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第1章

新人賞がなんぼのもんじゃい!①

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 私、栗棟乃愛はいつになく緊張の境地のまっただ中にいた。というのも、これから自分の人生を左右する報せが舞い込むかもしれないからだ。幸いなことに、舞い込むとしたら悲報ではなく吉報のほうだ。

 先日、自作小説をとある文芸賞に出したのだが、元締めの出版社からの告知によると、本日の夕方、中間選考の結果が特設サイトに公開されるというのだ。

 放課後、私は級友たちとの雑談もそこそこに切り上げて、一目散に文芸部の部室に駆け込んだ。自由に使えるデスクトップ型のパソコンがあるからだ。スマホがあればわざわざこんなところに足を運ばずとも事足りるのだが、残念ながら私の通う高校は校則によりスマホの持ち込みが禁じられている。

 パソコンを立ち上げ、所定のサイトにアクセスすると、ウェブページには『ただいま選考中』という無骨な書体の一文が掲載されているのみだった。時刻を確認すると、予定より一時間も早い。

 いくらなんでも気が逸りすぎだと自戒しつつ、さりとてこの胸のざわめきを治める術もなく、暇潰しに別の作業に取りかかってもすぐに上の空になることは目に見えているため、大人しくパソコンの前に座って時間が来るのを待つことにした。

 刻一刻と時間が過ぎゆく中、私はSNSを閲覧したい衝動に駆られたが自重した。
 今頃私と同じような自作小説を世に送り出すことを夢見ている作家志望たちがこぞってパソコンの前に張り付き、一抹の期待と不安に抱かれながら運命の瞬間が訪れるのを待ち構えていることだろう。

 手持ち無沙汰なこの時間、ひとりで抱え込むには手に余る不安をSNSに吐露して気を紛らわせようとする者もいるに違いない。そんな同志たちの心境は今の私にとって大いに共感できるものであり、そうすることで私自身、安心を得たかったのだ。

 だが、そうして緊張が解れてしまうのは望むところではなかった。
 結果がどうあれ、緊張なくしては喜びも絶望も半減だ。私は緊張と心中する覚悟で今日という日を迎えている。安易な逃げ場所なんていらない。そこに逃げ込むのは過去に必死で努力してきた自分自身に対する冒涜だ。

 不安と葛藤に苛まれているうちに時間はあっという間に過ぎ、予定していた時刻が到来した。
 時間ちょうどに『ただいま選考中』の一文が消え、ずらりと横書きの文字列が群をなす。そこに名を連ねているのが中間選考を突破した作品のタイトルだ。

 待ちに待った瞬間。
 心臓がどくんと跳躍し、つうっと冷たいものが私の背筋を伝う。
 震える手をマウスに重ねて、表示されているタイトルを上から順になぞっていく。

「……違う……違う……違う」

 タイトルを確認するたび、いちいち結果を口に出しては、じりじりと自分を絶望の淵に追い込んでいく。

 スクロールバーがページの最下層に到達し、意識が絶望の奈落に引きずり込まれそうになったが、すぐに続きのページがあることに気がつき、間一髪崖端ギリギリのラインで踏ん張る。
 現在のページ番号は『1/3』とあるから、チャンスはあと2回だ。

 無意識のうちに浅くなっていた呼吸を整えてから、マウスカーソルを次のページのリンクに合わせ、ぐっと人差し指に力を込める。間もなく画面上で青い円がぐるぐると回転を始めた。

 アクセスが集中しているせいか、いやにロード時間が長い。
 その間にも爆ぜるように錯綜する緊張と恐怖の摩擦により今にも胸が張り裂けそうだった。

 程なくしてページが切り替わり、画面上のタイトル群が一新された。
 汗ばんだ手をマウスに重ね直し、唇をひと舐めしてからホイールを回す。

 神経を研ぎ澄ましてタイトルの羅列をひたすら目だけで追っていく。
 凄まじい執念がもたらす無限の集中力を武器に、数百と連なるタイトルの確認が一分とかからず完了した。
 ……つまり、またしても結果は空振りに終わったということだ。

 一旦深呼吸して、茹だった頭をクールダウンする。瞼を閉じ、軽く目頭を揉み込む。激しい眼球運動を経て、さすがに疲労を覚えていた。

 カバンから目薬を取り出して、乾いた眼に潤いを与える。爽快感が眼球の奥底にまで浸透したところで、今一度パソコンのモニターと向き合う。

 残すところはあと1ページ。
 今や当初の期待は見る影もなく、諦念のほうが圧倒的に優勢だ。

 すっかり弱気になっていたその時、いつぞやに浴びせられた暴言が頭の中に蘇った。

『豆腐メンタルが。凹むくらいなら最初から小説なんて書いてんじゃねぇよ』

 ムカッとした拍子に、萎れていた心が張りを取り戻す。
 きつく唇を結び、ぱちんと頬を叩いて気合いを入れる。

 ――そうだ。なんとしてでも賞を取って、あの人をギャフンと言わせてやるんだ!

 名誉も賞金も要らない。作家という肩書きにもさほどの興味はない。私が欲するのは唯一、高慢ちきな先輩の悔しさと切なさとやるせなさとで滲んだ真っ赤な顔をこの目で拝むこと、ただそれだけだ。

 高ぶった野心となけなしの期待を原動力にマウスを手繰る。
 刹那のロード時間を経て、画面が切り替わる。
 さあ、泣いても笑ってもこれが最後のページだ!

 俄に心音が速度を増す。胸の奥から悪寒がせり上がり、そのくせ体中から泉のように汗が溢れてくる。
 緊張の跡が全身のあちこちに認められる中、私は眼球をかっぴらき、一心不乱にモニター上の文字を追いかける。

「……違う……違う……これも違うっ」

 タイトルが消化されるにつれ、私のメンタルも徐々に摩耗の一途を辿っていく。
 そんな弱ったメンタルを叱責するように、憎たらしい幻聴が耳の奥で告げる。

『しょげるよりもまず恥を覚えろ。最終選考ならともかく、中間選考ごときで落とされる作品なんざ落書きも同然だ。そんなものを堂々と衆目に晒すことができる自分の神経の図太さを愚かしく思え』

 人の気持ちを逆撫でする台詞に、はらわたが煮え繰り返ってくる。
 なまじ付き合いが長いせいか、小癪なしたり顔まで脳内に浮かんでくる始末だ。

 ――負けてなるものかっ。絶対にその鼻っ柱をへし折って今まで受けた屈辱を晴らしてやるんだから!

 下唇を噛み、折れかけていた心を奮起させる。
 血眼になってモニターに食らいつき、ただひたすら、あってくれ、あってくれ、と神に祈る。

 だが、期待も虚しく、スクロールバーはページの最下層に到達した。
 脳内で最後のタイトルを読み上げた瞬間、ふっと口から吐息が零れた。まるでパンパンに膨らんだ風船から空気が抜け出るように。

 もう一度ページを見返そうなどという気力はからきし沸かず、しばらくは茫然自失とパソコンの画面を見つめていた。
 長い時間をかけて現実を受け入れる次第に全身から力が抜けていく。
 果てに私は、机に突っ伏すような形で悄然と項垂れた。

 ところどころくすんだキーボードが視界の端を占める。物語を紡ぐべく日々苦楽を共にしていた相棒が、今はとても頼りないものに映ってならなかった。

 ――また届かなかった。寝る時間も遊ぶ時間も削って、持てる力はすべて注ぎ込んだというのに……。

 胸中に我が物顔で鎮座する無力感の塊。
 それが、今の自分に何が足りないのか、答えようのない問いを突きつけてくる。

 自己嫌悪の海に沈みかけていた、その時だった。
 背後より扉の開く音がして、その後ずかずかと足音が続いた。

 それが誰なのかは振り返って確かめるまでもない。
 三鶴城高校、文芸部。この部に所属している部員は私と、部長の東条鼎の他にいないのだから。

 紛いなりにも後輩の身分だ。先輩を部室に迎えた際はこちらから挨拶するのが常なのだが……本日はメンタルがズタボロで心に余裕もないから省略させてもらうことにしよう。どうせいつもみたいに反応は返ってこないだろうし、後輩が挨拶をしなかったからといって何か思うような人じゃない。

 いつもだったらいけ好かない先輩の薄情さにこのときばかりは救われたような気持ちになりつつ、私はひとり感傷に浸ってショックから立ち直れる時が来るのを待った。
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