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大量焼死体遺棄事件:裏サイド
side:ヤタガラス
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本名:八田正平
享年:三十歳
死因:自殺
妹の櫻が、おかしくなったのは、大学一年生のゴールデンウィーク明けだ。
始めは家族で、五月病か? なんて笑っていたが、すぐに笑えなくなった。
言えば、まさに五月病ではあったのだろう。
一浪しても、偏差値的には、ちょっと無理っぽかった第一希望の大学に入れて、慣れてきて一段落。
連休でちょっと気が抜けて、だったのだろう。
それが分かっているから、やる気を出そうとして、空回りしているのが、僕ら家族にも分かった。
朝日を浴びるんだ、とか言い出して、早朝に走ったり。
深く眠るため、とか言い出して、座禅っぽいことをしたり。
僕らは、若い時期だから、と放置していた。
実家通いで毎日見ているし、誰もが通る道で、すぐに本調子になるだろう、と。
でも、見ているのは家でだけであって、学校はそうではない。
妹は、学校で孤立しがちになり、その孤独から、その集まりに参加したようだ。
きっかけは、家での座禅が上手くいかなかったことだ。
僕も、妹といっしょに試してみたが、難しい。
一般家庭の中は、雑音に溢れている。
その中で、無心になろうとするのだ。
無心を目指せば目指すほど、考えが浮かんでくる。
そこで、妹が大学で誘われたのが、ヨガだった。
無心になろうとするから、無心になれない。
だから、身体を動かす。
身体を動かすことに集中すれば、無心になりやすい。
そんな言葉に誘われて、妹は、ヨガサークルに参加した。
才能があったのか、煽てられたのかは、わからない。
しかし、初回に褒められた妹は、そのまま入会した。
家で練習する妹といっしょに試したが、確かにヨガの方が、無心になれそうだ。
無心よりは、逃避に近いのかもしれないが。
そして、妹のノメリ込み方も逃避だった。
家を出るのは、サークルで知り合ったヨガの道場に通うためで、大学へではなかった。
一週間も学校へ行かなければ、もう行くきっかけがない。
そのままズルズル、と道場へ通うだけとなっていった。
僕を含めた家族は、まったく気づいていなかった。
第一の破局は、大量の塩水を飲む、というヨガの行で、救急車で運ばれたことだ。
病院で、運び出されたのが大学ではないことを知り、大学に問い合わせて、妹が出席していないことを知った。
しかし、まだ問題は根深くはなかった。
長い人生だ、この一年は諦めて、留年でも休学でもして、やり直せばいいだけだ。
そういった意味もあり、しばらく入院させ、カウンセリングを行ってもらった。
そのカウンセリング、そして妹の訴える目の違和感から医師が勧めた頭部のMRIで、異常が見つかったのだ。
第二の破局は、脳腫瘍だった。
手術の成功率は極めて低く、成功したとしても、強い後遺症が残る。
放置しても、数年の命だそうだ。
当然のことながら、簡単には受け入れられず、評判のいい病院や医師を巡る日々が始まった。
しかし、むしろ初めの病院で、よく見つかった、という評価はあれど、診断は覆らなかった。
そもそも、手術を勧める医師がいなかった。
その中で、頼み込んで紹介してもらった世界のトップファイブに入るという医師は、手術をしても、後遺症を抑えるためには、摘出部分を小さくしなければならず、そうすれば再発の可能性が上がる、と答えた。
後遺症に苦しみ、再発に脅える日々。
手術をしなくても、進行すれば、頭痛、失明の症状が出た上で、死に至る。
未成年の妹に告げるには、あまりに残酷な未来だ。
もう、大学など、どうでもよくなっていた。
第三の破局は、両親の離婚だ。
原因は、胡散臭い民間療法を勧める母親と、娘の運命を半ば諦めて受け入れた父親との対立、ではなく借金だった、
初めは、僅かな期待で、見守っていた父親だが、一回数十万円する治療費と称する金額に、難色を示した。
娘の命に金を惜しむのか、と非難する母親に、彼は反論できなかった。
貯金が消えるのに三ヶ月はかからず、借金が膨らむのに、半年はかからなかった。
父親の職場に借金取りがくるようになったことで、彼は職を失った。
自宅を売却し、小さなアパートに移る直前に、残った借金は父親が引き受ける条件で、離婚が成立した。
アパートの家賃の支払いを始め、収入は僕の給料のみとなった。
まあ、こうなってくれば、先の展開はお分かりだろう。
現代医学に見捨てられ、民間療法の金もなく、あとは神に縋るのみだ。
まあ、幸いだったのが、騙し取られる金がなかったことだろうか。
半年前ならまだしも、小さなアパート暮らしで、収入源は三十にもならない長男一人のみ。
ある意味、親身に相談に乗ってくれる、親切な人たちに出会えていた。
しかし、母親が求めているのは、彼女のいうところの、そんな偽善ではなかった。
言ってしまえば、神の奇跡だ。
まあ、そういう類の奇跡は、基本として金持ちのところで起きるものだ。
貧乏人にとっては、宝くじを買って祈るのと大差ない。
元手が小さくて済む分だけ、宝くじの方がコストパフォーマンスがいいかもしれない。
困ったのは、母親には、時間があったことだ。
もちろん、妹の介護はしていたが、視力の低下と、まだ時々の頭痛ぐらいだったので、それなりに時間はあったのだ。
そして、第四の破局は、出会ってしまったことだった。
母親は、いくつかの宗教を経由して、ブルー・ヘブンズ・ドアという団体に行き着いた。
表向きは、環境保護活動の団体であったが、中身は「死者の世界を地上に造り、死んでも地上に留まるようにしよう」という目的の団体だった。
正直に言う、と母親が真顔で口にした瞬間から、今でも信じていない。
しかし、母親と妹には、パラダイムシフトだったのだ。
それまでは、病気を治す、死なないように健康になる、と考えていた。
そして、それは無理だった、
ならば、病気で死んでも、死後の世界が地上にあれば、いっしょにいられる、と新たな発想を得たのだ。
病気は治らない。
それを受け入れた上で、死した後、地上に居座ろう、というのだ。
なにより驚いたのが日々、信者が増えていくことだ。
二人に連れていかれた集会では、テレビで見るような有名人を何人も見た。
その中でも、若くして不治の病におかされた妹は、格好の広告塔だった。
こんなに若くて、一見健康そうなのに、死ぬ運命なのだ。
ちょっとした高齢者には、自分のそして家族の不幸な未来を想像させるのに、すばらしいギミックだった。
妹は、信者獲得の集会に呼ばれるようになり、各地へいっしょに行くようになり、そしてその中で過ごすようになった。
母親は、マネージャーのようにつき従い、ステージママのようだった。
死への恐怖からの逃避、虚栄心の満足。
一年前には想像もしなかった生活は、そう長くは続かなくなった。
なぜなら、病気が治ることを諦めたのだから、症状は悪化するからだ。
ほぼ視力を失い、頭痛の頻度が短くなり、死に脅え出した妹に反して、母親はより多くなる同情心の洪水に溺れていた。
死に向かって歩む妹を拝む信者に、意気揚々と応える母親。
妹は、そんな母親に反発しながらも、もう母親なしでは、日常生活が儘ならなくなっていた。
その間、僕は何をしていたか。
無心に、仕事をしていた。
仕事に逃避することで、きっと妹は幸せだ、と思い込みたかった。
少なくとも、アパートのドアを開ける前に、二人が発する沈み込んだ空気を想像して、躊躇することはなくなっていた。
正直に言おう。
なんとなく、妹の病気が治ったような気になっていた。
家族は、売却したはずの家に住んでいて、僕は仕事のため、部屋を借りているかのような妄想をしていた。
だから、初めての一人暮らしは慣れないなあ、なんて呟きながら、自炊したりしていた。
仕事場の先輩に、お前明るくなったな、なんて言われて。
上司に、褒められて。
仕事がんばろう、なんて。
そう、妹から「助けてくれ」と言われるまでは。
妹から電話をもらって正直、意味が分からなかった。
だって、もう病気は治って、家族で家に住んでいるのだから、僕の妄想では。
だから、大学で困ったことでもあったのか、と聞いた。
「大学」という単語に、妹が絶句したような雰囲気の後、電話は切れた。
だから、僕は、彼氏でもできて、喧嘩したとか、なんて年頃の妹を持った兄貴として、ドキドキしたりしていた。
相談しようとしたけど、恥ずかしくなって電話を切った、なんて想像していた。
狂ってたよな、僕。
妹も、この時に電話を切ったのは、母親と同じく、僕も狂った、と思ったからだ、と後になって聞いた。
それでも、妹には、他に頼れる人がいなかった。
僕の妄想の中では、再就職をして、家から仕事に通っている父親は、現実には行方不明で、妹では連絡をつけることができなかったのだ。
思惑が、完全にすれ違ったまま、それでも僕ら兄妹は、再度の電話で会う約束をした。
とはいえ、もう妹は、一人で外出することもできなくなっていたので、会ったのは、BHDの支部でだった。
随分、大きな建物だった。
案内された大きな部屋で、車椅子に乗っていたのは、老婆だった。
痩せ、髪に白い物が混じり、肌がガサガサで。
僕は、のん気に、早く妹が来ないかな、と思って突っ立っていた。
妹も、視力を失って、聴力も落ちていたので、僕が来たのに気がついていなかった。
間抜けな十五分が経ち、「おっそいなあ」と思わず大きく呟いた声に、妹が僕を呼んで、初めて気がついた。
そして、妄想の夢から覚めた。
妹は、死にかけていた。
そして、妹が僕を呼んだ理由は、僕の妄想よりも狂っていた。
第五の破局は、罠だったことだ。
そう、肉親である僕を呼び出すための罠だ。
BHDは、月林檎という呪物の製法を研究していた。
この不死に至る糧を完成させるのが、至上命題なのだ。
どういう目的の物で、どんな効果があるのか、理解している者は、今でもほとんどいない。
それでも、その実験は行われ、犠牲を出していたが、それでも行き詰っていたのだ。
そして、その打破の手段として、肉親を使う、という手法が考案された。
そう、その肉親が、僕だ。
要は、実験材料だ。
僕の後ろで、ドアが閉められた。
振り向く、と屈強な男二人が立っていた。
そのまま、僕の傍らに立ち、腕をとられた。
僕が入って来たのとは、別のドアが開き、入ってきた女性が、妹の車椅子の後ろに立った。
そして、妹の膝の上に、古めかしい本を置いた。
「早くおやり」
声を聞いて、ようやく分かった。
母親だ。
しかし、外見があまりに違いすぎる。
髪を茶色に染め、若作りで、しかも太っていた。
昔の映画に出てくる、成金のマダムのようだ。
「お、お母さん?」
「役立たずに、母と呼ばれる覚えはないね」
僕の呼びかけは、切って捨てられた。
「おやり!」
強い声に、弱々しく右手を差し向ける妹。
「高天原に神留り坐す・・・」
恐怖に、暴れるが、二人の男の腕は解けず、逃げられない。
そこで思った。
何で逃げないといけないのだろう。
なんだか、どうもよくなって、僕は抵抗を止めて、目を閉じた。
「伊佐奈美乃命、妹背二柱嫁継ぎ給ひて・・・」
ぷっ、と噴出す音がして、目を開けた。
自分の身体を見下ろすが、特に変化はない。
顔を上げる、と母親と妹が血まみれになっていた。
「火を生み給ひて、御保止を焼かえ坐しき・・・」
妹の声が続いているので、彼女の血ではないのか?
母親の口、鼻から、ごぼごぼと血があふれて、妹に降りかかっている。
「ごぶ、なんで?」
これが、最後の母の言葉だった。
「吾は下津国を知らむと白して、石隠り給ひて・・・」
母親の胸元から、服を突き破って、肋骨がめくれ上がる。
「与美津枚坂に至り坐して思食さく・・・」
むき出しになった心臓が、乾燥したように、萎びた。
「おおー」
俺の腕をとる男が、声を漏らす。
いつの間にか、母親の隣に、パンツスーツの女性が立っていた。
ひょい、っと手を伸ばして、肋骨が捧げ持つような萎びた心臓を取った。
その反動でか、音を立てて床に倒れる母親。
でも、誰も気にした様子もない。
第六の破局、母親の死は、呆気なかった。
女性は、車椅子の前へ歩き、妹に心臓を差し出した。
「はい、これはあげる。食べていいよ」
ぶるぶる震える手で、妹は受け取り、口に近づけた。
一瞬、躊躇する、と女性が頷いた。
ガリっ、と音が響いた。
ジャリジャリ音を立てて、口に運ぶ妹。
何かが、舞って落ちた。
妹の白髪混じりの髪が、抜け落ちていた。
頭部を見る、とスポーツ刈りのように短いが、真っ黒な髪がみっしりと生えていた。
「あ、ああああー!」
妹が叫ぶ、と奥のドアが開いて何人かが来て、車椅子を押して出ていった。
まあ、こうなってくれば、先の展開はお分かりだろう。
黙っているか、もう一度、実験台になるかだ。
母親の遺体は、専属の医師によって心不全、と死亡診断書が書かれ、荼毘にふされ、簡単に葬儀が行われた。
すごい心不全もあったものだ、しかも嘘じゃない、と麻痺した頭で思い、笑いの発作が抑えられなかったものだ。
そして、遺骨は海に散骨された。
そうなれば、肋骨が弾けて、なんて証言しても、信じてもらえるとも思えない。
そうそう、僕の職場へは、診断書を書いた医師から連絡が行き、上司が葬式に来てくれた上に、有給ももらえていた。
僕は、葬儀の間中、監視がついて、ほとんど何も喋ることはなかったが、母親の葬儀だから、不自然ではなかった。
BHDの底力、影響力を見せられ、僕は簡単に屈した。
まあ、黙っている、と約束したところで、お互い、誰が信じるのだろう、というところだ。
僕は、どうせ妹の効果に問題が出てきた時のための保険だろう、と思っていた。
そう、妹の効果だ。
母親を犠牲にした実験で、彼女は回復した。
医学的に言えば、脳腫瘍は消えていないので、完治ではない。
しかし、老婆のような外見から、年相応にまで回復した。
それどころか、綺麗になっていた。
モデル兼アイドルの「あおいさくら」。
あれが、僕の妹の回復した姿だ。
BHDの中では、奇跡の聖女として、祭り上げられた。
そして、更なる広告塔として、元気に活躍した。
使用前の老婆のような写真と並んで笑う姿が、寒気を誘う。
そして、使用って、ナニをだ、とも思うと笑いの発作を抑えるのが難しい。
落ち目の音楽プロデューサーがつくった曲を歌う妹をテレビで見るたびに、実験に使われる恐怖が僕を襲った。
歌詞のサビが、「心臓に答えを聞く」なのが、キツすぎる。
問題があるとすれば、あの後、肉親を使った実験での、成功例がないことだ。
厳密に言えば、あれは成功ではないそうだが、心臓が弾けなかったのは、唯一あの時だけだった。
そのため、僕を使っての実験を推す一派と、失敗した場合のリスクで、妹に悪影響が出るのを心配する一派とでの、鬩ぎ合いが行われているのを目にする、と落ちつかなかった。
僕の実験が失敗したら、妹の体調が悪化した場合、もう手立てがない。
それがはっきりしてしまえば、悪化を早めることが懸念されたからだ。
僕の命を左右する天秤は、振れまくっていた。
「あおいさくら」が信者を増やし、僕はその回復状態を左右するファクターとして、兄として、立場をグラつかせながらも、BHDの中で、生きていた。
仕事は、母親の葬儀の後、しばらくして辞めた。
というか、辞めさせられた。
表向きの理由は、病気の妹の介護のためだったが、後にアイドルとしてデビューしてるのだから、会社の人はどう思ったのだろうか。
まあ、僕が介護しているはずの妹とは、知らないのか。
信者(ではないのだが僕は)の中でも、月林檎を知る存在として、少しづつ組織の端から中央に向けて流されていった。
第七の破局は、妹の頭痛が再発したことだ。
驚いたのが、必ず即、僕を実験台にしようと主張する一派が動き出す、と思っていたのが、そうはならなかった。
なぜなら、奇跡の聖女は、再復活の方が相応しいからだそうだ。
苦しむ姿を見せての復活が、救世なのだそうだ。
意味がわからないのは、僕もいっしょだ。
とりあえず、再び、あの老婆のような姿になったら、僕の出番、ということだ。
思惑としては、なるべく僕を生かしたまま、別の人間で実験を繰り返し、僕での成功率を上げたいのだ。
まあ、僕が実験に使われるのが前提なのだが。
妹にしてみれば、たまった物ではないだろう。
また、あの姿になるような苦しみを味わった上、今度は回復する保証、つまり僕での実験が成功する保証はないのだ。
しかも、アイドルの活動は強制されるのだから、苦しみは、前以上だ。
テレビではやらないが、信者獲得の集会では、鎮痛剤を止められて、ステージ途中で苦痛で倒れる演出が加えられた。
『たちあがってー!』という掛け声がかかり、必死に妹が立ち上がり、割れんばかりの拍手、という百貨店屋上のヒーローショーでもやらない演出に、怖気が走る。
ついに、奇跡の聖女は、その権力をつかって、僕を側近に取り上げた。
その目的は、月林檎をつかった、実験の成功だ。
つまり、自分を実験台にされたくなければ、肉親以外での実験を成功させろ、ということだ。
実の母親と妹に売られた時点で、誰も信用する気にはなれない。
そもそも、妹が、僕ではない母親を実験台に選んだことを恩着せがましく主張して、協力しろ、と言ってきているが、それも疑っている。
妹は、僕を実験に使うつもりで、直前の母親の声か何かが原因で、単に実験がうまくいかず、より肉親として近くで暮らしていた、もしくは単に物理的な距離が近かった母親に術の焦点が合ってしまっただけではないのだろうか。
とはいえ、権力が与えられたのは、ありがたい。
妹の七光りとは、偉ぶれない状況だが、利用できるものは、何でも利用するつもりだ。
そうでなければ、死ぬのは、僕だ。
まあ、僕が微妙な立場なのは、変わりがない。
月林檎の製造方法が確立すれば、僕の価値はなくなる。
妹のための肉親実験台の必要がなくなるのだから、しかも一般信者が知らない秘密を知ってしまっている。
どう贔屓目に見ても、生かしておく理由がない。
かといって、月林檎が成功しなければ、遠からず妹のために、僕は実験台にされる。
BHDの中で、権力を確立しつつ、潰すしかない。
しかも、完膚なきまでに潰さない、と恐怖に怯え続けることになる。
可能であれば、妹の病気が治ればいいのだが、それで自分が死んでいては、意味が無い。
表向き、BHDのために働きながら、抵抗勢力を探す。
なぜか、簡単に見つかった。
どうやら、どこかの派閥が庇っているらしい。
それも、意味が不明だ。
僕のような立場の人間が、内部に他にもいるのだろうか?
かなり危険な人物である「新堂」を支援している人物を探りつつ、うまく利用していこう。
でも、これが罠の可能性もある。
新堂を餌に、反乱分子をおびき寄せようとしているのかもしれない。
接触は、慎重に行わないといけない。
BHD内部の派閥は、いくつかある。
もっとも主流が、サクラという(僕の母親の心臓を妹に渡した)女性が率いる、「死者の世界を地上に造り、死んでも地上に留まれるようにしよう」という計画を主動している派閥だ。
ここがメインで月林檎の実験を行っている。
そして、妹のアイドル「あおいさくら」をプロデュースしている派閥でもある。
つまり、この派閥の下に、妹は所属しているのだが、「奇跡の聖女」として、独自の派閥を形成しつつある。
信者獲得の部隊をサクラの派閥から、自分の勢力下へと取り込んでいるのだ。
表向きの妹、暗部のサクラ、というわかりやすい勢力の分離だ。
当初、この動きを歓迎していたサクラも、勢力を伸ばす妹に、警戒を始めている。
しかし、妹は、僕を使って、サクラの月林檎の実験をより活発に行うように支援しているため、自分の命惜しさでの行動とも、軽く見られている節もある。
妹の言う「兄を実験に使いたくないのです」発言は、様々な意味で気持ちが悪いのに、BHD内部では好意的に受け入れられている、という狂った状況だ。
他の派閥としては、穏健派とも言える、学者崩れがいる。
異端の徒として、学会を追われた連中だ。
その学会を見返すために、自分らの説を実証したい。
しかし、そのために人死にをなるべく出したくない、という中途半端さだ。
とはいえ、月林檎の開発などの理論面をサポートしており、それなりの発言力を持っていた。
そう、「いた」だ。
筆頭だった冨士という男が、一年ほど前に粛清された、らしい。
その関係者も、軒並み監視下に置かれている、らしい。
そのため、ほぼ勢力を失った、と言えるが、その資料が流出した、らしい。
らしい、らしい、ばかりだが、僕に入る情報は、その程度ということだ。
他には、BHDで中枢、と呼ばれる者がいる、らしい。
実は、BHDには、教祖がいない。
なぜならば、崇めるべき存在が、はっきりしているからだ。
その名を出すことは、不敬にあたり、僕ですら、口にしたら即座に死ぬ、と信じている。
「写本」を手に、各派閥が求める存在でもある。
そう、「写本」だ。
こちらこそ、更に、らしい、らしい、としか言えなくなる。
「写本」それには神を復活させる手順が記されている、らしい。
この神の復活が、地上に死者の世界をつくるのに最も重要、らしい。
その手順の一つが、月林檎、らしい。
これを使って、儀式を行う、らしい。
あれ?
BHDの言う通りになれば、誰も死ななく、いや死んでも地上に留まれるから、僕が実験に使われても困らないのか?
いや、その前に死んでるし。
少し、毒されてきているようだ。
気をつけよう。
僕が、新堂に気がついたのは、彼があるメールアドレスにメールを送ってきたのが、切っ掛けだ。
それは元々は、ある女子大学生が使っていたメールアドレスだったが、よくある知ってはいけないことを知ってしまったのを期に乗っ取って、工作に利用している。
ちなみに、本人は月林檎の実験に使われて失敗していた。
まあ、BHDのドメインのメアドを使うわけにはいかないし、フリーメールは怪しすぎる、という程度の理由だ。
基本的に、僕レベルであれば、送受信の内容を確認できたため、内部では、かなりの人数が、彼の存在を知っていただろう。
それなのに、周りの反応が微妙だったので、気になったのだ。
このメールアドレスには、それなりの数のメールがくる。
家族の失踪について知らないか、とか。
不老不死になりたい、とか。
大抵は、とりあえず担当者を決め、相手がどの程度を知っているか、目的は何かを確かめ、そのレベルによって、対応は変わってくる。
しかし、新堂は放置されていた。
これは、誰かが庇っているのでは、と思ったのだ。
表向きは、未対応なだけの状態だったので、僕はさりげなく誰も返信していないのに気がついたふりをして、担当に名乗りを上げて、メールを送った。
『肉親の血が鬼への道』
まあ、思わせぶりな内容だ。
しかし、これへの対応で、どの程度知っているかが、分かるのだ。
しかし、返信は、拍子抜けだった。
「最近よく報道されている、肉親同士の殺人事件と関係があるのか」というような内容。
ほぼ、何も知らないようだ。
BHDを潰す武器になるのでは、と思ったが、勘違いだったのか。
とりあえず、『ぴんぽーん』とだけ返しておいた。
ところが、叱責された。
どうやら、新堂には、盗聴や非通知の電話をかけるなど、既に工作が行われていた、というのだ。
それを邪魔するな、というのだが叱責してきた、この男がどこの派閥に所属しているのか知らなかった。
実は、中枢の側近ではないか、との噂がある男だ。
中枢の誰かと関係があるのか、新堂は?
そうだとする、と余計に慎重に使わないといけない。
今の時点で、ほぼ手出しができなくなってしまっている。
しかも、盗聴などの結果が、情報として共有されていない。
これは、誰かが庇っているのだろう。
それが、中枢の人間ならば、BHDを潰す、致命的な武器となる。
しかし、新堂は、その内に、他の罠にもかかってくるだろう、と予想できる。
そうなれば、罠だと新堂にバレては意味がないので、対応しなければならない。
それは、こちらの範疇だ。
もちろん、叱責してきた男からも圧力があるだろうが、それはそれで、誰が関係者か調べるヒントになる。
さて、新堂は、どの罠にかかって、誰が支援者だ?
早速、新堂は、単純にも「カナエ」という罠にかかった。
これは、BHDを探ろうとする勢力を炙り出すために用意された仮想の人物だ。
女子大学生で小劇団に所属。
実家は田舎で、東京で一人暮らし。
そして、失踪という設定だ。
BHDを調べている、とどこかで、彼女や実家の連絡先や住所を手に入れて、連絡してくる、という罠だ。
もちろん罠だから、かかった電話は転送されて、BHDの人間が対応する。
部屋も実家設定の家も、BHDで監視している。
新堂が、「カナエ」の携帯電話の番号に電話をしてきたようだ。
当番が、マニュアル通りにつないだ後、何も話さずに切り、電源も切った、と連絡をくれた。
次は、実家への固定電話にかかってくるだろう。
一回目だから、介入せずに、マニュアル通りに「カナエ」の失踪を伝える程度にした方がいいだろうか。
あまり、過剰に情報を与える、とあの男に目をつけられてしまいそうだ。
そんなことを考えながら、電話を受けるための部屋に向かった。
そこには、もうあの男がいた。
そして男が連れてきたらしい女性が、メモを見ながら、電話に出ていた。
先を越されたのだ。
しかし、それだけ新堂は重要な存在ということか。
しかも、粛清された冨士が「カナエ」の従兄弟という、聞いたこともない設定を語った上、
「カナエ」の部屋の鍵を送る、と言い出した。
いったい、何をする、いやさせるつもりだ?
このまま、この男の指示に新堂を従わせては、不味い気がする。
どうすれば、僕の介入がバレないようにして、邪魔することができるだろうか。
チマチマした手では、効果がない、と考えて、大胆な手を打つことにした。
新堂へ「カナエ」の部屋の鍵ではなく、携帯電話を送るのだ。
もちろん、僕が入れ替えをしては、すぐバレる。
そこで、かわいそうだが、身代わりを用意した。
あの男から、鍵の送付を命じられた青年に、鍵ではなく携帯電話を送るように指示して、鍵と携帯を取り替えた。
そして、しばらくして、送付作業が終わったのを確認した上で、彼にある部屋に向かうように命じた。
そこは、月林檎の実験場で、残念ながら献身的な彼の犠牲は、失敗として無駄になってしまった。
深夜、電話を受ける部屋で、騒ぎが起こったようだ。
新堂に「カナエ」の携帯から無言電話をかけようとして、紛失しているのが判明したのだ。
犯人探しが始まり、すぐにあの青年の名が上がったが、既に死亡していたため、そこで調査は終わった。
なぜ、実験に使ったか、という問い合わせくらい、僕のところにくるか、と思っていたが、妹の実験支援で、ある一定数の人間をランダムで選んで、実験に使うことが習慣化していたためタマタマ、と思ってくれたようだ、
まあ、内部の人間をランダムに実験に使って納得する時点で、狂っているのだが。
それを当たり前のように利用する僕も、狂ってきているのだろう。
新堂から、「荷物が届いた」「カナエの携帯電話はどこにある?」といった電話がかかってきたため、更に携帯電話の行方は、有耶無耶となったのは、予想外だったが、助かった。
「カナエ」の携帯を使って、新堂に何を連絡するかを考えていた。
しかし、先手を打たれた。
新堂から「荷物が届いた」の連絡があったにも関わらず、「カナエ」の携帯が行方不明になったことを重くみたのか、偽装住所の部屋の焼却命令が出たようだ。
監視からの報告書を読む、と新堂が到着する前に、その処理は終わっていたようだ。
現場で、新堂に接触した男がいたようだが、尾行を撒かれてしまい、身元不明だった。
重要人物であるだろう新堂に関わってきたというのに、あっさり逃がしているのは、不自然だ。
あの男の手下だからこそ、報告されないだけなのかもしれない。
何を伝えたのだろう。
その後、新堂の情報が入らなくなった。
どうやら、あの男だけではなく、サクラも動いているらしい。
その上、どうしてかはわからないのだが、新堂に「カナエ」の携帯が渡っているのが、バレた。
いろいろ、と調査が行われているようで、僕は身動きがとれなかった。
なんとか耳に入ってきたのは、「カナエ」の罠を放棄し、実家に設定された家で、両親が心中したことになったようだ。
情けないことに、この情報のほとんどが、テレビニュースから仕入れたものなので、BHDが意図して流した情報そのままだろう。
警察も抱き込んでいるのだ。
裏の事情は、伝わってこない。
更には、新堂が「カナエ」携帯を持っているのがわかったため、その番号へ向けての工作も行われているらしい。
せっかくの切り札が、二枚とも無駄になった感じだ。
しかも、僕の足元も危ない。
更に、妹の体調も良くない。
もっと驚いたのが、翌日のテレビでも、この「カナエ」両親のニュースが取り上げられたことだ。
単なる地方の一般夫婦の心中事件にしては、異例だ。
尚も驚いたのが、公開された写真の夫婦の夫が、「あの男」だったことだ。
実際に死んだのかはわからない。
しかし、ここしばらく見なかったは、確かだ。
単に、工作のために出払っているのか、と思っていたのだが。
彼も、何かをやらかして粛清されたのか。
死者の写真として使われただけで、生きているのだろうか。
他人を気遣っている場合でもない。
日に日に、妹の体調は悪くなっている。
早く、次の手を打たなければ。
ところが、新堂の扱いに対して、機密レベルが、跳ね上がった。
らしい、だけで言う、とBHDが復活させようとしている神に唯一対抗しうる存在が干渉したから、らしい。
僕の乏しい知識でも、そんな存在と、どうしたら関係を持てるのか、わからない。
そもそも、BHDは、神を復活させようとしているのだ。
干渉したというその存在は、復活したのか?
しかも、月林檎の実験の過程で開発されたシコメが、撃退された、らしい。
そもそも、シコメって何? なのだが。
こちらは、なんとか月林檎の実験の人脈から、調べることができた。
どうやら、妹が母親を犠牲にした一歩手前の成功例の応用、らしい。
心臓は、月林檎にならず、萎んでしまっているが、そこに更に術をかけることで、命令を聴く奴隷として使える、らしい。
死者に近いので、負傷にも強く、言わば不死の兵隊として使える、らしい。
ただ、女性でしか、成功例がない、らしい。
そこから、月林檎も、女性でないと完成しないのでは、という仮説が有力視されつつある、らしい。
そこで、派閥を形成したり、実験に加担したり、とコントロールが効かなくなってきた、妹をシコメに、という勢力も出てきた、らしい。
僕が、実験に使われないで済む可能性と、妹がシコメに使われる可能性、どっちが高いか。
どちらにしても、妹がシコメにされれば、僕は権力の基盤を失う。
そうなれば、どこで消されるか、わかったものではない。
どうしたらいいんだ?
人のことを気にしている余裕などないのだが、サクラが右手に包帯を巻いている姿を見た。
まるで、指でも切断したかのような、厳重な治療のように見えた。
新たな実験か?
そういえば、シコメを大量につくっている、とも聞いた。
妹の体調不良と共に、その権力も求心力も落ち、同時に僕の立場も危うくなっていた。
そのため、どんどん情報が入らなくなっている。
それでも、月林檎の実験が、一歩進んだのは、耳に入った。
肉親を使い、そのどちらもが女性である、と一定の成果が出てきた、らしい。
完璧とはいえないそこまでに到達するまで、いったい何人が犠牲になったのだろう。
まあ、その実験を推してきた僕には、責める資格はないのだが。
実験の進展で、緩みが出たのか、権威失墜の妹、その従者である僕に、機密に近い情報が入った。
サクラが、新堂を殺す、というのだ。
理由も、なぜ今なのかも、わからない。
ただ、深夜に放火して焼死させる、という情報だけが、入ってきた。
打つ手の無さに絶望しかけていた僕は、何も疑わずに、飛びついた。
只でさえ、ジリ貧なのに、ここで新堂を失うわけにはいかない。
新堂の死を邪魔できれば、BHDにダメージを与えられるかもしれない。
焦った僕は、新堂の携帯に電話し、怒鳴った。
「とっとと起きろボケ死ぬぞ!!」
これは、僕への罠だったのだが、気がつくのは、ずっと先だった。
僕の電話によって、新堂は焼死を免れた。
それにしては、他に追加攻撃がなかったのは、派閥で連動がとれていないからなのだろうか。
なのにもかかわらず、新堂の馬鹿は、わざわざ自分から、「カナエ」の実家方面に出かけて行った。
しかも、粛清された冨士の部屋へも近い。
冨士が重宝されていた理由の一つとして、住んでいた地方を仕切っていたから、というのがあった。
そこで、「カナエ」実家もその近所に設定されたのだが、今の僕にしては、面倒なだけだ。
冨士の部屋は、既に「失踪」が自然なように処分されているのだが、それでも、新堂の行動には注目が集まる。
そうなれば、僕が暗殺を阻止して、彼が生きていることも注視されてしまう。
仕方なく、行動を抑制するために、「カナエ」の実家を管理、監視していたメンバーに連絡をとり、新堂の実家に空き巣に入らせた。
今の僕の権限では、指示に従わせる説明に時間がかかるか、と思っていたら、意外にあっさり受けてくれた。
ありがたい。
もし、月林檎の実験候補にあがったら、なんとか助けてあげたいものだ。
もう、そんな権力が残っているかは、わからないが。
第八の破滅は、権力が残っていなかった、どころか、新堂の暗殺を阻止したことがバレた。
どうやら、新堂の実家に空き巣に入らせたことが、逆に注目を浴び、バレたようだ。
くそ、空き巣をやらせたアイツは絶対に実験に使ってやりたいが、それももう無理だ。
自業自得とはいえ、冷静さを欠いていたとしか思えない。
まあ、奇跡の聖女の微かな七光りで、なんとか粛清は免れたが、それだけだった。
月林檎の実験が、一段落していたのが幸いだが、それでも妹のために、いつ実験に使われるか、ただそれを待つだけの状態だ。
逆に言えば、もう失うものもない。
いや、そもそも失うものが、命以外あったのだろうか。
地上に死者が溢れるようになれば、命にも価値があるのだろうか。
ちょっと、いやかなり、どうでもいい気分になって、まだ人目のある時間なのに、新堂に電話してやった。
「どんだけこっちが犠牲払ったと思ってんだボケ感謝しろ!」
第九の破滅は、妹の症状が末期になった、
つまり、僕が実験台だ。
そうそう、離婚の後、行方不明の父親だが、とっくに見つかって、僕の前に実験台にされて死んだようだ。
今更、そんな話を聞かされても、というのが正直な感想だ。
まあ、これでも残った家族の憂いもなくなった。
新堂に電話したり、と自棄になっていた僕は、足取りも軽く、呼び出された部屋に向かった。
そこは、いつもの部屋ではなく、前に母親が実験で亡くなった部屋だった。
かなり進歩したとはいえ、まだ完全ではない月林檎なので、縁起を担いだのだろう。
神を復活させよう、という連中が縁起に拘るのが、笑える。
まあ、笑えるのは、自分の人生か?
皮肉な笑みを浮かべながら、大きな部屋に入る。
車椅子には、老婆のような妹が置かれていた。
「お待たせ!」
目も耳もダメだろうから、大きな声で、呼びかける。
ビクっと奇跡の聖女の成れの果てが体を動かすのと同時に、僕の後ろで、ドアが閉められた。
振り向かなくてもわかる、屈強な男二人が立っているのだろう。
両手を軽くあげた僕の傍らに立ち、持ちやすくした腕をとられた。
「なあ、ちょっと距離が遠くないか?」
男たちに言う、と微妙な顔をする。
返事を待たずに、自主的に前へ歩き出す、と男たちも進んだ。
元聖女の膝の上に、古めかしい本があるのを確認して、
「早くやれよ!」
別に、強く言うつもりはないのだが、声を張らない、と妹には聞こえないだろう。
強い声に、弱々しく右手を差し向ける妹。
「高天原に神留り坐す・・・」
なんだか、とても安らいだ気分になって、目を閉じた。
「伊佐奈美乃命、妹背二柱嫁継ぎ給ひて・・・」
ぷっ、と噴出す音がして、目を開けた。
自分の身体を見下ろすが、特に変化はない。
顔を上げる、と妹が血まみれになっていた。
「火を生み給ひて、御保止を焼かえ坐しき・・・」
妹の声が続いているので、彼女の血ではないのか?
「吾は下津国を知らむと白して、石隠り給ひて・・・」
妹の胸元から、服を突き破って、肋骨がめくれ上がる。
「与美津枚坂に至り坐して思食さく・・・」
むき出しになった心臓が、一瞬だけ、赤い光を放った。
「おおー」
俺の腕をとる男が、声を漏らす。
いつの間にか、妹の隣に、パンツスーツの女性が立っていた。
ひょい、っと手を伸ばして、心臓を取った。
その反動でか、音を立てて床に倒れる妹。
でも、誰も気にした様子もない。
第十の破局、妹の死は、呆気なかった。
簡単に言えば、月林檎が完成した。
生に執着した女性が、自らに術をかけることで、完全な月林檎をつくることができた。
妹は、別に僕を助ける気はなく、元々女性に向かいやすい術が、弱って制御できずに、自分に跳ね返ったようだ。
奇跡の聖女が犠牲となって、製法が完成した月林檎。
その宣伝役として僕は、生きながらえた。
そして、呪物の完成により、儀式が決まった。
とはいえ、実は日取りは星振によって行える日が決まっているので、最短になっただけだが。
二月九日の早朝。
夜明けと共に、儀式を終える。
そう、夜が明ける、と地上に死者の世界が顕現するのだ。
月林檎完成の功労者とはいえ、妹の七光りも失せた僕には、儀式の詳細情報など入ってこなかった。
儀式に使う月林檎のため何人もが選ばれ、儀式の場所が選ばれ、それに参加する人員が選ばれ、しかし僕は蚊帳の外だった。
忙しく、儀式の準備が進められる中、僕はダラダラ、とした日を過ごしていた。
具体的には、電話室にいた。
そう、「カナエ」などの罠にかかった電話がかかってくる場所だ。
しかし、儀式を目前にした今、すべての罠は放棄されていた。
つまり、そもそも電話がかかってくるはずもない。
仮に、かかってきても、対応なんて、もうどうでもいい。
ので、僕が暇つぶしに居る、というわけだ。
なので、電話なんてかかってもこない。
一応、僕は、監視対象なので、ドアを閉めることはできないが、寝ていたところで、咎められはしない。
ただ、忙しげに前を通る連中に、虫を見るような目で見られるだけだ。
これから、どうなるんだろう、とボーと考えている、と電話がなった。
何か、重要な極秘情報でもしゃべってしまおうか、とか思いながら、受話器を取った。
「もしもし?」
何も聞こえないし、電話は鳴り続けている。
ようやく、自分の携帯が鳴っていたことに気がついた。
携帯が取り上げられてないのは、どうせすぐに実験台になるから、今は儀式の方が重要で、監視対象としても、どうでもいいということなのだろう。
知らない番号だ。
出ようか、どうしようか悩む、というより面倒臭く思っている、と切れた。
「まあ、いっか」と思っている、と再び鳴った。
今度は、月林檎の実験に協力していた大学教授の番号だった。
妹の容態が悪くなり始め、実験に積極的になった時に一度、直接挨拶しただけだ。
実験の人集めもしてくれていたので、何回か電話をしたのだったか。
どうしたのだろう、こんな時に。
僕が失脚した、と知らないのだろうか。
しつこく鳴るので、仕方なく電話に出た。
「先生、どうした?」
「切るなよ、先生は月林檎の実験台にされて死んだ」
知らない男の声だった。
あの教授も、実験台になった?
もう、実験は終わって、生産体制に入っているので、しばらく前のことだろうか。
「俺は姪が、BHD絡みで失踪した。儀式に参加して死ぬのを助けたい。助けてくれ!」
儀式に参加するのは、ある意味選ばれた人物ばかりだ。
もうとっくに、月林檎の原料や実験で死んでいるかもしれないな。
こいつも、僕のように、家族がBHDに関わったことで、苦しんだのだろうか。
「儀式のことは、知っている。日時を教えてくれ、頼む!」
ここまで、知っていて、野放しにされているのは、誰だろう?
新堂が探しているのは妹だから、姪ならば新堂といっしょにいた男か?
まあ、どうでもいい。
嘘の情報で、混乱させてやろう、と息を吸う。
「二月九日、日の出と同時に儀式を終えなくてはいけない」
つい、真実を言った自分に動揺して、電話を切った。
僕は、何をしていたのだろう。
妹が、大学をドロップアウトするのを救えず。
病気の支えにもなれず。
母と宗教に嵌るのも助けられないどころか、現実逃避をし。
母を亡くし。
自分の命のために、人を犠牲にし。
結局、妹も亡くし。
信じてもいない、死なない世界の実現を、ただ眺めている。
まず死んでいるだろう、身内を救いたい、という電話に、何をまともに答えているんだろう。
どうせ、誰も、何もできないんだ。
母も死んだ。
妹も死んだ。
父も死んだ。
何人も実験と称して殺した。
ああ、僕は死んでも、地獄には、いかないのか。
死んでも、この世界に、留まれるのだから。
あの母は、あの妹は、地獄にいるのだろうか?
死後に、もう会うことは、ないのだろうか?
あれ?
これだけ、罪深い僕が、地獄に行かない?
何人もの命を犠牲にした僕が、地獄に行かない?
それは、おかしいだろう。
じゃあ、誰が罪を裁くんだ?
この世界には、正義はないのか?
この世界には、罪を裁く存在は、ないのか?
儀式が成功すれば、死んでも、地上に留まる。
このまま、ずっと罪を背負っていかなけらばならないのか?
罪を償う機会も、許されることもないのか?
僕は、携帯を取り出し、かけた。
なかなか出なかったが、イラつきはしなかった。
「ヤタガラスだ」
新堂は、驚いたのか、何も言わない。
「儀式の場所は、」
たまたま、耳に入った地名を繰り返して、切った。
儀式が邪魔されれば、僕は、死ねるのだろうか。
最近、思い出すのは、借金で売る前の実家の居間だ。
あの居間での一家団欒のように、とは言わないが、地獄に落ちているだろう家族に、再び会えるのだろうか。
享年:三十歳
死因:自殺
妹の櫻が、おかしくなったのは、大学一年生のゴールデンウィーク明けだ。
始めは家族で、五月病か? なんて笑っていたが、すぐに笑えなくなった。
言えば、まさに五月病ではあったのだろう。
一浪しても、偏差値的には、ちょっと無理っぽかった第一希望の大学に入れて、慣れてきて一段落。
連休でちょっと気が抜けて、だったのだろう。
それが分かっているから、やる気を出そうとして、空回りしているのが、僕ら家族にも分かった。
朝日を浴びるんだ、とか言い出して、早朝に走ったり。
深く眠るため、とか言い出して、座禅っぽいことをしたり。
僕らは、若い時期だから、と放置していた。
実家通いで毎日見ているし、誰もが通る道で、すぐに本調子になるだろう、と。
でも、見ているのは家でだけであって、学校はそうではない。
妹は、学校で孤立しがちになり、その孤独から、その集まりに参加したようだ。
きっかけは、家での座禅が上手くいかなかったことだ。
僕も、妹といっしょに試してみたが、難しい。
一般家庭の中は、雑音に溢れている。
その中で、無心になろうとするのだ。
無心を目指せば目指すほど、考えが浮かんでくる。
そこで、妹が大学で誘われたのが、ヨガだった。
無心になろうとするから、無心になれない。
だから、身体を動かす。
身体を動かすことに集中すれば、無心になりやすい。
そんな言葉に誘われて、妹は、ヨガサークルに参加した。
才能があったのか、煽てられたのかは、わからない。
しかし、初回に褒められた妹は、そのまま入会した。
家で練習する妹といっしょに試したが、確かにヨガの方が、無心になれそうだ。
無心よりは、逃避に近いのかもしれないが。
そして、妹のノメリ込み方も逃避だった。
家を出るのは、サークルで知り合ったヨガの道場に通うためで、大学へではなかった。
一週間も学校へ行かなければ、もう行くきっかけがない。
そのままズルズル、と道場へ通うだけとなっていった。
僕を含めた家族は、まったく気づいていなかった。
第一の破局は、大量の塩水を飲む、というヨガの行で、救急車で運ばれたことだ。
病院で、運び出されたのが大学ではないことを知り、大学に問い合わせて、妹が出席していないことを知った。
しかし、まだ問題は根深くはなかった。
長い人生だ、この一年は諦めて、留年でも休学でもして、やり直せばいいだけだ。
そういった意味もあり、しばらく入院させ、カウンセリングを行ってもらった。
そのカウンセリング、そして妹の訴える目の違和感から医師が勧めた頭部のMRIで、異常が見つかったのだ。
第二の破局は、脳腫瘍だった。
手術の成功率は極めて低く、成功したとしても、強い後遺症が残る。
放置しても、数年の命だそうだ。
当然のことながら、簡単には受け入れられず、評判のいい病院や医師を巡る日々が始まった。
しかし、むしろ初めの病院で、よく見つかった、という評価はあれど、診断は覆らなかった。
そもそも、手術を勧める医師がいなかった。
その中で、頼み込んで紹介してもらった世界のトップファイブに入るという医師は、手術をしても、後遺症を抑えるためには、摘出部分を小さくしなければならず、そうすれば再発の可能性が上がる、と答えた。
後遺症に苦しみ、再発に脅える日々。
手術をしなくても、進行すれば、頭痛、失明の症状が出た上で、死に至る。
未成年の妹に告げるには、あまりに残酷な未来だ。
もう、大学など、どうでもよくなっていた。
第三の破局は、両親の離婚だ。
原因は、胡散臭い民間療法を勧める母親と、娘の運命を半ば諦めて受け入れた父親との対立、ではなく借金だった、
初めは、僅かな期待で、見守っていた父親だが、一回数十万円する治療費と称する金額に、難色を示した。
娘の命に金を惜しむのか、と非難する母親に、彼は反論できなかった。
貯金が消えるのに三ヶ月はかからず、借金が膨らむのに、半年はかからなかった。
父親の職場に借金取りがくるようになったことで、彼は職を失った。
自宅を売却し、小さなアパートに移る直前に、残った借金は父親が引き受ける条件で、離婚が成立した。
アパートの家賃の支払いを始め、収入は僕の給料のみとなった。
まあ、こうなってくれば、先の展開はお分かりだろう。
現代医学に見捨てられ、民間療法の金もなく、あとは神に縋るのみだ。
まあ、幸いだったのが、騙し取られる金がなかったことだろうか。
半年前ならまだしも、小さなアパート暮らしで、収入源は三十にもならない長男一人のみ。
ある意味、親身に相談に乗ってくれる、親切な人たちに出会えていた。
しかし、母親が求めているのは、彼女のいうところの、そんな偽善ではなかった。
言ってしまえば、神の奇跡だ。
まあ、そういう類の奇跡は、基本として金持ちのところで起きるものだ。
貧乏人にとっては、宝くじを買って祈るのと大差ない。
元手が小さくて済む分だけ、宝くじの方がコストパフォーマンスがいいかもしれない。
困ったのは、母親には、時間があったことだ。
もちろん、妹の介護はしていたが、視力の低下と、まだ時々の頭痛ぐらいだったので、それなりに時間はあったのだ。
そして、第四の破局は、出会ってしまったことだった。
母親は、いくつかの宗教を経由して、ブルー・ヘブンズ・ドアという団体に行き着いた。
表向きは、環境保護活動の団体であったが、中身は「死者の世界を地上に造り、死んでも地上に留まるようにしよう」という目的の団体だった。
正直に言う、と母親が真顔で口にした瞬間から、今でも信じていない。
しかし、母親と妹には、パラダイムシフトだったのだ。
それまでは、病気を治す、死なないように健康になる、と考えていた。
そして、それは無理だった、
ならば、病気で死んでも、死後の世界が地上にあれば、いっしょにいられる、と新たな発想を得たのだ。
病気は治らない。
それを受け入れた上で、死した後、地上に居座ろう、というのだ。
なにより驚いたのが日々、信者が増えていくことだ。
二人に連れていかれた集会では、テレビで見るような有名人を何人も見た。
その中でも、若くして不治の病におかされた妹は、格好の広告塔だった。
こんなに若くて、一見健康そうなのに、死ぬ運命なのだ。
ちょっとした高齢者には、自分のそして家族の不幸な未来を想像させるのに、すばらしいギミックだった。
妹は、信者獲得の集会に呼ばれるようになり、各地へいっしょに行くようになり、そしてその中で過ごすようになった。
母親は、マネージャーのようにつき従い、ステージママのようだった。
死への恐怖からの逃避、虚栄心の満足。
一年前には想像もしなかった生活は、そう長くは続かなくなった。
なぜなら、病気が治ることを諦めたのだから、症状は悪化するからだ。
ほぼ視力を失い、頭痛の頻度が短くなり、死に脅え出した妹に反して、母親はより多くなる同情心の洪水に溺れていた。
死に向かって歩む妹を拝む信者に、意気揚々と応える母親。
妹は、そんな母親に反発しながらも、もう母親なしでは、日常生活が儘ならなくなっていた。
その間、僕は何をしていたか。
無心に、仕事をしていた。
仕事に逃避することで、きっと妹は幸せだ、と思い込みたかった。
少なくとも、アパートのドアを開ける前に、二人が発する沈み込んだ空気を想像して、躊躇することはなくなっていた。
正直に言おう。
なんとなく、妹の病気が治ったような気になっていた。
家族は、売却したはずの家に住んでいて、僕は仕事のため、部屋を借りているかのような妄想をしていた。
だから、初めての一人暮らしは慣れないなあ、なんて呟きながら、自炊したりしていた。
仕事場の先輩に、お前明るくなったな、なんて言われて。
上司に、褒められて。
仕事がんばろう、なんて。
そう、妹から「助けてくれ」と言われるまでは。
妹から電話をもらって正直、意味が分からなかった。
だって、もう病気は治って、家族で家に住んでいるのだから、僕の妄想では。
だから、大学で困ったことでもあったのか、と聞いた。
「大学」という単語に、妹が絶句したような雰囲気の後、電話は切れた。
だから、僕は、彼氏でもできて、喧嘩したとか、なんて年頃の妹を持った兄貴として、ドキドキしたりしていた。
相談しようとしたけど、恥ずかしくなって電話を切った、なんて想像していた。
狂ってたよな、僕。
妹も、この時に電話を切ったのは、母親と同じく、僕も狂った、と思ったからだ、と後になって聞いた。
それでも、妹には、他に頼れる人がいなかった。
僕の妄想の中では、再就職をして、家から仕事に通っている父親は、現実には行方不明で、妹では連絡をつけることができなかったのだ。
思惑が、完全にすれ違ったまま、それでも僕ら兄妹は、再度の電話で会う約束をした。
とはいえ、もう妹は、一人で外出することもできなくなっていたので、会ったのは、BHDの支部でだった。
随分、大きな建物だった。
案内された大きな部屋で、車椅子に乗っていたのは、老婆だった。
痩せ、髪に白い物が混じり、肌がガサガサで。
僕は、のん気に、早く妹が来ないかな、と思って突っ立っていた。
妹も、視力を失って、聴力も落ちていたので、僕が来たのに気がついていなかった。
間抜けな十五分が経ち、「おっそいなあ」と思わず大きく呟いた声に、妹が僕を呼んで、初めて気がついた。
そして、妄想の夢から覚めた。
妹は、死にかけていた。
そして、妹が僕を呼んだ理由は、僕の妄想よりも狂っていた。
第五の破局は、罠だったことだ。
そう、肉親である僕を呼び出すための罠だ。
BHDは、月林檎という呪物の製法を研究していた。
この不死に至る糧を完成させるのが、至上命題なのだ。
どういう目的の物で、どんな効果があるのか、理解している者は、今でもほとんどいない。
それでも、その実験は行われ、犠牲を出していたが、それでも行き詰っていたのだ。
そして、その打破の手段として、肉親を使う、という手法が考案された。
そう、その肉親が、僕だ。
要は、実験材料だ。
僕の後ろで、ドアが閉められた。
振り向く、と屈強な男二人が立っていた。
そのまま、僕の傍らに立ち、腕をとられた。
僕が入って来たのとは、別のドアが開き、入ってきた女性が、妹の車椅子の後ろに立った。
そして、妹の膝の上に、古めかしい本を置いた。
「早くおやり」
声を聞いて、ようやく分かった。
母親だ。
しかし、外見があまりに違いすぎる。
髪を茶色に染め、若作りで、しかも太っていた。
昔の映画に出てくる、成金のマダムのようだ。
「お、お母さん?」
「役立たずに、母と呼ばれる覚えはないね」
僕の呼びかけは、切って捨てられた。
「おやり!」
強い声に、弱々しく右手を差し向ける妹。
「高天原に神留り坐す・・・」
恐怖に、暴れるが、二人の男の腕は解けず、逃げられない。
そこで思った。
何で逃げないといけないのだろう。
なんだか、どうもよくなって、僕は抵抗を止めて、目を閉じた。
「伊佐奈美乃命、妹背二柱嫁継ぎ給ひて・・・」
ぷっ、と噴出す音がして、目を開けた。
自分の身体を見下ろすが、特に変化はない。
顔を上げる、と母親と妹が血まみれになっていた。
「火を生み給ひて、御保止を焼かえ坐しき・・・」
妹の声が続いているので、彼女の血ではないのか?
母親の口、鼻から、ごぼごぼと血があふれて、妹に降りかかっている。
「ごぶ、なんで?」
これが、最後の母の言葉だった。
「吾は下津国を知らむと白して、石隠り給ひて・・・」
母親の胸元から、服を突き破って、肋骨がめくれ上がる。
「与美津枚坂に至り坐して思食さく・・・」
むき出しになった心臓が、乾燥したように、萎びた。
「おおー」
俺の腕をとる男が、声を漏らす。
いつの間にか、母親の隣に、パンツスーツの女性が立っていた。
ひょい、っと手を伸ばして、肋骨が捧げ持つような萎びた心臓を取った。
その反動でか、音を立てて床に倒れる母親。
でも、誰も気にした様子もない。
第六の破局、母親の死は、呆気なかった。
女性は、車椅子の前へ歩き、妹に心臓を差し出した。
「はい、これはあげる。食べていいよ」
ぶるぶる震える手で、妹は受け取り、口に近づけた。
一瞬、躊躇する、と女性が頷いた。
ガリっ、と音が響いた。
ジャリジャリ音を立てて、口に運ぶ妹。
何かが、舞って落ちた。
妹の白髪混じりの髪が、抜け落ちていた。
頭部を見る、とスポーツ刈りのように短いが、真っ黒な髪がみっしりと生えていた。
「あ、ああああー!」
妹が叫ぶ、と奥のドアが開いて何人かが来て、車椅子を押して出ていった。
まあ、こうなってくれば、先の展開はお分かりだろう。
黙っているか、もう一度、実験台になるかだ。
母親の遺体は、専属の医師によって心不全、と死亡診断書が書かれ、荼毘にふされ、簡単に葬儀が行われた。
すごい心不全もあったものだ、しかも嘘じゃない、と麻痺した頭で思い、笑いの発作が抑えられなかったものだ。
そして、遺骨は海に散骨された。
そうなれば、肋骨が弾けて、なんて証言しても、信じてもらえるとも思えない。
そうそう、僕の職場へは、診断書を書いた医師から連絡が行き、上司が葬式に来てくれた上に、有給ももらえていた。
僕は、葬儀の間中、監視がついて、ほとんど何も喋ることはなかったが、母親の葬儀だから、不自然ではなかった。
BHDの底力、影響力を見せられ、僕は簡単に屈した。
まあ、黙っている、と約束したところで、お互い、誰が信じるのだろう、というところだ。
僕は、どうせ妹の効果に問題が出てきた時のための保険だろう、と思っていた。
そう、妹の効果だ。
母親を犠牲にした実験で、彼女は回復した。
医学的に言えば、脳腫瘍は消えていないので、完治ではない。
しかし、老婆のような外見から、年相応にまで回復した。
それどころか、綺麗になっていた。
モデル兼アイドルの「あおいさくら」。
あれが、僕の妹の回復した姿だ。
BHDの中では、奇跡の聖女として、祭り上げられた。
そして、更なる広告塔として、元気に活躍した。
使用前の老婆のような写真と並んで笑う姿が、寒気を誘う。
そして、使用って、ナニをだ、とも思うと笑いの発作を抑えるのが難しい。
落ち目の音楽プロデューサーがつくった曲を歌う妹をテレビで見るたびに、実験に使われる恐怖が僕を襲った。
歌詞のサビが、「心臓に答えを聞く」なのが、キツすぎる。
問題があるとすれば、あの後、肉親を使った実験での、成功例がないことだ。
厳密に言えば、あれは成功ではないそうだが、心臓が弾けなかったのは、唯一あの時だけだった。
そのため、僕を使っての実験を推す一派と、失敗した場合のリスクで、妹に悪影響が出るのを心配する一派とでの、鬩ぎ合いが行われているのを目にする、と落ちつかなかった。
僕の実験が失敗したら、妹の体調が悪化した場合、もう手立てがない。
それがはっきりしてしまえば、悪化を早めることが懸念されたからだ。
僕の命を左右する天秤は、振れまくっていた。
「あおいさくら」が信者を増やし、僕はその回復状態を左右するファクターとして、兄として、立場をグラつかせながらも、BHDの中で、生きていた。
仕事は、母親の葬儀の後、しばらくして辞めた。
というか、辞めさせられた。
表向きの理由は、病気の妹の介護のためだったが、後にアイドルとしてデビューしてるのだから、会社の人はどう思ったのだろうか。
まあ、僕が介護しているはずの妹とは、知らないのか。
信者(ではないのだが僕は)の中でも、月林檎を知る存在として、少しづつ組織の端から中央に向けて流されていった。
第七の破局は、妹の頭痛が再発したことだ。
驚いたのが、必ず即、僕を実験台にしようと主張する一派が動き出す、と思っていたのが、そうはならなかった。
なぜなら、奇跡の聖女は、再復活の方が相応しいからだそうだ。
苦しむ姿を見せての復活が、救世なのだそうだ。
意味がわからないのは、僕もいっしょだ。
とりあえず、再び、あの老婆のような姿になったら、僕の出番、ということだ。
思惑としては、なるべく僕を生かしたまま、別の人間で実験を繰り返し、僕での成功率を上げたいのだ。
まあ、僕が実験に使われるのが前提なのだが。
妹にしてみれば、たまった物ではないだろう。
また、あの姿になるような苦しみを味わった上、今度は回復する保証、つまり僕での実験が成功する保証はないのだ。
しかも、アイドルの活動は強制されるのだから、苦しみは、前以上だ。
テレビではやらないが、信者獲得の集会では、鎮痛剤を止められて、ステージ途中で苦痛で倒れる演出が加えられた。
『たちあがってー!』という掛け声がかかり、必死に妹が立ち上がり、割れんばかりの拍手、という百貨店屋上のヒーローショーでもやらない演出に、怖気が走る。
ついに、奇跡の聖女は、その権力をつかって、僕を側近に取り上げた。
その目的は、月林檎をつかった、実験の成功だ。
つまり、自分を実験台にされたくなければ、肉親以外での実験を成功させろ、ということだ。
実の母親と妹に売られた時点で、誰も信用する気にはなれない。
そもそも、妹が、僕ではない母親を実験台に選んだことを恩着せがましく主張して、協力しろ、と言ってきているが、それも疑っている。
妹は、僕を実験に使うつもりで、直前の母親の声か何かが原因で、単に実験がうまくいかず、より肉親として近くで暮らしていた、もしくは単に物理的な距離が近かった母親に術の焦点が合ってしまっただけではないのだろうか。
とはいえ、権力が与えられたのは、ありがたい。
妹の七光りとは、偉ぶれない状況だが、利用できるものは、何でも利用するつもりだ。
そうでなければ、死ぬのは、僕だ。
まあ、僕が微妙な立場なのは、変わりがない。
月林檎の製造方法が確立すれば、僕の価値はなくなる。
妹のための肉親実験台の必要がなくなるのだから、しかも一般信者が知らない秘密を知ってしまっている。
どう贔屓目に見ても、生かしておく理由がない。
かといって、月林檎が成功しなければ、遠からず妹のために、僕は実験台にされる。
BHDの中で、権力を確立しつつ、潰すしかない。
しかも、完膚なきまでに潰さない、と恐怖に怯え続けることになる。
可能であれば、妹の病気が治ればいいのだが、それで自分が死んでいては、意味が無い。
表向き、BHDのために働きながら、抵抗勢力を探す。
なぜか、簡単に見つかった。
どうやら、どこかの派閥が庇っているらしい。
それも、意味が不明だ。
僕のような立場の人間が、内部に他にもいるのだろうか?
かなり危険な人物である「新堂」を支援している人物を探りつつ、うまく利用していこう。
でも、これが罠の可能性もある。
新堂を餌に、反乱分子をおびき寄せようとしているのかもしれない。
接触は、慎重に行わないといけない。
BHD内部の派閥は、いくつかある。
もっとも主流が、サクラという(僕の母親の心臓を妹に渡した)女性が率いる、「死者の世界を地上に造り、死んでも地上に留まれるようにしよう」という計画を主動している派閥だ。
ここがメインで月林檎の実験を行っている。
そして、妹のアイドル「あおいさくら」をプロデュースしている派閥でもある。
つまり、この派閥の下に、妹は所属しているのだが、「奇跡の聖女」として、独自の派閥を形成しつつある。
信者獲得の部隊をサクラの派閥から、自分の勢力下へと取り込んでいるのだ。
表向きの妹、暗部のサクラ、というわかりやすい勢力の分離だ。
当初、この動きを歓迎していたサクラも、勢力を伸ばす妹に、警戒を始めている。
しかし、妹は、僕を使って、サクラの月林檎の実験をより活発に行うように支援しているため、自分の命惜しさでの行動とも、軽く見られている節もある。
妹の言う「兄を実験に使いたくないのです」発言は、様々な意味で気持ちが悪いのに、BHD内部では好意的に受け入れられている、という狂った状況だ。
他の派閥としては、穏健派とも言える、学者崩れがいる。
異端の徒として、学会を追われた連中だ。
その学会を見返すために、自分らの説を実証したい。
しかし、そのために人死にをなるべく出したくない、という中途半端さだ。
とはいえ、月林檎の開発などの理論面をサポートしており、それなりの発言力を持っていた。
そう、「いた」だ。
筆頭だった冨士という男が、一年ほど前に粛清された、らしい。
その関係者も、軒並み監視下に置かれている、らしい。
そのため、ほぼ勢力を失った、と言えるが、その資料が流出した、らしい。
らしい、らしい、ばかりだが、僕に入る情報は、その程度ということだ。
他には、BHDで中枢、と呼ばれる者がいる、らしい。
実は、BHDには、教祖がいない。
なぜならば、崇めるべき存在が、はっきりしているからだ。
その名を出すことは、不敬にあたり、僕ですら、口にしたら即座に死ぬ、と信じている。
「写本」を手に、各派閥が求める存在でもある。
そう、「写本」だ。
こちらこそ、更に、らしい、らしい、としか言えなくなる。
「写本」それには神を復活させる手順が記されている、らしい。
この神の復活が、地上に死者の世界をつくるのに最も重要、らしい。
その手順の一つが、月林檎、らしい。
これを使って、儀式を行う、らしい。
あれ?
BHDの言う通りになれば、誰も死ななく、いや死んでも地上に留まれるから、僕が実験に使われても困らないのか?
いや、その前に死んでるし。
少し、毒されてきているようだ。
気をつけよう。
僕が、新堂に気がついたのは、彼があるメールアドレスにメールを送ってきたのが、切っ掛けだ。
それは元々は、ある女子大学生が使っていたメールアドレスだったが、よくある知ってはいけないことを知ってしまったのを期に乗っ取って、工作に利用している。
ちなみに、本人は月林檎の実験に使われて失敗していた。
まあ、BHDのドメインのメアドを使うわけにはいかないし、フリーメールは怪しすぎる、という程度の理由だ。
基本的に、僕レベルであれば、送受信の内容を確認できたため、内部では、かなりの人数が、彼の存在を知っていただろう。
それなのに、周りの反応が微妙だったので、気になったのだ。
このメールアドレスには、それなりの数のメールがくる。
家族の失踪について知らないか、とか。
不老不死になりたい、とか。
大抵は、とりあえず担当者を決め、相手がどの程度を知っているか、目的は何かを確かめ、そのレベルによって、対応は変わってくる。
しかし、新堂は放置されていた。
これは、誰かが庇っているのでは、と思ったのだ。
表向きは、未対応なだけの状態だったので、僕はさりげなく誰も返信していないのに気がついたふりをして、担当に名乗りを上げて、メールを送った。
『肉親の血が鬼への道』
まあ、思わせぶりな内容だ。
しかし、これへの対応で、どの程度知っているかが、分かるのだ。
しかし、返信は、拍子抜けだった。
「最近よく報道されている、肉親同士の殺人事件と関係があるのか」というような内容。
ほぼ、何も知らないようだ。
BHDを潰す武器になるのでは、と思ったが、勘違いだったのか。
とりあえず、『ぴんぽーん』とだけ返しておいた。
ところが、叱責された。
どうやら、新堂には、盗聴や非通知の電話をかけるなど、既に工作が行われていた、というのだ。
それを邪魔するな、というのだが叱責してきた、この男がどこの派閥に所属しているのか知らなかった。
実は、中枢の側近ではないか、との噂がある男だ。
中枢の誰かと関係があるのか、新堂は?
そうだとする、と余計に慎重に使わないといけない。
今の時点で、ほぼ手出しができなくなってしまっている。
しかも、盗聴などの結果が、情報として共有されていない。
これは、誰かが庇っているのだろう。
それが、中枢の人間ならば、BHDを潰す、致命的な武器となる。
しかし、新堂は、その内に、他の罠にもかかってくるだろう、と予想できる。
そうなれば、罠だと新堂にバレては意味がないので、対応しなければならない。
それは、こちらの範疇だ。
もちろん、叱責してきた男からも圧力があるだろうが、それはそれで、誰が関係者か調べるヒントになる。
さて、新堂は、どの罠にかかって、誰が支援者だ?
早速、新堂は、単純にも「カナエ」という罠にかかった。
これは、BHDを探ろうとする勢力を炙り出すために用意された仮想の人物だ。
女子大学生で小劇団に所属。
実家は田舎で、東京で一人暮らし。
そして、失踪という設定だ。
BHDを調べている、とどこかで、彼女や実家の連絡先や住所を手に入れて、連絡してくる、という罠だ。
もちろん罠だから、かかった電話は転送されて、BHDの人間が対応する。
部屋も実家設定の家も、BHDで監視している。
新堂が、「カナエ」の携帯電話の番号に電話をしてきたようだ。
当番が、マニュアル通りにつないだ後、何も話さずに切り、電源も切った、と連絡をくれた。
次は、実家への固定電話にかかってくるだろう。
一回目だから、介入せずに、マニュアル通りに「カナエ」の失踪を伝える程度にした方がいいだろうか。
あまり、過剰に情報を与える、とあの男に目をつけられてしまいそうだ。
そんなことを考えながら、電話を受けるための部屋に向かった。
そこには、もうあの男がいた。
そして男が連れてきたらしい女性が、メモを見ながら、電話に出ていた。
先を越されたのだ。
しかし、それだけ新堂は重要な存在ということか。
しかも、粛清された冨士が「カナエ」の従兄弟という、聞いたこともない設定を語った上、
「カナエ」の部屋の鍵を送る、と言い出した。
いったい、何をする、いやさせるつもりだ?
このまま、この男の指示に新堂を従わせては、不味い気がする。
どうすれば、僕の介入がバレないようにして、邪魔することができるだろうか。
チマチマした手では、効果がない、と考えて、大胆な手を打つことにした。
新堂へ「カナエ」の部屋の鍵ではなく、携帯電話を送るのだ。
もちろん、僕が入れ替えをしては、すぐバレる。
そこで、かわいそうだが、身代わりを用意した。
あの男から、鍵の送付を命じられた青年に、鍵ではなく携帯電話を送るように指示して、鍵と携帯を取り替えた。
そして、しばらくして、送付作業が終わったのを確認した上で、彼にある部屋に向かうように命じた。
そこは、月林檎の実験場で、残念ながら献身的な彼の犠牲は、失敗として無駄になってしまった。
深夜、電話を受ける部屋で、騒ぎが起こったようだ。
新堂に「カナエ」の携帯から無言電話をかけようとして、紛失しているのが判明したのだ。
犯人探しが始まり、すぐにあの青年の名が上がったが、既に死亡していたため、そこで調査は終わった。
なぜ、実験に使ったか、という問い合わせくらい、僕のところにくるか、と思っていたが、妹の実験支援で、ある一定数の人間をランダムで選んで、実験に使うことが習慣化していたためタマタマ、と思ってくれたようだ、
まあ、内部の人間をランダムに実験に使って納得する時点で、狂っているのだが。
それを当たり前のように利用する僕も、狂ってきているのだろう。
新堂から、「荷物が届いた」「カナエの携帯電話はどこにある?」といった電話がかかってきたため、更に携帯電話の行方は、有耶無耶となったのは、予想外だったが、助かった。
「カナエ」の携帯を使って、新堂に何を連絡するかを考えていた。
しかし、先手を打たれた。
新堂から「荷物が届いた」の連絡があったにも関わらず、「カナエ」の携帯が行方不明になったことを重くみたのか、偽装住所の部屋の焼却命令が出たようだ。
監視からの報告書を読む、と新堂が到着する前に、その処理は終わっていたようだ。
現場で、新堂に接触した男がいたようだが、尾行を撒かれてしまい、身元不明だった。
重要人物であるだろう新堂に関わってきたというのに、あっさり逃がしているのは、不自然だ。
あの男の手下だからこそ、報告されないだけなのかもしれない。
何を伝えたのだろう。
その後、新堂の情報が入らなくなった。
どうやら、あの男だけではなく、サクラも動いているらしい。
その上、どうしてかはわからないのだが、新堂に「カナエ」の携帯が渡っているのが、バレた。
いろいろ、と調査が行われているようで、僕は身動きがとれなかった。
なんとか耳に入ってきたのは、「カナエ」の罠を放棄し、実家に設定された家で、両親が心中したことになったようだ。
情けないことに、この情報のほとんどが、テレビニュースから仕入れたものなので、BHDが意図して流した情報そのままだろう。
警察も抱き込んでいるのだ。
裏の事情は、伝わってこない。
更には、新堂が「カナエ」携帯を持っているのがわかったため、その番号へ向けての工作も行われているらしい。
せっかくの切り札が、二枚とも無駄になった感じだ。
しかも、僕の足元も危ない。
更に、妹の体調も良くない。
もっと驚いたのが、翌日のテレビでも、この「カナエ」両親のニュースが取り上げられたことだ。
単なる地方の一般夫婦の心中事件にしては、異例だ。
尚も驚いたのが、公開された写真の夫婦の夫が、「あの男」だったことだ。
実際に死んだのかはわからない。
しかし、ここしばらく見なかったは、確かだ。
単に、工作のために出払っているのか、と思っていたのだが。
彼も、何かをやらかして粛清されたのか。
死者の写真として使われただけで、生きているのだろうか。
他人を気遣っている場合でもない。
日に日に、妹の体調は悪くなっている。
早く、次の手を打たなければ。
ところが、新堂の扱いに対して、機密レベルが、跳ね上がった。
らしい、だけで言う、とBHDが復活させようとしている神に唯一対抗しうる存在が干渉したから、らしい。
僕の乏しい知識でも、そんな存在と、どうしたら関係を持てるのか、わからない。
そもそも、BHDは、神を復活させようとしているのだ。
干渉したというその存在は、復活したのか?
しかも、月林檎の実験の過程で開発されたシコメが、撃退された、らしい。
そもそも、シコメって何? なのだが。
こちらは、なんとか月林檎の実験の人脈から、調べることができた。
どうやら、妹が母親を犠牲にした一歩手前の成功例の応用、らしい。
心臓は、月林檎にならず、萎んでしまっているが、そこに更に術をかけることで、命令を聴く奴隷として使える、らしい。
死者に近いので、負傷にも強く、言わば不死の兵隊として使える、らしい。
ただ、女性でしか、成功例がない、らしい。
そこから、月林檎も、女性でないと完成しないのでは、という仮説が有力視されつつある、らしい。
そこで、派閥を形成したり、実験に加担したり、とコントロールが効かなくなってきた、妹をシコメに、という勢力も出てきた、らしい。
僕が、実験に使われないで済む可能性と、妹がシコメに使われる可能性、どっちが高いか。
どちらにしても、妹がシコメにされれば、僕は権力の基盤を失う。
そうなれば、どこで消されるか、わかったものではない。
どうしたらいいんだ?
人のことを気にしている余裕などないのだが、サクラが右手に包帯を巻いている姿を見た。
まるで、指でも切断したかのような、厳重な治療のように見えた。
新たな実験か?
そういえば、シコメを大量につくっている、とも聞いた。
妹の体調不良と共に、その権力も求心力も落ち、同時に僕の立場も危うくなっていた。
そのため、どんどん情報が入らなくなっている。
それでも、月林檎の実験が、一歩進んだのは、耳に入った。
肉親を使い、そのどちらもが女性である、と一定の成果が出てきた、らしい。
完璧とはいえないそこまでに到達するまで、いったい何人が犠牲になったのだろう。
まあ、その実験を推してきた僕には、責める資格はないのだが。
実験の進展で、緩みが出たのか、権威失墜の妹、その従者である僕に、機密に近い情報が入った。
サクラが、新堂を殺す、というのだ。
理由も、なぜ今なのかも、わからない。
ただ、深夜に放火して焼死させる、という情報だけが、入ってきた。
打つ手の無さに絶望しかけていた僕は、何も疑わずに、飛びついた。
只でさえ、ジリ貧なのに、ここで新堂を失うわけにはいかない。
新堂の死を邪魔できれば、BHDにダメージを与えられるかもしれない。
焦った僕は、新堂の携帯に電話し、怒鳴った。
「とっとと起きろボケ死ぬぞ!!」
これは、僕への罠だったのだが、気がつくのは、ずっと先だった。
僕の電話によって、新堂は焼死を免れた。
それにしては、他に追加攻撃がなかったのは、派閥で連動がとれていないからなのだろうか。
なのにもかかわらず、新堂の馬鹿は、わざわざ自分から、「カナエ」の実家方面に出かけて行った。
しかも、粛清された冨士の部屋へも近い。
冨士が重宝されていた理由の一つとして、住んでいた地方を仕切っていたから、というのがあった。
そこで、「カナエ」実家もその近所に設定されたのだが、今の僕にしては、面倒なだけだ。
冨士の部屋は、既に「失踪」が自然なように処分されているのだが、それでも、新堂の行動には注目が集まる。
そうなれば、僕が暗殺を阻止して、彼が生きていることも注視されてしまう。
仕方なく、行動を抑制するために、「カナエ」の実家を管理、監視していたメンバーに連絡をとり、新堂の実家に空き巣に入らせた。
今の僕の権限では、指示に従わせる説明に時間がかかるか、と思っていたら、意外にあっさり受けてくれた。
ありがたい。
もし、月林檎の実験候補にあがったら、なんとか助けてあげたいものだ。
もう、そんな権力が残っているかは、わからないが。
第八の破滅は、権力が残っていなかった、どころか、新堂の暗殺を阻止したことがバレた。
どうやら、新堂の実家に空き巣に入らせたことが、逆に注目を浴び、バレたようだ。
くそ、空き巣をやらせたアイツは絶対に実験に使ってやりたいが、それももう無理だ。
自業自得とはいえ、冷静さを欠いていたとしか思えない。
まあ、奇跡の聖女の微かな七光りで、なんとか粛清は免れたが、それだけだった。
月林檎の実験が、一段落していたのが幸いだが、それでも妹のために、いつ実験に使われるか、ただそれを待つだけの状態だ。
逆に言えば、もう失うものもない。
いや、そもそも失うものが、命以外あったのだろうか。
地上に死者が溢れるようになれば、命にも価値があるのだろうか。
ちょっと、いやかなり、どうでもいい気分になって、まだ人目のある時間なのに、新堂に電話してやった。
「どんだけこっちが犠牲払ったと思ってんだボケ感謝しろ!」
第九の破滅は、妹の症状が末期になった、
つまり、僕が実験台だ。
そうそう、離婚の後、行方不明の父親だが、とっくに見つかって、僕の前に実験台にされて死んだようだ。
今更、そんな話を聞かされても、というのが正直な感想だ。
まあ、これでも残った家族の憂いもなくなった。
新堂に電話したり、と自棄になっていた僕は、足取りも軽く、呼び出された部屋に向かった。
そこは、いつもの部屋ではなく、前に母親が実験で亡くなった部屋だった。
かなり進歩したとはいえ、まだ完全ではない月林檎なので、縁起を担いだのだろう。
神を復活させよう、という連中が縁起に拘るのが、笑える。
まあ、笑えるのは、自分の人生か?
皮肉な笑みを浮かべながら、大きな部屋に入る。
車椅子には、老婆のような妹が置かれていた。
「お待たせ!」
目も耳もダメだろうから、大きな声で、呼びかける。
ビクっと奇跡の聖女の成れの果てが体を動かすのと同時に、僕の後ろで、ドアが閉められた。
振り向かなくてもわかる、屈強な男二人が立っているのだろう。
両手を軽くあげた僕の傍らに立ち、持ちやすくした腕をとられた。
「なあ、ちょっと距離が遠くないか?」
男たちに言う、と微妙な顔をする。
返事を待たずに、自主的に前へ歩き出す、と男たちも進んだ。
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「早くやれよ!」
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「高天原に神留り坐す・・・」
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「伊佐奈美乃命、妹背二柱嫁継ぎ給ひて・・・」
ぷっ、と噴出す音がして、目を開けた。
自分の身体を見下ろすが、特に変化はない。
顔を上げる、と妹が血まみれになっていた。
「火を生み給ひて、御保止を焼かえ坐しき・・・」
妹の声が続いているので、彼女の血ではないのか?
「吾は下津国を知らむと白して、石隠り給ひて・・・」
妹の胸元から、服を突き破って、肋骨がめくれ上がる。
「与美津枚坂に至り坐して思食さく・・・」
むき出しになった心臓が、一瞬だけ、赤い光を放った。
「おおー」
俺の腕をとる男が、声を漏らす。
いつの間にか、妹の隣に、パンツスーツの女性が立っていた。
ひょい、っと手を伸ばして、心臓を取った。
その反動でか、音を立てて床に倒れる妹。
でも、誰も気にした様子もない。
第十の破局、妹の死は、呆気なかった。
簡単に言えば、月林檎が完成した。
生に執着した女性が、自らに術をかけることで、完全な月林檎をつくることができた。
妹は、別に僕を助ける気はなく、元々女性に向かいやすい術が、弱って制御できずに、自分に跳ね返ったようだ。
奇跡の聖女が犠牲となって、製法が完成した月林檎。
その宣伝役として僕は、生きながらえた。
そして、呪物の完成により、儀式が決まった。
とはいえ、実は日取りは星振によって行える日が決まっているので、最短になっただけだが。
二月九日の早朝。
夜明けと共に、儀式を終える。
そう、夜が明ける、と地上に死者の世界が顕現するのだ。
月林檎完成の功労者とはいえ、妹の七光りも失せた僕には、儀式の詳細情報など入ってこなかった。
儀式に使う月林檎のため何人もが選ばれ、儀式の場所が選ばれ、それに参加する人員が選ばれ、しかし僕は蚊帳の外だった。
忙しく、儀式の準備が進められる中、僕はダラダラ、とした日を過ごしていた。
具体的には、電話室にいた。
そう、「カナエ」などの罠にかかった電話がかかってくる場所だ。
しかし、儀式を目前にした今、すべての罠は放棄されていた。
つまり、そもそも電話がかかってくるはずもない。
仮に、かかってきても、対応なんて、もうどうでもいい。
ので、僕が暇つぶしに居る、というわけだ。
なので、電話なんてかかってもこない。
一応、僕は、監視対象なので、ドアを閉めることはできないが、寝ていたところで、咎められはしない。
ただ、忙しげに前を通る連中に、虫を見るような目で見られるだけだ。
これから、どうなるんだろう、とボーと考えている、と電話がなった。
何か、重要な極秘情報でもしゃべってしまおうか、とか思いながら、受話器を取った。
「もしもし?」
何も聞こえないし、電話は鳴り続けている。
ようやく、自分の携帯が鳴っていたことに気がついた。
携帯が取り上げられてないのは、どうせすぐに実験台になるから、今は儀式の方が重要で、監視対象としても、どうでもいいということなのだろう。
知らない番号だ。
出ようか、どうしようか悩む、というより面倒臭く思っている、と切れた。
「まあ、いっか」と思っている、と再び鳴った。
今度は、月林檎の実験に協力していた大学教授の番号だった。
妹の容態が悪くなり始め、実験に積極的になった時に一度、直接挨拶しただけだ。
実験の人集めもしてくれていたので、何回か電話をしたのだったか。
どうしたのだろう、こんな時に。
僕が失脚した、と知らないのだろうか。
しつこく鳴るので、仕方なく電話に出た。
「先生、どうした?」
「切るなよ、先生は月林檎の実験台にされて死んだ」
知らない男の声だった。
あの教授も、実験台になった?
もう、実験は終わって、生産体制に入っているので、しばらく前のことだろうか。
「俺は姪が、BHD絡みで失踪した。儀式に参加して死ぬのを助けたい。助けてくれ!」
儀式に参加するのは、ある意味選ばれた人物ばかりだ。
もうとっくに、月林檎の原料や実験で死んでいるかもしれないな。
こいつも、僕のように、家族がBHDに関わったことで、苦しんだのだろうか。
「儀式のことは、知っている。日時を教えてくれ、頼む!」
ここまで、知っていて、野放しにされているのは、誰だろう?
新堂が探しているのは妹だから、姪ならば新堂といっしょにいた男か?
まあ、どうでもいい。
嘘の情報で、混乱させてやろう、と息を吸う。
「二月九日、日の出と同時に儀式を終えなくてはいけない」
つい、真実を言った自分に動揺して、電話を切った。
僕は、何をしていたのだろう。
妹が、大学をドロップアウトするのを救えず。
病気の支えにもなれず。
母と宗教に嵌るのも助けられないどころか、現実逃避をし。
母を亡くし。
自分の命のために、人を犠牲にし。
結局、妹も亡くし。
信じてもいない、死なない世界の実現を、ただ眺めている。
まず死んでいるだろう、身内を救いたい、という電話に、何をまともに答えているんだろう。
どうせ、誰も、何もできないんだ。
母も死んだ。
妹も死んだ。
父も死んだ。
何人も実験と称して殺した。
ああ、僕は死んでも、地獄には、いかないのか。
死んでも、この世界に、留まれるのだから。
あの母は、あの妹は、地獄にいるのだろうか?
死後に、もう会うことは、ないのだろうか?
あれ?
これだけ、罪深い僕が、地獄に行かない?
何人もの命を犠牲にした僕が、地獄に行かない?
それは、おかしいだろう。
じゃあ、誰が罪を裁くんだ?
この世界には、正義はないのか?
この世界には、罪を裁く存在は、ないのか?
儀式が成功すれば、死んでも、地上に留まる。
このまま、ずっと罪を背負っていかなけらばならないのか?
罪を償う機会も、許されることもないのか?
僕は、携帯を取り出し、かけた。
なかなか出なかったが、イラつきはしなかった。
「ヤタガラスだ」
新堂は、驚いたのか、何も言わない。
「儀式の場所は、」
たまたま、耳に入った地名を繰り返して、切った。
儀式が邪魔されれば、僕は、死ねるのだろうか。
最近、思い出すのは、借金で売る前の実家の居間だ。
あの居間での一家団欒のように、とは言わないが、地獄に落ちているだろう家族に、再び会えるのだろうか。
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