婚約破棄の場を悪魔族に愛された令嬢が支配する。

三月べに

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第十三王子、カーティス

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 ◆◆◆



 カーティスがエレンノアに出会ったのは、第一王子と婚約がなされるよりも、ずっと前のことだった。
 悪魔王の十三番目の息子であるカーティスは、不運にも最弱な能力を授かったがために、冷遇を受けていた。他の兄弟に命まで狙われて、命からがら転移魔法で逃げた先が、辺境伯領のエレンノアの散歩コースだったのは最大の幸運だ。

「あなた。なんていう魔物?」

 限りなく遠くまで転移魔法を行使したことで力尽きかけていたカーティスの前に立って、上半身ごと傾げたエレンノアは、当時まだ6歳。それなのに、大人びた雰囲気の色気を持つ人形のような幼女だった。
 くるんくるんにウェーブした黒髪をハーフアップにして紺色の大きなリボンをつけて、大きな琥珀色の瞳をぱちくりと瞬かせた美少女。
 今にも地面に突っ伏しそうなカーティスは、異様に惹きつける琥珀色の瞳を呆けて見つめ返した。

「……魔物が怖くないのか?」
「私は『魔王』の力を持ってるから、森を歩いてもその辺の魔物は寄って来ないらしいの。だから強いって自負しているから、怖くはないわね」
「!? ま、『魔王』……! ここは、まさか、リリーバース辺境伯領か!?」

 リリーバース辺境伯には、『魔王』の力を持つ人間が住まうと魔物の世界では常識だ。
 低俗な魔物はウロついても、悪魔などの高位の魔物は近寄らないのは暗黙のルール。何故なら『魔王』は、魔の種族を支配する恐ろしい力なのだ。
 今はもう伝説の域ではあるが、かつてその力を知らしめた『魔王』の称号を持つ元祖は、絶対王者だったという。
 あらゆる高位の魔物をその手中に収め、国を一度滅ぼしたほどだ。『勇者』という魔を討伐する力よりも、支配されてしまう力の『魔王』の方が得たいが知れなく、近寄りたくないと思うのは当然。
 しかし、カーティスは、身構えてはすぐに肩の力を抜く。
 『魔王』の力を持つと言う少女は、一人だったのだ。親なら逃亡一択だったが、子どもならば大丈夫と油断したのだ。

「(待てよ? 『魔王』の力は……服従を受け入れて忠誠を誓えば、力をくれるという一説があったよな?)」

 『魔王』に忠誠を誓う時、魔物の力を捧げることになる。しかし、それは魔物自身が力を失うわけではない。誓った相手に、新たに力を与えることとなるのだ。それが忠誠の証となる。
 そして、主人の魔力が新たな糧になり、力を増す。

「(元々、)」

 忌々しいことに、のせいで、カーティスは虐げられてきた。
 それでも、命からがらに逃げた先に『魔王』の力を持つ少女がいたということは、チャンス。そうするしかない。相手は10歳にもならない子どもだから、どうとも言いくるめられると高をくくった。

「オレを助けてくれないか? 命を狙われて、遠くから逃げて来たんだ」
「どうやって助ければいいの?」

 こてん、と首を傾げる少女。
 簡単に助けると言うのだから、本当にチョロいと思った。この時は。

「『魔王』の力が、魔物を従える力だと知っているな?」
「うん」
「忠誠を誓って、主従関係を結べば、オレは回復するだけじゃなく、力を増すんだ。パワーアップだ。それでオレの命を狙った敵に仕返しがしたい。忠誠を誓うから、君は受け入れてくれればいい。いいか?」

 簡潔に、要点だけまとめて、伝える。
 ぱちくりと、ゆっくりと目を瞬かせる少女。

「力を増すことは知らなかった。わかった。主従関係を結んであげるわ」

 カーティスは、笑みが吊り上がることを堪えた。
 少女を騙して、力だけを得られるのだ。窮地を脱したことを、内心で喜ぶ。

「私は、エレンノア・リリーバースよ。あなたは?」
「オレは、カーティスだ。じゃあ、エレンノア嬢、を手にするから」

 悪魔とは言わない。高位の魔物の名だ。怖がらせて逃げられては困る。今のカーティスには少女を追いかけるのもつらい。
 相手は少女だ。騎士のように傅いて、手の甲にキスでもしてやれば、有頂天になってこちらの言うことを聞くに違いない。そういうことで、片膝をついて、手を差し伸べた。
 カーティスの手に自分の手を乗せたエレンノアは、特に喜んで頬を赤く染めるわけもなく、じっと琥珀色の瞳で見つめてくる。淡々と観察した様子。

「オレが”誓う”と言ったら、そのまま”受け入れる”と同意の言葉を口にしてくれればいい」

 口でのやり取りだけではなく、魔力の交換で成り立つものだが、それはカーティスが一人で行えるものだった。
 言われた通りにすると黙って頷くエレンノアを見て、つくづくチョロいと思ったカーティス。

「エレンノア嬢に、忠誠を誓う」
「……受け入れるわ」

 エレンノアの返事を受けて、カーティスは小さな手の甲に口付けを落とす。そして、自分の魔力を流し込み、そしてエレンノアの魔力を吸い上げた。

「(! な、なんだ……この魔力……! 美味いっ!)」

 感じたことのないほどの美味に、ついつい吸い上げすぎる。夢中になって吸ってしまった。だが、あっという間に満腹感になって、吸うことをやめる。
 クラッとした。先程の死にかけた力が尽きる感覚とは違う。これは幸福感だ。酔いしれて、世界が回りそうだった。
 思わず、ペロッと自分の唇を舐める。また、味わいたい魔力の味。

「(あんなに吸ったのに、平然としてやがる……。どうりで森の中にいても魔物と遭遇しないわけだ。本能で低底の魔物達は避けるんだろう)」

 不思議そうにこちらを見ているエレンノアは、平然と立っている。
 最初に言っていたように、エレンノアが魔物と遭遇しないのは、エレンノア自身の力のせいだ。本能で強者を避けて通っている。
 この味から離れてしまうのは後ろ髪引かれる思いだが、『魔王』は魔物を支配する力だからこそ、エレンノアの声が届かないところに行くべきだ。

「ありがとう、エレンノア嬢。おかげで、助かった。もう怪我も治った」
「ふぅん。それはよかったわ」

 立ち上がって、回復した身体を見せつけると、エレンノアがにこりと微笑んだ。
 ドキリ、と胸が高鳴った。カーティスは、誤魔化すように胸をさすって目を背ける。

「じゃあ、オレは命を狙った奴らに仕返ししてくる。じゃあな」

 さっさと逃げるべきだ。後ろ髪が引かれる思いなど振り払って、直ちにこの場を離れるべき。そう警報音がどこかで鳴り響いている気がして、カーティスは背を向けて足早に歩き去って、最初に報復する相手のことを選ぼうとした。


「『』」


 その声が耳に届いた時、カーティスは動けなくなる。
 地面から足が離せない。縫い付けられたように、動かなくなった。
 後ろから、足音が近付く。

「『跪け』」
「――ッ」

 崩れ落ちるように、カーティスは跪いた。

「へぇー? 本当に『魔王』の力って、魔物を支配するのね」

 後ろからやって来ては、覗き込むようにして顔を合わせたエレンノアの異質な雰囲気に、ドクドクと心音が煩くなる。
 何故だ。今になって恐怖を感じる。
 今になって。

 ――――この少女の強者の圧が伝わる。

 間違いない、彼女は『魔王』だ。魔物を支配する力を持つ。それも落ちこぼれと言われても高位の魔物の悪魔であり、完全回復した上にパワーアップもしたカーティスを、一言で跪かせることが出来る圧倒的強者。
 『魔王』の力を持った彼女に、魔物は敵いっこない。

 カーティスはとんでもない相手に、忠誠という縛りを自ら誓ってしまったと、思い知った。

「さて、カーティス?」

 小さな指先が、動けないカーティスの顎を救い上げる。
 ドキッと、また胸が疼く。

「私の僕(しもべ)の命を狙ったのは、だぁれ?」

 甘えた声を出すが、その微笑は甘美な香りを放ちつつ、鋭利な棘を生やした黒薔薇のようだった。
 先程の魔力よりも、うっとりと酔ってしまいそうだ。
 琥珀色の瞳が、魅了する。ドキドキと胸の高鳴りが収まらない。

「言わないと、ずっとこのままにするわよ」

 にこっと、年に相応しくない鬼畜なことを言い放つため、カーティスは洗いざらい吐く羽目となった。


 結局、エレンノアはカーティスの報復を手伝ってくれた。
 エレンノアは忠誠を誓わせずとも、言葉一つで容易くねじ伏せることが出来たため、多少の身を守るすべを教えてから、武力行使でカーティスの命を狙った兄弟を返り討ちにした。
 子だくさんの悪魔の王族は、『殺された弱者が悪い』ということになるため、争いは生き残った者が正義。三人の王子と三人の王女を仕留めたが、お咎めなし。それどころか、強さを手に入れたカーティスはもう冷遇を受けずに済むようにもなった。
 最も、自分の離宮にはほとんど帰らず、エレンノアの元で過ごしているが。

 その最中に、死神のミスティスと、悪魔と吸血鬼の間に生まれた双子のユーリとリーユと会い、一目で惹かれた彼らも、エレンノアに誓いを立てた。
 そのあとも、ひょいひょいと歩けば拾うありさま。
 カーティスの上の兄である悪魔王族の第一王子から第四王子まで、エレンノアとの仲を取り持ってほしいと、初めて言葉を交わしたが、エレンノアの最初の配下であるカーティスは一蹴。
 兄達が狙いは、カーティスがそうだったように、力の増幅だ。
 だが、そう甘いものではない。一度誓えば、エレンノアには逆らうことは皆無の絶対服従。その点を甘く見ている。自分がそうだったように。
 父である悪魔王の方は、エレンノアには関わりたくないようだ。支配を危惧していて、兄達も窘めている始末。正しい判断だと思う。
 歩けばひょいひょい魔物を引っ掛けるほどの魅了つきの支配する力を持つ『魔王』のエレンノアの下につく気がないなら、それがいい。

 『勇者』の末裔の第一王子と婚約したのは、下級悪魔の姉妹を侍らせた力ある悪魔の子どもである従兄弟であり異母兄弟でもあるオーディとアーディを、保護ついでにエレンノアの僕(しもべ)にしたあとの頃だ。
 その力ある悪魔のことで諸々の対処をカーティスがしている間に、エレンノアには婚約者が出来てしまった。

 自分がいれば、何が何でも阻止したと言うのに!

 いや、どうだろうか。
 次々と高位の魔物を連れ帰る娘が恐ろしくなって、王族に報告して監視目的で婚約で縛り付けた辺境伯夫妻から離れたのは、いいことなのかもしれない。
 エレンノアの両親は、王家の忠実な犬のような騎士だ。国家を揺るがしかねない存在は報告すべきだった。例え、それが実の娘だろうとも。
 エレンノアは面白そうなことに首を突っ込む傍らでは、しっかり辺境伯領で危険な魔物を排除したり、領民を守ったりしたが、それは素直に感謝はされなかった。残酷な話、そんなエレンノアがいなくとも、辺境伯の領民達は自分達で対処が出来たから。
 それはカーティス達が大いに不満に持ったが、エレンノアが監視のために王都に住まいを移すことになったことも、怒りを爆発させたかったものだ。
 だいたい、監視者が不足もいいところだった。同い年だからしょうがないとエレンノアにも宥められたが、どんなに時間が経っても、エレンノアの『魔王』の力に太刀打ち出来るような『勇者』の力が成長しない婚約者。
 殺意すら沸いて、もう廃嫡になるように仕組んでしまおうかと、エレンノアに隠れて会議を幾度もした。
 しかし、結局『エレンノアに嫌われかねない』という結論にたどり着いたために、やめたのだ。
 エレンノアはがあり、エレンノアの意に反した罠で勝手に第一王子を失脚させたら、『エレンノアに嫌われる』という絶対に避けたい事態が起きかねない。絶対君主に嫌われるほどの死活問題はないのだから。

 エレンノアの僕(しもべ)は皆、エレンノアを愛している。魅了されて、心酔して、崇拝しているのだ。
 姉や母のように敬愛していたり、見た目や感情に心酔したり、魔力や血に魅了されて崇拝したり、様々だが一括りに言えば、愛してやまない魔王。
 それは魔物だけではなく、王都の人々もそうだ。婚約者の第一王子もまた、その一人。

 まぁ、結局、こちらが望んだ失脚をしてくれたのだがな。



 ◆◆◆
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