セックスしないと出られない部屋に閉じ込められたのに、彼女が性交渉に応じてくれません。

西木景

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第2章

理性と本能の狭間で(2/5)

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 ♠



「……ぱいっ、……先輩っ! 起きてください!」



 沈んでいた意識を弾んだ声が呼び覚ました。

 慌てて飛び起きると、正面のテレビ台の前に立花カナの姿があった。若干緊張したような笑みを浮かべてこちらを見ている。



「どうした」



「朗報です。食料が見つかりました」



「え?」



 立花は腰を屈めて、テレビ台の下にすっぽりと収まっている冷蔵庫の扉を開いた。

 俺は瞠目した。みるとペットボトルや缶詰がぎゅうぎゅうに詰められているではないか!



「なんだよそれ……昨日は何も入ってないって言ってなかったか?」



「ええ、だから驚きましたよ。なんだか狐につままれたような気分です」



 ハイテンションな口振りが、彼女にもたらされた衝撃の大きさを表していた。

 俺はベッドを下りて、冷蔵庫の前で膝をついた。中に入っているものを一つひとつ手に取り確認していく。缶詰類が大半を占めているが、かんぱんやクッキー、チョコレート、ゼリー飲料といった保存食もある。内扉には2段のポケットが付いていて、上段はミネラルウォーターのペットボトルで埋めつくされている。下段もだいたい同じようなラインナップだが、よく見るとポケットの奥の方に小型の瓶が何本か詰められている。パッケージは異なるが、いずれも精力剤のようだ。



「どうなってんだ……」



 呆然として呟く。今は喜びより混乱の方が勝っていた。

 考え込んでいると隣からため息の音が聞こえた。



「考えるのは後にしません? もうお腹が空きすぎて死にそうなんですけど」



「あ、ああ。そうだな」



 とりあえず状況の整理は後回しだ。今の飢餓状態では十分に脳に血が回っていないため、ろくに推理を働かせることもできないだろう。

 同意を得るなり立花は早速俺の身体を押しのけて冷蔵庫の中を物色し始めた。



 ※



 空腹は限界まで迫っていたが、あと何日ここに居続けなくてはならないのかわからない以上、さすがに手当たり次第というわけにはいかない。

 協議の結果、本日の朝食は鯖缶一つと板チョコ1枚を分け合って済ませることにした。

 満腹に至るには程遠い質素な朝食を済ませてから、俺たちは改めて顔を突き合わせた。



「昨日まで冷蔵庫が空っぽだったというお前の証言を信じるなら……」



 立花がむっとした顔を向けてくる。僅かでも嫌疑をかけられていることが心外なのだろう。

 もっとも口にはしたがその可能性は限りなくゼロに近いものだとも思っている。自分の首を締めてまでそのような嘘をつく理由が思いつかない。



「俺たちが寝ている間に冷蔵庫に食糧が詰められたってことだよな?」



 立花は依然として不満そうに唇を尖らせつつも、はい、と頷き、同意を示した。



「この部屋に自分たち以外の人間が足を踏み入れたことは間違いないでしょうね」



「ということは、だ。この部屋のどこかには必ず出入り口が存在してるってことじゃないか」



 初めて光明が差した気がした。自然と握り拳に力が入る。

 だがそんな自分とは対照的に、立花の表情は硬いままだった。



「でも、昨日散々探して見つからなかったじゃないですか。ふたりがかりであれだけ漁って見つけられなかったものが存在するとは思えません」



「じゃあ冷蔵庫についてはどう説明するんだ」



 立花は俯いて黙り込んだ。少し待ってみたが、答えは出せないようだった。

 まあ反論したい気持ちはわからなくもない。昨日あれだけ骨を折って探したにも関わらず、脱出するための足がかりは何一つ見つけられなかったのだ。また無駄足を踏んで絶望を味わうくらいなら最初から希望なんて抱きたくない。そう考えてしまうのは無理からぬことだろう。

 だがそうやって二の足を踏んでばかりいては、いつまで経っても状況は打開されない。



「気乗りしないのはわかる。だけどもう一度だけ、部屋の中を調べてみないか? というより、それくらいしか今の俺たちに出来ることはないじゃないか」



 立花の睨むような眼差しにはありありと不服の意が滲んでいた。

 俺はため息を呑み込んで、小さくかぶりを振った。



「それが嫌なら、あとはもう、セックスするしかない」



 立花はぎゅっと眉間に力を込めて俯いた。半開きの口から今にも、げえ、と呻き声が漏れれそうだ。



 ーーそんなに自分と枕を交わすのは嫌なのか……。



 傷心する俺をよそに、立花は嘆息してつかの間の沈黙を破った。



「別に面倒だからというだけで反対してるのではなく、ただ体力やメンタルを無駄に削ることに抵抗があるんです。いずれ部屋を脱出するチャンスが巡ってきた時のことを思うと、体力もメンタルも今はできる限り温存しておいた方がよいのではないかというのが私の考えです」



 意外に筋の通った意見だ。思いがけず返答にまごつく。

 その隙をつくように立花は前のめりになって続けた。



「もっとスマートなやり方でいきません? たとえば夜に寝たふりして、運営の人が部屋に来るのを待ち伏せするというのはどうでしょう? そっちの作戦の方が闇雲にガサ入れするよりずっと効率的だと思います」



「うぅむ……」



 その作戦は上手くいくだろうか? 唸りながら思考を捻る。

 差しあたってふたつの懸念事項が思い浮かんだ。ひとつは素人の三文芝居に運営が騙されてくれるかどうかが疑問であること。もうひとつは運営がこの部屋を再訪する保証はどこにもないということだ。

 察するに運営は俺たちを飢え死にさせるつもりはないのだろう。だからわざわざ危険を承知で部屋に忍び込み、食料を補給していったのだ。すでに目的は達成されていて、ならば少なくとも今ある食料が尽きるまでは部屋を再訪することもないのではないか?

 とすると、まずは冷蔵庫の中の食糧品を全て消費する必要がありそうだ。あの量なら、まあ4、5日もあれば事足りるだろう。

 実現性の面ではそれほどハードルは高くない。問題は仮説が正しいことを証明してくれる材料が圧倒的に足りていないことだ。確証のない仮説を信じて唯一の生命線である食糧を浪費するのは無謀な賭けに違いなく、実行には多少ばかり覚悟を決める必要があるだろう。

 また仮説が正しかったところで、こちらの思惑通りに事が運ぶ保証が無いことも不安要素ではある。冷蔵庫の中身を空にすることができたとしても、しばらくのあいだは蓄えがあるとみなされて絶食を強いられるかもしれない。そんな非人道的なことは運営もしないと決め込むのはさすがに楽観的過ぎる。

 だが、立花の意見も一理ある。というより、そう思いたい自分がいると言った方が正しいか。自分で主張しておいてなんだが、成果の上がる見込みがない地道な調査を行うことに、俺自身うんざりしているのも事実だった。

 きっと運営は俺たちより何枚も上手だ。探せば見つかるような出口なんてとっくに塞いでいるだろうし、そもそも正攻法が通じるような相手ではない。それこそ運営を出し抜くには、隙を突く以外の方法は無いんじゃないか……?

 目を閉じて、思いつく限りの可能性を精査することに集中する。

 だがそんな折に、先輩、と呼びかけられ、思考が中断した。目を開くと、立花が白けた顔でこちらを見ていた。



「なんか長くなりそうなんで、お風呂入ってきてもいいですか?」



「は?」



 突拍子もないことを言われ、思わず間の抜けた感嘆詞が飛び出る。

 立花はすんと鼻を鳴らして、



「私、朝と夜にお風呂に入るのが日課なんです」



 そうぬけぬけと言うのだった。



「いや、いやいや。状況を考えろよ。こんな時に風呂は無いだろ」



「でも、夜までやることもないでしょ?」



 立花はこちらの反論を待たずして席を立った。すでに腹積もりはできているらしく、口元に浮かぶ涼しげな笑みが不退転の意思を表明していた。



「では、いってきます。先輩、覗かないでくださいね」



 童話の鶴みたいなことを言い残して、颯爽と浴室に消えていく。

 俺は空いた口が塞がらなかった。

 透明な壁の向こう側で無造作にガウンを脱ぎ始めた彼女から慌てて目を逸らし、浴室に背を向ける形でベッドの端に座り直す。

 妄想は禁物だと自戒していたが、意識せずとも聞こえてくる衣擦れやシャワーの音に自ずと想像が膨らむ。

 加えて昨夜目撃した淫靡なワンシーンが蘇り、気づけば股間はすっかり熱を帯びていた。

 激しい情欲の嵐が過ぎ去るのを、重量の増した頭を抱えながら耐え凌ぐ。

 どうやら敵の敵は常に味方というわけではないらしい。理屈通りにいかない現実を俺は呪った。
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