きんだーがーでん

紫水晶羅

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決裂

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***

 コール音が流れると同時に、電話が繋がる。
「楓?」
 相手の声を待ちきれず、聖は咄嗟に名前を呼んだ。
「あ、うん。聖?」
 緊張をまとった高い声。すっかり慣れ親しんだその声に、聖の目頭が熱くなる。
「もう済んだの? 話し合い」
「ん……」
「どうだった? うまく進みそう?」
 余程心配していたのか、矢継ぎ早に楓が訊く。
「いや……。あの……」
 思わず聖は口籠った。
「聖?」
 暫し沈黙が流れる。震える吐息を聞かれないよう、聖は口元を手の甲で押さえた。

「今……どこ?」
 楓の声が、不安に揺れる。
「……実家」
 掠れた声で、聖は答えた。
「……なにか……あったの?」
 受話口から、こちらを伺うような楓の気配が伝わってくる。動揺を隠したまま、聖はゆっくり言葉を紡いだ。
「楓……」
「ん?」
「ごめん……」
「えっ?」
「どうやら俺、楓と同じ未来、歩けそうに、ないみたい」
「なに……言って……?」

 聖の視線が床を這う。その先には、胸元を黒く染めたボルドーのワンピースが、まるで水面に浮かぶ花のように、白いタイルの上に大きく広がっていた。
 受話口から、「聖」と呼ぶ楓の声が何度も聞こえる。
 聖は軽く目を閉じると、その愛しい声を身体中に染み渡らせた。

「楓」
 閉じた瞼の隙間から、すうっと一筋、涙がこぼれ落ちた。
「もう、充分だよ……。俺今、めっちゃ……幸せ……」
「聖! ねぇ! 聖ってば!」
「俺、楓と出会えて良かった。こんな俺を、愛してくれて……ありがとう……」
「なに言ってんの? なんで急に……?」
「一緒に生きられなくて、ごめんね」
「ちょっ! 聖!」
「楓の幸せを……ずっと……願ってる……」

 やっとのことでそこまで言うと、聖は勢いよく電話を切った。


 スマホの電源を落とし、床の上に投げつける。
「うっ……っ! ああああああっ!」
 堪えていたものが次から次へと溢れ出し、聖は全身を床に打ちつけのたうち回った。
「あああああっっ!」
 何度も叫びながら、両の拳で床を叩く。白いタイルが、所々紅く染まった。

 悶え叫ぶ聖の耳に、カシャンと何かが落ちる音が微かに響いた。
 ふと視線を向けるとそこには、車の鍵が落ちていた。
 ポケットから落ちたのだろう。それをそっと掴むと、聖はどかりと座り込んだ。
 車の鍵と一緒に、アパートと実家の鍵もぶら下がっている。それらを一つに束ねている猫のキーホルダーを、聖は震える指でゆっくり外した。
 邪魔くさそうに、三つの鍵を床の上に放り投げる。ようやく外れたクリスタルガラスの小さな猫を、聖はいつくしむように手のひらに乗せた。

「楓……」
 澄んだ青い瞳が、聖の顔を心配そうに覗き込む。
「大丈夫。俺は幸せだよ。最後に、楓と愛し合えたから……」
 小さな顔を親指でなぞると、純白の身体がみるみる紅く染まった。
「泣いてくれるの? 俺なんかのために?」
 紅くなった片方の瞳に、聖はそっと口づけた。
「ありがとう。楓。愛してるよ……」
 喉の奥から嗚咽が漏れる。
「だけどね。こんな俺じゃあ、楓を不幸にすることしかできないよ……。だからもう、俺のことなんか、早く忘れてね……」
 とめどなく溢れる涙を拭い、聖はゆっくり立ち上がった。

 震える足をひきずりながら、静華の元へと近づいていく。
 横たわる静華をぼんやりと眺めたあと、聖はそのかたわらにひざまずいた。砕けた皿の欠片が、パキパキと小さな音を立てた。
「静華さん……」
 もう何も映さない瞳を、手のひらでそっと閉じてやる。
「あんたも、寂しい人生だったのかもね」
 胸に刺さったナイフを抜くと、白いタイルが徐々に紅く染まっていった。
「待ってて。すぐに行くから」
 紅く濡れるナイフの刃に、涙の粒がいくつも落ちる。怖気付く心を奮い立たせ、聖はその手に力を込めた。

 きつく目を閉じ、深呼吸する。
「バイバイ。楓……」
 握りしめた楓の分身にもう一度キスをすると、聖はそれを、床の上にそっと置いた……。


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