セックスしないと出られない部屋に閉じ込められたのに、彼女が性交渉に応じてくれません。

西木景

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第5章

喪失と再生の記憶(2/9)

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 私が小学3年生に進級する頃、母が再婚した。
 お相手は母が勤めているスナックの常連さんで、小さな会社を経営しているという男性だ。歳は母よりふたつ下で、糸のように細い目と撫で肩なのが特徴的な、比較的穏やかそうな雰囲気を携えた人だった。
 私たち母子は長らく暮らしていた古アパートを引き払って、当時義父が暮らしていた賃貸マンションに移り住んだ。六畳一間のアパートと比べると、そこは遥かに快適な場所だった。4LDKの広々とした間取り。染みひとつない壁や天井。全室空調を完備していて、トイレが共用でないのはもちろんのこと、ボタンひとつでお湯を張ったり追い焚きしたりできるバスルームまである。洗濯機が居室の中にあることにも幾ばかりか感動を隠さなかった。
 引っ越す前からすでに用意されていた自分の部屋には勉強机やテレビやベッドなど、ひと通りの生活用品が揃っていて、私に何不自由ない暮らしをさせようとする義父らの気概が伝わった。
 生活水準が一気に跳ね上がったことでライフスタイルががらりと変わり、しばらくは戸惑いの境地に浸りながらおっかなびっくり生活していたのを覚えている。
 安定した暮らしを得て、私はようやく、母が日々の仕事で疲弊した身体を、どうして代わる代わる男の人に捧げていたのかを理解した。財も学も持ち合わせていない母が貧困から脱するには、裕福な境遇にいる人間に引き上げてもらうしかなかったのだ。思い返せば母が家に連れてくる男性たちは総じて美形であるとは言い難かったが、身なりだけはしっかり整っていた。お金だけが目当てだったとは言わないが、母がターゲットに見定める男の最低条件として金銭的余裕があったことは間違いなかっただろう。
 恵まれた生活を送れるようになったが、しかし以前の生活と比べて幸福指数が格段に上昇したかと問われれば、一概にそうとは言い切れない事情があった。
 新たな暮らしにおけるいちばんの不安材料は義父との関係だった。
 先に断っておくが、義父は一般的に人格者と呼ばれるに相応しい人物だったと思う。人柄は極めて温厚で、物腰や言葉遣いも柔らかく、周囲への気配りも欠かすことがない。小さいながらも一企業の社長を務めるくらいには仕事熱心で常識があり、そこそこのユーモアも備えている。とびきり整った容姿をしているわけではないが、身なりには十分気を遣っているため、見る者を不快にさせるようなこともない。難点を挙げるとすれば、やや繊細なところがあるくらいだが、それも気配りができることの裏返しと考えれば全く不問の範疇だろう。
 なぜ義父がこぶつきの母を人生の伴侶に選んだのかは謎だが、母が彼を選んだ理由は説明されずとも瞭然だった。心優しい義父のことを私も少なからず気に入っていた。母にけしかけられるまでもなく、本当の父親のように接しようと一緒に暮らし始めた当初は心に決めたりもしていた。だけど義父の方は私のことを本当の娘のようには扱えないみたいだった。
 義父は、他人との距離感を重んじるタイプの人間だった。他人のパーソナルスペースにずかずかと土足で踏み込んでくるような無遠慮さはないけれど、逆に心許した相手にしか入室を許さない自分だけの聖域みたいなものを内側に持っていて、母にはその部屋の鍵を渡しているようだったが、私にはその扉すらも見せる隙を与えようとはしなかった。
 決して仲が悪かったわけではない。ふたりで楽しく会話をしたり、学校の勉強を教えてもらったり、暇な時はトランプやリバーシなんかして遊んだりするくらいには良好な関係性を築けていた。傍から見たら仲の良い友達みたいな関係に映っていたことだろう。
 でもそれは仲の良い友達の域を出るものではなかった。私たちはどうしても親と子のように接することはできなかった。
 義父は私のことを必ず『ちゃん』付けで呼ぶし、私に『お父さん』と呼ばせる余地も与えようとはしなかった。義父のいる前で、母が私に『そろそろお父さんと呼んでみてはどうか』という旨の提案をしたことがあった。すると私が反応するよりも先に、義父は『無理強いはよくないよ』と母を窘めた。その口ぶりと硬い笑みにはやんわりと拒絶の意が含まれているように感じられた。それ以来、私は一貫して義父のことを母と同じように『ミノルさん』と呼んでいる。間違っても『お父さん』なんて呼んでしまうと、今の均衡の取れた関係性が崩れてしまうのではないかという危惧があった。
 義父からは一度として叱られた記憶はない。家に帰るのが遅くなったりテストの点数が悪かったりした際に私を躾けるのは母の役目で、そんな母を笑顔でとりなすのが義父の役目だった。無論それは甘やかしなどではない。家の中の空気が悪くなることを案じての行動だったのだろう。
 義父から掛けられる言動には思いやりや優しさとは別に、幾分かの遠慮とよそよそしさも感じられた。それは母と接する時に見せる極めて自然体な態度と比べても明らかだった。そんな彼と同じ屋根の下で暮らすのは、ましてやその人に養ってもらうのは、子供心にも気重に感じる瞬間が度々としてあった。
 もちろん一方で、理解もしていた。子供を持った経験がないから、突然降って湧いた『娘』という存在に戸惑っているのだろう、と。そう解釈し、時間が解決してくれることに期待した。だが、いくら時を重ねても私たちの距離が縮まる気配は一向になく、窮屈な思いは日に日に増していくばかりだった。
 さらに悪いことに、その思いを助長させる要因があった。
 それは母と義父の関係だ。私と義父が一定の間隔までしか距離を縮められない一方で、母と義父はその関係性をより強固で綿密なものに発展させることに成功していた。
 義父と暮らし始めてから数日が経った頃、数枚の壁に隔てられた先の部屋で、母と義父が夫婦の営みを行っている気配が感じられた。ベッドのスプリングが軋む音。微かに聞こえる母の甘えたような声。それは俄に、かつて押し入れの中から目撃した2体の獣の姿を想起させ、私に多大なる恐怖と緊張をもたらした。
 始めの頃は多少の遠慮があったのか、微かにその気配を感じ取れる程度のものだったが、次第にたがが外れていくように、夜な夜な愛欲に染まった空気が居室中を色濃く漂うようになった。そのあいだ私は耳を塞ぎ、布団を頭から被って、頭の中の獣を追い払うことに必死だった。そして押し入れの中に身を潜めていたあの頃と同じように、獣たちに勘付かれないよう息を潜め自分の気配を殺すのに集中した。
 母も義父もいい歳だったが、一度始めるとなかなか終わりの瞬間は訪れなかった。母たちが情欲に溺れているあいだ、私の心はひたすら恐怖と緊張に支配され、落ち着いて眠りに就くことができなかった。酷いときは夜通し明け暮れるなんてこともあり、だから当時の私はたびたび寝不足に悩まされたものだった。
 そうして時は流れ、私に弟ができた。
 義父は弟を『みずき』と命名し、それはそれは可愛がった。義父がこんなにも子煩悩だったのかと私は驚きと共に知った。自分の血を引いた息子に向けられる眼差しは深い慈愛に満ちたものだった。言うまでもなく、それは私が一度として向けられたことのない眼差しだった。
 母が私に向ける愛情の量と質も確実に変化していた。今まで私だけに注がれていた愛情の一部がみずきにも注がれるようになり、なんとなしに喪失感に似たものを覚えるようになった。昔は母に甘えようものなら頭を撫でられたり抱擁されたりと何かしらの愛情表現を示してもらっていたが、弟ができてからは甘えると、何遍かに一回は、もうお姉ちゃんなんだから我慢しなさい、と窘められるようになった。姉になったとはいえ、10歳にもなっていない当時の私はまだまだ甘えた盛りの子供だった。泣いて駄々をこねたりはしなかったが、内心では少しむくれたりしていた。また赤ん坊のみずきに付きっきりとなり、母とふたりきりで過ごす時間がめっきり減ったことも不満のひとつだった。
 だからといって天使のように可愛い弟に鬱憤をぶつけるわけにもいかず、私はひとり悶々と部屋に閉じこもって感情の荒波が鎮まるのを待つ他になかった。
 私を不安に駆り立てる諸々の事柄はみずきがまだ赤ん坊だから生じるものだ。これもまた時間が解決してくれるに違いない。そう信じてひたすら我慢に我慢を重ねた。でもみずきが成長し、二足で立ち上がって言葉を喋るようになっても、幼稚園に入園して少しだけ両親の手がかからなくなっても、私の胸を巣喰う不安の塊は一向に小さくなってくれなかった。それどころか、ますます大きくなった気さえしてくるのだった。
 母も義父も私に費やす愛情の量は減ったが、だからといって理由もなくみずきだけを優遇したり、私の存在を邪険に扱ったりはしなかった。私自身、ふたりのことは以前までと変わらず愛していた。多少の嫉妬は覚えつつも、物心つく前から、ねーたん、ねーたん、と自分を呼んで慕ってくるみずきのことも心から愛おしく感じていた。
 でも、みずきが誕生した頃から、自分と家族を隔てる薄い膜のようなものも感じるようになった。それはどうしたって自分は3人と本当の意味で家族になれないかもしれないという不安から生じたものだった。
 4人でいるとひとりでに心がそわそわした。なんとなく自分が仲間はずれであるような気がしてならなかった。だって家族としては母と義父とみずきの3人で成立している。3人には血縁という確たる繋がりがあり、私はその円から少しはみ出た位置にいる。私たちひとりひとりをジグソーパズルのピースに見立てるなら、家族という一枚絵が完成しない原因は、歪な形をした私というピースにあることは間違いなかった。
 疎外感、という言葉を知った時、それは私の心に住み着く悪魔の名称としてぴったりだという気がした。漠然とした不安に名前が付き、少しばかり気が楽になったが、いっそう自分が孤独であるという思い込みも強くなった。
 中学3年生の中頃、私はついに家を出る決心をした。母と義父に頭を下げ、なるたけ遠くの高校に進学したいと申し出た。独り立ちがしたいのだというもっともらしい理由を盾に説得を重ねて、なんとかふたりの承諾を取り付けることに成功した。でも、当初思い描いていた決着にはならなかった。
 紆余曲折あって、私は母方の祖母の家に預けられることになった。母に親類がいたことを、その時初めて知った。聞くとどうも昔から祖母との折り合いが悪いらしい。小さい頃は母に連れられて何度か帰省したこともあったと聞かされたが、全く記憶になかった。
 独り立ちしたいという名目上の理由は完全に無視された形になったが、あるいはそれは本心でないと最初から見抜かれていたのかもしれない。そうしてきっと私と同じ結論に至ったのだ。娘とのわだかまりを解消するには一旦距離を置く他にない、と。
 中学校を卒業した次の日の朝、私はリュックとキャリーケースに荷物を詰めて実家を後にした。見送りは固辞した。きっと泣いてしまうだろうから。それで心の澱が晴れてしまいそうだったから。そんな展開は私の望むところではなかった。
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