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『甘い口付け』

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 実は、入学前に、また公爵領へ遊びに行って、お気に入りの景色の前に連れて行ってもらったかと思えば、不意打ちにキスをされたのだ。
 私は思わず、ぺしりと頬に軽い平手打ちをしてしまった。
 威力は猫パンチ並みだったはずだけれど、拒絶の意思と受け取ったイサーク様は、絶望に突き落とされたかのように崩れ落ちてしまったのである。
 ごめんなさい。思わず……。びっくりして。
 なんとか、うるうると泣きかけた彼に、これからキスは許可を得てくれと約束することで、許した。

 現状、頬へのキスすらも許可制である。
 思春期のイサーク様は、私に一途すぎるから、そこのところの制御をしてあげないと勢い余りそうという心配がある。私への密着好きも、節度あるものにしてもらっているしね。

「今! とても! したい! リーンティアとキスしたい!」

 無気力キャラが見る影もない、がっつく公爵令息が、隣にいた。

「だめですね。頬になら、どうぞ?」
「頬もするけど、唇にもしたい!」

 欲張りさんかな?

「最初にした時は、叩かれたことが衝撃的で覚えてないんだ……そ、その、感触とか」

 しょぼん、と俯くけれど、感触を確かめたくてまたキスをしたいと白状することに顔を赤らめるイサーク様。
 ……叩いたことを持ち出されると、弱る……う、うーん。

「今したいっ! どうしても今、感触を確かめたいんだっ。一回だけ……頼むよ」

 うるうると泣きつくように頼み込むイサーク様に、私は仕方なく折れることにした。

「では、一回だけね」
「ありがとう! リーンティア、大好きっ!」

 イサーク様の両手が、私の肩を掴み、ずいっと顔を近付けてきたので、両手でそれを包んで止める。

「……リーンティア?」

 なんで? とキョトンとするイサーク様に、尋ねた。

「今まで読んだ小説の中で、どのキスシーンに憧れた?」
「え? キスシーン……? 小説と言われても……」

 私に顔を押さえつけられても、ぐいぐい顔を寄せようとしたけれど、考え込むとその力も抜ける。

「観劇でもいいけど」
「んー……。よくある表現の『甘い口付けをした』っていうのは、気になる。うっとりするくらいのキスってなんだろうって思うかな。観劇ではやっぱり、ハッピーエンドで祝福される中で、口付けを交わすところが、いいなとは思う」
「なるほど」
「リーンティアは? ……え? 理想のキスがあるの?」

 雰囲気が変わったかと思えば、イサーク様はスッと背筋を伸ばした。

「ごめん。考えてもみなかった……だから叩いたんだね」
「違いますよ? 誤解だからね」

 深刻そうに強張って反省するから、否定しておく。
 だから、びっくりしただけだってば。叩いたことは、もう持ち出さないで。

「じゃあ、うっとりするくらいのキスをしてみましょう」
「え? どうやるのっ?」

 あの不意打ちのファーストキスを帳消しにするためには、『甘い口付け』をするしかない。
 完璧に出来るとは思えないので自信はないけれども、私が大好きなイサーク様なら、うっとりしてくれそう。

 まだイサーク様の顔を両手で包み込んでいたので、少し私の方に引き寄せる。
 されるがままに、近付くイサーク様。

「実はここしばらく、私とイサーク様は『婚約者同士』では言い足りない関係だと思っていたの。でも相応しい関係の名前がわからなかった。でも、これはどうでしょうか? ――――『』」
「! リーンティア……」
「愛してますよ、イサーク様」

 ただただ。
 最愛の恋人同士。
 そう呼べる関係でいいと思えた。

 笑みを深めると、頬を真っ赤にしたイサーク様が、嬉しそうに目を細める。
 だから、目を瞑って、そっと彼と唇を重ねた。

 最初はただ重ねるようにしたけれど、唇を軽く開いて、彼の唇をついばむ。
 イサーク様はびく、と僅かに強張った。
 一回、二回、とついばむ動作をゆっくりとしていけば、イサーク様の強張りも解けて、止まっていた呼吸も小さく再開する。
 れろっと、舌先でイサーク様の唇の間をなぞれば「んっ」と息を零して、唇を開いた。
 その開いた隙間に、ねじ込むように自分の唇を押し付けてから、ちゅっと離れる。

「――――――」

 名残惜しそうに離れる私を見るけれど、ぽけーっとした真っ赤な顔のイサーク様は浅く呼吸するだけで呆けていた。
 小説の『甘い口付け』を再現してみたけれど、上手くいっただろうか。

「イサーク様。『甘い口付け』でした?」
「――――」

 かろうじて、ハク、と口を動かすけれど、声すら発せずにいるイサーク様は、コクリと頷く。
 ほぅ、と感嘆の息を零しては、座席の背もたれに縋りつくイサーク様は、ずっと私をぼんやり熱く見つめてきた。

「イサーク様、大丈夫?」
「……リーン……」
「はい?」
「すきぃ……」

 ……うん。知っている。
 それから声をかけても、うわごとのように私が好きとしか言わないで、私をぽけーと見つめ続けた。

 たまに廊下で、愛猫がぐてんと溶けていることがあるけれど……今のイサーク様もわ!
 『甘い口付け』で、うっとりしすぎて、座席で

 先に私の家に着いてしまったけれど、イサーク様が正気に戻ってくれそうにないので、仕方なく公爵邸までをお届けすることになった。
 回収していく公爵邸の方々に、生温かい目を向けられたわ……。



 
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