セックスしないと出られない部屋に閉じ込められたのに、彼女が性交渉に応じてくれません。

西木景

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第4章

桐生コージの後悔(1/5)

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 出張った腹をさすりながら懸命にペットボトルをあおる。やっとの思いで空にできたペットボトルを握り潰し、ゴミ箱に投げ捨ててひと息つく。その拍子に虚無感が蘇り、自分の行いが酷く滑稽で浅はかなものに思えてくるのだった。
 ただペットボトルの中身を空にすることだけが目的なら、わざわざ1本ずつ飲み下さずとも浴室の排水溝や洗面台に捨てれば済む話だ。その事実に気づいていながら実行に移さないのは、そんな横紙破りみたいなマネをして運営の機嫌を損ねるような事態になっては旗色が悪いからだ。何に忖度しているのだという話だが、自分たちが袋のネズミであることは努々忘れてはならない。
 しかし、冷蔵庫の食糧を消費すればその補給のために運営がこの部屋を再訪するだろうという読みも全く憶測の域を出ないものに過ぎず、そんな妄想に縋るしかない現状にはやりきれない思いが募るばかりだった。
 時計を見ると、時刻は19時45分。さっき確認した時は19時30分だった。あれからまだ15分しか経ってないのかと思うと、ほとほと気が滅入ってくる。
 時間の流れがいやに遅く感じるのは、居室を重たい沈黙が横たわっているせいだろう。立花は今もシーツに包まって物言わぬ背中を向けている。彼女が口を利いてくれなくなって、かれこれもう4時間が経過していた。
 俺が無神経に性交渉を仕掛けたせいで完全にへそを曲げてしまったようだ。カレンのことで頭がいっぱいになって、つい立花の気持ちを考えることを疎かにして自分の意思を押し通そうとしてしまった。
 最低だ……自分という人間はいったい何度同じ過ちを繰り返せば学習するのだろう?
 テーブルに両肘をついて頭皮をガシガシと掻き毟る。はああ、と大きなため息を吐き捨てて、てのひらに額を埋める。
 視界を遮ると脳裏に蘇るのは、3年前に見た立花の笑顔だった。そのイメージが数刻前に見た彼女の姿とオーバーラップする。
 思えば今日の立花は、昨日までとはまるで人が変わったみたいだった。邪気のない表情で溌剌と雑談に興じるその様は、それこそ3年前の、まだ自分と心が通じ合っていた時代の彼女を彷彿とさせるものだった。
 昼食後にカレンの話をした辺りから急に雲行きが怪しくなったが、それまでは非常に居心地の良い空気が流れていたように思える。久しぶりに心躍る時間を過ごせた気もする。好きな映画の話を思う存分できたからというのもあるが、それよりも立花と心を通わせて会話を楽しめたことが最たる理由だろう。
 特に午前中は部屋に閉じ込められていることもすっかり忘れて、高校生時代のあの頃にトリップしていた。冷凍保存していた思い出が次々と解凍されて、自分がいかに立花のことを愛していたのかを再認識した。その熱量は記憶を遙かに凌駕するものだった。
 3年前の当時も、立花から明確な好意を示されたことはない。だけどなんとなく彼女が俺のことを好意的に思ってくれていることは自覚していた。きっと彼女の方も、俺からの好意を感じ取っていただろう。
 俺たちは互いに思い合っていることを知っていながら、関係性を恋人に発展させようとはしなかった。タイミングの問題もあったが、ある種の余裕に浸っていたことも事実だ。自分たちは相思相愛だと確信していたから、焦って事を進める必要はないと高を括っていたのだ。それが傲慢に過ぎないと知ったのは、自分たちの関係にピリオドが打たれてからだった。
 あれから3年の月日が流れたが、まだ彼女への恋心は健在だ。また、自惚れでなければ立花の方もどうやら俺のことをまだ好いてくれているらしい。
 一方でその好意の裏側には割り切れない感情が潜んでいることも確かだと思う。一向に身体の関係を許してくれないのがその証拠だ。またカレンの話をした途端に感情の自制が利かなくなった様子をみても、かつての心の傷は未だに癒えていないようだと察せられる。
 ふと下半身が熱を帯び、自然と右手が伸びていた。性懲りもなく硬くなった股間をズボンの上からさする。昨日あれだけ派手に発散したにも関わらず、欲情しているのは媚薬が効いているせいか。いや、そんなものがなくたって大好きな女の子と四六時中一緒にいて、変な気を起こすなという方が無理な話なのだ。
 会わない間に随分大人びたなと改めて思う。そんなことを考えていると昨日の扇情的な光景が蘇り、瞬く間に股間の膨らみが大きくなった。一発抜いてスッキリしたいところだが、さすがに自制心が働く。立花をこっぴどく怒らせておいて、呑気にオナニーなんかしていられない。
 時計に表示された無機質な数字の並びを見つめて心を落ち着かせていると、そのうち尿意を催したため席を立った。用を足し終えると、頭の中が少しばかりクリアになった気がした。
 再び椅子に腰かけてから、ベッドの上の立花を目を細くして見つめる。
 俺は立花のことが好きだ。3年前はもちろん、彼女と別れてから今までも、ずっと。だが、現在の恋人である新川カレンへの愛情だって本物だ。どちらの思いが強固かと訊かれたら、僅差で立花カナの方だと答えるかもしれない。新川カレンへの恋心は自覚してまだ半年と経っていない。どうしたって年月の重みが違う。しかし今の自分にとってどちらが大切かと問われたら、天秤は間違いなく新川カレンの方に傾く。
 もし逆だったならば――3年前に出会ったのが新川カレンで、今の俺の彼女が立花カナだったとしたら、それに合わせて評価も逆転していたことだろう。
 俺は今でも立花カナのことを愛している。だけど彼女はただの昔の後輩で、現在の恋人である新川カレンを裏切れる理由にはならない。
 立花カナの魅力が新川カレンのそれに及ばないとか、そういう次元の話ではなく。
 俺はもう二度と、誰かを裏切りたくないのだ。
 自分に寄せられた期待や信頼を足蹴にしたくないのだ。
 そうしてしまえば無限に広がる罪の意識に未来永劫苦しむことになる。そうなることをこの上なく怖れているのだ。
 この3年間、立花を裏切ったことをずっと悔やみ続けてきた。ふとした拍子に彼女のことを思い出し、そのたびに意思の弱さだとか思慮の浅はかさだとか、そういった自分の中にある醜悪な部分と否が応にも向き合わなければならなかった。そうして自己嫌悪の嵐に襲われれば、忽ち自尊心を保っていられなくなる。忘れてしまえば楽になれるのだろう。だが、最愛の人を記憶から抹消することなんて出来やしない。
 それに、自分は加害者だ。どこまで罪悪感に苦しみ果てようと、罪なき彼女を傷つけた咎は決して無くなりはしない。自分は一生この十字架を背負って生きていかねばならないのだ。今でさえ苦しんでいるのに、またひとつ別の十字架など背負えるものか。

 ――性欲なんていっそのこと無くなってしまえばいいのに。

 心の中で呟く。さながら呪詛の言葉を唱えるように。
 不意に過去の情景がフラッシュバックする。そしてまた自己嫌悪の波が自分の意識をさらうのだった。
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