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第2章

私はクラゲになりたい⑦

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 30分かけてプロットを急造し、また30分かけて添削と講評を行う。

 まずは私の番。
 選んだテーマは『意外に足が速いアシカ』だ。

「見てくれの悪いアシカが主人公の冒険活劇です。その巨体と軽い身のこなしを武器に、海の仲間たちを虐げる人類に立ち向かいます」

 ストーリーの序盤は仲間集めだ。
 いくつかのドラマを経て海洋類一の暴れん坊であるシャチや、情報通のマンタ、手先の器用なタコがアシカの仲間入りを果たす。さらには海洋類の信念に共鳴する人間の子供の協力を取り付けることにも成功する。

 そしてストーリー終盤、集めた仲間たちと共に漁船や港町を強襲し、仲間たちの解放を目的としたレジスタンス活動に打って出るのである。

 短い時間でよくここまで練り上げたものだと心の中で自画自賛していたが、これに目を通した先輩の反応は芳しくなかった。

「まずストーリーに目新しさがない。立場の弱い者が強い者を打ち負かす。そんな下剋上的ストーリーは昔から掃いて捨てるほどある。それから、敵側に当たる人類の解像度が異常に低くて共感しにくい。人類はなぜ海洋類を虐げる? それは海洋類側の一方的な視点に基づく見解で、人類側に海洋類を虐げている意識はないんじゃないか? せっかく人間の子供という双方の視点を持った特異点を登場させているのに、そいつが単なるアシカどもの介助者でしかないというのも勿体ない」

 立板に水とばかりに非を論《あげつら》われ、言葉を失う。
 先輩のことだから良いことは言ってこないだろうと予想はしていた。しかし、ここまでこてんぱんにされて全く凹まないと言ったら嘘になる。

 否定的な意見というのは一種の暴力だ。人は暴力に晒された時、本能的な恐怖から身体の自由を失う。ヘビに睨まれたカエルという奴だ。

「一番解せないのは、海洋類と人類の力関係が曖昧にぼかされている点だ」

 情け容赦のない酷評の礫《つぶて》が竦み切った心に追い討ちをかけてくる。

「普通に考えるなら、アシカやシャチやタコなんかが寄って集ったところで高度な文明を有する人類に太刀打ちできるはずがない。だがストーリー上は力関係が拮抗しているどころか、むしろ海洋類側がやや優勢である感じに読み取れる。これはどういう理屈だ? そこが全く描写されていないから、ご都合主義的な展開が続いているように見えてならない」

 私は下唇を噛んで俯いた。
 悔しいが、先輩の言うことは間違っていない。
 私自身、書きながらにして先輩の指摘する『穴』に気づいていたからだ。気づいていながら、制限時間と地力の壁に限界を感じて省かざるをえなかったのだ。

 ここで何を言い返しても最終的に袋小路に追い詰められるのは目に見えている。私の書く文章に説得力が備わっていれば、ここまでボロクソに言われることはなかったはずだ。

 私は潔く頭を下げて、ありがとうございました、と礼を言った。
 もっと上手く文章が書けるようになりたい。きっとこの悔しさが私の執筆の腕を引き上げてくれる。この屈辱的な思いをいつまでも忘れないようにしなければ。

「次は俺の番だな」

 先輩が続ける。今まで好き勝手毒舌を吐き散らかしていたのが嘘のようにからっとした口調だ。

 私は無理やり気持ちを切り替えて、先輩のプロットが綴られた半紙に視線を移した。
 今度は私がボロクソ言ってやるんだから。

「『水族館の未来』――それが物語のテーマだ」

 説明を聴きながら、半紙に書かれたあらすじに目を通す。

 舞台はまずまず繁盛している水族館。
 そこで勤務する若手社員が主人公だ。

 主人公は館内全域に『動く歩道』なるものを敷設したいと考えている。『動く歩道』とは空港なんかでよく目にする、水平方向に進行するエスカレーターのことだ。

 水族館を訪れた客は基本的にこの『動く歩道』に乗って各エリアの展示物を観覧していくスタイルとなる。すると入り口から出口までただ突っ立っているだけで全エリアを巡回することができるという寸法だ。

 導入目的は主に三点。
 一点目はバリアフリーの観点から足が不自由な人の観覧が容易になること。
 二点目は暗がりや分かれ道が多いせいで迷いやすいという客のクレームに対応すること。
 三点目は先ほど先輩からも指摘があった、人気コーナーの混雑解消だ。

 一定の効果が見込めそうな施策だが、主人公の熱意に反して経営陣の反応はイマイチだ。彼らは改装工事にかかるコストと導入後の収益のバランスが釣り合っていないことに難色を示しているのである。

 主人公は上層部の圧力に屈して一時計画を放棄するが、彼の熱意に共鳴する同僚や恋人、それから地元の常連客などの励ましを得て、再起奮闘する。

 結果的に費用対効果の観点から主人公が画策していた『動く歩道』の導入は実現には至らなかったものの、奮闘の甲斐あって水族館の課題解決に消極的だった経営陣の意識を変えることに成功する。
 そして新たに立案された水族館改造計画の主任に主人公が抜擢されたところで物語は幕を閉じる。

 一読して、まずその文章の美しさに心を揺さぶられた。
 先輩の文章はとにかくシンプルだ。無駄な装飾や冗長な言い回しが徹頭徹尾排除され、登場人物たちのやり取りに全く不自然さがない。その秀逸な語り口に導かれるようにして場面場面の情景や登場人物の躍動する模様が鮮明に頭に浮かんでくるのである。

 個人的な好みの問題として段落分けが少なく視覚的にゆとりがないのが気になるが、基本的に文章自体は非の打ち所がない。
 もしケチをつけるとするなら、やはりストーリーの方だろう。

 私は唇を舐めて、先輩に毅然とした眼差しを送った。

「これ、水族館を舞台にする必要あります? ざっと読んだ感じ、『動く歩道』のアイデアって動物園とか美術館でも通用するように思えますが」

 先輩は、ふむ、と顎に手を遣って、つかの間考え込むように目線を上にした。

「一理あるが、この物語において水族館であることの必然性は無理に繕わなくても問題ないだろう。物語の肝は、社会人になりたての若者が掲げる青臭い信念が、それを拒む現実社会とどのように折り合いをつけるかということにある。だから舞台はお前が言うように水族館にこだわる必要はない。だが、何処でもよかろうと何処かは選ばなくてはいけないわけで、それがたまたま水族館だったというだけの話だ」

「できればそこにも理由づけがあった方が綺麗だと思います。はじめから『動く歩道』のアイデアありきで話が進行しているように感じられますが、そもそもの問題自体がちょっと薄っぺらいというか、なんかこう、なるほど! って頷きづらいんですよね……」

「極めて抽象的かつ個人的な意見だ。なんとなくの印象で語られてもらっちゃあ困る」

 先輩がムッとして口を挟んでくる。
 私も負けじと語気を強めて反論した。

「でも私がそう感じたんだから、同じように感じる人が他にいてもおかしくないじゃないですか。客観的な事実を重んじるのも大切でしょうけど、だからといって個人的な意見を蔑ろにしていい道理はないです」

 先輩がまた反論しようと口を開きかけたが、私はそれをブロックするようにてのひらを突き出して強引に続けた。

「そもそもの問題が矮小に感じられるせいで主人公の青臭い信念が空回りしてる感が強くて、読者として心から応援するのが躊躇われます。主人公のアイデアが経営陣に却下されたとき、そりゃそうなるよなって納得しましたもん。もう少し水族館ならではの課題に焦点を当てる構成にした方が読者からの共感も集めやすくなるのでは? そっちの方がまとまりが良くて読み応えのあるストーリーラインになるような気がします」

 そこまで言いたいことをぶつけると、先輩は目を白黒させて黙り込んだ。
 眉間に刻まれた縦皺が内心穏やかでないことを物語っている。しかし、すぐさま反論の言葉が繰り出せないのは、私の意見にいくらか首肯せざるをえない部分があったという証左だろう。

 沈黙の間が訪れ、手持ち無沙汰から逃れるようにマグカップに手を伸ばす。残り少ないドリンクを飲みきり、その中に小さくため息を落とした。
 やり込めたという達成感より自分の役割をまっとうできたことの安堵感の方が大きい。

 少し前までは誰かの紡いだ物語を否定することなどできなかった。自分みたいなものが人様の作品を批評するなんて烏滸がましいという卑屈さもあったが、それ以前に批評する目を持っていなかったのだ。

 面白いか、面白くないか、その二択でしか作品の出来を評価することができなかった。それで日常を過ごすのに何の支障もなかったからだ。

 しかし、小説家を志すことにした以上、それではいけないと思った。もっと語彙を増やして表現の幅を広くしなければ、商業作家になることなど夢のまた夢だ。

 そのためにたくさん本を読んで、感想を言語化する癖をつけるようにした。時間があればレビューサイトを眺めて自分の感性では捻り出せないような意見を収集し、多角的な視点を養うことに努めてきた。

 肯定するのは簡単だ。面白い、カッコいい、可愛い、綺麗。ありきたりな言葉を並べておけば、みんな勝手に満足してくれる。また、誰も傷つけなくて済むから、言う方にしてもストレスがない。むしろ社会貢献をしたかのような自己陶酔感が湧いてくるほどだ。

 一方で、否定することはその何十倍も難しい。つまらない、ダサい、気持ち悪い。そんな飾りのない言葉だけではただの誹謗中傷とみなされるから、具体性に富んだ言葉を繊細に紡ぎ出さなくてはならない。

 何より否定の言葉はそれが的確であれ的外れであれ必ず誰かを傷つける。相手によっては無礼だといって怒りを買うことも少なくない。斬りつけるには最悪斬りつけられても仕方がないと割り切るだけの覚悟が必要なのだ。

 人によっては否定することで優越感みたいなものを得られるのだろうが、私みたいな肝の小さな人間は恐れ多さの方が圧倒していて、とても気持ちよくなんてなれない。

 ネット小説で多少マイナスな意見を含んだコメントを投下する際はいつも指が震えているし、それに強い言葉で反撃された時なんかは長いこと気分が落ち込む。

 後悔するとわかっていて、だけど私は率直な意見を紡ぐのをやめない。それが作品のため、引いては自分の物書きとしての成長のためになると信じているから。

 半年前、まだ先輩と知り合って間もない頃、迂闊にも先輩の作品に軽口を叩いてしまったことがあった。その際、先輩から舌鋒鋭い反論を浴びせられ、人格攻撃にも近い言われようと、生まれて初めて遭遇した他人の憤怒の念に恐れをなした私は、さめざめと涙を流すことしかできなかった。

 無力だった自分が、今では先輩の能弁を封じるだけの審美眼を養えている。そんな風に成長を実感できると今までの努力が報われたような気がして心底から嬉しかった。
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