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第6章
リビドー・マッチ(3/7)
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浴室から戻ってくるなり、カナはむすっと顔を顰めた。テーブルの上に置かれたブラを一瞥して、またこちらに咎めるような視線を寄越してくる。
「使わなかったんですか?」
おう、と頷き、クールに微笑みかける。
「というか、変なことは何もしていない」
そう言うと、カナはすんと鼻を鳴らした。冷めた眼差しには呆れの色がありありと滲んでいる。
「やせ我慢しちゃって。清廉潔白を貫くことがカッコいいだなんてお思いのようでしたら、それは大間違いですからね」
「なに怒ってんだよ」
「怒ってるのではなく、心配してるんですってば。発散できる時に発散しておかないと、いずれ気が保たなくなりますよ。無駄に理性を酷使したところで得られるものなど何もありません。ただ神経が磨り減っていくだけです。先輩はやや視野狭窄のきらいがあると思います。もっと先のことも見据えて行動すべきです」
「……なんだよそれ。俺が何も考えてないっていうのか」
さすがにカチンときて感情的な口調で言い返すと、一瞬カナの顔が硬直した。だが、また毅然とした顔つきに戻って噛みつくような勢いで反論してきた。
「少なくとも今回ばかりはそうとしか思えません。何日も軟禁生活を強いられてるせいでストレスは溜まりに溜まっているはずです。こんな時に禁欲なんかして余計にストレスを増幅させてどうするんです?」
「うるさいな。こっちにはこっちの事情があるんだ。この部屋で俺がどんな風に過ごそうが、お前にとやかく言われる筋合いはない」
ぴしゃりと突っぱねると、それが余計に彼女の神経を逆撫でしたらしい。カナは、バッカじゃないの、と吐き捨てて眉尻をつり上げた。
「いい大人が、見栄を張るのも大概にしたらどうですか? どれだけ大層な理由があるのかは知りませんが、四六時中イライラしている人間に隣にいられるのは、はっきり言って不愉快です。今私たちが陥っている状況がいかに危機的なものか理解されていますか? いつまでこんな気詰まりな生活が続くのかわからない以上、最低限ストレスを回避する努力は怠るべきではないでしょう」
ああ、やばいな。そう思った時にはすでに席を立っていた。
沸々と煮えたぎる感情を咄嗟に制御することができず、無言でカナに詰め寄る。
そうすると忽ちカナの表情は強張った。数歩下がって距離を置こうとするが、すぐさま壁際に到達して狼狽を露わにする。
頭ひとつ分小さい彼女の正面に立ち、至近距離でその顔を見下ろす。小刻みに震える睫毛とハの字にひん曲がった眉から、彼女の内心が恐怖に支配されていることは訊かずとも知れた。
俺は息を吸い込んで口を開く。だが果たして、言葉は何も出てこなかった。
――お前が俺とのセックスを拒むから、いつまでもこの部屋から出られないんだろうが!
浮かんだ台詞はそのようなものだった。
咄嗟に発言を思い留まったのは、彼女の瞳に強固な意思がみなぎっているように感じたからだ。
自分は決して間違ったことは言っていない。どうして理解してくれないんだ。彼女のやや膜を張った瞳からは、そのような強い自信と苦悩の跡が見て取れた。
俺はふっと拳の力を緩めて、天井を仰いだ。その拍子に口から吐息がこぼれる。
「悪い。どうかしてた」
俺は踵を返して、ベッドの端に腰を下ろす。
どうにかギリギリのラインでブレーキを踏むことができて、内心ほっとしていた。
カナがセックスを拒む理由は、俺の禊ぎが済んでいないからだ。自分の方に問題があるとわかっていながら、それを棚上げして怒りをぶつけるのは八つ当たり以外の何物でもない。危うく取り返しのつかない罪を重ねるところだった……。
頭を抱えて今し方の愚行を悔いていると、背後でカナの息を吐く音が聞こえた。
「冷静さを欠いてる証拠です。もうすでに弊害は表れています。どうか自分の気持ちに素直になってください」
「……そうだな。認めるよ。俺自身気が立っていることも。それが溜まりまくった性欲のせいであるってことも。お前が勧めるように、発散しちまえば少しは心に余裕も生まれるんだろうよ。他人と共同生活を送るうえでストレスが大敵だってことも、もちろん理解している」
「だったら――」
「でも俺は決めたんだ。次に射精するのは、お前の膣の中でだと」
「…………先輩」
つかの間の絶句。そして失笑。
「発言がめちゃくちゃ気持ち悪いです」
「うん。自分でも言ってて鳥肌が立ったよ」
いくらなんでも言葉のチョイスが生々しすぎた。もう少しオブラートに包んだ物言いもできただろうに。これも理性が本調子でないことの表れだろうか?
「先輩は先ほど私に恥はないのかと訊かれましたが、そんなもの、この場において持つ必要はありません。恥も外聞も無用の長物です。それだけはどうか心に留めておいてください」
「わかってる。でも俺が自慰しないのは、恥をかきたくないだとか格好つけたいだとか、そんなちゃちな理由じゃないんだ」
そう告げたきり、カナはもう何も言ってこなかった。これ以上説得を続けても時間の無駄だと匙を投げられたのかもしれない。彼女の顔を覗き見ると案の定、唇を尖らせて不服そうにしていた。
「とりあえず朝飯にしようぜ。なんだかんだ、もういい時間だ」
まだ何か言いたげな顔をしつつも、彼女は不承不承といった具合に頷いた。
冷蔵庫を開けて中を検分する。贅沢は言ってられないが、また保存食かと思うと気が重い。しかし、だいぶ空きも目立つようになってきた。
冷蔵庫が空になれば運営の誰かが食糧を補給するためにこの部屋を訪れる。もしその推理が外れていなければ、この部屋を脱出するチャンスが巡ってくる日もそう遠くないかもしれない。少しずつ目標に向かって前進していると思うと、幾ばかりか希望が持てた。
浴室から戻ってくるなり、カナはむすっと顔を顰めた。テーブルの上に置かれたブラを一瞥して、またこちらに咎めるような視線を寄越してくる。
「使わなかったんですか?」
おう、と頷き、クールに微笑みかける。
「というか、変なことは何もしていない」
そう言うと、カナはすんと鼻を鳴らした。冷めた眼差しには呆れの色がありありと滲んでいる。
「やせ我慢しちゃって。清廉潔白を貫くことがカッコいいだなんてお思いのようでしたら、それは大間違いですからね」
「なに怒ってんだよ」
「怒ってるのではなく、心配してるんですってば。発散できる時に発散しておかないと、いずれ気が保たなくなりますよ。無駄に理性を酷使したところで得られるものなど何もありません。ただ神経が磨り減っていくだけです。先輩はやや視野狭窄のきらいがあると思います。もっと先のことも見据えて行動すべきです」
「……なんだよそれ。俺が何も考えてないっていうのか」
さすがにカチンときて感情的な口調で言い返すと、一瞬カナの顔が硬直した。だが、また毅然とした顔つきに戻って噛みつくような勢いで反論してきた。
「少なくとも今回ばかりはそうとしか思えません。何日も軟禁生活を強いられてるせいでストレスは溜まりに溜まっているはずです。こんな時に禁欲なんかして余計にストレスを増幅させてどうするんです?」
「うるさいな。こっちにはこっちの事情があるんだ。この部屋で俺がどんな風に過ごそうが、お前にとやかく言われる筋合いはない」
ぴしゃりと突っぱねると、それが余計に彼女の神経を逆撫でしたらしい。カナは、バッカじゃないの、と吐き捨てて眉尻をつり上げた。
「いい大人が、見栄を張るのも大概にしたらどうですか? どれだけ大層な理由があるのかは知りませんが、四六時中イライラしている人間に隣にいられるのは、はっきり言って不愉快です。今私たちが陥っている状況がいかに危機的なものか理解されていますか? いつまでこんな気詰まりな生活が続くのかわからない以上、最低限ストレスを回避する努力は怠るべきではないでしょう」
ああ、やばいな。そう思った時にはすでに席を立っていた。
沸々と煮えたぎる感情を咄嗟に制御することができず、無言でカナに詰め寄る。
そうすると忽ちカナの表情は強張った。数歩下がって距離を置こうとするが、すぐさま壁際に到達して狼狽を露わにする。
頭ひとつ分小さい彼女の正面に立ち、至近距離でその顔を見下ろす。小刻みに震える睫毛とハの字にひん曲がった眉から、彼女の内心が恐怖に支配されていることは訊かずとも知れた。
俺は息を吸い込んで口を開く。だが果たして、言葉は何も出てこなかった。
――お前が俺とのセックスを拒むから、いつまでもこの部屋から出られないんだろうが!
浮かんだ台詞はそのようなものだった。
咄嗟に発言を思い留まったのは、彼女の瞳に強固な意思がみなぎっているように感じたからだ。
自分は決して間違ったことは言っていない。どうして理解してくれないんだ。彼女のやや膜を張った瞳からは、そのような強い自信と苦悩の跡が見て取れた。
俺はふっと拳の力を緩めて、天井を仰いだ。その拍子に口から吐息がこぼれる。
「悪い。どうかしてた」
俺は踵を返して、ベッドの端に腰を下ろす。
どうにかギリギリのラインでブレーキを踏むことができて、内心ほっとしていた。
カナがセックスを拒む理由は、俺の禊ぎが済んでいないからだ。自分の方に問題があるとわかっていながら、それを棚上げして怒りをぶつけるのは八つ当たり以外の何物でもない。危うく取り返しのつかない罪を重ねるところだった……。
頭を抱えて今し方の愚行を悔いていると、背後でカナの息を吐く音が聞こえた。
「冷静さを欠いてる証拠です。もうすでに弊害は表れています。どうか自分の気持ちに素直になってください」
「……そうだな。認めるよ。俺自身気が立っていることも。それが溜まりまくった性欲のせいであるってことも。お前が勧めるように、発散しちまえば少しは心に余裕も生まれるんだろうよ。他人と共同生活を送るうえでストレスが大敵だってことも、もちろん理解している」
「だったら――」
「でも俺は決めたんだ。次に射精するのは、お前の膣の中でだと」
「…………先輩」
つかの間の絶句。そして失笑。
「発言がめちゃくちゃ気持ち悪いです」
「うん。自分でも言ってて鳥肌が立ったよ」
いくらなんでも言葉のチョイスが生々しすぎた。もう少しオブラートに包んだ物言いもできただろうに。これも理性が本調子でないことの表れだろうか?
「先輩は先ほど私に恥はないのかと訊かれましたが、そんなもの、この場において持つ必要はありません。恥も外聞も無用の長物です。それだけはどうか心に留めておいてください」
「わかってる。でも俺が自慰しないのは、恥をかきたくないだとか格好つけたいだとか、そんなちゃちな理由じゃないんだ」
そう告げたきり、カナはもう何も言ってこなかった。これ以上説得を続けても時間の無駄だと匙を投げられたのかもしれない。彼女の顔を覗き見ると案の定、唇を尖らせて不服そうにしていた。
「とりあえず朝飯にしようぜ。なんだかんだ、もういい時間だ」
まだ何か言いたげな顔をしつつも、彼女は不承不承といった具合に頷いた。
冷蔵庫を開けて中を検分する。贅沢は言ってられないが、また保存食かと思うと気が重い。しかし、だいぶ空きも目立つようになってきた。
冷蔵庫が空になれば運営の誰かが食糧を補給するためにこの部屋を訪れる。もしその推理が外れていなければ、この部屋を脱出するチャンスが巡ってくる日もそう遠くないかもしれない。少しずつ目標に向かって前進していると思うと、幾ばかりか希望が持てた。
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