父はベッド脇に頭を埋めて眠っていた。
手は握られたまま。
もう片方の手で、私は父の頭を撫でた。ふさっとした黒髪だけれど、白髪も目立つ。
自分の髪も触ってみた。胸の下まで伸びる黒髪。
父譲りか。なんて納得する。
「ん? ロリィベネ、起きたのか? お腹空いただろう、今持って来させる」
起きた父は私の右手を丁寧に置くと、立ち上がって部屋を出て行ってしまう。
しん、とした部屋に残されて、ちょっと落ち着かない。
けれど、この部屋は私のものだ。
この家で二番目に大きな部屋だから、心細さを感じるのかもしれない。
ベッドの中に座ったまま、呆然とドレッサーやタンスを見回した。
ベッドは部屋のど真ん中に置いていて、窓側の部屋の隅には人形用のテーブルと人形がある。
猫のぬいぐるみは、抱き枕用。私はそれをぎゅっと抱き締めた。
覚えている。私のお気に入りの感触。
「お待たせ、ロリィベネ」
「おはようございます、お嬢様」
父が使用人を連れて戻ってきた。
長いエプロンドレスを着たしわのある笑顔の女性は、トレイに載せた私の朝食を置いてくれる。
スープだ。少し湯気が上っている。甘い香り。コーンスープかな。
「ありがとうございます」
お礼を言って、持たせてもらう。ちょうどいい温かさだ。
スプーンですくい上げて、口に運ぶ。
それを見て父は「食欲も戻ったか」と安堵の笑みを溢す。
「あなた、ロリィベネはもう大丈夫?」
使用人の女性と入れ違いに、部屋に足を踏み入れたのは、金髪をまとめて結った女性。
真っ赤な紅で形のいい唇を際立たせた青い色の瞳を持った美しい人。
薄紅色のブラウスとブラウンのロングスカートを合わせて、淑女のよう。
「ああ、食事が出来るようになった」
父は、ぱぁっと笑みを向ける。
「おねえちゃん!」
私を姉と呼ぶ幼女が、美しい女性の足元にいた。
駆け寄ろうとしたけれど、女性は止める。
「まだだめよ。悪い風邪だったら、移ってしまうでしょう。それにロリィベネも、もう少し安まないと」
「ええー」
むくれる幼女は、金髪をくるくると自由にカールさせた髪型。
ピンクのリボンがあちこちにある薄紅色のフリルドレスを着ていた。
瞳は、青い色。
「すまないな、お母さんの言う通り、お姉ちゃんを休ませてあげてくれ。リリィ」
「はい……お父さん」
「ゆっくり休んでね、ロリィベネ。ロジャー、看病もいいけれど、あなた自身も休んでね。行きましょう、リリィ」
私は笑みで手を振って、廊下を歩き去る継母と腹違いの妹を見送った。
ロジャー。それが父の名前だ。
リーナ。継母の名前。腹違いの妹は、リリィ。
よし。覚えている。
そう頷いて、スープを啜った。
私は、ロリィベネ。六歳。
父譲りの黒髪を持ち、母譲りの容姿を持っている。
実の母は、赤毛だった。色白の肌を持っていて、明るい瞳を持っていた人だったと父に聞いている。
母メリーは、私を産んで間もなく、息を引き取ったそうだ。
私は生まれ変わっても、また実の親の片方の顔を知らない。
……生まれ変わっても、か。
やっぱり、あれは悪夢ではなかったのだろう。
私の前世の記憶。まるで後味の悪い絵本を見ているような、そんな悪夢だったけれど、私の生前の人生だ。
熱を出して寝込んだのは、前世の記憶が押し寄せたせいか。
はたまた、熱に魘されていたから垣間見たのかもしれない。
どちらかはわからないけれど、それでも私は生まれ変わった。それが、事実だ。
「……ほっ」
ため息を吐きそうになって、私はスープに息を吹きかける。
生まれ変わっても、片親が他界しているなんて。
また血の繋がりのない親がいる。半分血が違う妹もいるのだ。
幸い、継母はあからさまに邪険にしてくることはない。妹とも人形遊びをよくする。
けれど、継母から触れてくるのは、必要最低限だけ。
前世の記憶を取り戻す前から、幼い私は気付いていた。
継母は、一線を引いている。私と言う、前妻の娘と距離を置いているのだ。
前妻の娘だから関係ない、自分の子として愛する。ーーなんて、そんな懐の広い人間は稀なのだろう。
仕方ないことだと、思うことにしよう。
前世よりまし。
前世の失敗があったから、現世は上手くいくはずだ。
前向きな思考も、母譲りなのだろうか。
別にいいんだ。
実母には、名前をもらっている。ロリィベネという名は、母が考えてくれたそうだ。
それは母の愛だろう。
前世では手に入らなかった実の父親の愛をもらっている。
それだけで、前向きにもなれるのだ。
「ん? どうかしたか? ロリィベネ」
「ううん。お父さん、大好き」
「俺もロリィベネが大好きだ」
微笑み合う父子。
幸せを噛み締めてしまう。
私はきっと幸せな人生を最期まで送る。
ーーーーしかし、三年後。
父は病気で倒れてしまい、そのまま帰らぬ人になった。
ベッドのそばで、私は泣き崩れた。
ずっと握り締めていた手は、やがて冷たくなっていく。
実の親を、二人とも失った。
残酷な現実を、今まで感じていた温もりを奪い去って、知らしめる冷たさ。
それでも、父の手を放せなかった。
引き剝がされるその時まで。ずっと握っていた。
もう、握ることは出来ない。
あの温もりを感じることもない。
愛ある眼差しを注がれることもない。
もう大好きな父とは会えない。もういない。
埋葬中も、私は涙を流し続け、悲しんだ。
お葬式が終わったあとに、ようやく気付く。
継母も妹も悲しんでいたけれど、寄り添っていたのは、父の知り合いである貴族の男性だった。
その男性に抱き寄せられて、すすり泣いている継母。
未来は、なんとなく、わかってしまった。
「ロリィベネ。大丈夫かい?」
呼ぶ声に反応して、ゆっくりと振り返る。
喪服に身を包んだ私より年上の少年が、痛々しそうに見つめていた。
藍色の癖のある髪と、藍色の瞳を持つ美少年。
彼は、この街の領主の息子だ。ここ三年で親しくなった友人の一人。
父親同士で、勝手に将来結婚を約束した。言うなれば、許嫁関係。
けれども、そんな約束も消えるだろう。
「……」
私は無言のまま、何も言わなかった。
「……ごめん。大丈夫じゃないよね」
アダムと言う少年は、私の気持ちを察してくれたけれど、慰めにはならない。
私は、継母達に目を戻した。
父のいなくなった家で数ヶ月過ごしている間に、その貴族の男性は数えきれないほど訪ねてきたのだ。
継母と妹を、慰めるために。楽しめるために。喜ばせるために。
私は蚊帳の外だった。
眼中にないのだろう。
貴族の男性は、確か未婚で若い。いずれ、継母に求婚する気でいるに違いないだろう。
使用人達が、そう噂をしていた。
思い返せば、継母と接触がない。父を亡くした日から、ずっと。
妹は貴族の男性にもらった人形やティアラを自慢しに来るだけ。
アダムも訪ねてきては、私の調子を伺った。
継母に言い寄る貴族の男性と重なってしまい、私は訪ねないでほしいと拒んだ。
それから、何度か手紙を送ってくれるけれど、返事は書かないまま。
ある日。
リリィが私の部屋に置き忘れた人形を、返しに行こうとリリィの部屋に足を運ばせた。
そして、聞いてしまった。
「お母さん、あの人と結婚するの?」
「ええ、もちろんよ。きっと私とリリィを幸せにしてくれるわ」
リリィと継母の会話。
ドアの隙間から、リリィだけは見えた。
「じゃあ、お姉ちゃんはどうするの?」
「あの子は」
冷たい冷たい。
「いらないわ」
呪いの言葉が、胸を貫いた。
「ロジャーの遺産もあるし、一人で生きていけるでしょう。私の娘じゃないから、もうお姉ちゃんなんて、呼ばなくていいのよ」
ぐらりと世界が回るような眩暈を覚える。
「そっか! あたしも、お姉ちゃんはもういらない!」
壊れたおもちゃを見捨てるように、軽々しくも、無邪気な笑みでリリィは言い放った。
もう、吐いてしまいそうだ。
「あたし、アダム様と結婚したい! いいよね? 早くお姉ちゃんを捨てようよ!」
「捨てるんじゃないわ。出て行ってもらうのよ」
「いつ? ねぇ、いつ?」
私はよろよろと覚束ない足で、家を歩いた。
自分の家なのに、追い出される。
生まれてからずっとここに住んでいるのに。
大好きな父との思い出が詰まった家なのに。
今はもう悲しみが喉を詰まらせるだけの家になってしまった。
ーーもういらない。
前世からの呪いの言葉が、私を駆り立てた。
今いる場所が、私にとって悪い場所ならば。
離れてしまおう。
まだ十歳になってもいない子どもでも、家を飛び出すことは出来た。
けれども、行く当てなんて、なかったのだ。
友だちの家なんて行っても困った顔をされて、家に帰されるだけ。
自分も足を踏み入れたことのない道を進む。
曲がり角があれば、左右を見て、少し迷い、そして進む。
狭い路地裏を進み、どんどん人気のない街の奥へ。
おとぎ話にあるような綺麗な街だ。赤い屋根があって、白い壁にツタが垂れ下がっている。
そんな街並みは、薄暗さを持つと、不気味で怖くなってきた。
足は痛くなってきて、お腹も空いてきてしまう。
マントをまとって顔を隠す人達が、行き交う道に出た。
左右を見て、後ろを振り返る。もう帰る体力も気力もない。
私は歩き疲れてしまった足を休ませるために、段差に腰を下ろす。
邪魔にならないように、誰の視界にも入らないように、隅っこで。
膝を抱えて、蹲る。
前世のようにまた、生まれてこなければよかったなんて考えたくなかった。
愛された日々が大切すぎて、それだけは考えまいとしたのだ。
でもこれから……ーー私はどうやって生きればいいのだろうか。
まだ父の愛情をいっぱいに注がれて幸せに日々を過ごすと思っていた。
胸がギュッと誰かに握り締められるように痛んだ。
十歳未満の子どもは、一人でどう生きればいいのだろう。
いや、きっと、一人なんて無理だ。
「おい、そこの人の子」
声が聞こえてきて、私はビクッと震えた。
それはきっと私に向けられたもの。
「具合でも悪いのか? ここは、子どもが一人でいていい場所ではない」
少し顔を上げれば、マントにくるまって顔も身体も隠した人が、目の前に立っていた。
心配して声をかけてくれたのなら、少なからずいい人のはず。
私は手を伸ばした。
マントの裾を掴み、声を絞り出す。
「私の……家族になってくれませんか?」
藁にも縋るとはこのことだった。
「……正気か?」
男性の声は、問う。
「伴侶を必要とするには、まだ早いだろう」
「あ、いえ、保護者になってくださいって意味です」
誤解を招いたらしい。
求婚だなんて、考えたくもないのだ。
継母と同じになりたくはない。
「なるほど。親がいないのか。身なりはいいが……」
しゃがんで男性はそう、やけに光って見える瞳で見下ろしてきた。
それは琥珀色の瞳だ。中には三日月のような形の瞳孔が見えた。
「……亡くしました」
私は、再び俯く。
「ふむ……そうか。それは悲しいな」
男性はマントの下から、手を伸ばしてきた。
鋭利な黒い爪を持った手は、私の頭に置かれて、優しくひと撫でする。
「……ちょうどいいのかもしれない」
ぼそっと独り言のように呟いた。
「我も、子を探していた。ここまで幼い子ではなかったし、保護者を頼まれるとはな……。詳しい話をしようではないか。来るか?」
頭を撫でてくれた手を、差し伸べてくれる。
私はその手を取るしか、選択肢はないと思えた。
手を重ねると、とても熱いと感じる温もりが伝わる。
父とは違う温もり。でも、なんだか、ホッとしてしまう。
「よろしい。では行こう」
場所を変えるだけだと思ったが、予想を遥かに超えた。
手を引き寄せた男性は、私を抱え上げる。
ひゅんっと激しい浮遊感を味わうことになった。
空を飛ぶ魔法!?
空にいることはわかったけれど、風の中を進むから目を瞑る。
マントにしがみつきながら、耳にしたのは重たい翼を羽ばたかせる音。
まさかと思い、目を開くと、男性の背にはーー。
鳥のような翼があって、バサッと羽ばたいていた。
それは黒い夜空のような色が半分、純白の色が半分という大きな大きな翼。
この人は、人間じゃないのか!?
確認する余裕はない。
初めての生身の飛行で、しがみついていることしか出来なかった。
急落下した時には、悲鳴にならない声を上げたような、上げられなかったような。
それさえもわからないくらい、混乱してしまっていた。
地面に下ろされた私は、身体の中身を置き去りにしていないか、と確認してしまう。
心臓がバクバクしている。ドクドクと血が巡っている気がする。目もある。
安堵して、息を深く吐く。
それで気が付いた。
さっきと空気が違う。
明らかに、清らかな冷たい空気だ。
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獣精霊ノークエルティス様は、その言葉を口にした。
聖女を探していた、と。聖女。
ぽかん、としていたら、ノークエルティス様が傅いた。
「ロリィベネ。聖女になってくれないか?」
告げられたそれに、どんな反応をするべきかわからず、私は固まってしまったのだ。
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