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第1章
再会は戸惑いと共に(3/5)
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程なくしてドライヤーの音が止み、立花が部屋に戻ってきた。
「お待たせしました。もうこっち見ていいですよ」
振り返ると純白のガウンを身に纏った立花の姿があった。
そんな緊張感の欠けた装いで戻ってくることは、これまでの彼女の言動を振り返るに今更驚きはしない。だがその出で立ちを長くは見ていられなかった。私服姿よりも露出が多いのに加えて、湿り気を帯びた髪の毛と全身から迸っている湯気の様がいやに生々しく、俄然オスの本能が刺激されそうになったからだ。
すっと彼女から視線を逸らして静かに深呼吸する。
背後でベッドのスプリングが軋む音がした。
「暇ですし、テレビでも点けますか」
リラックスしすぎだろ、と内心で毒づくが、気を紛らわすにはちょうどいいかもしれない。
好きにしろ、と言うなり、立花はベッドの上を這いつくばって、テレビの前に置いてあったリモコンに手を伸ばした。
俺は枕に頭を乗せてモニターに視線を預けた。
電源が入り映像が流れる。少しばかり画質が粗い。ひと昔前のドラマの再放送だろうか、若い男女がテーブルを挟んで向かい合い、談笑しながら食事を取っている。どちらも見覚えのない顔の役者だった。
「お腹空きましたね」
隣の立花が覇気のない口調でこぼす。
同感だったが口を動かす気力が湧かず、腹の虫だけ鳴らして応じた。
しばらく黙って眺めていたが、次第に欠伸をかき始めていた。
退屈なドラマだった。ふたりの男女の暮らしぶりが淡々と流れるだけで、目新しい展開は一向に訪れない。挿入歌やBGMの類もなく、多少のカットは入っているが編集も最低限のレベルしか施されていない。まるで見ず知らずの他人の家のホームビデオを見ているかのようだった。
ふと中川社長に言われたことを思い出す。物語にリアリティーを追求することは確かに大事だろうが、悲しいかな脚本に恵まれなければどんな演出も塵芥と変わらない。そう考えると監督の一番の仕事は脚本の善し悪しを見分ける力なのではないかとも思えてくる。
すっかりテレビの内容と別のことを考えていた、その時だった。
場面は寝室に移り、ベッドの上で抱擁を交わすふたりの姿が映し出された。見つめ合い、やがて口付けを交わす。始めは唇が触れるだけのキスだったが、徐々に舌を絡め合う濃厚なそれに遷移していく。ついには服まで脱ぎ始め、そのまま濡れ場に突入した。地上波では絶対に映せないものもばっちり映っていた。
「これって……アダルトビデオじゃないか!」
咄嗟にベッドから跳ね起きた。
隣をみると立花が興味津々とばかりに画面に食いついている。
「おい立花。チャンネルを変えろ」
そう指示するが全く反応を示さない。目の下を桜色に染めて、どっぷりテレビに夢中になっている様子だった。
俺は立花の手からリモコンをひったくり、チャンネルを変えた。
隣から、あー、と無念そうな声が聞こえたが、黙殺する。
だが変えた先のチャンネルでも、別の男女が淫らな行為に及んでいた。仰向けの男の上に女が馬乗りになってあんあんと嬌声を撒き散らせながら腰を上下に振っている。慌ててチャンネルを変えるが、またしても濡れ場だった。裸の男女がシックスナインと呼ばれる体位で互いの性器を慰め合っている。
全てのチャンネルを一周して、唖然とした。どのチャンネルもAVだった。
即座にテレビの電源を消して、リモコンをテーブルの上に放り投げた。
深いため息を吐き捨てて、背中からベッドに身を沈める。身体にのしかかる疲労が一気に増した気がした。
「もう観ないんですか?」
立花が上から覗き込むようにして尋ねてくる。その口振りには多分に名残惜しそうな響きが含まれていた。
「勘弁してくれ。これ以上、俺のメンタルを刺激しないでくれ」
立花は何か言いたそうに唇をへの字に曲げていたが、結局何も言うことなく身を引いた。
少しのあいだ、部屋に気まずい沈黙が流れた。
「もう寝ましょうか。私、歯磨いてきますね」
立花が沈黙を破り、ベッドから下りて浴室へと去っていった。
その姿を見送りながら、不安が溢れるのを止められなかった。
いつまで理性が保ってくれるだろうか……。今はかろうじて正気を失わないでいるが、それも時間の問題だ。どうしても部屋から脱出するための手段が見つからない時はセックスもやむなしといった結論に行き着くだろう。
性欲の暴走ばかりを危惧しているが、もしかすると一番の敵は空腹かもしれない。性欲は我慢できても、食欲についてはいつか確実に我慢の限界が訪れる。食欲の増幅は死が迫りつつあることのシグナルにほかならない。
さすがに見栄や虚勢だけで死を選ぶようなことはしない。その時は惨めだと思いつつも地べたに這いつくばって立花に頭を下げるしかない。そんな最悪の結末は何としてでも回避しなければ……。
内心で焦りと共に念じるが、半ば諦念が侵食しつつあることも認めざるをえなかった。
極限状態に達してからでは手遅れになる怖れもある。試せる手は試せる時に打っておいた方がいいんじゃないかーーそこまで考えたところで、思考が楽な方向に流されていると気がつき、かぶりを振った。
俺は強く自分に言い聞かせる。弱気になるな。かつての、虚無感と自己嫌悪に取り憑かれながらひとり電車に揺られていた日々を思い出せ、と。
理性と本能の板挟みに遭っているうちに、よほど神経が摩耗していたのか、いつの間にか意識が途絶えていた。
程なくしてドライヤーの音が止み、立花が部屋に戻ってきた。
「お待たせしました。もうこっち見ていいですよ」
振り返ると純白のガウンを身に纏った立花の姿があった。
そんな緊張感の欠けた装いで戻ってくることは、これまでの彼女の言動を振り返るに今更驚きはしない。だがその出で立ちを長くは見ていられなかった。私服姿よりも露出が多いのに加えて、湿り気を帯びた髪の毛と全身から迸っている湯気の様がいやに生々しく、俄然オスの本能が刺激されそうになったからだ。
すっと彼女から視線を逸らして静かに深呼吸する。
背後でベッドのスプリングが軋む音がした。
「暇ですし、テレビでも点けますか」
リラックスしすぎだろ、と内心で毒づくが、気を紛らわすにはちょうどいいかもしれない。
好きにしろ、と言うなり、立花はベッドの上を這いつくばって、テレビの前に置いてあったリモコンに手を伸ばした。
俺は枕に頭を乗せてモニターに視線を預けた。
電源が入り映像が流れる。少しばかり画質が粗い。ひと昔前のドラマの再放送だろうか、若い男女がテーブルを挟んで向かい合い、談笑しながら食事を取っている。どちらも見覚えのない顔の役者だった。
「お腹空きましたね」
隣の立花が覇気のない口調でこぼす。
同感だったが口を動かす気力が湧かず、腹の虫だけ鳴らして応じた。
しばらく黙って眺めていたが、次第に欠伸をかき始めていた。
退屈なドラマだった。ふたりの男女の暮らしぶりが淡々と流れるだけで、目新しい展開は一向に訪れない。挿入歌やBGMの類もなく、多少のカットは入っているが編集も最低限のレベルしか施されていない。まるで見ず知らずの他人の家のホームビデオを見ているかのようだった。
ふと中川社長に言われたことを思い出す。物語にリアリティーを追求することは確かに大事だろうが、悲しいかな脚本に恵まれなければどんな演出も塵芥と変わらない。そう考えると監督の一番の仕事は脚本の善し悪しを見分ける力なのではないかとも思えてくる。
すっかりテレビの内容と別のことを考えていた、その時だった。
場面は寝室に移り、ベッドの上で抱擁を交わすふたりの姿が映し出された。見つめ合い、やがて口付けを交わす。始めは唇が触れるだけのキスだったが、徐々に舌を絡め合う濃厚なそれに遷移していく。ついには服まで脱ぎ始め、そのまま濡れ場に突入した。地上波では絶対に映せないものもばっちり映っていた。
「これって……アダルトビデオじゃないか!」
咄嗟にベッドから跳ね起きた。
隣をみると立花が興味津々とばかりに画面に食いついている。
「おい立花。チャンネルを変えろ」
そう指示するが全く反応を示さない。目の下を桜色に染めて、どっぷりテレビに夢中になっている様子だった。
俺は立花の手からリモコンをひったくり、チャンネルを変えた。
隣から、あー、と無念そうな声が聞こえたが、黙殺する。
だが変えた先のチャンネルでも、別の男女が淫らな行為に及んでいた。仰向けの男の上に女が馬乗りになってあんあんと嬌声を撒き散らせながら腰を上下に振っている。慌ててチャンネルを変えるが、またしても濡れ場だった。裸の男女がシックスナインと呼ばれる体位で互いの性器を慰め合っている。
全てのチャンネルを一周して、唖然とした。どのチャンネルもAVだった。
即座にテレビの電源を消して、リモコンをテーブルの上に放り投げた。
深いため息を吐き捨てて、背中からベッドに身を沈める。身体にのしかかる疲労が一気に増した気がした。
「もう観ないんですか?」
立花が上から覗き込むようにして尋ねてくる。その口振りには多分に名残惜しそうな響きが含まれていた。
「勘弁してくれ。これ以上、俺のメンタルを刺激しないでくれ」
立花は何か言いたそうに唇をへの字に曲げていたが、結局何も言うことなく身を引いた。
少しのあいだ、部屋に気まずい沈黙が流れた。
「もう寝ましょうか。私、歯磨いてきますね」
立花が沈黙を破り、ベッドから下りて浴室へと去っていった。
その姿を見送りながら、不安が溢れるのを止められなかった。
いつまで理性が保ってくれるだろうか……。今はかろうじて正気を失わないでいるが、それも時間の問題だ。どうしても部屋から脱出するための手段が見つからない時はセックスもやむなしといった結論に行き着くだろう。
性欲の暴走ばかりを危惧しているが、もしかすると一番の敵は空腹かもしれない。性欲は我慢できても、食欲についてはいつか確実に我慢の限界が訪れる。食欲の増幅は死が迫りつつあることのシグナルにほかならない。
さすがに見栄や虚勢だけで死を選ぶようなことはしない。その時は惨めだと思いつつも地べたに這いつくばって立花に頭を下げるしかない。そんな最悪の結末は何としてでも回避しなければ……。
内心で焦りと共に念じるが、半ば諦念が侵食しつつあることも認めざるをえなかった。
極限状態に達してからでは手遅れになる怖れもある。試せる手は試せる時に打っておいた方がいいんじゃないかーーそこまで考えたところで、思考が楽な方向に流されていると気がつき、かぶりを振った。
俺は強く自分に言い聞かせる。弱気になるな。かつての、虚無感と自己嫌悪に取り憑かれながらひとり電車に揺られていた日々を思い出せ、と。
理性と本能の板挟みに遭っているうちに、よほど神経が摩耗していたのか、いつの間にか意識が途絶えていた。
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