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親子、まで

野良猫

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「お待たせしました。フィリップ・ド・ブルゴーニュ・クレーム・ド・カシスのソーダ割りお二つです」
 ピーク時間を過ぎ。、早番のオヤジは、しばらく前に帰っていったので、今は僕一人だ。
「当店、キャッシュオンデリバリーでございますので、ご注文をお持ちしました時に、そのつど会計させていただいております。・・・どうなさいましたか?」
 女性二人連れが、注文をした後、どうも入口の方を気にしているようなので、訪ねてみた。
「それが、猫が・・・」
 会計を済ませ、グラスで唇を湿らせながら、話してくれたのは、店の前に、調子の悪そうな猫が一匹、うずくまっていたという。
「それで、心配になって」
「少々、失礼いたします」
 急いで、出てみると、確かに大きな黒ブチの猫がいる。
 僕が店に入ったときにはいなかったし、オヤジも何も言っていなかったから、そんなに時間は経っていないだろう。
 手を出そうとすると、威嚇で、喉を鳴らしてきたが、逃げようとしない。
 なんとかしたいが、お客様がいる店を放っておくわけにもいかない。
 オヤジは、もう家についている時間だ。
 これから店に戻ってもらうにも時間がかかるし、家族団欒(アレでも妻娘アリ。ただし奥様とは死別)を邪魔するのは避けたい。
 困った僕は、中に戻らず、猫オバチャンの店に電話した。
 個人的な連絡先は、知らなかったのだ。
 もう閉店している時間だったが幸い、まだ店にいて、急いで来てくれることになった。
 そわそわしながら、シェーカーを振っている、と猫オバチャンが、店に入ってきた。
「どうでしたか?」
「慌てないでー、まずはビールをちょうだいー」
 急く僕を制して、カウンターに座り、注文する。
 ハイネケンが泡立ち過ぎ、入れ直しだ。
「お待たせしました。ハイネケンをハーフ・パイントです」
 深呼吸してから、ハーフ・パイントのグラスを置いて、気がついた。
 しまった、銘柄も量も確認せずに、前に来店したときに飲んでいたものを勝手に出してしまった。
 僕が、注文を聞きなおす前に、猫オバチャンは、口をつけ、
「うちの旦那がー、病院につれてったから、まずは安心してー」
 旦那さんいたんだ。
 あと、この時間に開いている動物病院もあるんだ。
 でも、まずはお礼だ。
「急なのに、ありがとうございました」
「いいのよー。アナタのためじゃなくて、猫のためだものー」
 それでも、頭が下がる思いだ。
「旦那様にも、お礼とお詫びを。先日、お店に伺った時には、お合いできませんでしたが」
「ああー、あっちが休憩時間だったからー」
 携帯の着信音がした。
「ごめんねー。マナー違反ねー」
 電話に出ながら、店から出ていく猫オバチャンの背中を見送る。
 猫のことを教えてくれたお客様も同じように見送っているので、声をかけた。
「何かおつくりしましょうか?」

 二人には、猫のことを教えてくれたお礼に、奢らせてもらう。
 リクエストを聞く、とアルコール弱めで甘いロング・カクテルだった。
 お腹はいっぱいとのことなので、小さな6オンスのタンブラーで、カシスとライチのリキュール、ディタ使ったオリジナル・カクテル「マーズ・ティアーズ」を出した。
 間もなく、猫オバチャンが戻ってきた。
 なんだろう、この微妙な表情は?
 不安だ。
「病院の旦那からー、診察してもらったらー、」
 そこで、溜めないで!
 女性二人も身を乗り出している。
「妊娠してて、出産が始まってるってー」
 え?
 半分ほど残っていたビールを飲み干し、タンっとグラスをカウンターに置き、
「付き添いに、行ってくるー」
 財布を出したので、さっき言い出すタイミングがなかった、ビールの注文に、銘柄も量も確かめずに、前に来店したときに飲んでいたものを勝手に出してしまったこちらの不手際を詫び、お代は断った。
「ふーん、前の注文、覚えてたんだー」
 逆に、僕の携帯番号のメモを渡し、これに連絡がほしい、とお願いした。
「病院代とか、今後の相談もありますし」
「わかったー、パパ」
 パパ?
「シングルマザー猫を援助するんだから、パパでしょー?」
 あ、パトロンの方のパパね。
 でも、パトロンって、誰でもパパって呼ぶの?
 聞こえが悪いので、せめて足長系でお願いしたい。
「じゃねー、パパー」
「よろしくお願いします」
 その背に、言いたいこともあるが、飲み込んで、頭を下げた。
「安心したんで、帰ります」
 二人の女性も席を立った。
「猫のこと教えてくださって、ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
「はい、また来ます。パパ」
 笑顔で手を振って出ていく二人。
 お客様に向けてなので、笑顔のまま、表情に主張させない。
 ニヤニヤと笑っている常連のお客様の唇が、破裂音の準備に入ったので、
「いつも通り、チーフと呼んでください」
 にっこり笑って、野太い釘をぶっ刺しておいた。

 閉店後、部屋に帰り着いた僕は、雪さんに告解した。
 いかに、僕が汚い人間であるかを。
 黒ブチ猫に手を伸ばした瞬間、威嚇される前に、手を止めていたのだ。
 病気を持っていたら、雪さんにうつしてしまうかもしれない、と考えたから。
 救ったなんて、とんでもない。
 僕は、何もできていない。
 雪さんが、ぺろり、と黒ブチに触れられなかった僕の手を舐めた。
 SNSメールの着信音が響いた。
 見ると、
「親子とも無事。茶トラ一、黒ブチニ」
 大きな、ため息が漏れた。
 何を、全てを救うような気になっていたんだろう。
 自分のできる範囲をやればいい。
 猫オバチャンに電話をかける、と雪さんが、「にー」と鳴いた。

 動物病院の料金は、診察料+血液検査+蚤取り-保護団体割引(深夜割増ナシ、出産立会費ナシ)-野良割引で、一万円だった。
 これは、僕が負担した。
 黒ブチ親子は、猫オバチャンの関係している保護団体の(黒ブチが猫エイズなどのウィルス感染が陰性だったため)預かりボランティアの家で預かられている。
 フード代など、団体持ちとのことだが、黒ブチのワクチン代、避妊手術代を含めて、猫オバチャンを通じて、三万円を寄付した。
 そのとき、チェキで写した(チェキは名刺大なので四匹まとめてだと小さいから)親子各々の写真をくれた。
 子猫のために、フラッシュを使っていないので暗いが、可愛さは伝わってくる。
 黒ブチのことを教えてくれた女性の一人が店に来たとき、まだチェキを持っていたので、見せてあげられた。
 もう一人に見せたい、とスマホでチェキを撮影したのは、デジタルなのか、アナログなのか。

 コルクボードに、四枚のチェキを留めていると、雪さんは、ぷいっと背を向けて、トイレに籠った。
 僕は、ニヤけた顔を隠すように、山田町オランダ島ビールの栓を抜いた。
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