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2巻
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子供たちの様子が気になってそのまま見守っていると、イーニアス殿下が皆を集め、ノアを紹介してくれる。
「みな、ほんじつはよくあつまってくれた。はじめてかおを、あわせるものばかりだとはおもうが、なかよくしてほしい」
「はいっ」
イーニアス殿下の挨拶に、ディバイン家の幼い公子様――ノアが元気良く返事をしたため、周りの子供たちもつられて「はいっ」とお返事をしている。
それにしても、イーニアス殿下はさすが皇太子候補だけあって、四歳だというのにしっかりしているわ。
「ノアっ、あのえほんの、かげきをみたのだろう! けんしは、でたのだろうか?」
「はい! たのちかった! ばーんってちて、わーってなったのよ!!」
「そうか! きょうはそのかげきも、みられるのだぞっ」
イーニアス殿下とノアが、自分たちの大好きな絵本を話題にしているらしいと気付いた子供たちは、皆、話に入りたくて仕方がないようだ。とうとう我慢できなくなった一人の子供が、二人に話しかけてしまう。
「あのね、ぼくもえほんすきです……」
通常、身分が下の者から上の者に話しかけるのはルール違反とされる。
親から、自分から話しかけてはいけないと教えられていたのだろう子供たちは、その子供の行動に戸惑い、怒られるんじゃないかとハラハラしながら見守っているような感じだ。
「なんだと!? わたしたちのなかまか!」
「なかま、みちゅけたー!!」
「えへへっ」
怒られるどころか、仲良くなってしまうという予想外の結果に、他の子供たちも次々と声をあげる。
「ぼくも、えほんだいすき!!」
「わたしもすきです!」
こうして、子供たちは皆仲良く絵本の話で盛り上がり始めた。
どうやら問題なさそうだとホッとした瞬間――
「さっ、行くわよ!」
まだ見ていたいのに、皇后様に無理矢理引っ張っていかれる。
あーっ、私の天使たちが遠ざかっていくーっ。
「皆様、ディバイン公爵夫人がいらっしゃったわよ」
皇后様に連れてこられたのは、子供たちと舞台の両方が見渡せる後方のエリアだ。
そこには大きなテーブルと椅子が並べられており、皇宮の晩餐会で見た女性たちが、それぞれ席についていた。皆様の前には高級そうなティーセットと、カラフルで可愛らしいお菓子が並んでいる。
――なんだか雰囲気がピリッとしているわ……
「皆様、ごきげんよう。皇宮で開かれた晩餐会以来ですわね。わたくし、皇后陛下のお茶会にお招きいただいたのは初めてなものですから、よろしくお願いいたしま……」
「ディバイン公爵夫人、あなた最近、色々と商売をされているのだそうですね」
私が言い終わる前に、攻撃が来たわ! これがお茶会の洗礼というやつなの……?
「ディバイン公爵夫人のいい噂はあまり耳にしておりませんが、テオバルド様は大丈夫ですの?」
「テオバルド様が心配ですわぁ」
ん?
「ですが、テオバルド様ご本人が選ばれたと伺ったわ」
「まぁ、テオバルド様は面食いでいらっしゃるのかしら?」
もしかしてこのお茶会って……
「はいはい、皆様。本日はた~っぷりと、テオバルド様のことについてディバイン公爵夫人に聞きますわよ!」
「「「「キャーッ」」」」
公爵様のファンクラブの集まりィィ!?
そこからは怒涛の質問ラッシュだった。
テオバルド様のあの噂は本当なのか、これは好きなのか、あれは嫌いなのか、今ハマっているものはなんなのか。
そんなこと私が知るわけないでしょう!? と叫びたかったが、そんな勇気はなかったわ。だって、私を囲むこの女性たち皆、熱狂的すぎて、そんなこと言おうものなら妻としてそのくらい知っておきなさいと、公爵様について延々教えられそうだったのだもの!!
そこから小一時間、さんざん公爵様について聞かれた私は、ぐったりしながら子供たちとともにミュージカルを鑑賞した。
ミュージカルは公爵様ファンの皆様に絶賛され、今度は庭でお茶を飲みながら私の商売の話になり……と話題の尽きないお茶会であった。
HPが尽きかけていた私が、そろそろ帰りたい……と意識を飛ばしていたその時――
「まぁっ、皇后陛下もお茶会を開いていらしたのですね」
突然、妖精のお姫様かと思うような女性が庭に現れた。真っ白な肌とピンクブロンドの美しい髪、甘く蕩けそうな琥珀色の瞳をした、見るからに儚く可憐なその女性は、不躾にも皇后様に話しかけてきたのだ。
誰!? この妖精、誰!?
「ここはアタクシの宮よ。そこにズカズカと入ってくるなんて、無礼な方ね」
まるで悪役令嬢のように、心底冷たい声を出す皇后様に、心臓がバクバクと激しく動き出す。
「無礼なんて……私、皇后様をお茶にお誘いしようと思って参りましたのに」
ちょ、なん、なにか火花が見えるのだけど!
周りのご夫人方は一瞬嫌そうに顔をしかめ、その後スンッとした表情に変えて、どこか遠くを見ているではないか。
その表情、私もすべきかしら?
「アタクシをお茶に誘いたいのでしたら、先触れを出すのが礼儀でしょう」
「そんな……先触れは出したはずですが……」
絶対出していないのに、さも自分が被害者のように悲しそうな顔をする妖精に、皆がイラッとしたのがわかった。
「申し訳ありませんわ。まさか伝わっていなかっただなんて……」
「普通、先触れを出して、了承の返事を貰ってから来るでしょう。あなた、返事もないのに来たの? なんて非常識なのかしら」
皇后様の言うとおりだ。しかし、妖精はその言葉に一瞬鬼のような顔をし、すぐ、ポロリと涙をこぼした。
「了承のお返事をいただいて来ましたのに……」
「見てわからない? 今、アタクシはお茶会を開いているのよ。了承の返事などするわけがないでしょう。そのようなおかしな理屈は通らなくてよ」
「酷いですわ……っ、私は本当に了承いただきましたのに……」
酷いのはお前の頭だ――という皇后様と皆様の心の声が聞こえた気がした。
「まさか、陛下のご寵愛を私がいただいているから……」
「どうでもいいのだけど、いつまでここに居座る気? あなたまさか、皇后であるアタクシのお茶会の邪魔をしに来たのかしら?」
「っ……そのようなことはいたしませんわ」
妖精は悲しげに顔を歪めたあと、私たちに視線を向ける。
「皆様、お邪魔をしてしまい、失礼いたしました」
そう謝罪をしたのだけれど、皇后様には謝らないのね……。こんな場面をノアが見てなくて良かったわ。
そう思った時、妖精と目が合った。
――な、なに……っ?
ゾッとするほど憎しみに満ちた視線だ。すぐ目をそらしたけれど、悪寒が止まらない。
あとで聞いた話だが、あの妖精こそが噂の側妃、オリヴィア・ケイト・ダスキール様だったのだ。
妖精みたいに可憐なのに、めちゃくちゃ怖かった……
「おかぁさま、たのしかったね」
にこぉっと笑うノアに癒やされる。もう二度とあんなお茶会には参加したくないわ……
「あすでんか、えほんよろこんでたの」
黒蝶花を題材にした絵本をお渡ししたのだが、どうやら喜んでいただけたようだ。
「そうね。イーニアス殿下をモデルにした絵本だったから、喜んでくれて良かったわ。今度ノアにも、ノアがモデルの絵本を作ってあげるわね!」
「ううん。あすでんか、がんばったから、ごほうびなのよ。ノア……、わたちね、がんばったらちょーだいね」
ノア……っ。
「そうね。ノアがとっても頑張った時に、ご褒美の絵本をプレゼントするわね!」
「はいっ」
はぁ~尊い。……皇宮が怖かったから、余計癒やされるわぁ。
だけど、今回のことでわかったのは、私には社交界の立場がどうのこうのとか、無理ってことだわ。皇后様のように言い返すこともできそうにないし……
早く平和な領地に帰って、公園を作りたいわ。
「――『こうえん』でございますか?」
ミランダが着替えを手伝ってくれながら目をパチクリさせる。
「ええ。色々な人が遊具で遊んだり、景色をゆったり楽しんだりするために開かれた場所のことを言うの。そういった場所って今までなかったでしょう」
「そうですね。庶民ですと、幼い子供が集うのは教会ですし、貴族ではお茶会でしかそういったことはございません」
「そうなのよ。わたくし、お茶会を開いたり、お店を開いたりしてみて、幼い子のコミュニティーがないことに気付いたの」
「はぁ……」
戸惑いを隠せないミランダに、続けて説明する。
「子供同士の交流は、脳の発達にもとてもいいのよ」
「の、のう……?」
「たとえば言葉を覚えたり、新しい遊びを作ったり、コミュニケーション能力が向上したりね。子供同士が交流することによって、様々な能力を伸ばすことができるの」
「なるほど。それは素晴らしいですね」
「ええ。それにね、お母様たちの交流の場所にもなるから、子育ての悩みを相談し合ったりもできるでしょう。もちろん子連れの方だけでなく、お年寄りや若者も集えるようにすれば、年齢関係なく交流ができるわ」
「それは、そうですね」
「だから、領地に公園を作れば、子育て支援にもなるし、憩いの場を提供することにもなると思うのよ」
などとミランダと世間話程度に話していたら、いつの間にか公爵様に伝わっていたのよ!
「――皇后の茶会はどうだった」
翌日、公爵様が公園について詳しく聞きたいとおっしゃっているとのことで、執務室に呼び出されたのだけれど、皇后様のお茶会についても心配されていたみたいだわ。
「お茶会自体は特に問題もなく終わったのですが……」
「なにかあったのか」
ピクリと公爵様の眉が動く。
普段無表情な分、その美麗な顔に動きがあると恐ろしいわね。
「その……、側妃のオリヴィア様が途中で闖入されまして……」
「皇后の茶会にか?」
さすがの公爵様も驚いたらしく、目を見開いていた。
「ええ。先触れを出して了承を得たからと来られて……、皇后様も驚かれていましたわ」
「茶会を開いているのに、皇后が側妃の途中参加を了承したと? そんな馬鹿なことはあり得ないだろう」
「いえ、オリヴィア側妃はお茶会を開いていたことは知らず、皇后様をお茶に誘いにいらしたとおっしゃっていましたわ」
「それこそあり得ん。平民でもそんな非常識なことはしない」
それがしたのです。公爵家のご令嬢と聞いていたけれど、養女とか、庶子で教育を受けさせてもらえないとか?
「言っておくが、オリヴィア・ケイト・ダスキールは養女でも庶子でもない」
私、顔に出ていましたか?
手で頬を押さえると、公爵様がフッと笑う。
「君はよく顔に出るからな」
「まぁっ、公爵夫人にあるまじきことですわよね。申し訳ありません」
「いや、構わない」
あら? 公爵様の雰囲気が柔らかくなっている気が……
「そんなことより、側妃の狙いはおそらく君だろう。皇后と君の様子を見に来たに違いない」
「やはりそうなのですね……」
「……側妃になにかされたのか」
柔らかくなっていた公爵様の雰囲気が、突然剣呑になった。
「いえ……その、目が合っただけですわ」
「そうか……」
公爵様が黙り込む。そして、しばらくして私を見て言ったのだ。
「イザベル、君は領地に戻れ」
「え……」
よろしいのですか?
「側妃に近付くのは危険だ。ちょうどいい理由もできた。公子を連れて戻るがいい」
「理由、ですか?」
理由なんて思い浮かばないのだけど……
「君が言っていたのだろう。領地に『こうえん』を作るのだと」
SIDE 側妃オリヴィア
今夜は、陛下が私の部屋に御渡りになって、今はお話の真っ最中なの。妊娠中だけど、どうしても聞いてもらいたいお願いがあったから、私から御渡りいただけるよう手紙を書いたのよ。そうしたら、すぐに了承のお返事が来たわ。あのお化粧厚塗りブスな皇后と違って、私は陛下に愛されているもの。当たり前よね。
「陛下……」
「ん? どうしたのだ、オリヴィアよ」
「……実は、皇后陛下に……っ」
私の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
泣きすぎてはダメよ。ポロッとこぼすくらいがいいの。だって男は、女の涙に弱いと言いながらも実際は苦手なのだから。泣きすぎては引かれてしまうもの。
「……皇后がどうかしたのか?」
「……私のお茶会を、潰されてしまいました」
大して格好良くもない男の腕の中で、甘い甘~い声を出す。
きっと、デレッとした顔をしているに違いないわ。そしてすぐに、「そうか……。皇后はなんと酷いことをするのだ」と私の味方になってくれるの。
「陛下。私、お茶会が開けなくて、とても残念です」
男の胸を撫でながら、ゆっくりと顔を上げると、デレデレ顔の男がいるはず……。でも口元だけを見るのよ。ここで恥ずかしそうにして目を合わせないのが効果的なのよね。ほら、私の顎を掴んで目を合わせようと必死。
はぁ……。これがあのディバイン公爵くらい美しい顔の男なら良かったのに。
「茶会くらい、いくらでも開けば良い。皇后には朕から注意しておこう。そなたは絶対に皇后に近付いてはならん」
「……でもまた、皇后陛下に日付が重なるような意地悪をされてしまったらと思うと……怖いわ」
もう一度抱きつき、胸に頬を寄せる。
早く察しなさいよ。本当に鈍い男ね。あんたなんて皇帝じゃなかったら、お金を貰ってもお断りだっていうのに。
「……うむ。ならば朕の名を貸してやろう。それならば皇后も邪魔はできまい」
その言葉が聞きたかったのよ。
「陛下っ、大好き!」
「ハハハッ、そうだろう、そうだろう。朕は優しい男だからな!」
本当に、馬鹿な男。でもあんたの名前、せいぜい利用させてもらうわ。
「ねぇ陛下、私、ディバイン公爵夫人をお茶会に呼びたいの」
「なにっ、ディバインだとっ」
この男、ディバイン公爵にライバル心を剥き出しにするけど、皇帝ってところ以外全部負けているのよね。どうして無謀な勝負をしようとするのかしら。
「ディバイン公爵夫人は、(忌々しいことに)今や時の人ですもの。ね、いいでしょう?」
「ぅ、むぅ……」
なに考え込んでいるのよ! 即決しなさいよ!!
「陛下、ダメでしょうか?」
「むぅ……」
「彼女はとても美しいとの噂でしたので、美容についてもアドバイスを貰いたかったのですが……」
「美しい……、うむ。確かに美しかった気がするな。しかしあの時は朕も他のことに夢中でよく見られなかった。なるほど……、パートナーとともに来ることを条件にすれば、公爵も一緒に来るかもしれぬか。それならばもう一度……」
やっぱり、「美しい」という言葉に反応したわ。女好きのこの男は、これでディバイン公爵夫人を招待するに違いない。
「陛下、私のお願い、聞いてくださいますよね――」
◆ ◆ ◆
「クソッ、先手を打たれたか……」
領地に帰る準備をしていた時だ。我が家に、皇帝陛下の封蝋が押された手紙が、何故か私宛に届いたのだ。怖くなった私は、それを開けずに爆弾処理班――公爵様のところへ持っていき、丸投げした。
その爆弾を開けた公爵様が忌々し気な顔になる。
「あの……?」
「イザベル。皇帝とオリヴィア・ケイト・ダスキールが連名で、君を……いや、私たちを茶会に招待した」
はい?
「おそらく、また黒蝶花の毒を盛るつもりだろう」
「そ、れは……っ」
これって、ピンチなのではないかしら? けれど……
「飲み物だけであれば、対策も可能ですが……」
「対策がとれるのか?」
私の言葉に、公爵様の目が大きく開かれる。
最近、公爵様の表情が豊かになったような気がするわ。それに、部屋に私と二人きりでも平気になったみたい。女性嫌いが緩和されてきたのかしら。
「はい。プレゼントとしてお茶を差し入れし、自ら淹れて差し上げる方法が一つ。もう一つは、飲むふりをして中身を捨ててしまう、という方法がございます」
「中身を捨てる……それは、目の前に皇帝がいては難しいのではないか」
「人の視線を、他に誘導することで一瞬の隙をつき、捨てることができますわ」
マジックでよく使われる技なのよね。
「皇帝陛下は一つのことに集中しがちな性格をされているようですので、誘導もしやすいかと思います」
「なるほど……わかった。その方法を教えてもらえるか」
「はい。難しいことではありませんので、お茶会までにはできるようになると思いますわ」
「ああ……」
あら? あまり気が進まないのかしら。表情が硬くなっている気が……? あ、もしかして。
「大丈夫ですわ! 触れ合うようなことはしませんので」
「っ!? そ、うか……」
あら、私と触れ合うことを懸念したのかと思ったのだけれど、違ったのかしら……?
「魔法契約もしておりますし、旦那様は安心してマジックの講義を受けてくださいませ」
「っ……ああ、そうだな。……魔法契約をしていたのだったか……。そうか、そうだった……」
私、なにかおかしなこと言ったかしら?
「――それでは、視線誘導と、お茶をこっそり捨てる方法を練習いたしましょう」
翌日の午後三時。テーブルには美味しそうなサンドイッチやカレーパン、可愛らしいお菓子の数々に、高級そうなティーカップに入った香り高いお茶。そして目の前には表情の乏しい公爵様が座っている。
「ああ、よろしく頼む」
一見、公爵様とアフタヌーンティーをしているような状況だけど、そうじゃないのよ。
今からマジック講義が始まるのだから。
「まず視線誘導とは、相手の視線を、意図的にコントロールすることを言います。たとえば……」
公爵様の後ろのウォルトを見ると、待機していたウォルトがなにか用事があるのかと思い、私のもとにやってくる。
「はい。旦那様とウォルトは今、わたくしに視線誘導されましたわ」
「なんだと?」
「先程まで旦那様はわたくしを見ておりました。しかし、わたくしが旦那様の後方を見ると、そちらに視線と意識を向けましたでしょう」
「ああ」
「簡単に言えば、これが視線誘導ですの」
あまりに単純なことだったので、公爵様もウォルトも驚いているみたい。
「では、これからわたくしがこの視線誘導を使ってこのお茶を捨ててみますね」
「……ああ」
「――旦那様は最近お忙しいようですが、きちんと眠れていますか?」
とりあえず、日常的な会話を始めると、最初は戸惑っていた公爵様も私の話に付き合い出し、短い言葉で返事をする。
「そういえば、お庭を少し変えてみたのですが、気に入っていただけまして?」
「ん……ああ、そうだな」
そうして公爵様の意識が庭に集中している間に、持っていたカップの中身を、袖の中に仕込んでおいた容器へと全て移し、会話を続ける。公爵様はもちろん、ウォルトすらも気付いておらず、頬が緩みそうになった。
「旦那様、わたくし今の会話のどこかでカップの中身を全て捨てたのですが、お気付きでしたか?」
にっこり笑うと、公爵様もウォルトも目を見開き、「いつの間に……」と小さな声で呟いた。
「庭に視線をやった隙に捨てたのか」
「ええ。そのとおりですわ」
旦那様はすぐにピンときたようだ。するとウォルトが不思議そうに尋ねてくる。
「しかし、中身を床に捨てたわけではありませんよね?」
「そうね。そのようなことをしてはバレてしまいますわ」
「だとしたら、中身は一体どちらへ……?」
旦那様もそれが気になっているのか、じっと私を見ている。
なんだか少し楽しくなってきたわ。
「実は、袖の中にこのような容器を隠しておりましたの」
袖の中に隠していた容器を取り出して見せると、二人ともさらに驚いてくれたので、ついホホホッと笑い声を上げてしまった。
「このように、容器の中に水分をよく吸収する布を入れておくとこぼれませんの」
「ふむ……。これならば私にもできそうだ」
「はい。注意する点は、自然に、流れるような動作でおこなうことと、自分の視線をこの袖や飲み物に移してはいけないということです。少しでも違和感があれば、それが際立ってしまいますのよ」
こうして、お茶を飲まずに捨てるという異様なアフタヌーンティーが、側妃のお茶会まで毎日おこなわれることとなったのだった。
「おかしいわ……」
「奥様? なにか不備がございましたか」
ミランダの不安そうな声に、あ、違うのよ、と手を振り、「旦那様がね……」と話を続ける。
「教えたことはすでに習得されたにもかかわらず、何故かずっと練習に付き合わせるのよ」
「奥様、それは……」
憐憫の情のこもった目で見られている気がするのだけど、気のせいかしら。
「みな、ほんじつはよくあつまってくれた。はじめてかおを、あわせるものばかりだとはおもうが、なかよくしてほしい」
「はいっ」
イーニアス殿下の挨拶に、ディバイン家の幼い公子様――ノアが元気良く返事をしたため、周りの子供たちもつられて「はいっ」とお返事をしている。
それにしても、イーニアス殿下はさすが皇太子候補だけあって、四歳だというのにしっかりしているわ。
「ノアっ、あのえほんの、かげきをみたのだろう! けんしは、でたのだろうか?」
「はい! たのちかった! ばーんってちて、わーってなったのよ!!」
「そうか! きょうはそのかげきも、みられるのだぞっ」
イーニアス殿下とノアが、自分たちの大好きな絵本を話題にしているらしいと気付いた子供たちは、皆、話に入りたくて仕方がないようだ。とうとう我慢できなくなった一人の子供が、二人に話しかけてしまう。
「あのね、ぼくもえほんすきです……」
通常、身分が下の者から上の者に話しかけるのはルール違反とされる。
親から、自分から話しかけてはいけないと教えられていたのだろう子供たちは、その子供の行動に戸惑い、怒られるんじゃないかとハラハラしながら見守っているような感じだ。
「なんだと!? わたしたちのなかまか!」
「なかま、みちゅけたー!!」
「えへへっ」
怒られるどころか、仲良くなってしまうという予想外の結果に、他の子供たちも次々と声をあげる。
「ぼくも、えほんだいすき!!」
「わたしもすきです!」
こうして、子供たちは皆仲良く絵本の話で盛り上がり始めた。
どうやら問題なさそうだとホッとした瞬間――
「さっ、行くわよ!」
まだ見ていたいのに、皇后様に無理矢理引っ張っていかれる。
あーっ、私の天使たちが遠ざかっていくーっ。
「皆様、ディバイン公爵夫人がいらっしゃったわよ」
皇后様に連れてこられたのは、子供たちと舞台の両方が見渡せる後方のエリアだ。
そこには大きなテーブルと椅子が並べられており、皇宮の晩餐会で見た女性たちが、それぞれ席についていた。皆様の前には高級そうなティーセットと、カラフルで可愛らしいお菓子が並んでいる。
――なんだか雰囲気がピリッとしているわ……
「皆様、ごきげんよう。皇宮で開かれた晩餐会以来ですわね。わたくし、皇后陛下のお茶会にお招きいただいたのは初めてなものですから、よろしくお願いいたしま……」
「ディバイン公爵夫人、あなた最近、色々と商売をされているのだそうですね」
私が言い終わる前に、攻撃が来たわ! これがお茶会の洗礼というやつなの……?
「ディバイン公爵夫人のいい噂はあまり耳にしておりませんが、テオバルド様は大丈夫ですの?」
「テオバルド様が心配ですわぁ」
ん?
「ですが、テオバルド様ご本人が選ばれたと伺ったわ」
「まぁ、テオバルド様は面食いでいらっしゃるのかしら?」
もしかしてこのお茶会って……
「はいはい、皆様。本日はた~っぷりと、テオバルド様のことについてディバイン公爵夫人に聞きますわよ!」
「「「「キャーッ」」」」
公爵様のファンクラブの集まりィィ!?
そこからは怒涛の質問ラッシュだった。
テオバルド様のあの噂は本当なのか、これは好きなのか、あれは嫌いなのか、今ハマっているものはなんなのか。
そんなこと私が知るわけないでしょう!? と叫びたかったが、そんな勇気はなかったわ。だって、私を囲むこの女性たち皆、熱狂的すぎて、そんなこと言おうものなら妻としてそのくらい知っておきなさいと、公爵様について延々教えられそうだったのだもの!!
そこから小一時間、さんざん公爵様について聞かれた私は、ぐったりしながら子供たちとともにミュージカルを鑑賞した。
ミュージカルは公爵様ファンの皆様に絶賛され、今度は庭でお茶を飲みながら私の商売の話になり……と話題の尽きないお茶会であった。
HPが尽きかけていた私が、そろそろ帰りたい……と意識を飛ばしていたその時――
「まぁっ、皇后陛下もお茶会を開いていらしたのですね」
突然、妖精のお姫様かと思うような女性が庭に現れた。真っ白な肌とピンクブロンドの美しい髪、甘く蕩けそうな琥珀色の瞳をした、見るからに儚く可憐なその女性は、不躾にも皇后様に話しかけてきたのだ。
誰!? この妖精、誰!?
「ここはアタクシの宮よ。そこにズカズカと入ってくるなんて、無礼な方ね」
まるで悪役令嬢のように、心底冷たい声を出す皇后様に、心臓がバクバクと激しく動き出す。
「無礼なんて……私、皇后様をお茶にお誘いしようと思って参りましたのに」
ちょ、なん、なにか火花が見えるのだけど!
周りのご夫人方は一瞬嫌そうに顔をしかめ、その後スンッとした表情に変えて、どこか遠くを見ているではないか。
その表情、私もすべきかしら?
「アタクシをお茶に誘いたいのでしたら、先触れを出すのが礼儀でしょう」
「そんな……先触れは出したはずですが……」
絶対出していないのに、さも自分が被害者のように悲しそうな顔をする妖精に、皆がイラッとしたのがわかった。
「申し訳ありませんわ。まさか伝わっていなかっただなんて……」
「普通、先触れを出して、了承の返事を貰ってから来るでしょう。あなた、返事もないのに来たの? なんて非常識なのかしら」
皇后様の言うとおりだ。しかし、妖精はその言葉に一瞬鬼のような顔をし、すぐ、ポロリと涙をこぼした。
「了承のお返事をいただいて来ましたのに……」
「見てわからない? 今、アタクシはお茶会を開いているのよ。了承の返事などするわけがないでしょう。そのようなおかしな理屈は通らなくてよ」
「酷いですわ……っ、私は本当に了承いただきましたのに……」
酷いのはお前の頭だ――という皇后様と皆様の心の声が聞こえた気がした。
「まさか、陛下のご寵愛を私がいただいているから……」
「どうでもいいのだけど、いつまでここに居座る気? あなたまさか、皇后であるアタクシのお茶会の邪魔をしに来たのかしら?」
「っ……そのようなことはいたしませんわ」
妖精は悲しげに顔を歪めたあと、私たちに視線を向ける。
「皆様、お邪魔をしてしまい、失礼いたしました」
そう謝罪をしたのだけれど、皇后様には謝らないのね……。こんな場面をノアが見てなくて良かったわ。
そう思った時、妖精と目が合った。
――な、なに……っ?
ゾッとするほど憎しみに満ちた視線だ。すぐ目をそらしたけれど、悪寒が止まらない。
あとで聞いた話だが、あの妖精こそが噂の側妃、オリヴィア・ケイト・ダスキール様だったのだ。
妖精みたいに可憐なのに、めちゃくちゃ怖かった……
「おかぁさま、たのしかったね」
にこぉっと笑うノアに癒やされる。もう二度とあんなお茶会には参加したくないわ……
「あすでんか、えほんよろこんでたの」
黒蝶花を題材にした絵本をお渡ししたのだが、どうやら喜んでいただけたようだ。
「そうね。イーニアス殿下をモデルにした絵本だったから、喜んでくれて良かったわ。今度ノアにも、ノアがモデルの絵本を作ってあげるわね!」
「ううん。あすでんか、がんばったから、ごほうびなのよ。ノア……、わたちね、がんばったらちょーだいね」
ノア……っ。
「そうね。ノアがとっても頑張った時に、ご褒美の絵本をプレゼントするわね!」
「はいっ」
はぁ~尊い。……皇宮が怖かったから、余計癒やされるわぁ。
だけど、今回のことでわかったのは、私には社交界の立場がどうのこうのとか、無理ってことだわ。皇后様のように言い返すこともできそうにないし……
早く平和な領地に帰って、公園を作りたいわ。
「――『こうえん』でございますか?」
ミランダが着替えを手伝ってくれながら目をパチクリさせる。
「ええ。色々な人が遊具で遊んだり、景色をゆったり楽しんだりするために開かれた場所のことを言うの。そういった場所って今までなかったでしょう」
「そうですね。庶民ですと、幼い子供が集うのは教会ですし、貴族ではお茶会でしかそういったことはございません」
「そうなのよ。わたくし、お茶会を開いたり、お店を開いたりしてみて、幼い子のコミュニティーがないことに気付いたの」
「はぁ……」
戸惑いを隠せないミランダに、続けて説明する。
「子供同士の交流は、脳の発達にもとてもいいのよ」
「の、のう……?」
「たとえば言葉を覚えたり、新しい遊びを作ったり、コミュニケーション能力が向上したりね。子供同士が交流することによって、様々な能力を伸ばすことができるの」
「なるほど。それは素晴らしいですね」
「ええ。それにね、お母様たちの交流の場所にもなるから、子育ての悩みを相談し合ったりもできるでしょう。もちろん子連れの方だけでなく、お年寄りや若者も集えるようにすれば、年齢関係なく交流ができるわ」
「それは、そうですね」
「だから、領地に公園を作れば、子育て支援にもなるし、憩いの場を提供することにもなると思うのよ」
などとミランダと世間話程度に話していたら、いつの間にか公爵様に伝わっていたのよ!
「――皇后の茶会はどうだった」
翌日、公爵様が公園について詳しく聞きたいとおっしゃっているとのことで、執務室に呼び出されたのだけれど、皇后様のお茶会についても心配されていたみたいだわ。
「お茶会自体は特に問題もなく終わったのですが……」
「なにかあったのか」
ピクリと公爵様の眉が動く。
普段無表情な分、その美麗な顔に動きがあると恐ろしいわね。
「その……、側妃のオリヴィア様が途中で闖入されまして……」
「皇后の茶会にか?」
さすがの公爵様も驚いたらしく、目を見開いていた。
「ええ。先触れを出して了承を得たからと来られて……、皇后様も驚かれていましたわ」
「茶会を開いているのに、皇后が側妃の途中参加を了承したと? そんな馬鹿なことはあり得ないだろう」
「いえ、オリヴィア側妃はお茶会を開いていたことは知らず、皇后様をお茶に誘いにいらしたとおっしゃっていましたわ」
「それこそあり得ん。平民でもそんな非常識なことはしない」
それがしたのです。公爵家のご令嬢と聞いていたけれど、養女とか、庶子で教育を受けさせてもらえないとか?
「言っておくが、オリヴィア・ケイト・ダスキールは養女でも庶子でもない」
私、顔に出ていましたか?
手で頬を押さえると、公爵様がフッと笑う。
「君はよく顔に出るからな」
「まぁっ、公爵夫人にあるまじきことですわよね。申し訳ありません」
「いや、構わない」
あら? 公爵様の雰囲気が柔らかくなっている気が……
「そんなことより、側妃の狙いはおそらく君だろう。皇后と君の様子を見に来たに違いない」
「やはりそうなのですね……」
「……側妃になにかされたのか」
柔らかくなっていた公爵様の雰囲気が、突然剣呑になった。
「いえ……その、目が合っただけですわ」
「そうか……」
公爵様が黙り込む。そして、しばらくして私を見て言ったのだ。
「イザベル、君は領地に戻れ」
「え……」
よろしいのですか?
「側妃に近付くのは危険だ。ちょうどいい理由もできた。公子を連れて戻るがいい」
「理由、ですか?」
理由なんて思い浮かばないのだけど……
「君が言っていたのだろう。領地に『こうえん』を作るのだと」
SIDE 側妃オリヴィア
今夜は、陛下が私の部屋に御渡りになって、今はお話の真っ最中なの。妊娠中だけど、どうしても聞いてもらいたいお願いがあったから、私から御渡りいただけるよう手紙を書いたのよ。そうしたら、すぐに了承のお返事が来たわ。あのお化粧厚塗りブスな皇后と違って、私は陛下に愛されているもの。当たり前よね。
「陛下……」
「ん? どうしたのだ、オリヴィアよ」
「……実は、皇后陛下に……っ」
私の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
泣きすぎてはダメよ。ポロッとこぼすくらいがいいの。だって男は、女の涙に弱いと言いながらも実際は苦手なのだから。泣きすぎては引かれてしまうもの。
「……皇后がどうかしたのか?」
「……私のお茶会を、潰されてしまいました」
大して格好良くもない男の腕の中で、甘い甘~い声を出す。
きっと、デレッとした顔をしているに違いないわ。そしてすぐに、「そうか……。皇后はなんと酷いことをするのだ」と私の味方になってくれるの。
「陛下。私、お茶会が開けなくて、とても残念です」
男の胸を撫でながら、ゆっくりと顔を上げると、デレデレ顔の男がいるはず……。でも口元だけを見るのよ。ここで恥ずかしそうにして目を合わせないのが効果的なのよね。ほら、私の顎を掴んで目を合わせようと必死。
はぁ……。これがあのディバイン公爵くらい美しい顔の男なら良かったのに。
「茶会くらい、いくらでも開けば良い。皇后には朕から注意しておこう。そなたは絶対に皇后に近付いてはならん」
「……でもまた、皇后陛下に日付が重なるような意地悪をされてしまったらと思うと……怖いわ」
もう一度抱きつき、胸に頬を寄せる。
早く察しなさいよ。本当に鈍い男ね。あんたなんて皇帝じゃなかったら、お金を貰ってもお断りだっていうのに。
「……うむ。ならば朕の名を貸してやろう。それならば皇后も邪魔はできまい」
その言葉が聞きたかったのよ。
「陛下っ、大好き!」
「ハハハッ、そうだろう、そうだろう。朕は優しい男だからな!」
本当に、馬鹿な男。でもあんたの名前、せいぜい利用させてもらうわ。
「ねぇ陛下、私、ディバイン公爵夫人をお茶会に呼びたいの」
「なにっ、ディバインだとっ」
この男、ディバイン公爵にライバル心を剥き出しにするけど、皇帝ってところ以外全部負けているのよね。どうして無謀な勝負をしようとするのかしら。
「ディバイン公爵夫人は、(忌々しいことに)今や時の人ですもの。ね、いいでしょう?」
「ぅ、むぅ……」
なに考え込んでいるのよ! 即決しなさいよ!!
「陛下、ダメでしょうか?」
「むぅ……」
「彼女はとても美しいとの噂でしたので、美容についてもアドバイスを貰いたかったのですが……」
「美しい……、うむ。確かに美しかった気がするな。しかしあの時は朕も他のことに夢中でよく見られなかった。なるほど……、パートナーとともに来ることを条件にすれば、公爵も一緒に来るかもしれぬか。それならばもう一度……」
やっぱり、「美しい」という言葉に反応したわ。女好きのこの男は、これでディバイン公爵夫人を招待するに違いない。
「陛下、私のお願い、聞いてくださいますよね――」
◆ ◆ ◆
「クソッ、先手を打たれたか……」
領地に帰る準備をしていた時だ。我が家に、皇帝陛下の封蝋が押された手紙が、何故か私宛に届いたのだ。怖くなった私は、それを開けずに爆弾処理班――公爵様のところへ持っていき、丸投げした。
その爆弾を開けた公爵様が忌々し気な顔になる。
「あの……?」
「イザベル。皇帝とオリヴィア・ケイト・ダスキールが連名で、君を……いや、私たちを茶会に招待した」
はい?
「おそらく、また黒蝶花の毒を盛るつもりだろう」
「そ、れは……っ」
これって、ピンチなのではないかしら? けれど……
「飲み物だけであれば、対策も可能ですが……」
「対策がとれるのか?」
私の言葉に、公爵様の目が大きく開かれる。
最近、公爵様の表情が豊かになったような気がするわ。それに、部屋に私と二人きりでも平気になったみたい。女性嫌いが緩和されてきたのかしら。
「はい。プレゼントとしてお茶を差し入れし、自ら淹れて差し上げる方法が一つ。もう一つは、飲むふりをして中身を捨ててしまう、という方法がございます」
「中身を捨てる……それは、目の前に皇帝がいては難しいのではないか」
「人の視線を、他に誘導することで一瞬の隙をつき、捨てることができますわ」
マジックでよく使われる技なのよね。
「皇帝陛下は一つのことに集中しがちな性格をされているようですので、誘導もしやすいかと思います」
「なるほど……わかった。その方法を教えてもらえるか」
「はい。難しいことではありませんので、お茶会までにはできるようになると思いますわ」
「ああ……」
あら? あまり気が進まないのかしら。表情が硬くなっている気が……? あ、もしかして。
「大丈夫ですわ! 触れ合うようなことはしませんので」
「っ!? そ、うか……」
あら、私と触れ合うことを懸念したのかと思ったのだけれど、違ったのかしら……?
「魔法契約もしておりますし、旦那様は安心してマジックの講義を受けてくださいませ」
「っ……ああ、そうだな。……魔法契約をしていたのだったか……。そうか、そうだった……」
私、なにかおかしなこと言ったかしら?
「――それでは、視線誘導と、お茶をこっそり捨てる方法を練習いたしましょう」
翌日の午後三時。テーブルには美味しそうなサンドイッチやカレーパン、可愛らしいお菓子の数々に、高級そうなティーカップに入った香り高いお茶。そして目の前には表情の乏しい公爵様が座っている。
「ああ、よろしく頼む」
一見、公爵様とアフタヌーンティーをしているような状況だけど、そうじゃないのよ。
今からマジック講義が始まるのだから。
「まず視線誘導とは、相手の視線を、意図的にコントロールすることを言います。たとえば……」
公爵様の後ろのウォルトを見ると、待機していたウォルトがなにか用事があるのかと思い、私のもとにやってくる。
「はい。旦那様とウォルトは今、わたくしに視線誘導されましたわ」
「なんだと?」
「先程まで旦那様はわたくしを見ておりました。しかし、わたくしが旦那様の後方を見ると、そちらに視線と意識を向けましたでしょう」
「ああ」
「簡単に言えば、これが視線誘導ですの」
あまりに単純なことだったので、公爵様もウォルトも驚いているみたい。
「では、これからわたくしがこの視線誘導を使ってこのお茶を捨ててみますね」
「……ああ」
「――旦那様は最近お忙しいようですが、きちんと眠れていますか?」
とりあえず、日常的な会話を始めると、最初は戸惑っていた公爵様も私の話に付き合い出し、短い言葉で返事をする。
「そういえば、お庭を少し変えてみたのですが、気に入っていただけまして?」
「ん……ああ、そうだな」
そうして公爵様の意識が庭に集中している間に、持っていたカップの中身を、袖の中に仕込んでおいた容器へと全て移し、会話を続ける。公爵様はもちろん、ウォルトすらも気付いておらず、頬が緩みそうになった。
「旦那様、わたくし今の会話のどこかでカップの中身を全て捨てたのですが、お気付きでしたか?」
にっこり笑うと、公爵様もウォルトも目を見開き、「いつの間に……」と小さな声で呟いた。
「庭に視線をやった隙に捨てたのか」
「ええ。そのとおりですわ」
旦那様はすぐにピンときたようだ。するとウォルトが不思議そうに尋ねてくる。
「しかし、中身を床に捨てたわけではありませんよね?」
「そうね。そのようなことをしてはバレてしまいますわ」
「だとしたら、中身は一体どちらへ……?」
旦那様もそれが気になっているのか、じっと私を見ている。
なんだか少し楽しくなってきたわ。
「実は、袖の中にこのような容器を隠しておりましたの」
袖の中に隠していた容器を取り出して見せると、二人ともさらに驚いてくれたので、ついホホホッと笑い声を上げてしまった。
「このように、容器の中に水分をよく吸収する布を入れておくとこぼれませんの」
「ふむ……。これならば私にもできそうだ」
「はい。注意する点は、自然に、流れるような動作でおこなうことと、自分の視線をこの袖や飲み物に移してはいけないということです。少しでも違和感があれば、それが際立ってしまいますのよ」
こうして、お茶を飲まずに捨てるという異様なアフタヌーンティーが、側妃のお茶会まで毎日おこなわれることとなったのだった。
「おかしいわ……」
「奥様? なにか不備がございましたか」
ミランダの不安そうな声に、あ、違うのよ、と手を振り、「旦那様がね……」と話を続ける。
「教えたことはすでに習得されたにもかかわらず、何故かずっと練習に付き合わせるのよ」
「奥様、それは……」
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