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第2章
理性と本能の狭間で(5/5)
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♠
しばらくして元の落ち着きを取り戻した頃。
「媚薬?」
そういって怪訝な反応を示すと、立花はいつになく神妙な面持ちで頷いて説明を続けた。
「以前に服飲したことがあるんです。その時と似たような高揚感をさっきまでこの身に感じていました。もちろんその道に詳しいわけではないので確証はありません。ただ、今の私たちの境遇を思えば、可能性は極めて高い方かと」
ベッドを降り、冷蔵庫の前に移動する。膝を折って扉を開け、収蔵されている飲食物をざっと見眺めてから適当な缶詰を手に取り注視する。
「未開封っぽいけどな」
「現代技術を駆使すれば、それに薬物を混入させるくらい訳無いでしょう」
「……訳無いかな?」
「訳無いですよ」
立花はすんと鼻を鳴らして繰り返した。
俺は改めて手元の缶詰に視線を注ぐ。内心では未だに疑問符が燻っていた。
立花の言う通り、俺たちに性行為を促すことが運営側の目的なら、飲食物に媚薬なんてものが仕込まれていても何ら不自然ではない。だが、そこまで手の込んだことをする必要があるのか? 年頃の男女を密室に幽閉することさえできれば、それだけで目的を果たすには事足りる気がしなくもないが。
「…………」
いや、そういうわけにもいかないか。
小学生が蟻の生態観察をするのとはまるっきり訳が違う。いかに彼らが暇人であろうと見ず知らずの若者の生活をいつまでも監視し続けるわけにはいくまい。
当然お金の問題もあるが、それ以上に懸念すべきは、俺たちの失踪が世間の明るみに出ることだ。一日二日姿を眩ますくらいだったら誰も何とも思わないだろうが、その状態が何週間何ヶ月間と恒常的に続くようであれば、さすがにただ事ではないと思い始めるに違いない。
もしも警察沙汰になって大騒ぎに発展すれば、実験なんて到底続けていられる状況ではなくなる。そうした展開は運営側にとって本意でないはずだ。そう考えると媚薬を仕込むことくらい惜しむべく手間でもないように思えてきた。
「見たところ、既製品じゃ無さそうですし。もしかするとこの実験のためにいちから作られたものなのかも」
なるほど。それなら媚薬の仕込みも製造過程でできそうだ。そっちの方が一旦封をされた既製品に後から仕込むより、ずっと自然な出来映えになる。
「先輩は身体に異変を感じませんでしたか?」
問われ、数分前の我が身を振り返る。
「まあ確かに、言われてみると性欲の昂ぶりが尋常じゃなかった気はするが」
「今はどうです? まだムラムラしてますか?」
「…………いや、全然」
「なんか意味深な間がありましたけど」
立花の湿り気を帯びた眼差しがこちらを射抜く。
その視線には気づかないフリをして缶詰を冷蔵庫の中に戻し入れた。
あれだけ豪快に発散しておいてまだ乾きを知らないとは、我がことながら呆れるほかにない。あるいはこれが媚薬とやらの効果か。それとも相手が立花であるせいか……。
「ていうか、さっきは聞き流したけど、なんで媚薬なんて飲んだことあるんだよ」
攻守交代とばかりに詰問すると、立花の口元に不敵な笑みが浮かんだ。
「知りたいですか?」
遍く光を呑み込むような漆黒の瞳に捉えられ、緊張が走る。
その過去に踏み込むには相当の覚悟が必要と見える。
俺はため息をついてかぶりを振った。
「いや、止めておく。今日はもう、くたびれた」
背中から倒れるようにベッドに身を沈める。
立花カナの過去ーー彼女のことを理解するには、いずれは知らなくてはならないことだろう。
だが今は、それをまともに受け止められるほど余裕がない。
一刻も早くこの部屋から脱出したいという思いはあるが、焦りに突き動かされる形で強引に事を進めるのは禁物だ。とりわけ自分との交流が絶たれてからの3年間はデリケートなエピソードも多分に含まれているに違いない。時機はしっかり見極めなくては。
「私も、なんだか疲れちゃいました。ちょっと刺激が強すぎたみたいです」
「信用ならん言葉だな」
「本当ですって。先輩、人間不信が過ぎますよ」
「お前の日頃の行いが悪いせいだ」
「ふんだ。先輩のわからずや」
そっぽを向いて拗ねたように毒づく立花。
子供っぽい反応に思わず苦笑する。今のやりとりだけ切り抜くと、なんだか3年前のふたりに戻ったかのようだった。懐かしさが込み上げてきて少しだけ感傷的な気分になる。
本当はセックスなんかよりずっとこういう意味のない会話を続けていたい。もちろん時と場合は選ぶべきであり、今はそんな悠長なことをしている場合ではないと心得ている。
「媚薬が混ざってる可能性がある以上、ドカ食いは避けた方がいいかもしれませんね」
「副作用でもあるのか?」
「わかりませんが、一応、薬なので。用量用法は正しく守った方がよいかと」
「そうか……。じゃあ、例のおびき寄せ作戦を実行するのはもう少し後になりそうだな」
「はい。しょうがありません」
きっぱりと立花は言い切った。
俺は寝返りざまに彼女の顔を覗く。
「なんですか?」
「いや、別になんでも」
どうしてセックスしてくれないんだと訊こうとしたが、止めた。どうせ答えてくれないだろうと思ったし、もし答えがあったとしても、これ以上気落ちするような回答を今は聞きたい気分ではなかったからだ。
「……」
少しでも沈黙の間が出来ると、また思考の合間を縫うようにして恋人の顔が思い浮かぶ。
今頃カレンは何をしているだろうか?
突然姿を消した恋人の行方を憂いてくれているだろうか?
ーーきっと何も思ってくれていないだろうな。
先日あれだけ派手な喧嘩をしたんだ。いなくなって、むしろせいせいしているのではないか。
本心ではその予想が外れてくれていることを願うが、まあもし当たっていたとしても不要な心配をかけなくて済んだと思えば、今のタイミングで姿を眩ましたのはかえって都合が良かったかもしれない。
不意によぎった自虐的な考えを振り払うように、俺は上体を起こしてベッドから降り立った。うんと伸びをすると身体の節々から快音が上がった。
「やることもないし、部屋の出口でも探すか」
そう言うと立花がこちらを見るなり、げえ、と口をひん曲げた。
「飽きないですね。疲れたんじゃなかったんですか?」
「疲れてるさ。けど何もしないわけにはいかないだろ。今晩は見張りを立てる必要もなさそうだしな。日中はめいっぱい体を動かすことにするよ」
立花は唇を尖らせたまま、またそっぽを向いた。それから手をひらひらと振って呆れたように言った。
「どうぞ、気が済むまで」
期待はしていなかったが、どうやら立花の手は借りれないらしい。不満がないと言えば嘘になるが、彼女には彼女の考えがあるのだと信じて放っておくしかない。
とはいえ、単身で調査に励む傍らで、シーツにくるまってすうすうと寝息を立てている立花を目撃した時は、よもやここから脱出する気など更々ないのではないかと疑いたくもなった。その呑気な様は少しだけ俺の神経を逆撫でした。
しばらくして元の落ち着きを取り戻した頃。
「媚薬?」
そういって怪訝な反応を示すと、立花はいつになく神妙な面持ちで頷いて説明を続けた。
「以前に服飲したことがあるんです。その時と似たような高揚感をさっきまでこの身に感じていました。もちろんその道に詳しいわけではないので確証はありません。ただ、今の私たちの境遇を思えば、可能性は極めて高い方かと」
ベッドを降り、冷蔵庫の前に移動する。膝を折って扉を開け、収蔵されている飲食物をざっと見眺めてから適当な缶詰を手に取り注視する。
「未開封っぽいけどな」
「現代技術を駆使すれば、それに薬物を混入させるくらい訳無いでしょう」
「……訳無いかな?」
「訳無いですよ」
立花はすんと鼻を鳴らして繰り返した。
俺は改めて手元の缶詰に視線を注ぐ。内心では未だに疑問符が燻っていた。
立花の言う通り、俺たちに性行為を促すことが運営側の目的なら、飲食物に媚薬なんてものが仕込まれていても何ら不自然ではない。だが、そこまで手の込んだことをする必要があるのか? 年頃の男女を密室に幽閉することさえできれば、それだけで目的を果たすには事足りる気がしなくもないが。
「…………」
いや、そういうわけにもいかないか。
小学生が蟻の生態観察をするのとはまるっきり訳が違う。いかに彼らが暇人であろうと見ず知らずの若者の生活をいつまでも監視し続けるわけにはいくまい。
当然お金の問題もあるが、それ以上に懸念すべきは、俺たちの失踪が世間の明るみに出ることだ。一日二日姿を眩ますくらいだったら誰も何とも思わないだろうが、その状態が何週間何ヶ月間と恒常的に続くようであれば、さすがにただ事ではないと思い始めるに違いない。
もしも警察沙汰になって大騒ぎに発展すれば、実験なんて到底続けていられる状況ではなくなる。そうした展開は運営側にとって本意でないはずだ。そう考えると媚薬を仕込むことくらい惜しむべく手間でもないように思えてきた。
「見たところ、既製品じゃ無さそうですし。もしかするとこの実験のためにいちから作られたものなのかも」
なるほど。それなら媚薬の仕込みも製造過程でできそうだ。そっちの方が一旦封をされた既製品に後から仕込むより、ずっと自然な出来映えになる。
「先輩は身体に異変を感じませんでしたか?」
問われ、数分前の我が身を振り返る。
「まあ確かに、言われてみると性欲の昂ぶりが尋常じゃなかった気はするが」
「今はどうです? まだムラムラしてますか?」
「…………いや、全然」
「なんか意味深な間がありましたけど」
立花の湿り気を帯びた眼差しがこちらを射抜く。
その視線には気づかないフリをして缶詰を冷蔵庫の中に戻し入れた。
あれだけ豪快に発散しておいてまだ乾きを知らないとは、我がことながら呆れるほかにない。あるいはこれが媚薬とやらの効果か。それとも相手が立花であるせいか……。
「ていうか、さっきは聞き流したけど、なんで媚薬なんて飲んだことあるんだよ」
攻守交代とばかりに詰問すると、立花の口元に不敵な笑みが浮かんだ。
「知りたいですか?」
遍く光を呑み込むような漆黒の瞳に捉えられ、緊張が走る。
その過去に踏み込むには相当の覚悟が必要と見える。
俺はため息をついてかぶりを振った。
「いや、止めておく。今日はもう、くたびれた」
背中から倒れるようにベッドに身を沈める。
立花カナの過去ーー彼女のことを理解するには、いずれは知らなくてはならないことだろう。
だが今は、それをまともに受け止められるほど余裕がない。
一刻も早くこの部屋から脱出したいという思いはあるが、焦りに突き動かされる形で強引に事を進めるのは禁物だ。とりわけ自分との交流が絶たれてからの3年間はデリケートなエピソードも多分に含まれているに違いない。時機はしっかり見極めなくては。
「私も、なんだか疲れちゃいました。ちょっと刺激が強すぎたみたいです」
「信用ならん言葉だな」
「本当ですって。先輩、人間不信が過ぎますよ」
「お前の日頃の行いが悪いせいだ」
「ふんだ。先輩のわからずや」
そっぽを向いて拗ねたように毒づく立花。
子供っぽい反応に思わず苦笑する。今のやりとりだけ切り抜くと、なんだか3年前のふたりに戻ったかのようだった。懐かしさが込み上げてきて少しだけ感傷的な気分になる。
本当はセックスなんかよりずっとこういう意味のない会話を続けていたい。もちろん時と場合は選ぶべきであり、今はそんな悠長なことをしている場合ではないと心得ている。
「媚薬が混ざってる可能性がある以上、ドカ食いは避けた方がいいかもしれませんね」
「副作用でもあるのか?」
「わかりませんが、一応、薬なので。用量用法は正しく守った方がよいかと」
「そうか……。じゃあ、例のおびき寄せ作戦を実行するのはもう少し後になりそうだな」
「はい。しょうがありません」
きっぱりと立花は言い切った。
俺は寝返りざまに彼女の顔を覗く。
「なんですか?」
「いや、別になんでも」
どうしてセックスしてくれないんだと訊こうとしたが、止めた。どうせ答えてくれないだろうと思ったし、もし答えがあったとしても、これ以上気落ちするような回答を今は聞きたい気分ではなかったからだ。
「……」
少しでも沈黙の間が出来ると、また思考の合間を縫うようにして恋人の顔が思い浮かぶ。
今頃カレンは何をしているだろうか?
突然姿を消した恋人の行方を憂いてくれているだろうか?
ーーきっと何も思ってくれていないだろうな。
先日あれだけ派手な喧嘩をしたんだ。いなくなって、むしろせいせいしているのではないか。
本心ではその予想が外れてくれていることを願うが、まあもし当たっていたとしても不要な心配をかけなくて済んだと思えば、今のタイミングで姿を眩ましたのはかえって都合が良かったかもしれない。
不意によぎった自虐的な考えを振り払うように、俺は上体を起こしてベッドから降り立った。うんと伸びをすると身体の節々から快音が上がった。
「やることもないし、部屋の出口でも探すか」
そう言うと立花がこちらを見るなり、げえ、と口をひん曲げた。
「飽きないですね。疲れたんじゃなかったんですか?」
「疲れてるさ。けど何もしないわけにはいかないだろ。今晩は見張りを立てる必要もなさそうだしな。日中はめいっぱい体を動かすことにするよ」
立花は唇を尖らせたまま、またそっぽを向いた。それから手をひらひらと振って呆れたように言った。
「どうぞ、気が済むまで」
期待はしていなかったが、どうやら立花の手は借りれないらしい。不満がないと言えば嘘になるが、彼女には彼女の考えがあるのだと信じて放っておくしかない。
とはいえ、単身で調査に励む傍らで、シーツにくるまってすうすうと寝息を立てている立花を目撃した時は、よもやここから脱出する気など更々ないのではないかと疑いたくもなった。その呑気な様は少しだけ俺の神経を逆撫でした。
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