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一章

08 暗示。

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「逃げろ!」

 オーガの青年は私に声を飛ばしては、ヘッドドラゴンと向き合う。
 全然歯が立たないようだし、青年は疲弊しているように見えた。
 勝敗がつくのも、時間の問題だろう。
 こんな大きな魔物が街に来られても困るし。
 私は腰を上げて、ヘッドドラゴンの頭の上に飛び降りた。

「なっ! 何をしている!? 逃げろ!!」
「……」

 青年を一瞥しただけで、私はにやりと笑って手を振り上げる。

「影遊び」

 鋭利に尖らせた影を、ギョロッとした左の目玉に突き刺してやった。
 ヘッドドラゴンは地響きのような悲鳴を上げては、大きすぎる頭を振るう。
 そこから飛び降りるように宙で一回転した私は、青年のハイネックを掴み、後ろの方へと投げ飛ばした。その拍子に大剣を拝借。
 イサークさんだったら「握りが甘すぎる」と怒られているぞ。
 ヘッドドラゴンの右目が、私を睨み付ける。
 不敵に笑う私が、はっきりと映っていた。
 その左目も潰してあげよう。
 ちょっと重く感じる大剣を構えて、私は目を狙って突く。
 けれど、見た目に反して素早いヘッドドラゴンは、頭をずらして避けた。
 スローモーションでそれを見た私を、ヘッドドラゴンは食べようとしたが、生憎スピードなら私の方が優っている。
 スローモーションで見える時は、超人的なスピードを発揮できる時。
 イサークさんのしごきを受けながら、学んだ一つだ。でもイサークさんには敵わない。解せぬ。
 大剣を両手で横にスイングして、大きな舌に突き刺す。
 皮膚は硬くても、舌は柔らかい。簡単に刺さった。
 血が吹き出して、ヘッドドラゴンは頭を振って暴れる。
 血がついた手をペロリと舐めた。
 うん、悪くない味だ。これなら孤児院の子ども達も、食べられるだろう。当分の食糧も持つ。

「影遊び」

 右手を掲げて、唱えるように技名を口にする。
 影がヘッドドラゴンの下から、突き上げて貫通した。
 私が強くなるほど強力になるとイサークさんに聞いたけれど、やっと実感が出来た気がする。大剣が貫けなかった皮膚を貫けたのだから。

「おーい! アッズーロ! 大物をゲットしたぞー!」

 私は嬉々として離れている場所にいるであろうアッズーロを呼んだ。
 そこでオーガの青年に目が留まる。私に投げ飛ばされた場所に座り込んで、ポッカンとしていた。私と動かなくなったドラゴンヘッドを交互に見て、やがてへにゃりと肩を落とす。

「一日がかりで戦っていたのに……子どもが容易く倒した……」

 ポツリと呟きを聞き取った。落ち込んだ様子。

「えっと……」

 一日もこのヘッドドラゴンと戦っていたらしい。
 それを横取りされた。しかもこんな子どもにだ。
 プライドでも傷付いたのだろうか。
 私は頭を掻いてから、手を差し出す。

「ヘッドドラゴンも疲弊してたんですよ、きっと」
「……」
「とりあえず、私達の孤児院に来ませんか? 手当てをしましょうよ。一緒にこれ運んでもらえると助かります」
「……」

 にぃっと笑って見せる。
 オーガの青年は、ただ放心したように私を見ていた。こんなにも長い間、目を見られているのは、いつぶりだろうか。
 暗示にかからないように、誰もが目を背けるのに。
 まぁ孤児院の子ども達はチラチラ見てくれるようになってけど。

「怪我、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、大丈夫だ……」

 右肩を押さえるけれど、黒いマントで出血量はわからない。
 でも出血していることに違いないので、止血をしようとマントを掴む。

(吸血鬼の血は他者の怪我を治(にゃお)すことも出来る)

 また思念伝達してきたチェシャが教えてくれる。
 それは知らなかった。教えてくれたことに感謝したいけれども。
 なんで見ず知らずの人に血をやらなくちゃいけないんだ。

「マント破ってください」
「ああ」
「これは酷い。早く孤児院に行きましょう」

 マントを脱いで破ってもらっている間に傷を確認したが、がぶりと一つ噛まれたみたいで、二の腕に穴が空いている。そこから真っ赤な血が出ているから、傷を塞ぐように破いたマントの端をきつく結んだ。
 オーガの青年は、痛みで顔を歪ませた。

「私はヴェルミです」
「……オレは、ヴィオ。冒険者だ」
「冒険者!」

 冒険者だったのか。それはやっぱり悪いことをしただろうか。
 迂闊に子どもが首を突っ込むべきではなかったかな。

「わーい、現役の冒険者に会うのは初めてです。話、色々聞いてもいいですか?」

 猫被りをして言うと、バタンとヴィオと名乗る青年は倒れた。
 私の猫被りに、卒倒したわけではない。
 出血多量で倒れたのだろう。一日中戦っていた疲れもきたのだろうけれど。

「アッズーロ?」

 吸血鬼の目で遥か先まで探したが、アッズーロの藍色の毛並みは発見出来ない。引き返してしまったのだろうか。

「はぁー……仕方ないなぁ」

 大剣をヘッドドラゴンの口から引っこ抜いて、掌を切りつけて血を出す。
 どろりと出る血を、ヴィオさんの穴が空いた傷につける。
 気を失ってしまったヴィオさんは、反応をしない。

(怪我は治(にゃお)すけど、血は戻らにゃい)

 そりゃそうだろう。でも傷は塞がった。これで出血はもうしない。
 この大きな獲物と倒れた大人をどうしようか。
 影を伸ばしても、運べるかどうかは別の話だ。
 そんな器用に包めるだろうか。捕まえるや刺すことにしか使っていない。

「……あ、いんちょー」

 アッズーロがフランケン院長を連れてきたのが、吸血鬼の目で見えた。
 フランケン院長に事情を話して、ヴィオさんを担いでもらう。もう片方の手でフランケン院長は、ヘッドドラゴンを引きずった。
 わーい、いんちょーの怪力ー。

「アッズーロ。どうだ、大物だ」
「……ヴェルミ、すごい」

 ない胸を張って見せたが、嫌味には受け取らなかったアッズーロは感心したように頷く。
 そもそもこいつにアッズーロに、嫌味が通じるか疑わしい。

「なんで引き返したんだ? アッズーロ」
「オレには手におえないと思った」
「正しい判断だ。ヘッドドラゴンに遭遇したら、迷わず逃げなさい」

 いつもならここで大きすぎる手が置かれるところだろうけれど、フランケン院長の両手は塞がっている。
 何故か目を輝かせたアッズーロは、私に頭を寄越した。
 しょうがないから、代わりに頭を撫でてやる。
 孤児院に帰れば、見たこともない大物に子ども達ははしゃいで集まってきた。その声で気が付いたのか、ヴィオさんが顔を上げる。

「ヴィオさん、大丈夫ですかー?」
「あ、ああ……」
「気付きましたか」
「!」

 地を這うような低い声を発するフランケン院長の顔を目にして、ヴィオさんは身体をびくりと震わせた。
 見逃さなかったぞ。
 初見で驚かない人はいないだろう。
 いやチェシャは例外か。でも内心では怖いとは思うだろう。
 思ったもん。

「冒険者さんだとヴェルミから聞きました。怪我はヴェルミの吸血鬼の血で治しましたが、血が足りないようなのでこのまま運ばせてもらいますね」
「あ、お構いなく」
「いえ、遠慮なさらず」

 柔和な表情をしているつもりであろうフランケン院長の声は優しいけれど、表情筋は変わっていない。残念。彫りの深すぎる怖い顔である。
 ヴィオさんが心なしか青ざめているが、血が足りないせいではないだろう。
 ヴィオさんはずっと使われていない客室のベッドに降ろされた。
 私が見ているように言われたのだけれど、私はヘッドドラゴンの解体が見たくて、窓から覗き込む。
 解体用の白衣を着て、フランケン院長が斧を振り下ろして、首を落としていた。
 白衣、似合うなぁ。

「ここは……どこなんだ?」
「街の名前? ロッサだよ。ロッサ街のフランケンシュタイン孤児院。元は博士の家だったけれど亡くなってから、孤児院にしたんだって」
「……そうか」

 そう聞いている。
 横たわっていたヴィオさんが起き上がった。

「横になっていた方がいいと思いますよ?」
「いや、怪我は治ったから……」

 でも気を失うほどだから、横になっていた方がいいだろう。
 そう思うのに、ヴィオさんは俯いて反省をしているようだった。
 好きにさせてやろうと判断して、私はフランケン院長の解体を眺める。
 甘い血の匂いが、ここまで漂う。

「……君は、ヴェルミといったか?」
「あ、はい」

 血の匂いに酔うようにうっとりしていたら、呼ばれた。
 我に返って、向き合う。

「助けてくれて……ありがとう」
「はぁ、どういたしまして」

 ペコッと頭を下げる。
 あまり嬉しそうではない人にお礼を言われてもな。

「あのまま戦っていたら、食われていたのはオレだろう」
「……」

 そうですね、とは言わない方がいいだろう。
 命の恩人と言っても、過言ではないが。

「……オレは……冒険者、失格だ……」

 子どもに救われただけで、そこまで言う?
 おい、そんなに落ち込むなよ。

「冒険者に詳しくないですが、そんなに落ち込むことですか?」
「……オーガだ。強くなくては意味がない。ただでさえこの貧弱な身体でオーガの中でも弱者呼ばわりされていた……オレは弱すぎる」

 深刻に深くなった眉間のシワを見て、私は納得する。
 元々劣等感を持っていた。
 私はそんな彼の自信を、完膚なきまでにへし折ってしまったようだ。

「んー……。私が吸血鬼の子どもだからじゃないでしょうか?」
「吸血鬼?」

 ヴィオさんの目の前を右往左往して観察しても、弱いという印象は抱かない。でもオーガの中では貧弱と言われてしまう身体付きらしい。
 ヴィオさんは顔を上げると、また私の目を見た。

「……吸血鬼でも、子どもじゃないか……」

 吸血鬼の超人的な能力を知っている風。
 子どもは子ども。子どもに救われた事実が、突き刺さっているようだ。

「んーもう、じれったいなぁ」
「!」

 面倒になった私は、目を見ていることをいいことに、暗示を使うことにした。ヴィオさんの膝に手をついて、目を合わせる。

「私に救われたことは感謝する。でも自信は失わない」
「……自信は、失わない……」

 効いたようで、ヴィオさんは口にした。 
 久しぶりに使ったこの能力。

「あなたは弱くない」
「オレは……弱くない……」

 そこで部屋にフランケン院長が入ってきたので、誤魔化すためにヴィオさんの脚の間に座って甘えているふりをした。

「血を飲むといい、ヴェルミ。ヴィオさん、横になっていなくていいのですか?」
「大丈夫だって。わーい」

 血をヴィオさんに与えたからだろう。ちょっと早い夕食だ。
 コップに入った血を、ごくりごくりと飲み干す。

「今日は外で食べよう」
「わーい」

 私は食べないけど。
 外で食べるということは、ドラゴンヘッドの丸焼きだ。
 キャンプファイアー状態になるだろう。

「例のタレを作ってくれるか?」
「はーい」

 入れ違いになるニーヴェア率いる男子軍とバトンタッチをする。
 あとはニーヴェア達が見張ってくれるだろう。安静にするところを。
 例のタレとは、私が果物で作ったタレのことだ。
 それを漬け込む方がいいのだけれど、つけて食べるもよし。
 今回あった果物はみかんとりんごだった。それを潰して、お子様の舌にぴったりの甘いタレの出来上がり。
 私が前庭に持っていけば、皆が大喜びした。
 こんがり焼けたヘッドドラゴンの肉を切り取ってくれるフランケン院長が配る中、私も受け取ってヴィオさんがいる部屋の窓まで行く。

「ヴィオさん、これどうぞ」
「ありがとう……」

 もう落ち込んだ様子がないヴィオさんは立ち上がって、窓から受け取る。

「ん! ……美味い」
「おいしいよねー!」
「これヴェルミが作ったの!」
「そうか……すごいな」

 リルとリロも駆け寄って、ヴィオさんに笑いかけた。
 大人の口にも合ったのなら、よかった。

「ほかにもねーポテトチップスっていうイモのおかしも作ってくれるんだよ」
「おしおとイモだけなのに、パリパリしておいしいの!」
「「ねー!」」

 じゃがいもをスライスして揚げて塩をかけただけのポテトチップスも、好評だった。なんだか食べたくなったから、作っただけのこと。たまに食べたくなるよね。ポテチ。
 でも一枚食べただけで、私はそれ以上口に出来なかった。
 満腹感を覚えていたからだ。不便なような便利のような身体。

「おにいさん、冒険者なの?」
「冒険者さん?」
「ああ、冒険者だ」

 双子ちゃんは顔を合わせて、きゃっきゃした。

「ヘッドドラゴンをたおしたヴェルミは」
「女冒険者になれるー?」
「おい、二人とも、別に私は冒険者になりたいわけじゃ」
「なっ!?」

 間違いを正そうとしたけれど、窓の向こうでヴィオさんが驚愕している。
 さっきよりも真っ青だ。

「ヴェルミは……女の子なのか?」
「え、そこ?」

 そこ気付かなったのか。
 短い髪は束ねているし、ズボン姿だけれど、わかれよ。

(いや初見でわかったらすごいよ。オレも男の子かと思ってたもん。風呂場でわかった)

 チェシャは、頭の中で笑い声を響かせた。


 
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