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第7章
そして、私は大人になる(4/5)
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平日の中日だというのに夜の繁華街は多くの人で賑わい、喧噪的な空気に包まれていた。通行人の大半は帰宅中と思しきサラリーマンやOLといった趣だが、中にはアルコールが入って陽気になっている若者から中年の軍勢も散見される。
いつもと変わらない光景だ。しかし、明らかに違う点もある。普段ならこうして繁華街を歩いていると何組かのナンパ目的の連中に呼び止められるのが常なのだが、今日は誰一人としてそれらしき声をかけてくる者は現れなかった。その理由も判然としていて、隣に男の姿があるからだろう。ただそれだけのことでこうも夜道を歩くのが快適なのかと思い知る。
繁華街の中心部を通り過ぎると、やや人通りの落ち着いた小道に出た。この辺まで来ると、なんとなく見かける人種が変化した感じがする。ざっと見て男女のペアが多い印象だ。女性の方は水商売の匂いが漂っているのがほとんどで、男性の方は一見して年齢層にばらつきがあるものの総じて金回りの良さそうな外見をしているという共通点があった。
程なくしてリゾートホテルのような外観の高層ビルの前で足を止めた。入口に看板が立てかけられていて、そこに大きく『ROUSHIA』と銘打ってある。ルシアと読むのだろうか? 看板の下の方には料金表が事細かに掲載されている。
隣の彼に付き従って建物の中に足を踏み入れた。
無人の受付で手続きを済ませてカードキーを受け取る。カードの表面には『2019号室』と部屋番号が刻印されていた。20階ともなれば部屋から見渡せる夜景もさぞ壮観に違いなかったが、そんなことに胸を躍らせるだけの余裕が今の自分には欠如していた。それよりも収容している部屋数の多さにぞっとするほどの畏怖を覚えていた。
エントランスにシャンデリアが吊されていたり、通路に深紅の絨毯が敷かれていたりと、内観も外観の印象を裏切ることなく高級感のある装いで統一されていた。エレベーター内の滞在時間がやけに長く、部屋に辿り着くまで想像以上に時間がかかった。
部屋を訪れると、まずはその広さに圧倒された。調度品から察するに手前がリビングでその奥が寝室のようだが、そのどちらもタワーマンションの一室くらいのスペースがあるように見受けられた。それがふたつシームレスに隣接しているものだから、見た目の開放感はかなりのものだった。
もちろんインテリアや調度品も立派なものだった。広々としたリビングには大理石製のダイニングテーブルや革張りのソファが配置されており、壁際には巨大なテレビモニターが備え付けられていた。奥の寝室にはクイーンサイズはあろうかと思われる2床のベッドが並べられていて、リビングの隣にはどうしてこんなに広くする必要があるのだろうかと首を傾げたくなるほどの大浴室も完備されていた。
思わずテンションが爆上がりして、少しの間は緊張していたことも忘れて無邪気にルームツアーを楽しんだ。窓から望める夜の街並みも大いに心動かされる代物だった。ひとしきりはしゃいだところで、同伴の彼に導かれる形でソファに腰を下ろした。
ダイニングテーブルにはカクテルやウォッカなど、色とりどりのお酒が並んでいた。訊くと自分がルームツアーを敢行している間に、冷蔵庫の中に入っていたお酒を片っ端から取り出して並べたのだという。
そのうちのいちばん甘そうなパッケージのお酒をチョイスしてカクテルグラスに注いだ。ペロリと舌で舐めると、甘さよりアルコールの風味の方が強く感じられ、眉間に力がこもった。だが、これでいいのだと思って飲み進めた。ルームツアーで発散された緊張がここに来て復活していた。それが中和される程度に酔ってしまいたかった。
隣の彼は名称不定の琥珀色のお酒をサイダーで薄めてちびちびと呷っていた。歪んだ横顔からあまり味を楽しんでいる雰囲気は感じられない。見覚えのある顔だなと思った。眺めているとふと、初めて出会ったあの夜、缶コーヒーを傾けていた時の渋面と重なった。
彼は時折不可解な行動をする。空席だらけの電車の中でひたすら仁王立ちしていた先輩のように。男とはそういう生き物なのか、はたまた彼らが特殊な生き物なのか。甚だ謎だ。しかしどうやらそのような意味不明な行動に惹き付けられてしまう性向が私には備わっているらしい。心を奪われてしまう前に、私は彼の横顔から目を逸らした。
グラスを2、3杯ほど空にしたところで、ようやく頭の中にほわほわとした浮遊感が到来してきた。久しぶりに味わう感覚だ。酔いは自覚していたが、しかし緊張は染みついたままだった。これから身に起こることを想像すると、とてもじゃないが楽観的な態度で居直ることはできなかった。
「緊張してる?」
こちらの心を見透かしたようにタクミさんが声をかけてきた。それから、男にしては肉付きの薄いてのひらを私の肩に回してきた。
その瞬間、びくりと肩が跳ね上がった。私は俯いて、こくりと頷いた。極度の緊張のせいで声が出せなかった。
「今ならまだ引き返せるよ」
タクミさんの甘いひと言が私の意思を揺るがす。
帰りたい――そう願っている自分がいることに気がつく。そんな弱い意思を振り払うように、グラスに残っていたお酒をひと息に飲み干した。酩酊してでも退路を断ち切らなければ、と思ったのだ。
タクミさんの嘆息の音が聞こえた。
「先にシャワー浴びる?」
はい、と返事して腰を上げた瞬間、立ちくらみを覚えて足元がふらついた。大丈夫か、と声をかけてくるタクミさんを手で制し、浴室の方に足を向けた。
脱衣所で衣服を脱ぐと、洗面台のミラーに全身を赤々と火照らせた自身の姿が映っていた。額には小汗が滲んでいて、てらてらと光沢を帯びている。身体の中央にぶらさがっている乳房を下から抱えるように持ち上げてみる。これが世にいる男の劣情を誘うのだと思うと怖気が走り、揉み千切ってしまいたい衝動に駆られる。指を伸ばして乳首をこりこりと弄ってみる。快感も何もない。ここを触られて気持ちよさそうに喘いでいる世の女共はみんな嘘つきではないかと疑問に思う。
不の感情が渦巻き始めたので、思考を中断してバスルームに移った。いつもの習慣で頭からシャワーを浴びたが、そういえばここでは頭を洗う必要は無いのだったなと途中で気がついた。だけどなんとなくシャワーに打たれたい気分だったので、そのまま熱湯を浴び続けた。
時間稼ぎも兼ねて身体の隅々まで洗った。脱衣所で備え付けのガウンを身に纏い、ドライヤーで髪を乾かしてからリビングに戻った。
タクミさんは何か言いたげな顔で私の方を見ていたが、結局何も言うことなく、私と入れ替わる形で浴室へと消えていった。
ベッドの淵に腰を下ろし、タクミさんが戻ってくるのを待つ。バクバクと心臓が早鐘を打っていて、脳幹が揺れ動くのを感じた。それがアルコールのせいなのか緊張のせいなのかは分からない。
タクミさんと身体を重ねるために会うのは今回が初めてじゃない。今回で通算3度目になる。1度目も2度目も場所はタクミさんの家だった。ただし、いずれも本番にまでは至っていない。結合するよりも前の段階で私があまりに恐れ慄くものだから気持ちが盛り上がらず、前戯すらままならない状態でお開きと相成ったのだった。
幼少期のトラウマのせいでもあるが、何より初体験が最悪すぎたのが原因だった。ひとたび彼の手が身体に触れると、死をも覚悟したあの夜の恐怖が蘇り、忽ち震えが止まらなくなるのだった。本能が拒絶反応を示しているのだろう、行為の最中に蕁麻疹が発症したこともあった。
原因は彼にあっても、さすがに罪悪感が首をもたげていた。時間を奪っているばかりか、いつも中途半端なところで終わりにして、少なからず落胆させてしまっているに違いない。
だけどタクミさんからはそのことについて一度も文句を言われたことがなかった。焦らなくても大丈夫。次、頑張ろう――事が上手く運ばず悲嘆に暮れている私に対し、毎回そんな優しい言葉をかけてくれるのだった。私の初体験を無理やり強奪したことを気に病んでの言動だろうが、その心遣いは素直にありがたかった。
環境を変えてみると上手くいくんじゃないか、と提案してきたのもタクミさんだった。彼の部屋はどうしたって過去の苦い記憶と結びついてしまうから。そんなわけで今回は心機一転、ラブホテルに足を運んでみたのだが……なんとなく今回もだめじゃないかという予感がしていた。
回を重ねるごとに確実に羞恥心は減退しているが、それに反比例して恐怖心は増幅する一方だった。
自分はいつまでもまともなセックスをすることはできないんじゃないかという恐怖。そのうちタクミさんが痺れを切らして怒りだしてしまうのではないかという恐怖。このただれた関係がいずれ白昼のもとに晒されて手痛い目に遭うのではないかという恐怖。様々な形の恐怖が日に日に現実感をもって胸に迫り、私を臆病にしていた。
ぼんやり物思いに耽っていると、隣に人の気配を感じた。見ると、バスタオルを腰に巻いただけのタクミさんが座っていた。私の顔を気遣わしげな眼差しで覗いている。彼が部屋に戻ってきたことに今まで気がつかなかった自分自身に驚く。
身体には触れず、本当にいいんだな、と目顔で確認してくるタクミさん。
私は躊躇いを振り払って首を縦に振った。すると優しくベッドに押し倒され、私の上にタクミさんが覆い被さった。顔を側めると照明に照らされた淡いふたつの影が壁に伸び、今にもひとつに重なろうとしていた。
おもむろに顔が接近してくる。私はその向こう側にある小さな電球を見つめていた。
――ああ、私は今から、望んで男の人に犯されるのだ。
そう思うと胸に虚無感が広がった。でもこの感情の去来は予期していたものだった。自分を変えるために甘んじて受け入れようと決めたものだった。
唇が重なった。数秒後に離れ、視線が至近距離で交錯する。しばらく見つめ合ってまた口づけを交わした。今度は舌が口内に入り込んできた。私はぎゅっと目を瞑って、それを受け入れた。完全になすがままの状態だった。
恐怖が全神経に隈無く行き渡っていた。頭の中で警報の音がけたたましく鳴り響き、私に危険を報せてくる。怖い。タクミさんを受け入れるのが。それを乗り越えた先に待っている薔薇色の感情が。恐怖が快楽に変わってしまう瞬間が何より悍ましくて堪らない。
つかの間舌を絡ませ合った後、タクミさんの顔がまた遠ざかっていった。
覆い被さったまま、優しい微笑みと一緒に頭を撫でられる。指で目尻の涙を拭かれ、初めて自分が涙していることに気がついた。
「怖くないよ。これはみんなやってることなんだから」
頭を撫でられながら、そんな言葉を囁かれた。
煙草と香水の入り混じったような匂いが鼻孔をくすぐる。タクミさんの匂いだとわかると、少しだけ肩の力が抜けた。
身に付けていたガウンを弱い力で剥がされる。生身の肌が露わになり、私はさっと胸元を手で隠した。その手を優しい力で引き剥がされ、乳房が照明の光の中にまろびでる。
タクミさんは双つの乳房を下から持ち上げるように触った。初めて肉体を交えた時の荒々しい所作はなりを潜め、まるで子供の背中をさする時みたいに紳士的な手付きだった。先端の突起には触れずに周辺を優しくなぞられる。胸の奥にこしょばゆい感覚がよぎって、思わず背中が仰け反る。
タクミさんの真剣な瞳が私の胸を凝視していた。
その時、私の中で名前の知らない感情が萌芽の兆しを見せつつあることを自覚した。そうした不思議な感情と恐怖の狭間で揺れながら、無言でタクミさんの動向を覗いていた。
やがて先端の突起にタクミさんの指が触れた。その瞬間、全身に電流が走ったかのような錯覚が走り、つい口から声が出た。親指と人差し指で優しくつねられ、そのままこりこりと捻じくられる。恐怖とは違う、奇妙な感覚が私の中に侵入してくる。
タクミさんが胸に顔を近づけてくる。そのまま舌を伸ばし、乳首に触れる。
また、声が漏れる。
すっぽりと乳房に口が収まり、ちゅうちゅうと赤ん坊のように吸いついてくる。少しばかり強い力が加わると、その分大きな声が私の口から放たれた。
「大丈夫? まだ続けられそう?」
タクミさんがまた気遣わしげな目をして尋ねてくる。
返事をする余裕がなく、目顔だけで続けてくれと応じた。
それを合図にタクミさんの顔がまた接近してきた。唇を塞がれ、舌が侵入してくる。今度は私も勇気をもって自分の舌を動かしてみた。くちゅくちゅと粘着性のある音が耳元で響く。
タクミさんの熱を帯びた顔が離れた。
私も少しだけ息が上がっていた。思いのほか夢中になっていたらしく、長いことディープキスを交わしていた。
さっきより緊張や恐怖が薄れていることに気がつく。だけど胸の高鳴りは収まらない。
タクミさんの湿っぽい瞳が私の下半身を捉えた。股の下に彼の手が添えられる。陰毛を弄ばれ、忘れていた羞恥が込み上げてくる。その後、彼の指先が股下の割れ目に到達した。ゆっくりと割れ目をなぞられ、指先が侵入してきた瞬間、あっ、と甲高い声が飛び出た。
タクミさんの口元がにやりと歪んだ。
ぴちゃぴちゃと股下で音が鳴った。
「濡れてるよ。感じてるんだね」
感じてる、と言われたが、実感が湧かなかった。もしかして、今私の中で芽生えつつある名前の知らない感情の正体が〝快感〟なのか?
しかし今はそれよりもまだ恐怖のほうが勝っていた。
指で膣の中をまさぐられているうちに名状しがたい感情は増していくが、それに呼応して恐怖心も増大していく。
自分の中の獣が刻一刻と目覚めつつある気配をすぐそばに感じていた。
ぴちゃぴちゃぴちゃ、と淫らな音が室内に響く。不意に彼の指が離れると、もどかしい感覚だけが置き去りになった。
タクミさんはバスタオルを解いて、屹立したいちもつを露わにした。
その禍々しさに私は息を呑んで目を逸らした。
タクミさんは照明台の引き出しに手を伸ばして、中からコンドームの袋を取り出した。慣れた手付きで袋を破り、中のものを自身の性器に装着する。
そしてタクミさんは目配せしてきた。本当にいいんだな、と確認しているようだった。
だめだと答えるつもりはなかったが、ここでだめだと答えても引き下がってくれるとは思えなかった。私からの応答を待つことなく、タクミさんは私の両膝に手をかけてY字に押し広げた。
勃起した性器の先端を私の股下の割れ目にあてがってくる。
ゆっくりと挿入されるそれを私は目を瞑って受け入れた。異物が自分の中に入ってくる感覚はやはり奇妙だった。膣を強引に押し広げられるのは一種の暴力みたいで抵抗が無いわけではない。だけど異物同士が自然と一体化していく様はどこか神秘的な感じがして陶酔感めいたものを湧き立たせる。無機物を取り込むのとは訳が違う。きっとこれがプラスチックの棒なんかだと、もっと不快な気持ちになるのだろう。
その後、時間をかけてタクミさんのペニスがすっぽりと私のお腹の中に収まった。ゴム1枚隔てて彼の温もりがじんわりと伝わってくる。
形が馴染んだ頃になって、おもむろに彼の腰が前後に動き出した。膣襞が彼のものと擦れるたび、脳裏に歯がゆい感覚が駆け巡った。私は声が出そうになるのを抑えて、全身に力をこめた。
最初は浅瀬の部分をほじくられていたが、徐々に奥の方を責められるようになり、思わず歯を食い縛る。私の中で、何か良くないものが顔を覗かせる気配を察知した。
「カナちゃん。自分に正直になれよ」
腰を振り付けながらタクミさんが言った。私は薄目を開けて彼の顔を見返した。下半身はギンギンになっているくせに、いたって冷静な顔をしていた。
「快感を覚えることに恐怖することなんてない。それは人間の本能なんだ。生きとし生けるものに与えられた権利なんだ。それをみすみす放棄するなんてもったいないと思わないか?」
ゆっくりだったピストン運動が徐々に速度を増していく。
堪えきれず口が半開きになり、あっ、あっ、と小さな嬌声が漏れ出る。頭の中が霧がかっているようで、不意に自分が現実を生きているのか夢の中を彷徨っているのか分からなくなる。
「セックスは子供を作るための神聖な行為だとか、愛がなきゃ無意味だとか、そういう洒落臭い世迷い言は忘れちまいな。腹が減ったからめしを食う。眠たくなったから寝る。それと同じだ。理由は単純でいい。俺たち、男と女は、ただ気持ちよくなりたいから、セックスをする。それは誰にも咎められることじゃない」
ペニスが根元まで突き刺さる。子宮口のへしゃげる感覚に体の芯が震えた。
ここにきて私の口から一番大きな嬌声が上がった。そして、ひと筋の涙が顔を伝った。
――嗚呼、これが〝快感〟か。
もはや認めざるをえなかった。
膣の中をぐしゃぐしゃにされたいと思う。もっと奥をついてほしいと願ってしまう。
私の心の中を見透かしたように、タクミさんはさらに腰の動きを激しくさせる。
あっ、あっ、あっ。私の口から私でない何者かの声が放たれる。意識が段々と獣に乗っ取られていく。
膣奥をつかれながら、胸を少しばかり強い力で揉みしだかれ、こりこりと乳首をつままれる。快感のパルスが絶えず脳内を駆け抜ける。
タクミさん、と私が呼びかけると、彼の身体が再び覆い被さってきた。唇を合わせて舌を絡ませ合う。唾液を入れられて、されるがままにそれを啜り呑む。いつしか私も彼の唾液を求めて舌を伸ばしていた。
脳内に快感の嵐が吹き荒れる中、過去に見たお母さんと見知らぬ男の情事が蘇っていた。獣のようにお互いの肉体を求め合うふたりの姿と今の自分たちの姿が重なったように感じた。
止め処なく涙が零れる。獣になりつつある自分に絶望したからではない。お母さんのことを影で責めていた自分の幼稚さが浮き彫りになり、不意に情けなくなったからだ。女手ひとつで自分を育てるのに幾多の苦労と我慢を重ねていたに違いない。時にこうして快楽を貪り、現実を忘れられるような時間がお母さんには必要だったのだ。母親である前にひとりの人間であるのだから。ひとりの女なのだから。
キスをしながら、タクミさんの身体にしがみつく。下半身にも力をこめて、離さないで、と全身で訴える。
抱き合い、上も下も繋がったまま、私は恍惚と涙を流し続けた。もう快感を隠すことはしなかった。そんな余裕もなかった。ただただタクミさんの熱を感じながら、腰を振り合うことに集中した。
やがて膣の中に熱いものを感じた。タクミさんの腰の動きが止まった。
汗ばんだ身体が離れ、ペニスが引き抜かれる。ゴムの中に白い液体が詰まっていた。それを認めて、私は静かな悦びを覚えていた。私が彼を気持ちよくさせたのだという密かな優越感に違いなかった。
上体を起こすと、タクミさんはゴムを外す手間さえも惜しいのか、そのまま私に抱きついてきた。背中が上下に弾んでいる。私も同様の有様だった。
しばらく抱擁し合ったのちに、また唇を重ねた。そして気づいたときには自然な流れで繋がっていた。
獣のように声を荒げ、快楽の嵐のただ中にいるあいだは片時も忘れることのなかった先輩の顔がすっかり忘却の彼方にあった。
その後も1週間に1度の頻度でタクミさんと逢瀬を重ねた。
前のようにホテルで会うことは金銭的な事情から稀であり、基本的には彼の部屋に上がり込んで盛り合った。
私はタクミさんに色々なことを教えてもらった。
正常位以外にも後背位や騎乗位や立ちバックなど、ありとあらゆる体位を体にたたき込まれた。喘ぎ声の出し方や、女の方からの誘い方までレクチャーされた。
口唇奉仕のやり方も事細かに指導され、どこをどのように刺激すれば気持ちよくなるのかを学習した。しばらく経つ頃にはタクミさんの弱点を網羅するようになっていた。
獣になることへの恐怖はすっかり消え失せ、それ以上にセックスで得られる快楽を失うことのほうが恐怖になっていた。
久しぶりにヨシノと会った時、雰囲気が変わったと言われた。前よりもサバサバ感が増して、少しガサツな性格になったという。その自覚はあり、前より明らかに他人に対する興味が減退していた。
その頃には学校への復学も叶い、僅かばかりだが話ができる相手もできていた。バイトのシフトの数を減らし、勉強に身を入れた。大学受験を志すことにしたのだ。
見ようによってはただれた生活がおよそ半年ほど続いた。
その生活にピリオドが打たれたのは、大学に上がる直前の春休みだった。
タクミさんに呼び出されたので行ってみると、驚くことに、彼の顔面がタコのように赤く腫れ上がっていた。なんでも自分たちの関係が恋人にばれて、ボコボコにされたのだという。これ以上関係を続けていたら、カナちゃんにも危害が加わるかもしれないーーそういって別れを告げられた。
その夜、私はベッドの中で人知れず涙を流した。何度も身体を重ねるうちに、それなりに愛着が育まれていたらしい。怖れていたことが現実になっていたのだとその時初めて知った。これが人生で2度目の失恋体験だった。
それきりタクミさんとは会っていない。別れは悲しかったが、もう二度と会いたいとも思わなかった。私の中で彼はもう過去の人間であり、十分役割は果たしたと割り切れていた。
愛情に代わるものを見つけましょう、とヨシノに言われたことを思い出す。
果たして自分はそれを見つけられただろうか?
ヨシノのような強い人間になれただろうか?
その答えは分からない。それはこれから答えの出ることだ。
確かなのは以前よりも潔癖ではなく、自分の弱さを許せるようになったことだ。
身体が軽く、呼吸も格段に容易くなった。だけど、先輩に会いに行く勇気だけはいまひとつ持てないまま、月日が流れた。運命の再会を果たしたのはその1年後だった。
平日の中日だというのに夜の繁華街は多くの人で賑わい、喧噪的な空気に包まれていた。通行人の大半は帰宅中と思しきサラリーマンやOLといった趣だが、中にはアルコールが入って陽気になっている若者から中年の軍勢も散見される。
いつもと変わらない光景だ。しかし、明らかに違う点もある。普段ならこうして繁華街を歩いていると何組かのナンパ目的の連中に呼び止められるのが常なのだが、今日は誰一人としてそれらしき声をかけてくる者は現れなかった。その理由も判然としていて、隣に男の姿があるからだろう。ただそれだけのことでこうも夜道を歩くのが快適なのかと思い知る。
繁華街の中心部を通り過ぎると、やや人通りの落ち着いた小道に出た。この辺まで来ると、なんとなく見かける人種が変化した感じがする。ざっと見て男女のペアが多い印象だ。女性の方は水商売の匂いが漂っているのがほとんどで、男性の方は一見して年齢層にばらつきがあるものの総じて金回りの良さそうな外見をしているという共通点があった。
程なくしてリゾートホテルのような外観の高層ビルの前で足を止めた。入口に看板が立てかけられていて、そこに大きく『ROUSHIA』と銘打ってある。ルシアと読むのだろうか? 看板の下の方には料金表が事細かに掲載されている。
隣の彼に付き従って建物の中に足を踏み入れた。
無人の受付で手続きを済ませてカードキーを受け取る。カードの表面には『2019号室』と部屋番号が刻印されていた。20階ともなれば部屋から見渡せる夜景もさぞ壮観に違いなかったが、そんなことに胸を躍らせるだけの余裕が今の自分には欠如していた。それよりも収容している部屋数の多さにぞっとするほどの畏怖を覚えていた。
エントランスにシャンデリアが吊されていたり、通路に深紅の絨毯が敷かれていたりと、内観も外観の印象を裏切ることなく高級感のある装いで統一されていた。エレベーター内の滞在時間がやけに長く、部屋に辿り着くまで想像以上に時間がかかった。
部屋を訪れると、まずはその広さに圧倒された。調度品から察するに手前がリビングでその奥が寝室のようだが、そのどちらもタワーマンションの一室くらいのスペースがあるように見受けられた。それがふたつシームレスに隣接しているものだから、見た目の開放感はかなりのものだった。
もちろんインテリアや調度品も立派なものだった。広々としたリビングには大理石製のダイニングテーブルや革張りのソファが配置されており、壁際には巨大なテレビモニターが備え付けられていた。奥の寝室にはクイーンサイズはあろうかと思われる2床のベッドが並べられていて、リビングの隣にはどうしてこんなに広くする必要があるのだろうかと首を傾げたくなるほどの大浴室も完備されていた。
思わずテンションが爆上がりして、少しの間は緊張していたことも忘れて無邪気にルームツアーを楽しんだ。窓から望める夜の街並みも大いに心動かされる代物だった。ひとしきりはしゃいだところで、同伴の彼に導かれる形でソファに腰を下ろした。
ダイニングテーブルにはカクテルやウォッカなど、色とりどりのお酒が並んでいた。訊くと自分がルームツアーを敢行している間に、冷蔵庫の中に入っていたお酒を片っ端から取り出して並べたのだという。
そのうちのいちばん甘そうなパッケージのお酒をチョイスしてカクテルグラスに注いだ。ペロリと舌で舐めると、甘さよりアルコールの風味の方が強く感じられ、眉間に力がこもった。だが、これでいいのだと思って飲み進めた。ルームツアーで発散された緊張がここに来て復活していた。それが中和される程度に酔ってしまいたかった。
隣の彼は名称不定の琥珀色のお酒をサイダーで薄めてちびちびと呷っていた。歪んだ横顔からあまり味を楽しんでいる雰囲気は感じられない。見覚えのある顔だなと思った。眺めているとふと、初めて出会ったあの夜、缶コーヒーを傾けていた時の渋面と重なった。
彼は時折不可解な行動をする。空席だらけの電車の中でひたすら仁王立ちしていた先輩のように。男とはそういう生き物なのか、はたまた彼らが特殊な生き物なのか。甚だ謎だ。しかしどうやらそのような意味不明な行動に惹き付けられてしまう性向が私には備わっているらしい。心を奪われてしまう前に、私は彼の横顔から目を逸らした。
グラスを2、3杯ほど空にしたところで、ようやく頭の中にほわほわとした浮遊感が到来してきた。久しぶりに味わう感覚だ。酔いは自覚していたが、しかし緊張は染みついたままだった。これから身に起こることを想像すると、とてもじゃないが楽観的な態度で居直ることはできなかった。
「緊張してる?」
こちらの心を見透かしたようにタクミさんが声をかけてきた。それから、男にしては肉付きの薄いてのひらを私の肩に回してきた。
その瞬間、びくりと肩が跳ね上がった。私は俯いて、こくりと頷いた。極度の緊張のせいで声が出せなかった。
「今ならまだ引き返せるよ」
タクミさんの甘いひと言が私の意思を揺るがす。
帰りたい――そう願っている自分がいることに気がつく。そんな弱い意思を振り払うように、グラスに残っていたお酒をひと息に飲み干した。酩酊してでも退路を断ち切らなければ、と思ったのだ。
タクミさんの嘆息の音が聞こえた。
「先にシャワー浴びる?」
はい、と返事して腰を上げた瞬間、立ちくらみを覚えて足元がふらついた。大丈夫か、と声をかけてくるタクミさんを手で制し、浴室の方に足を向けた。
脱衣所で衣服を脱ぐと、洗面台のミラーに全身を赤々と火照らせた自身の姿が映っていた。額には小汗が滲んでいて、てらてらと光沢を帯びている。身体の中央にぶらさがっている乳房を下から抱えるように持ち上げてみる。これが世にいる男の劣情を誘うのだと思うと怖気が走り、揉み千切ってしまいたい衝動に駆られる。指を伸ばして乳首をこりこりと弄ってみる。快感も何もない。ここを触られて気持ちよさそうに喘いでいる世の女共はみんな嘘つきではないかと疑問に思う。
不の感情が渦巻き始めたので、思考を中断してバスルームに移った。いつもの習慣で頭からシャワーを浴びたが、そういえばここでは頭を洗う必要は無いのだったなと途中で気がついた。だけどなんとなくシャワーに打たれたい気分だったので、そのまま熱湯を浴び続けた。
時間稼ぎも兼ねて身体の隅々まで洗った。脱衣所で備え付けのガウンを身に纏い、ドライヤーで髪を乾かしてからリビングに戻った。
タクミさんは何か言いたげな顔で私の方を見ていたが、結局何も言うことなく、私と入れ替わる形で浴室へと消えていった。
ベッドの淵に腰を下ろし、タクミさんが戻ってくるのを待つ。バクバクと心臓が早鐘を打っていて、脳幹が揺れ動くのを感じた。それがアルコールのせいなのか緊張のせいなのかは分からない。
タクミさんと身体を重ねるために会うのは今回が初めてじゃない。今回で通算3度目になる。1度目も2度目も場所はタクミさんの家だった。ただし、いずれも本番にまでは至っていない。結合するよりも前の段階で私があまりに恐れ慄くものだから気持ちが盛り上がらず、前戯すらままならない状態でお開きと相成ったのだった。
幼少期のトラウマのせいでもあるが、何より初体験が最悪すぎたのが原因だった。ひとたび彼の手が身体に触れると、死をも覚悟したあの夜の恐怖が蘇り、忽ち震えが止まらなくなるのだった。本能が拒絶反応を示しているのだろう、行為の最中に蕁麻疹が発症したこともあった。
原因は彼にあっても、さすがに罪悪感が首をもたげていた。時間を奪っているばかりか、いつも中途半端なところで終わりにして、少なからず落胆させてしまっているに違いない。
だけどタクミさんからはそのことについて一度も文句を言われたことがなかった。焦らなくても大丈夫。次、頑張ろう――事が上手く運ばず悲嘆に暮れている私に対し、毎回そんな優しい言葉をかけてくれるのだった。私の初体験を無理やり強奪したことを気に病んでの言動だろうが、その心遣いは素直にありがたかった。
環境を変えてみると上手くいくんじゃないか、と提案してきたのもタクミさんだった。彼の部屋はどうしたって過去の苦い記憶と結びついてしまうから。そんなわけで今回は心機一転、ラブホテルに足を運んでみたのだが……なんとなく今回もだめじゃないかという予感がしていた。
回を重ねるごとに確実に羞恥心は減退しているが、それに反比例して恐怖心は増幅する一方だった。
自分はいつまでもまともなセックスをすることはできないんじゃないかという恐怖。そのうちタクミさんが痺れを切らして怒りだしてしまうのではないかという恐怖。このただれた関係がいずれ白昼のもとに晒されて手痛い目に遭うのではないかという恐怖。様々な形の恐怖が日に日に現実感をもって胸に迫り、私を臆病にしていた。
ぼんやり物思いに耽っていると、隣に人の気配を感じた。見ると、バスタオルを腰に巻いただけのタクミさんが座っていた。私の顔を気遣わしげな眼差しで覗いている。彼が部屋に戻ってきたことに今まで気がつかなかった自分自身に驚く。
身体には触れず、本当にいいんだな、と目顔で確認してくるタクミさん。
私は躊躇いを振り払って首を縦に振った。すると優しくベッドに押し倒され、私の上にタクミさんが覆い被さった。顔を側めると照明に照らされた淡いふたつの影が壁に伸び、今にもひとつに重なろうとしていた。
おもむろに顔が接近してくる。私はその向こう側にある小さな電球を見つめていた。
――ああ、私は今から、望んで男の人に犯されるのだ。
そう思うと胸に虚無感が広がった。でもこの感情の去来は予期していたものだった。自分を変えるために甘んじて受け入れようと決めたものだった。
唇が重なった。数秒後に離れ、視線が至近距離で交錯する。しばらく見つめ合ってまた口づけを交わした。今度は舌が口内に入り込んできた。私はぎゅっと目を瞑って、それを受け入れた。完全になすがままの状態だった。
恐怖が全神経に隈無く行き渡っていた。頭の中で警報の音がけたたましく鳴り響き、私に危険を報せてくる。怖い。タクミさんを受け入れるのが。それを乗り越えた先に待っている薔薇色の感情が。恐怖が快楽に変わってしまう瞬間が何より悍ましくて堪らない。
つかの間舌を絡ませ合った後、タクミさんの顔がまた遠ざかっていった。
覆い被さったまま、優しい微笑みと一緒に頭を撫でられる。指で目尻の涙を拭かれ、初めて自分が涙していることに気がついた。
「怖くないよ。これはみんなやってることなんだから」
頭を撫でられながら、そんな言葉を囁かれた。
煙草と香水の入り混じったような匂いが鼻孔をくすぐる。タクミさんの匂いだとわかると、少しだけ肩の力が抜けた。
身に付けていたガウンを弱い力で剥がされる。生身の肌が露わになり、私はさっと胸元を手で隠した。その手を優しい力で引き剥がされ、乳房が照明の光の中にまろびでる。
タクミさんは双つの乳房を下から持ち上げるように触った。初めて肉体を交えた時の荒々しい所作はなりを潜め、まるで子供の背中をさする時みたいに紳士的な手付きだった。先端の突起には触れずに周辺を優しくなぞられる。胸の奥にこしょばゆい感覚がよぎって、思わず背中が仰け反る。
タクミさんの真剣な瞳が私の胸を凝視していた。
その時、私の中で名前の知らない感情が萌芽の兆しを見せつつあることを自覚した。そうした不思議な感情と恐怖の狭間で揺れながら、無言でタクミさんの動向を覗いていた。
やがて先端の突起にタクミさんの指が触れた。その瞬間、全身に電流が走ったかのような錯覚が走り、つい口から声が出た。親指と人差し指で優しくつねられ、そのままこりこりと捻じくられる。恐怖とは違う、奇妙な感覚が私の中に侵入してくる。
タクミさんが胸に顔を近づけてくる。そのまま舌を伸ばし、乳首に触れる。
また、声が漏れる。
すっぽりと乳房に口が収まり、ちゅうちゅうと赤ん坊のように吸いついてくる。少しばかり強い力が加わると、その分大きな声が私の口から放たれた。
「大丈夫? まだ続けられそう?」
タクミさんがまた気遣わしげな目をして尋ねてくる。
返事をする余裕がなく、目顔だけで続けてくれと応じた。
それを合図にタクミさんの顔がまた接近してきた。唇を塞がれ、舌が侵入してくる。今度は私も勇気をもって自分の舌を動かしてみた。くちゅくちゅと粘着性のある音が耳元で響く。
タクミさんの熱を帯びた顔が離れた。
私も少しだけ息が上がっていた。思いのほか夢中になっていたらしく、長いことディープキスを交わしていた。
さっきより緊張や恐怖が薄れていることに気がつく。だけど胸の高鳴りは収まらない。
タクミさんの湿っぽい瞳が私の下半身を捉えた。股の下に彼の手が添えられる。陰毛を弄ばれ、忘れていた羞恥が込み上げてくる。その後、彼の指先が股下の割れ目に到達した。ゆっくりと割れ目をなぞられ、指先が侵入してきた瞬間、あっ、と甲高い声が飛び出た。
タクミさんの口元がにやりと歪んだ。
ぴちゃぴちゃと股下で音が鳴った。
「濡れてるよ。感じてるんだね」
感じてる、と言われたが、実感が湧かなかった。もしかして、今私の中で芽生えつつある名前の知らない感情の正体が〝快感〟なのか?
しかし今はそれよりもまだ恐怖のほうが勝っていた。
指で膣の中をまさぐられているうちに名状しがたい感情は増していくが、それに呼応して恐怖心も増大していく。
自分の中の獣が刻一刻と目覚めつつある気配をすぐそばに感じていた。
ぴちゃぴちゃぴちゃ、と淫らな音が室内に響く。不意に彼の指が離れると、もどかしい感覚だけが置き去りになった。
タクミさんはバスタオルを解いて、屹立したいちもつを露わにした。
その禍々しさに私は息を呑んで目を逸らした。
タクミさんは照明台の引き出しに手を伸ばして、中からコンドームの袋を取り出した。慣れた手付きで袋を破り、中のものを自身の性器に装着する。
そしてタクミさんは目配せしてきた。本当にいいんだな、と確認しているようだった。
だめだと答えるつもりはなかったが、ここでだめだと答えても引き下がってくれるとは思えなかった。私からの応答を待つことなく、タクミさんは私の両膝に手をかけてY字に押し広げた。
勃起した性器の先端を私の股下の割れ目にあてがってくる。
ゆっくりと挿入されるそれを私は目を瞑って受け入れた。異物が自分の中に入ってくる感覚はやはり奇妙だった。膣を強引に押し広げられるのは一種の暴力みたいで抵抗が無いわけではない。だけど異物同士が自然と一体化していく様はどこか神秘的な感じがして陶酔感めいたものを湧き立たせる。無機物を取り込むのとは訳が違う。きっとこれがプラスチックの棒なんかだと、もっと不快な気持ちになるのだろう。
その後、時間をかけてタクミさんのペニスがすっぽりと私のお腹の中に収まった。ゴム1枚隔てて彼の温もりがじんわりと伝わってくる。
形が馴染んだ頃になって、おもむろに彼の腰が前後に動き出した。膣襞が彼のものと擦れるたび、脳裏に歯がゆい感覚が駆け巡った。私は声が出そうになるのを抑えて、全身に力をこめた。
最初は浅瀬の部分をほじくられていたが、徐々に奥の方を責められるようになり、思わず歯を食い縛る。私の中で、何か良くないものが顔を覗かせる気配を察知した。
「カナちゃん。自分に正直になれよ」
腰を振り付けながらタクミさんが言った。私は薄目を開けて彼の顔を見返した。下半身はギンギンになっているくせに、いたって冷静な顔をしていた。
「快感を覚えることに恐怖することなんてない。それは人間の本能なんだ。生きとし生けるものに与えられた権利なんだ。それをみすみす放棄するなんてもったいないと思わないか?」
ゆっくりだったピストン運動が徐々に速度を増していく。
堪えきれず口が半開きになり、あっ、あっ、と小さな嬌声が漏れ出る。頭の中が霧がかっているようで、不意に自分が現実を生きているのか夢の中を彷徨っているのか分からなくなる。
「セックスは子供を作るための神聖な行為だとか、愛がなきゃ無意味だとか、そういう洒落臭い世迷い言は忘れちまいな。腹が減ったからめしを食う。眠たくなったから寝る。それと同じだ。理由は単純でいい。俺たち、男と女は、ただ気持ちよくなりたいから、セックスをする。それは誰にも咎められることじゃない」
ペニスが根元まで突き刺さる。子宮口のへしゃげる感覚に体の芯が震えた。
ここにきて私の口から一番大きな嬌声が上がった。そして、ひと筋の涙が顔を伝った。
――嗚呼、これが〝快感〟か。
もはや認めざるをえなかった。
膣の中をぐしゃぐしゃにされたいと思う。もっと奥をついてほしいと願ってしまう。
私の心の中を見透かしたように、タクミさんはさらに腰の動きを激しくさせる。
あっ、あっ、あっ。私の口から私でない何者かの声が放たれる。意識が段々と獣に乗っ取られていく。
膣奥をつかれながら、胸を少しばかり強い力で揉みしだかれ、こりこりと乳首をつままれる。快感のパルスが絶えず脳内を駆け抜ける。
タクミさん、と私が呼びかけると、彼の身体が再び覆い被さってきた。唇を合わせて舌を絡ませ合う。唾液を入れられて、されるがままにそれを啜り呑む。いつしか私も彼の唾液を求めて舌を伸ばしていた。
脳内に快感の嵐が吹き荒れる中、過去に見たお母さんと見知らぬ男の情事が蘇っていた。獣のようにお互いの肉体を求め合うふたりの姿と今の自分たちの姿が重なったように感じた。
止め処なく涙が零れる。獣になりつつある自分に絶望したからではない。お母さんのことを影で責めていた自分の幼稚さが浮き彫りになり、不意に情けなくなったからだ。女手ひとつで自分を育てるのに幾多の苦労と我慢を重ねていたに違いない。時にこうして快楽を貪り、現実を忘れられるような時間がお母さんには必要だったのだ。母親である前にひとりの人間であるのだから。ひとりの女なのだから。
キスをしながら、タクミさんの身体にしがみつく。下半身にも力をこめて、離さないで、と全身で訴える。
抱き合い、上も下も繋がったまま、私は恍惚と涙を流し続けた。もう快感を隠すことはしなかった。そんな余裕もなかった。ただただタクミさんの熱を感じながら、腰を振り合うことに集中した。
やがて膣の中に熱いものを感じた。タクミさんの腰の動きが止まった。
汗ばんだ身体が離れ、ペニスが引き抜かれる。ゴムの中に白い液体が詰まっていた。それを認めて、私は静かな悦びを覚えていた。私が彼を気持ちよくさせたのだという密かな優越感に違いなかった。
上体を起こすと、タクミさんはゴムを外す手間さえも惜しいのか、そのまま私に抱きついてきた。背中が上下に弾んでいる。私も同様の有様だった。
しばらく抱擁し合ったのちに、また唇を重ねた。そして気づいたときには自然な流れで繋がっていた。
獣のように声を荒げ、快楽の嵐のただ中にいるあいだは片時も忘れることのなかった先輩の顔がすっかり忘却の彼方にあった。
その後も1週間に1度の頻度でタクミさんと逢瀬を重ねた。
前のようにホテルで会うことは金銭的な事情から稀であり、基本的には彼の部屋に上がり込んで盛り合った。
私はタクミさんに色々なことを教えてもらった。
正常位以外にも後背位や騎乗位や立ちバックなど、ありとあらゆる体位を体にたたき込まれた。喘ぎ声の出し方や、女の方からの誘い方までレクチャーされた。
口唇奉仕のやり方も事細かに指導され、どこをどのように刺激すれば気持ちよくなるのかを学習した。しばらく経つ頃にはタクミさんの弱点を網羅するようになっていた。
獣になることへの恐怖はすっかり消え失せ、それ以上にセックスで得られる快楽を失うことのほうが恐怖になっていた。
久しぶりにヨシノと会った時、雰囲気が変わったと言われた。前よりもサバサバ感が増して、少しガサツな性格になったという。その自覚はあり、前より明らかに他人に対する興味が減退していた。
その頃には学校への復学も叶い、僅かばかりだが話ができる相手もできていた。バイトのシフトの数を減らし、勉強に身を入れた。大学受験を志すことにしたのだ。
見ようによってはただれた生活がおよそ半年ほど続いた。
その生活にピリオドが打たれたのは、大学に上がる直前の春休みだった。
タクミさんに呼び出されたので行ってみると、驚くことに、彼の顔面がタコのように赤く腫れ上がっていた。なんでも自分たちの関係が恋人にばれて、ボコボコにされたのだという。これ以上関係を続けていたら、カナちゃんにも危害が加わるかもしれないーーそういって別れを告げられた。
その夜、私はベッドの中で人知れず涙を流した。何度も身体を重ねるうちに、それなりに愛着が育まれていたらしい。怖れていたことが現実になっていたのだとその時初めて知った。これが人生で2度目の失恋体験だった。
それきりタクミさんとは会っていない。別れは悲しかったが、もう二度と会いたいとも思わなかった。私の中で彼はもう過去の人間であり、十分役割は果たしたと割り切れていた。
愛情に代わるものを見つけましょう、とヨシノに言われたことを思い出す。
果たして自分はそれを見つけられただろうか?
ヨシノのような強い人間になれただろうか?
その答えは分からない。それはこれから答えの出ることだ。
確かなのは以前よりも潔癖ではなく、自分の弱さを許せるようになったことだ。
身体が軽く、呼吸も格段に容易くなった。だけど、先輩に会いに行く勇気だけはいまひとつ持てないまま、月日が流れた。運命の再会を果たしたのはその1年後だった。
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