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親子、まで

親子

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 バーは、週末に混む。
 今日は、土曜日だ。
 つまり、混む。
 なのに、バイト君がレポート間に合わないから来られない。
 つまり、人手が足りない。
 なので、彼女が来る。
 つまり、胃が痛い。

 忍さんは、オヤジの一人娘だ。
 大学生で、どうしても人手が足りない時に、ヘルプを頼むことがある。
 (父親に似ず)笑顔のかわいい愛想のいい子で、店にも慣れていて、気がきいて、とても助かるのだが、僕を嫌っている。
 彼女は、(あんな)お父さん大好きっ子だ。
 そして、どうしてか、オヤジが、娘一人ではなく、もっとたくさんの子供を欲しがっていた、と思い込んでいる。
 なので、子供が自分一人しかいない今、気に入った人物を自分の子のようにかわいがりたいとオヤジが考えている、と思い込んでいる。
 そして、オヤジの側にいる僕は、オヤジにとっての子供代わり候補である、と思い込んでいる。
 なので、僕はオヤジの愛を掠め取る敵だ、と思い込んでいる。
 これは、真顔で「お父さん取ったら刺す」と言われたことがあるから、僕の思い込みではない。
 ゆえに、僕がオヤジって呼び始めたことがバレたら、ガチでマズい刃傷沙汰になる。

「お父さん、遅くなってごめんね!」
 息を切らせて、忍さんが、店に入ってきた。
「土曜日だってのに、悪いな」
「だってー、お父さんからのオネガイだもん!」
 とっても素敵な笑顔だ。
「急いで着がえるね!」
 バッグからクリーニングのビニール袋に包まれた制服、ワンデーのコンタクトを取り出し、(更衣室はないので)トイレに向かった。
 一瞬、オヤジの隣にいた僕を、視線が射すくめた。

「ネグローニとシェイクのマティーニ、レモン・ピール抜きをお持ちしました」
 忍さんは、テーブルに紙製のオリジナル・コースターを敷き、トレーからシェイカーを残し、ネグローニとピンに刺したオリーブだけのカクテル・グラスを置く。
「マティーニは、もう少々お待ちください」
 トレーの取っ手をエプロンの紐につけたエス字フックに引っ掛けると、オヤジ直伝のタブル・アクションでシェイカーを振る。
 グラスに注ぎ切り、スナップを効かせて滴を切り、トップを嵌める。
「どうぞ、ごゆっくり」
 うまくできた? とオヤジに向かって笑顔、頷かれて、もっと笑顔。
 僕に挑発的な笑みを向けたタイミングで、オヤジから(冷やさない酒のボトルはメジャースタンド<一定量の酒をワンタッチで出せる装置>で壁に下げられていて、今の立ち位置だとオヤジの方が近い場所にブランデーがあるので入れてもらった)シェイカーの下部分ボディーを受け取ってシェイクしたサイドカーをお客様に提供すると、般若の目になった。
 同程度にシェイクし、しかもオヤジから受け取ったボディーで、というのが、気にいらないらしい。
 僕としては、プロなのにシェイクが同程度、と認識されているのが、地味に辛い。


 黒ブチがうずくまっていたのを教えてくれた一人、サトミさんが来店された。
 そして、なんと家族に相談する、と言っていた話がまとまり、黒ブチ子を一匹、もらってもらえることになりそうだ。
 団体とも、誓約書を交わして、あとは日程調整だけらしい。
 まだ、完全な確定ではないが、三匹の子猫の初里親が決まりそうだ。
「なんか、すごい問い合わせきてるらしいですよ?」
 聞くと、ポスターを見た、という問い合わせが多い、と猫オバチャンに言われたらしい。
 とにかく、里親として決まれば、めでたい。
「お飲み物は、いかがなされますか? 一杯奢りますが、里親になれなかったら、三倍取り立てます」
 と冗談めかして言っている、とタカチさんも来店された。
 ちょうどカップルが帰ったので、席を動いてもらい、カウンターの端に、二人並んで座ってもらった。
 二人の注文は、「マーズ・ティアーズ」。
 バーマット(グラスを並べるゴム製マット。お酒を提供する係のバーテンダーが立つ)の前にはオヤジが立っていたが、僕のオリジナル・レシピなので、代わってもらう。
 バーテンダーとしてお父さんより格下のくせにお父さんを押しのけてつくるなんて、と忍さんの目が怖かったので、出来上がったタンブラーを持って、二人の前に、急いで移動した。

「干柿バターお願いします」
「おう。そろそろいいぞ」
「・・・はーい」
 オヤジが、忍さんに、そろそろ帰るように指示を出す。
 お父さんといっしょにいたい彼女は、不満そうだ。
 僕が干柿バターのために、クラッシュド・アイスをガリガリつくっている、とタカチさんが、「ご馳走様でした」と立ち上がった。
 サトミさんも、席を立つ。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
 忍さんが、カウンターの上、下(荷物をかけるフックがある)に忘れ物がないのを確認しながら、愛想よく挨拶する。
「ご馳走様でした」
 カウンターに向けて、
「里子が決まったら、メールで連絡しますね、パパ」
 笑顔で手を振って出ていく二人。
 サトミさんには、里親募集のポスターPDFをメールで送ったことがあったので、メアドは知っている。
 だが、そんなことは、些細な問題だった。
「里子? パパ?」
 忍さんの地の底から這い上がるような低い声が、談笑で賑やかな店内に、染み渡った。

「忍お前、サキエが死んだの、自分のせいだと思ってるだろ?」
 サトミさんが、オヤジをパパと呼び、里子になる、と勘違いして、説明を聞くまで帰らない、と譲らなかった忍さん。
 お客様も多い日なので、オヤジに説明に抜けてもらう、と僕一人になって、人手として難しい。
 結局、忍さんも、閉店まで手伝って残ることになった。
 後片付けをする僕が気配を消す中、カウンターに座ったオヤジが、切り出した。
 サキエさんは、亡くなったオヤジの奥様であり、忍さんの母親だ。
「お前産んだからサキエが死んだって、ジジイらが酔って言ってたのを気にしてるんだろ?」
 図星だったのか、口を引き結ぶ忍さん。
「サキエの身体が弱かったのは、確かだ。だが、それでもお前を産むと決めたアイツを馬鹿にしてんのか?」
「そんなこと!」
 叫ぶ忍さんに、
「サキエが早くに死んだのも、兄弟ができなかったのも残念だが、お前は、俺の唯一のガキだろ?」
「・・・うん」
「それでも不満で、不安か?」
 激しく首を振る忍さん。
「それに、お前以外に、ガキなんて欲しがるか、面倒くさい」
 オヤジ、それフォローになってません。
「でも・・・」
「里子の話は、猫だ。店の前で産気づいた野良猫がいた。店の中にも外にも、ポスターが貼ってあるだろ?」
「え? あれのこと?」
 ポスターを指されて、納得しかけるが、
「でも、パパって」
「それは、こいつのことだ」
 僕を指して、
「メス猫に情がうつって、金だしてるから、パトロンのパパって、からかわれてる」
 な? と聞かれて、不本意だけど、話を拗らせたくなくて、頷く。
「・・・そうなんだ」
 納得した様子の忍さん。
「ぱ~はパトロンの、ぱ~」
 と歌いだすオヤジ。
 くすくす、と笑う忍さん。
「ちょっとオヤジ、それ僕が誤解される」
「オヤジ!?」
 あ、気が緩んで、ついオヤジって呼んでしまった。

 忍さんへの説明には、まだまだ時間が必要そうだった。
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