セックスしないと出られない部屋に閉じ込められたのに、彼女が性交渉に応じてくれません。

西木景

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第1章

再会は戸惑いと共に(4/5)

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 ♠



 衣擦れの音。

 水の跳ねる音。

 押し殺した息が溢れる音。

 様々な音が沈んでいた意識に鞭を打ち、徐々に覚醒へと向かわせる。

 瞼の先に薄明かりが広がっている気配があった。



「……んん、あンっ……」



 微睡んだ脳に甘美な声が忍び入る。

 重たい瞼を持ち上げて物音がした方向に目を遣るとーー

 ガウンを着崩した女が、ベッドの上で身をよじらせていた。



「……はうッ! んんっ……!」



 立て続けに蕩けるような声が耳朶を打った。

 その瞬間、一気に眠気が吹き飛んだ。

 女の正体は、立花カナだった。その手は自身の下半身に伸びていて、クチュクチュと淫らな音を響かせている。大胆に露出した太腿には脱ぎかけのパンティが巻き付いていて、極力声が漏れ出さないよう努力しているのだろう、ガウンをきつく噛み締めたその横顔は、恍惚に耐え忍ぶように歪んでいた。

 はじめ俺は夢を見ているのかと思った。理性と本能のせめぎ合いに疲弊した精神が、心の均衡を保つべく淫夢を見せているのだと。

 だが夢なら覚めてくれと願っても、舌を思いきり噛んでも、一向に景色は変わらなかった。そして悟った。高校時代の後輩にしてかつての思い人である立花カナが、自分の真隣で手淫に耽っている――それが紛れもなく現実であるということを。

 立花のとろんとした黒目が、ふと俺を捉えた。

 その瞬間、彼女はハッと表情を強張らせて、慌てて身を丸めた。

 息を弾ませつつ、今にも泣き出してしまいそうな目でこちらを見つめてくる。



「立花……」



 やっとの思いで声を出すことができた。

 だが衝撃が絶大すぎて、それ以上は言葉が紡げなかった。



「ち、違うんです……」



 立花は首をふるふると横に振った。上擦った声が濡れた唇から発せられる。

 それ以上、言い訳の言葉は続かなかった。というより何も違うことなどないのだから、続けようがないと言った方が正しい。

 不意に立花の視線が別の方向に流れた。俺はその行方を追った。辿り着いたのは自身の下半身、もっこりとテントを張った股間だった。

 その瞬間、彼女の瞳の奥が色めき立ったのを俺は見逃さなかった。



「我慢できなかったんだな」



 ゆっくり上体を起こしてそう投げかけると、立花は視線を虚空に彷徨わせて項垂れた。

 そこに昨日までの刺々しい雰囲気や毒気みたいなものは皆無だった。弱々しいその様は、さながら親にいたずらが見つかった幼子のようだった。



「ごめんなさい」



 立花は謝罪の言葉を口にした。やはり力のない口調だった。



「どうして謝るんだ」



「……だって、私ひとりで気持ちよくなろうとしちゃったから」



「ひとりで、ね」



 天井を見上げ、瞼を閉じる。つかの間黙考し、



「なあ立花」



 再び彼女に視線を定めて言った。



「セックス、するか」



 立花は身じろぎひとつせず、じっと俺の顔を見返していた。

 俺は反り立つ股間を一瞥して、苦笑する。



「謝る必要はないさ。俺ももう限界なんだ。ひとりでやるくらいなら、一緒に気持ちよくなろう」



「……せんぱい」



 立花の膜を張ったようにぼんやりした瞳が俺を捉えた。

 唇は半開きの状態だ。興奮しているのか、口の中で糸が引いている。

 様子をうかがいつつ、彼女にゆっくりにじり寄る。

 蕩けた表情が迫るにつれ、自分の愚かさを思い知る。



 ――俺はなにを独り相撲していたのだ。



 立花を裏切るまいとするばかりで肝心の彼女の気持ちを理解するのを怠っていた。彼女だってひとりの人間だ。知らない場所に拉致監禁されて、次食事にありつけるのもいつになるかわからない、そんな心許ない状況にあって、不安が募らないわけがない。不安が募ればそれを解消しようと何かしらの欲求が強くなるのは人間のさがだ。

 澄ました態度で余裕そうに振る舞っていたが、その実彼女も肉欲に飢えていたのだ。自分と同じように。そう思えば昨日の挑発的な言動の数々はある種の誘惑だったのだなと合点がいく。

 唇が重なるまで、あと10センチ。

 互いの息遣いが感じられる距離まで詰めたところで、俺は薄く瞼を閉じた。

 その直後だった。



「間に合ってます」



 立花が言った。温度のない声で、短く、刺すように。

 咄嗟に俺は停止する。そして瞼を開いて驚く。目の前に感情のない能面があったからだ。



「先輩とエッチする気はありません。すみませんが、お引き取り願います」



 次の瞬間、左肩に衝撃を覚えた。立花の前蹴りが炸裂したのだった。

 身体が後ろに押し返され、気づいた時には無様な仰向けを晒していた。



「……え?」



 狼狽に取り憑かれたまま、ベッドから下りてすくっと立ち上がる立花の姿を認める。

 脱ぎかけのパンティを履き直し、乱れた衣装を整えた後、まるで虫けらを見るような目をして彼女は言う。



「恰好つけてた割に、ずいぶん脆かったですね。なんともまあ、ちんけな理性だこと」



「いやいやいや。ええ……なにこの展開?」



 立花は腕組みして盛大にため息を吐き捨てた。



「私を、場の空気に流されて股を開く女とお思いで? はっ、なめられたものですね」



「いや、なんでそんなにキレ散らかしてるのか理解に苦しむが……。ていうか、現実問題として、セックスしないと部屋から出られないんだぜ? ここはもう、お互いの気分が乗ったタイミングで、手っ取り早くヤっちまった方が賢明じゃないか?」



 そう諭すと、立花の表情がみるみる険しくなっていった。まるで外敵を威嚇する獣のようだった。



「昼間とはまるで別人ですね。見損ないました。もう絶対にヤらせてあげないんだからっ」



 そう言い放って荒々しい手付きでシーツを剥ぎ取り、俺に背を向ける形でベッドに横たわった。



「おい、立花」



 声をかけるが、反応は無し。完全にへそを曲げた様子だった。

 俺は途方に暮れるしかなかった。

 目が覚めて今に至るまでの出来事――立花が隣で自慰に耽っていたことも、断固とした態度で性交渉に応じなかったことも、全てが嘘のような展開だった。

 そして少なからず傷付いてもいた。

 そりゃあ彼女にはむかし酷いことをしたわけだし、俺のことを恨めしく思っていてもおかしくないけれど。なにもそこまで無碍に拒絶しなくたっていいじゃないか……。

 こんな状況になってもビンビンに勃っている股間が間抜けだった。

 時刻は午前3時前。夜はまだ明けそうにない。

 仕方ないので二度寝することにして、俺もシーツに包まった。

 枕元にある間接照明の灯りが鬱陶しく、スイッチを切ろうと手を伸ばしたその時、



「電気消さないでくださいね。真っ暗だと眠れないので」



 立花の尖った声がすかさずこちらの行動を制止してきた。

 俺はぎょっとしてを背後を振り返った。彼女は背を向けたままだった。そこに目でもついてるのかと疑いたくなる。

 ため息をついて、手を引っ込める。この様子だと、当分この部屋から出られそうにないな――先行きを案じながら、俺は瞼を閉じた。
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