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プロローグ
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メールに記されていた住所のもとに赴くと、街の外れにある小さなビルに行き着いた。中に入ろうと決断したのは、約束の時刻に差し掛かる少し前の頃だった。本当は20分も前に到着していたのだが、看板のような目印になるものが見当たらず、本当にこの場所で合っているのか確証が持てなかったため、決断に時間を要したのだ。
半信半疑のままエントランスを通過してエレベーターホールに行くと、上矢印のボタンが取り付けられたパネルの隣に貼り紙を見つけた。
『星雲科学(株)面接会場は4階です。』
どうやらここで間違いないようだ。
こういう貼り紙はビルの外に貼っておいてくれよ、と内心でぼやきつつ、俺はやってきたエレベーターに乗り込んだ。
目的の階に着きエレベーターから下りると、左右に伸びた通路に出た。天井は高いが、その割に幅狭な廊下だった。床には白黒のタイルが交互に敷き詰められていて、歩くたびコツコツと乾いた靴音が響く。
一定間隔ごとに扉が並んでいて、その一つひとつに会社名が記されたプレートが飾られている。目当ての会社は通路のいちばん端にあった。
扉と向かい合い、ノックしようと拳を挙げたところで躊躇いが生じた。本当に信用に値する会社なのか急に不安になったのだ。高額な報酬に釣られてのこのこやって来たが……もう少し詳しく会社のことを下調べしておくべきだったかもしれない。面接とは名ばかりで知らぬ間に悪徳商法なんかに嵌められたりでもしたらどうしようか。
悪い想像を膨らませていたその時だった。扉が開き、中からスーツ姿の男が現れた。全体的に線の細い、黒縁の眼鏡をかけた若者だった。
出会い頭に、男は驚き顔を浮かべた。が、こちらの背格好を見眺めるなり相合を崩して声をかけてきた。
「こんにちは。面接の方ですか?」
いくらか愛想の込もった声だ。
戸惑いながらも、はい、と応じる。
「なかなか来ないから、ちょっと様子を見に行こうとしてたところだったんだ。このビル、分かりにくい場所にあったでしょ。けっこう迷う人、多いんだよね」
いきなりフランクな口調で喋りかけられ、また戸惑いに駆られる。しかし、なんとなくだが歓迎されている雰囲気だけは伝わってきた。
「さ、中へどうぞ」
促されるまま部屋の中に足を踏み入れる。
そこは会社のオフィスにしては少々手狭に感じられる一室だった。中央に4台のデスクが密着して並べられていて、窓際の閉め切られたブラインドの前にもデスクが1台ある。壁際にはキャビネットやロッカーが複数台配置されているほか、観葉植物や水槽といったインテリアも置かれている。デスクの上にはノートパソコンだったり紙の資料だったり色々ものが散乱しているが、今は眼鏡の彼以外、社員の姿は見えない。
出入り口とは別に扉が2つあり、それぞれ『社長室』『会議室』と記されたプレートが飾られていた。
通されたのはもちろん会議室の方だった。
そこは縦長の机が1台と椅子が数脚並べられただけの簡素な部屋だった。真っ白な壁にカレンダーと時計が掛かっている他には、たとえばホワイトボードや電話やプロジェクターといった会議室と聞けばいかにもありそうな備品は見当たらない。
入って右手側の中央の席にスーツ姿の女性が座っていた。長い黒髪を後ろで束ねていて、剥き出しになった耳元でシルバーのイヤリングが控えめな輝きを放っている。眼鏡の彼よりもキャリアがありそうだ。歳の程は30代前半といった辺りか。多少メイクの力も借りているだろうが、目鼻立ちがくっきりしていて怜悧な印象を抱かせる。
女性はこちらの姿を認めると、歓迎の意を示すようにニコリと微笑みかけてきた。
「こんにちは。はじめまして」
さっと立ち上がり、一礼してくる。板についた身のこなしだった。
こちらもぎこちなくではあるが、同様の言葉と所作を返した。
どうぞお座りください、と勧められ、女性の真向かいの席に腰を下ろす。
「学生さんでしたよね。今は夏休みですか?」
こちらの緊張を解すためだろう、微笑みを維持したまま気さくに話しかけてくる。
不安や戸惑いは一旦胸の奥に押し込めて、俺は愛想笑いと共に頷いた。
「はい。先週から長期休暇に入ってます」
「大学生の夏休みって2ヶ月くらいあるんでしたっけ? 自由を満喫できるのは、学生の特権ですね」
多分に羨望の響きが含まれた口ぶりで女性は言う。
「時間はたくさんありますけどね。ただ、社会人と違ってお金もないですから。自由の身ではありますけど、意外と制約も多いものです」
「貧乏暇なしと言いますものね……あ、ごめんなさい」
失言に気づいたらしく、彼女はさっと口元を手で隠した。
もちろん言葉の綾だと理解している。俺は肩を竦めて苦笑した。
「貧乏なのは本当のことですから。そうでもなければ、アルバイトの面接には来ません」
そう答えると彼女は手を下ろして微笑を覗かせながら告げた。
「お互い、良き方向に話がまとまることを期待しましょう」
それには、はい、と答えるしかなかった。
これから始まる面接がどういった内容のものなのか、どのような人材が求められているのか、詳細は何も聞かされていない。故に対策の立てようがなく、自分に出来ることといえば本当に祈ることくらいだった。
その時、扉が開いて先程の眼鏡の若者が姿を現した。両手でお盆を持ち、緑茶が注がれたグラスを運んでいる。
目の前にグラスが置かれる。手に取ると、てのひらにひんやりとした感触が伝わった。傾けると、その拍子にグラスの内側で氷が転がり、涼しげな音を響かせた。味は普通の緑茶と変わりないが、緊張と不安でヒートアップした体内に冷気が染み渡る感覚は心地良かった。
眼鏡の彼は、女性面接官の隣に腰かけた。
ふたりは揃って愛想の良い微笑を湛えているが、瞳の奥には真剣な光が宿っているように見えた。どうやらこれから本格的な面接に入るらしい。
「改めまして」と女性の方が口を開いた。
「本日は遠方からわざわざお越し頂きありがとうございます。私はミズノといいます」
軽く会釈して、懐から名刺を取り出す。机の上に置いたそれに三つ指を重ねて、スライドさせるように押し出してくる。淀みのない流麗な所作だった。
続けて隣の彼も「ドウジマです」と名乗り、同じように名刺を差し出してきた。
俺は膝の上に手を置いたまま、手前に並べられたふたつの名刺を眺めた。
『星雲科学株式会社 企画部 水野有紀』
『星雲科学株式会社 企画部 堂島敬』
硬いフォントで綴られた横文字が、縦に3つ並んでいる。
特別な感想は抱かなかった。堂島さんの下の名前は『けい』と読むのか、それとも『たかし』と読むのか――そんな益体の無い疑問が脳裏を掠めただけだった。
「これからいくつか質問させて頂きますが、その前に念のため認識合わせをしておきましょう。桐生さんは、我が社の臨床試験への参加をご希望されているということでよろしかったですか?」
どうしてそんなわかりきったことを訊いてくるのだろう?
疑心を抱きながらも俺は首肯する。
「はい。間違いありません」
「募集の話はどこで知りましたか?」
「えっと、大学の知人を介して知りました」
「なるほど」
水野さんは頷く。
「差し支えなければ、その方のお名前をお伺いしてもよろしいですか」
反射的に、えっ、と声が漏れた。
「どうしてですか? それは面接に関係があることなんですか?」
無闇に反発的な態度を示していては心象が悪くなるかもしれないと理解していたが、この時ばかりは反問せずにはいられなかった。
水野さんは顔色を変えないまま質問に答えた。
「詳細は開示できませんが、採用の合否に影響するものでないということだけは明言しておきます。しかし場合によっては試験の内容に関与してくる可能性がある事項のため、念のため確認しておく決まりになっているのです。もちろんその方にご迷惑が及ぶようなことは決してないようにするとお約束します」
まるで要領を得ない説明だったが、決まりだと言われてしまえばなんとなく刃向かいづらい。
少し悩んだ末に、まあ名前を教えるくらい構わないか、と判断して、その知人の名前を明かした。それから勢いに任せて気になっていたことを尋ねてみた。
「あの、試験の内容がどういうものなのかは、やっぱり教えてもらえないんでしょうか」
こちらの質問に、面接官たちは一瞬、顔を見合わせて閉口した。
「申し訳ないのですが、試験の内容については事前にお伝えすることはできません。被験者には事前知識がゼロの状態で臨んで頂かないと意味を成さない試験となっておりまして」
それは募集要綱にも明記してあることだった。そういう種類の試験が存在することは素人ながらも理解している。だが訊かれた質問の内容があまりにトリッキーすぎて、つい口を挟まずにはいられなかった。実際に試験を受けもしない知人の情報なんてものが、どうして必要になってくるのだろう?
全く想像がつかず無言を貫いていると、それが了承の意と受け取られたらしい、水野さんは隣の堂島さんに目配せして粛々と話を進めた。
堂島さんはクリアファイルを手にして、そこから書類を一枚抜き取り、俺の手前に差し出した。
「まずは資料に目を通してください。こちらからお訊きしたいことを一覧にまとめています」
そこには箇条書きで複数の質問が列挙されていた。
・身長と体重を教えてください。
・食べ物の好き嫌いを教えてください。
・周りから自分はどんな人だと思われていますか?
・日常的に暇な時は何をしていますか?
・家族は健在ですか?
・現在はひとり暮らしですか?
・家族とは頻繁に連絡をとっていますか?
・友達は多いですか?
・友達とは頻繁に連絡をとり合っていますか?
・持病はありますか?
・現在、服用している薬はありますか?
・現在、他に掛け持ちしている仕事、及びアルバイトはありますか?
基本的には当たり障りのない質問ばかりだが、中には少々踏み込んだ質問も紛れていた。
・アダルトビデオを観る習慣はありますか?
・好きなアダルトビデオのジャンルは何ですか?
・恋人はいますか?
・性行為の経験はありますか?
・経験人数を教えてください。
・風俗に行く習慣はありますか?
・性病に罹ったことはありますか?
・最後に性行為をしたのはいつですか?
・自慰行為はどのくらいの頻度で行いますか?
・最後に自慰行為をしたのはいつですか?
読み進めるにつれて段々と眉間に皺が寄るのを自覚した。
ざっと全ての質問に目を通し、顔を上げたタイミングで水野さんは言った。
「どうでしょう。すぐにお答えできますか? 考える時間が必要でしたら、お待ちしますが」
「いえ。どれも即答できると思います。……ただ、答えるのに少し抵抗がある質問もあるなあと思いまして」
「申し訳ございません。いずれも試験に必要なパーソナルデータとなっておりますので、どうかご理解のほどをいただけると助かります」
「……そうは言いますけどねえ」
俺は語気に難色を滲ませながら言い返した。
「回答次第で採用されるかどうかが決まるわけでしょ。馬鹿正直に答えて落とされたんじゃあかなわないです」
食ってかかるような抗議の言葉に、初めて面接官たちの顔が凍り付いた。
が、水野さんはさして怯むことなく微苦笑し、小さくかぶりを振って言った。
「どうしても答えたくないということであれば、無回答でも結構です。もちろんだからといって選考から除外されるということはありません。ただし、質問の重要度によっては審査に響く可能性はあります。その点、どうかご承知おきください」
慇懃な口調ではあるが、要は回答しなければ落とすぞと遠回しに言っているようなものだ。最初からこちらに選択肢などないに等しく、回答できないのならもはや面接を受ける意味もないのだろう。
数秒間、手元の資料と向き合い黙考する。内心でため息をついて顔を上げた。
「わかりました。隠すようなことでもないので、全て正直に答えますよ。ただし、口外しないのはもちろんのこと、ここで答えたことは今回の試験以外で流用しないことを約束してください」
水野さんは笑みを深めて、当然だと言わんばかりに大きく頷いた。
「はい、お約束します。ご理解いただき誠に感謝いたします」
弾んだ声でそう言って、隣の堂島さんと一緒に頭を下げた。
そんなふたりを前にして、つくづく社会人は大変なんだなと思った。仕事とはいえ、自分より年下である学生に対してもそんな風に下手に出ないといけないのは確実に心労であるに違いない。
情に絆されたわけではないが、質問にはできるだけ真摯に答えようと思った。
メールに記されていた住所のもとに赴くと、街の外れにある小さなビルに行き着いた。中に入ろうと決断したのは、約束の時刻に差し掛かる少し前の頃だった。本当は20分も前に到着していたのだが、看板のような目印になるものが見当たらず、本当にこの場所で合っているのか確証が持てなかったため、決断に時間を要したのだ。
半信半疑のままエントランスを通過してエレベーターホールに行くと、上矢印のボタンが取り付けられたパネルの隣に貼り紙を見つけた。
『星雲科学(株)面接会場は4階です。』
どうやらここで間違いないようだ。
こういう貼り紙はビルの外に貼っておいてくれよ、と内心でぼやきつつ、俺はやってきたエレベーターに乗り込んだ。
目的の階に着きエレベーターから下りると、左右に伸びた通路に出た。天井は高いが、その割に幅狭な廊下だった。床には白黒のタイルが交互に敷き詰められていて、歩くたびコツコツと乾いた靴音が響く。
一定間隔ごとに扉が並んでいて、その一つひとつに会社名が記されたプレートが飾られている。目当ての会社は通路のいちばん端にあった。
扉と向かい合い、ノックしようと拳を挙げたところで躊躇いが生じた。本当に信用に値する会社なのか急に不安になったのだ。高額な報酬に釣られてのこのこやって来たが……もう少し詳しく会社のことを下調べしておくべきだったかもしれない。面接とは名ばかりで知らぬ間に悪徳商法なんかに嵌められたりでもしたらどうしようか。
悪い想像を膨らませていたその時だった。扉が開き、中からスーツ姿の男が現れた。全体的に線の細い、黒縁の眼鏡をかけた若者だった。
出会い頭に、男は驚き顔を浮かべた。が、こちらの背格好を見眺めるなり相合を崩して声をかけてきた。
「こんにちは。面接の方ですか?」
いくらか愛想の込もった声だ。
戸惑いながらも、はい、と応じる。
「なかなか来ないから、ちょっと様子を見に行こうとしてたところだったんだ。このビル、分かりにくい場所にあったでしょ。けっこう迷う人、多いんだよね」
いきなりフランクな口調で喋りかけられ、また戸惑いに駆られる。しかし、なんとなくだが歓迎されている雰囲気だけは伝わってきた。
「さ、中へどうぞ」
促されるまま部屋の中に足を踏み入れる。
そこは会社のオフィスにしては少々手狭に感じられる一室だった。中央に4台のデスクが密着して並べられていて、窓際の閉め切られたブラインドの前にもデスクが1台ある。壁際にはキャビネットやロッカーが複数台配置されているほか、観葉植物や水槽といったインテリアも置かれている。デスクの上にはノートパソコンだったり紙の資料だったり色々ものが散乱しているが、今は眼鏡の彼以外、社員の姿は見えない。
出入り口とは別に扉が2つあり、それぞれ『社長室』『会議室』と記されたプレートが飾られていた。
通されたのはもちろん会議室の方だった。
そこは縦長の机が1台と椅子が数脚並べられただけの簡素な部屋だった。真っ白な壁にカレンダーと時計が掛かっている他には、たとえばホワイトボードや電話やプロジェクターといった会議室と聞けばいかにもありそうな備品は見当たらない。
入って右手側の中央の席にスーツ姿の女性が座っていた。長い黒髪を後ろで束ねていて、剥き出しになった耳元でシルバーのイヤリングが控えめな輝きを放っている。眼鏡の彼よりもキャリアがありそうだ。歳の程は30代前半といった辺りか。多少メイクの力も借りているだろうが、目鼻立ちがくっきりしていて怜悧な印象を抱かせる。
女性はこちらの姿を認めると、歓迎の意を示すようにニコリと微笑みかけてきた。
「こんにちは。はじめまして」
さっと立ち上がり、一礼してくる。板についた身のこなしだった。
こちらもぎこちなくではあるが、同様の言葉と所作を返した。
どうぞお座りください、と勧められ、女性の真向かいの席に腰を下ろす。
「学生さんでしたよね。今は夏休みですか?」
こちらの緊張を解すためだろう、微笑みを維持したまま気さくに話しかけてくる。
不安や戸惑いは一旦胸の奥に押し込めて、俺は愛想笑いと共に頷いた。
「はい。先週から長期休暇に入ってます」
「大学生の夏休みって2ヶ月くらいあるんでしたっけ? 自由を満喫できるのは、学生の特権ですね」
多分に羨望の響きが含まれた口ぶりで女性は言う。
「時間はたくさんありますけどね。ただ、社会人と違ってお金もないですから。自由の身ではありますけど、意外と制約も多いものです」
「貧乏暇なしと言いますものね……あ、ごめんなさい」
失言に気づいたらしく、彼女はさっと口元を手で隠した。
もちろん言葉の綾だと理解している。俺は肩を竦めて苦笑した。
「貧乏なのは本当のことですから。そうでもなければ、アルバイトの面接には来ません」
そう答えると彼女は手を下ろして微笑を覗かせながら告げた。
「お互い、良き方向に話がまとまることを期待しましょう」
それには、はい、と答えるしかなかった。
これから始まる面接がどういった内容のものなのか、どのような人材が求められているのか、詳細は何も聞かされていない。故に対策の立てようがなく、自分に出来ることといえば本当に祈ることくらいだった。
その時、扉が開いて先程の眼鏡の若者が姿を現した。両手でお盆を持ち、緑茶が注がれたグラスを運んでいる。
目の前にグラスが置かれる。手に取ると、てのひらにひんやりとした感触が伝わった。傾けると、その拍子にグラスの内側で氷が転がり、涼しげな音を響かせた。味は普通の緑茶と変わりないが、緊張と不安でヒートアップした体内に冷気が染み渡る感覚は心地良かった。
眼鏡の彼は、女性面接官の隣に腰かけた。
ふたりは揃って愛想の良い微笑を湛えているが、瞳の奥には真剣な光が宿っているように見えた。どうやらこれから本格的な面接に入るらしい。
「改めまして」と女性の方が口を開いた。
「本日は遠方からわざわざお越し頂きありがとうございます。私はミズノといいます」
軽く会釈して、懐から名刺を取り出す。机の上に置いたそれに三つ指を重ねて、スライドさせるように押し出してくる。淀みのない流麗な所作だった。
続けて隣の彼も「ドウジマです」と名乗り、同じように名刺を差し出してきた。
俺は膝の上に手を置いたまま、手前に並べられたふたつの名刺を眺めた。
『星雲科学株式会社 企画部 水野有紀』
『星雲科学株式会社 企画部 堂島敬』
硬いフォントで綴られた横文字が、縦に3つ並んでいる。
特別な感想は抱かなかった。堂島さんの下の名前は『けい』と読むのか、それとも『たかし』と読むのか――そんな益体の無い疑問が脳裏を掠めただけだった。
「これからいくつか質問させて頂きますが、その前に念のため認識合わせをしておきましょう。桐生さんは、我が社の臨床試験への参加をご希望されているということでよろしかったですか?」
どうしてそんなわかりきったことを訊いてくるのだろう?
疑心を抱きながらも俺は首肯する。
「はい。間違いありません」
「募集の話はどこで知りましたか?」
「えっと、大学の知人を介して知りました」
「なるほど」
水野さんは頷く。
「差し支えなければ、その方のお名前をお伺いしてもよろしいですか」
反射的に、えっ、と声が漏れた。
「どうしてですか? それは面接に関係があることなんですか?」
無闇に反発的な態度を示していては心象が悪くなるかもしれないと理解していたが、この時ばかりは反問せずにはいられなかった。
水野さんは顔色を変えないまま質問に答えた。
「詳細は開示できませんが、採用の合否に影響するものでないということだけは明言しておきます。しかし場合によっては試験の内容に関与してくる可能性がある事項のため、念のため確認しておく決まりになっているのです。もちろんその方にご迷惑が及ぶようなことは決してないようにするとお約束します」
まるで要領を得ない説明だったが、決まりだと言われてしまえばなんとなく刃向かいづらい。
少し悩んだ末に、まあ名前を教えるくらい構わないか、と判断して、その知人の名前を明かした。それから勢いに任せて気になっていたことを尋ねてみた。
「あの、試験の内容がどういうものなのかは、やっぱり教えてもらえないんでしょうか」
こちらの質問に、面接官たちは一瞬、顔を見合わせて閉口した。
「申し訳ないのですが、試験の内容については事前にお伝えすることはできません。被験者には事前知識がゼロの状態で臨んで頂かないと意味を成さない試験となっておりまして」
それは募集要綱にも明記してあることだった。そういう種類の試験が存在することは素人ながらも理解している。だが訊かれた質問の内容があまりにトリッキーすぎて、つい口を挟まずにはいられなかった。実際に試験を受けもしない知人の情報なんてものが、どうして必要になってくるのだろう?
全く想像がつかず無言を貫いていると、それが了承の意と受け取られたらしい、水野さんは隣の堂島さんに目配せして粛々と話を進めた。
堂島さんはクリアファイルを手にして、そこから書類を一枚抜き取り、俺の手前に差し出した。
「まずは資料に目を通してください。こちらからお訊きしたいことを一覧にまとめています」
そこには箇条書きで複数の質問が列挙されていた。
・身長と体重を教えてください。
・食べ物の好き嫌いを教えてください。
・周りから自分はどんな人だと思われていますか?
・日常的に暇な時は何をしていますか?
・家族は健在ですか?
・現在はひとり暮らしですか?
・家族とは頻繁に連絡をとっていますか?
・友達は多いですか?
・友達とは頻繁に連絡をとり合っていますか?
・持病はありますか?
・現在、服用している薬はありますか?
・現在、他に掛け持ちしている仕事、及びアルバイトはありますか?
基本的には当たり障りのない質問ばかりだが、中には少々踏み込んだ質問も紛れていた。
・アダルトビデオを観る習慣はありますか?
・好きなアダルトビデオのジャンルは何ですか?
・恋人はいますか?
・性行為の経験はありますか?
・経験人数を教えてください。
・風俗に行く習慣はありますか?
・性病に罹ったことはありますか?
・最後に性行為をしたのはいつですか?
・自慰行為はどのくらいの頻度で行いますか?
・最後に自慰行為をしたのはいつですか?
読み進めるにつれて段々と眉間に皺が寄るのを自覚した。
ざっと全ての質問に目を通し、顔を上げたタイミングで水野さんは言った。
「どうでしょう。すぐにお答えできますか? 考える時間が必要でしたら、お待ちしますが」
「いえ。どれも即答できると思います。……ただ、答えるのに少し抵抗がある質問もあるなあと思いまして」
「申し訳ございません。いずれも試験に必要なパーソナルデータとなっておりますので、どうかご理解のほどをいただけると助かります」
「……そうは言いますけどねえ」
俺は語気に難色を滲ませながら言い返した。
「回答次第で採用されるかどうかが決まるわけでしょ。馬鹿正直に答えて落とされたんじゃあかなわないです」
食ってかかるような抗議の言葉に、初めて面接官たちの顔が凍り付いた。
が、水野さんはさして怯むことなく微苦笑し、小さくかぶりを振って言った。
「どうしても答えたくないということであれば、無回答でも結構です。もちろんだからといって選考から除外されるということはありません。ただし、質問の重要度によっては審査に響く可能性はあります。その点、どうかご承知おきください」
慇懃な口調ではあるが、要は回答しなければ落とすぞと遠回しに言っているようなものだ。最初からこちらに選択肢などないに等しく、回答できないのならもはや面接を受ける意味もないのだろう。
数秒間、手元の資料と向き合い黙考する。内心でため息をついて顔を上げた。
「わかりました。隠すようなことでもないので、全て正直に答えますよ。ただし、口外しないのはもちろんのこと、ここで答えたことは今回の試験以外で流用しないことを約束してください」
水野さんは笑みを深めて、当然だと言わんばかりに大きく頷いた。
「はい、お約束します。ご理解いただき誠に感謝いたします」
弾んだ声でそう言って、隣の堂島さんと一緒に頭を下げた。
そんなふたりを前にして、つくづく社会人は大変なんだなと思った。仕事とはいえ、自分より年下である学生に対してもそんな風に下手に出ないといけないのは確実に心労であるに違いない。
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