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第2章

私はクラゲになりたい②

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 ブルーライトに照らされた水槽の中をクリオネがひらひら揺蕩っている。奔放でいてどこか優雅な趣きのある舞いに日頃の心労が癒やされる。
 私はほっとため息をついた。そこには陶然とした響きとうんざりした響きの両方が含まれていた。

 来た道を振り返ると、やや離れた位置に先輩の姿がある。その目は水槽ではなく、へりにあるプレートに注がれている。水槽の中にいる生き物の生態について事細かに解説した文章が載っているプレートだ。

 新たな水槽を訪れるたび、ずっとこの調子でいる。おかげで進行ペースの遅いこと遅いこと……。

 さっきから後から来た親子や若いカップルたちに次々追い抜かされている。きっと彼らから、私は「休日にひとりきりで水族館を訪れる寂しい女」と思われているに違いない。

 みんな愉しそうに談笑しながら水槽巡りを満喫している。そんな彼らに順番を追い越されるたび、恥辱に塗れた感情が胸の内で暴れ回るのを抑えられずにはいられない。

 そんな私の気も知らず、先輩はまだマイペースにプレートの文章を熟読している。
 本当は遅刻したことを根に持っているのではないかと疑りたくなるくらい、入場してから何度も待ちぼうけを食らわされている。

 勉強熱心なのは結構なことだが、その入れ込みようはちょっと異常である。
 言っちゃあなんだが、そこまで集中して読み込むようなものじゃない。日常生活を営む上で何ら益体のない水棲動物のうんちくなど、どうせ明日の朝には大部分が記憶から消え去っている。

 穿った見方をすれば、死に物狂いで入場料のもとを取ろうとしている風に見えなくもない。それくらい先輩は謎の好奇心をふんだんに発揮して館内の隅々にまで目を光らせているのだった。

 はじめの頃は気を遣って適度に話しかけたりもしていたが、早々にそんなお節介もうざったく思われたらしく、蛇蝎のごとく「しっ!」と一喝されてしまい、とたんに老婆心が失せた。

 どこまで独断行動が許されるのか定かでなかったが、まあ先輩の目の届く範囲にいれば問題ないだろうと自己判断し、先輩と足並みを揃えることはすっかり諦めて、先々の水槽をひとりで見て回ることにしたのだった。

 クリオネの魅せる優雅な舞いを満喫したところで、次の水槽に移る。そこには大小様々なサイズのクラゲがぷかぷか漂っていた。透き通ったボディー、そこに青白い照明の光が差して、淡い煌めきが湛えられている。思わずうっとりするほどに幻想的な光景だ。

 こんな風にただ揺蕩っているだけで存在を肯定されるクラゲたちが心底から羨ましい。来世は私もクラゲになりたい、なんて。虚しい現実逃避だ。

 しばらくクラゲたちのワルツを観賞した後、また来た道を振り返ると、

「あれ?」

 さっきまでその辺にいたはずの先輩の姿がない。進路を少し逆走してみるが、雑踏の中にもその影は認められなかった。

 先輩が幻のように消えてしまった。本当に幻であるなら好都合なのだが、その線は望み薄だろうから普通に困ったものだ。

 それほど長い時間クラゲにお熱だった自覚もないが、いつの間にか追い抜かされたのかもしれない。だったらひと声くらい掛けてくれてもいいような気がするが、並大抵の常識が通用する相手じゃない。

 どうしたものかと数瞬思い悩んだ末に、私は決断を下した。
 いなくなってしまったものはしょうがない。先輩のことは徹頭徹尾忘れて、ここから先は一人で満喫、もとい勉強することにしよう。

 そう気持ちを切り替えて、クラゲのコーナーに舞い戻る。
 さっきまで孤独な状況を憂いていたのに、先輩のことを意識から排除した途端、足取りが軽くなったことに人間心理の不可思議さを感じずにはいられなかった。
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