セックスしないと出られない部屋に閉じ込められたのに、彼女が性交渉に応じてくれません。

西木景

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第5章

喪失と再生の記憶(6/9)

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 極寒の風に打たれながら煌びやかなネオンに彩られた夜の街を当て処もなく徘徊する。
 もう間もなく日付が変わろうとしているのに、街頭は未だ人通りが絶えない。すれ違う多くはくたびれた風貌の社会人だが、中には千鳥足の酔っ払い集団や見るからにガラの悪そうな若者たちのたむろする姿もちらほらと見受けられる。
 若い女が夜道を一人で歩いていたらさもそうすることが礼儀かのごとく、そのうちの何組かには声をかけられた。いずれも冷やかしかナンパだった。私はいつものように聞こえないふりをして素通りした。幸い、しつこく追い回されたりはしなかった。
 つい数日前までは、男の人から声をかけられるたび、足が竦むほどの恐怖に取り憑かれていたことを思い出す。しかし慣れとは怖ろしいもので、回数を重ねるうちにすっかり恐怖心を抱かなくなってしまった。今では迷惑メールが届いた時みたく、ただただ鬱陶しく感じるだけだ。
 自分の感性が徐々に鈍化していることを日々痛感させられる。暗い気持ちになるけれど、大人になるためには避けては通れない変化だと解釈して割り切るしかない。
 スマホがポケットの中で振動する。取り出して見ると、画面いっぱいに着信通知が連なっていた。すべて母か義父からのものだ。ざっと見る限りでもその数は100件はくだらない。私はうんざりして、スマホの電源を落とした。
 心の中には薄暗い雲が覆っていたが、夜の街を一人で闊歩するのはスリリングで少しばかり気分が高揚していた。警察に補導されたらどうしようという不安から常に周囲に警戒の目を配ることも忘れなかったが、一方で補導されることをどこかで望んでいる自分もいた。きっと『まともに生きている』とは言えないような毎日を繰り返すことにメンタルが参っていて、それを終わりに導いてくれるきっかけを無意識のうちに求めていたのだろう。だがその日は、幸か不幸か、私の逃避行が警察の目に留まることはなかった。
 やがて歩き疲れて、駅前にあるバス停のベンチに腰を落ち着かせた。周囲に視線を巡らせると、駅舎の壁に飾られた時計が目に留まった。時刻は0時10分を指していた。その5分後に駅舎からぞろぞろと人が溢れてきた。スーツを着たサラリーマン風の中高年や派手派手しい恰好をした若い女性が主な顔ぶれだった。恐らく時間的に今着いたのが終電だったのだろう。
 その中には私の姿を見かけるなり怪訝そうに眉を顰める者もいた。だが結局、声までかけてくる者は皆無だった。変に首を突っ込んで面倒事に巻き込まれては堪らないといった本音がその疲れ切った面持ちから透けて見えるようだった。
 別に誰かに相手をされたくてここにいるわけではないが、孤独感はよりいっそう密度を増した。
 物言わぬスマホを見つめて、罪悪感がぶり返す。
 今頃娘の安否に気を揉んでいるであろう、母と義父が哀れで仕方がなかった。
 全面的に非があるのは自分だと自覚している。家族の愛を信じることができない自分の感性が普通ではないのだ。自分は人として大きな欠陥を抱えている。そんな考えに行き着くと、なんだか無性に悲しくなって、この世から消えてしまいたくなるほどの自己嫌悪が頭の中を埋め尽くすのだった。
 そんな中ふと先輩の顔が頭に浮かんだ。
 電車の中で私と再会した時に見せる人懐っこい笑み。
 映画のことを語っている時の情熱的な眼差し。
 私と他愛のない会話を交わしている最中の裏表の無い表情。
 心の奥底に封印していた記憶が次々と蘇り、私の冷え切った心に温もりを与えていく。

 ――先輩に、もう一度会いたい。

 思いが胸の中で弾けた。
 それは決して届くことのない願いだった。決して見てはいけない夢だった。
 何度も何度も、過去に思い描いて、そのたびに消して……。
 そんなことを繰り返しているうちに、いつしか私の中に巨大な『諦念』の塊が鎮座するようになった。それは絶えず私にこう語りかけてくるのだ――無いものねだりしたって仕方がないじゃないか。いい加減、過去を振り返るのはやめろよ、と。
 私はそれまで、その言葉に従って生きてきた。先輩のことはもう思い出してはならない禁忌なのだと自分に強く言い聞かせてきた。
 でも、絶望の淵に立たされた今になって思う。どうして先輩を忘れなくてはならないのだ、と。
 たとえもう会えなくたって、先輩のことを思い続けちゃいけない理由なんてないじゃないか。無いものねだりだったとしても……虚しい気持ちになるだけだと分かっていても……先輩を心の拠り所にしながら生きたって別に構わないじゃないか!
 私は、私の中に居座っている『諦念』に向かって、そう反論の言葉を叫んだ。
 熱い塊が目の奥から溢れて頬を濡らす。半年間で蓄積された心の澱がその涙には溶け込んでいた。
 ひとしきり泣き晴らして気分が落ち着いたところで、闇夜を仰いだ。冬の澄んだ空には無数の星々が瞬いていた。でも月だけは雲に隠れているのか、どこにも見当たらなかった。
 しばらく月の無い夜空をぼんやりと見つめていた。そのまま夜風に晒されていると、くしゃみが出た。駅舎の時計はちょうど1時を指していた。
 白い息が中空に溶ける。これから自分はどうするべきだろうか……。
 そんな現実的なことを考える余裕が生まれてきた、その時だった。
 すぐ近くにひと気を感じた。隣を見ると、人がいた。男の人だ。ジャンパーのポケットに両手を突っ込んで、ベンチに座る私を無表情で見下ろしている。背格好は大学生くらいか。脱色された髪の毛と顎の無精ひげがどことなくアウトローな雰囲気を醸し出している。
 咄嗟に息が詰まった。危険信号が全神経に行き渡り、身体が硬直する。
 相対する男の口元に薄い笑みが浮かぶ。そうして、男は私の隣に腰かけた。バスの最終便は3時間以上も前に出ているし、まさか5、6時間も後に来る始発のバスをこれから待つわけではあるまい。

「君、家出? そんな薄着で寒くないの?」

 案の定、男は話しかけてきた。見た目を裏切らない、軽薄な口調だった。
 頭の中が急速にパニックに陥っていく。

「そんな恰好で外にいたら風邪ひいちゃうよ」

 締まりのない笑みを張り付けながら、男は言葉を連ねた。仄かに朱に染まった頬を見るに、シラフではないらしい。
 臆するな、と私は自分に言い聞かせる。いつも夜道で声をかけられた時のように毅然と振る舞っていればいいのだ。
 私は正面の闇夜に視線を戻して、深く息を吐いた。そうすると少しだけ肩の力が抜けた。瞼を閉じて、ひと言だけ、

「ほっといてください」

 と冷たく聞こえるように言い放った。
 そうすると隣から乾いた笑い声が返ってきた。いったい何が可笑しいのか。
 癇に障る反応だったが、私は無反応を貫いた。

「荒れてんねえ。親と喧嘩した勢いで着の身着のまま飛び出してきたってところかい」

 図星を突かれドキリとしたが、努めて能面を維持する。

「懐かしいな。俺もよく親と喧嘩したもんだよ。家出もしょっちゅう繰り返してた。だけど根性無いからさ、すぐにギブアップしてこっそり家に帰るのがオチだったよ。少なくともこんな時間まで粘ったことは無かったな。君、なかなかガッツあるね」

 急に見ず知らずの他人の昔話を聞かされても困る。
 私は瞼を閉じたまま聞き流すことにした。
 しかし、澄ました態度をキープできたのもそこまでだった。次の瞬間、一陣の強風が辺りを吹き抜け、それが凍てつくような寒さだったからだ。堪らず震え上がる全身を、私は庇うように抱き締めて、カチカチと歯を鳴らした。

「まあでも、無理すんなって。遅かれ早かれ帰らないといけないんだから、体壊す前にとっとと降参した方が賢明な判断だと思うぞ」

 もっともなことを言ってくれるが、それにも意地になって返事を返さない。
 男はすんと鼻を鳴らした。

「やせ我慢したっていいことは何もないぜ。……ったく、しょうがねえなあ」

 男がベンチから立ち上がる気配があった。
 片目を開けて隣の様子を窺うと、すでに男はこちらに背を向けて、このバス停から立ち去っていくところだった。
 また一人になることに若干の心細さは芽生えたものの、引き留めようという気は起きず、徐々に小さくなっていく背中を静かに見送った。

 程なくして、また近くに誰かの気配を感じた。顔を上げて隣を見ると、先ほどの男が立っていた。両手に缶とペットボトルを持っている。どちらもほんのりと湯気が上がっていた。

「お茶と缶コーヒー、どっちがいい?」

 唐突すぎて質問の意味が理解できなかった。
 つかの間ぽかんとしていると、男は下唇を突き出して、左右のものを見比べてから無理やり私の手にペットボトルを押しつけてきた。掌にじんわりと温もりが広がる。
 男は先ほどと同じように私の隣に腰かけて、缶コーヒーのプルタブを引いた。

「にげえ」

 口を付けるなり、男は顔は歪ませて呟いた。
 私はペットボトルを両手で包み込むように持つ。かじかんだ手に徐々に血の巡りが復活する。

「……ありがとうございます」

 肩を竦めて俯きながら零すと、隣からまた、ははっ、と乾いた笑い声が聞こえた。今度は不快に思わなかった。

「君、名前はなんていうの?」

 私は横目で彼を一瞥してから、また俯いた。反応していいものか、未だに迷いがあった。

「呼び名がないと不便でしょ。抵抗があるなら偽名でもいいから」

 そうけしかけられ、少しだけ心のロックが緩くなる。
 つかの間黙考した末に、私は「カナ」と正直に答えた。名字までは言わなかったが、そこは追求されなかった。

「カナちゃんね。高校生?」

 私は頷く。
 へええ、と男はやや大げさに思えるくらいの相槌を打った。
 ちらと横目を向けると、また缶コーヒーを傾けて苦い表情を浮かべているところだった。
 苦手なら缶コーヒーの方を私に渡せばよかったのに。

「ホント肝が据わってるよ。女子高生がよくこんな真夜中に一人で出歩けるな」

 その口調に批難めいた色はなく、どちらかというと感心の色が濃厚だった。

「……それ、お兄さんが言います?」

 手元のペットボトルを見下ろしながら告げる。
 横顔に彼の視線が合わさるのを感じるも、隣を見遣る勇気は湧かなかった。

「ナンパですよね」

 短く告げると、男は一瞬、声を詰まらせた様子だった。しかし、次に続く彼の口調は、そんな狼狽を隠すようにあっけらかんとしたものだった。

「最初はそのつもりだったよ。でも、ホントに女子高生なんだって分かると、なんか急に、そんな気分じゃなくなった」

「……嘘ばっかり。最初から女子高生だって勘づいてたくせに」

「まさか。鎌かけてみただけだって」

「どうだか」

「ホントだってば。てか俺、成人済みだし。女子高生なんかたぶらかしたら、世間が黙っちゃいないって」

「ふうん。ナンパとかする割に、意外と保守的なんですね」

「頭良さそうな言葉知ってんな。こんな時間に一人で出歩いてる不良娘のくせに」

 私はむっと唇を尖らせて男を睨んだ。
 彼はしてやったりといった顔で私を見返していた。
 その口ぶりも顔立ちも全く似通った部分なんて無いのに、なぜだか先輩の顔が頭に浮かんだ。妙に懐かしい気分に駆られて頬が緩みそうになったのを、私は咄嗟に下を向いて誤魔化した。

「私は、なんて呼べばいいですか?」

「え?」

「お兄さんの名前。呼び名が無いと不便だって自分で言ってたじゃない」

 つっけんどんに尋ねたが、彼は、何が嬉しいのか、白い歯を覗かせながら言った。

「お兄さんって呼ばれるのも、なかなか悪い気はしないけどね」

「不都合があるなら結構です」

「不都合なんてあるもんか。シラキインだ」

「シラキイン?」

「白星の『白』に木登りの『木』に大学院の『院』と書いて『白木院』。どうだ、カッコいいだろ。言っておくが、偽名じゃないぜ」

「どっちでもいいですけど、長いです。下の名前は?」

「タクミだ。えっと、字は……」

「字の説明はいいから。じゃあ、タクミさんって呼ぶことにします」

 私の顔を見つめるタクミさんの口元はにまにまと緩んでいた。

「何笑ってるんですか」

「いや。やっと心開いてくれたなと思って」

 私はむくれっ面のまま、彼から視線を背けた。
 なんとなく掌の上で泳がされているようで決まりが悪いけれど、不思議と悪印象は薄かった。
 ついつい名前を訊いてしまったことに後悔を抱きつつも、やっと兜の緒を緩められたことに安堵する自分もいた。
 どんなに優しくされたって、出会ったばかりの男のことを信用するわけにはいかない。そう理性の部分では理解している。しかし、私自身、他人を疑うことにいい加減、疲弊しているのも事実だった。
 思えば長いこと、『猜疑心』が私の胸の中心に居着いていた。今日ばかりでなく、ヨシノが先輩と交際しているという話を聞いた時から……いや、あるいはもっと以前から――お母さんがお義父さんと結ばれた時から、ずっと――ずっとずっと、誰かを疑い続けて生きてきた。
 人付き合いを放棄したのは、他人との関係性が深まるほど、その相手に裏切られた時に味わう絶望も甚大になると学んだからだ。逆に関係性の薄い相手であれば、裏切られたとしても比較的ダメージは少なくて済む。
 ならば疑うことから一時でも解放されたいと願う自分にとって、タクミさんの存在はいくらか好都合に思えた。

「どうして家出なんてしたの?」

 タクミさんの問いかけに、今度は胸に突っかかりを覚えることなく応じることができた。

「なんてことはない、ただの親子喧嘩です」

「ふうん。何で揉めたの?」

「別に。どこの家庭でも起こりうる、ありきたりな理由よ」

「ありきたりな理由、ねえ。普段の生活態度のこととか、進路のこととか?」

「……まあそんなとこ」

 明言を避けると、タクミさんも「なるほど」と頷くだけで、それ以上の追及は仕掛けてこなかった。親身になってくれているというより、ただ機械的に雑談を続けているだけという印象だったが、今はそれくらいの距離感がちょうど良かった。
 その後もタクミさんと他愛もない会話のキャッチボールを続けた。お陰でしばらくは孤独感を紛らわすことができた。だが、30分も経つ頃になると、徐々に話題が底を尽き始め、沈黙の間がポツポツと訪れるようになった。
 次に展開に動きがあったのは、私がペットボトルの最後の一滴を飲み干した時だった。その瞬間を見計らったかのように、タクミさんはベンチから腰を浮かせた。

「さてと」

 軽く伸びをしてから、ベンチに座ったままの私を見下ろす。

「まだ帰る気は無い?」

 駅舎の時計を見ると、時刻は午前2時前を指していた。
 私はすでに余熱を失った空のペットボトルを握り締めながら、沈黙に走った。この先自分はどうすればいいのか、まだ回答を見つけられていなかった。
 なあ、とタクミさんは、事も無げに言った。

「行くあてが無いなら、俺んち来なよ」

 私は首を持ち上げて、タクミさんの顔を見返した。
 口元は笑みの形に歪んでいる。安心感を与えるつもりだろうが、瞳の奥はちっとも笑っているようには見えなかった。

「意地張るのもいいけどさ、夜通しここにいるってのはさすがにきついでしょ。少しのあいだの羽休めだと思って泊まりにおいでよ」

 ――ああ、やっぱり、そういうことか。

 俄に白けた気分が胸の内側に広がっていく。
 信頼していたわけではないが、心のどこかで期待くらいはしていたのかもしれない。彼から施された親切が偽善の産物ではないことを。
 関係性の薄い人間が相手なら裏切られたってショックは小さいだろうと侮っていたけれど、実際のところ、想像以上に悲しい気持ちにさせられるものだ。
 強がりではなく、自然と笑みが浮かんだ。勝手に期待して、勝手にショックを受けている今の自分があまりに滑稽だったから。

「やっぱり、ナンパが目的だったのね」

 そう言うと、タクミさんは白い息を吐き出して、かぶりを振った。

「疑心暗鬼になりすぎだって。俺は親切で言ってあげてるんだよ」

 心外だと言わんばかりの口ぶりだった。
 私が沈黙を返すと、タクミさんは呆れた風な態度を表にした。だがそれすらも、演技に見えてならなかった。
 寒さに凍えていた私に温かい飲み物を恵んでくれたタクミさん。
 孤独に耐える私のそばにいて、長いこと話相手になってくれたタクミさん。
 私の境遇につけ入って、家に誘い込もうとするタクミさん。
 一体どれが彼の本物の顔なのか、瞬時に判別ができなかった。
 冷静に状況を俯瞰するなら、そんなのは悩むまでもないことだ。でも断定することができなかった。この期に及んで、まだ期待に縋ろうとしている自分がいるからだった。
 タクミさんは苦笑を滲ませた口振りで、続けた。

「さっきも言ったけど、いい大人が女子高生に色目なんか使うもんか。それが今の日本では立派な犯罪だということは重々承知してるって。一時の気の迷いで人生を棒に振るほど俺は愚かじゃないつもりだぜ」

 論理的に考えると、そうだ。女子高生を家に連れ込んで、何か悪さをしようものなら、その者が迎える末路は社会的な破滅をおいて他に無い。とりわけ現代の日本では、未成年者に対する淫行は制裁が厳しいと聞く。仮に淫行まで及ばすとも、女子高生を家に招き入れること事態、相当なリスクを伴う行為であるはずだ。
 だからこそ、私は混乱の渦中にいた。
 ハイリスクな行いだと理解していながら、タクミさんはどうして私を家に誘ってくるのだ? そんな危ない橋を渡ってまでして得られる、タクミさん側のメリットは何なのか?

「まあ無理にとは言わないけどさ。ただ、深夜の街は舐めない方がいいよ。この辺は特に暴走族も多いし、世の中の大人たちがみんな俺みたいに良識がある奴だとは限らないから。下手したら、本当に襲われるかもしれないよ」

 脅すように言われて、戦慄が走る。
 タクミさんの発言はきっと真理を突いている。彼が良識的な大人であるかどうかは審議の余地があるが、未成年者が大人の食い物にされたというニュースは掃いて捨てるほどにありふれている。強姦されただけならまだいい方で、命まで奪われるというケースも決して珍しくは無い。
 このまま夜が明けるまでキョンシーのように街中を彷徨い続けるのは、確かに望むところではなかった。

「ひ、ひとつだけ、教えてください」

 ベンチから立ち上がり、身も声も震えながらにして尋ねた。

「どうして私に優しくしてくれるんですか?」

「どうしてって……。まあひと言で言うなら、可愛そうだったからかな。困っている子供を匿うのは、大人として当然じゃないかって気もするし」

 タクミさんは目をあちこちに泳がせながら、そう回答した。
 どこか照れ臭そうにしているようにも見えるし、ただただ回答に困っているだけのようにも見える。
 どうしてこの人は掴み所のない反応ばかり示してくるのだろうか?
 彼のことを理解するためのヒントを得ようとしたのに、余計に輪郭がぼやけてしまった。

「じゃあ、俺、もう行くわ」

 そう言ってタクミさんは踵を返した。片手を挙げて、つかつかと立ち去っていく。
 あ、と声にもならない悲鳴が私の口から漏れ出た。
 途端に孤独感が蘇り、泣きそうになる。久しぶりに他人と触れ合ったことで、メンタルが脆くなっていた。
 遠ざかるタクミさんの背中を見つめる次第に、焦燥感が膨らむのを自覚した。
 今、決断できなかったら、自分は一生人間不信のまま、生涯をひとりぼっちで過ごさなくてはならないかもしれない。
 絶望的な未来図が脳裏をよぎる。その瞬間、私の口は半ば衝動的に「待って!」と叫んでいた。
 遠くにいるタクミさんが足を止め、顔だけ振り返る。口元に微笑を携えて。まるで勝ち誇ったかのような、不敵な笑みだった。
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