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令嬢探偵、微笑む(2)

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 その声だけで人を殺せるのではないかと思うような恐ろしい声色だったが、ローブの男は怯むわけでもなく淡々と報告した。


「薬で眠らせていた衛兵たちが、一斉に目を覚ましました」

「……は?そんなわけがないだろう。あの薬はそんなに弱いものではない」

「しかし、確かに全員目を覚ましていまして。拘束はまだは解けていませんが」

「はあ……。お前はものを考えたことがないのか?力づくで拘束を解かれる前に、もう一度薬を嗅がせるなり殴るなりして気絶させておけば良い。見てわかるだろう。こっちは忙しいんだよ」


 そう言って再びシエラに向き直ったラドクリフ侯爵は、その手で自らのズボンのベルトをガチャガチャと緩め始めた。


「ほら、さっさと出ていってくれるかな」


 侯爵はまたしても殺意すら感じる声でそう言う。

 しかし、……ローブの男は、それに従わず何故かこちらに近づいてきた。


「俺はものを考えたことのない馬鹿な使用人なのでわからないのですよ。人を気絶させる殴り方というのは、こんな感じでしょうか」


 シエラの目の前で、あり得ない光景が繰り広げられた。


 黒いローブの使用人が、ラドクリフ侯爵の綺麗な顔面を、力いっぱい殴りつけた。


 どれぐらいの力なのかと言えば、ベッドの上にいた侯爵が、吹っ飛ばされて床に叩きつけられるぐらいのものだ。
 ローブの男はそのまま滑らかな動きで侯爵の背に跨り、どこかからか出した縄でその腕を縛り付けた。

 自分の身に何が起きているのかわからない様子のラドクリフ侯爵は、首を精一杯動かして、使用人のフードの中を覗き込む。

 そして、驚いたような声を上げた。


「……誰だ、お前は!」

「おや、気絶していませんねぇ。この殴り方は間違っていましたか」


 男はそう言いながらバサっと音をたててローブを脱ぐと、侯爵に触られすっかり服を乱していたシエラの体を隠すように被せた。

 ローブがなくなったことで、その男の顔がシエラにもはっきり見えた。そして一瞬、驚きで呼吸が止まった。


「……ルシウスさん⁉」


 夕日を浴びていつもより赤っぽく輝く髪と、爛々と光を宿した青い瞳。
 いつも感情をあまり表に出さず飄々としているルシウス・クレイトンが、見たこともないぐらい怒りを露わにしていた。


「俺が本気で人を殺したいと思ったことは二度あります。一度目は前世で静奈くんを死に至らしめた酒田圭司に対して。二度目は──今、お前に対して」


 ルシウスは、先ほどの縄と同様に隠し持っていたらしいナイフを取り出し、その刃先をラドクリフ侯爵の首筋に当てた。

 侯爵は本能的に命の危機を感じたのか、恐怖で大きく顔を歪めた。


「なっ、やめろ!……おい!誰か!助けろ!!」

「無駄ですよ。言ったでしょう、衛兵たちが全員目を覚ましたと。正確に言えば、俺が目を覚まさせ、全員の拘束も解いたんです。今頃、優秀な彼らはこの屋敷の者たちを一人残らず拘束しているはずです。気絶させられたことがよっぽど屈辱だったのか、やる気に満ち溢れている様子でしたし」

「くっ……!」


 ルシウスは冷ややかな表情のままナイフを当て続けていた。それでも、侯爵が抵抗する気力を無くしたあたりでゆっくりと離した。


「ここにちゃんと意識のあるシエラ嬢がいて運が良かったですねぇ。俺は彼女の見ている前で殺人者に成り下がるつもりはないので」


 怒りでいっぱいだったルシウスの表情に、少しだけいつもの冷静さが戻っていた。

 ──やがて、部屋の外から複数人の足音が聞こえてきた。


「おーい、どこにいる?ルシウス・クレイトン!」

「ここですよ皆さん。ラドクリフ侯爵も一緒です」


 ルシウスが答えた直後、部屋の中にシエラが連れて来た衛兵たちがぞろぞろと入ってきた。

 彼らはルシウスに代わってラドクリフ侯爵を拘束し、それからベッドの上に横たわるシエラに気付いてぎょっとした。


「ご、ご無事ですかダグラスさん!」


 ようやく薬の効き目が切れてきたのか、身体が少しずつ動かせるようになってきた。

 シエラはうなずきながら、ルシウスに掛けてもらったローブの下で、乱された服をゆっくり整えていく。


「お怪我などは……」


 シエラがラドクリフ侯爵にされそうになっていたことを知らない衛兵の一人が、シエラの無事を確認するため近づこうとした。
 そんな衛兵を、ルシウスはさりげなく制する。


「シエラ嬢のことは俺に任せてください。貴方もあっちの犯罪者をお願いします」

「そ、そうか。了解した」


 衛兵たちはラドクリフ侯爵を強制的に立たせ、連行していった。彼らがいなくなると、辺りが一気に静まった。

 シエラはそのうちに服も整え終わり、ベッドから下りようとした。だが、薬が残っているのか、それともとてつもない恐怖から解放されほっとしたからなのか、上手く力が入らなかった。


「ルシウスさん……ちょっと肩を貸してください……」


 シエラがそう言うと、窓の外を見ていたルシウスは無表情のまま近づいてきた。

 体勢を低くしてくれたのでつかまろうとした──が、シエラが彼の肩に手を掛けるよりも早く、ルシウスはシエラを横抱きに抱え上げた。


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