セックスしないと出られない部屋に閉じ込められたのに、彼女が性交渉に応じてくれません。

西木景

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第5章

喪失と再生の記憶(4/9)

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 1学期の終業式を翌日に控えた日曜日を、私はそわそわと落ち着かない心持ちで過ごしていた。
 というのも、最近、憧れのコージ先輩から好意を抱かれていることを如実に感じるようになったからだ。交際を申し込まれる日もそう遠くないだろうという予感がしていた。告白される日として一番濃厚なのは、夏休みを迎える直前――つまり明日ではないかと踏んでいる。
 夏休みになると今までのように簡単には会えなくなる。何かしらの口実が必要だ。もしも夏休みのあいだ、先輩が私に会いたいと望むなら『恋人』というのは恰好の口実になる。
 万が一先輩が告白してこなかったら自分から仕掛けてみようとも考えていた。先輩からの告白を受け入れる準備はもちろん出来ているし、先輩の方にだって可愛い後輩からの告白を拒む理由はないだろう。つまりは明日、自分たちが恋人になることはほぼ確定的な未来であると言えるのだった。
 恋人になった暁に先輩と何をしようかと想像を膨らませると忽ち胸が弾んだ。もしかするとキスなんかもするかもしれない。想像すると急激に羞恥が込み上げてきて、枕に顔を埋めて手足をバタバタとさせた。妄想だけで温かな感情が胸いっぱいに広がっていた。
 自宅の黒電話が鳴り響いたのは、そんな幸せの揺り籠に浸っていた時だった。
 電話の主は安住ヨシノだった。普段から懇意にしているクラスメイトの内のひとりだが、彼女がうちに電話をかけてきたのは覚えているかぎり初めてのことだった。電話番号を教えた憶えは無いが、そんなものはクラスの連絡網を見れば簡単に調べがつくだろうから何も不思議がることはない。だが電話の相手がヨシノだと知った瞬間、少しだけ不吉な予感がした。近頃、彼女とはやや疎遠気味になっていた。別に喧嘩したわけじゃない。クラスで顔を合わせれば挨拶くらいは交わすし、他の女子生徒を交えて雑談に花を咲かせたりもする。でも以前と比べると、明らかに壁みたいなものを間に感じるようになった。
 きっかけは7月に入ったばかりの昼休み、先輩を交えたあの会食だ。あの時のヨシノからは敵意というか拒絶の意思みたいなものが放たれているように感じられた。初対面とは思えないくらい先輩と仲睦ましげに会話する彼女の胸のうちを独占欲が支配していることは明白だった。その感情は私自身も持っているものだからだろう、なんとなく察せてしまうのだ。
 これ以上、ヨシノを先輩に近づけてはならない。本能的にそう察知した私は、ヨシノの前で先輩の話をするのは控えることにした。次の週も先輩とのランチに同席させてほしいと彼女から懇願されたが、断固とした口調でそれを拒否した。するとヨシノも強くは食い下がってこなかったが、その顔にはありありと不満の色が浮かんでいた。
 警戒心を抱きながらヨシノの話に耳を傾けた。受話器から聞こえてくる彼女の声は、普段学校で聞くそれとは少し印象が違った。機械音に変換された彼女の声は、どことなく冷たくて背筋を震えさせるものだった。
 挨拶や雑談もそこそこに、彼女の無機質な声が言った。会って話したいことがある、と。
 時刻は16時を過ぎていた。今から外出すると門限を超えてしまうから無理だと伝えると、ならば自分の方から出向くとまで言ってきた。よほど重大な話らしいと察せられ、いたずらに不安が膨らむのだった。
 自宅まで足を運んでもらうのはさすがに気が引けたので、彼女とは最寄りの駅で待ち合わせをすることにした。門限を過ぎてしまうが、仕方が無い。祖母を説得するのに少しばかり骨が折れたが、近場ということでなんとか外出許可を取り付けることに成功した。
 ヨシノと落ち合ったのは18時を回る頃だった。日は傾いているが、夏のこの時間帯はまだまだ明るい。
 駅舎の外に設置されたベンチに隣り合って腰かける。
 ヨシノの横顔は心なしか緊張しているように見えた。それが伝染してか、私も拳に汗を握っていた。
 さっきまで感じていた幸せの予兆はすっかりどこかへ吹き飛んでいた。

「驚かないで聞いてほしいんだけど」

 とヨシノは淡々とした口調で切り出した。おもむろに彼女の視線がこちらを向いた。

「私、桐生先輩とお付き合いすることになったから」

 瞬間、息が止まる。
 頭の中が真っ白になり、何も考えることができなくなる。
 蝉のさんざめく声音だけが耳の奥で鳴り響いていて、それもどこか遠くの世界から聞こえてくる音のようだった。

「先輩と私を引き合わせてくれたのはカナだから。どうしても報告しておきたくて」

 ヨシノの眼差しが私から逸れて、中空の一点に移ろう。幾許の感情をも読み取らせる隙を与えない、漆黒の瞳だった。

「どういうこと?」

 ようやく絞り出せた声は少しだけ震えていた。
 ヨシノはまた私の顔を一瞥して、そっと俯いた。
 長い沈黙が場を冒していたが、やがて観念したように彼女は口を開いた。

「今日、先輩から告白されたの。私も先輩のこと気に入ってたから受けることにした」

 まるでお悔やみの言葉でも並べているかのような感情の薄い台詞だった。
 胸に鋭い痛みが走った。心臓が早鐘を打ち、瞬く間に体の芯が熱を帯びていく。

「嘘よ」

 私は首を振りながら言った。

「先輩がヨシノに告白するはずないじゃない。だって、先輩は……先輩が好きなのは……」

 先が続けられなかった。マグマのように沸々と悔しさが込み上げてきて、膝の上に置いていた拳をさらに硬くする。
 ヨシノがこちらを向いた。その目には憐憫の情が滲んでいた。

「落ち着いて。カナ、先輩のこと好きだったもんね。だから認めたくないのは分かるけど……現実を受け入れてほしい」

 私はベンチから立ち上がった。ヨシノの正面に立ち、彼女を眼下に睨み付ける。
 表面上は困ったような顔を浮かべているが、内心では酷薄な感情が渦巻いていることは想像に難くなかった。

「分かったような口利かないでよ! 私は認めない。そうやって私の心を揺さぶろうたって無駄なんだから!」

 そう言い放って、挑むような笑みを浮かべた。
 先輩が好きなのは自分だという確信があった。その確信だけを頼りに、ヨシノの告白を跳ねのけようと必死だった。
 ヨシノは眉をひそめて小さくため息をついた。ふっと私から視線を逸らして、傍らのカバンに手を伸ばす。その手には煌びやかなデコレーションが施されたスマートフォンが握られていた。手慣れた様子でそれを操作して、すっと私に差し出してくる。

「見なさい。これが現実よ」

 ヨシノの口元には涼しげな微笑が張り付いていた。
 私は差し出されたスマホを恐る恐る受け取った。多大なる恐怖心と好奇心が心の中で錯綜していた。
 画面を見た瞬間、私はハッと瞠目した。自分の中にあった確信が、たった一枚の写真で崩壊する。
 ヨシノにスマホを奪われ、私は膝から崩れ落ちた。茫然自失となって熱い塊がポロポロと地面に滴り落ちていく。

「初めてにしてはなかなかテクニシャンで驚いちゃった。あんなに相性がいい人、そうそういないわ」

 嘲笑の色が含まれたヨシノの声を、私は絶望に抱かれながら聞いていた。
 そして自身の自惚れを恥じた。先輩は自分のことなんか見ていなかったのだ。恋人になる妄想なんかして浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。
 ぐちゃぐちゃな感情の嵐が頭の中を吹き荒れる。悲しみの津波に襲われて、嗚咽が止まらなくなる。

「ま、そういうわけだから。悪いんだけど、先輩にはもう近づかないでもらえると助かる。その埋め合わせってわけじゃないけど、知り合いの良い男、紹介してあげるから」

 軽口を叩かれて怒りが再燃する。
 顔を上げると、涙で視界が滲む中、涼しい顔をしたヨシノと目が合った。
 私は彼女を睨み付けながら声を荒げた。

「あんたって人は、ホント最低ね! 友達の好きな人を横から奪っておいて、よくもいけしゃあしゃあと」

 ヨシノは明らかに嘲笑だと分かる笑みを浮かべて、かぶりを振った。

「まるで横恋慕でもされたかのような口ぶりね。心外だわ」

 ヨシノもベンチから腰を浮かせた。
 地面に座り込む私を冷酷な目で見下ろして、はっと吐き捨てるように笑う。

「言っとくけど、私、カナに悪いことしたなんて微塵も思ってないから。カナが先輩のことをどう思っていようが、そんなの知ったこっちゃないわ。フリーだった先輩に私が恋しちゃいけない理由なんてどこにも無いもの。あんたがどんな綺麗事をほざいてこようたって負け犬の遠吠えにしか聞こえないんだから」

 身を焦がすような悔しさが全身を貫いた。
 奥歯を食い縛り、彼女を言い負かすことができる言葉を探した。だけど何も思いつかなかった。初めからそんなものは存在しなかった。彼女の言うとおりだ。今の私は負け犬以外の何物でもなかった。

「でもね。本音を言うと、私はまだカナと友達でいたい。わざわざこんなクソ田舎に足を運んだのはなにも牽制だけが目的じゃないわ。もちろんそこまで求めるのはさすがに虫が良すぎるという自覚もある。今は無理でもせめて気持ちが落ち着いた時に、また考え直してほしい。私とまだ友達を続けたいと思ってくれるのなら、連絡をちょうだい」

 ヨシノは腰を折って、地面にメモの切れ端のようなものと、それが風で飛ばされないよう自分の頭にしてあった髪留めを文鎮代わりに置いた。見るとそこには電話番号とメールアドレスが綺麗な字で綴られていた。
 ヨシノの影法師が私のもとから離れる。彼女はすでに駅のホームに向かって歩き出していた。その背中は夏の日差しを受けて憎たらしいほどに燦然と輝いて見えた。
 彼女がいなくなった後も、しばらく私はその場から動けなかった。先輩を失った悲しみと絶望、それから敗北感の波に打ちひしがれ、蹲ったままさめざめと涙を流し続けていた。
 道端の人々は私を奇怪なものを見るような目で遠巻きにしていたが、誰ひとりとして声をかけてくる者は現れなかった。
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