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#2 後輩が全然気づかない件について
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程なくして宴会はお開きとなり、一同は続々と店内を後にした。
見たところ、だいたいの者が顔をタコのように赤くして酔っ払っていた。中には絵に描いたような千鳥足を披露する者までいる。ほとんどシラフなのは自分だけのようだ。結局あの後も自責の念で酒が進まなかったのだった。
仲の良い同僚から二次会に誘われたが、俺は、気分が優れないから、ともっともらしい理由をつけて辞去することにした。
「珍しい。せんぱいがこんな浅い時間にお暇するなんて。なんか途中から調子悪そうでしたもんね」
先ほどの絶交宣言は何だったのか、すっかり頬を赤くした飯田明里が何食わぬ顔で話しかけてくる。
相も変わらず襟元ははだけていて、赤いブラ紐も露出したままだった。まだ誰からも指摘されていないようだが、それも風前の灯火だろう。
曖昧に返事を濁しつつ、この場を立ち去ろうとした、その時だった。運命は再び俺に試練を突きつけた。
「みなさーん。せっかくなので、記念写真撮りませんかあ!」
お局の佐々木さんが声を大にしてそう呼びかけてきた。
それを受けて周囲のあちこちからいいねいいねと満更でもなさそうな声が上がる。一同は早速ぞろぞろと整列し始めた。
店員さん呼んできます、と佐々木さんが勇んで店内に戻っていくのを見て、一気に酔いが冷めた。
背中をつーっと冷や汗が伝う。まずい……まずいぞ……。
このままでは明里のブラ紐まる出しのあられもない姿が写真という形で後生に残ることになる。それが悪意ある社員の目に留まりでもしたら、社内のメーリス経由で恰好の笑い種にされかねない。最悪の場合、ネットに流出してしまう怖れもある。いずれにせよ男たちの性欲のはけ口になることは不可避だろう。そうなると明里はまず間違いなく心に深い傷を負うことになる。そんなこと、あってはならない。
焦燥感に突き動かされて周囲を見渡す。
――誰か。俺の代わりに指摘してくれそうな人はいないか。
そうして見留めたは、同期入社の榎本ちえりだった。部署が違うため、平常時の親交はそれほど深くはないが、今は四の五の言ってられない。
俺はそそくさと彼女に近づき、声をかけた。
「榎本さん」
榎本ちえりの視線がこちらを向いた。どことなく覚束ない眼差しだった。
近くに来るまでわからなかったが、随分と顔を火照らせていた。彼女が酔っ払っているところを見るのは初めてだ。入社したての頃は苦手だからと言って譲らず、こうした席でも頑なにアルコールを拒んでいた記憶があるが、いつの間に克服したのだろうか?
「あら、珍しい。どしたの?」
驚き顔の榎本に対し、俺は前置きも無しに口火を切った。
「飯田の様子がおかしくて。ちょっと見てくれないか」
「飯田って……どちら様?」
「飯田明里だよ。ほら、うちの部署にいる、一年後輩の」
「別の部署の人の名前までいちいち覚えてらんないわよ。どの子?」
毎年入ってくる新入社員の数なんて高が知れている。
プロパー社員の顔と名前くらい頭に入れておけよ、と心の中でそしりつつ、俺はやや離れた場所にいる明里を指さして説明した。
「あそこにいる奴だ。顔くらい見覚えがあるだろ」
榎本は明里の姿を認めるなり、「あぁ、あの『メルヘン処女』の」と合点がいったように手を叩いた。
酷い思い出し方しやがる……。さすがに後輩に同情を禁じ得なかった。しかし、今は突っ込みを入れている暇はない。
俺は榎本を明里のもとに連れていった。
明里は後輩の女子社員と楽しげに談笑しているところだった。
そんなに間近で話していて服装の乱れに気づかないものだろうかと疑問に思うが、まあ酩酊している人間の洞察力に期待しても仕方がない。
「飯田さん」
躊躇う素振りもなく、榎本は明里に声をかけた。
そこでようやく明里は俺たちの存在に気づいたようだった。
「せんぱい、と……榎本さん?」
後輩の方はさすがに先輩の名前を認知していた。
榎本にもその爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
「ご無沙汰。なんかこの人がね、貴女の調子がおかしいとかなんとか言ってくるものだから、ちょっと様子を見に来たの」
榎本は腰に手を当てて、隣の俺を指さしながら言った。
音速のチクリに、心臓が跳ねる。なにこいつ、すぐ言うじゃん……。
はえ、と間の抜けた声を発して、小首を傾げる明里。小柄な体格と相まって、その様はリスのような小動物を彷彿とさせる。
「なんの話です? 体調は見ての通り、万全ですけど」
明里の回答を聞くなり、榎本はむっと唇を尖らせて俺を睨んできた。無駄足踏ませやがって、というメッセージがそこから読み取れる。
恨む前にもっとよく後輩を見てやってくれ、と俺はしきりに目で訴えた。
しかし付き合いが浅いせいか、残念ながら伝わった感触はなかった。
ため息をつく榎本に、二の腕を捕まれる。
「ちょっと来なさい」
明里に聞こえないくらいの声量でそう囁いて、少し離れた場所に連れて行かれる。
「人をダシに使うの、やめてもらえる?」
目尻をつり上げて、榎本は言った。
言葉の意味が理解できず、俺はたじろいだ。
「ダシって、なんだよ」
「あの子に気があるんでしょ? 話のとっかかりが無くなったからって、あたしを巻き込むのはやめてよね」
「……はあ? なに言ってんだお前」
言っていることが支離滅裂だ。
ひっくと喉をかき鳴らす榎本を見て、俄に悟った。この女、思った以上に酔っ払っているらしい。
「そりゃあもうすぐ魔法使いになる身としては焦る気持ちがあるのもわかるけどさ」
「……あの、童貞だって決め付けるの、やめてもらえます?」
面目を保つべくそう反論するが、半分図星だった。生涯恋人が出来たことはなく、セックスだって5年前に風俗に行った時の一度きりだ。いわゆる素人童貞という奴であるが、純然たるガチ童貞と一緒にされるのは心外だった。
「みなさーん! 並んでくださーい!」
遠くから佐々木さんのかけ声が聞こえた。
見るとすでに店の前で店員さんがカメラを構え始めていた。
まずいな、と思った瞬間、榎本にぽんと肩を叩かれた。
「いい大人なんだから、勇気出しなさい」
そんなひと言を残して、彼女は列の中に消えていった。口元には意味深な笑みが湛えられていた。
徐々にフレームに収まっていく一同を眺めながら、俺は途方に暮れていた。
もう少し早く人選の誤りに気づくべきだったと先立たない後悔を募らせる。
その頃、肝心の飯田明里はというと、へらへらとした締まりのない笑みを浮かべて呑気に列に加わっていた。
自分がどんな醜態を晒しているかも知らずに……。
ため息をついて、俺は腹を括った。
情けは人の為ならず。ナサヒト、ナサヒト、と謎の呪文を心の中で繰り返しながら、足早に明里のもとに駆け寄る。
「おい。飯田」
呼びかけると、明里のとろんとした瞳がこちらを向いた。
手招きすると、戸惑った表情になりつつも素直にこちらにやってきた。
会社のみんなとやや距離を取ったところで、俺は声を潜めて知らせた。
「肩。見えてるぞ」
えっ、と小さく声を発して、左肩、右肩と交互に視線を遣る明里。
次の瞬間、ハッとした表情となって、慌てて居住まいを正した。
ようやく真っ赤なブラ紐が目の届かないところに消えて、肩の荷が下りる。
明里は耳の先まで真っ赤になっていた。視線をよろよろと彷徨わせた挙げ句、上目遣いで俺を見て、
「……ありがとうございます」
そのような初心な反応を示してくるのは反則だった。
いつものようにプロレスを仕掛けてこられる方が何十倍もやりやすい。
ドギマギしてしまい、俺は返答に窮した。
「おい、若いもん。ちんたらしてないで早く列に入りな」
すでに列に並んでいた年長社員から声をかけられる。ナイスタイミングだった。
明里は顔を赤くしたまま、小走りに元いた場所に戻っていった。
俺も重たい足取りで最後列の端っこに加わった。
最後に佐々木さんが最前列の真ん中に加わったところで、店員さんの「はい、キムチ」という独特なかけ声に続いてガラケーのシャッター音が夜の喧噪的な街の一角に響いた。
見たところ、だいたいの者が顔をタコのように赤くして酔っ払っていた。中には絵に描いたような千鳥足を披露する者までいる。ほとんどシラフなのは自分だけのようだ。結局あの後も自責の念で酒が進まなかったのだった。
仲の良い同僚から二次会に誘われたが、俺は、気分が優れないから、ともっともらしい理由をつけて辞去することにした。
「珍しい。せんぱいがこんな浅い時間にお暇するなんて。なんか途中から調子悪そうでしたもんね」
先ほどの絶交宣言は何だったのか、すっかり頬を赤くした飯田明里が何食わぬ顔で話しかけてくる。
相も変わらず襟元ははだけていて、赤いブラ紐も露出したままだった。まだ誰からも指摘されていないようだが、それも風前の灯火だろう。
曖昧に返事を濁しつつ、この場を立ち去ろうとした、その時だった。運命は再び俺に試練を突きつけた。
「みなさーん。せっかくなので、記念写真撮りませんかあ!」
お局の佐々木さんが声を大にしてそう呼びかけてきた。
それを受けて周囲のあちこちからいいねいいねと満更でもなさそうな声が上がる。一同は早速ぞろぞろと整列し始めた。
店員さん呼んできます、と佐々木さんが勇んで店内に戻っていくのを見て、一気に酔いが冷めた。
背中をつーっと冷や汗が伝う。まずい……まずいぞ……。
このままでは明里のブラ紐まる出しのあられもない姿が写真という形で後生に残ることになる。それが悪意ある社員の目に留まりでもしたら、社内のメーリス経由で恰好の笑い種にされかねない。最悪の場合、ネットに流出してしまう怖れもある。いずれにせよ男たちの性欲のはけ口になることは不可避だろう。そうなると明里はまず間違いなく心に深い傷を負うことになる。そんなこと、あってはならない。
焦燥感に突き動かされて周囲を見渡す。
――誰か。俺の代わりに指摘してくれそうな人はいないか。
そうして見留めたは、同期入社の榎本ちえりだった。部署が違うため、平常時の親交はそれほど深くはないが、今は四の五の言ってられない。
俺はそそくさと彼女に近づき、声をかけた。
「榎本さん」
榎本ちえりの視線がこちらを向いた。どことなく覚束ない眼差しだった。
近くに来るまでわからなかったが、随分と顔を火照らせていた。彼女が酔っ払っているところを見るのは初めてだ。入社したての頃は苦手だからと言って譲らず、こうした席でも頑なにアルコールを拒んでいた記憶があるが、いつの間に克服したのだろうか?
「あら、珍しい。どしたの?」
驚き顔の榎本に対し、俺は前置きも無しに口火を切った。
「飯田の様子がおかしくて。ちょっと見てくれないか」
「飯田って……どちら様?」
「飯田明里だよ。ほら、うちの部署にいる、一年後輩の」
「別の部署の人の名前までいちいち覚えてらんないわよ。どの子?」
毎年入ってくる新入社員の数なんて高が知れている。
プロパー社員の顔と名前くらい頭に入れておけよ、と心の中でそしりつつ、俺はやや離れた場所にいる明里を指さして説明した。
「あそこにいる奴だ。顔くらい見覚えがあるだろ」
榎本は明里の姿を認めるなり、「あぁ、あの『メルヘン処女』の」と合点がいったように手を叩いた。
酷い思い出し方しやがる……。さすがに後輩に同情を禁じ得なかった。しかし、今は突っ込みを入れている暇はない。
俺は榎本を明里のもとに連れていった。
明里は後輩の女子社員と楽しげに談笑しているところだった。
そんなに間近で話していて服装の乱れに気づかないものだろうかと疑問に思うが、まあ酩酊している人間の洞察力に期待しても仕方がない。
「飯田さん」
躊躇う素振りもなく、榎本は明里に声をかけた。
そこでようやく明里は俺たちの存在に気づいたようだった。
「せんぱい、と……榎本さん?」
後輩の方はさすがに先輩の名前を認知していた。
榎本にもその爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
「ご無沙汰。なんかこの人がね、貴女の調子がおかしいとかなんとか言ってくるものだから、ちょっと様子を見に来たの」
榎本は腰に手を当てて、隣の俺を指さしながら言った。
音速のチクリに、心臓が跳ねる。なにこいつ、すぐ言うじゃん……。
はえ、と間の抜けた声を発して、小首を傾げる明里。小柄な体格と相まって、その様はリスのような小動物を彷彿とさせる。
「なんの話です? 体調は見ての通り、万全ですけど」
明里の回答を聞くなり、榎本はむっと唇を尖らせて俺を睨んできた。無駄足踏ませやがって、というメッセージがそこから読み取れる。
恨む前にもっとよく後輩を見てやってくれ、と俺はしきりに目で訴えた。
しかし付き合いが浅いせいか、残念ながら伝わった感触はなかった。
ため息をつく榎本に、二の腕を捕まれる。
「ちょっと来なさい」
明里に聞こえないくらいの声量でそう囁いて、少し離れた場所に連れて行かれる。
「人をダシに使うの、やめてもらえる?」
目尻をつり上げて、榎本は言った。
言葉の意味が理解できず、俺はたじろいだ。
「ダシって、なんだよ」
「あの子に気があるんでしょ? 話のとっかかりが無くなったからって、あたしを巻き込むのはやめてよね」
「……はあ? なに言ってんだお前」
言っていることが支離滅裂だ。
ひっくと喉をかき鳴らす榎本を見て、俄に悟った。この女、思った以上に酔っ払っているらしい。
「そりゃあもうすぐ魔法使いになる身としては焦る気持ちがあるのもわかるけどさ」
「……あの、童貞だって決め付けるの、やめてもらえます?」
面目を保つべくそう反論するが、半分図星だった。生涯恋人が出来たことはなく、セックスだって5年前に風俗に行った時の一度きりだ。いわゆる素人童貞という奴であるが、純然たるガチ童貞と一緒にされるのは心外だった。
「みなさーん! 並んでくださーい!」
遠くから佐々木さんのかけ声が聞こえた。
見るとすでに店の前で店員さんがカメラを構え始めていた。
まずいな、と思った瞬間、榎本にぽんと肩を叩かれた。
「いい大人なんだから、勇気出しなさい」
そんなひと言を残して、彼女は列の中に消えていった。口元には意味深な笑みが湛えられていた。
徐々にフレームに収まっていく一同を眺めながら、俺は途方に暮れていた。
もう少し早く人選の誤りに気づくべきだったと先立たない後悔を募らせる。
その頃、肝心の飯田明里はというと、へらへらとした締まりのない笑みを浮かべて呑気に列に加わっていた。
自分がどんな醜態を晒しているかも知らずに……。
ため息をついて、俺は腹を括った。
情けは人の為ならず。ナサヒト、ナサヒト、と謎の呪文を心の中で繰り返しながら、足早に明里のもとに駆け寄る。
「おい。飯田」
呼びかけると、明里のとろんとした瞳がこちらを向いた。
手招きすると、戸惑った表情になりつつも素直にこちらにやってきた。
会社のみんなとやや距離を取ったところで、俺は声を潜めて知らせた。
「肩。見えてるぞ」
えっ、と小さく声を発して、左肩、右肩と交互に視線を遣る明里。
次の瞬間、ハッとした表情となって、慌てて居住まいを正した。
ようやく真っ赤なブラ紐が目の届かないところに消えて、肩の荷が下りる。
明里は耳の先まで真っ赤になっていた。視線をよろよろと彷徨わせた挙げ句、上目遣いで俺を見て、
「……ありがとうございます」
そのような初心な反応を示してくるのは反則だった。
いつものようにプロレスを仕掛けてこられる方が何十倍もやりやすい。
ドギマギしてしまい、俺は返答に窮した。
「おい、若いもん。ちんたらしてないで早く列に入りな」
すでに列に並んでいた年長社員から声をかけられる。ナイスタイミングだった。
明里は顔を赤くしたまま、小走りに元いた場所に戻っていった。
俺も重たい足取りで最後列の端っこに加わった。
最後に佐々木さんが最前列の真ん中に加わったところで、店員さんの「はい、キムチ」という独特なかけ声に続いてガラケーのシャッター音が夜の喧噪的な街の一角に響いた。
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