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第3章
立花カナの決意(1/5)
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初めてコージくん、もとい桐生先輩と出会ったのは、今から遡ること3年前――高校に入学したばかりの春先のことだ。
当時の私はとある田舎町で暮らしていて、街の高校に通うにはバスや電車といった公共交通機関を乗り継ぐ必要があった。所要時間は片道だいたい2時間弱ほど。昔から朝は強い方なので早起きはさほど苦ではなかったけれど、通学にかかる移動時間はなかなかに莫大で精神的にきついものがあった。
退屈凌ぎにできることといえば授業の予習か読書くらいで、始めの頃は有意義な時間を過ごそうと教科書や文庫本を膝の上に広げていたのだが、もともと乗り気でなかったせいか、たいていは2、3ページも進められないうちに上の空になっているのがオチだった。
高校を卒業するまでの3年間はこの拷問のような時間とも付き合わねばならないのかと思うと気が遠くなり、入学初日から早くもうんざりした気持ちになったのを覚えている。
しかし結局のところ我慢が続いたのは、たったの2週間余りだった。
孤独と退屈が蔓延る毎日にすっかり飽き飽きしていた私は、少し思いきった行動に出た。登校中の電車の中で、一度も喋ったことがなかった男子生徒に声をかけてみたのだ。それが桐生先輩だった。
実のところ初めて彼と車両を共にしてその存在を認知した時から気にはなっていたのだ。同じ学校の制服だったことも理由のひとつだが、たぶん違う学校の制服を着ていても、なんだったらスーツを着たサラリーマンや金髪ギャルの女子大生だったりしても、同じように関心を寄せていたと思う。
当時の私が暮らしていた地域は辺境地と呼んでも差し支えないくらいのど田舎で、最寄駅を通過する電車も2時間に1本あれば御の字。基本的にはどの時間帯も乗客の数は疎らで、都心のターミナル駅に着いてからは多少混雑するようにはなるものの、それまでは車中を見渡せば必ずどこかしらに空席があるのが常といった有様だった。
私が名も知らぬその男子生徒に興味を持ったのは、そんながらんどうの車中においていつも席に座ることなく突っ立っていたからだ。車両先頭の右扉付近が彼の定位置であり、いつもそこにもたれかかって直立不動の構えを決め込んでいる様子だった。
私の目から見てそれは不可解な行動だった。たとえば車中が混み合っていて誰かと相席になるのを避けたいがためにそうしているというのなら理解できる。だがこの田舎町を走る電車に限って、そのような事態が起こるとは思えない。
時に遠くから彼の様子を覗いていると、立ったまま舟を漕いでいるなんてこともあった。眠いなら座ればいいのに。そんなお節介めいた口をつい挟みたくなるくらいには、彼の一見説明がつかない行動は私のもっぱらの関心事になっていた。
日に日に好奇心は膨らんでいき、やがて押し寄せる孤独と退屈の波に抗いかねなくなったところで、持て余していた疑問にけりをつける覚悟を決めた。話をしてもし気が合いそうなら、今後も継続して話相手になってもらおうという魂胆もあった。
加えて彼はおそらく私を邪険に扱わないだろうという見込みがあったことも、彼へのアプローチを決断する後押しになっていた。というのも、自惚れでなければ彼の方からも時折見られている気配を感じ取っていたからだ。惚れられていると思うのはさすがに舞い上がりすぎだが、少なからず意識されていることは間違いないだろうという確証があった。
「あの、どうして座らないんですか?」
突然声をかけられたからだろう、彼は見るからに戸惑い、身を硬くした。
想定通りの反応だったので続けざまにも動じることなく予め用意していた台詞を放つことができた。
「私、立花カナと言います。2年生か3年生の方ですよね?」
服装や持ち物の傷み具合から新入生ではないだろうと推察したのだが、予想は的中。彼は、2年生だ、と答えた。依然として当惑の色に染まった口調だった。なかなか警戒心は強い方みたいだ。
とりあえず無用な緊張は手放してもらおうと思い、声をかけた経緯を述べることにした。
「いつも気になってたんです。こんなに空席ばっかなのに、なんで座らないんだろうって」
肩をちょっとだけ竦ませて上目遣いで先輩の顔を覗く。さすがに狙いすぎたかと自省が働きかけたが、先輩が照れ臭そうに私から目線を外したのを見て効果覿面だと悟り、内心でガッツポーズする。
単なる習慣だ、と答える先輩の口調はまだ少しだけぶっきらぼうな感じだった。
私はマイペースに会話を続けた。そのうちに、どうも座席に座らないのにはまた別の理由があるらしいと察した。
「それはなんですか?」
必要以上に目をキラキラと輝かせながら訊いてみた。
先輩は口を開きかけたが、またすぐに閉じて思案顔になった。一拍置いて先輩は言った。
「教えられないな」
初めて想定と異なる反応が返ってきて驚いた。それから我に返って理由を尋ねると、先輩は得意そうな顔になってこう言うのだった。
「大した理由じゃないが、常人には理解が及ばない考えかもしれんのでな。親しい間柄の人にしか明かしたくないんだよ」
なるほど、こういう駆け引きもできるのか。思った以上にくせ者かもしれない。
この時点で方針が決まった。この人とは友達になっておこうと。
私は頬を膨らませて不服そうな顔をつくった。もちろんこちらの台本通りに動いてもらうために計算ずくでつくったポーズだ。
「もったいぶりますね。またひとつモヤモヤが増えちゃいました」
「立花さんも立ちっぱを習慣にしてみたらどうだ? そのうち答えが見つかるかもしれないぞ」
面白い人、と内心で呟く。同時に、初めて名前を呼ばれて胸がどきりとした。
浮き立つ心を抑えながら、私は表面上は冷静さを装って先輩に微笑みかけた。
「遠慮しときます。私、先輩みたいに我慢強くないので」
自分に忍耐力がなくてよかった。そんなものがあったら、たぶん先輩に話しかける機会は永遠に訪れなかっただろうから。
私は近くの空席に腰かけた。そして先輩の顔を下から覗いた。即妙な台詞が瞬時に思いつき、私はとびきりの笑顔を先輩に向けて放った。
「それに遠回りは好きじゃないです。やっぱり本人から訊くのが、いちばんの近道だと思います。なので……」
それ以上は気取った台詞に聞こえるかもしれないなと思い、さすがに羞恥心が芽生えた。だが関係性を縮めるにはこれ以上ないくらい最適な台詞だろうという確信もあった。一瞬だけ生じた躊躇いを呑み込んで、私は続けた。
「これから仲良くしてもらうことにします。覚悟しておいてくださいね」
先輩はしばらくキョトンと呆けていた。
恰好つけたのだから、もう少し分かりやすい反応を示してほしい。
恥ずかしさに身悶えしたくなったが、我慢して先輩の顔を見つめ続けた。目を逸らしてはならないと思ったのだ。次に先輩が見せる反応によって、今後の私の行動が決まるのだから。
果たして先輩は破顔した。少しだけ困っているような、だけど一方で嬉しさを隠しきれていないような、そんなわかりやすい笑顔だった。上々の反応だった。
「桐生コージだ。よろしくな、後輩」
先輩への恋心を自覚するのは、もう少し後になってからだ。だがその優しい笑顔を見た瞬間から、もしかすると私はやられていたのかもしれない。当時の胸の高鳴りを思うと、そんな気がしてならない。
それからというもの。私たちは時を経て、劇的なスピードで距離を縮めていった。お互いに想い合っていることが打ち明けずとも伝わるほどに。
でも時折それは私の思い過ごしだったのではないかと考えたりもする。なぜなら私はまだ先輩が電車の中で立っていた本当の理由を教えてもらっていないから。それが明かされる前に、私たちの関係は一旦終止符を迎えたのだった。
初めてコージくん、もとい桐生先輩と出会ったのは、今から遡ること3年前――高校に入学したばかりの春先のことだ。
当時の私はとある田舎町で暮らしていて、街の高校に通うにはバスや電車といった公共交通機関を乗り継ぐ必要があった。所要時間は片道だいたい2時間弱ほど。昔から朝は強い方なので早起きはさほど苦ではなかったけれど、通学にかかる移動時間はなかなかに莫大で精神的にきついものがあった。
退屈凌ぎにできることといえば授業の予習か読書くらいで、始めの頃は有意義な時間を過ごそうと教科書や文庫本を膝の上に広げていたのだが、もともと乗り気でなかったせいか、たいていは2、3ページも進められないうちに上の空になっているのがオチだった。
高校を卒業するまでの3年間はこの拷問のような時間とも付き合わねばならないのかと思うと気が遠くなり、入学初日から早くもうんざりした気持ちになったのを覚えている。
しかし結局のところ我慢が続いたのは、たったの2週間余りだった。
孤独と退屈が蔓延る毎日にすっかり飽き飽きしていた私は、少し思いきった行動に出た。登校中の電車の中で、一度も喋ったことがなかった男子生徒に声をかけてみたのだ。それが桐生先輩だった。
実のところ初めて彼と車両を共にしてその存在を認知した時から気にはなっていたのだ。同じ学校の制服だったことも理由のひとつだが、たぶん違う学校の制服を着ていても、なんだったらスーツを着たサラリーマンや金髪ギャルの女子大生だったりしても、同じように関心を寄せていたと思う。
当時の私が暮らしていた地域は辺境地と呼んでも差し支えないくらいのど田舎で、最寄駅を通過する電車も2時間に1本あれば御の字。基本的にはどの時間帯も乗客の数は疎らで、都心のターミナル駅に着いてからは多少混雑するようにはなるものの、それまでは車中を見渡せば必ずどこかしらに空席があるのが常といった有様だった。
私が名も知らぬその男子生徒に興味を持ったのは、そんながらんどうの車中においていつも席に座ることなく突っ立っていたからだ。車両先頭の右扉付近が彼の定位置であり、いつもそこにもたれかかって直立不動の構えを決め込んでいる様子だった。
私の目から見てそれは不可解な行動だった。たとえば車中が混み合っていて誰かと相席になるのを避けたいがためにそうしているというのなら理解できる。だがこの田舎町を走る電車に限って、そのような事態が起こるとは思えない。
時に遠くから彼の様子を覗いていると、立ったまま舟を漕いでいるなんてこともあった。眠いなら座ればいいのに。そんなお節介めいた口をつい挟みたくなるくらいには、彼の一見説明がつかない行動は私のもっぱらの関心事になっていた。
日に日に好奇心は膨らんでいき、やがて押し寄せる孤独と退屈の波に抗いかねなくなったところで、持て余していた疑問にけりをつける覚悟を決めた。話をしてもし気が合いそうなら、今後も継続して話相手になってもらおうという魂胆もあった。
加えて彼はおそらく私を邪険に扱わないだろうという見込みがあったことも、彼へのアプローチを決断する後押しになっていた。というのも、自惚れでなければ彼の方からも時折見られている気配を感じ取っていたからだ。惚れられていると思うのはさすがに舞い上がりすぎだが、少なからず意識されていることは間違いないだろうという確証があった。
「あの、どうして座らないんですか?」
突然声をかけられたからだろう、彼は見るからに戸惑い、身を硬くした。
想定通りの反応だったので続けざまにも動じることなく予め用意していた台詞を放つことができた。
「私、立花カナと言います。2年生か3年生の方ですよね?」
服装や持ち物の傷み具合から新入生ではないだろうと推察したのだが、予想は的中。彼は、2年生だ、と答えた。依然として当惑の色に染まった口調だった。なかなか警戒心は強い方みたいだ。
とりあえず無用な緊張は手放してもらおうと思い、声をかけた経緯を述べることにした。
「いつも気になってたんです。こんなに空席ばっかなのに、なんで座らないんだろうって」
肩をちょっとだけ竦ませて上目遣いで先輩の顔を覗く。さすがに狙いすぎたかと自省が働きかけたが、先輩が照れ臭そうに私から目線を外したのを見て効果覿面だと悟り、内心でガッツポーズする。
単なる習慣だ、と答える先輩の口調はまだ少しだけぶっきらぼうな感じだった。
私はマイペースに会話を続けた。そのうちに、どうも座席に座らないのにはまた別の理由があるらしいと察した。
「それはなんですか?」
必要以上に目をキラキラと輝かせながら訊いてみた。
先輩は口を開きかけたが、またすぐに閉じて思案顔になった。一拍置いて先輩は言った。
「教えられないな」
初めて想定と異なる反応が返ってきて驚いた。それから我に返って理由を尋ねると、先輩は得意そうな顔になってこう言うのだった。
「大した理由じゃないが、常人には理解が及ばない考えかもしれんのでな。親しい間柄の人にしか明かしたくないんだよ」
なるほど、こういう駆け引きもできるのか。思った以上にくせ者かもしれない。
この時点で方針が決まった。この人とは友達になっておこうと。
私は頬を膨らませて不服そうな顔をつくった。もちろんこちらの台本通りに動いてもらうために計算ずくでつくったポーズだ。
「もったいぶりますね。またひとつモヤモヤが増えちゃいました」
「立花さんも立ちっぱを習慣にしてみたらどうだ? そのうち答えが見つかるかもしれないぞ」
面白い人、と内心で呟く。同時に、初めて名前を呼ばれて胸がどきりとした。
浮き立つ心を抑えながら、私は表面上は冷静さを装って先輩に微笑みかけた。
「遠慮しときます。私、先輩みたいに我慢強くないので」
自分に忍耐力がなくてよかった。そんなものがあったら、たぶん先輩に話しかける機会は永遠に訪れなかっただろうから。
私は近くの空席に腰かけた。そして先輩の顔を下から覗いた。即妙な台詞が瞬時に思いつき、私はとびきりの笑顔を先輩に向けて放った。
「それに遠回りは好きじゃないです。やっぱり本人から訊くのが、いちばんの近道だと思います。なので……」
それ以上は気取った台詞に聞こえるかもしれないなと思い、さすがに羞恥心が芽生えた。だが関係性を縮めるにはこれ以上ないくらい最適な台詞だろうという確信もあった。一瞬だけ生じた躊躇いを呑み込んで、私は続けた。
「これから仲良くしてもらうことにします。覚悟しておいてくださいね」
先輩はしばらくキョトンと呆けていた。
恰好つけたのだから、もう少し分かりやすい反応を示してほしい。
恥ずかしさに身悶えしたくなったが、我慢して先輩の顔を見つめ続けた。目を逸らしてはならないと思ったのだ。次に先輩が見せる反応によって、今後の私の行動が決まるのだから。
果たして先輩は破顔した。少しだけ困っているような、だけど一方で嬉しさを隠しきれていないような、そんなわかりやすい笑顔だった。上々の反応だった。
「桐生コージだ。よろしくな、後輩」
先輩への恋心を自覚するのは、もう少し後になってからだ。だがその優しい笑顔を見た瞬間から、もしかすると私はやられていたのかもしれない。当時の胸の高鳴りを思うと、そんな気がしてならない。
それからというもの。私たちは時を経て、劇的なスピードで距離を縮めていった。お互いに想い合っていることが打ち明けずとも伝わるほどに。
でも時折それは私の思い過ごしだったのではないかと考えたりもする。なぜなら私はまだ先輩が電車の中で立っていた本当の理由を教えてもらっていないから。それが明かされる前に、私たちの関係は一旦終止符を迎えたのだった。
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