継母の心得 〜 番外編 〜

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番外編 〜 料理界の神 〜

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ディバイン公爵家の料理長の朝は早い。
日も昇りきっていない薄暗い時間帯に、誰もいない厨房で黙々と作業する姿は、鬼気迫るものがあり、話しかける隙もない。

なぜ、“料理界の神”とまで言われた存在の彼が、誰よりも早く出勤し、全ての工程を人任せにせず、自らで行っているのか。

「まお……旦那様と、女神様と天使様のお口に入るものを作っているのだから当然だ。使用人の食事は部下に任せるが、主人たちの料理を人任せにするなどありえん」

そう語るのはもちろん料理長本人ではない。料理長の直属の部下である副料理長だ。
早朝出勤組である彼もまた、料理に情熱を注ぐ一人のようだ。

「今、料理長は、この世界に新たな料理を生み出そうとしているのだ」

我々はまさに今、新たな料理の誕生に立ち合っているのかもしれない───


◇◇◇


彼の料理を食べた者は、例外なく全ての者が口を揃えて「もう一度食べたい」と熱望する。

食材の目利き、料理のスピード、味、見た目、どれを取っても敵う者はいない。若くして名を馳せた天才は、年数を経て、“料理界の神”と呼ばれるようになった。

そんな彼がディバイン公爵家で働くようになったのは、意外にも最近だ。
最近と言っても、10年は前なのだが、貴族のお抱え料理人ともなると、20年、30年は当たり前の世界だ。代々仕えているという所も少なくはない。

個人でレストランを開いていた“料理界の神”がなぜ、ディバイン公爵家の厨房で料理長をやっているのだろう。

「ディバイン公爵家にスカウトされた時、店は息子夫婦に譲りました。最高峰の貴族家の厨房を見て見たかったのです」

思いの外、腰の低い神は、そう言って笑った。

厨房に入ると朗らかな人格も、寡黙な職人へと変わる。一つ一つの料理に真剣に向き合い、命懸けと言わんばかりに魂を込め鍋を振る。まるで炎がマリオネットのように踊り、それを自在に操る彼は料理人というよりも、傀儡師のようだった。

「料理長、例のスパイスが手に入りましたのよ。調合をお任せしてもよろしいかしら」
「女神……いえ、奥様! もちろん私にお任せください!! ついにあれを作る事が出来るのですね……っ」
「パン生地も頼みましたわ」
「はい! 上質な小麦と油、そして粗めのパン粉と細かいパン粉、準備は万端です!!」
「頼もしいですわね。前にもお伝えしたように、スパイスの調合でかなり味が変わってしまいますの。辛さにも気を付けてほしいのです。出来れば幼い子も食べられる辛さでお願いしたいですわ」

ディバイン公爵家の女神様から注文を受けると、瞳を輝かせ、お任せくださいと胸を張っていた翌日、彼は何かに頭を悩ませているのか、ほとん口を開かなくなってしまった。

そうして一週間が過ぎた夜明け前、突如我々に連絡が入ったのだ。

ついに新たな料理が誕生しそうだと、厨房に呼び出され急いで行ってみると……。そこには料理長と、その様子を見守る副料理長がいた。

料理長のそばには、丸く白いものがいくつも並べられ、パンをちぎったようなものと、削ったようなものが置かれている。

彼は何をしているかというと、ただ鍋の中をじっと見つめているのだ。

異国のスパイシーな香りが漂う厨房で、我々は時間が止まったかのように、鍋を見つめる神を見ていた。


───ジュワッ

大量の油に何かを次々投入している。
厨房にはスパイシーな香辛料と、油の香ばしい香りが拡がり、食欲をそそった。

「出来ましたよ。“カレーパン”です!」

これが、帝都でも行列を作る、あの“カレーパン”誕生の瞬間だった。

我々はまさに、新たな料理の誕生という奇跡に、立ち合えたのだ。



“料理界の神”は言う。

「この世にはない、新たな料理を生み出す手伝いが出来る。こんな嬉しい事はありません!」

料理界の頂点を極めた男は、誰にも負けない探究心と情熱を胸に、今、伝説を作る。


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